4回目の産後間もないYさん宅を慰問。
生まれたばかりの赤ん坊を、5歳児が抱き、4歳児があやす。 5歳児の背中に、2歳児がおぶさりにくる。
母親のYさんは、部長の貫禄である。 「時々すごい格好で寝かされてるけどね」と、 私には危なげに見える場面も余裕で、茶などすすっている。
一昨年、幼子に追われる生活にくたびれ果てていた彼女は、 いつのまにか裕福な資産家のようになっていた。
家族の全てを一人で背負うことから開放され、 自分の内側に、パワーの可処分所得を有している。
娘達は母親の力となり、母親は娘達にこれまで以上の愛情を注ぐだろう。 大家族で支えあって暮らせる豊かさは、値千金、いやそれ以上の人生の資産だ。
2006年11月30日(木) さらば自民党 2005年11月30日(水) クラークケントまがい 2004年11月30日(火) 空調考
2007年11月28日(水) |
現代フォークロアの火 |
柳田國男の「遠野物語」を題材にした、昭和53年のNHKスペシャル。
漫然としか知らなかったこの人物について、 これまでよりももう少し詳細を知る。
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特別に悪いこともせず、かといって良いこともせず、 世間に名を成さず、隣人と同じような人生を送り、一生を終わる。 この国のほとんどは、そうした人間であると氏は語る。
氏が生涯をかけて追求したテーマは、 そうした日本人にとっての幸福だったのだそうである。
遠野物語に出てくる異形のものや不思議な話。 「山の中で遭遇した山ノ神をからかったために3日後死んだ」というような話。 そういう風に人々は理解した、という事実こそに意味と価値がある。
東北に分布するツバキの群落に関する考察。 北方の椿に関する伝承をたどり、これは自然の植生ではなく、 人間が種子をもって北方へ移住し栽培したものであると分析、 日本人のルーツの一つが南方にあるという推論にまで組み立てた。
氏はまた、時代とともに変化することをよしとした。 象徴される大切なものさえ損なわれなければ、 それ以外のものが変わっていくことは成長であると肯定的であった。 自然がそうであるように、人間が新たに何かを生み出す力を信じていた。
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「新しい美しさは何か、失われてしまった大切なものは何か、 常にそのことを考え続けなければ日本人の未来に幸福はない」
番組の最後にもってきた柳田のメッセージ。 忘れてしまわないように、頭の中で何度も繰り返した。
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象徴される大切なものは、残念ながら失われつつある。 遠野物語は、私達にはもう理解も共感もできない。 しかし、市井の人たちの願いや祈りは、消えてしまったわけではない。
都市化や情報化が、人間の等身大の姿をかき消してしまっても、 山村集落が「限界集落」とよばれ消滅の危機にあっても、
必ず、絶対に、人間がそのはかなさを知り、だからこそ幸福を願う、 小さなフォークロアの火は存在する。 そういうものをこそ、私は見失わずにいたいと強く思う。
2006年11月28日(火) 2004年11月28日(日) 化学変化
学校給食法の改正に関するニュース。
法の目的を、栄養補給から食育に大幅変更するのだそうである。
息抜きでもある給食の時間にまで「教育」が押し寄せて、 子ども達は息苦しいだろうなあと案ずる。
教育・学習と銘打つものは、すべからく意識的に運ばれる。 意識的であることは、不自然だが、決して悪いことではない。 分野を問わず何かを自分のものにする時、この道は避けて通れない。
けれども、食べるなどという人間として当たり前のことを、意識的・意図的に運ぼうというのは、 私にはどうしても合点がいかない。
人間として当たり前のことは、自然の内に身につけるのがふさわしい。 私達はプログラミングされる機械ではない。
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もう少し言うと、 食べ物や食べる行為は、その安全性もさることながら、 もう少しその人間性を回復したらいいと私は思う。
