無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2001年10月31日(水) すみません、ちょっと疲れてます/『蝙蝠と蛞蝓/睡れる花嫁』(横溝正史・児島都・長尾文子)

オタアミ当日まであと24日! 24日しかないのだ!

 ちょっと疲れ気味なので、短目に書きます。
 深みはないけど(長く書いてもないとの意見はまあ、それはそれとして)、平にご容赦。

 また残業で、迎えに来てくれたしげを駐車場で1時間も待たせる。
 それだけならいいが、帰宅が7時を過ぎたので『テニプリ』を見損ねたとしげがプリプリ。
 シャレかい。

 『ヒカ碁』にはなんとか間に合う。
 将棋差しが出て来たが、声だけでも演技が濃い濃い。アニメアニメした演技が、随分この作品の魅力を半減させてるよなあ。

 ちょっと新聞を読み損ねていたので、毛利菊枝さん死去の報を今日初めて知る。既に8月20日になくなられていたとか。97歳はもちろん長寿だが、若いころから老婆役でならしていた毛利さんのこと、100歳越えてたと言われても信じたかもしれない。
 『紅孔雀』で、数珠を振りまわし妖しげな術で大地を揺るがして東千代之介の浮寝丸を苦しめた黒刀自を演じていたのが毛利さん。
 それ以来、どの映画でもそんな役演じてたような気がする。
 面白いのは、片岡千恵蔵版の映画『八つ墓村』と、古谷一行版のテレビ横溝正史シリーズ供愴つ墓村』の両方で、双子の老婆の片割れ、田治見小竹を演じていること(その間24年!)。「小竹役者」ってのも珍しいなあ。


 昨日、メールを差し上げた女性から返事が来る。
 なんかいろいろと元気付けられるメールだった。こういうことがあるから、ネットは楽しい。


 「サスペリアミステリー」12月号付録、横溝正史原作・児島都作画『金田一耕助の事件簿・蝙蝠と蛞蝓』長尾文子作画『睡れる花嫁』。
 雑誌の付録かとちょっと鼻白みながら読んだけれど、脚色にムリがなく、短編をコンパクトにまとめたあたり、まあまあ面白い。企画の勝利と言うべきか。
 ただ、どっちの金田一も少女マンガなせいか美形過ぎる。児島さんのなんか、当時金田一は30代のはずなのにまるきり美少年だし。
 でも少女マンガマンガした絵じゃなくてどちらかというと耽美刑のヒトを作画担当者に選ぶことが多いのは、やっぱり横溝正史がそういうイメージで見られてるからなのかな。理知性で選んでほしいと思うんだけど。

2000年10月31日(火) 母さん、もうすぐ側に行くよ


2001年10月30日(火) ベランダでフラメンコる女たち/『狼には気をつけて』3巻(遠藤淑子)ほか

オタアミ当日まであと25日! 25日しかないのだ!

 今日も職場行きはしげの車で。
 細道近道を行くのに自信がないしげは、広い道をゆっくりと田舎のバスさながらのスピードで行く。おかげで時間的、スピード的なことを考えると、自転車とたいして差がない。何しろタクシーで山越え直線コース15分の距離を、山を迂回して30分弱かけて行くのだ。
 じゃあ、やっぱりタクシーで行くのがいいのかと言うと、やはり気分がまるで違う。運転は初心者だし、危なっかしくて仕方がないんだけど、しげの隣の方が気は全然楽だ。もっとも、つい寝てしまいそうになるのはこれから仕事だというのにちょいと困りものなのだけれども。

 帰りも今日はしげの車で、と思っていたのだが、「今日は練習があるから」と言われて、仕方なく途中までテクで。
 職場の近くにテイクアウトの店ができているのだが、ここが新装開店だというのに、いつ覗いてみてもまるで客が入っていない。ちょうどいい機会だからと中に入ってみると、店が狭いわりにはヤキソバ、八宝菜、肉ダンゴ、唐揚げなど、中華を中心にサラダバーなどもあって、品揃えはまあまあ。好きなだけオカズをパックに詰めこめて100グラム百円前後の、手ごろな価格。繁盛してないのは道路ぞいなわりには目立たなくて、車も停めにくいせいだろう。
 卵とじとハンバーグ、茄子のスパゲティを買ったときに売り子さんが「どうぞご贔屓に」と挨拶した声に、ちょっと切実さがにじみ出ていた。……できるだけ利用してあげようかな。

 結局タクシーで帰宅すると、鴉丸嬢が御来臨。
 「なんだ、今日練習って、ウチで練習だったのか」
 そりゃ、迎えにも来れないのも当然か。
 鴉丸嬢、パソコンの前に座ってパコパコと何やらキーを叩いているが、なんだか妙に機嫌がいい。
 「あのねー、さっきまで、ベランダでしげさんと一緒に『星のフラメンコ』おどってたのー」
 見ると確かにパソコンの横に西郷輝彦のCDが。確かにねー、今度書いた脚本ねー、ダンスのシーンがやたらとあるんだけど、隣近所に音が駄々漏れな状態で、しかもウチのマンションの真正面にゃ、もひとつマンションがあって、丸見えなのに、そこで踊ったってかぁ?
 度胸があるっつーか、何も考えてないっつーか。いや、役者としては実に正しい行為なんだけど。
 「……近所から苦情は来なかったのか?」
 思わず口にしてしまったが、もしも偶然この部屋のベランダを覗いたヒトがいたとしたら、「なんじゃこりゃ」と思っただろうな。

 鴉丸穣が書きこんでいたのはウチの劇団のホームページの日記であった。
 彼女自身はパソコンを持っていないのだが、しょっちゅう其ノ他くんちに遊びに行ってるんだから、てっきりホームページの方も覗いているものだと思っていたのに、全く見ていなかったのだ。
 話によると、藤田くん(兄の方)が毎月ハンパでない額の膨大な金額をインターネットに注ぎ込んでいるので、ちょっとパソコンが使えないような状況になってるらしい。おいおい、いったいどうなってんだよ藤田くん。
 ほかにも藤田君は、ああでこうであんなでそんな状態になってるって話も聞いたが、ああ、もうこれ以上は書けやしない。人間、転落して行く時はどこまでも落ちて行くものなのだなあ。


 アニメ『FF:U ファイナルファンタジー アンリミテッド』第5話「シド」。
 私は『FF』を全然知らないのだが、しげも鴉丸嬢も、結構詳しいらしく、サブタイトルに「シド」と出た途端、「わあ、シドが出るんだ!」と興味津々な様子。
 「なんだいシドって?」
 「FFの定番キャラだよ」
 ったって、それだけじゃなんだか分からん。いつも思うが、しげの説明は全く説明になってない。まあ、ともかく見てみりゃ分かるか、と思っていたら、出て来たキャラクターは、メカフェチっぽいあんちゃん。自分の作った潜航艇(?)に「キャサリン」なんて名前をつけている。
 「ええ? これがシド!?」
 しげも鴉丸嬢も途端にハモる。
 「なんだよ、シドって、こういうキャラじゃないのか?」
 「若い! シドはもっと爺さんじゃなくちゃ!」
 「そうそう、無精ヒゲはやして、スパナなんか持ってたりして」
 なんだかよくわからんが、どうやら士郎正宗の『ブラックマジック』に出てくるDr.マシューみたいなキャラらしい。確かにカッコつけたあんちゃんとは違う感じだな。
 話は毎回、同じ感じで、「風」が郷里大輔さんをふっ飛ばして終わり。『FF』ってそういう話なの? こないだの映画版といい、全く評価のしようがないんだけど。 

 鴉丸嬢、「最近寝ながら読む本がない」と言うので、江川達也の『源氏物語』を貸す。妙齢のお嬢さんにこういう淫靡で背徳で猥褻なマンガをお貸しするのは全く気が引けることでも何でもないので堂々と貸す。
 鴉丸嬢はウチの榎本加奈子でエロばなし全然オッケーなので、こういうこともできるのだが、つつしみもちょっと持っててほしいとも思ったりはするのである。少なくとも、ページ開いていきなリ「お〜、やってるやってる♪」なんて言わないようにね。

 鴉丸嬢を送ってロドリゲス(フルネームは「ダニエル・ロドリゲス」に決まったようである。そんな名前の車に乗ってて楽しいのか?)で香椎へ。
 途中、黒木書店という本屋で買い忘れてた文庫本などを買う。
 なんとこんなところにも「オタクアミーゴス」のチラシが。いろんなところで販促してるなあ。もう私は手持ちのチラシを配り切ってしまったので、あとは予約の申し込みを待つのみなのだが。
 車中ではいろいろ面白い話もしたのだが、鴉丸嬢のプライバシーに関わることなのでまだ書けない。そのうちホトボリが覚めたら(表現がワルイな)書けることもあろうから、そのときまでのネタに取っておきましょ。

 鴉丸嬢から『フルーツバスケット』のマンガを借りる。そのうち古本屋で買おうかと思ってたんだが、持ってるヒトがいたならちょうどいい。面白いマンガはできるだけチェックしたいが、すべて買い揃えるというわけにもいかないから、こういう「仲間の輪」ってのは非常にありがたいてのである。


 帰宅して、パソコンを開いてみると、女性の名前でメールが来ている。
 身に覚えがないので、一瞬どぎまぎして開いてみると、唐沢俊一さんの『一行知識』に私がレスの書き込みをしたのを、わざわざメールでお礼をくださったのであった。
 いや、何をそんな大層なことを書いたのかって言われそうだが、「『源氏物語』は『雲隠』の巻を含んでも含まなくても五十四帖」っていう、ちょっと古典をかじったことのあるものなら知ってておかしくないことを書いただけ。ただの知ったかぶりで、落ちついて考えたら赤面ものなのである。
 なのに、『源氏』のファンらしいその女性、私のなんの気なしのそのレスに、いたく感激なされたらしいのである。
 かえって私の方が恐縮してしまうのだが、こういうことがきっかけでメールのやりとりができるというのは嬉しいことである。早速メールをお送りする。
 劇団ホームページやこの日記の方も、楽しんで頂けたら嬉しいのだが。
 そんなことをしていると、しげがいつものように「お友達ができてよかったねー」なんてヤキモチを焼いてくる。こういう「人間の器の狭さ」を自分のアイデンティティだと勘違いしている輩が多くなったよなあ。恥ずかしいことだから、いい加減、しげにもやめてもらいたいんだけど。

 そう出歩いたわけでもないのに疲れてすぐに寝る。おかげで日記の更新ができず。ああ、また一日遅れか。せっかく追いついたばかりだと言うのになあ。


 マンガ、遠藤淑子『狼には気をつけて』3巻(白泉社・410円)。
 やっぱり遠藤さんは長編より短編の方がグッといいなあ。
 意地悪な見方をすれば、登場人物はみんなかつて心にキズを受けたことがあって、意地っ張りで素直に心を開くことができなくなってる少女(or少年)で、彼女たち(彼たち)が、「君はそれでいいんだよ」と言ってもらえるまでのマンガ、ということになっちゃうのだが、その枠組が変わらないからこそ、安心して読めるともいえるのだ。
 よく読みこむと、キャラクターたちが結構恥ずかしいこともしょっちゅう言ってるのだが、照れ隠しの突っ込みギャグがいい味になっていて、クサくなる一歩手前でうまく抑えている。そこは相変わらず遠藤さんのうまいところだ。
 つまりこんな感じ。
 「あのね、耳のあたりで息が凍るとき聞こえる音を、星のささやきって言うんだって」
 「へーえ、でもニューヨークじゃたとえマイナス50度になっても聞こえそうもないな」
 バックにはもちろん車の騒音(^^)。

2000年10月30日(月) 仕事がたまっているのに眠いぞコラ/ドラマ『名探偵金田一耕助・トランプ台上の首』ほか


2001年10月29日(月) 「ばびゅーん」の語源は『宇宙少年ソラン』から/『黒鉄 <KUROGANE>』5巻(冬目景)

オタアミ当日まであと26日! 26日しかないのだ!

 さて、「物語」はまず昨晩のことに遡る。
 一日中、べしゃべしゃ、ばちゃばちゃ、じゃわらじゃわらと振り続く雨に、すっかり鬱陶しい気分、マンガ読んでても何となく溜息が、ホウ、と口からツイ漏れる。
 ニュースの解説で、気象士さんとやらが「ちょうど気候のサイクルができてますからねー、一週間毎に休日は雨になるんですよ、はっはっは」なんてお気楽なことを言ってくれている。
 台風でも来ないことにはこのサイクル、なかなか崩れないそうだ。
 ああ、また明日は雨ん中、合羽来て自転車で、汗にまみれながら山越えかあ、なんて考えてたら、憂鬱がそのまま顔に現れたのか、しげが私の顔を何か妙に期待感に満ちた目でじっ、と見つめてくる。
 「何だよ、その目は」
 「明日、職場まで送って行こうか?」
 そう言うしげの目はウルウルと潤んでいる。抑えちゃいるが唇は今にも笑い出しそうだ。
 「……ああ、頼めるんなら、お願いしようか?」
 「……いいと? ホントに?!」
 自分で頼んでおきながら、私が承諾したら驚くってのがよくわからんが、タクシー使うよりおカネがかからないのは間違いのないことなので、断る理由はない。
 まあ、あれだけ「お前の運転する車の助手席になんか乗れるか!」と悪態ついてたからなあ。でも、しげの保証人になっちゃった以上は、しげに事故を起こしてもらっちゃ困るのである。
 私は「ナイフは危険だからナイフは持たせない」みたいなサルでアホでスットコドッコイな考え方はしない。危険の全くない道具なんて、あるはずがない。自ら得た技術をいかに活用するか、それを考え、使いこなしていくことを常日頃考えておかなければ、突発的な事故等に適切に対処することはできまい。
 ウデの上達は練習あるのみである。
 「なんだ、私の練習のためか」
 なんだ、ってこたぁないんだがな。
 冗談ではなく、私は本気で車ってやつが嫌いである。
 なのに「一緒にドライブでもするか?」なんて声かけてることの意味、少しは気付いてもらいたいもんなんだけど。

 で、今朝になって、7時半にウチを出るはずが、しげはやっぱり、ぐごがげごぴー、と寝ているのであった。
 いや、起こして出かけたけどさ。
 ほったらかして先に出かけてもまたしげにヒス起こさせる原因にしかならないし。

 しげがいろいろ悪戦苦闘したのか、車内の匂い、随分薄くなっている。
 ほんのりシトラスの香りが残っているが、鼻につくほどではない。
 自分たちの車に乗ってみるまでは、たいして意識もしてなかったことだが、ここ数日の車中体験で、世間の車持ちが、自分の車をただの乗り物としてだけでなく、生活環境の一環にしようって気持ちになるのもわかる気がしてきた。
 かと言ってしげみたく「ロドリゲス」なんて名前つける気にはなれんけど。

 乗り込んだ途端、『ブルース・ブラザース2000』のサントラが鳴り出すが、さすがに朝っぱらからだと頭に響いて不快だ。ナビもしなきゃならないのに気が散ってしかたがないので、音を消させる。
 「広くてわかりやすい道行くね〜」
 と言って、しげから地図を手渡される。
 「この道を通って、右折して左折するから、ナビして」
 「わかった。この道を通って、右折して左折だな?」
 で、この道を通って、右折、まではよかったが。
 「あ、そこを左」
 「え? 通れないよ!」
 「……通れないって?……あ、通りすぎちゃってどうするんだよ!」
 「だって、車が向こうから来てたんだもん。次の角を曲がるよ」
 「……まあ、遠回りになるけど仕方ないか……はい、そこ、左」
 「え?! 右じゃないの?!」
 「……さっき、左に曲がり損ねたんだろうがあ!」
 「だから、今度は右に……」
 「右見てみろ! そっちは山ん中だろうが!」
 「山に入れば、さすがに道を間違えたって自分でもわかるし」
 「迷うためにわざわざ間違った道選ぶなあ!」
 ……遅刻せずに職場に辿りつけたのは奇跡のような気がする(ーー;)。 

