無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月30日(日) ケーキとシュークリームと焼き鳥と/『ヒカルの碁』15巻(ほったゆみ・小畑健)/『細腕三畳紀』(あさりよしとお)ほか

 年の瀬も押し詰まってるさなかの誕生日である。
 誰のって、私のなんだけれども。
 別に年齢を詐称する必要もないので正直に言っちゃうけれど、今日で私は39歳である。
 30代最後の年だけれども、数え年だともう今年の正月に四十を迎えているので、感覚的にはもう「不惑」なんだなあ、という気持ち。
 しかし、孔子はよく言ったもんだね。確かに四十になると「惑う」ことはなくなってるもの。悩みは尽きることがないが迷いはないのな。世間の荒波、困った事態は連日奔流のごとく押し寄せてくるが、今更、自分の性格変えようがないしい、ってなもんなんで。
 オタクをやめよう、なんてのもついぞ思わない。自分で自分に、「そのまま行ってよし!」とGOサインを出してるような感じである。

 「しかし、人生の折り返し点は確実に過ぎたなあ」
 「なん、生きるのがつらいと?」
 「楽しいとかつらいとかいう感覚でとらえちゃいないよ。長く生きたいってわけでも、早く死にたいってわけでもないってことだよ」
 「以前はいつ死んでもいいとか言ってたくせに」
 「『死んでもいい』と『死にたい』は違うよ。別に俺は死にたいわけじゃない。ただ、確実にお前より先には逝くよ」
 「……ズルっ子やね」
 「お袋は若いころは『死ぬのなんて怖くない』とか言ってたけど、死ぬ間際になって『死にたくない』って言い出したものなあ。そういう覚悟の足りないことはこれから言いたくはないけどね」

 しげとは時々、そんな、死についてのヘンな会話をする。
 とりとめがないし、実のところ更にトシを取れば醜く生に執着しそうな気もする。理想は水木しげる氏のように、「私はもう半分以上水木さんではないのです」という境地になりたいとも思うが、寝惚けることの多い昨今、10分の1くらい、私はもう、有久さんではないのかもしれない。
 それもまた善哉。
 
 
 午前0時を過ぎて、ロイヤルホストで食事。
 ささやかながら誕生祝である。
 どこぞのホテルでディナーとかにならんところがいかにも庶民。だいたい明日も結婚記念日なんで、そうそうパーティなんか開けるわきゃあないのだ。
 誕生日と言えばケーキ、ということでしげの好みのショートケーキを二つほど注文。
 「ほど」というのはついでに私がシュークリームを頼んだからである。でも皮が固くて味は今一つ。
 さすがに深夜なので、いくつか料理を注文するが品がない。
 無難なところで定食を頼むが、店長がやってきて謝罪して20%割引券をくれた。固持するが是非にと言うので、仕方なく使う。別にその気はないが、なんとなく難癖つけて安く上げる客と同一視されるような気がして、こういうのは好きじゃないんである。
 店長が「夜遅くいつも来て下さってますから」と礼を言うが、しまった、こんなところでも顔を覚えられてたか、と苦笑。

 そのあとひと寝入りはしたが、実は今年最後の仕事の日である。
 さすがに午前中だけだが、もう眠くて眠くて。
 帰宅するなりまた泥のように眠る。誕生日は寝て暮らすってか。


 目覚めるともう夕方。
 今日はAIQの打ち上げというか御慰労会というか、要するに飲み会があるのだ。しげを叩き起こして、天神の中央広場まで急ぐ。
 待ち合わせの7時には20分ほど早目に到着。
 余裕があるとつい、福家書店に寄ってしまうのはオタクの人情だが、こういうオタクオタクした行動をしげは滅法嫌う。別にオタクが嫌いってわけじゃなくて、オタクがいかにもオタクであることを標榜するような行動に出ることが一種の「開き直り」に見えて、しげには傲慢に映るらしいのだが、かと言って、別に誰かに迷惑かけてるわけでもないのだから、これはしげの方がワガママを言っていると考えるべきだろう。
 だって、しげは自分がどこかに寄りたい時はやっぱり時間を気にしないで同じ行動取ってるんだから。
 一月の新刊が早目に出てるかと思ったが見当たらないので、落穂拾いのように旧刊を買いこむ。

