無責任賛歌
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2001年12月03日(月) |
平和だねえ。/『蒼い時』『華々しき鼻血』(エドワード・ゴーリー)ほか |
昔、立川談志が高座でマクラに振ってた話。 暗い事件が多いって言ってるけどよ、世の中明るいから暗い事件がニュースになるんで、明るい出来事がニュースになってたら世の中暗いってことなんだよ」 ……ここ数日、明るいニュースばかり報道してますねえ。
小泉純一郎首相まで、「女性天皇を否定する人は少ないと思う」と発言するに至ったが、だから「少ない」のに、これまで皇室典範が全く改訂されなかったのはなぜなのか、みんな触れようとしないのはどうしてなのかねえ。 だからいるわけでしょ、例え少なくっても強硬に「男性天皇」に拘る人たちがさ。しかもそいつらは一切、メディアに姿を現そうとしてないんだぜ。 報道がそこを突っ込もうとしないのはどうしてなんだよ、靖国の時にはああまで騒いだのに。
その小泉内閣の支持が、一時期70%台まで落ちていたのが、再び80%まで回復したそうな。 理由は「道路交通公団や特殊法人改革が進んでいるから」ということだそうだけれど、進んでるかあ? これもメディアで散々「イメージ先行」と批判されてるのに、支持率はなんだかんだ言って安定している。ネットなんか見てても、「小泉首相を支持しない」という意見、結構多いのに(っつーか、批判意見しか見ないぞ)、どうして支持率が下がらないか。 結局さあ、「小泉さんもアテにならねえよな」とか日ごろ言ってるやつだって、「支持しますかしませんか?」と聞かれたら、「いや、しないってわけじゃないよ」と腰が引けて、イエスの側に回ってんだろう。私も「支持するか?」と言う聞き方だされたら、「どっちでもない」とは答えにくいし。「実績」はなくても、「期待」を込めて「支持する」と言っちゃいそうなんだよねえ。 結果として、「支持する」人が圧倒的に多い、という実態のない数字だけが先走ることになる。なってんじゃないかな。 アンケートとか出口調査とか、こういうのが基本的に「情報操作」の手段なんだってことはニュースを見る時の常識として知ってなきゃいけないのだ。ホントはね。
実際、マスコミはどこの国でも情報操作をするものなんだが、ちょっと疑問なのは日本の場合この「常識」が当てはまるのかどうかってことだ。 つまりね、この質問のし方、あえて小泉支持の高さを数値化してみせて、国民の政治意識の低さを反作用的に批判する手段かなあなんて考えることもできるんだけどね、さて、どうでしょう、そこまでのアタマが今の日本のマスコミにあると思いますか(^^)。 つまり、「情報操作の手段」だけが横行しているけれど、その「目的」が全く意識されてないんじゃないか、その「手段」にマスコミ自体が振りまわされてないかって言いたいわけ。小泉支持はどこまでホンモノか、それを突っ込んで取材したニュースを私はほとんど知らない。
イメージ先行というもの、バカにしていいものではない。 小泉さんを一所懸命ヒトラーになぞらえようとした党があったが、「悪」であれなんであれ、印象付けることが出来れば、それを「善」のイメージに転換することだって可能なのである。 もちろんそのためには情報捜査のエキスパートが背後にいることが必要なのだが、小泉首相の離婚歴もまるでマイナスに響いていないことを考えると、なかなかのヤリ手が首相の後ろにいるんじゃないかな。 今年の「流行語大賞」の授賞式に小泉さん、わざわざ出席したが、これなんか綱渡りのパフォーマンスである。 「この問題が山積の時期に何やってんだ」という批判だって受けかねないのだが、見事に「決意表明の場」にしちゃうんだもんなあ。「聖域なき改革」って、実際上、日本が「聖域だらけ」だってことを証明して見せただけなんだがね、今のところは。
その流行語大賞、「生物兵器」なんて私にとっては別に流行語でもなんでもない耳慣れた言葉まで受賞している。もっとも、そう感じるのはアニメファン、特撮ファン、軍事オタク、そういう連中かな(^_^;)。 つまり一般的には全然知らない言葉だったってことなのか。 ……世間って、そんなに無知? 「同時多発テロ」というコトバ自体がノミネートされなかったのも理解に苦しむなあ。こっちのほうがよっぽど人口に膾炙したんじゃないかと思うんだけど、流行語大賞には、やっぱり希望あふるるものを選ばなきゃってことなのかねえ。……だから、暗いニュースが流行ってるほうが世間は平和だってことで(冒頭に続く)。
