国発注の橋梁工事の入札に関する談合組織に東京高検が強制捜査。 なんと40年以上も、一定の企業だけの談合が行われていた。
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朝食をとりながら、Hと談義。 「四十年だってさ」と彼は大層驚くが、私には普通に思われる。良いか悪いかは別として、特別驚くことではない。
大規模構造物の建設工事という業界は男社会の牙城のような場所で、勇気を出して言い切ってしまえば、男社会というのはこういう「囲い込み」で安心感を得るのが好きなんである。
婦女子を排除するということについて良心的に検証すれば、山国日本でトンネルや橋を建設するというのは、大変に危険を伴うものであり、男衆が脇目もふらずに取り組まねばならない事実がある。
だから−縁起が悪いという理由になっているが−女人禁制の慣行があり、今でも多分現場に女が入ることは嫌がられるはずである。
特定業者だけしか入れないというのは、品質を確かにしたかったという面があるのではないかと推察する。 傾斜の多い日本で橋やトンネルを作るのは、相当に専門的で高度な技術を必要とするから「安くできる業者は誰でもいらっしゃい」とは言えない事情があったことも、多少は情状酌量できる。エンジニア達はプライドと使命感をもって業界を守ってきたというのは、少し言いすぎか。
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男にしかできない「使命」「責任」「連帯」。 こういうシチュエーションは、男社会に何とも言えないロマンを掻き立てるのではないだろうか。 映画監督の大島渚が新撰組をテーマにした「御法度」という映画を撮ったとき、「男の連帯感というのは、何かエロティックな関係が潜在的にある。そういう世界を撮りたかった」と発言していて、その昔妙に賛同した。
そういう世界を否定するつもりはない。 そのようなロマンティシズムをもって、よい仕事をしてくれるのならば何よりである。 ただし金目が目的になった瞬間、それは異常発酵し、異臭を放ちはじめる。
だから私は僭越ながら申し上げたい。 往々にしてそのような集団は客観性を見失い暴走しがちであるということを、その典型的なケースが戦争である、と付け加えつつ。 特にマスコミは、入念なセルフチェックをしていただきたい。
* Hとの議論は最後に「女は談合ができるかね」という方向にむかったが、 あっさりと「駄目だろうね」という結論になった。 造反者は多いわ調整に時間がかかるわで、効率的な慣習となり得ず3日ぐらいで破綻するだろう、 という理由である。これには私も同意した。
2004年05月24日(月) 絶滅の前に起きること
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