 送ってもらったことはありがたいのだが、となると当然帰りも迎えに来てもらわなくてはならない。
 「んじゃ、5時20分に来てもらえるかね」
 「いいけど、ちゃんと来る?」
 「いきなリ仕事が入ることがあるからな〜。念のため、待つ間読む本でも持ってきといて」
 で、しげはそのまま買い物へ。迷ったわりには早目に着いたので、仕事に取りかかるのも早い。一週間の始まりとしてはなかなか気分がいい。
 それにしても、ふと気づいたのだが、送り迎えなんて、幼稚園の年少組以来のことなのだ。
 ……おいおい、40年近くも前かよ(+_+)。つい昨日のことみたいに思い出せるってのに、大学紛争華やかなりしころって、もう歴史のかなたじゃねーか。
 昔、いっぺんだけだけど、親が私を迎えに来るの忘れて、幼稚園にずっとほっぽらかされたことがあったんだよなあ。あのとき、ウチの親は、自分たちに子供がいるということ自体、完全に忘れていたのである。
 フツー、あるかよ、そんなこと(ーー;)。
 それ以来、私は親子の縁はプッツリ切れたものと思っているが、親の方じゃそうは思ってないんだろうな。お目出度い話だ。


 まあ、悪い予想というものは当たるもので、残業する予定はなかったのに、会議が長引いて、しげと合流したのが6時20分。ちょうど1時間の遅れだ。
 しげは「私を置いて先に帰ったかと思ったよ」と半べそ。
 悪かったので、今日の晩飯は奢ってやることにする。

 そろそろ最初に入れてもらったガソリンがなくなるということなので、初めてガソリンスタンドに寄る。
 「レギュラーってのを買えばいいんだって」
 そんなこと言われても、私は車の知識は皆無に等しいので、レギュラーとハイオクがどう違うかも知らないのだ。普通、レギュラーの対義語はイレギュラーとかスペシャルとかじゃないのか。
 ともかく、しげは初めてスタンドに寄れて嬉しいらしい。
 若葉マークがついてるおかげか、スタンドのおっちゃんも対応がとても丁寧である。
 「……私が初めてだってことばれたかな?」
 なんだか誤解を招きそうなセリフだったんで一瞬戸惑ったが、本人は気付いてないらしい(^_^;)。
 いや、そんなん若葉マークもついてるんだし、見て一発でバレバレだって。


 車なので、少しは足を伸ばせるかと、普段あまり行かない「庄屋」で食事。
 私は和食の膳ものを頼んでしげはステーキ丼。ステーキが韓国風だったのか随分辛かったみたいで、結局、私のオカズをしげに分けて、半分ほどしげのを食べてやる。
 ゆっくり、落ちついて食べていたかったが、しげはこのあと仕事もあるので、コンビニで飲み物だけ買って帰る。
 実際、こうやって送り迎えしてもらうと、一緒に過ごせる時間がそれだけ多くなるわけで、最近すれ違いの多くなってることを考えると悪くはない。まあ、ちょっと命の心配がなきにしもあらずだけれど。
 そんなことをチラッと口にしたら、しげは「一緒に死ねるからいいね」みたいなことを言った。
 だから、最初から死ぬ覚悟で運転するなよって(-_-;)。
 それとスピード出すとき、「ばびゅーん」って擬音使うのやめろ。マジで怖いから。


 米がうまく炊けなかった理由が判明。
 しげが炊飯器の釜のウラを調べてみて、そこに塩胡椒の袋が挟まっていたのを見つけたのだ。これのせいで釜がちょっと浮いた状態になってたらしい。
 早速しげが米を炊いたのだが味は上々。
 これで、炊飯器を新しく買わずにすんだ。
 ……でも、なんだってそんなところに塩胡椒が挟まってたんだ?

 カレー粉がまだ一箱だけ余っていたので、晩飯はカレー。
 何日前に買ったのか忘れた野菜を、腐る前にさっさと片付けちまおうと、冷蔵庫の奥からイモだの人参だのを引っ張り出す。
 ところが、一番奥の方にしまいこんでおいたせいか、殆ど凍りついていた(ウチの冷蔵庫は調整がムズカシイのだ)。
 まあ、凍ってたんだから、悪くなっちゃいないとは思うが、皮を剥くのにえらいこと時間がかかったのであった。


 マンガ、冬目景『黒鉄 <KUROGANE>』5巻(講談社・530円)。
 4巻から随分間が空いたなあ。連載が断続的なのかな?
 絵柄というか、作画の技術も初期に比べて相当上がっている。
 何より、迅鉄の等身が伸びているのがはっきり判る。……成長してるのか?
 特にストーリー上の大きな展開があるわけでもなく、往年の『木枯し紋次郎』みたいな定型的な股旅物になっちゃってるが、そうなると迅鉄が半人半機械であることの意味合いが、だんだん薄らいでいるキライにあるのが気になる。
 事実、今巻の話で、迅鉄が普通の人間であって困ることなどまるでないのだ。
 『羊のうた』もそうだが、冬目さん、キャラクターや世界観を作るのはうまいのだが、それをストーリー上でうまく動かしきれないところが結構あると思うのである。ただの風来坊に主人公を位置付けるのでなく、何か迅鉄自身の出自に絡むような物語を作っていかないと、この先連載を続けて行くのは苦しくなって行くんじゃないのか。

2000年10月29日(日) まあスクルドがかわいかったからいいか/アニメ『ああっ女神さまっ 劇場版』ほか


2001年10月28日(日) 至福の休日/アニメ『サイボーグ009』第3回『閃光の暗殺者』/『碁娘伝』(諸星大二郎)ほか

オタアミ当日まであと27日! 27日しかないのだ!

 朝、目が覚めるとちょうど7時。
 わあ、やった、今日は『パワーパフガールズ』に間にあったぞ♪
 やはり日曜の朝は『パワパフ』で開けるのが望ましい。

 今日は第43回『バック・トゥ・1959(GET BACK JOJO)』
 タイトル通り、SFアニメには定番のタイムパラドックスもの。
 っつーか、SFアニメだったのか、パワパフ。
 ユートニウム博士が発明したタイムマシーンを使って、過去の博士を消せばガールズも誕生しないと考えたモジョ・ジョジョが、タイムスリップした先は1959年。ってことはユートニウム博士、40歳過ぎてるの!? アニメのキャラクターって、ホントにトシがわかんないねー。このころの博士が、科学に全く興味がなくて、混ぜちゃいけない薬品を混ぜて爆発させたり、といった設定が楽しい。……でもちょっと待って、博士と一緒にいる女の子は、キーン先生?! それはウソだ! いくら何でもウソだ! あの、あの素敵なキーン先生が40代だなんて……!
 これは多分設定のミスなんだろうなあ。1959年ってのが間違いか、でなけりゃ今パワパフのいる時代が実は1980年ごろなのであろう。
 落ちは予想通り、パワパフに助けられた博士が、パワパフを生み出すために科学者になることを決意した、ということなんだけど、そうなると「パワパフは偶然生まれた」っていうOPのナレーションは間違いなのか?
 ま、そんな細かいこと突っ込む必要のないアニメなんだけどさ。

 いつもならこのあと、『ガオ』見たり(感想書いてないけど一応見ちゃいるのだ)、『アギト』見たりするんだが、まだ睡眠が足りないのか(昨日昼寝もしたのに)ぐたっと寝こむ。
 また起きたら、ちょうど9時半、『コメットさん☆』(タイトルに星が付くのだね。ホントは)の時間であった。

 『コメットさん☆』第31回、『マネビトさんがいっぱい』。
 新OP『ミラクルスター』もそろそろ歌えそうだ(だから歌ってどうする)。
 先週、先々週と見逃しているが、パパとケースケはまだ外国に行ったっきりらしい。
 パパがいなくて、ママも風邪で寝込んで……って、今週は病気ネタ多いなあ。
 コメットさんはママの代わりをつとめようとするけれど、ツヨシくんネネちゃんの送り迎えから、食事の支度、お店番、ママの看病と大忙しでもうクタクタ。
 ここでメテオさんの登場!
 コメットさんの代わりに店番、お掃除を始めるけれど、一人じゃとてもできないからと、分身、分身。
 ああ、『ドラえもん』にもこういうネタがあったなあ。
 「アナタ、床掃除なさい」
 「何言ってらっしゃるの? アナタがなさいよ」
 「私は管理者よ、床掃除なんて仕事、どうしてしなければならーないの!?」
 いやー、一杯いてもやっぱりメテオさんはメテオさんだ♪
 「ああ、もう、こんなにいて、ど〜してみんな役立たずなの?!」
 もちろん、このあとムークに突っ込み入れられるのですが、私はメテオさんは全く役立たずだとは思ってないので、突っ込みの内容は書きません。
 まあ、バレバレですが(^^)。
 でもこの大騒動のおかげで、雑貨屋は見物客で大繁盛、メテオさんはコメットさん以上に大活躍したのでありました。と言うわけで、今週のメテオさんもとっても素敵だったのです! 店の受付やってるときのメテオさんの作り笑いが、かわいいけど、マンガ家のSUEZENさんの女の子キャラにそっくりなのがちょっと気になるけど。
 ……もう、この毎週の『コメットさん』の感想、完全に「メテオさんレビュー」になっちゃいました。


 しげが練習にでかけたあと、昼寝を挟みながら(^^)、昨日買ったマンガを片っ端から読む。休日はやっぱりマンガ三昧がいいね。

 マンガ、石ノ森章太郎原作・村枝賢一漫画『仮面ライダーSPIRITS』2巻(講談社・550円)。
 前間に引き続き、今巻は「ライダーマン」「X」「アマゾン」編。
 テレビシリーズの方もここまで来ると話そのものに随分ムリが生じてきていたころだし、今までと同じような調子でリアルには書けないんじゃないかと思ってたけど、さにあらず。
 1号、2号、V3に比べてマイナーな彼らだからこそ、村枝さんがより力を入れて描こうという姿勢が、1巻と同レベルか、それ以上にアツク、劇的な世界を作り上げている。
 特に、ライダーマンの結城丈二、歴代ライダーの中では人間に一番近く、多分一番弱いのだが、テレビではダサク見えたあの顔半分が見えるデザインが、マンガでは逆に表情を与えられて、ライダーのストイシズムの中に潜むパッションを、「静」の上半分と「動」の下半分で、見事に表現している。
 しかもそのことを、あとがきインタビューで、結城丈二を演じた故・山口暁氏の娘さん、山口貴子さんがちゃんと証言してくれているのだ。おう、ライダーマンのスピリッツはちゃんと次世代にまで受け継がれているぞ! 血は水より濃いのだなあ。これはもう、感涙ものである。
 次巻で『ストロンガー』、第一期ライダーシリーズのキャラクターは出揃うわけだが、さてこのシリーズ何巻まで続くものなのか。スケールがどんどん行くなってるから、10巻程度じゃ終わりそうにないのだけれど、何年だって付き合うから、2、30巻くらい行ってほしいなあ。もしかしたら、原作マンガより、旧テレビシリーズよりもアツイ物語になるかもしれないし。


 マンガ、爲我井徹原作・相良直哉漫画『KaNa』4巻(完結/ワニブックス・945円)。
 ……え? これで終わり?
 もう、実にハッキリとした打ち切り。カナと「七つの頭」との争い、全く決着が付かないまま、カナがバビロニアに旅立ってちゃんちゃん、って何なんだよう。
 「バベルの塔」ってのが何なのかも語られずじまいじゃないのさあ。
 原作者のあとがき、全く事情に触れてないんで分らないんだが、掲載誌がつぶれたわけじゃないよな、「COMICガム」。
 人気がないわけじゃないと思うんだけど、ホントにどんな事情があったんだろう、気になるよう。


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』4巻(メディアファクトリー・819円)。
 全12巻予定ってことは、ようやく1/3か。
 それでもリニューアル版で月1冊の刊行だからペースは速い。時間をそう待たずに読めるのは、和田さんの場合は特にありがたい。……だって、話に深みがないから間を置くと中味をさらっと忘れちゃうんだもの。
 いや、これは必ずしも「貶し」ではないぞ。読み捨てられる他愛もないマンガがゴマンとあってこそ、マンガ文化の裾野は広がっていくものだからだ。
 でも、だからと言って折り返しに「SF・ファンタジー・サスペンスなどのジャンルでマンガ界に大きな軌跡を残し続ける、屈指のストーリーテラー」っ書くのはやめようよ。そんな大層なこと思ってるの、和田慎二本人だけだって。


 マンガ、『超少女明日香 式神編』1巻(メディアファクトリー・580円)。
 和田慎二2本立てかい(^_^;)。
 しかも新シリーズは陰陽師の子孫の話と来た。『KaNa』もそうだったけど、いくら何でも最近安倍晴明ネタが多過ぎやしないか。ちょっとマンガ家の発想の貧困さを見る思いがするのである。
 いやもう、感想はそれだけ。


 マンガ、諸星大二郎『碁娘伝(ごじょうでん)』(潮出版社・880円)。
 諸星さん十八番の古代中国ものだが、主人公を「碁を打つ美貌の女殺し屋」という設定にしたことが何よりの勝因。
 ヒロインは言わば中国の「必殺仕事人」で、弱きを助け強きを挫く、情に厚いがひとたび碁石と剣を握れば冷徹な殺し屋と化す。そのキャラクター造型だけでも充分魅力的なのに、衆人環視の碁の試合の中で、いかにしてターゲットを殺すか、その不可能を可能にしていくアイデアも実に見事。
 「お見せしましょう、これが翅鳥剣!」
 うわあ、かっこいい!
 碁の「輜重」と、剣の「翅鳥」がシンクロした瞬間は、思わず背筋に戦慄が走ったよ。マンガ読んでてこういう経験することって滅多にないんだよなあ。いや、堪能させて頂きました(^^*)。
 尋常な完成度じゃないな、と思ってたら、諸星さん、この一冊の単行本を描き上げるのに、16年かけているのである。……馬琴か(・・;)。
 それにしても、最近は囲碁マンガの傑作が多いなあ。
 『ヒカ碁』とこの『碁娘伝』と、竹本健治の『入神』(南雲堂)の三作は、囲碁ファンならずとも必読。ぜひお読みいただきたい。


 しげ、今日はいつもより遅れて帰ってくる。
 今日は練習に見学者の女性も来てたはずだが、「どんな人?」と聞いても「髪が黄色い」としか返事しない。
 いや、そんなことが外見的なコトが聞きたいわけじゃなくて、芝居にどの程度興味があるのかとか、練習に参加してみる気があるのかとか、そういうナカミのことが聞きたいのだ。人との関わり方を知らない人間が、人の心を引きこむ芝居なんてできっこないんだから、もちっと人間を観察する術を身につけていってもらわないと、困るよホント。

 しげから「映画に行く?」と誘われるが、雨が降り出しているのと、昼間寝転がっていたらまた咳が出始めたので、大事を取って中止。
 しげはつまんなそうに「ちぇっ」と舌打ちしているが、病み上がりの夫を気遣うくらいのことはしてくれよ。
 それに映画に行くとどうしても会話が少なくなるぞ。家にいたほうが気軽に喋れるから、文句をつけることじゃないと思うがなあ。


 アニメ、『サイボーグ009』第3回『閃光の暗殺者』。
 前回作画が思いっきりレベルダウンしていたものが、今話ではまあ見られる程度に回復。
 ああ、よかった。何しろ今回は、ついに今までアニメ化されたことがなかった0010初登場の回だからだ(一応劇場版『怪獣戦争』に同モチーフのサイボーグが登場したけど、デザインがまるで違う)。
 加速装置を持った者同士のサイボーグの対決が、ヘタレた作画じゃサマにならないものなあ。
 バンクがやたらと使われてたのは気になるけど、この程度のレベルで持続して行ってくれるなら、文句はない。
 002が先走って0010に挑むエピソードなど、実は原作にはないんだけれど、いかにもそんなことしそうなキャラクターとして描いているので、全く違和感がない。脚本家たちが、キャラクターたちを自家薬籠中のものにしている証拠だ。
 ただちょっと気になるのは、009たちは石森さんの後期の、シリアスなキャラでデザインされてるんだけど、0010は初期のマンガチックなまま。ちょっとそのギャップが……(^_^;)。
 いや、後期のデザインなんてないんだからしかたないけど、もう少し顔に工夫ができなかったのかなあ。声が頼りない声を出させたら天下一品の二又一成さんってのは、所詮は鉄砲玉だった0010の運命を暗示しているようでいいキャスティングだ。
 コズミ博士はデザインも原作のままでいいけれど、声も滝口順平さんと、めっちゃゼイタク。声優さんにも惜しみなく予算かけてるよなあ。
 ……はっ。もしかしたらブラックゴーストの声は納谷悟朗さんになるのでわ!? 

