無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月22日(土) 夢診断/映画『耳に残るは君の歌声』/『冬の角川アニメ』/『蛇神さまといっしょ』1巻(桑田乃梨子)ほか

 朝方ヘンな夢を見たので、面白がって某サイトの某掲示板に書きこむ。
 (なんで「某」かっつーと、そこでは私は自分の職業とかも全部バラシちゃってるからなのだ。私の正体知ってるヒトは、そこんとこご留意ありたい)

 私がいるのは近所の公園である。
 突然、尿意を催した私は、どこか公衆トイレはないかとあたりを探した。
 しかし、公園のクセにトイレが影も形も見当たらない。
 えい、しゃあねえや、立ちションですましちまえ、と、適当な場所を物色する私。幸い人影はない。丘の陰にかくれて、そこの芝生に向かって、今まさにナニを出したところが……。
 「あら、有久さん、こんなところでナニしてるんですか?」。
 なんじゃ、いきなり! さっきまでだれもいなかったじゃんかよう!
 職場の同僚の女性たちがゾロゾロと、そこにピクニックにやって来たのだ。
 あまりに唐突だったので、ナニをしまうヒマもなかった。
 私はどうしようもなく、ナニを出したまま、その芝生の上にうつ伏せに倒れこんだ。
 でも、ホントに慌てていたので、ナニが私の頭の上からはみ出てしまったのだ!(なんでそんなに長い)。
 更に慌てた私はそのはみ出たナニを右手で隠した。
 その結果どうなったかというと……。
 芝生の上で私は「UFO」のポーズを取っていたのである。

 バカな夢だね〜。
 でもネタ的に面白いかなと書きこんだら、速攻でぞろぞろとレスがついた。このサイト、シモネタ好きが結構揃っているのである。
 曰く「ナニが大きくなればいいという願望ではないのか」。
 ……それ、唐沢なをきのマンガにあったぞ(^_^;)。
 つまり、うざったい夢を話したがるヤツを敬遠する方法として、なんでも「それはフロイト的に言えばオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」と言うという、ムチャクチャ陰険なイタズラである。
 「オレの目の前に道があってな」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 「その道を真っ直ぐ行くと塔があってな」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 「その塔の上からお姫さまがオレに手を振ってるわけよ」
 「それはオマエのちんちんがちっこいことの象徴なのだな」
 ……殴られねえか、この意地悪。

 まあ、今回のこの夢、二十四万五千六百七十三歩譲って、私のナニが小さいということを認めてもいいのだが(^^)、なんで「UFO」のポーズを取る必要があるのか、そこんとこも納得いくように説明してもらいたいものだ。
 

 今日から正月映画が一斉に公開。
 今年は見たい映画が軽く10本くらいはあるものだから、効率よく見て行かないと、打ちきりにあうヤツは下手すりゃ見そこなってしまう。
 で、今日は一気に2本をハシゴすることにして、まず、KBCシネマ北天神に向かう。
 ところが、車で行くのは初めてなので、しげ、パーキングを見つけられずにぐるぐるぐるぐる同じところを回っている。
 時間には余裕を持って出て来たのに、だんだん間に合うか間に合わないかギリギリになってきて、気があせってくる。
 しかも尿意は催すし。
 仕方なく、いったん車を降りて、目の前の公園に公衆トイレを探しに……って、おい、今朝のはこれの正夢かあ?!
 でもまあ、UFOのポーズは取らずにすんだが。


 映画『耳に残るは君の歌声』。
 初日と言うことで、ブランデーのボトルのプレゼントが先着100名さまにという、なかなかイキなはからい。
 この映画、前売券にも「この映画を見て流したあなたの涙を溜めて下さい」というキャッチフレーズで、小さなガラス瓶、その名も「涙瓶」というのをオマケにつけている。これはちょっと恥ずかしいけど、ロマンチストなお客さんへの宣伝方法としてはなかなか妙手ではないか。