人間らしく、人間としての食事をする。 他者への信頼と親しみを深め、自分は孤独ではないと実感できる食事をする。 今日を明日へと生きてほしいという他者への願いとともに、食材を調達し調理し供する。
そのことはきっと、私達が幸福であるとはどういうことかについて、 −それは、既に求めることすら忘れてしまったもののように思える− もう一度、考えるチャンスになると思うのだ。
クリスマスの食卓までにはまだ時間がある。きっと間に合うだろう。
2006年11月26日(日) 食う飲むところに住むところ 2005年11月26日(土) 世代間男女交代論 2004年11月26日(金) 文芸の話
家族中で朝寝坊を決めこんで、すっかり明るくなった頃にようやく起きた。
この連休を、私は上京の予定をやめにして、 Hは岡山へ岩登りへいく約束をキャンセルして、 ゆっくり過ごすことにした。
陽が暖かくなるのを待って、近くの森へ散歩へ出る。 おにぎりを作って、昨晩のシチューを温めて容器に入れ、 暖かいお茶を魔法瓶に入れて、厚着をして皆で出発。
アカマツ林の混じる雑木林のしんとした森の中は、まだ少し秋の気配が残っている。 クヌギの枯葉をガサガサいわせて、Aが得意そうに道を先導する。
小さなベンチがある日当たりのいい場所で、3人小さくなって昼食。
色々な緊張が解けたのか、Aがようやく、やっと笑った。 気に入りの歌をうたいながら、赤い実を探して森の道を歩く。
この人の場合、歌を口ずさむようになれば心はもう元気を取り戻している。 そういう訳で、ようやく私も安心した。
2006年11月23日(木) 2005年11月23日(水) 2004年11月23日(火)
急な冷え込みは、どうやら当分収まらないらしい。 遠くの山は既に白く、分厚い雪雲に隠れて今日はその峰さえも見えない。
まあ家族みんな元気を出そうと、バレエの鑑賞に出かける。 Hさえもが、このイベントを盛り上げようとしている。
Aは、恥ずかしいぐらいにおめかしをして、 N先生に頂戴した舶来のコートを着て、 コサックダンサーみたいな毛の帽子を被る。
うっとりと鏡に見入る一方で、本当はこんなきまりすぎた格好で外へ出ることは、自分には恥ずかしいのだと言う。
私も、防寒と装いの折り合いがつくぎりぎりのところで、いささかの衣装を纏う。 Hも数少ない登山服以外の服を着る。Aがそれを見て、驚いて笑う。
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AもHも、バレエはもちろん、生のオーケストラ演奏も初めてである。 序曲が始まった瞬間に、Aがわあ!と小さく歓声を上げていた。 ピットをのぞいて、この音は誰が鳴らしているのかと、探している。
マーシャが出てきて、ドロッセルマイヤーさんが登場し、 いよいよ小さくピンと背筋を伸ばしては、舞台に魅入っている。 ねずみの怖い場面は、帽子を握り締めて一生懸命恐ろしいのをがまんした。
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休憩時間。Hはプログラムを読みふける。
数年前までのHならば、絶対にこうした場所へ同席しなかった。 クライミング以外のことに時間を割くことについて、 彼は自分の中に極端な罪悪感をかかえていた。
そういう男が、こういう世界も見てみたいと思い、 プログラムに書かれているダンサーの経歴から、 この人はどうやってこうして一流になったのか、 毎日どんなトレーニングをしているのか想像している。
よくわからないが、道を究めている人の何かを、 分野を問わず、自分の中の糧にしようとしている。
ずいぶん変わったなあと感心した。 そしてもちろん、3人みんな、バレエも心から楽しんだ。
2006年11月21日(火) 2004年11月21日(日) 善意の総量
身体を吹荒れた諸々の不具合は去り、性根も入れ替わり、 過度に心配することも、慢心に陥ることもなく過ごすぞと決意。
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安静中に、村上春樹の「走ることについて語るとき僕の語ること」読了。 年齢とともに衰えていく自分が大切にしているある能力とどう付き合うか、 そのことを、走ることになぞらえて書いている、アスリート村上春樹としての本である。