 今晩もしげと買い物に出かけようかと話していたのに、9時にはしげは完全に熟睡してしまった。なんだ、しげも疲れてたんじゃないか。映画には出かけないで正解だったな。
 結局、どこにも出かけないまま私も寝る。ああ、でもゼイタクかもしれないけど、あと一日、休みがほしいなあ。

2000年10月28日(土) AIQってボランティアだったのね/CGアニメ『バグズ・ライフ』


2001年10月27日(土) どこまで行くのかな、クラリス……天神まで行きました(-_-;)/DVD『STACY』ほか

オタアミ当日まであと28日! 28日しかないのだ!

 先週は法事だったし、先々週は休日出勤だったし、残業は多いし、ようやく休みが来たなあ、という感じの連休。
 ともかく更新の遅れてる日記をメモに基づいて、やっさ(←博多弁)書いてるわけだけれど、一日二日経つともう記憶が曖昧で、特にメシに何を食ったかというのはきれいサッパリ忘れている。
 これを書いてるのは日曜の夜なのだが、昨日の今日だぞ、いくらボケるにしても早過ぎやしないかと、一生懸命、脳を攪拌して、そうだそうだ、昨日はロールキャベツを作ったんだったとやっと思い出した。
 最近、炊飯器の調子が悪くて、磨ぎがあまく、3合以上炊くと、苦くて食えなくなっちまうのだ。
 そのことはしげにもちゃんと言っといたのに、私に輪をかけて記憶力がない(多分こいつの脳に海馬はなくて、海牛か海豚か海ミドリムシか海コノドントがあるのだ)しげが4合も炊いたものだから、くさいメシが釜一杯にあふれてしまっている。
 これをどう処理したらいいものやらと、ともかく「おじや」にでもするしかないと、とんこつとコンソメスープをベースにポン酢で味を整えて、ロールキャベツを茹でてメシにぶっ掛けて食ったわけである。
 あ、意外と美味い(^^*)。
 なのにしげは一口も食べようともしない。
 自分の失敗のあと始末もできないんだから、心底、性根が腐っているのである。
 

 最近、買うばかりで全然見れていないDVDを、少しでも消化しようと、待望の(^^)『STACY』を見る。
 原作のオーケン、特別出演した上にメイキング映像でコメントしてるが、これが大笑い。
 「まあ、十年くらいあとでカルト映画として評価してもらえたら嬉しいかな」
 絶対ヒットしないってちゃんとわかってるじゃないの(^^)。
 ううむ、しかしこれだけどう評価したらいいか迷っちゃう映画もないなあ。それは別に加藤夏季が出ているから貶したくないというばかりではなく(^_^;)、完成度とか、全体的にはクソ映画と言ったっていいのだけれど、捨て難いところが結構あるんだよねえ。
 ステーシーのメイクや撮り方がチープだとか、いらない登場人物が多過ぎて整理されてないとか、筒井康隆と内田春菊の演技の下手さ加減はなんなんだとか、それは突っ込んでいいものなのやら。
 15歳から17歳の少女たちが突然ゾンビ(ステーシー)化していくのはなぜか、なんて理由を描写したって仕方がないということはわかる。それはただの象徴に過ぎないから。これは「美少女アニメ」だの「特撮」だの、その年頃の少女たちに幻想を抱き、救いを求めなければ心が癒されないでいる哀れなオタクたちへの痛烈な皮肉であるし、愛でもあるのだ。
 まあ、わかりやすく言えばステーシーたちは巨大アヤナミなわけですよ。包まれたいし食われたいと言う(^^)。実際、累々と横たわる死体の中に少女が白く浮かび上がるっていう劇場版『エヴァ』みたいなシーンもちゃんとあるし。
 でもだからこそ、この映画はもっとリリカルに描けたはずだと思うのだ。別にスプラッタ描写を抑えろと言いたいのではない。ゲチョゲチョ、グログロ、ヌトヌトだってそれを美しく感じさせる演出ってのはあるのだ。と言うか、そのグッチョングッチョンを美しく見せられないで何が映画か。映画の才能が監督にない、それが一番の問題点だ。
 だいたい、これはハイビジョンには向かない題材だよ。
 なぜフィルムで撮らなかったんだよ。これは絶対に「なつかしい」映画にしなければならないと言うのに(かと言って大林宣彦に撮らせると『いつか見たドラキュラ』になっちゃうけどな)。
 尾美としのりや蛍雪次朗が随所でいい演技してるだけに、もっと面白い映画にできたはずだと、もったいなくてもったいなくて。
 何より、腹が立つのは、主演、加藤夏季ぃぃぃぃ?
 ゲストやん!
 登場シーン、多分筒井康隆より少ないぞ!
 それは加藤夏季がこの物語を影で牽引する「天使」みたいな役だからしようがないとして、カメラ、もっとカットを割らんかい! 漫然と撮るだけじゃこの少女の神秘性は描けないぞ!
 この少女には現実感を感じさせてはならんのだ。
 超ロングか、アップか、どちらか一方、中途半端な撮り方をしちゃいけない。「よく見せない」ことで、そのイミを観客に感じさせねばならないのだ。
 つまり『ゴジラ(1954年版)』のように加藤夏季を撮らねばならないのだ!
 これだから中途半端な特撮オタクに映画撮らせるとよう。
 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T)


 昼は疲れ切っていたのが夜近くまでぐっすり昼寝。
 カラダは休まったが、何もしないで一日が過ぎるというのももったいないので、買い損ねているマンガを買いに、車でキャナルシティの福家書店へ。
 文庫も含めて十冊ほど買いこんで、ウェンディーズで晩メシ。
 ここまでは何の問題もなかった。
 行きのしげの運転も順調だったし。

 「初心者」の恐怖を私が味わうのはこれからである。

 自宅からキャナルまでは、車ならおそらく二十分ほどの距離である。自転車でだって、30分で余裕で着く。
 キャナルを出たのが6時30分。まあ、7時にはウチに帰りつくであろうと考えるのが自然なところだ。
 誤算の一つは、車だと、キャナルから道に出ること自体、時間がかかるということだった。5、6、7、8階の駐車場の車が、一斉に1ヶ所の出口から出ようってんだから、これは時間がかかる。ようやく道に出たのは7時10分前。……20分もかかるかよ。
 私は夜だと全く夜目が利かないので、助手席に座っていてもナビはできない。
 「一方通行とか、そういう標識全然わかんないから、どっちに曲がればいいか、地図で確認しといてくれよ」
 「うん、わかった」
 しげは、地図を見て確認して、堂々と言った。
 「道に出たら左へ曲がるよ」
 ……このとき、私は不安を感じるべきだった。
 行きは右の方からこの駐車場に入ってきたのだ。ならば右に戻るのがスジと言うものである。しかし、地図で確かめてまで間違いをしでかすとは普通、思えない。
 「いったん左に行って右に曲がるから」というしげのセリフを素直に私は信じてしまったのだ。相手はしげだと言うのに。
 予定通り左に曲がって、中洲の手前まで出て、しげが言った。
 「あれ? 右に曲がれない」
 道路の上の矢印が右を向いていない。このまま進めば、天神に向かうことになる。
 「しょうがない、いったん天神まで出よう」
 「ちょっと待て、なぜ天神まで出なきゃならん? 中洲の中を通って逆戻りすればいいじゃん」
 「でも中刷って一方通行多いから道わかんないし。まっすぐ行って左に曲がるよ」
 わかんないも何も、目の前を車が中洲に何台も入って行ってるのだ。それが見えないのか。
 そう言ってもハンドル握ってるのはしげだし、どうにもできる状況ではない。そのまましげは直進しようとするが、あっと言う間に渋滞に巻き込まれる。こうなると右へも左へも行けない。
 「おまえ、左に曲がりたいって言っときながら、どうして左車線に行かないんだよ。これじゃもう、信号のところで中洲の方に向かうしかないだろ」
 「……わかった、あんたの言うことを信用しよう」
 「信用しようって、いつも自転車で通ってるときに車がどう動いてるか見てるだろ!?」
 結局中洲を通りすぎ、明治通まで出て、さらに大博通りまで戻って、ようやく博多駅の方へ向かった。
 この間、30分。最初右に曲がってりゃ1分の距離をこれだけかけやがった。さすがは若葉マーク。っつーか、しげ以外の誰にこんなバカなマネができよう。
 「だって、この道行けばいいのかなって思ってるときには通りすぎてるんだもん」
 教習所、なんでこんなやつに免許取らせた。何か間違ってないか。
 帰宅は結局8時。20分の距離に一時間半か。やっぱりこれはしょっちゅう練習させないと危なっかしくってしかたがない。
 ……結局、また私の仕事が一つ増えたってことなのかよう(T∇T)。
 私の心労をヨソに、くそしげは言うのであった。
 「今日は天神まで行けたね♪」


 夜中にどこぞの民放で『マネーの虎』というのをやっている。
 お金持ちの社長に、一般視聴者が応募して、事業のための出資をしてもらおう、という番組らしい。
 なんかSMの女王様とかいうのが、「女性のための焼き鳥屋を開きたいから、3500万円くれ」とか言っている。
 「今、SMの店やってるんでェ、月200万ほど金が入るんだけどォ、すぐ店を開きたいからァ、3500万円出してほしくってェ」
 私はSMびとに偏見はないが、こういうバカは捻って潰したくなるので、居並ぶ社長さんたち、出資したりするんだろうかと見ていたら、案の定、誰一人お金を出さなかった。
 だいたい、なんでSMから焼き鳥屋なんだか、言ってることがわかんねーよ。この番組、表向きは「何かをしようとする人たちのために援助を」とか言ってるが、その実はマトモに努力して働かずに出資金出してもらおうとするバカを晒し者にして笑うための番組なのだろうな。

2000年10月27日(金) 頼むから一日12時間も寝るのは止めて/映画『少年』ほか


2001年10月26日(金) それは愛ゆえの殺人か/『孤島の姫君』(今市子)ほか



オタアミ当日まであと29日! 29日しかないのだ!

 今朝読んだ新聞に、ヒキコモリ息子の家庭内暴力を苦にした父親が、息子を刺し殺して自殺した事件がコラムになって載っていた。
 記事の見出しには「改訂版の出版空しく」とか書いてあったので、何のことやら、と思って読んだら、この父親、数年前に息子との葛藤を手記にして自費出版していたのである。
 で、「改訂版」というのは、「息子との仲もようやく落ち着いて解決を見た」という内容で締めくくられる予定だったらしい。
 しかしご近所の話によれば、ほんの一週間前にもそこの家から罵り合う声が聞こえていたそうで、何のこたあない、不仲の火種はしっかり残っていたってオチである。

 しかし、この記事どこかで読んだことがあるな、いや、今朝の新聞を今朝以前に読んでいるはずはないから、これってデジャブ? とか思っていたのだが、この事件、エロの冒険者さんのご近所で起こった事件だったのである。私はエロさんの日記で既にこの事件のことを知っていたのであった。

 この息子が引きこもるようになったのは、新聞によると、アトピー性皮膚炎で肌が荒れていたのを学校でからかわれ苛められたのがきっかけだということだ。
 不登校に陥った息子は、そんなカラダに生んだ親を恨み、暴力をふるい始めたのだそうな。……それが本当なら、全く甘えたバカガキだとしか言いようがない。ただの不運を親のせいにしてどうする。
 新聞記事は疑ってかかれってのが私の基本姿勢だが、この件も、私の勝手な想像ではあるが、ちょっと様相が違ってるんじゃないかって気がする。基本線は同じであっても、微妙にディテールが違ってるんじゃなかろうか。
 何が言いたいかっていうと、「苛めで不登校になった」ってことで親を恨むってのがどうもピンと来ないのだ。暴力行為の動機としては、ちょっと説得力に欠けている。
 思うに、そこまで親が憎くなるってのはやはり「男の本能に根ざした恨み」なのではないだろうか?
 つまり、「女がらみ」。

 気弱な息子が思いきって彼女に告白する。
 「あ、あの、ボ、ボクと付き合ってくれませんか?」
 「エー? マジ? ホントマジ? ヤッダー、シンジランナーイ! チョーマジ、ムカツクー! なんでェ、アタシがァ、アンタみたいな○○くて○○いヤツとつきあわないといけないワケー? ウッソォ、ヤダモー、ヤメテヨォ、ジョーダン? ベンジョにその○○いカオつっこんで死ねよ、バーカ!」
 ……ああ、なんてリアリティのあるセリフだ……(T_T)。

 いや、それはそれとして、ここまで言われたんなら、不登校になって、親を恨んで暴力ふるったってのも理解できるぞ、男として。きっといたのだ、そんな女が。絶対、そうに違いないぞ。
 でも、どっちかと言えば、そのカタカナ語しか喋れないクサレバカ女を即座に打ち殺してくれたほうが世のため人のためだったように思う。親の方も、息子がグレたのは自分が親として至らなかったせいだ、とか自分を責めたりせずに、「お前がそんなになったのは女のせいなんだろ? 女にバカにされたんだろ? そうなんだね? よし、わかった。その女が誰か教えなさい。お父さんがぶち殺して切り刻んで、ブタのエサにしてくれる」とか言ってやればよかったんだ。

 以上は私の勝手な妄想だが(本気にするなよな)、親が、「子供のために本気になって戦ってはくれなかった」ってのは、間違ってはいないように思う。
 穂積隆信の『積木くずし』の場合もそうだったが、それまでいかに親子関係を修復していても、手記なんてものを出版した途端、子供は、「オレは、親の飯のタネに利用されたんだ!」と思ってしまうものだ。
 親は、そこまで、子供の気持ちを忖度した上で、手記を書いていたのだろうか。どうもそんな感じじゃないような気がする。
 手記をものにした時点で、親は子供から逃げていたのだろう。
 子供だって、そんな欺瞞にはすぐ気がつく。暴力行為がエスカレートしていたとしても、それは結局、本人たちのせいではなかったのか。
 子供は暴力を振るっていたというが、それは家庭内だけに留まり、外部への犯罪的行為にまでは至っていなかったようである。だとすればやはり今回の殺人は、自分がこれ以上苦しみたくないという、親の、自己本意な行為に過ぎない可能性が高い。
 新聞はなんだかステロタイプな親子の悲劇みたいな感じの論調でコラムを締めくくってたが、バカ息子をバカ親が殺したってだけで、琴線に引っかかってくるような話じゃないと思うんだがなあ。なんでこう、大したこともない事件を無理やり悲劇に仕立て上げなきゃならんのか。

