無責任賛歌
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2001年12月25日(火) |
怪獣道なんてないよ/『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫)ほか |
朝というか、未明の頃、目を覚ましたら、しげがまだ帰宅していない。 さて、さすがにどうしたのだと思って携帯に連絡を入れてみると、なんとまだリンガーハットにいる。 「勤務時間は終わったんじゃないのか?」 「ああ、なんか居残って話しこんじゃって……。もうすぐ帰るよ」 夕べは職場で一晩明かしたらしい。 こういうときに私は「あっそ」で済ましてしまうので、しげから「妻の身は心配じゃないのか」とか愛情を疑われてしまうんだけれども、だったらちゃんと連絡を入れて「遅くなるよ」と言えばいいのである。 オトナなんだから、いちいち心配してもらえるなんて甘えちゃいかんがね。
連休のあとの仕事くらい、やる気の出ないものはない。 つーか、なんだか集中力が続かない。 一通り年末の仕事は片付けちゃって、取りたてて慌てなきゃならない仕事がないせいかもしれない。 けど、なんとなく意識は茫洋、何か喋ってるんだけれど、その自分で喋ってるセリフを片端から忘れていってる。単に寝惚けてる状態なのかもしれないけれど、ちょっと自分でもヤバイ状態だなと言うことがわかる。 風邪にしちゃ熱はないしなあ、どうしてかなあ、と思ってたら、土曜日、医者に行かなきゃならんのを忘れていたことに気付いた(おいおい)。 な〜んだ、薬が切れてたせいか。 ……じゃないよな。ってことはこのなんともだるーい状態のままでこの年の瀬をすごさにゃならんということか。 映画に行ってたりしてる場合じゃなかったよなあ……って仮に医者行きがあったことを思い出してたとしても映画にも行ってたろうけど。 年末は病院も休みなので、次の通院は年明け。薬が少しは残っちゃいるので、それまでちびちび飲みながらなんとか持たせて行くしかないか。
『キネマ旬報』1月上旬号を何気なく開くと、金子修介監督が、『“怪獣映画”監督の仕事』と題したエッセイを寄せている。 円谷英二のムック本で、唐沢俊一さんが「金子監督は『ガメラ1』のときに、ガメラを回転させて飛ばせることに最後まで納得できなかったらしい」と伝聞をもとに批評したことについて、「監督が最後まで納得しないで映画を撮るなんてことはあり得ない」と反論している。 この「回転ジェット」についてのやりとりは、多分、お二方の単純な誤解と行き違いだと思うし、金子監督が「企画段階で回転ジェットはリアルじゃないと思っていただけ」という主張するなら、それはそれで問題は終わりなのだが、気になったのは、そのエッセイのラストの部分。 「僕が怪獣映画ジャンルを否定? この人(注・唐沢俊一さんのこと)の説く怪獣映画『道』という閉鎖空間から外れているからなんだろう。怪獣映画への道は険しいもんだね」 ……皮肉か揶揄のつもりなのか知らないが、「大人気ない書き方だなあ」というのが第一印象だった。更に言えば、「怪獣映画監督」と自分を認識しているんなら、こんな下卑たモノイイはしてほしくなかったなあ、というのが正直な感想。 もはや万人が納得する『ゴジラ』なんてものはありえない、ということは解りきっているのだ。だから今回の私から見れば「何それ?」的なゴジラだって、「世間の評判もまあまあらしいし、ずいぶんみんな心が広いなあ、それもありなのかなあ」と、映画の存在自体を否定しようとまでは思っちゃいなかった。 それを、こんな「私の考える怪獣『道』の方が正統」(もともと「道」なんて言葉を唐沢さんは使ってない。これこそ金子監督の「曲解」だろう。言い替えれば、金子監督にはハッキリと自分の考える「道」がある、と主張したいのだと受け取れる)みたいな書き方をされると、これまで『ガメラ』シリーズを支持し、『ゴジラ』にも称賛を寄せて来ていた怪獣ファンたちの思いをかえって裏切ることにはなりはしないだろうか。