夜、友人のこうたろうくんから電話。 しばらく日記の更新も遅れてるし、たまに書きこんだ内容が「病気だ発作だ」と縁起でもないことなんで、心配してくれたものらしい。 のわりに「イヤ、たまには声聞きたくてさ」とかこちらに気遣わせまいとするココロ遣いをしてくれるのがなんとも嬉しい。 しばらくメールも送ってなかったので、近況や、劇団のことなんかを延々と喋る。 「やっぱりパソコン者の仲間を増やしたいよなあ」とか話すんだけど、劇団の連中、ほんとにビンボー人ばかりなのだ。 もっと働けよ……(+_+)。 気がついたら結構な時間を話していた。遠方からなのに、相当電話代使わしちゃったようだ。オタクは話し出すとトマラネエからなあ(^_^;)。いや、申し訳ない。
マンガ、和田慎二『ピグマリオ』6巻(メディアファクトリー・819円)。 いいなあ、天才彫刻師バッコス。 「精霊の像を彫るなら精霊を見に行かなくちゃ」と、人間の身でありながら天界に行こうと考える。 虹の端っこをつくり雲を積み上げて天界に登る。 オリエの姿を見て、ガラティアの像を彫り上げる。 「天才バッコスに不可能はなーい!」 実は『ピグマリオ』の世界観から行くと、ただの人間にこういう能力があるのは設定的に矛盾なんだけど、なんかこういう飄々とした浮世離れしたキャラ、好きなんだよね。 オリエもクルトと一緒に旅するようになって、これでようやく折り返しの6巻、けれど和田さんの構想は現行の十倍はあったそうなのである。するってえと、メディアファクトリー版でも120巻、元の白泉社版27巻は構想通りなら270巻。……マジでライフワークになるじゃん(^_^;)。 ファンタジー系の作品書こうとするとどうしてみんなそんな大言壮語吐くようになるかね、栗○薫みたいに。
エドワード・ゴーリー/柴田元幸訳『蒼い時/L'Heure bleue』(河出書房新社・1050円)。 山口百惠引退作……ってこのネタも若い人にはもう分らん(^_^;)。 ああ、でも毎回、巻末の柴田元幸さんの詳細な解説は非常にありがたい。 アメリカ人であるゴーリーの絵本のタイトルがどうしてフランス語なのかっていうのは、英語圏の慣用句で、「黄昏どき」を表すそうである。 日本人だって、カッコつけてトワイライトなんて言ったりするから、そんな感じなんだろうな。して見ると山口百恵、結婚前に既に人生の黄昏を感じていたか?(いや、アレはまだ若い時って意味だろうけど) 確かにこの絵本、全編“青”で統一されている。 カバーを取ると、装丁も真っ青だ。 “T”というセーターを着た2匹の犬(獏?)の黄昏どきの会話をただただ綴ったもの。解説によれば旅嫌いのゴーリーが唯一遠出したというスコットランド旅行での思い出を綴ったもの、ということだが、ゴーリー氏、黄昏どき以外はずっと寝てたんだろうか。 ゴーリーの絵本は本文を全編紹介することにしてるので(そうしても実物の絵を見ないとその魅力は解らない)、ちょっとお付き合い願いたい。番号を付したのは私だが、それは本作がストーリーに連続性のない惹句集形式だからである。
1、あいしあお 。(←「あ」の字は半分欠けています。「お」の後には多分「う」が入るるはずなのでしょう) 2、生きることじゃなくて、生きてもらうことが大事なんだ。 そのひとこと、ほかのいくつかと一緒に 書き留めておかなくちゃ。 3、週に一日僕は___しない。でもそれが何曜かは誰にも言わない。 先週は木曜だったろ? 4、ワインはすごく早くあったまる気がするね。 君の考えてることが重要なのか 僕にはわかったためしがない。 5、___たちにはかなわないねえ。 こっちがあそこに住めばの話さ。 6、僕は絶対 他人の前で君を侮辱しない。 君の言うことはすべてつながってるってこと 僕はつい忘れてしまう。 7、パセリのサンドイッチが食べたいな。 僕の知るかぎり 今はその季節じゃないね。 8、人生のすべてが メタファーとして解釈できるわけじゃないぜ。 それはいろんな物が 途中で脱落するからさ。 9、僕がいつも言っているとおりね。 わかってるさ、ただ君がそう言うのを本当に聞いたことは一度もないと思うけど。 