 ちょっと思い出したことがある。
 ウチの母親は、私が子供のころしょっちゅうこう言ってた。
 「アンタが何か悪いことをしたら、私もアンタを殺して死ぬよ」。
 今、思い返せば、実際にそんな状況になったとして、本当に母が私を殺したかどうかは判らない。
 ただ、母親が「本気だ」というコトは子供の私にもビンビン伝わってきた。
 法律で裁かれるかどうかってことの前に、私ゃ悪いことしたら自分の親に殺される、そう刷り込まれて育ってきたのだ。
 別に、これは異常なことでもなんでもない、昔の親なんて、みんなこんなもんだったのである。ガキ躾るにしても、もうちっと、やり方考えろよ、と文句言いたくはあるが。
 そこまで極端なことを言わない家だって、親の「権威」には中身があった。いやね、別に「昔に返れ」って言いたいわけじゃないよ、バカはすぐそう言いたがるけれども。
 世間が勘違いしてるのは、その「権威」ってのが、「暴力」とか「家父長制」とかいう、封建主義に根ざしたものじゃなくって、単に「親が子供を育てる覚悟をしていた」だけだってことに気付いてないことだ。
 「躾」ってのは「カタチ」なんかじゃない。スパルタがいいか放任がいいかなんて問題ではないのだ。
 親と子の心の絆をどう作るかってことを考えりゃいいだけなんだが、その覚悟もないのにぽこぽこガキ作ってっから、殺伐とした事件だって起こるんである。極端な話、親が親のすること、子が子のすることをお互いに納得してりゃ、顔を合わせなくても会話を交わさなくても何の問題も起きないのである。
 なんだか私にゃ、事件が起きる家庭ってのが、「あえて事件を起こす火ダネを作りまくってる」ように見えてしかたがないんだがねえ。

 
 風邪を引いてからほぼ十日、ようやく咳も収まってきて小康状態が続くようになった。
 まだ、ちょっと空気の流れが悪くなるとげほげほと止まらなくなることもあるが、なんとか持つようになった。ここまで来れば再発の心配もなかろう。
 しかし、今回の風邪も長かったなあ。

 お仕事はまたしても残業。
 それでも早めに片付けとかないといけない仕事をちゃっちゃと終わらせて帰宅。まだ6時だと言うのに、日が落ちてあたりはもう濃い藍色。まだ風はそう冷たくないのに、もう冬なんだなあ。
 今日は久しぶりに『クレヨンしんちゃん』に間にあったので、じっくり見る。季節の変わり目なせいか、2本とも病気ネタ。
 『園長先生が心配だゾ/熱出し母ちゃんだゾ』。
 一本目は、オー・ヘンリーの『最後の一葉』のパロディ。病気で寝ている園長先生が、庭木を見ながら呟いた「あの葉が散ったころには私はもう……」というセリフを聞きつけたマサオくん、早速みんなにご注進する。
 マサオくんはいつも「てえへんだ!」って問題を持ちこんでくるガラッ八の役目を引きうけてるが、こういう5人組のコントの役割がちゃんと決まっているところ、『しんちゃん』が正統派コメディの系譜の上にあることの明確な証拠なのだ。
 その話を聞いて、カザマくんがみんなに『最後』のスジを話してあげるのだが(いつも思うことだが、カザマくん、幼稚園児のくせに知識ありすぎ)、ネネちゃんが「それってホラーね!」と、意味を読み替えていくギャグが秀逸。
 おとぎばなしの読み替えギャグは多いけど、オー・ヘンリーってのは眼の付け所がいい。オチはまあ、別に園長先生は死ぬこともなく(当たり前だ)、その「一葉」の庭木は、しんちゃんたちがハッパが散らないように塗りたくったノリに、風で飛んできた新聞紙やらゴミがくっついて、エライことになっているのであった。
 2本目は、原作にもあった病気のかあちゃんのお手伝いを、しんちゃんがすればするほど仕事が増えちゃう話だけれど、ラストはやっぱり家族の絆でオチがつく。テレビシリーズのしんちゃんは、スジの型が概ね決まってるので、小出しのギャグをどれだけ詰めこめるかで評価が分かれる。
 後半は、しんちゃんがワザとカニ缶を開けて食べようとするギャグがあるけれど、ちょっと笑いにつながるギャグが少なかった。
 しんちゃんをリスペクトしたホームページ、ファンページは多いけど、ギャグ中心ってのは少ない。ドリフのコントなんかもそうだけど、「面白かった」って評判は残るけど、ギャグ自体は消え去ってしまうことが多いのだ。そのへんをフォローするファンサイトがあってもいいと思うんだがなあ。


 しげに頼んで、近所のベスト電器まで車でビデオテープを買いに行く。
 今日も私が「車に乗ろうか」と言い出したので、しげはビックラこいているが、だから練習させないと不安なんだってば。
 新車ってわけでもないのに、車の中の匂いが相当キツイらしく、しげは大掃除をしたらしいが、乗ってみるとやっぱりどこか皮の匂いが充満していてクサイ。
 福○空港周辺とか、どこぞの山道の途中で停まってる車の中じゃあ、若いカップルがいろいろ楽しいことをしているらしいが、みんなこんなクサくて暑苦しいところでよくヤレるよなあ。


 DVD『第三舞台 1981〜2001』見る。
 先日の『ファントム・ペイン』公演の時に記念パンフとセットで売られてたDVDだったけれど、最初の5年くらいは音声テープは残っていても、映像はない。でもやっぱり学生のギャグで間の取り方がまるでシロウト。
 なのに「ウケてしまった」というのが、第三舞台の悲劇だったんじゃないかなあ。
 下手な解説を入れずに、公演ビデオのみで構成したのは見識のつもりかもしれないが、芝居の内用すら分らないので、結局第三舞台に詳しい人でないと意味不明な箇所があまりに多過ぎる。
 ブツ切り名シーンのみだが、DVDの容量を考えたら、もうちょっと長めに収録できたのではないか。


 マンガ、今市子『孤島の姫君』(朝日ソノラマ・800円)。
 「目に見えるものが真実であるとは限らない」、それが今さんのマンガのキーワードだろう。
 人間であるように見えたものが幽霊であったり、幽霊自身が幽霊であることに気がつかなかったり。某クソ洋画が大仰に宣伝していた「意外な結末」なんて、今さんのマンガには腐るほど出て来てたし、これは昔ながらの「怪談」の語りの定番でもある。
 事実、マンガ家の中でも、今さんは、怪談の語り部(ストーリーテラー)として屈指の実力を持ってると思うのだが、なんだか今一つマイナーって気がするんだよなあ。……誰かドラマ化しないか。
 これは『百鬼夜行抄』以外の短編を集めた作品集だが、現代ものでもファンタジーでもミステリーでもコメディでも、そういう「我々の感覚のあやふやさ」をモチーフとしている点は変わりがない。
 作品を全部紹介するのは字数の制限もあってできないが、一番気に入ったのは、8ページと短いけれど、『遺影がない!』。
 アパートの不審火で死んだ従妹の夫の通夜にやってきたヒロイン、彼女は実はその夫のかつての恋人だった。火事のせいで、遺影に出来る写真が一枚もなくなっているので、遺族は東奔西走して死者の生前の写真を探すのだが、ヒロインはなんとかして自分とのかつての関係が知られないように、写真を隠そうとする……。
 コメディーミステリーとしてはその意外な結末も含めて、わずか8ページでこれだけの内容を凝縮しきった才能は大々的に称賛したい。
 あとの作品は、『赤い袖』『沈黙』『真夜中の食卓』『孤島の姫君』『文鳥マンガ・美しき獣たち』の5本。
 ああ、実録「文鳥もの」も今さんのマンガの魅力であります。あのトリの点目がねー。ちょっと吾妻ひでおの不気味くんを思い出させてねー、ヨイのですよ(^^)。

2000年10月26日(木) さすがに櫃まぶしは英語字幕になかった/映画『ラヂオの時間』ほか


2001年10月25日(木) わが名はロドリゲス/映画『眠狂四郎人肌蜘蛛』『旗本退屈男 江戸城罷り通る』ほか

 オタアミ当日まであと30日! 30日しかないのだ!

 ついにオタアミ当日までヒト月を切ってしまった。
 AIQのほかのみなさんも販促、下準備にお忙しいことと思うが、私は全然忙しくならないので困っているのである。
 チラシはあらかた配り終わっちゃったので、あとは知り合いのツテとかで個別にあたって販促していくしかないのだが、どうも世間ではオタクアミーゴスの真の面白さをまだまだ理解していらっしゃらない向きが多いようだ。
 ある意味「地下活動」のようなものだから、そりゃその面白さがあまり広く伝わっちゃ困るという面もないではないのだが、もう少し「ヒミツを共有する」楽しみを味わいたい、というヒトは現れないものか。
 「キレイなものだけ見ていたい」「キタナいものは見たくない」、もしかして、世の中はそんなヒトたちばかりになってしまったのだろうか?
 思春期の自意識過剰のオトメチックな少女ならばともかくも、まずマットウなオトナならば、世の中にはウラもオモテもあるということを知っていよう。オモテに現れた固定化した視点、常識的な観点、既成概念からは見えないものを探り出し、笑い飛ばすのが「オタクアミーゴス!」の神髄なのだ。だからその俎上に並べられるのは必ずしもアニメ、特撮などのオタクな物件ばかりではない。世の中に「こんなモノがあったのか!」という珍奇なものが一杯だ。
 例として、、去年の「オタアミ九州」で披露されたネタをいくつかあげてみよう。
 
 韓国のヒーローもの、『ファイティングマン』。
 普通、ヒーローというものは洋の東西を問わずカッコイイおにいさんであるとか、健気な美少女であるとか、ともかく子供の憧れの人物であるのが相場というものだが、この主人公はなんと「知○○れ」のオヤジである。
 いいのか、おい(・・;)。
 ……悪の組織に狙われてんのに、ガキと食いもんの取り合いとかしてんなよ。あ、○○だから仕方ないのか。
 変身ポーズやたら長くて1分を越そうってのも、多分、○が不自由なので神経の伝達速度が遅くなってて時間がかかっているのだ。
 ……こんなもん、当然、公共のメディアで流せるようなもんじゃございません。『オタアミ』以外のどこで見れましょう。

 更には女性のみなさんにはとっても大ウケののHネタ集。
 某Hビデオの巻末に収録された通販コーナー、商品名は控えますが、まあ、淋しい男のヒトで、ダ○○○イ○を買うほどのオカネに余裕がない方向けに大安売りの簡易携帯型の……。
 いや、これを男性モデルさんに実演させてるんだわ。
 何が笑えるって、これを手伝わされてる女性のアシスタントさんの表情と態度(^^)。初めこそねー、○○○とか、○○○とか、○○○とかゆ〜、日常会話ではとても使いにくい単語を事務的に喋ってたんだけど、イザ実演となると実際に目の前にアレがあってナニしてナニしてるんだから、これはイヤだわなあ。
 ああ、これは明らかにセクハラ。けど、当然こんなビデオ、オタアミで見なけりゃ女性の方は一生、目になどできませんよ。
 え? そんなイヤらしいもの見たくない?
 ナニを仰いますやらウサギさん!
 自分にウソをついてはいけない!
 「見たくない」は好きのうち、ホントはココロの底でアナタは「見たい!」と思ってるに違いないのだ!
 男は常にエッチでスケベでインランで、女はあくまで淑女なんて前近代的な固定観念の中に自分のマコトの心、ホンノーとボンノーを埋没させていてもいいものだろうか?!
 外面似菩薩内心如夜叉、ホントは私は○○○がダイスキッてレディーのみなさんはきっといるはずだ!
 さあ、勇気を出してウルトラタッチ!(何が言いたい)

 ちなみにウチの劇団メンバー中、最も淑女と言われたよしひと嬢は『三本足マン』(←なんでしょね)に狂喜しておりました。

 更に更に、こういうものはご存知でしょうか、あまり大きな声では言えないがのMADテープ集。
 『サザエさんの特撮名所&風俗街めぐり』、いやあ、サザエさんがナカスやススキノを案内してくれるって、それで嬉しいか、おい。
 そう言えば、あれだけ著作権のガードが固かったサザエさん、長谷川町子の故郷の佐賀ではキャラクターを使っての宣伝が解禁になったそうである。サザエさんのOPに佐賀が出ることが多いのはそのせい。
 『映像:はれときどきぶた/音楽:エヴァンゲリオン』、『はれぶた』はみなさんご存知ですね? いやあ、『エヴァ』のメロディーにノって繰り広げられるノリヤスとはれぶたの愛と友情、ロボット戦(そんなんがあったのか)は必見。
 『映像・インデペンデンスデイ/音楽・マッハバロン』『映像・スターシップトゥルパーズ/音楽・哀戦士』。
 どっちも燃えます。死に〜行く男たちは死に〜行く男たちは死に〜行く男たちは死に〜行く男たちは死に〜行く男たちは死に〜行く男たちは死に〜行く男たちは死に〜行く男たちは、みんな死んで行きます(^^)。

 あとは、すべて女装した男ばかりで演じる実写版『カードキャプターさくら』とか、アマプロの作ったチープな怪獣映画『ワニゴン対ガマゴン』(昔バチもんでホントに売られていた)、そして最近CSでも再放送され始めた、梶原一騎・吉田竜夫原作の今となっては珍品と言うしかないTVドラマ『チャンピオン太』などなど。
 いやもう、とてもとても全部は紹介しきれません。
 日頃とても目にできない物件の数々、一度ご覧になれば、きっとアナタの世界が広がります。おトモダチも(多分)増えます。
 さあ、買おう! チケットを!


 職場でどういうわけかいきなり「性格テスト」が行われた。
 別に上司がそのテスト結果を集約するわけではないので、たいした意図があるわけじゃないんだろうが、イマドキこんなもん、への役にも立たんということ、常識だと思ってたんだがなあ。
 なにしろ、私がこの手のものをやると、たいていが「完全な常識人」という結果が出てしまうのである。
 どれだけアテにならないか、わかろうというものではないか。


 帰宅すると、しげがまたウチにいない。
 携帯に電話してみると、鈴邑君のナビで、買ったばかりの車を試運転中だそうである。
 晩飯にコンビニでおでんを買って来てやったんだが、帰ってくるまで待ってても冷えるばかりだし(しげは「温めなおし」をえらく嫌うのだ)、ほかにもおかずになるものは買ってあるので、一人でさっさと食う。
 冬どきはおでんの種類も増えていて、定番の卵や厚揚げや牛スジに加えて、ブタの軟骨なんかも茹でられてるが、こんなんをおでんの具に食ってるの、九州だけじゃなかろうか。こういう「おでんの具」の地方差を調べたりするのも面白そうだ。

 しげ宛てにハガキが来てる、珍しいなあ、と思ったら、シティボーイズの『ラ・ハッスルきのこショー』DVD発売の宣伝ハガキだった。
 もちろんとうの昔に予約はしてるのだが、下に小さく「『ラ・ハッスルチエコショー』は収録されておりません」の文字が。
 ああ、やっぱりテレビ放送だけでなく、販売もアウトなのか。
 確かに高村光太郎の遺族が見たら激怒する内容かも知れないが、いやしくも作家とか芸人とか名乗るヒトたちは、自分のイメージが万人にどのような形で受け入れられようと、それを甘受する覚悟をせねばならない立場にあるものなのである。その遺族なんだから、これくらいのギャグ、笑って許してやるだけの広いココロがほしいんだけど、それを期待して販売するわけにもいかない、というのがDVD制作元の意向でもあるんだろう。
 それにハラを立ててくるのは必ずしも高村光太郎の子孫だけとは限らないし。ホントはそっちのほうがよっぽど厄介で、差別的なやつらだと思うんだけどねえ。
 でも、応募者にだけ「チエコショー」のミニDVDの特別販売、とか、そういうプレゼントをつけてほしいなあ。なんたってアレは、シティボーイズのギャグの中でも最高の、いや、今世紀最高のギャグの一つなんだから。


