年の瀬が近づく。 クリスマスが過ぎると、あっという間にそうなる。 世の中の雰囲気はこのように急旋回するものだと実感する。
こちとら、まだ今年を閉店するわけにいかないのだけれど、 明日には山ほどの仕事と治りかけた腰痛をかかえ、 山の家へ移動しなければならないから、日記はこれでおしまい。
しみじみ振り返る余裕もなく、恩ある人へ不義理を重ね、 夜逃げのようにこの場を閉じなければならない。
縁ある方全ての、来年も変わらぬご健勝を祈りつつ。 ありがとうございました。
2006年12月27日(水) 2005年12月27日(火)
クリスマス。 そして大人にとっては年末の貴重な「平日」。
三連休を楽しんだのはもちろん間違いないが、 仕事がすすまなかったことの不安が澱のように溜まっている。 それをあと2日で何とかするか、 いっそもうあきらめて、正月返上でPCに向かう体制を整えるか。 悩ましいところである。
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朝、目覚めたAの枕元にあったのは、 サンタに頼んでいたバレエシューズでも、バレエの衣装でもなく、 小さな裁縫道具と炊飯器であった。
起きぬけの「夢でバレエシューズをはいた」という開口一番は、 予想外の贈り物にどう思うかを案ずる、馬鹿な親心を震え上がらせたが、 驚きながらもまあ喜んでいたから安心した。
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どうして大人はサンタからプレゼントをもらえないのだとAは問う。 自分だけもらったことに、気を使っている。
大人は、自分に必要なものを自分で調達できるからだよ、と応える。 それはお金があるということだけでなく、 自分で作ったり探しにいったりできるという意味であって、 いずれあなたもそうなるんだよ、と。
「賢者の贈り物」をAに読む。Hが傍らで聞いている。
文体が古めかしい本だったからAには難解だったようである。 長い長い髪をかつら屋に見積もりさせている絵だけを、しげしげ見ている。
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あまりに清々とした物語であり、そうした空気が家の中に飽和する。 愚者の自分としては恥ずかしいというか、居心地が悪い。
だからついHへ、 あんたの山道具を全部売っ払って、私にプレゼントをくれてもいいよ、と悪態をつく。
おれはそういう調整ミスはしないんだよ、と愚者その2が応える。
2006年12月24日(日) 文明と因縁 2005年12月24日(土) 大工よ、屋根の梁を高く上げよ 2004年12月24日(金) 冬の祝祭日
ここのところのAときたら、わずかな暇をみつけては ストーブの前に座り込んでバレエのプログラムを眺めている。
誰が何の役を演じたことがあるのかインプットし、 この劇団の衣装にはどんな種類があるのかを研究しつくし、 そして昨日は、この本によると白鳥の湖はどうも全三幕なんじゃないかという大発見に至った。
見ると確かに全3幕としてそれぞれに解説のページがある。 そうだよと伝えると再び研究に入り、もう人の話など耳に入っていない。
この態度は、山の雑誌に読みふけるHとまるで瓜二つである。
好きなことに無防備に没頭する親を持つというのは、 私の生い立ちと大いに違うところかもしれない。
2006年12月20日(水) 和室的予算案 2005年12月20日(火) 書き入れ時の貧しさ 2004年12月20日(月) 放心
2007年12月19日(水) |
憤慨を禁じえない定義 |
今年も年越しは山の家で過ごす予定である。 むろん、それまでに仕事を一段落しなくてはならないのだけれど。
山の家がある集落はあと10年もすれば消滅するだろう。 今の世帯の様子をみれば、よほど新しい住民が入らない限り、そうなる。
でもしかし、美しいあの山で、朝日を拝み夕日に頭を垂れ、 その場所と不可分な存在として暮らす人達に向かって、 ここは限界集落ですねなどとはとても言えないと思っていた。
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そう思っていたら、今朝の新聞の記事。 下伊那郡の町村長で構成される下伊那郡町村会という組織の会合で、 「限界集落」という表現を自分達は使わない、という方針を示した、というニュース。
「そこに住む人たちに罪もないのに「おまえのところは限界だ」と言われるのは憤慨を禁じえない」とコメントする下条村という村の村長。