10、カンパンヨー−イス ノ リョーキン ワ トクベツ ニ イクラ デス カ? キブン ガ ワルイ。(←これ、原文も日本語です。でもこれが一番意味不明。どうやら「船酔いしたので甲板で一休みしたい」ってことらしいけど、ニューハンプシャーで船に乗ることあるのかいな) 11、それって沈没よりひどい運命じゃないかな。 でもこれ以外のなんてないぜ。 12、______って作家なんだね。 紹介してあげられるかどうか ちょっとわからないなあ。 13、あっちの方で 僕らには思いもよらないことが起きている。 ひょっとして 何か未知の 恐ろしい状況のせいかも 14、違うふうになると思ってたのに。 <まったく同じに/とにかく違うふうに>なったじゃないか。 15、Foodとは? ニューハンプシャーにある小さな町。
ううん、正直な話、柴田さんの解説は面白いんだけど、肝心の訳が原文のニュアンスを伝えきれてないな。 2なんか、「生きてることより、生きてくことのほうが大切さ」とした方がずっといいし、そのことへの返事も「覚えとくよ。もっとも覚えとかなきゃならないことはほかにもゴマンとあるけどな」としないと、マジメ腐った意見をからかって揶揄してる様子が伝わらない。 4も、ごく普通の感覚の持ち主なら、「ワインって、すぐぬるくなるよな」「何をどーでもいーこと考えてんだよ」って訳すぞ。冷えたワインの温度が、常温中に放置しといたら高くなることを「あったまる」とは言わん。 最悪なのは6。これは「僕は絶対、君を人前でバカにしたりなんかしないさ」「君が何を言おうがいちいち覚えちゃいないよ」としないと、ホントにワケ判らんじゃないか。原文は“I keep forgetting that everything you say is connected”。直訳すれば、「君の言うことの一つ一つがどうつながっているのか、僕には記憶しきれない」ってとこか。実際、哲学っぽいこと言ってる人って、やたら喋くりまくるけれど、頭が混乱してるだけってことも多いしねえ。 訳者の柴田さん、米文学者の研究者ということだけれど、研究しすぎて肝心の言語感覚がなくなってきてないか。訳を読んでみて意味不明に見えるのは、原文のせいじゃなくて訳の下手さのせいじゃないのかな。
もちろん、原文そのものにしかけられてる韜晦もある。 15では「Food」ってのはニューハンプシャーにある町のことだと言ってるけれど、そんな名前の町はないそうだ。けれどこれも、やたらコムズカシイことを言いたがる相棒に対する「もうあんたには付いてけまへんわ」っていうナゲヤリ発言だと思えば、全然難しくない。 文学者とかいうアカデミズムに毒された人たちが勘違いしてることは、「哲学」ってのがやたら御大層なもんだと思いこんでる点にある。西欧じゃよう、「テツガク」なんてよう、別にお偉いさんの机上の空論じゃなくて、そのへんのオッチャンオバチャンだって日常フツーに感じたり考えたりしてることなんだよ。 フォレスト・ガンプ曰く、「人生はチョコレートの箱みたいなもんだ。何が出て来るか分らない」。誰もが思いつく比喩こそが普遍的なんだよ。 と言うわけで、訳者が一番「むずかしい」という8の訳の「正解」をご紹介。 「人生を何かに例えるのってムズカシイね」 「考えてるうちにワケわかんなくなるからだろ」 だからこの本、「ものごとを難しく考えるなよ」って本なんだよ。訳者にこそ、このコトバの意味をちゃんと考えてほしいもんだね。
今度からゴーリーの本紹介する時には、自分で訳した分を紹介した方がいいかなあ。でもそうすると今度は誤訳がボロボロ出るに決まってるのだ(^_^;)。
もう一冊、ゴーリー本。 同時発売の『華々しき鼻血/The glorious Nosebleed』(河出書房新社・1050円)。 「鼻血」本だけに、今度は装丁も全部赤。青本と赤本の同時発売なんて、凝ってるなあ(^。^)。 表紙に、岩場で鼻血出して卒倒してる男と、そいつを無視して彼方を見つめる二人の男の絵が描かれている。 で、裏表紙には、その鼻血の跡を匂う犬の絵。 実は表題の「鼻血」、この二ページにしか出て来ない。どんなに個人的に大層なデキゴトでも、所詮は犬が舐める程度のことでしかないってことを言いたいのかな(^^)。 本文はゴーリーお得意のアルファベットもの。残念ながらこればっかりは日本語で「あいうえお」に置きかえることは不可能。というわけで、本文紹介はもとのABCの単語も併記します。