だからやっぱり私は、今回の『ゴジラ』については、もうちょっと厳しい目で見る必要があるんじゃないかと思うんである。ちょっとばかし今までの『ゴジラ』より出来がいいからといって、妙にチヤホヤ持ち上げたりせず、「でもお前、そこんとこは考え方おかしいよ」っていうことは、ファンだからこそ、ちゃんと言っとかなきゃいけないことだと思うんだけど。 ……なんだか、「どうしてみんなここまで『ゴジラ』を誉めるのか、という心理分析をするのも面白いかもなあ。
勢いでオタアミ会議室にも同様の意見を書きこんで、そのあと、昨日の『世界まる見えスペシャル』で紹介されたという、22歳の金髪コスプレ娘「フランチェスカ」さんのサイトを覗く。 みなさん、「やっぱ外人女のコスプレは違うわ」と垂涎の御様子だったが、所詮はモデルとは比較にならないシロウト娘、たしかに美人ではあるし、チチはでかいが、いかんせん、ウエストのクビレがない。 更によく未ると、顔もちょっと二重顎、今後は太っていくことが明らかに予測できる。 ううむ、この程度で萌えてしまうというのは、やはり今のオタクたち、ゴジラの件もそうだけれど、審美眼のハードル、えらく低い基準に見積もって、自分を慰めてないだろうか。 スタージョンの法則にもある通り、「SFの90%はクズ」は全ての対象に汎用できるのである。 だから、「『ゴジラ』の90%はクズ」だし、女性コスプレイヤーの90%は…… あわわわわ(^_^;)。
神坂一『スレイヤーズすぺしゃる18 跡継騒動 森林レンジャー』(富士見ファンタジア文庫・504円)。 もうスペシャルの方が本編みたいになっちゃってる『スレイヤーズ』シリーズだけれど、今回の劇場版ではついにナーガとアメリアが出会いか? みたいな雰囲気作っといて肩透かし、原作の方もナーガの出番がめっきり減っている。 どーせ「おーほほほ!」と笑ってノされるしかないキャラなんだから、いい加減でアメリアと姉妹再会を果たさせて、盛り上げてほしいもんだが。 ファンにはもうバレバレなんだし、18巻も引くネタじゃねーだろう。
今巻の目玉は、ゼルガディスの活躍を描いた外伝、『ゼルガディス隴月草紙』ということになってるけど、ゼル自体はあまりギャグキャラにはできないから、必然的に回りをエキセントリックにするしかない。結果的に、ちょっとバランスの悪い作品になった印象。……ゼルが人間に戻るエピソードもいい加減で書いてやれよ。第3部のネタはないとか言ってないでさ。
岡田斗司夫『30独身女、どうよ!?』(現代書林・1470円)。 岡田斗司夫『恋愛の取説(トリセツ)』(現代書林・1260円)。 ピンク色のタイトルロゴに、黄色いウサギのイラストという、40既婚男が手に取るにはちょっと躊躇するような表紙なんだけれど、「恥」という言葉はとうの昔に捨てているので気にせず買う。 そして表紙をめくればアアラフシギ、まるで文学全集のようなニセの表紙が現れて……。 よく見りゃオビに「友だち(30独身女)に見られても大丈夫! カバーを取るとニセ表紙が!」だって。 ううむ、やっぱり「30過ぎても独身」ってのは女性の中では相当トラウマなのかもなあ。
