無責任賛歌
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2001年12月26日(水) |
イベント近し、ネタは無し/『これで古典がよくわかる』(橋本治)/『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(倉田真由美)ほか |
最近、気づいたことだけれど、私の寝つきのよさってのは、もしかしたら「睡眠」を取ってるんじゃなくて、「失神」してるんじゃなかろうか。 なにしろ、寝ても疲れが取れないことがすごく多いんである。仕事の量はそうキツクないはずなのに、1時間ごとに休憩を取らないと、体がズンズン重くなるんである。食い過ぎ、という説もあるが、意外と体重は増えていない。それでも尿糖はしっかり出る。食わなきゃ眩暈がするし、食えばダルくなるし、どうすりゃいいんだ。 目覚まし時計がなったのに、今朝は全く気がつかなかった。 ……昨日は帰宅してからもちょっと寝たし、12時には布団に入ってたぞ。 寝不足のせいではないので、なぜ起きられなかったのか、原因が解らない。 おかげで今日は早出の日だったのに、遅刻。 カラダがダルくて休むってことはしょっちゅうあったけれど、目覚めもしないなんてことはほとんどなかったのになあ。 やっぱり心労が続いてるのかなあ。
仕事が細々ながら続いているので、どうも年末だって感じがしない。 それどころか、私の誕生日と、大晦日の結婚記念日も控えているのに、何か準備をしなきゃならない実感が湧かないんである。 しげはしげで、10周年だから「スイートテンダイヤモンドがほしい」なんてフザケタことを言ってやがる。 もちろん、実利主義のしげは、そんな換金しても元値の半分にもなりやしないものを本気でほしいなんて思ってるわけじゃないのだ。ホントに買ってやったら嬉しいことは嬉しいけれど、扱いに困ると自分でも承知している。 なのに「ほしいなあ」、なんて臆面もなく言いやがるところが性格の悪いところだ。 「ほしいものはあるしぃ、下手にほしくもないもの勝手に買われるとイヤなんだけれどぉ、これがほしいなってのを買ってもらうんじゃツマンナイからぁ、これがイイってのをなんとなくアンタが察してプレゼントしてくれてぇ、ビックリさせてくれるのがいいの」 要するに、モノはほしいが、ちゃんとイベントに相応しい状況を作れ、と言いたいらしい。……この、結婚記念日は男がお膳立てするもの、という甘えが、しげの「オンナオンナ」してるとこなんだよなあ。日頃、ベタベタした女を嫌うようなこと言ってる癖して、どうしてこう自分に都合のいいときだけ女であることを振り回すかな。たまには、「お互いを祝う」という発想はできんのか。 プレゼントなんて、なんだっていいじゃん。なのに、昔、図書券をやったら「こんなのはプレゼントじゃない!」って文句つけやがったしなあ。もう、結婚して十年も経てば贈り物のネタなんてないってば。 ……『素敵な奥さん』でも贈ってやろうか。
仕事を終えて、しげに連絡すると「キツイ、一人で帰って」。 またかよ、と思いつつ、タクシーを拾って帰る。あれだけ毎日寝てて、どうしてカラダがキツイのか理解に苦しむよなあ。 近所のジョイフルまで来て、もうそろそろしげも目覚めたかなと思って、もう一度電話して晩飯に誘う。安いのが取り柄で、味はまあ二の次って感じのジョイフルだけれど、私はそう嫌いではない。値段が高いワリにたいして味に拘ってない最近の中洲近辺の屋台に比べりゃ、よっぽど良心的ってもんだ。 カルビキムチと豚の角煮を頼んでしげを待つが、すぐ近所なのに、10分、20分待っても全く来る気配がない。 角煮はしげのために取っておいたのだが、いい加減来る気をなくしたのかと、一つつまんだところで、やっと来る。自分のものが手に入らなくなりそうだとすかさず現れるというのは、全くイヤラシイくらいに嗅覚の働くやつだ。 「なんだ、もう食べてるんなら帰るよ」 ……遅れて来ておいて、この言い草だもんなあ。ここで「じゃあ帰ろう」なんて言った日には、あとで「メシ食い損なった」「腹減った」とブチブチ文句を言うに決まってるのだ。 「まだ注文するから、座ってなんか頼めよ」 そう言って、仕方なくカレーライスを注文する。別に私はしげが食べ終わるのを待ってたって構わないのに。 ……ああ、これでまた太るの? 私……(ToT)。