この人は暗喩を好まれる。だから、ご本人が意識しているにせよそうでないにせよ、 この本を、「書くことについて語るとき僕の語ること」という風に理解しても、 大きな間違いではないのではないかと思いながら読んだ。
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自分は大層な能力の人間ではないけれど、自分なりに一生懸命頑張ってやってきた。そのことに嘘はない。
そういうことが、折々に書いてある。
自分に正直に向き合って心の底からそう思え、 また誰に臆することもなくそう言える生き方というのは、 実は誰にでもできることではないと思う。
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氏の愛読者として応援の気持ちを込めるならば、 もしも、もしもご自身が、作家としての老眼みたいな違和感を執筆活動に感じたとしても、 −使い古されていない新品のぴったりとした言葉を探し当てられなくなったような− 行き詰まりの扉というものは、年齢を問わず誰にでも訪れるもので、 この作家は、既にそうした扉を何枚も開いてきた−自分なりに一所懸命頑張って−のである。
そうして今そこにある扉なのだから、決してそれは終わりの扉ではなく、 むしろ誰も知らない次の文学世界への扉に違いないと私は思う。
2006年11月20日(月) 2005年11月20日(日) 他人の仕事 2004年11月20日(土) 不安な気持ちはどう表すか
自分の身体に嫌なスイッチが入ってしまったかという不安を抱えたまま、 冷え切った朝を迎える。
身体には、そういう無慈悲な仕組みがある。 この安定はここまでと、破壊開始を決断する。
山崩れのように一度決壊したら絶対に止めることができず、 崩れるままにしておくこと意外、最善の策はないという状況が。
そして今のそれがそういう状況かそうでないかは、わからないのだ。
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ミッドワイフのMさんに電話をしたら、午後になって早速来てくれて、 色々とケアを施してくれる。 ちょっと疲れただけ、きっと大丈夫、と微笑む。 彼女の手のひらから暖かいものが身体に入り込む。
何人ものひとがやってきて、大丈夫、と言って帰っていく。 それは私という身体の不可知にむけた、信頼と祈りのメッセージである。 心からありがたく、不吉なスイッチの影をようやく打ち消すことができた。
2006年11月19日(日) 2005年11月19日(土) ランディさんと私
2007年11月18日(日) |
パン屋さんは変わる 家族もひとりふえる |
突然、身体から血が流れてきたので病院へ行った。
どこの器官からであれ、出血の瞬間というのは衝撃的で、 勝手に流れ出る分どこか余所余所しく、痛みよりも付き合いにくい。
原因はよくわからないけれどまず安静に、という医師の指示で、 止血剤を処方されてとぼとぼ帰る。
こういう時のHはいつも、なすすべもなく可哀想な犬のようである。 生命の危険というのは垂直の壁にあると、16の時から教え込まれているから仕方ない。 Aはけなげに気丈を装って、迷惑かけたねと言うと自分は全く大丈夫だと言う。
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家の居間でごろりと横になる。 気晴らしに、傍らに散らかしてあったAの落書き帳をパラパラ見る。 「パン屋さんは変わる 家族もひとりふえる」ではじまる、自作の詩と絵。 商売繁盛と子孫繁栄のめでたい話に仕上がっていて、 ページの中盤では、登場人物が一人加わっている。
身籠って5ヶ月に入ろうとしているが、 色々なことについて少し雑に考えすぎていたかもしれない。 特にAにはまったく可哀想なことをしたと、ひどく反省した。
2006年11月18日(土) 家族の支え 2004年11月18日(木) 孤独と自尊心
困難な仕事にずっとかかっている。 取り組み甲斐があるという意味ではない。
