浅間日記

2006年11月11日(土) 誰にもあげない

臓器移植法の改正案が与党案として提出されている。
臓器提供者の年齢制限を6歳に引き下げるというもので、
子どもが臓器提供を受けられる機会を増やすことに貢献するのだそうである。

宇和島徳洲会病院で行われていた、病気と診断された患者から摘出した腎臓を移植したケース。



ずいぶん前であるが、自分は臓器提供したくない立場だとHに言ったことがある。
信じられない身勝手な考え、という顔をされた。

世の中が臓器をパーツとして認識することに協力したくないから拒否するのだ、
と言ってみても、とうてい受け入れられないという。



それから数年たった今、改めて思う。

知らない間に誰かに自分の内臓をもって行かれたくなければ、
明確な拒否の意思表示をしておいたほうがいい。子どもについても同様に。
公証役場で書類を作っておくのも一計だ。
リスクマネジメントとして、そうしたほうがいい。



肉体は、何か尊いものからのさずかりものである。そう思っている。
人様に差し上げることを前提に曖昧に生きるよりも、
身体を丁寧に大事にして、世のため人のためになることをして、
命をぎりぎりまで使い切って死ぬほうがよい。

肉体は一人に一つのものである。

そういうことをない交ぜにするような幸せは、
例え血の涙を流して乞う人がいようとも差し上げることはできないし、
その立場に立ったとしても、受け取ることはできない。
それが、今のところの私の考え。

もう少し言うならば、
医療技術の水平展開をどうするかは、既に医療の専門家の範疇外である。
臓器移植技術を素晴らしいものにするか新しい種類の犯罪にするか決めるのは、
医師ではなく、医療消費者のモラルと政治家の役割なのだが、そのところは残念ながら、とても危い。

2005年11月11日(金) 他人の死を引き受ける
2004年11月11日(木) 月と暦


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