 アンジェリーナさん、たけうちさん、エロの冒険者さん、しおやさん、獅子児さん、三々五々に集まってくる。
 たけうちさん、ロシアのコサックのような帽子をかぶっているので、なんとなくこれから南極に越冬隊員として行くか、八甲田山で死の彷徨をしようかという感じ。ああいう帽子は私も好みなんだが、似合いそうにないので買ったことはない。けれどそろそろ私の頭はだいぶ薄くなってきているので、帽子は被ったほうがいいかなあ、と感じている。いや、ハゲかくしってことじゃなくて、年寄りっぽいと電車で席譲られたりしかねないから(^_^;)。
 本の袋を下げていたので、しおやさんから「何買ったの?」と早速聞かれちゃったが、ちょうどそのとき買ってたのが内田春菊の『金玉』。……ちょっと天神のドまん中で見せるのは恥ずかしいかもしれないモノであった。
 いや、見せましたけど。もう「恥」というコトバが私の中からどんどん消えていくなあ。

 時間通りにみんなで近くの居酒屋へ。ぴんでんさんはそちらでもう待機しておられた。
 この店、焼き鳥を含めて品数も豊富で安く、味もなかなかなので、店名を出してもいいのだが、どうも周囲の客層がちょっと気に入らないので、一応控える。いや、いつ来ても妙に「徒党を組んだ連中」が多くてさ、トイレに行くとそこにタムロってたりゲロ吐いてたりで、ちょっと環境が悪いのである。

 オタクアミーゴス公演のビデオテープを獅子児さんからいただく。
 上下2本、計4時間の大作(^^)だが、それでも若干のカットはあるとのこと。
 幕前に某スーパーの「さかなを食べよう」という歌をなぜか今回公演のテーマソングとしてかけているのだが、これが一番しか入っていないそうな。
 もっとも聞いたことがある人はわかると思うが、あの「♪さかなさかなさかなー、さかなーを食べるとー、さかなさかなさかなー、アタマーがーよくーなるー♪」と、エンドレスでかかり続けてるやつを延々聞かされてもちょっと頭がクラクラするだけなので、それは構わない。
 当日は受付にいたりして、見ていない部分も多いので、明日が楽しみである。

 さて、飲み会になるともうぴんでんさんが毎回爆発してくれるのだが、今日も酒量が増えるにつれ、「どうしてあのエロネタを日記に書いてくれないのですか」と絡んでくること(^_^;)。
 うーん、別にエロなことを書きたくないと思ってるわけじゃなくて、これは公開日記なんだから、見る人によってはぴんでんさんの性格を誤解する人が出るかもしれない、そうなったら申し訳ないないなあ、という配慮のもとだったんだが、「ぜひ書いてください」と言われればもう、書かずばなるまい。
 ……先に言っときますが、ぴんでんさんはとてもいい人です(^^)。

 さて、ぴんでんさんは往年の山城新伍もかくやと言うほどのソ○プラ○ドの帝王でいらっしゃる(おいおい)。
 で、あるとき、いつものごとく、馴染みのソ○プ嬢と、とっても楽しいことをしていたと想像してください。
 ところがそのとき突然、ぴんでんさんの携帯にコールが。
 問題はその着メロである。
 オタクはやはりいかにもオタクな着メロを入れるものではないかとご想像されるだろうか(ちなみに私の携帯の着メロはしげが『ルパン三世(新)』を入れてくれている)。それはある意味「当たって」いた。
 突然流れたその音楽とは!