 WOWOWアニメ、『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第4話「いやだよ、サヨナラ…」。
 先週見そこなっていたけど、またぞろ守護天使が増える展開は変わらず。
 でもキツネまで飼ってたなんて、悟朗ってどんな環境に育ってたんだ。
 今回その悟朗はずっと発熱しっぱなしで、出番がない。
 守護天使たちは右往左往しながら悟朗を看病するが、やはりケンカしたりしてかえって悟朗の具合を悪くしてしまう。
 そのとき、突然、携帯が妖しく光りだす。「また、守護天使……? いいえ、違うわ! これは……!」
 天使たちの顔が青ざめていく……。
 さすがにこのへんで趣向を変えないと飽きられると思ったんだろうけど、だいたい12人もキャラを出しておいて、その描き分けが、性格的にもデザイン的にもできてないことのほうが問題なのだ。
 監督の越智一裕さん、『うる星やつら』でデビューしてるんだよなあ。やたら女の子キャラが出てくる話は経験済みだろうに、なんでこんないい加減な作りになっちゃってるのかなあ。


 CSチャンネルNECO『眠狂四郎人肌蜘蛛』(1968・大映京都/カラー81分)。
 市川雷蔵の『眠狂四郎』シリーズで、唯一見てなかったのがこの作品。
 シリーズ中最も猟奇性の高い作品として、ウワサには聞いていたので、もう見たくて見たくてたまらなかったのだが、二十年来の夢が一つ、やっと果たせた。
 なんたって、以前WOWOWで狂四郎シリーズが放送された時も、この作品だけは「放送に耐えない」ということでラインナップからはずされてしまっていたんだからね。
 えらいぞチャンネルNECO。
 いや、しかし見てみてなんちゅーかねえ、ハマりましたよ、私は。
 それまでの私の狂四郎シリーズベストワンだった第2作『勝負』を抜きました。
 殺陣自体は、もうこれが雷蔵の死の前年の作ということで、お世辞にも元気があるとは言いがたい。けれど、全編に漂う虚無の匂い、これはもう、シリーズ中郡を抜いていたのだ。

 狂四郎が気まぐれから母の墓参に立ち寄った甲府の村。
 この辺りでは将軍家斉の妾腹で、世間的には「死んだ者」とされていた双子の兄妹、土門家武と紫が暴虐の限りを尽くしていた。
 刑場で村人を矢で射殺して遊ぶ兄、家武(川津祐介)。
 村男を色欲の餌食にした挙げ句に惨殺する妹、紫(緑魔子)。
 二人はまた兄妹でありながら、道ならぬ関係にもあった。

 自分と同じ境遇の黒ミサの子、薬師寺兵吾(寺田農)の身代わりに、彼らの居城、「鬼館」に出向いた狂四郎は、色仕掛けで迫る紫を鼻であしらい、いつものように恥をかかせて退散する。
 怒り狂う紫と、その狂態にかえって狂四郎への愛を感じ取った兄、家武は、ともに狂四郎の命を狙い始める。
 南蛮渡来の秘薬を仕込んだ家武の毒矢が狂四郎の身を襲い、狂四郎は空を見上げ呟く。
 「これが俺の見る最後の空の色か……!」

 「紫」って、やっぱり「紫式部」から取った名前かなあ。
 伝説では色欲道に落ちたって言われてるし。『源氏物語』書いただけでそこまで言われるのは受難としか言いようがないが、眠狂四郎シリーズ中、この紫が屈指のインラン女であることは間違いない(^_^;)。
 いやホント、いとも軽々と久保菜穂子を越えちゃってます。
 「お兄様に狂四郎は殺せませぬ。アレは私のもの……」
 実質、今回の話は狂四郎、家武、紫の三つ巴なのな。強力なライバル剣豪というのが登場しない代わりに、狂四郎を狙う執念の深さ妖しさは見ていて寒気が走るほど。松田優作のテレビ『探偵物語』「聖女が街にやってきた!」では清廉なシスターを演じた緑魔子、胸こそ晒さないものの、まさしく蜘蛛のように狂四郎を絡めとろうとする。
 「そなたは、私に似ているとは思わぬか?」
 「似ているから、むかつく」 
 紫を攫った廃屋の中、女間者が十字架にかけられ殺されているその下で、狂四郎は自分が生まれたきっかけとなった黒ミサを再現するかのように紫を犯す。
 しかし果たして、犯したのは本当に狂四郎の方だったのか。

 邪恋もまた、紛れもなく「恋」である。
 というか、私は世間がなんの考えもなく口にする「純愛」なんてものに実態があるなんて思っちゃいない。恋をいちいち峻別することになんの意味があるというのか。
 家武の妹への執着も、紫の狂四郎への復讐心もまさしく恋だ。誰の心にも闇があるのなら、頽廃に美しさを見出せずして、なんで人を愛せよう。誰一人として報われることのないこの物語は、それゆえにとんでもなく美しいのだ。

 ああ、やっぱり劇場で見たいぞこの映画。どっかの映画館、オールナイトで眠狂四郎シリーズかけてくれえ!

 
 CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』MISSION 003「醜悪なる遺物は漆黒 の闇と共に」。
 しげが数日前から「次の『ナジカ』はまだ?」とうるさかったのだが、二人で今日も堪能させて頂きました(^^)。
 相変わらずのパンチラなんだけれど、前2話に比べるとやや控えめ。
 苦情でもあったかな?
 でもその分、今回はギャグがよく効いている。
 「人間」的な行動を練習中のリラ、いろんな「笑い」の表情を作るのだが、TPOがまだよくわかっていない。
 財閥のお嬢様に扮しているのに、つい、「不敵な笑い」を浮かべてしまったりするんだよねえ。
 こんな感じかな。 → (`∀´)フフフフフ。
 ……いいキャラクターを作ったものだ(^_^;)。
 話の方は、機能停止しているはずのレーザー衛星が突如再起動して太平洋の軍事基地を消滅させた事件の真相に七虹香とリラが迫るもの。
 黒幕の大富豪の美青年、トッドが「アンティーク飛行機の収集狂」って設定は、まるで『ルパン三世/死の翼アルバトロス』だ。
 ……西島監督、まだ宮崎駿に恨み持ってるかな?(^^)
 トッドの声は『機動戦艦ナデシコ』のウリバタケ・セイヤの飛田展男さん。いや、濃いキャスティングだ。


 CS時代劇チャンネル『旗本退屈男 江戸城罷り通る』(1952・松竹京都/モノクロ・94分)。
 戦後の市川右太衛門による旗本退屈男・早乙女主水介(ホントは主水之介だけどこの映画だけこのように表記)シリーズ、てっきり東映の専属かと思っていたら、一本だけ松竹で撮ったのがあったんだねえ。
 そのため、キャスティングがいつもといろいろと違っている。お小姓の霧島京彌が宮城千賀子(ちょっと男カ顔なので、これはピッタリ)に、敵さんが高田浩吉に柳永二郎。ヒロイン萩乃が井川邦子で、主水介の妹の菊乃が岸恵子ってのはなんちゅー豪華な。
 ……って、どう豪華なのかわかる人はもう中年以上だよ(+_+)。
 しげは花魁役で清川虹子が出てたんで驚いていた。
 そりゃ、清川さんだって若いころはあるわな。失礼なヤツだ(^_^;)。
 しかし、この作品が珍品なのはキャスティングばかりじゃない。
 ともかく驚いたのは、これ、ストーリーが『大岡政談/天一坊事件』をまんまパクッてることなんだよね。なにしろ婆さん殺して御落胤の証拠を奪い取るところまでマネしてんだから、はっきり「盗作」と言いきったっていいくらいだ。
 もっとも、この話自体、著作権がないんだから、どう脚色したって問題は生じないんだけれども。
 一応、天一坊事件は史実だから(もっとも大岡越前守は直接裁いてはいない)、名前を「浄海坊」(高田浩吉)と変えてはいるけれど、ストーリーは講談本のまま。違うのは、早乙女主水介と、萩乃の淡い恋が描かれるあたりくらいかな。
 ……う〜ん、右太衛門が草原に寝転がって、萩乃のことを切なく思うシーンなんか、どうコトバで表現すればいいのやら。豪放磊落が身上と思ってた退屈男にこんな面があったとはねえ。
 クライマックス、浄海坊の悪事を芝居仕立てで告発するシーンは、講談本にもあったけれど、言わずと知れたシェークスピアの『ハムレット』。いや、実にいろんなところから寄せ集めてますねえ。
 ラスト、浄海坊と、参謀役の北村内膳正(柳永二郎)が命尽きんとしながら呼び合うシーン、これは悪役の最後の描写としては実に屈指の出来映え。珍品は珍品だけれど、もとネタがあることを無視すればこんな面白い時代劇は滅多にあるもんじゃない。
 「天一坊事件」を知らない若い人には、かえって面白く感じられるんじゃないかなあ。


 しげ、今日出来あがったばかりの免許証をやたらと見せびらかす。
 なんか写真が生意気そうに映ってるなあ。ついこの間、しげの高校生のころの生徒手帳を見せてもらったのだが、結婚する2年前だけれども、これがビックリするほど幼い顔をしているのである。いつまでも童顔なやつだと思っていたが、してみるとこの十年で、少しはオトナになったもののようだ。
 逆に言えば、結婚当初の私が知り合いからロリコン呼ばわりされたのも、納得するしかないってことなんだなあ。
 いや、違うってば(-_-;)。
 
 しげがあまりに嬉しそうなので、「車に乗って買い物に行こうか?」と声をかけてみた。
 途端に驚くしげ。
 「なんで? 乗りたくないようなことを言ってたじゃん!」と目を丸くしている。
 「免許取ったんなら、少しでも練習したほうがいいやろ?」
 ごく当たり前のことを言ってるのに、しげは信じられないような気持ちらしい。……よっぽど私が意固地な人間だと思い込んでいたんだな。確かに私は車嫌いではあるが、身内が初心者で、見るからに危なっかしけりゃ、事故を起こさせたくないって思うのは自然なことだがね。
 「お前のことだから、もう車に名前をつけてんだろう」
 「うん」
 「なんてつけた?」
 「最初はダンにしようと思ったんだけどやめた」
 「じゃあ、なんてつけたんだよ」
 「ロドリゲス」
 「……なんで?!」
 「いや、外国人っぽかったから」
 う〜ん、何がどう気に入ってんだかわからんが、私ゃ「ロドリゲスに乗る」なんて、音の響きがとてもヤなんだが。まるで、ヒゲ生やした筋肉男の上に乗ってるみたいじゃないの。
 それも考え過ぎか(-_-;)。

 しげの運転はいかにも初心者らしく超安全運転。
 真夜中なので、車もそう多くないし、練習には結構いいかも。
 近所のコンビニまでソロソロと行く。事故も起こさず無事に帰って来れたが、しげの車庫入れがむちゃくちゃヘタクソなことが判明。
 五回、六回と、前に後ろに入ったり来たりしながら、それでもなかなか枠線の中にキチンと入れられないんだものなあ。
 やはり練習はできるだけさせないともう危なっかしいったらありゃしない。

 関係ないけど、このとき買った新製品のお菓子、某チョコレートの「オレンジ味」はゲロまずでした。みなさん、気をつけましょう(+_+)。

2000年10月25日(水) 今日は三度も昼寝した。やっぱ体変だわ/『冬の教室』(大塚英志)ほか


2001年10月24日(水) こぉのー、むねのとぉきーめきぃー/『彼氏彼女の事情』12巻(津田雅美)ほか

 オタアミ当日まであと31日! 31日しかないのだ!

 久しぶりに残業せずに帰宅。
 なんだかえらく長いロードを抜けてきた印象だが、これは小休止みたいなもので、明日以降も早く帰れるとは限らない。
 昨日の日記にも書いたが、「勤務時間外まで働くのが当然」という考え方を企業内に浸透させるのは別に社会主義者でなくても反対しておかなくてはならないことなんだが、嬉々として残業する人間が多いってことは、それだけ「仕事」にアイデンティティを依存している証拠なのである。
 退職して「オレの人生なんだったんだろう」と自殺する60代は完璧にこのパターン。結局「肩書き」でしか自分を語れない人間が多過ぎるってことなんだよな、きっと。


 しばらく見ていなかったアニメ『シャーマンキング』第十七廻「ベストプレイス二人旅」。
 シャーマンという設定自体は私の好みなのにイマイチ乗り切れないのは、やっぱりドラマがありきたりだからだろうなあ。……別にシャーマンって設定で語らなきゃならないような話でも何でもないんだよね。
 前回見てないけれど、葉は、敵との戦いに敗れたらしい。そして急に親友のまん太に対して冷たい態度になって、「おまえのせいで負けたんだ!」とかなんとか言って絶交宣言をする。
 ……で、まん太は泣きながら病室を出て行っちゃうんだが、こんなありふれた展開、いったい今までどれだけ見せられたことか。いわゆる『泣いたあかおに』パターンの変形、ワルモノぶってて実は相手を心配してるんだって話だけどさ、もう『巨人の星』や『あしたのジョー』の昔から、いや、戦前の佐藤紅緑やら佐々木邦の少年読みものにも繰り返し出て来たパターン、ルーツがいったいなんなのかおよそ辿れぬほど昔から語られてきた古色蒼然っていうかカビの生えたような話だぜ。
 イマドキまだやるかい。少しは工夫しろよ。
 こんなのは作者がバカか読者、視聴者をバカにしてるかのどっちかだ。どっちにしろ、このマンガのファンがいるってんなら、客はもっと怒らなきゃな。
 絵柄は好きなんだがなあ。
 キャラにこうも深みがないと、やっぱり原作の単行本買おうってとこまでにはいかないのだ。


 『テニスの王子様』第3回「登場! 青学レギュラー』。
 3回続けて話の構造が全く同じ、リョーマの実力を知らないヤツが舐めた態度でリョーマに挑戦、あえなく敗れるというもの。
 芸がない、というより確信犯でやってるのか?
 1回目、2回目を見逃したひとのために、何度もキャラクター紹介するためにこういうことやってるんだとしたら、毎回見ているこちらにしてみればくどいなあ、とは思うけれど、それはそれで作品を浸透させる戦略としてはまあ悪くはないとは言える。
 連続もののネックは前の回を見ていないと話の筋がよくわからなくなる、ということだけれども、ジャンプマンガが人気を獲得していく一つの特徴となった「対決モノ」、前の回を見てなくても内容が理解できるってことも大きいんだよね。
 もちろん、趣向は微妙に変えてあって、リョーマは先輩たちのイヤガラセでゆるゆるのガットのラケットで戦わせられちゃうんだけど、それでもやっぱり勝っちゃう。「逆境にあって、余裕で勝つ」ってところが人気のヒミツなのかな。スポーツものの中では汗臭さをあまり感じないアニメだし(ジャンプのスポーツものって、他誌に比べて汗臭くないもの多いよな。女性ファン狙いであることがミエミエ)。
 でもなあ、「仏の顔も三度まで」っていうけど、次回もやっぱり「リョーマを侮る敵、ハンデを負ったリョーマの勝利」って展開だったら、本気でバカにするぞ。


 『ヒカルの碁』第3局「牙をむくアキラ」。
 中味と違っちゃいないけど、このサブタイトルのセンスのなさはなんなんだろうね。でも調べてみたら原作のサブタイトルも同じだった……(^_^;)。
 作画監督、本橋秀之さん自身がやってるわりには今一つ安定していない。ヒカルもアキラも、どうも顔の下半分が原作に比べて重いのだ。アニメの場合、その方が口パクだけでも自然に見えるって利点は解るんだけれど、されじゃあ小畑さんの絵とは似ても似つかなくなる。まだ『あやつり左近』の方が小畑さんの線に近かったぞ。
 先週の予告編にもあったアキラと塔矢名人の見詰め合いはなかなか妖しげなムードで可笑しかったが、全体的にキャラはほとんど線が崩れない。ちょっとした生き抜きのギャグ顔もなくなっているので、どうも堅苦しくてドラマとしての緩急や余裕がない。
 声優もやっぱり三週経ってもヒカルの川上とも子さん、ヘタなままだ。
 いかにもアニメアニメした上ずった芝居してるから、ヒカルが「ちょこちょこっとタイトル取ってお金稼ぐのもいいかな」とか、「すげえよ塔矢」とかってセリフを言ったら、ホントにバカに聞こえてしまうのである。ここはまだ子供らしいバカってレベルで押さえとかないといけないんだがなあ。
 シリアスでいくなら、もう少し声優の演技もリアルに抑えてほしいんだけれど、あれでいいとみんな思ってるのかなあ。どうも川上とも子さんのタメを利かせるセリフ回し、私には耳障りがしてしようがないんだが。


 しげがいきなリ、「アンタの藤原敬之ってペンネーム、『藤原啓治』から取ったの?」と聞く。
 しげがバカなのはこういうところで、しげはちゃんと私のペンネームの由来を知っていて、藤原啓治さんとはなんの関係もないこともわかっているのだ。
 わかりきっていることでも、思いついたことはともかく言わなきゃ気がすまないので、周囲を「?」の渦に巻き込んでしまうこともしばしばだ。これも一種の不安神経症なので、なんとか治してほしいんだけどなあ。
 「どうして知ってることを聞くのか?」って、人から思われたいのか?


