2004年05月24日(月) |
絶滅の前に起きること |
事務所にて仕事。
Aが年齢不相応にも読みたいといって、 図書館で借りた学研の動物大図鑑。 しかもどういうわけか、タイトルは世界絶滅危機動物、である。
絶滅のおそれのある野生動植物の主の保存に関する法律や、同種の条約で いわゆるレッドリストとして指定され、 絶滅のおそれがあるとされている動物達が、ここに掲載されている。
絶滅危惧種だけで辞典ができる時代。 私が子供の頃、この手の動物の扱いはまだいわゆる「コラム」の類であり、 今はもういません、とか、絶滅しそうです、というくだりが、 何とも物悲しい響きをもっていたものだ。
その分、図鑑で登場する動物というのは、 どこか遠いサバンナや、ジャングル、あるいは日本の山中に生息していることを前提として、ただ呑気に思いを馳せられるものだった。
件の図鑑をみると、サルだけとっても色々な表現型があることが分かる。 孫悟空の発想の元となったとされるチベットコバナテングザル、 アフリカの仮面を彷彿とさせるザンジバルアカコロブス、 哲学者の面持ちのアカアシドゥクモンキー。 みな生命の神秘が作り出した、素晴らしい造形美を備えている。
ほとんどの掲載種は、その絶滅の運命を余技なくされているのらしい。 もちろん、森林伐採など人為による影響のためだ。
お仕着せの道徳心とか、教科書通りの環境保全思想ではなく、 こうした生物多様性が、動物達の造形美が失われることが、 自分にとってとてもつまらなく、また寂しく思う。
このままいくと人間もいつかこのリストに加わるかもしれない。 しかしその前に、人類は種としての死ぬほどの孤独感を味わわなければならないのではないかと、私は思う。
象やライオンもサルも、子供の物語りや歌の世界から消えるだろう。 人間が想像し創造するものは、人間社会以外からサジェスチョンを与えられることはなくなり、そうして生み出されるものにはやがて限界が訪れることだろう。 人間以外の生物から、生きる上で重要な示唆を与えられるような接触は枯渇し、ただ生物として生きることが、人間にとってとても困難なことになっていくだろう。
何だかノストラダムスの大予言のようになってしまったが、 とにかく、そういう苦しみと閉塞感の生き地獄にさらされることこそが、 絶滅そのものよりも私は恐ろしいなと思ったのである。
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