最近の新聞記事の、文章が乱雑なのが気になって仕方ない。そういう時がある。
乱雑というより、記者が饒舌にすぎるというのが正確なところ。 新聞記事というのは、論説でもない限り事実を正確に書くだけでよいと思う。つまり記者の個性は必要ない。
自分を勝負したいのなら「現場から採取してきた事実の質」でやるべきと思うのだが、おそらくはそういうことに汗をかかなくなっている。 だから、何を間違ったのか読者に何かを喚起させるような煽り文句や描写なんかを書くことが記者としての腕前と勘違いしている向きがある。 大きな間違いである。
行政機関がやたらと馴れ馴れしい表現を使うことも、私の好みではない。組織自体がお硬くあらねばならぬ宿命なのだから、内容がわかりやすければ、硬い表現で一定の距離を保つことは、別によいではないかと思うのである。そういう文章が、この国の中に一つぐらい存在している必要があるのだ。
新聞社や行政機関のありかたというよりも、私はそれを書いた一人の人間の心の在りようが、気になる先である。 しっかり自分の働き場所に立ってくれ、と思うのである。
*
それにしても、何かにおもねるような文章は、一発で化けの皮がはがれる。こういうところが、文章の面白さであり怖さである。
2004年05月25日(火) 謝意
|