この下伊那郡町村会が位置する、飯田下伊那地方という長野県の南側の地域には、 「限界集落」に該当する集落、つまり65歳以上が人口の半数以上を占める集落が、458地区のうち約20%の88地区あるのらしい。
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この言葉は、本来は「限界に至る前に対策が必要」という意味でそのように命名されたのだが、素直に読んだとおりの「既に限界」という意味で広がった。
限界という表現を使うのならば、限界内閣とか限界政党とか、 そうした現実が他にもうようよあるだろう。
頑張っているささやかなコミュニティに、そんな意地の悪い表現を適用するのは、 学者先生が何と言おうが、やはり思いやりがなく不適当だと思うし、憤慨を禁じえない村長さん達には、中央にないがしろにされたその怒りをエネルギーに替えて−映画「ウェールズの山」の住民みたいに−、ぜひ未来へ進んでほしいと願う。
2006年12月19日(火) 絶望アピール 2005年12月19日(月) 2004年12月19日(日)
自分の好みが体系的に整っているものであるのは、 自分が体系的でないからと常々承知している。
とにかく自分は気まぐれで、興味のゆくところは体系とは程通い。
だから、情報の海の中で網を打つ場所はまるで一貫性がないのだが、 ときどき、偶然に同じ魚が連続して網にかかることがある。 こういうつながり方を、私はどちらかというと大切にする方である。
そういうわけで、「裁判」というキーワードで3つの話。
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「裁判員制度 根底に動員の思想」という見出しで、 西野喜一さんという新潟大教授の方の新聞記事。 この方は、東京地裁判事補、新潟地裁判事などを経て現職にいる、裁判のプロである。 興味深かった部分は以下のとおり。
国がつくった法制度を絶対的なものとして、その枠内で思考せよと強要するのは、思想統制につながる危険性がある。という指摘。
陪審員制をとる米国の事例から、裁判員制度によって誤判や冤罪が増えることは、まず認識しておかなければならない、という指摘。 人が人を裁く以上誤りは避けられないが、誤りが発見しやすく、かつ救済ができるようにしておかなければならない。ところが裁判員制度はその目的にかなっておらず、憲法が保障する「公平な裁判所で裁判を受ける権利」を侵害する疑いがあるというわけである。
さらに西野氏が一般市民に向けたコメント。 「裁判員制度がこの国とわれわれに何をもたらす可能性があるのか。主権者として生きるとはどういうことなのか。一人一人がまじめに問い、考えて、行動してほしい」
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映画監督である周防正行氏が書いた「それでもボクはやってない」という本。
周防監督による同名の映画がある。 監督はある冤罪事件をきっかけに裁判制度に強い関心を抱いたそうである。 映画制作にあたって法律や裁判の猛勉強をし、数多くの裁判を傍聴し、関係者へのヒアリングを行なった。
そしてこの本は、監督が映画の中で未解決だった部分を本にしたものである。
本の構成は、映画の全シナリオ、削除したシーンの解説、そして「刑事裁判の心」の著者である元裁判官の木谷明氏との対談、となっている。
この「刑事裁判の心」という本は、監督が映画制作を心に決めたきっかけとなった本なのだそうである。
興味深かった部分は数多いが、特に裁判員制度に関して1点。 木谷氏との対談の中での、周防監督のコメントである。長くなるが引用。
「裁判員制度に関しては、「あなたは人を裁けますか」といった形で宣伝していますが、これは裁判の経験がない一般の人達を怖気づかせてしまうのではないですかね。つまり、法廷で明らかになった証拠を基に、目の前に立つ被告人が有罪であるか無罪であるかを自分で考え、判断しなさいと言っているように思えてしまう。「裁判員」が判断しなければいけないのは、そこじゃないと思うんですよ。「検察官の有罪立証に、なるほどその通りだと思えば有罪。一つでも有罪立証に疑問があれば、無罪」こう伝えるべきだと思う。要するに、最終的に裁くことになるのは被告人かもしれないけれど、実際に裁判で裁かなければならないのは、「検察官の有罪立証」である、ということです。自分で勝手に証拠を判断し、組み立てて、有罪か無罪かを判断するのではなく、検察官の証明に納得したかしないか、それを言えばいいのだと考えています。」
検察官の有罪立証というものが、いかに一般常識では納得いかない疑問だらけのもので構築されているか、という確証があるコメントだと思う。