それでも少しは見通しがついてきたからほっとする。
2006年11月16日(木) 未来を塗り替える 2005年11月16日(水) 藪と泉 2004年11月16日(火)
文芸春秋12月号に、玄侑宗久氏の「お墓はあなたのものじゃない」という記事。
「千の風になって」という歌に後押しされて昨今ブームになっているという、 埋葬の個性化、個別化への問題提起をしている。面白く読んだ。
墓という場所で自分という存在を永遠にしておきたいという欲望について、 それは幻想であると氏は一喝し、成仏せよと言っている。
また氏は、個としての存在はいずれ溶けてなくなるものであり、 その事実を受け入れて生きてきた昔の人々の、覚悟の美しさにも触れている。
*
死に際までセルフプロデュースするような最近の風潮に、 なんか変だという違和感を言葉にできずにいた。
ある世代が戦争でぽっかり死んでしまっているということは、 死に方の良い前例や慣習的な死生観を知らないということだ。 これは、とても深刻な文化的損失だと思う。
千の風を歌う世代の人達は、どういう風に自分の人生を締めくくっていいかわからず、子どものように戸惑っている。 私にはそんなふうに見える。
だから、少しの間、奇妙な埋葬のトライアルがあったとしても、 −生前に行ったこともないエーゲ海に骨を撒いてほしいとか−、 それは仕方がないのかもしれない。
このことについては、まだ自分でも未整理である。
2006年11月15日(水) 西陽の幻 2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人
2007年11月14日(水) |
火に注ぐ油は何バレルか |
原油価格の高騰は投機筋の影響である、というニュースが続く。
投機筋とはなじみのないものであるが、 どうやら先物取引主に利益を得ようとする投資のことであるらしい。
既に原油の増産は行っているし、供給量は不足していない、 というのがOPEC−石油輸出国機構−の見解、と併せて伝えられ、 投資ファンドと原油産出国というのは別の立場だと思い込んでいた。
しかし、どうもこのオイル騒動は、もう少し巧妙らしい。
原油産出国は、原油生産を中心とした経済政策を脱しようとしており、 その一つの試みとして、潤沢なオイルマネーを投資に回している、という記事。
なんのことはない。火に油を注いで、世界中を困惑させている。
別に一喜一憂することはない。 こんなことはいつまでも続くものではない。
投機筋とよばれる何者かとて、 既に引き際を見計らっているだろう、と私は思う。
2005年11月14日(月) 花嫁御寮の理由 2004年11月14日(日) 武装
立冬も過ぎ、「今朝は冷えたねえ」というのが朝の挨拶がわりになってくる。
でも、まだまだ。 黄金色だった葉が枯葉色にくすんでも、 まだ私はそこに新緑を思い浮かべることができる。 春の田の蛙の声も、夏の日差しや蝉の喧騒も、まだ自分の中にある。
そういう生命の残像を一切許さない寒さが、本当の冬の始まりだ。 そして、それまでにはまだ少し時間がある。
短くなる日差しに怯えていた数年前に比べて、今年はタフである。
嫁に来た身であったなら、ここで結んだ血縁も地について、 故郷は遠くなりにけりとしみじみ思うのかもしれない。
2006年11月13日(月) 煮えたぎる子どもたち
2007年11月11日(日) |
クロックマダムにパイナップルは入るのか |
クロックムッシュをこしらえたら、次の日フランス人がやってきた。 日本のクライマーを取材しに来日した、オリビエさん。
突然のことにAはたちまち緊張し、 ハムスターみたいに部屋の隅でこそこそしている。 もっともこの人は、国籍を問わず新規のゲストには緊張するのだけど。
ハムスターを放っておいて、コーヒーブレイク。
ハムの代わりにチキンを使うのがクロックマダムと承知していたが、 ゲストの彼に言わせると、チーズ、ハム、パイナップルの組み合わせが本当なのだそうである。
失礼ながら、本当かいなと内心思いつつ、そうですかという顔をする。
日本は初めてというオリビエさんに、 日本の伝統的なお菓子ですよと、どら焼きやくるみの駄菓子をすすめる。 どらやきはともかく、くるみの駄菓子は我ながらインチキくさい。日本の伝統的なお菓子?