前作『フロン』は各方面でいろいろ話題になったようである。 もちろん批判も多々あった。 ネット上の書評を見てみると、代表的な意見は、「結婚が女性の幸せに繋がらないってのはわかるけれど、私は岡田さんの言うようなn対nの関係なんて作れない」とか、「私は結婚してるけど、別に不幸じゃないから関係ない」とか、「自分は岡田さんのパターンには当てはまらない」って言ってるものが多かった。 こういうのは「私はカネ持ちだから貧乏人の苦労は分らない」と言ってるのと同じで、批判としてはちょっとピント外れなんだけれど、こういう意見が出て来るってこと自体、「30独身女問題」が結構深刻なんだなあと感じさせてくれる傍証になる。 「やっぱ、30過ぎて女が独身でいるなんて、ちょっと問題あるよね」と思ってる連中が世間にゃゴマンといるってことなんだよなあ。しげがこの本を読んでひとこと、「家事とか子育てに縛られるとか、そういう結婚しなきゃいいんじゃん」と言いやがったが、おりゃあ別に「家事しなくていいよ」なんて言った覚えはね〜ぞ。オマエが勝手に自分の生活ラクにしてるだけだろうが。しかも、そのことに全く良心の呵責感じてないし(-_-;)。 しげが言ってるのは「オトコの寄生虫になる結婚すればいいじゃん」と言ってるんであって、「結婚に意義を見出そう」というマトモな感覚があれば、そんな人間としてのプライド捨てたような結婚はできない。問題なのは、その「結婚の意義」ってのが十年一日「良妻賢母」以外のものが提示されてないってとこにあるのだ。 この本が対象としているのは、実のところ結婚している、していないに関わらず、そういった「女の幸せは結婚」という精神的呪縛にとらわれている女性たちになのであって、最初から結婚の呪縛にとらわれてないしげなんかは対象外なんである。
夢を捨てきれない女の人たちのために、長々と岡田さんは一冊丸ごと使って説明しているけれど、要は「結婚」以外に女性が生きていく方法があればいいのだ。結論は「独身でいいじゃん」ってことになるんだが、さて、こう思いきれる女性がどれだけいるだろうか。 だってねえ、やっぱ女ってズルイのよ。 オトコとつるむことが「チヤホヤしてもらえる」「タダでメシ食わしてもらえる」ことだと思ってるから。 岡田さんは今回もまたオブラートに包むように包むように「恋愛を特別な日だけ食べるケーキなんて思っちゃダメ」なんて優しい言い方してるし、「30独身女はオトナ」とおだてちゃいるけど、ウラを返せば、「30過ぎて独身でいることに開き直れない女はバカでガキ」ってことでもあるんだからな。
これからの時代、岡田さんの言うように、旧弊なモラルが徐々に解体されていくかどうか、それこそ「n対n恋愛」を実践する女性たちが社会の中枢に陣取るようにならないと、そうそう実現するものでもなかろうが、モラリストが往々にして差別的になることを考えると、そうなってほしいなあとは思う。 ただオトコである私がそれ言うと、すぐに「つまりアンタも浮気したいからだろう」ってバカが言い出すのがヤなんだよなあ。岡田さんも『フロン』で「男に都合のいい論理」とトンチンカンな批判されてたし。 あのね、たとえ世間が「n対n恋愛」を実践しようが、私ゃ別にその流れに乗るように、複数の女性と付き合おうとは思ってないのよ。それは、モラルがどうとかいうんじゃなくて、私としげとの関係が初めから1対1で成り立ってるからなんであって、それを解体しなければならない事情が現時点で発生していない以上、周囲がどうあれ、ウチは関係ないの。でもそれは「n対n」を否定しているわけでもないのね。 つまり、力説するほどもなく当たり前のことなんだけれど、恋愛も結婚も「人それぞれ」ってことなんで、「ウチは岡田さんの例に当てはまらないから、岡田さんの言ってることは間違い」ってことにはならんのよ。例外で概論を図ってはならないってのは論理学の基本なんだが、そんなこともわからんバカ批評が多すぎるんだよなあ。
明らかに、現代の日本において、「30独身女」問題はあるのであって、その問題自体から目を逸らした批判は、批判としての意味を持ち得ない。岡田さんの主張に対して反論するんなら、「結婚」以外の選択肢で、岡田さんの「n対n」案を上回るものを考えた上で、明確に提示しないと反論として成り立たないんだけどね。 でも、どんな具体案を出したところで、結論は「独身でいいじゃん」に落ち付くと思うけどなあ。