 女と愛とミステリー『西村京太郎サスペンス 脅迫者』見る。
 原作は短編かなにかかな。
 トリックといえるほどのトリックもなく、事件の真相も脅迫者の真の意図ものっけからバレバレ。この程度の中味でドラマが作れると考えてるあたり、西村京太郎ってやっぱりレベル低いよなあ。
 もともとその創作姿勢自体に問題があるコトは推理作家仲間でも問題視されてたヒトだ。曰く、他人の作った探偵キャラを勝手に使う(『名探偵』シリーズでは、明智小五郎、メグレ警部、エラリー・クイーン、エルキュール・ポアロを著作権者に断りなく競演させていた)、トリックのパクリ……。
 今回も、メイントリックは、アガサ・クリスティーの『検察側の証人』のものと同一。ビリー・ワイルダー監督によって映画化もされた(邦題は『情婦』。……最悪である)から、知ってる人も多いかな。
 でもね、あれはさ、演じてたのがマレーネ・ディートリッヒだったからこそ生きたトリックなんだってば。だって、あんな大女優があんなコトするなんて、……なんて誰も思わないもの。だからテレビ版の『検察側の証人』でダイアナ・リグが同じことしてみせても効果は全くない。
 まして、今回のドラマ、佐藤B作だよ?
 客をバカにするのもほどがある。
 ……いや、そんなら最初から見なきゃいいじゃん、って言われそうだけどさ、石野真子が出てたんでつい見入っちゃったんだよう(T_T)。いいじゃんかよう、石野真子のファンでもよう。

 もう40歳かなあ、けどギリギリ30歳くらいにしか見えないし、アイドルのころよりずっときれいになったよなあ、石野真子。
 アイドル当時は江口寿史が『すすめ!パイレーツ』にそっくりキャラをしょっちゅう描いてたくらい人気があったけど、今はこんな益体もないドラマにしか出なくなっちゃってるんだよなあ。
 ノーランズのカバー曲だったけど、彼女の歌った『恋のハッピー・デート(Gotta Pull Myself Together)』は名曲だったと断言しよう。贔屓目だと言うヒトがいるであろうが、その通りだ。なんか文句があるか。少なくともそれまでの『狼なんか怖くない』以下の曲がイメージ先行で石野真子にイマイチ合ってなかったのに対し、この曲には等身大の彼女が見えていたのだ。
 「あのね、私、そのね、あなた、好きよ、大好きよ♪」なんてフレーズ、当時だってストレート過ぎてこっぱずかしくって聞いてられなかったんだが、それが青春というものだ。
 久しぶりに歌詞を見たくなって、ネットで検索してみたが、歌詞までは載っていない。やっぱりただ乗っけるだけじゃ著作権に引っかかるのかな、きちんと批評するんじゃない限り。
 いやまあ、全部ソラで歌えるからいいんだけどさ。もちろん『狼』以降、殆どの曲を今でも歌える。それくらい、当時はハマったのだ。なにしろ初めて手に入れたビデオデッキで最初に録画したのが紅白初出場のときに歌った『ジュリーがライバル』。……ハイ、今回の日記タイトル、この曲の中からのワンフレーズでした。このサビのところの甘える感じがいいのよ(=^_^=)。
 このことを書き始めると、また日記が20枚を軽くオーバーするんでこれ以上はあえて書かないが(^^)、そのうち『石野真子論』を原稿用紙三百枚くらい使って書いてやりたいと思っていたりするのだ(←マジ)。 
 それと、私の前で「ナガブチ」の話題は禁物ですので、知り合いの方々、どうかそのことをご前提によろしくお願いいたします(^o^)。
 

 マンガ、津田雅美『彼氏彼女の事情』12巻(白泉社・410円)。
 もともと作者はキャラクターの描き分けがあまりうまくないひとだったが、その傾向が最近は顕著。
 髪型取っかえたら、下手すりゃ雪野とつばさまで区別がつかなくなるぞ。
 アニメの1話がおもしろかったんで、原作も読み始めたのだが、どんなに深刻な話題を扱っても、学園ドラマの域は出てないので、感動するというほどではない。最初ギャグっぽい雰囲気で始まって徐々に深刻になるってのは三原順の『はみだしっ子』なんかもそうだった。けれど『カレカノ』はあそこまでテツガクすることはなさそうだ。
 まあ、ある程度受けてるってのも思春期の感傷に訴えかけただけって面は大きいので、あまり話を長く続けすぎてもつまんなくなるだけって気はしている。
 脇道に入るのはもういいからはやく有馬と雪野編、再開してくれ。


 11時に横になったら、ちょっと寝るつもりが朝まで熟睡。
 おかげで日記の更新ができず。
 ああ、溜まっていくばかりだなあ。

2000年10月24日(火) 年取ったシワをCGで消すってのは無理?/ドラマ『ウルトラセブン・地球より永遠に』ほか


2001年10月23日(火) 凡人礼賛/DVD『エイリアン9』2巻/『魔獣狩り』(夢枕獏・木戸嘉実)ほか

 オタアミ当日まであと32日! 32日しかないのだ!

 長らくなくしていた家の鍵が、ようやく見つかる。
 ともかく、ここしばらくもう、忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて、アタマが回らなかったので(口だけは回ってるが)、どこにやってしまってたか思い出すこともできないでいたが、なんとか記憶を遡って、合羽のポケットの中に入っていたのを見付けたのである。
 一緒に印鑑と自転車の鍵も発見。これがないとマジで大変なことになるところだった(^_^;)。

 関係ないけど、今ドキの若いヒトは、「合羽」なんて言わないよね。たいていは「レインコート」。
 けど、こりゃ感覚的なものなんで仕方がないのだが、どうもそんな西洋風な言い方をしなけりゃならんほどのたいそうなもんかい、という気がどうしてもしてしまうのである。
 他にも私ゃ、未だに「ハンガー」なんて言わずに「えもんかけ」って言ってるもんね。元からある言葉で充分表現できるものを、奇妙なコマーシャリズムに乗っかって言い替えるこたあないと思うんである。


 今週の『ジャンプ』の立ち読み、と言っても相変わらず読んでるのは『ヒカルの碁』だけ。単行本で買ってるマンガは出来るだけその時の楽しみに取ってるものでね。『ヒカ碁』だけ立ち読みしてるのは、それだけ辛抱たまらん精神状態になってるからだと思ってもらいたい。
 しかし、ヒカルも連載当初に比べると、すっかりオトナな顔になった。等身もスッキリ伸びて、もうすぐ高校生、という感じがちゃんと出ている。カラダはちゃんと成長しつつあるのに、ヒカルの心はまだそれに追いついていない、というか、ヒカル自身の心も変化と成長の兆しを見せているのに、それをコントロールする術を知らずに戸惑っている、そういう表情すらヒカルは見せ始めているのだ。……小畑さんの画力の卓抜さよ(@。@;)ゞ。

 話の方は、まだまだ引くのか、佐為は復活しないまま。ヒカルの葛藤、相当根が深い。
 余りはっきり書いちゃうとヒカルファンには怒られるかもしれないが、このヒカルの碁の魅力の一つは、ヒカルの幼いサディズムにあったと言っていい。
 「友情・努力・勝利」の三つが、ジャンプマンガのテーマだとはよく言われることだ。しかし、果たして本当にそうだっただろうか。
 実のところ、この「努力」の部分は、ジャンプマンガにおいては極めてリアリティがなかったり、希薄だったりしていたのである。
 『ヒカ碁』も『シャーマンキング』もそうだが、主人公が強いのは、本人の力ではなく、「なにか超自然的なモノ」の力を借りている場合が多い。あるいは「生まれながらの星の運命により」なんてパターンだ。本人が全く努力をしないわけではないが、ごく普通の人間が本当に努力してなんとかなった、なんて話は地味過ぎてジャンプのカラーにはあっていないのである。
 実際、そんな「ホンモノの努力」を描いたマンガを、私はジャンプ誌上においては、古い例で申し訳ないがちばあきおの『プレイボール』ぐらいしか知らない。
 ちばさんが「凡人の努力」を描いて描いて、描き続けた果てにどうなったかを考えると、結局ジャンプは「本当に努力している人」なんか必要としていなかったのではないかという気さえしてくるのだ。
 『アイアンジャイアント』を例に引けば解りやすいだろうか、ジャンプマンガの魅力とは、詰まる所、「強大な力」を手に入れ、それを自分の支配化に置くことの快楽に他ならないのである。だから、サディズム。
 ヒカルはさんざん佐為を利用してきた。
 本当は自分よりはるかに高みにある佐為を、何の力もないヒカルが支配下においていたのだ。ヒカルは、あるいはヒカルを自分の立場に置き換えて状況を楽しんでいた読者は、右往左往させられる佐為を見て、どれだけ溜飲の下がる思いをしてきたことだろう(「かわいそう」と同情していた、という人もいるかもしれないが、同情が優越感の裏返しであることは自明である)。
 けれどようやく佐為は「解放」され、ヒカルはただの人に落とされた。
 ここで作者は従来の読者に対して、これまでと同等の快楽を与え続けることを拒否した。物語はついにタイトル通り、『“ヒカルの”碁』を描き始めたのだ。もしかすると本作は、ジャンプマンガのセオリーから逸脱して、全く新たな地平を切り開いていくのではないか。
 たとえ佐為が復活したとしても、今までのような読者のサディズムを満足させるような展開にはなるまい。下手をしたら、人気はズルズルと落ちて行くことにもなりかねないが、それでもいいと思う。凡百の見せ掛けだけのヒーローマンガにはすっかり食傷している。ファンの方には悪いが、中年になろうという私には、『ワンピ』も『テニプリ』も『マンキン』も『ナルト』も、全て「どこかで見たことのあるマンガ」でしかないのだ。
 私は、同じ勝負ものではあっても、新しいマンガが読みたい。本当に普通の子が、一歩一歩、自分で自分の階段を登って行く、そういうマンガを読みたいのだ。そんなマンガ、いかにもありそうだけれど、実際には殆ど書かれたことがなかったのだから。
 ややこしいことをコネ回して書いてきたけど、つまりようやく『ヒカ碁』は、読者に「君だってヒカルになれる」と訴えるマンガになりつつあるのである。……やっぱり佐為には復活してほしくないんだよなあ。


 帰宅してみると、しげは留守。
 携帯に電話してみたら、どうやら鈴邑くんたちと飲んでるらしい。
 「理由」は察しがつくので、「いつ帰る?」などと野暮なことは聞かない。
 私がよく他人から「いい夫」などと誤解されてしまうのは、こういうときくだくだと妻に絡んだりしないからだが、これは単に私の美意識の問題だったりするのだ。
 事実、しげには私があまりに淡白なので、「もうちょっと心配してほしい」と言われて不評なんだが。
 けどここで私が「いつ帰るんだよう。オレをほっといてどこ遊び歩いてるんだよう。本当はオレの知らない誰かと浮気したてるんじゃないのか。きっとそうだ、エエエ悔しい口惜しい、この裏切りものめ、○○め、○○め」とか言い出したらすごくイヤだと思うんだがな。

 帰宅したしげ、にへらへらと笑って飛び跳ねながら抱きついてくる。
 なんかラブラブですってか?
 いや、そんなツヤのある話ではござんせん。全体重をかけてのしかかられるので、腰に来るだけですって。
 ま、お察しの通り、しげがついに自動車の実地試験に合格して、「若葉マーク」をもらったってことなんですけどね。

 まだ筆記試験が残っているが、本人は「アンタ知らないね。私、公式の暗記だけは得意なんだ」と言う。
 つまりそいつは、「応用はてんでダメ」ってことだから威張れたコトでも何でもないんだが、どっちにしろ8月から初めて三ヶ月、飽きっぽいしげにしてはよく続いたものである。ここは素直に誉めてあげよう。
 まあ、口には出してやらん(^^)。
 私が余り嬉しそうでもないので、しげ、なんだか不満顔だが、これも博多人の美意識なんだと思いなって。


 劇団メンバーの鈴邑くんの話。
 彼に二人目の赤ちゃんができたことはこの日記にもチラチラ書いてたと思うのだが、今日しげから彼が現在「求職中」であることを初めて聞いた。
 「……なんで? こないだ仕事めっかったとか言ってたばかりじゃん」
 「だからやめたって」
 「赤ちゃんもいるのに? いったいなんでまた……」
 「前に勤めてたとこより、今の職場、給料も安いし休みも取らせてくれなかったんだって」
 「だからって、すぐに次の職が見つかるかどうかわかんないのに……」
 「日曜日にも仕事入れられちゃうんで、『劇団に顔出せないから困る』って上司に言ったら、『劇団と仕事とどっちが大事だ!』って怒鳴られたんで、『劇団です!』って言って辞表出したって」
 ……ああ、なんかカッコイイ。
 カッコイイけどバカだぞ鈴邑君。
 いや、雇用条件を詳しく知らないから簡単にバカって言っちゃいかんかもしれんが、少なくとも私が同じことをしたら絶対周囲からは「バカ」って言われる行為だよ、それは(・・;)。
 しげはもう単純に喜んで「そりゃ『仕事か劇団か』って言われたら『劇団』って言うよ」と笑ってるが、そう割り切って言えることでもないってばよ。
 しげの情報伝達能力は極度に低い“ILT”(インフォメーション・ローテクノロジー)なので、どこまでが本当の話なのか分らないが、少なくとも「仕事と私生活のどちらが大事か」などということを本気で部下に言う上司のいる会社があったとしたら、そこは真実ロクでもないトコだってことは断言してよかろう。
 ウチの職場だって、雇用条件が決してよいとは言えないが、「私生活を犠牲にしても仕事に従事せよ」なんて、思ってても口には出せないことくらいは上司も知っている。「あとでオゴりますから」「短時間ですみますから」「ちょっと押してるんでどうか一つ」とこちらをだまくらかして残業させたり休日出勤させたりしてるだけである。
 不況でどこも大変だってことはわかるが、それだからこそ、社員の雇用条件を適正に確保する努力が企業には求められているし、それを考えなきゃ本来の意味でのリストラクチャーはできないはずなのだ。リストラを即首切りと考える会社なんて、世間からの信用を得られるわけないでしょ? かえって会社を弱体化させるだけだって。
 もし、いつ潰れてもおかしくないような職場だったんなら、その前にトンズラ濃いた鈴邑君は賢明だったのかも知れない。
 でも、はやいとこ仕事見つけナヨ、鈴邑君。なんか話聞いてると、どんどん雇用条件の悪いとこ悪いとこに移ってるみたいだし。最初の就職口が一番よかったんじゃないか? 今考えると。