納得したら有罪にすればいいんですよ。でも皆さんきっと納得できないと思いますよ、と監督が暗示する根拠は、映画の中に表現されている。
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3つめ。最後の裁判は、「オキナワノート」に記載された「強制集団死」の内容をめぐって著書の大江健三郎氏に損害賠償を求めている裁判。11月9日に本人尋問が行われたその新聞記事。
この老いた作家は、色々な評価がつきまとう。 ノーベル賞作家と賞賛されたり、一方で詭弁者と揶揄されたりするわけである。
はっきり分かるのは、その評価のどちらもが、 この人の、揺るぎない言葉と表現の力に起因していることである。
記録から、この老作家への反対尋問はさぞやりにくかったことと想像する。 この老作家は、全身全霊と作家生命を賭け、燃え上がるようなエネルギーでもって、 この裁判を戦うのにもっとも適切な表現を紡ぎだしている。 そういう静かな気迫が、記録から伝わってくる。
この裁判の行方は、最終弁論が21日に大阪地方裁判所であって、 年明けに公判となるそうである。
2006年12月18日(月) 協力か介入か
冷え込んだ休日の朝。
自分の体温だけではもうどうしようもないし、 陽が射してくる昼間までこうして凍えているわけにもいかぬ。
わが身の解凍作業が必要と一念発起して、朝風呂に入る。
湯気のあがった光の差す浴室は、天国のようである。 冷蔵庫から出したばかりの生ソーセージのようにして湯船に沈みこむ。
自分の冷えた手足で瞬く間に湯が冷めるから、急いで追い焚きする。 カチカチに凍ったこの身が、端の方から解けていく。
ゆっくり30分ほどボイルされ、ようやく今日一日を始めるにふさわしい生身の身体を回復した。
2006年12月16日(土) 信頼できる他人 2005年12月16日(金) 音楽の意味 2004年12月16日(木) 狼もいる、母親ヤギもいる
角野栄子著「クリスマス クリスマス」をAに読む。
クリスマスがキリスト教のお祭り、 なかでもイエスの生誕を祝う日となったのは、 ヨーロッパからアメリカ大陸に伝わってからなのだそうである。
それまでのクリスマスというのは冬至と密接な関係をもっていて、 「光が生まれる日」とされるこの日を祝福するという意味が大きかったのだそうである。 また、来年が実り豊かな年になるようにという祈りも込められていたのらしい。
サンタクロースも、優しいだけではなかった。 悪い子どもは袋に入れて連れて行ったり、 鞭でぶったりする人物とされている。
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この「原始サンタ」の在り様から、 昔は冬に子どもが沢山死んだのだろうなと想像する。
生活環境においても農業生産性においても現代に比べはるかに厳しかった時代、 冬という季節は容赦なく子どもを飢えさせ、凍えさせ、命をさらっていったのだろう。
だからサンタは、生きるための物資をくれる存在として子どもの切実な救い足りえたし、 また一方で、命を奪うという、避けがたく厳しい現実を象徴したのではないか。
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クリスマスは本来、一つの宗教に根ざしたものではなくて、 冬という季節から生まれた土着性の強い風習に始まっている。
だからこそ、この冬の祝祭日は世界中で受け入れられ、 それぞれの場所で、冬の風土に溶け込んでいったのだろう。
おそらく、多分。
2006年12月15日(金) 失敗 2005年12月15日(木) 南へ北へ 2004年12月15日(水) 追って狂気の沙汰を待て
2007年12月13日(木) |
チュンセ童子とポウセ童子 |
ふたご座流星群について、国立天文台の渡部潤一さんが、 ラジオで、新聞で、熱心にコメントを寄せている。
家族や友人や大切な人と夜空を眺めて、 宇宙に思いを馳せてほしいと言っている。
星とか月に神を想起し物語を作り出すほどの感性は、現代人の私にはもはやない。 絶対的な闇夜と引き換えに再びそれを手に入れたいかと問われたとして、イエスと言う勇気もない。
ただただ、古人の感性を想像するのみである。 星や月というのは、彼らにとって一体どんな存在だったのか。
2006年12月13日(水) 旅がらす三行日記 字余り 2005年12月13日(火) おおきにの国 2004年12月13日(月) 王様の手料理
分不相応な大プロジェクトは進行する。
今回は随分多くの人の助けを借りている。 Oさんから、Kさんから進捗報告が入る。
