無責任賛歌
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2001年12月20日(木) |
ゴメンね、素直じゃなくってっ/『名探偵コナン』35巻(青山剛昌)ほか |
今日もしげは迎えに来ない。 しげに連絡を入れようとしたら、携帯の電池が切れている。 使った覚えはないから、何かの拍子にロックが外れたらしい。仕方なく公衆電話で家に連絡を入れたが、全然応答がない。 こりゃ、しげのやつ、また寝過ごしてるな、と思って、タクシーを拾って帰宅したら、家にしげの姿がない。 もしやと思ってしげの携帯に連絡を入れる。 「……今、どこにいるんだよ」 「アンタの職場」 「時間通りに迎えに来てないやん」 「だって携帯に連絡入れてくれんし……」 「携帯の電池が切れてたんだよ。ここんとこずっと迎えに来てないし、今日もてっきり寝てるんだと思って帰って来ちゃったよ」 「……オレが悪いん?」 このモノイイで、ムカッと来た。 「オマエが信頼できるんだったら、俺も待つけど、ここんとこずっと寝過ごしてばかりだろうが! カラダの具合もよくないってのに、寒い中待ってられるか! なんで先に『ごめん』が言えないんだよ!」 遅れた理由を聞いても要領を得ない。自分では遅れたつもりはない、なんて言ってるけど、少なくとも5分以上は遅れてるんである。車内に時計はあるから、これは確実にしげがウソをついているのだ。 失敗したことは仕方ないけど、どうしてそれを見え透いたウソで誤魔化そうとするのか。そこんとこがしげの根性がネジクリ曲がっているところなんである。
昨日のビデオ録画の件だって、「ゴメン」のヒトコトがやはり出なかった。 私が怒る前に、「ああ、ごめん」と言える謙虚さがしげにありさえすれば、こちらも「いいよ、俺も気がつかなかったし」と言って、コトは丸く収まるのである。なのに、しげには「先に謝る」ことに対して歪んだ防衛規制が働いていて、素直に謝ることができないのだ。 「申しわけないことをした」という感情がしげの心からは欠落している。 これは別にしげを悪く言っているのではなくて、しげ自身が自認している心の欠陥である。つまり、しげは生まれてこのかた、誰に対しても「反省」したことが一度もない人間なのだ。あるいは、「反省」という感情の動きが理解できない人間だ、と言ってもいい。 欠落があるなら埋めればいい。 どういうときに、人は「悪かった」と反省するのか、ということを今までにも何度もシミュレーションさせてみたのだが、やはり「反省」という感情はしげの心の中に育たない。 例えば、「人のものを借りてなくしてしまった」ときに、どういう感情がしげの中に生まれるかというと、「申し訳ない」ではなくて、「失敗した、叱られるかも」という相手に対する恐怖心だけなのである。相手が優しい人間であったとしても、「ああ、これで相手に嫌われるかも」と思うばかりで、「悪かった」とは思わない。 この心理は尋常ではない。 普通に成長していく過程で、ここまでのトラウマを抱くことは普通、有り得ない。しげの過去において、何かが(あるいは誰かが)、しげの心をひどく歪ませたに違いないのだ。 ここまで強固な恐怖心を植え付けたのはいったい誰なのか。 私は、しげ本人よりも、そこまでしげの心を歪ませた「何か(誰か)」を本気で憎んでいる。 そして、しげに「反省」の気持ちを生み出させ得ない自分自身がもどかしくてたまらない。 ここで私がしげにキチンと反省させないままでいるせいで、しげは周囲から「卑怯な人間」だと思われることが多いのだ。これが口惜しい。どう弁解しようと、客観的に「悪い」のはしげということになってしまうのだから。 でも私は、しげの夫ではあっても保護者ではない。 しげに「バカヤロウ」「アホンダラ」「ヘチャムクレ」「スットコドッコイ」「テレスコステレンキョウ」と罵倒する以上のことはできないし、しちゃいけないことだ。 「自分が悪いと思われるような状況を作るな」「もしそれでも悪いという状況になったと判ったら素直に謝れ」。 それこそが、しげ自身の「身を守る」ことになるんだけれど、しげはもうずって、「守り方」を間違えたままだ。 でも、それは私にも治せないことだ。結局、しげが自分自身の心を「治す」意志を持つようにならない限り、どうにもならない。 私の思いが、いつかしげに伝わる日が来ることを祈るばかりである。 もう十年、祈ってんだよう(T∇T)。
しげ、眉間に皺寄せ、仏頂面のまま帰宅。 ああ、やっぱりセルフコントロールができていない。 結局、しげは自分のチカラではヒステリーを治められないのだ。 それって、ぶっちゃけた話、ココロが幼児のままってことなんだけれど、自分でオトナになろうとする気がしげにない以上は、私がフォローするしかない。 ……泣きたいなあ(T-T)。ってもう泣いてるけど。 で、私の方から「いつまでも怒っちゃいないよ」というポーズを見せなきゃいけないので、ことさらしげを食事に誘うことにする。 ここでしげが私の腹立ちを抑えようと行動してくれたら嬉しいんだけどなあ。 ホントに、そんな気遣いをしてくれたことが一度もないぞ。 ああ、愛のない家庭(T.T)。 これで私が浮気一つしないってのは、我ながらすごいモラリストだと思う。つーか、私の心の中の「女」的部分がそれを許さないんだろうなあ。もちろん、そういうトラウマを私に形成させたのはお袋である。 こっちのトラウマを外すのもなかなかできないんだよねえ(^_^;)。 倒産したはずなのになぜかまだ建ってる近所の積文館書店で、マンガを物色したあと、モスバーガーをテイクアウト。 しげの機嫌、すぐによくなる。 ホントに、肉だけ食わしときゃおとなしくなるやつなんだよなあ。 ……なんだか、一昨日見た「ハム太郎」に、いやにしげがダブって来るぞ。 主題歌を替歌にしたら、そのまんましげのテーマソングになりそうだな。 「と〜っとこ〜、走るよしげたろ〜、だ〜い好きなのは〜、肉と肉〜と肉〜♪」 ホントに延々、それだけだもんな。
