2006年11月13日(月) |
煮えたぎる子どもたち |
いつの間にか、イジメジサツなんて変ちくりんな熟語が流通している。 下品な定型化だ。
そして、連なる子どもの自殺については、「そのケース」がいじめの定義にあてはまるかそうでないのかの判定などやっている。
あれもこれも、死んだ子へ何の手向けにならないし、 明日死んでしまおうと青白い顔で決意する子への、何の救いにもならない。
もう私はすっかり、この出来事の取扱いには希望を見出すことができず、うんざりしていた。
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そんな中でラジオで、中嶋博行という弁護士の話に少し救われた。
中嶋氏は「君を守りたい いじめゼロを実現した公立中学校の秘密」という本の著者である。
いじめがなくなったという学校の話を聴きながら、 これはきっと、緊張のない友人関係をつくろう、というよびかけが功を奏したのだろうなと思った。
いじめをなくそうという方向性は直接的すぎで深みがなく、大人の子どもを導く方法として智慧がない。 飲酒運転とは訳が違うのである。
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緊張と興奮の現代社会にいて、子ども達は皆、煮えたぎっている。 いじめる子も、いじめられる子も、それはたまたま突沸した湯滴にすぎない。
その鍋の下で燃やしている火を止めて、少し涼しいところに置いて、 大人がそうっと冷ましてやれば、子どもたちは濁りなく澄んだ姿を必ず取り戻す。
問題は、大人がそうしてやれるかどうかだ。 まずはちゃんとしたものを食べさせて、温かい風呂に入れてやり、夜は早く寝かせることだ。
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