A Aimlessly あてどなく こだちを さまよう。 B Balefully まがまがしく こ(子)らにらむ いきもの。 C Clumsily ぞんざいに きょう(供)された プディング。 D Distractedly きもそぞろに ホイスト。 E Endlessly とめどなく あみたる マフラー。 F Fruitlessly いたずらに ちかしつ さがす。 G Giddily くらくらと すなちで おどる。 H Hopelessly やるせなく みつめる まどのそと。 I Inadvertently うかつにも さんばしから おちる。 J Jadedly ものうげに もてあそぶ ビーズ。 K Killingly ばっちりと きめた さんにんむすめ。 L Lewdly わいせつに わがみ をさらす。 M Maniacally らんしん ひろまを かけぬける。 N Numbly ぼうぜんじしつ きしゃのなか。 O Ominously ふきつに よびりん なりひびく。 P Presumably さっするに トランクの なか。 Q Quickly てばやく てばなす。 R Repressively ねちねちと よくあつてきに こごと。 S Slyly ひみつり(秘密裏)に かけら ほうむる。 T Tearfully なきぬれて へやを とびだす。 U Unconvincingly しらじらしく しゃくめい こころみる。 V Vapourously おぼろげに おくじょうに うかぶ。 W Wilfully こい(故意)に くるま ぶつける。 X eXcruciatingly たえがたく うたわれた うた。 Y Yearningly せつなげに みおくる さりゆくひとを。 Z Zealously むがむちゅう なにもかも かきとめる。
わはは。知らない副詞がいっぱいだ。 多分、英語圏でもそうそう使わないような副詞も集めてるんだろうな。 絵がないとなんのことを説明してるのかわからんと言われる方もあろうが、一つ一つの短文自体、相互にまったく脈絡がないので、例えばAさんがどうして木立ちをさ迷ってるのかは全然分らないのである。 町中で、道端で、私たちは誰かとすれ違い、ほんの一瞬だけ見知らぬ人と時間と空間を共有することがある。 それは例えばほんの断片的な会話を聞いたりすることであったり、ちょっとした喜劇的、あるいは悲劇的情景に出くわしたりすることでもある。 喫茶店で、恋人同士の別れ話の現場に、偶然、立ち会った時の至福感を味わった方はおられようか。ここに紹介されている情景は、ちょっと普段出会うことのない、そういう人生の断片集なのだ。 そしてそれを描きとめているのが、“Z”のエドワード・ゴーリー自身というわけ。
訳文については『蒼い時』同様、「もちっとこなれた訳はできんのか」と言いたくなるが、全部はとても触れきれない。 「ぞんざいにきょうされたプディング」なんて日本語じゃねーって(^_^;)。プリンをプディングって発音するやつも私は嫌いだが(^^)、絵はウェイトレスが客に出したプリンがひっくり返ってるところなんだから、「乱暴に出されたプリン」とかでいいんじゃないか。何を気取って「供された」なんてコトバ使わなきゃならんのか(原語は“served”だから間違いじゃないが、こういうところにこそ訳者のセンスが表れるのだ)。
でも、本作がゴーリーの代表作の一つだってことは間違いないところだろう。 ゴーリーの絵本は決して子供向けのものではない。 子供に自らの陰部を晒して見せるヘンタイ男を描いた“L”など、うっかり子供に見せてしまって、「ねえ、このおじちゃん何してるの?」なんて聞かれちゃったら、親は返答に窮してしまうだろう。 ……それを狙ってたりしてな、エドワード・ゴーリー(^o^)。 ABCの名前を持つ子供たちが次々に死んでいく『ギャシュリークラムのちびっ子たち』同様、ABC物にはゴーリー氏、思いっきり乗っちゃうようである。
2000年12月03日(日) この日記も歴史の証言/映画『エクソシスト2』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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