アニメ『ヒカルの碁』第十二局「三将はお前だ」。 今年最後のアニメ『ヒカ碁』、どのへんで区切れるかと思ったら、囲碁大会の直前。盛り上げるためにはもう少し先に進んで、アキラとの対決あたりまで行っておいた方がよかったような気もするけれど、話がダイジェストになっちゃうのもなんだから、まあ、無難なところかな。 今回の目玉はなんと言っても、桑原本因坊の声を誰がやるのかってことだったけど、まさか、納谷六朗さんとはねえ……。 悟朗さんならともかく、これはちょっとミス・キャストなんじゃないの? いや、六朗さんが嫌いってんじゃなくて、声が若すぎる(ホントはいいトシなんだけどね)。この手のジイさん声だと、もう、故・宮内幸平か永井一郎か八奈見乗児と相場が決まってたから、ちょっと目先を変えたのかもしれないけれど、1回だけの登場ならともかく、今後も出演するんだしなあ。 ああ、こうなると倉田六段にもどんな声の人があたるのか、ちょっと心配になってきたぞ。私の心の中ではもうアレは林家こぶ平以外の声は思いつかないんだが(^^)。
DVD『三大怪獣 地球最大の決戦』再見。 若林映子のコメンタリーつきで見る。一時期、死亡説も出たくらい若林さん、世間に露出してなかったから、今もなお艶やかで若々しい声を聞くと、うれしくなってくる。 若林さんが「金星人」を演じてたときのあの浮浪者風の衣装、あれはご本人の普段着だそうである。沢村いき雄から奪ったんじゃなかったのか(^o^)。しかし、女優さんが普段から着飾ってるわけじゃないって雰囲気がよかったんだよなあ。思えらく、スターが必ずしもスターっぽくないところが、サラリーマン喜劇でも鳴らした東宝のいいとこだったと思うんである。 ラストの夏木陽介の記者と、若林さんの王女との別れの演出が、『ローマの休日』っぽいことは見た人ならすぐに気がつくところだけれど、あれは、本多猪四郎監督自らの指示だったんだなあ。関沢新一の脚本にもともとありはするのだけれど、若林さんが『ローマの休日』のファンなので、サービス的に行った演出らしい。 記憶を喪失していたはずなのに、「あなたに助けられたことだけは覚えています」ってのは、こりゃいろいろラストを締めくくるのに結構使えるよなあ。……実は既に形を変えて自分の脚本の中で使ってんだけれど(^_^;)。すみません、前回のウチの芝居の『鴉』のラストは、『三代怪獣』のモジリです。気がついたやつがどれだけいるか(いね〜って)。 もう、二人の距離は離れているはずなのに、ほんの一瞬だけ交錯する……って、これ、子供向け映画の演出じゃないよなあ。だったらどうして「みんなでキングギドラをやっつけましょう」なんてアホなこともやっちゃうのか(-_-;)。 ギドラが後半ですっかり弱っちくなっちゃうのが、なんとも残念でならんよなあ。
いろいろ興味深い話は多かったんだけれど、俳優さんの思い出話は、撮影の苦労は語れても、特撮の現場を知らないことも多い。 だから、若林さんが、インタビュアーに「キングギドラは首と羽とシッポと、全部操演だったんですよ」と説明されて、「そうだったんですか?」と40年ぶりくらいにビックリしてるってのが、ちょっともの淋しい。 当時の俳優さん、特撮ってものに対して、偏見とまではいかないんだろうけれど、さほど興味がなかったんだなあということがわかっちゃうんで。 かと言って、わかりすぎるくらいわかってる京本政樹みたいなのも困りもんなんだけれど(^_^;)。
