朝、小さな出店みたいな八百屋に立ち寄る。
朝の肌寒さに羽織ってきた上着を褒められたところから、 店のおじいさんの昔話のはじまり。
おじいさんの母親は、はた織が上手で色々なものをこしらえていた。 上手が高じて、出かけた先で姿かたちの気に入った人を見つけると、 その見ず知らずの人のイメージで着物の柄を考案し、こしらえるのだそうである。
一ヶ月もして着物が仕上がると、今度は着ている絵姿を描いて息子に渡し、 「この辺りにこうした人がいるから、この着物を差し上げて来い」と使いに出し、息子であるおじいさんはその場所へ通いつめ、昔話の絵姿女房のごとく「こんな人なんだが」と絵姿を見せて探し回って、無事に見つけることができると、事情を説明して着物を渡してくるのだそうである。 一度や二度ではなかったのらしい。
あげた人にはずい分恐縮されちゃってねえ、と思い出し笑い。 そうでしょうねえと相槌をうつ。
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随分昔の、小さな村の中での出来事ではあるけれど、 何もかもが途方もないこの話が、私は何だかすっかり気に入ってしまった。
その人−おじいさんのお母さん−の発想の、なんと面白いことか。 人間が「思い立つ」ということに、無限の可能性を感じてしまうのである。
またそれに応じて、「そうかいそれじゃ」と、探し当てて届ける息子の素朴な素直さがよい。
母と息子のどちらも損得や効率で労を惜しまないのが、昔の人らしい。
日頃から損得や効率で労を惜しまない習慣をもっていると、 物事を思い立つ幅が広がるということなのだろう。
2007年05月17日(木) 苦を救う その2 2006年05月17日(水) 罪にすることができる 2005年05月17日(火) 芯折れ鉛筆 2004年05月17日(月) サマワに降る雨
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