自営の場合は本当に、チームワークのありがたさが身にしみる。 仕事をくれる人にも、仕事を手伝ってくれる人にも、 今の自分は足を向けて寝られないのである。
2006年12月12日(火) 旅がらす三行日記 2005年12月12日(月) 2004年12月12日(日) 高尾山
冷え込みの厳しい朝。
長丁場の仕事は山場を迎え、月曜日は憂鬱である。 一段落するまでは金曜日が永遠に続けばいいのに、とすら思う。
プロセスの始まりと終わりというのは、中段とは別のものである。 それは野菜の皮のようなもので、そこのところに濃い成分が含まれている。
自分は金曜日の状態をきっと取り戻すことができると信じてエキストラローにギアを入れ、 ゆっくりと丁寧に自分自身を始動させればよいのだ。
2004年12月10日(金) もう鳩は飛ばさなくていい
2007年12月07日(金) |
暫定国家100年の計 |
政府・与党は7日午前、道路特定財源に関する協議会を首相官邸で開き、(1)暫定税率の08年度以降10年間の維持(2)道路整備費を国土交通省素案の65兆円から6兆円減額――などを柱とした見直し案に合意した。 というニュース。
よく分からないし、道路の維持に金がかかることも承知しているけれど、 「暫定を維持する」というのは、何だか変な理屈のように思う。 日本の税金の仕組みというのはこんなのばかりで、 なにか裏口的な感触が否めない。
「臨時措置」が何回も更新されるのなら、 それはもはや臨時措置とはいわないのではないだろうか。
2006年12月07日(木) 仲間の未知数 2005年12月07日(水)
2007年12月04日(火) |
家を追われた人と持ち主のいない家 |
ニューヨークに寒波が来ている、というニュース。 冬の寒さの前倒しは、日本だけではないのらしい。
彼の国にわんさかいるだろう、住宅ローンが支払えなくなった人達を思う。 家を追い出され、路上で寒さに震えていたりしないだろうか。
以前見たマイケル・ムーア監督の「ロジャー&ミー」で、 家賃支払いが滞った家へ管理人がやってきて、 即日、容赦なく、家財道具を運び出していた。 どうしても、そのことを思い出してしまうのである。
あの国は、家を追われた人と持ち主のいない家ばかりで、 一体、どうやってクリスマスをするのだろう。 アメリカには住宅政策というものがないんだろうか。
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そう思っていたら、折しもラジオでニュース。 ヒラリー・クリントン上院議員が、焦げ付いた住宅ローンの金利凍結や、 返済が滞った場合の差し押さえについて90日間の猶予を与えるという提案をしたそうである。
2005年12月04日(日) 土俵際 2004年12月04日(土) 売った覚えのないものを買い取られている話
2007年12月02日(日) |
「シビリアン」再考の時 |
防衛省をめぐる騒動への関心を押し静めるように、 スキャンダラスな人殺しのニュースが目の前に並ぶ日々。 そう、私達はフォアグラの鴨みたいに、情報を強制給餌されている。
防衛省だけではない。 火の粉を消したがっているのは厚生労働省も然り、である。
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専門家による審議は、ずいぶんその信用を落としている。
米国産牛肉の輸入をめぐる食品安全委員会頃からぼんやりとその不信感は醸成され、 その後は、愛国心教育に熱心な教育再生会議、 柏崎原子力発電所の安全性をめぐる原子力安全委員会と続く。
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文民統制というのは一般に軍人以外の文官が軍隊を統制することを意味するけれど、 文民統制を必要とする脅威は、軍事以外にもある。 科学技術の暴走もその一つだと思う。
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文民−シビリアン−の本質は、文官を指すのではないと私は思う。
行政という巨大なシステムは、それは頑丈にできている。 そしてそれは、まるでUボートみたいにただ巨大で頑丈な鉄の塊ともいえる。 小回りがきかないし、目の前の危険に迅速に対処できない。
そういうものが危うくならないように、 「凡人」が小回りをきかせて「嫌だ」と方向転換できるのが、 本当のシビリアンコントロールではないかと思う。 迷走する専門家には、その役目はできないのである。
2005年12月02日(金) Think Think Think
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