 『オルランド』『タンゴ・レッスン』も見ていないので、サリー・ポッター監督の映画はこれが初体験ということになる。
 第2次大戦期、ロシア系ユダヤ人であるために、名前を奪われ、歌うことを奪われた少女フィゲレの、生き分れた父に再会するまでの物語……と、あらすじだけ書いちゃうと、今までにこれと似たような題材の映画やドラマは腐るほどあるわけで、何か今更だなあという印象である。
 けど、じゃあなんで見に来たかというと、主演女優があの、クリスティーナ・リッチなのである!
 故・淀川長治風に言えば、「はい、おわかりですか、このヒロインのお嬢さん、どこかで見たことありますねえ、かわいらしいですねえ、まあ、あの『アダムス・ファミリー』のウェンズディ、ウェンズディが、こんなに大きくなっちゃったんですねえ」てな感じなんである。
 『アダムス』のころから、「役柄を掴む」ことが抜群にうまかったリッチ嬢であるが、今回もその抑制の利いた演技を見ているだけで、「映画」を見ている感覚に浸れるから不思議だ。
 まあ、私は、女優さんは額が広くて、眉と目の間が狭い、童顔だけれどもちょっとケンがあるってタイプの顔が好きなんで、リッチ嬢、まさしくそこんとこに敵中しちゃってるもんだから、映画の出来は二の次でついつい評価が甘くなっちゃうんだけれども。
 いや、でも映画の出来が悪いってことは決してない。
 画面ごとの描写が実にしっかりして落ちついていて、破綻がない。キャラクターの行動もいちいち納得がいくのだ。

 例えば、自分になびこうとしないフィゲレに腹を立てたオペラ歌手ダンテが、フィゲレがユダヤ人であることをドイツ将校に伝えるシーンがある。
 ダンテの車の前に立っているドイツ将校が、フィゲレを見て「知り合いか?」と聞く。
 車の中には、ダンテの恋人、ローラがいる。ローラはフィゲレの親友でもある。そして、ダンテがフィゲレにも言い寄っていることを知らない。
 ダンテはしばらく言いよどむ。
 車から少し離れ、しかしローラにも聞こえるハッキリした声で「ジプシーたちと仲がいいが、彼女自身は違う」と言う。
 次の言葉が出て来ないので、ダンテを見る将校。
 更に間を置いて、車に背を向ける。そして静かに、つぶやくように言う。
 「ユダヤ人だ」
 そして、車中のローラの顔が蒼白になる。
 つまり、ダメな演出と、そうでない演出との差がどこにあるかっていうと、この「間」なのだね。
 ダンテをただの悪役にするのなら、この「間」は要らない。
 彼を激昂させ、卑屈な表情でチクらせて、ユダのように金をもらう演出をすればいいのである。
 しかしこの逡巡の間は、自らがユダになることを自覚したダンテの苦しみと、ローラとの決別を覚悟した間の両方を表現している。こういう細かい演出、ハリウッドのエセエンタテインメント作品には見られないんだよねえ。
 最初、私は勘違いしてて、「これ、ホントにハリウッドで作ったのかなあ」なんて考えてたんだけど、全然違ってて、英仏合作映画だったのだ。

 劇中、オペラ曲を初めとして、いくつもの歌が流れるが、残念ながら全てプロの歌手による吹き替え。クリスティーナ・リッチ本人の声は聞けない。
 それは仕方ないんだけど、しげは「生まれて初めて『暗い日曜日』が聞けた。別に聞いただけで自殺したくなる歌じゃないね」と喜んでいた。……いや、ちょっと興味の持ち方、違ってないか(^_^;)。いい曲だぞ、これは。


 キャナルシティに回って、食事をしようと思ったけれど、今月オープンしたばかりのラーメンスタジアムは長蛇の列で入れない。
 福家書店を回って、「ラ・ブーン」のリンガー・ハットでちゃんぽんを食べる。しげが社内割引券を持っているので、ちょっとした節約にはなる。
 この程度でも年末で出物が多い時期には助かるのだ。