 ……しかし、そうなるとウチの劇団メンバーで、一つトコで一番長く仕事続けてるのって、よしひと嬢の次に藤田くんなんだなあ。
 こりゃ意外な事実でビックリ。

 
 DVD『エイリアン9』2巻「退屈 宇宙船 過成長」。
 原作1巻の後半部分をほぼ忠実に映像化。
 けど、ちょっだけセリフに改変があって、ゆりが恐怖のあまりボウグを「過成長」させちゃったのを見た久川先生の「この子がこんなにダメな子だったなんて」というモノローグがアニメではなくなっている。
 「先生」のセリフとしてはちょっと残酷過ぎる、という判断か、話のテンポをとぎらせないためのカットか、そのあたりはよく分らない。しかしこのセリフがあるとないとでは、作品自体の印象がひどく異なる。
 あればやっぱりゆりは「ダメな子」なままだが、ないと「この子はまだ自分の才能に気付いていない、ボウグのコントロールがまだできないだけで、潜在的な能力にはスゴイものがあるのだ」という印象が続くことになる。
 前巻の感想にも、この作品、原作のイビツさがアニメでは修正されていることを書いたのだが、ストーリーが同じようでいて、絵やちょっとしたセリフで、随分、「健康的」な印象に変わっているのだ。
 正直言って原作の方はどうも作者自身がキャラクターに対してサディスティックになってる面が垣間見えていて今一つ好きになれないのだが、アニメの方は何となくではあるが「希望」がありそうな感じで好印象。全何巻になるのかな? 原作の消化ペースからいけば6巻程度で終わりそうなんだが。
 原作はまだ1巻しか読んでいないが、ラストを読むのはアニメを見終わってからにしようかと思う。


 マンガ、細野不二彦『ザ・スリーパー』2巻(小学館・560円)。
 細野さんのマンガも好きと言えば好きなんだが、どこかのめり込めないところがあるのは、やっぱり基本的に作者が「暗い」からなんだろうなあ。
 いや、別に作者の性格を云々したいんじゃなくて、絵や線がどうにも腺病質なんである。
 折り返しに作者のコメントが載っていて、「合体! 変身! 正義のヒーロー登場!! 一度は描いてみたかった少年ヒーロー漫画王道のパターンです!」なんて書いてるけど、だったら「精神世界で妄想と戦う」なんて設定にするんじゃないよ、と言いたい。そんなん「王道」でも何でもないやんかと。
 そのあたりの勘違いが、読者の感情移入を拒否するようなキャラクター造型につながってきてるのだ。精神世界に行ってる間の主人公の少年ひつじの表情、目は白目剥いてるし口からはヨダレ、生汗かいてて気色が悪いったらありゃしない。こんな絵を描く必然性なんて全くないんだが、こういう「壊れた」顔を描くことが、細野さん本当に好きなんだよねえ。『猿飛』や『ガンモ』のころもチラチラそういう気配はあったんだが、メジャーを離れてからは(^^)、その傾向が一気に顕著になった。
 でも、細野さんが人間をどう見ているかは知らないが、自分の歪んだ人間観を読者に押しつけるようなことはあまりしない方がいいと思うんである。少なくとも自分が「王道」を描こうって思っているならば。
 いや、本人がマイナー漫画でいいんだって思ってんだったらこんなイヤごとは言わないんだけどね。


 マンガ、夢枕獏原作・木戸嘉実漫画『サイコダイバー魔獣狩り』(双葉社・980円)。
 セガのなんのゲームだったかなあ、この「サイコダイバー」って言葉を勝手に使って、獏さんから(なんか夢枕さんって言い方がピンと来ないね、この人の葉場合は)「そりゃオレの造語だ!」って文句つけられたことがあったっけ。
 こういうSF用語には一般名詞としての科学用語で著作権の発生しないものとするものが混在していて、シロウトにはなかなか判別しにくいのだが、だからといっていい加減にしていいものでもない。獏さんの主張は全く正しいのである。
 もちろん、「サイコダイバー」という言葉を使わせない、なんて偏狭なことを獏さんは言いたいわけじゃあるまい。
 事前に、使用許可を得ればよかっただけなのだが、そう作者の中には「ま、いっか」で済ましちゃういい加減なヒトも多いのである。
 こないだ見た鴻上尚史の『ファントム・ペイン』、その前作の『スナフキンの手紙』でも、「サイコダイバー」って言葉を平気で使ってたが、さて、獏さんにヒトコト断った上で使ってるのかなあ。鴻上さんの芝居って、既成作品からの引用が多いせいか、どうも言葉遣いが雑然としていて耳障りなことが多いのである。これもわざわざ「サイコダイブ」なんて言葉に拘る必要なんてないんで、許可を得ずに勝手に使ってる気配が濃厚。鴻上さんもいろいろ芝居について大風呂敷を広げる前に、自分の足元を見てたほうがいいんじゃないかな。

 それは余談(^^)。
 実は原作は読んだことないんで、マンガとの比較はできないんだけど、同じ精神世界モノの細野さんのグログロ、グチョグチョよりは随分サッパリとした印象。いや、もちろんバイオレンスはあるんだけれど、基本的にアニメ絵なのであまり気色悪い感じはしないのだ。
 それをヨシとするか物足りないとするかで評価は分かれると思うが、獏さんは基本的にどんなバイオレンス描写を行っても「希望」のある物語にしようってポリシーはあるヒトなんで、私はまあまあいいんじゃないかと思う。何より新人さんに原作もので力をつけさせようって試み自体はどんどんやっていいと思うし。
 確かに絵柄の単調さがキャラクターに深みを与え損なっているし、何より敵が大ボスに至るまで小粒なヤツにしか見えないってのは結構イタイ欠点。
 でもふんだんに大ゴマ使ってるあたり、この新人マンガ家さん、なかなか度胸はあるのだ。原作読んでみようかな、という気にさせられる程度の魅力はあるって感じだろうか。

2000年10月23日(月) 浮かれたホークスファンは情けない/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第2話ほか


2001年10月22日(月) 野だいこ敬語/『源氏物語』第壱巻「桐壷」(江川達也)ほか

 オタアミ当日まであと33日! 33日しかないのだ!

 この日記へのアクセス、「加藤夏季」だの「リアルバウトハイスクール」だの、「ドラえもん エロ」だの、よくわかんないキーワードで検索して来る人も多いのだが、ふと気になったのは、どうして「オタクアミーゴス」で検索してくる人がいないのか、ということだ。
 いや、オタアミ関係のページなら、AIQに限ってもエロさんとこだって、しおやさんのとこだってあるんだし、第一オタアミのお三方のホームページにアクセスする方が早いんだから、私の日記まで覗く必要はないんだが、でも未だに「チケット買います」ってメールが一通も来ないと、この日記もあまり宣伝の役に立ってないのかなあ、と不安になってくる。

 あの、すみません。
 読者の方で、今んとこ予定が立たないから、オタアミに行くかどうか分らないけど、興味はあるって人、せめてそのことだけでも掲示板かメールでお知らせ願えませんか?
 もしかして、「オタクアミーゴス」を知らない、という方はいらっしゃいませんか?
 そういう方もどうぞご連絡下さい。資料記事をメールでドドッとお送りすることもできます。


 夏の退院以来、仕事を休んだことはなかったのだが、ついにカラダがもたなくて、仕事を休み。
 これも昨夜、しげが食料を買いに行ってくれてたなら、何も夜風に病んだカラダを晒さずにすんだんだがなあ。
 しげは絶対、私がカラダを壊すことを望んでいるのだ。そうすれば私が家にいて、その間会っていられるから。
 けどなあ、そんなことしてたらなあ、私の命自体が縮まっちゃうと思うんだが。朝三暮四だって何度も言ってるのに、目先のことにしか目が向かないヤツだからどうしようもないんである。


 『言語』11月号(大修館書店・890円)。
 今回の特集は「敬意はどこから来るか ポライトネスと敬意表現」。
 昨年末に、国語審議会が、従来の「敬語」というコトバを避けて「敬意表現」というコトバに置き換えたことをご存知の方はいらっしゃるだろうか。
 「んなマイナーな記事知らんわ」と言われてしまいそうだが、あまり侮ってもらっちゃあ困るね、「コトバが置き返られる」というのは、ヘタすりゃ「文化そのみものが破壊される」ことにつながりかねないんだから。

 かつて「トルコ風呂」が「ソープランド」に置き換えられちゃったことを思い出してごらんなさいな。
 って若い人は知らんだろうが、もう、20年も前になるかな、トルコ大使館だったかトルコ人の少年だったかが、「あんないかがわしいところに『トルコ』の名前を使わんでくれ」という要望があって、一斉に「トルコ」のコトバが日本全国から消えたのだ。
 言うまでもなく、「もともとの」トルコ風呂は、いかがわしいものでも何でもない。例のいかがわしい種類のお風呂が、いかがわしくないトルコ風呂を隠れ蓑にして営業して、いかがわしくないトルコ風呂はトルコ風呂と名乗れなくなった、という前段階がこの件にはある。
 ここがややこしいところで、建前上、トルコ風呂はあくまでトルコ風呂なんだからしてイヤラシイところでも何でもないのだ。でも、そこに行く客は、ここはイヤラシくない所だから行ってもいいのだと言いながら実際にはイヤラシイことを期待して行くのである。
 警察もここはタテマエ上、イヤラしくないところなので、踏みこんでお客さんともども「従業員」の方をふんじばるってわけにもいかない。
 ホンネとタテマエの境界線がそこにはある。
 「トルコ」が「ソープ」に変わっても、その境界線はあるんじゃないか、相変わらず警察はソープの全てを摘発出来てるわけじゃないし、と仰る方もおられるかもしれない。
 しかし違うのだ。
 ソープは、一度トルコが社会的に、公然と、「イヤらしい場所だ」と認定されたあとに名称を変えたものなのだ。ホンネとタテマエの境界はここで実は崩れてしまっている。
 警察がソープに不介入なのも、以前とは意味合いがはっきりと違っている。警察はソープの真実を「公然と」認定した上で、その存在を認めていることになっているのだ。言わば、社会全体が「共犯化した」結果が「ソープランド」というコトバの意味合いなのだ。まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。……これ、戦前までの公娼制度より悪いんだよ、状況的には。
 「コトバ」の意図的な改変がどんな結果を生むか、の一例である。

 いや、ソープの話がしたいわけじゃなくて(第一、この話は大学時代の某友人のウケウリである)。
 この「敬語」が「敬意表現」に変更されたのには、1987年に発表されたブラウンとレビンソンの「ポライトネス理論」(直訳すれば「丁寧理論」)が影響を与えている。
 言語社会心理学者の宇佐美まゆみさんによれば、このポライトネス理論というのは、「相手を思いやり、配慮することによって、相手とよい関係を築き、保つための言語行動の『普遍原理』を示すもの」だそうな。
 日本人は短絡的に「相手を思いやること」=「敬語を使うこと」と考えがちだが、もちろん、「思いやり」が「敬語」に限定できるものではない。だからこそ、審議会は「敬語」という表現を避けたわけだが、これがかえってポライトネス理論の「普遍性」をあいまいにしてしまっている、と宇佐美さんは主張するのである。
 結局そこには「敬語」だろうと「敬意表現」だろうと、「敬意がなければ人を思いやることはできない」という強固な思いこみが残ったままだからだ。
 当たり前の話だが、タメ口きいてたって、そこに思いやりが介在することはある。

 ポライトネス理論の肝心なところは、「何をすれば相手を思いやったことになるのかは、それぞれの文化によって異なる。しかし、それらの言語行動を引き起こす動因は普遍的だ」という点にある、と宇佐美さんは説明する。
 「ポライトネス」とか難しい言い方をするから、審議会のようなアタマのお弱い人たちにはなんのことだか解りにくくなっちゃってるのだなあ、こんな自明のことをわざわざコトバにするのはそれこそ気が引けちゃうのだが、要するに「かたちじゃないよ、心だよ」ってことではないかね。
 「敬語」が日本語から消えるんじゃないか、とかバカなことを言ってるやつが多いが、そんなもん消えたって構わない、いや「敬意」そのものが消えたって、日常生活で困ることなんかなにもないってことに気づいてないのかねえ。
 これまでにも日本語から消えた敬語は腐るほどある。
 「たまふ」「奉る」「仕る」「奏す」「のたまふ」「まかる」「おはす」……。学校のオベンキョで習ったこれら古典の敬語、こんなんはこの千年の間に、きれいサッパリ日本語から消えた。
 ……で、我々日本人は千年前より野蛮でみっともなくてくだんなくて下劣であほんだらになったのかね。
 「敬語を若い世代に教えよう」というのは実は言葉を教えようとしているのではなくて、「このコトバを使うことによって、一定の人間関係を共有するシステムを伝授しよう」としているのである。結果的に、そこに心が通っているか通っていないかを判別することは極めて困難になってるのだが、その事実にすら審議会の連中は気付いていない。

 そういうやつらには、徹底的に「敬意を尽くして」、バカ丁寧なコトバで応対してやるといいのだ。
 「課長! おはようございます。今日のお召し物は一段と素晴らしくていらっしゃいますね。色と言い、デザインと言い、とても下賎のものでは考えつかない斬新さに満ちていらっしゃいます。お側に控えておりますだけで、自分の身が恥ずかしくなるほどでございます。どちらでオーダーされたのでございますか? え? レディーメイドでいらっしゃる。それはそれは、ご趣味のよい専門店をご存知でいらっしゃいますね。え? デパート? いや、今時のデパートもなかなか流行の最先端を追求しているものですね。数あるファッションの中でもそこまで我々下々の者には思いもつかぬハイソサエティなセンスの品をお選びになるとは、さすが、課長もお目が高い」
 ……あなたの上司がとんでもない服を着てたときにこうやると、そいつは次の日から絶対その服は着てきません。保証します(やったことあるのか)。

 いわゆる「慇懃無礼」というやつだが、言われた方は敬語を使われてるわけだから文句は言えないよな(^^)。


 しげに買い物を頼む。
 冷たいものがほしい、と頼んだら、ようやくアイスモナカとゼリーを買ってきてくれた。
 まあ、嬉しいことは嬉しいんだが、頼んだ洗濯物はやっぱりテキトーな干し方で、全く乾かない。私が干しなおしたので、明日には乾いてくれるだろう。
 

 炭疽菌騒ぎで、アメリカではもう9人の発症者が出ているとか。
 死者ももう二人だそうだが、イスラム原理主義者の報復テロかどうかはまだ定かではない。便乗者の可能性も高かろう。
 ニュースでは識者とか最近の専門家とかいうのが、「国が背景にいなければ作れるものではない」とか言ってるが、オウムがサリン作ってたときもおんなじこと言ってたぞ。
 誰かをかばって、どこぞの国に責任を押しつけたくて、そんなデマ流してるのか? そりゃ、培養するのにある程度の施設は必要だろうが、ノウハウさえあれば、何も「国」ほどのバックがなくても大量に作れるからこそ、ばら撒いてるんだろうが。
 テロ、と言うのは「誰にでもいつでも狙われる危険性がある」という恐怖に相手を落とし入れることが目的なのだから、そんな専門的な知識がないと作れんようなものは、利用価値がない。
 で、その専門家、更に続けて「日本で作るのは不可能でしょうね」だと。
 ……おい、この無知無教養なバカ、研究所から追放しろ。例の戦時中の731部隊の細菌研究施設で、炭疽菌はとうの昔に培養されとるわ。旧日本軍の研究成果は、様々な形で全世界に流出したとおぼしい。どこの国で、どの程度の規模の施設が炭疽菌を作り出してるかは、見当のつけようがない、というのが本当のところなのである。