 「♪と〜っとこ〜、走るよハム太郎〜♪」

 いや、笑ってはいけない(^u^)。
 ぴんでんさん、根はとってもメルヘンな方なのだ。
 しかし、いくらメルヘンなぴんでんさんでも、今まさに最高潮と言うときに携帯に出るわけにはいかない。
 仕方なく楽しいことを優先させるわけだが、その間も「ハム太郎」は当然、流れ続けている。
 あとの次第は、ぴんでんさんの言葉をそのまま写す。
 「あれ、フシギなもんで、音楽が鳴ってると、腰の動きが自然とそのメロディーに乗って、動くようになるんですね、こう、「と〜っとこ〜、走るよハムたろ〜』っていうように(ポーズ付き)」。
 ……みんなもう、爆笑(≧∇≦)。
 更にトドメの一発。
 「……これでみなさん、これからハム太郎の音楽を聞くたびに私の腰の動きを思い浮かべてくれることでしょう」

 ……このように、ぴんでんさんはとってもイイ性格をしている人なのである。
 そして、実際、ハム太郎を聞くたびにクスリと笑い出す女が私の隣に生まれてしまったのだった。
 つくづく、洗脳されやすいやつだよなあ、しげ。  

 これからちょくちょく、ぴんでんさん語録も書いていくことになろうかと思うが、ぴんでんさん、未だにご独身の好漢であります。御本人は、結婚したらピッタリ遊びは止める、と公言していらっしゃいますので、お付き合いしたいという妙齢のご婦人がいらっしゃいましたら、私までご一報のほどをよろしくお願いいたします。

 ぴんでんさん、その後も『鉄人タイガーセブン』や『電人ザボーガー』など、ピープロ製作特撮番組の魅力などを語る語る。
 私も当然見ちゃあいたんだが、どちらかと言うと同じピープロ作品なら『宇宙猿人ゴリ』や『快傑ライオン丸』派であったので、その二作には、ぴんでんさんほどにはハマらなかった。この辺がやはり世代の差というものであろう。
 評論家の岩佐陽一がやはり『タイガーセブン』には相当感銘を受けているのだが、実はぴんでんさんと同世代である。そのことを聞くと、ぴんでんさん、「でも私、岩佐陽一、嫌いなんですすよ」と複雑な表情。
 これも一種の同族嫌悪ってやつだろうか。

 みんなで散々食って散会。
 次の集会は、年が明けた中ごろに、『シベリア超特急』の鑑賞会を行おうということになったが、みなさん、そんなに心にストレスをあえて溜めようというのか(^_^;)。


 雑誌『ドラゴンHG(ハイパーグレイド)』第1号(富士見書房・1000円)。
 あの伝説の(どこが)とり・みきとゆうきまさみの合作、『土曜ワイド殺人事件』の復活である。
 題して『土ワイ4 京都藁人形殺人事件』。
 もちろん、今度の主役も元マンガ家アシスタントの田渕A子(この名前で少女マンガファンはまず笑ってください)。
 アレから(何がアレからかはもういちいち解説しないが)A子は山にこもって修業していたのだった(なんのだ)。同時期になぜか起こる、「人間の死に方の通りに殺される藁人形」事件。そして群馬県警から京都へ出張捜査に現れた、あの頭が陰毛の(^_^;)田子二毛作と土手村の刑事コンビ。
 ストーリーはこんなだが、ともかく随所に描き込まれたマニアックなギャグの数々がわかる人にはわかって大いに笑える。
 登場人物がシルエットになってるシーンにさりげなく『煙突屋ペロー』がいたりしてな(^o^)。……みんなもどれだけネタがわかるか探してみよう!

 他にも、復活を遂げた結城信輝『ヴェルパーサーガ』、復活を遂げたゆうきまさみ+田丸浩史『マリアナ伝説』(復活ばっかりかい)などがメイン作品。……ちょっと雑誌としてはオタク向けすぎる気はするが、ドラゴンだし富士見だからいいのか。
 よくわかんないけど、声優やネットアイドルのグラビアまで付いている。このネットアイドルの木村紗雪って女の子が、「自分が生まれる前のマンガを読んで感想を書く」という企画ページを持たされてるんだけど、その第一回に選ばれてるのが江口寿史の『ストップ!! ひばりくん!』。
 ……もう、二十年前ってかよ。まだ完結してないってのに。
 この女の子、「『高円寺さゆり』が好き」、なんて書いてるが、このキャラが薬師丸ひろ子をモデルにしてることも知らないんだろうなあ。つーか、薬師丸自体知らないのかも。

 次号予告を見ると、『ダーティペア』や『地上最強の男竜』など、やっぱり続編企画ばっかりだ。2号出せるのかなあと思って発売日を見ると……12月?……まだ出てる気配がないぞ。売りきれたのか、やっぱりポシャったのか。
 吾妻ひでおが描いていればポシャったと確実に言えるんだが(^o^)。