オリビエさんも、本当かいなと内心思いながら、そうですかという顔をして胡桃をつまんでいる。
2006年11月11日(土) 誰にもあげない 2005年11月11日(金) 他人の死を引き受ける 2004年11月11日(木) 月と暦
2007年11月08日(木) |
力を加えず導くか、手を加えて成果を得るか |
朝のラジオで、「中国は科学的発展観を貫けるか」と題した解説。
この「科学的発展観」という苦肉の策のようなスローガン −日本語と同義に解釈してよいものか正確なところはわからないが− を耳にするたびに、中国の大変なお家事情を感ぜずにはいられない。
問題の「貫けるか」の部分について、解説員は、中国共産党の体質が変わらない限り、「貫くのは難しいだろう」と話している。つまり著しく制限された人権や民主主義を変えない限り、科学的発展観の実現はもちろん、国際社会に置き去りにされるだろうとも。 まあそうだろうなと同意する。
*
国家だけ−ある政党だけ−持続可能な未来を描いたところで、 市民が自分の未来について希望ある見通しをもてなければ、 国というのはいずれ破綻する。
何も中国だけではない。 「不正の時代」真っ只中にある日本だって、同じである。
もう少し想像する。 あるいは国家は賃貸住宅の家主のようになるかもしれない、アメリカみたいに。 契約条件を満たすことができる者だけを市民としてかかえ、 そうなると入居者は入れ替わり立ち代わり変わるから、愛国心で管理する。 その傍らで屋根裏部屋には必ず居候が侵入し、その駆除に追われるだろう。
*
閑話休題。 ラジオで聴いた話で書きとどめておきたいのは、本当はこっちである。
「文化」という言葉は、日本では室町時代から明治以前までは、 「権力を用いずに人を導くこと」を意味していたそうである。
明治時代に、ほぼ逆ともいえる内容へ意味が変わったのは、 西洋の「人間が自然に手を加えて物心両面の成果を得る」という概念を当てはめるために意図的に流用されたのである。
すっかり元の意味を失っているのは残念なことだけれど、 こうした概念を、おそらくは室町以降の権力者が認識していたということは、それは誇らしいことだなと思う。
2006年11月08日(水) 山門 2005年11月08日(火) 鳥災 2004年11月08日(月) 戦場は自然現象ではない
家主のKさんが裏庭からやってきて、はい、と柿の配給。 みればバケツ1杯もある。
今年は悪くしないうちに干し柿にしよう。 そのぐらいのことはできるはずだ。
2006年11月07日(火) 2005年11月07日(月) 見ざる、聞かざる、言う 2004年11月07日(日) お休みの日の男親は
週末は終わったが、まだ山の家にいる。 なんだか両親だけにしておくのが気がかりであるし、 むこうも私がいるのを期待している節がある。
庭先の棗が枝が垂れるほどに実って、秋の陽を浴びている。 採れるだけとって、カゴ2杯になった。
黒砂糖で煮詰めるか、棗酒にするか。 なるべく長もちするかたちで加工して、 思い出したようにちびちび楽しめるようにしたい。
来年もまたここで棗を採ることができるかわからないから、そうするのだ。
2005年11月05日(土) 2004年11月05日(金) 小春日和
山の様子を見に行く。
哀れ、モミの木は鹿に喰われ瀕死の重傷。 カラマツは春先にHにすいてもらったから、 林の中に気持ちよく日が射している。
昨晩の鍋の残りを持っていってコンロで暖めて饂飩でもこしらえよう、 というアイディアはよかったが、塩も醤油も忘れてきた。 暖かいのだけがとりえの何ともいえない食べ物をすするが、結構美味しい。
仰向けに寝転がって、「どんぐりと山猫」を読む。 ページ越しのはるか上方で、 ミズナラが天蓋のように覆いかぶさって梢をゆらしている。
秋の山が静かであるというのは、恥ずかしながらこの年になっての発見で、 そういえば里の秋という唱歌では「静かな静かな里の秋」という歌詞だったことも思い出した。
ストーブの薪を少し調達し、日があるうちに山の家に戻る。
2006年11月04日(土) 2005年11月04日(金) スーパードライ 2004年11月04日(木) 大統領の選び方
本日は一日中、高速道路をハイスピードで走行していた。 というわけで、ひどく疲弊。
最後にたどりついたのは、静かな山の家。 実に二ヶ月ぶりである。
2006年11月02日(木) 因縁と落とし前 2005年11月02日(水) 記憶に残るもの、生きていくもの 2004年11月02日(火) 避難とは何か
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