しかし、DVDのおかげで画質がよくなるってのも考えもんなんだよなあ。 もう、背景の空が書割りなのがバレバレだし、ピアノ線はおろか、キングギドラのウロコが剥がれてるのが見えたりするし。 それでも新作のキングギドラより巨大感もあるしよく動いてるってのがどうもねえ。
橋本治『これで古典がよくわかる』(ちくま文庫・714円)。 タイトルがいかにも学習参考書みたいで全然キャッチーじゃないんだが(この「キャッチー」って言葉ももう死語かな)、更に「ちくま文庫」じゃ、いったい誰が手に取るんだか。 「知識なんていらない、古典は『体』で覚えろ」という橋本さんの意見は痛快だし、さすがは『桃尻語訳 枕草子』を出しただけの人ではあるなあとは思う(もっとも後の『徒然草』と『源氏』と『平家』はつまんなかったけど)。 ただねえ、「古典に出会わないままの人に古典の面白さを伝えたくってこの本を書いた」という橋本さんの気持ち、それはイタイほどわかるんだけど、結局この本を手に取るやつって、「黙ってたっていずれ古典に触れる」人間なんだよね。橋本さんが本来ターゲットにしたい「古典から遠い現代人」は、賭けてもいいけど、絶対にこんな本は手に取らない。 実際に手にさえ取ってみれば、「平安時代の人間は漢文が読めなくて、竹のペンで振りガナを字の横ちょに書きこんでいた」とか、「兼好法師は文章を書き損じても紙を反古にするのがもったいないから、そのまま書いていた」とか、「なんだ、昔の人も別にエラクないじゃん」的な一行知識がてんこもりで面白いんだけれど、やっぱり「古典に遠い」人は読んだりしないのだ。 それは、実はその人が「古典に遠い」んじゃなくて、もともと「勉強に遠い」人なんだよね。で、実は学校なんかで成績優秀で、バリバリ勉強してるように見える人たちだって、基本的には「勉強に遠い」人間なのよ。
どういうことかっていうと、実のところ現代の日本で、とりあえず社会生活を送ろうと思ったとき、「これだけは必要」って知識が皆無になっちゃってるって状況があるのだね。 「そんなことない、漢字の読み書きくらいは必要だ」 「基礎的な算数くらいはできないと、おカネの計算一つにしても困るじゃないか」 そう反論する人もいるだろうが、でも現実に「漢字が読めなくても」「算数ができなくても」暮らしてる人はゴマンといるので、この意見は成り立たない。そう思ってるのは「最低限の教養は必要」って幻想にとらわれてるだけなんだってば。 もちろん、「完全に無教養」なんて人間もそうそういはしないから、現実には「教養に偏りのある」人間が寄り集まって、それぞれの知識を補完しあってこの社会は成り立っている。 例えば、学校というシステムを考えて見ればそれは実に明確になるんであって、国語の先生は過去の古典にも通じ、現代文学もたくさん読破して、いかにも知識の権化みたいな顔をして授業をしている。けれど、英語は中一程度の知識もなかったり、因数分解もできないなんてやつらはゴロゴロいる。あるいは、ムツカシイ数式をいとも簡単に解ける数学教師が、初歩的な漢字も書けない、なんてことはよくあるのだ。 だから、「数学できんとが、なんで悪いとや」という言い訳が全ての教養について言えたりするのだ。「国語ができんだって、英語ができんだって、歴史を知らんでも人間の価値とは関係なかろうもん」と開き直れるのよ、今ではね。 世間は「あの教養もこの教養も」と、情報だけは提供してくれるが、実はそのほとんどのものを全て捨て去っても、生きて行けたりはする。で、要領よく、一部の知識だけを活用していけるやつは、脳みそがパーでも高学歴ってことになったりもするのだ。 ……ご近所に、野球と女の会話だけで世渡りしてるようなやつ、いないかい? で、そいつの学歴聞いたら、ウソだろオイっていうくらい、偏差値高いとこだったりするんだよ。