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』15巻(集英社・410円)。
 年の瀬っこともあるのか、ジャンプコミックスが早めに発売されている。
 買うには買っていたのだが、一度読んでるものなので、慌てて読まなくても、と思っていたのだが、どうしてどうして、通読すると連載を待ち望みながらぶつ切りで読んでいた時よりはるかにリズムのある構成だったことに気付いた。
 佐為がついにヒカルの前から姿を消し、その姿を追って、因島へ、更には東京へ舞い戻り、「二度と碁は打たない」と泣き崩れるまでのヒカルの心理の流れが実にスムーズでリアリティがあるのだ。ドラマはやはりキャラクターの心のうねりが作り出すものなのだなあ、と感心する。
 連載の方はいよいよ塔矢との久しぶりの対決なんだけど、ここで完結させられれば、多少の物足りなさは残っても、いい締めくくりになるようには思う。けれど実際には、人気のある限り、これからも連載は続いて行くのだろう。そうなればそうなったで、ある意味、ヒカルが燃え尽きるまで(あしたのジョーかい)、あるいは時代をポーンとすっ飛ばして未来まで行っちゃってもいいかもしれない。ここまで来ると、多少トーンダウンしても、行けるとこまで描いて行ってほしいという気持ちも起こってくるのだ。


 マンガ、あさりよしとお『細腕三畳紀』(講談社・500円)。
 あさりさんの、恐らくは世界で唯一の「三葉虫マンガ」(^o^)。
 と言うか、三葉虫をネタにして、これまであさりさんが描いてきたギャグ・SF・ナンセンス・怪獣・特撮・魔女っ子・オタクマンガの手法を全てぶちこんだような、ベスト・オブ・あさりよしとおのような体裁になってるのが凄い。
 ……あさりさん、燃え尽きつつあるんじゃないのか。
 こう言っちゃなんだが、あさりさんは自分のオタク趣味さえ表に出さなければ、もっとブレイクしたっていいマンガ家なんである。ウケるネタ、ドラマツルギー、キャラクター造型、それぞれにおいて傑出した才能を持っていることはわかるし、例えばあさりさんが本腰を入れて、『ゴジラ』をシリアスに漫画化したとしたら、とてつもない傑作ができるだろう。
 ところがあさりさんが実際に描いちゃうのは『中空知防衛軍』であったり、今巻の『マーくんの場合』のような「怪獣対巨大三葉虫」だったりするのだ。パロディは日本においてはまだまだ市民権を得たとは言えない。偉大なる吾妻ひでおにして、決してメジャーにはなれなかった。パロディは、日本マンガシーンにおいては、自らをマイナーのワクに閉じ込めるものでしかないのである。

 今巻に『佐藤くんの場合』という短編がある。
 悪の組織に就職した平凡な青年が三葉虫怪人に改造され、「その日」が来るまで待機任務についている、その平凡な日々を描いたものだ。
 なんの変哲もないアパートの四畳半での普通の日々。
 三葉虫ということで近所の子供が石を投げる。
 同窓会の電話が来るが、もうこの姿では顔は出せない。
 何も知らない実家の母親から送られて来たラーメンを啜る。
 モビルスーツのプラモを買ってきて作るのが唯一の楽しみ。
 そして「その日」は来る。
 彼がアパートの窓から見た、最後の夕日の街並み。
 彼は呟く。
 「どうして平凡に生きようと思わなかったんだろう……」
 三葉虫の流す涙を見ながら、あなたは泣くだろうか、それとも、失笑するだろうか。確実に言えることは、これはオタクのためだけに描かれたマンガであり、オタクにしか理解できないマンガであり、これを読んで感動する、泣けるということがオタクであることの証明であるということだ。
 三葉虫がいなくなった街で子供たちが会話する。
 「どこかで元気にやってるかなあ」

 誕生日に、こんな感傷的なマンガ読んじゃイカンなあ(^_^;)。

2000年12月30日(土) 誕生日スペシャル/アニメ『フリクリ』5巻、『競作五十円玉二十枚の謎』(若竹七海)



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