浅間日記

2006年05月31日(水) 学び舎の目標管理

埼玉県の公立小学校52校で、
いわゆる「愛国心」が通知表評価項目にされているのらしい。
2002年に学習指導要領が改訂され、新たな教育目標に従っての措置なのらしい。

これに関連して、内山秀夫慶応大学名誉教授の記事。少し抜粋。

…通知表に「愛国心」を盛り込む小学校が出ているのは、教育現場での「愛国心」の先取りであり、文科省の教育改革のねらいの過剰なまでの露払いである。

内山氏はまた、興味深い米国での事例を紹介している。また少し抜粋。

…それは第二次大戦中のアメリカでの話である。全米の州議会や学校当局が、国家への忠誠心を涵養するために国旗掲揚式を義務付けるべしと主張した。最高裁は、たとえ「世界大戦で国家が緊急事態にあるにしても、個人の意思に反する意思表示を強要する権限は国家にない」と宣言し、彼らは自由を救った。

そして氏は、日本の戦後60年、政治家は常に強要する権限を求め、国民はそれに従ってきたと述べている。



義務教育、特に小学校教育に、目標管理はふさわしくないのではないか、
というのが私の考え。

できるできないは、この年頃であまり問題ではない。
目の前の問題から逃げないで頑張ったか、自分の考えをもてたか、
十分に試行錯誤をしたか、繰り返しチャレンジしたか、

こういうプロセスをしっかり指導して、後の人生でどんな状況になっても、
その子の役に立つことを教えてくれ、と言いたいのである。

そもそも、子どもを評価するという突き放した姿勢は、
小学校就学年齢の子どもに対して不適当であるという気すらする。

小学校教諭という職域には、子どもたちに寄り添いつくすという情けを期待するのだが−二十四の瞳みたいに−、それは非常識なのだろうか。

でも、実際、教育現場に必ずいる「よい先生」は、おしなべて、
子どもを一方的に評価したり、ましてや何かを強要するという振る舞いを、
極力控えているようにも思う。

愛国心から話が逸れた。

学校が得意でない私は、そもそも論であちこちつっかかる。
どうも散漫、まとまらず。

2005年05月31日(火) 飴のエルドラド
2004年05月31日(月) 自給自足


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