『桃尻語訳 枕草子』が出たとき、やはり賛否両論が巻き起こった。 「否」について一言でいえば、「不謹慎」ってとこかな、笑っちゃうけど。 この本でも、そのときの騒動の憤懣のあとがチラホラと文中に現れていて、「学校の先生はこの訳にマルをつけないかもしれないけれど、間違いではありません」と言い切っている。 そりゃそうだ、「春は曙」を「春って曙よ!」と訳して、どこが誤訳になるのかね? たいていの国語教師は「この下には『をかし』が省略されているので、『(が趣深い)』を補わねばならない」とか言うのよ。 ……趣深い、なんて日本語、日常で使ってる人、手をあげてみい。 結局、従来のアカデミズムが、古典の世界を象牙の塔にしてしまっており、それは古典に限らず、全ての学問・教養の分野で普遍的に行われている、というのが現状であるのだ。
この日記を読んでくれてる人のなかには、「古典に遠い」人も結構いると思いますが、「じゃあ一つ、『源氏物語』でも読んでみようかな」って人はいますかね? 古典を理解する方法って、橋本さんもこの本の中で言ってるけど、「暗記して慣れろ」。これしかないんだよね。外国語を学ぶのと同じ。文法なんか実はどうでもいいんで、そんな「本文理解」には対して意味のないことを学校では一所懸命覚えさせようとするから、古典がどんどんわかんなくなる。 「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」 『源氏物語』の冒頭で、人によっては何十回読んだってわかんね〜、と言うかも知れないけれど、他の部分もともかく読んでいくうちに、言葉と言葉の連関性が見えてくるようになるのね。 例えばこの中にある「やむごとなき」って言葉が、ある一部の人々の形容詞としてしか使われてない、と気付けば、これが「気高くて近寄りがたくて、そのお方のご威光が子々孫々まで伝えられそうなくらいウットリさせられる」って意味だって気付いてくるのよ。 ここまで詳しい訳は、辞書にもそうそう載ってないが、間違いじゃありません。「あてなり」って言葉にも「高貴だ」って意味はあるけど、明らかに「やむことなし」とは意味合いが違うもの。「止む・こと・なし」でしょ? 何が「止まることがないのか」って考えれば、その意味は辞書なんか引かなくても見えてくるよ。 古典の楽しさってのは、こんなふうに「自分で語釈できる」ってとこにあるんだから。
でも実はその楽しさって、ムチャクチャ苦労がいるのね。 つまり、本来、『ターヘル・アナトミア』を前野良沢たちが訳したのと同じくらいの苦しさを必要とするわけで、これだけ情報が氾濫してて、他にも身につけなければならない教養がゴマンとあるのだ、とみんながてんでに思いこんでいる中で、そんなことに時間を割ける人間がどれだけいるかって。 古典なんか知らなくても生きて行ける現状の中で、あえて古典を読む人間なんて、「苦労してでも古典が好き」って人しかいるわけないじゃん。 まあ、古典を身近なものにしようと思ったら、あれだね、文書を書くときには言文一致をやめて全て旧かな遣い、及び古語で書くようにする、とかでもしない限り、ムリな話だね。そうすりゃ、みんな「必要なこと」だから、必死で古語を覚えようとする。 ……マンガのセリフが全部古語になったら面白い気もするが、それじゃ、全員が『キテレツ大百科』のコロ助になっちまうな(^^)。
マンガ、倉田真由美『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(扶桑社・900円)。 あらら、くらたまさん、離婚されてしまったようだね。 ホームページのマンガには、「旦那さんの匂いを嗅ぐのが好き」とか「どんなにだめんずを渡り歩いても最後にいい男ゲットしたら勝ち」とか描いてたけれど、やっぱり旦那さんも「だめんず」だったってことなのかな。 どういうわけだか「才能がないマンガ家」と叩かれることの多いくらたまさんだが、絵が下手だとか、取材の切り口が甘いだとか、その程度のことで叩かれるってのがちょいと解せない。 結局それは表向きのことであって、実のところ「くらたま本人の性格がキライ」「なのに売れてるからもっとキライ」って、やっかみじゃないかな。 何だか、小林よしのりが昔『ゴー宣』で、さくらももこの『いきもの図鑑』について、「あんな足で書きなぐったみたいなの」とかなんとか批判してたのと意識構造は似てる気がするなあ。
