浅間日記

2006年05月26日(金) 文を盗む

杉村何某議員が、誰かのブログの内容を模した、という出来事。
このこと自体はどうでもよいが、自分自身の類似の罪を思い出したので、
本日はその告白である。



小学校と高校の時分の2回、課題の作文で盗作をした。

初犯は小学1年か2年の時で、動機はいたずらとサボリである。
先生を出し抜こうというのと早く遊びにいきたい気持ちで犯行に及んだ。

そんな動機だから「パクッて」くる原文は、足さえつかなければ、
−驚くような偶然で、結局それは足がついたのだが−何でもよかった。

区の教育委員会が発行した「優秀作品集」を引っ張り出してきて、
他校の子が書いた作品を、適当にブレンドし、
模造品を作り上げるという暴力的な作業を、
友達数人でやらかした。

こういう末恐ろしい子どもが大人になって、
日々こうした日記を書いているんであるが、
これは正真正銘の、オリジナル書き下ろしである。



そして、高校の時分のそれは、もっと密やかで罪が深い。
田辺聖子氏のエッセイ文を、盗んだ。

牽牛織女の伝説について書かれていた一文が、
内容と文のどちらをとっても、私には宝石のように美しく、
それを自分のものにしたいという欲望を抑えられなかった。
もちろん誰にも言わず、ひっそりと遂行した。

提出後もどってきた原稿用紙には、盗んだ部分の数行に、
先生が赤い二重丸をつけて、よく書けていますとコメントされていた。

もちろんちっとも嬉しくはなかったし、
結局それは一文字も自分のものにはならなかった。



盗作の誘惑は、このように−過去の経験として−私にもわかる。

しかしやはり、人の文章や経験を自分から発したものにするというのは、
それは収納場所の間違いである。

他人の文章、他人の経験は、
あくまでも「他人から発せられたもの」として自分に取り込んでゆけばよいのであって、
そうした方が、結局自分の血や肉になっていくのだ。



もう少し言うと、だからこそ、−議員先生の件はコメントの対象外として−、
プロの文筆家の盗作というのは、例えその行為が一度であっても、
私は許容しがたい。

許せないというよりも、評価が萎えていく感じだ。

2005年05月26日(木) 修繕日
2004年05月26日(水) 学校の話


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