 映画『冬の角川アニメスペシャル』。
 半分の2本は短編とは言え、4本立てとは往年の『東映まんが祭り』を髣髴とさせる。けど中身は完全にオタク向けだけど。 

 『あずまんが大王』。
 5分ほどだがよく動いている。
 動きすぎてるせいで、間が詰まりすぎてて、笑えない。……やっぱ、10分は要るでしょ。

 『デ・ジ・キャラット 星の旅』。
 なんか、にゃ〜にゃ〜鳴いてたみたいだけれど、それだけで鬱陶しくなったんで寝た。

 『スレイヤーズぷれみあむ』。
 映画では初めてメインストーリーのガウリィ、ゼルガディス、アメリア、ゼロスが登場するけれど、はっきり言ってストーリー上必要なのはガウリィだけで後はいらん。特にゼロスなんか、いつものように「それは秘密です」って言ってるだけで、ここにいる必然性、ないし。
 こういう「映画版だから顔見せ興行」的なハナシって、よっぽど才能がないとキャラが死ぬんだよね。
 でも、「すぺしゃる」の後もちゃんとナーガが生きてるってことが分ってよかったよかった……って、『スレイヤーズ』シリーズを読んだことない人には何が何やら分らんアニメだろうなあ。

 『サクラ大戦 活動写真』。
 広井にあかほりに藤島にと、思いきり美少女萌え〜なオタク向けなゲームがルーツだから、どんなにシリアスにやったって、基本的にはバカアニメ。
 けれど、「太正十五年」という架空の日本の設定は実は結構いいんじゃないかと思っている。ただ、スチームパンクな世界設定は、唐沢商会の『蒸気王』の方が早いから、やっぱり「二番煎じ」的印象は拭えない。
 他にも欠点は数々あって、ラチェットというキャラクターを出しておきながら、このキャラ設定がどうもイマイチ魅力的じゃなかったりする。
 クール・ビューティで、効率優先の合理主義・完全主義者。
 だからこそ、最後の最後で、事件が全て終わった後で、自分の主義を崩されたと感じた彼女がサクラを殺そうとするのも納得できない展開ではないのだが、それを舞台公演中に演技に紛れてやるってのは、ちょっと「イッちゃって」ないか。
 だからどうもラチェットに感情移入できないんである。しかも、結局みんなの掛け声で凍りついていた心が溶けていくなんてあまりにも適当な結末のつけ方で、ちょっと恥ずかしくないか。
 でも何より納得できないのは、外人なのに全然巨乳でないところだろう。
 ……オタク向けにアニメ作ってる自覚があるんだったら、『トップをねらえ!』のユング・フロイトみたいな演出くらい考えろやい。
 けど、オープニングのミュージカルシーンは、CG使ってヘンテコになった『ミニハムず』よりはるかにハイレベルだ。更にラストが泉鏡花の『海神別荘』とはなんて通好みな。
 メインストーリーはどうでもいいから、最初と最後だけ楽しもう。
 ……煙管かい(^_^;)。


 帰宅して、買いこんできたマンガやらDVDやらを片っ端から見る。
 世間では不審船がどーのこーのと喧しいが、こんな解りきった事件まで、遠回し遠回しに報道してるのを見るのは腹立たしいので無視。


 マンガ、桑田乃梨子『蛇神さまといっしょ』1巻(白泉社・410円)。
 今更だけれど、桑田さんのマンガがこれだけほのぼのした雰囲気なのにどうしょうもなく切なくなるのは、恋する男女の間に横たわる壁というか溝が、ほとんど乗り越えることが不可能に思えるくらい、高かったり深かったりしてるせいなのだ。
 『恐ろしくて言えない』の女の子は二重人格で、これはなんとかハッピーエンドになったけれど、そこまでにものすごい紆余曲折があったろうことは想像できる。
 私の桑田マンガベスト1『ほとんど以上絶対未満』は、相手が女に変身しちゃったかつての親友だ。いくら恋したって、愛することが友情を裏切ることになるんだから、この恋、成就するはずがない。
 ほかにも相手がホモだったり幽霊だったりと、もしも作者が内田春菊だったら、『南くんの恋人』よろしく、どっちか一方を殺すしかないってくらいに、恋する二人の仲は常にカタストロフを予感させている(幽霊はもともと死んでるが)。
 で、今度は「神様と人間の恋」だものなあ(蛇神だけど)。
 ……永遠に存在する神様と、年老いて死ぬ人間とじゃなあ。結末見えてるじゃん。
 「オレとずっといっしょにいてくれ」
 と千沙の手を握る蛇神さま。
 「逆だよ蛇神さま」と答える千沙。
 「蛇神さまがあたしたちといつもいっしょにいてくれてるんでしょう? だからみんな、そういう思いでここに手を合わせに来るんだよ。それこそずっと……この先、あたしの子供や孫やその子供まで」
 千沙にしてみれば、いっしょにいることはできない神様への最高に優しい愛の告白の言葉だ。
 けれど、蛇神さまにとって、どうしようもなく残酷で絶望するしかない言葉でもある。
 だから神様は記憶を自分で封印する。愛の記憶を。
 こ、これで私に泣くなというのはムリだ。毎回私は桑田さんのマンガ読んで、ギャグに笑いながらラストで泣いているのだ。
 そして、千沙にソックリなひ孫の千奈が蛇神さまの前に現れる……。
 わあ。またなにかどうにも切ない終わり方しそうな設定だ。ムネが苦しくなるようなラストはこのトシになるとツライのよ、頼むから、ハッピーエンドにしてくれよう、桑田さん。