アニメ『ナジカ電撃作戦』MISSION 011「惜別のミッションを少女のまごころと共に」。 ナジカもあと1話で終わり。 ということで、ついにリラが「私はナジカが好き……でも、ナジカの考えていることが分らない」と、マスターへの「疑問」を抱くようになる。 マスターに対する反逆ってのは、もう、『メトロポリス』(←フリッツ・ラングの方ね)以来というか、それこそ『R.U.R.』以来というか、『人形の家』以来というか(「そりゃちゃうやろ」ってツッコミが入りそうだが、実は構造は同じだ)、定番ではあるんだけれど、そのフォーマットに「スパイアクション」を持ってきたってとこがこのシリーズの秀逸なところだったと思う。 いや、決してパンチラだけでなく(^_^;)。 ともかく、ナジカというキャラクターが、感情移入しにくいキャラになってるってのは、これは多分、監督の「故意」だろう。男を見下してるそぶりがアリアリだし、スパイにしては冷静さを欠いているし、どうやら麻薬もやってるっぽいし、こんな女、早いとこ抑えつけてヒイヒイ言わしたれ弦人、とか思ってたファンは多分、私を含めて三人くらいはいたであろう(^^)。 その分、注目はどうしてもリラに回る。 マスターを守るために、あえてマスターに「ウソをつく」ヒューマリットもいるというのに、リラの精神的成長は異常に遅い。それはやはりナジカが心のどこかでヒューマリットを拒絶しているからだ。 愛されることを知らない「コドモ」の心が、いつまで経っても一定の「殻」の中から抜け出せないのは必然である。しかし、「殻」の中に閉じ込められた心は、いつか歪んだ形で爆発するだろう。 最終回って、そんな感じになるんじゃないかなあ。
マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』35巻(小学館・410円)。 光彦の謎の行動の理由を探ろうと少年探偵団が追いかける話、ネタはバレバレだけれども、伏線の張り方、解決の仕方に基本的にムリがないのは評価できる。 けれど、またぞろ「黒の組織」ネタをかぶせてきたおかげで、話がスッキリまとまらなかった。別にミステリーは殺人事件だけじゃないんだから、光彦のエピソードだけで押していってもよかったと思うんだがなあ。黒の組織を出したおかげで、かえって、光彦の影が薄くなって、哀とのカラミも全然感動的でなくなってるんである。 ……もう、デビューして随分経ってるけど、このドラマツルギーをまるで理解できてないってこと、ひょっとしたら致命的なことなんじゃないか。今んとこ『コナン』が受けてるけど、次回作は厳しいものになるかも。 今度の映画、野沢尚の脚本だってことだけど、コナンがタイムスリップするのか夢オチにするのかは分らないが、シャーロック・ホームズと対決するらしい。それくらいぶっ飛んでるとかえって面白くなるかもなあ。まあ、間違っても夏目漱石は出さないでほしいが(^^)。
マンガ、高橋留美子『犬夜叉』24巻(小学館・410円)。 「七人隊」なんて味気ないネーミングはちょっとなあ、という感じだが、「グループ」が敵になってるってのは、「霞谷七人衆」「根来十三忍」(←もちろん『赤影』の敵キャラ)とか、「黒之巣四天王」(マジメに考えるとアホなネーミングだよな。悪いのは広井かあかほりか?)とかと同じで、キャラクターを際立たせるにはいい手だ。 この手ので私が一番好きだったのは永井豪の『イヤハヤ南友』の「イヤハヤ・ハテサテ十人衆」だったけれども(^^)。 それはそれとして、夢骨に蛇骨、なかなかいい味出している。特に蛇骨のヘンタイぶりがいい。しばらく『犬夜叉』にも飽きてきてたけど、これがクライマックスへ向けての伏線のネタだとしたら、なかなかよく考えたものである。 映画もやっぱり行きたくなってきたなあ。
マンガ、原作尹仁完・作画梁慶一『新暗行御史』2巻(小学館・580円)。 マンガ自体は面白いんだけど、「文秀(ムンス)」って主役の名前、どうしても忘れちゃうなあ。ヒロインも「山道(サンド)」って、日本人の感覚だったら、絶対可憐な(けれど滅法強い)美少女だとは思わないし。 しかし、普段、山道はいったいどこに隠れてるんだろう。 てっきり、山道は実はとうの昔に死んでいて、幽霊となって文秀を守ってる……ってことなのかなあと思ってたら、「曼陀羅華」のエピソードでそのネタをしっかり使ってったし。 今回は文秀の過去がチラッと垣間見える話だったけれど、恐らくは最後の敵となるだろう「阿志泰(アジテ)」が、「奇跡」を使って民衆をペテンに引っ掛けてきたやつらしいということは判った。それは「柳義泰(ユイテ)」のように、死者を生き返らせる能力なのか、それとも……。
2000年12月20日(水) 敵国降伏/CGアニメ『ポピー・ザ・パフォーマーのひみつ』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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