ちょっとこれは、一部の女性には嫌われる言い方になるかもしれないけれど、ダメな男が選ぶ女ってのは、やっぱりダメな女なんだよね(^_^;)。 完全にイイ男、なんてのはいないわけだから、私の「ダメな男」パーツの脳細胞でもって言えばね、「はたらかないで女に貢がせたい」って願望はどの男にもあるんですよ。 じゃあ、どんな女ならイイかっていうと、「乱暴しても良心の呵責を感じないでいられる女」、つまりは「バカ」な女ってことになるのね。 で、この「バカ女」の幅って、実はすごく広い。 「生意気な女」 「男に媚びる女」 「嫉妬深い女」 「自意識過剰な女」 「恥知らずな女」 「夢見てる女」 「男を品定めする女」 「男に理想を求める女」 「男に優しくされたがってる女」 「男の暴力に耐える女」 「他の女の悪口を言う女」 「自分が美人だと思ってる女」 「自分がブスだと思ってる女」 「コンプレックスのある女」 「コンプレックスのない女」 みんな、男から見たら「バカ女」です。……これじゃ女が全部はいっちゃうじゃんって思うかもしれないけれど、実はたった一つだけ、この「バカ女」の範疇に入らないパターンがあるのね。 それは何かと言うと、「女神」なんです。 あの、藤島康介の『ああっ女神さまっ』のイメージで充分です。 つまりは、もう、男の全てを包み込んでくれながらあくまで気高く、完璧過ぎて、近寄りがたい女。 そんなやつぁいねえ、と言われそうだけれども、実はごくごく稀にいます。実に自然体に女神様を演じてる女性が(^o^)。……そう、結局は演技なんですけどね、男を手玉に取ってるって自覚をおくびにも出さない完璧な演技者、ここまでくれば芸術じゃないかってくらい、悪意の全く感じられないピュアな微笑み一つで男どものハートを射抜いてしまうレディーってのはいるのですよ。 イイ男を掴むってのは、「だめんず」を振り落とすってことなんで、「ああ、あんなスバラシイ素敵な人が、オレなんかを相手にしてくれるわけがない」と男に思わせるくらい、自分のレベルを高めないと、本当のイイ男はつかまらないのよ。 で、イイ男なんてそうそういないから、女神さまは大抵独身のままです(^^)。 だからまあ、女神様になれるはずもない、たいていの女性はダメ男に引っかかる仕組みになってる。だって、男が女に言い寄るってこと自体、「この女を自由にできる」って思ってるってことだし、それはその男の「だめんず」機能が働いてるってことなんだから。 多少の「ダメ」を許すくらいの気概がなきゃ、ドツボのようなだめんずに引っかかるばかりなんで、くらたまさん、見事にこのパターンにハマっちゃってるんだよねえ。 でも、いくらくらたまさんが「軽く扱ってよさそうな女」であっても、ホントに「軽く扱っていい」わけじゃない。やっぱり男の方に最終的には非があるとは思うけれど、バツイチで子持ちじゃ、「遊んで適当なところで捨てよう」って男が近寄ってくることは少なくなるだろうし、ムチャクチャひどいだめんずに引っかかることはなくなるんじゃないかな。 いやまあ、私がくらたまさんの行く末を心配しても仕方ないかもしれないけれど。
それにしても巻末のデビュー前マンガ、これは相当イタかろうなあ。 10代の女の子がどれだけ現実を見てないかってことの証明みたいなもんだからなあ。なんかもう、モロにどこかで見たような絵だし。 こりゃ、「だめんず」の餌食になってくれと自分からアミん中に飛び込んでるようなもんだよなあ。
2000年12月26日(火) 明日こそは眠るぞ/『ひっち&GO!!』1巻(永野のりこ)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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