ウチの劇団にも誰とは言わんが30独身女になっちゃいそうな御仁はおられる。決して「結婚できない」タイプじゃなくて、結婚したら結婚したで「ステキな主婦」にだってなれそうなんだが、なぜか真っ直ぐな人生を歩んでおられる(^_^;)。で、彼女にどんな言葉が贈れるかっていうと、やっぱり「そのまま行ってよし!」なんである。
直接本の内容と関係はないが、気がついたことが一つ。 私は決して女性にモテるタイプではないが、昔っからなんか知らんが、女の子に「相談」を受けることは多かった。たいていは「恋愛相談」なんだけれど、なんで寄りによってオレ? と疑問に思っていたのだ(正直な話、私の恋愛経験はそう多くない)。 でも、岡田さんの「女の子の相談はオカマになって聞く」ってのを読んで、ハた、と気付いた。 いや、別に私がオカマだってんじゃなくて(^_^;)。 要するに私ゃ「男」ってのを前面に押し出さないで女性の話を聞いてるんだなあってことに気がついたってことなんですよ。「男」だと、どうしても女に対して「下心」が生まれちゃうもんね。そうすると、女から見た「余裕がある」「面白い」「オトナの」男ではなくなってしまう。だから相談一つ求められない。でも私の場合、周囲の女性からは「男」として見られてないんだけれども、そのことに全然痛痒を感じてないのね。別にいいじゃん、と思っている。だから、逆に女性から相談を持ちかけられてるのだ。 ……「有久幸次郎」って名乗ってるのに、以前「女の人ですか?」なんてメールで聞かれたワケもやっとわかった。 岡田さんが書いてるように、女性の話を「男」として聞いても、それは相談に乗ることにはならないんだよね。だって、「男」ってのは基本的に「女」の言い分を認めないものなんだから。 男はたいてい、女性の井戸端会議的な「いい男いないよね〜」とか「所詮、オトコって若い子に行くのよね〜」みたいなセリフを聞くと、プライドを傷つけられたように感じて、「いい女だっていないじゃね〜か」とか、ムキになったりする。 けど、それじゃあ、いつまでたっても女の子の相談には乗れやしない。 文章では私もこうして「女なんてなあ」みたいなこと書いてるけど、直接話を聞く時には、「そうだよな、男って結局いつまで経ってもガキなんだよ」とか「ホントはオトナの女性のほうが魅力的なのにねえ」とか、あたかも女性の言い分に迎合するようなことを言っちゃったりしてるのだ。 ……そりゃ、下手に女の子に反発して、延々グチを聞かされるよりは、そっちのほうが彼女は気分がよくなるわけだし、これがいわゆる舌先三寸ってやつなんだけれど、どうしてこういうワザを私が身に付けたかってえと、私が女だらけの中で育ったからなんだよなあ。まあ、女性との付き合い方に、多少は馴らされてるってことなんだろう、多分。
だからこないだも、ある女の子から、「彼氏が私の行動にいちいち文句つけてうるさいんです〜、どうしたらいいと思いますぅ?」なんて聞かれたときに、「彼氏は自分の方がオトナだって思ってるけど、ホントはそうじゃないんだよ。君の方がオトナにならなきゃいけない」みたいなことを言っちゃってたのだ。 ああ、岡田さんと全く同じ手口だ(^_^;)。 結局、「男としてのプライドを捨てて、相手を口説こうと思わなければ、女の子にはモテる」と言うことなのだよなあ。 まあ、思春期の性欲を持て余してる男にはなかなかムズカシイことだろうけれども。30も近いってのに、持て余しまくってるウチの劇団の某くんにも、この本、読んでもらいたいもんだな。
2000年12月25日(月) 男はみんなえっちだってば/『羊のうた』5巻(冬目景)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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