 マンガ、山田風太郎原作・石川賢作画『柳生十兵衛死す』3巻(集英社・530円)。
 どうやら無数のパラレルワールドが存在しているらしい世界設定が明らかになる。これなら、前作『魔界転生』ともちゃんとリンクできそうだな。
 宮本武蔵と佐々木小次郎の設定が『魔界』と違ってたのも、「忍者小次郎に剣豪武蔵が破れた」世界からやって来たってことのようだから。
 ついに、もう一人の十兵衛、室町時代の十兵衛満厳が顔見せ程度だけれど登場。時空の漂流民となった十兵衛三厳は、栄禄三年、信長が覇権を得ようと台頭して来た時代に流れ着く。
 スケールが原作をとっくに越えちゃってるので、このままだと10巻、20巻じゃ収まらないんじゃないかって雰囲気まで漂ってきてるが、うちきりにならないよう、「ビジネスジャンプ」読んでる人はアンケートをよろしく(^^)。
 いや、そこそこ人気はあるんじゃないかな、今回巻頭にカラーページまで収録されてるし。


 マンガ、島本和彦『吼えろペン』3巻(小学館・560円)。
 女性キャラが少ないからって、「仮面編集女」ってのはちょとやり過ぎという気もしないでもないが、熱血野郎の島本さんだから、なんでもアリなんだろう。
 しかし、さいとう・たか……もとい、ジャイ藤キック先生の「うわっはっはっはっ! その原稿なら来週から取り掛かるからやってない!」(シメキリが来週なんだよ)というセリフのリアルなこと(^_^;)。
 やっぱりモデルがいるキャラはギャグも爆裂してるなあ。
 でも「サブリミナル鷹」って、誰のパロディだ?


 DVD『スタイルズ荘の怪事件』。
 『名探偵ポワロ』BOXの第11巻。
 以前、テレビ放映されてた時に見ているが、改めてDVDで見ると、いろいろと発見がある。
 制作が後回しになったので、巻数は後ろの方にあるが、もちろんこれがアガサ・クリスティーのデビュー作にしてエルキュール・ポワロ最初の事件である。しかし、ある程度短編シリーズで慣れた後でのドラマ化というのが結果的に良かったんじゃないか。デビッド・スーシェのポワロのちょこちょこチマチマトした仕草も堂に入ったものだが、ヒュー・フレイザーのヘイスティングスも実に当たり役である。ただ、今回の話では、ヒロインに振られるあたりがちょっとあっさりしすぎてたキライがあったが。
 処女作にはその作者の原点が詰まっているとはよく言うが、実際、この作品の設定や、トリックは、手を変え品を変え、後に書かれた作品に流用している。ドラマ化にあたっては、実に原作に忠実にトリックを描いている。
 忠実過ぎて、犯人が犯人っぽい演技しすぎるおかげでトリック丸わかりってのもどうだかなあとは思うんだが。
 画質はDVDのわりにはそれほどよいというほどでもない。暗い画面だと、特に演出ってわけでもないんだろうけれど、何が映ってるんだか全然分らないときがある。テレビドラマだからってことなのか、それがちょっと残念な点だった。
 BOXは全3巻、ドラマ自体まだ制作され続けているので、現在までの分のみということになる。
 したがって、元旦、二日に放映される予定の『メソポタミア殺人事件』と『白昼の悪魔』はBOXには入らない。『白昼』はピーター・ユスティノフの『地中海殺人事件』と同じ原作なので、見比べてみるのも楽しそうだ。

2000年12月22日(金) 祝、大ヒット/『封神演義』23巻(藤崎竜)



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