 CSファミリー劇場でなつかしの竜雷太主演『これが青春だ!』を放送しているのをしげと何となく見る。まだ2回目か3回目くらいらしく、話は新任の竜雷太の大岩先生が、落ちこぼれクラスを持たされるようになるまで。
 今見返すとむちゃくちゃ豪華キャストだなあ。大岩先生に理解のある校長が西村晃で、腰巾着の教頭が藤木悠、反校長の理事長が山茶花究。女生徒の中には岡田可愛に柏木由紀子がいるがね。……柏木由紀子がセーラー服着てた時期もあるんだよなあ、当たり前だけど。
 PTAのおばさん連が菅井きん、賀原夏子、南美江ってのは濃い濃い。三遊亭金馬や名古屋章が劣等生の親父たちってのはもうハマリ役ではないか。
 テーマソングをしっかり覚えてるってことは見てたはずなんだが、ストーリーなんてケロッと忘れてるがな。でも、大岩先生が「寝たいやつは寝ていいぞ!」と言って、自分も眠り込んでしまい、生徒にボイコットされるってシーン、記憶があるなあ。それとも似たような話が他の学園ドラマにもあったのかなあ。

 それはともかく、モノクロ時代のドラマだから、どうしても風俗が古色蒼然としている。
 校舎なんか全部木造だ。
 「うわあ、木造校舎だ」と言ったら、しげが「え? アンタの子供のころって、全部木造じゃなかったの?」と驚かれる。
 「何言ってんだよ、小学校も中学校も鉄筋コンクリートだよ。博多の都会なんだから」
 「博多が都会?」
 「そうだよ、広島のど田舎とは違うんだから」
 「ははーん。博多に言われたかないね」
 「広島のどこが博多より勝ってるってんだよ。カープとお好み焼きと○○ド○○しかねーじゃねーか。しかもお好み焼きなんて甘ったるいソースぶっ掛けただけのシロモノだし」
 「じゃあ、博多にうまいもんあるのかよ。トンコツラーメン?」
 「ありゃ博多の食いもんじゃねーよ」
 「ホラ見てん、何もないじゃん」
 「おきゅうと食え! おきゅうと!」
 広島妻対博多夫のいつもの不毛な口ゲンカであった。


 マンガ、武村勇治(取材・原案協力/石井信)『風娘(かぜっこ) 高橋尚子世界記録への挑戦』(小学館・620円)。
 別に高橋尚子のファンってわけじゃないが、実録マンガの陥りやすい事実の誇張は比較的少ないような印象……というより、どうしてこれ買ったかっていうと、この手のマンガにはありがちな「最初の意図と違った展開になった」って結果にならなかった珍しい例だからなんだね。
 つまり、「世界一の○○を目指す少女」とかいうのを“同時進行”で追いかけるドキュメンタリーってよくあるけど、世の中そううまく行くもんじゃない、プレッシャーに負けたりして、「がんばったけどダメでした」で、なんともあと味の悪いオチをつける場合が多いのだ。それまで、「この子はきっと世界の頂点を極める!」なんてぶち上げてたのがへなへなへなと萎んじゃうのね。
 映画で倉本聰の『時計』ってのがあったけど、あれなんか悲惨なもので、主演の中島朋子にプロスケーター目指させたけど、ダメだったんで挫折の映画にしてしまっていた。かと言って観客はそんなんに感動はできんがね。
 あと、随分昔『風吹ジュン物語』ってマンガがあったが、あれなんか掲載された直後に本人のスキャンダルがバレて、マンガの中で「清純派」と書かれてたのが空々しくなっちゃったことがある。
 ことほどさように、実録モノってのはドラマにしにくいのだ。というか、殆どの実録モノが数年経つとヘタレてしまう。
 ……しかし、高橋尚子はやっちゃったのだよ。
 ご承知の通り、ベルリンマラソンで本当に世界記録を塗り替えてしまった。
 つまりこのマンガ、“たとえフィクションが混じっていたとしても”結果的に、本当に実録として認められるマンガになっちゃったのである。
 マンガだから主役の尚子、実物よりもかわいく描いてあるんだが、そういうカリカチュアも含めて。
 ベルリンマラソンで一人取り残される夢を見る、なんて、いかにもツクリっぽいんだけどなあ。もしかしたら、このマンガ、史上初めての「色褪せない実録漫画」になっちゃうかもしれないのである。


 マンガ、紫式部原作・江川達也漫画『源氏物語』第壱巻「桐壷」(集英社・980円)。
 意外なことに、これまでの『源氏』マンガ化の中では、圧倒的に原作に「忠実」である。とゆーか、これまでのマンガが大和和紀も長谷川法世もヘタレとしか言いようがなかった出来だったんだが。
 あとがき対談で大塚ひかりとも話しているが、これまでのマンガだけでなく、数々の訳本、谷崎も与謝野も円地も、当時の風俗・文化で、「紫式部が、当時としてはあまりに常識的なことなので、あえて書く必要がなかった」ことについては一切触れられていないのである(ちょっと注をつける程度)。
 それがまあ、エッチやシモの方面に傾いてはいるものの、帝の寵愛を受けることがまさしく当時の女にとっては「天上の喜び」であったことや、清涼殿での営みが、他の女御・更衣たちに筒抜けであったろうこともちゃんと明記してある。
 ……学校の教師って、こんなことは教えないもんなあ。もっとも、原作に忠実過ぎるあまり、くどいとこまでしっかり訳してしまっていて、現代の我々にとってはどうにも感興を殺ぐ描写まで延々と描いてしまっている。
 もひとつ言えば、当時の女性の衣装の構造から判断して、男女の交合は既に正常位が主体であったと思われる(十二単は着物としてだけでなく簡易ベッドとしても機能していた。当然前開きで、そのまま後ろに倒れるのである)。
 だから源氏と葵上のSEXを、葵上の騎乗位で描いたり、ましてやフェラチオまでさせてしまうのは考証的にどんなもんだろう。男女の道を葵上がリードして源氏に教えたという考証は多分正しいが、これはやり過ぎというものだ。この手のマンガについて言えば、一つウソが混じると、ほかのところまでデタラメに思われかねないものなのである。考証は慎重に行わなければならない。

 げれどやっぱり江川さんて「教師」だったんだなあ。これ、本気で読者に「真の古典」を教えなければ、という使命感に燃えて描かれているのである。その押しつけがましさを「トンデモ」と捉えることができれば、この『源氏』、滅法面白い。少なくとも橋本治の『桃尻語訳 枕草子』以来の“マットウな”古典の現代語訳であることは明記しておいていいと思う。

2000年10月22日(日) 時代劇なのにカップルが多いとは珍しい/映画『五条霊戦記』ほか


2001年10月21日(日) もう6年/『背後霊24時!』3巻(がぁさん)ほか

 オタアミ当日まであと34日! 34日しかないのだ!

 風邪、最悪の状態。
 二、三日前、熱が高かったときがピークだと思ってたんだがなあ。朝目覚めたらもう、熱はないのに眩暈はするわ、吐き気はするわで、立ってられなくなっちまった。
 体が重くてたまらないので、風呂にカラダを投げこんで、おええ、げほがほ、げろげろ、ううっぷ、ぶふぁああ、げげ、ぼふぁ、ぐぅぅ、と、咳と吐瀉とをいつまでも交互に繰り返し、際限がない。
 排水溝に昨日食ったエノキダケのテンプラが消化されないまま流れて行くのを見てると、なんだか私の人生もこんなエノキみたいな人生だったよなあ(どんな人生だ)、となぜか走馬灯が目の前をよぎる。
 気がついたら熱もぶり返し。
 こんなことなら、昨日、熱冷ましの薬も貰っとくのだった。
 きついよう、苦しいよう、助けてよう。
 もちろん、しげはグーグー朝から高イビキである。


 本当は、今日は朝早くから父のマンションで母の七回忌の準備をする予定だったのだ。しかし、この体調では、到底カラダが持たない。
 仕方なく父に電話する。
 「ごめん、法事だけ出たらすぐ帰るから」
 しげは8時を過ぎてもまだ寝ている。
 せめてしげ一人だけでも父の手伝いに行ってくれりゃいいんだが、根っから鬼畜で外道なやつなので、そんなことを期待するのはムリな話だ。
 ギリギリまで横になって、薬を飲んで、タクシーを呼ぶ。
 しげを叩き起こして、5分で着替えさせる。着慣れないスーツなんぞを着て、化粧なんかしているので、しげ自身、どうも落ちつかない様子であるが、私なんか全くの普段着である。
 儀式的なことって、本気でキライなのだ。

 渋滞に引っかかることもなく、タクシーは9時45分に父のマンションに到着。
 でも、坊さんはもう来ていて読経を始めていた。
 本当は、10時からの予定だったのだ。実際、親戚でまだ来ていないものが何人かいる。けれど、父はせっかちなので、客が来るまで待つということをしないのである。……それも相当失礼だと思うんだがなあ。先日の電話でも「俺は俺のやりたいようにやる」と言ってたが、法事はそういうもんではないのではないか。まあ、周囲の雑音を気にしない親父らしくって、そういうの、イヤではないけど。
 父、おじやおばたち、姉や兄など、来ているのは十人ほど。ともかくやたらと知り合いの多かった母の葬式には、百人からの弔問客があったが、七回忌ともなれば集まってくるのは身内のものだけなので、せいぜいこの程度だろう。
 母も淋しいかもしれんが、人間なんて死ねばそれまでってことだ。

 足を悪くしている父は、一人外れて椅子に座っている。喪主が仏壇の前にいないのだから儀式的にはシマリのない話であるが、儀式なんて下らないと思ってる私には別に含むところは全くない。
 でも、よく見ると、まん前の座布団だけが主のないままポツンと空いている。
 あちゃ、あれ、私の席か(・・;)。
 おばから目線で「ど真ん中に座れ」と合図されるが、この気分が悪いってのにそんな線香の匂いがマトモに当たるような、しかもどこにも逃げることが出来ないようなところに座れるものか。
 おばの誘いを無視してワキに座る。しげは末席に座った。
 ケムリから離れていても、焼香の時にはいやでも香の側に行かねばならない。なんだかなあ、死んでも私を苦しめるかお袋。

 葬式のときに私が選んだ写真があまりいいものではなかったので、遺影の中の母はちょっと疲れたような、泣きかけてるような顔をしている。
 死ぬまで仕事のし過ぎだったからなあ。あれだけ働いてた人間がポックリ逝くなんて、当時はみんな信じられないと言っていた。
 そうだよなあ、予感してたのは私くらいのものだった。
 父にそう言っても無視されたけど、そんなこと父は記憶の彼方に消し去ってんだろうな。父はもしかしたら、未だに母の死を認めたくないのかも知れない。
 母もまた、祖母が死んだ時、「まだばあちゃんがその辺にいるような気がしてね」と言っていたが、母は祖母の遺骨も拾おうとしなかったから、そんな風に感じるのは人間のサガかもしれない。
 私も母の写真を見ながら、母が死んだということがリアルに認識できない自分がそこにいることを発見してしまう。今でも母がひょっこりと店に顔を出してきそうに錯覚することがあるのだ。
 夢の中で母に会ったあとなど、目覚めると、現実の方が非現実的に感じてしまったりする。
 結構、傷ついているのかな、私は。
 だからと言って私は妄想に逃げることはしないが、死後の世界を信じたがるヒトを一概に笑い飛ばせないのは、ヒトから感傷は切り離せないという事実に起因していることなのだろう。
 うん、何か話をするわけじゃないけど、もう一度会えるなら会いたいな、お袋に。

 たいがい吐き気で胃液が逆流しかかってるってのに、何となく、坊さんがいつもより念入りに読経してくれてる気がするなあ。
 焼香の匂いで気分はどんどん悪くなる。咳を周囲を憚ることなく連発していたら、姉が見かねてお茶をくれた。でも喉を湿したからといって、病気が治まるものでもない。
 結局、30分ほどしか時間は経っていなかったのだが、半日分のエネルギーを消耗したような気になる。
 みんなはそのあと温泉に繰り出すようだが、とてもそこまで付き合う元気はない。しげだけ残して、一足先に帰ることにしてタクシーを呼ぶ。
 親戚づきあいが苦手なしげであるが、温泉なら少しは楽しめるであろう。

 諍いがあって縁を切っていた親戚も、久しぶりに顔を出している。帰りしなに少しだけ会話。
 「最近ウチの息子が不登校でね」
 などと言うので、
 「それがフツーですよ。学校にマジメに行こうってヤツの方が狂ってるんです」などと話す。こうして喋ってると、諍いがあったこと自体ウソのようだ。


 帰宅して、『加藤夏季のファミナビ』11月号をチラッと見る。
 来月は時代劇特集ということだが、テレビスペシャルばかりで往年の名優のものは一本もない。『太陽にほえろ!』ジーパン編も今更だし、来月はこれといった目玉がない感じだ。
 最近、加藤夏季は殺陣を習ってるそうで、型を披露していたが、何か時代ものに出る予定でもあるのだろうか。プレゼントコーナーで『陰陽師』の宣伝もしていたので、パート2が制作されるなら、ホントに出演することがあるかもしれない。
 つかれているので、そのまま横になって夕方まで寝る。

 夕方、しげ、温泉から帰ってくる。
 「露天風呂で面白かったよ! アンタも来ればよかったのに」
 だから具合が悪くて行けないって言ってるのに。
 「親戚の人と一緒は楽しくないけど」
 それは私も同じだ。
 するってえと、肝心な時に体調崩したのは、もしかしてお袋の親切か?

 しげ、帰って来るなり、また電話でやりとりして遊びに出かける。
 なんか穂稀嬢たちと打ち合わせもあるようだが、こっちの具合が悪いのをよくぞここまで無視してくれるものだ。そのおかげで結局私は自分で動いてどんどんカラダを壊していってるのだ。
 せめて飯くらい作ってってくれと頼むが、聞いちゃいない。私が買ってきたインスタントナベを火にかけてくれるよう頼むが、それも途中でホッポリだして出て行ってしまった。
 「何か飲み物くらい買って来てくれえ」
 泣いて頼んだがこれも無視された。
 ……結局、具合の悪いのを押して買い物に行く。咳はますます酷くなる。
 今度しげが具合が悪くなることがあっても絶対看病なんかしてやらないからみてろ、クソ(と言いつつ毎回面倒見てやってんだよな、私は)。


 アニメ『サイボーグ009』第2話『脱出』。
 オープニングは第1話の使いまわしが殆ど、本編はところどころ動いてはいるものの、第1話のクォリティの半分のレベルにも達していない。
 制作が間に合っていないっての、ホントだったんだなあ。
 あの『エヴァ』ですらヘタレ始めたのは中盤以降だったってのに、これは尋常な事態ではない。果たして1年、続くのだろうか。


 アニメ『ワンピース』、ついに登場、トニートニー・チョッパー。
 声はなんとピカチュウの大谷育江さんだ。しかも変身後まで。
 てっきり男声を想像していたのだが、この選択は結構ウマイのではないか。
 ウソップもそうだが、グループにはコメディリリーフの役を担う人物がどうしても必要になる。けれど、そういう人物は得てしてドラマ展開上、ドジを踏んだりして「足手まとい」になりかねない。
 そうなると、受け手はそのコメディ演技に笑ってばかりもいられなくなるのだ。まして、アニメのウソップの声は山口勝平。……こりゃ、憎んでくれと言わんばかりのキャスティングじゃないの。
 原作の方でも、ウソップの扱いに作者が苦労しているのがはっきり見て取れる。チョッパーはそのウソップと組むことが多いのだから、二重の足手まといになっちゃ困るのだ。
 大谷さんの声は、山口勝平とのコントラストがよく出ていて、出色。気になるのは高音部の声の裏返り方がどうも林原めぐみっぽいところなんだけど、それが今の若手声優たちのスタンダードになりつつあるのだろうか。
 あ、ジャンプアニメなら当然の出番、Dr.くれは(ドクトリーヌ)は、野沢雅子さん。いや、ハマってます。……花の130代って、これは野沢さんへの皮肉なんだろうか(^_^;)。


 新番組『笑う犬の楽園』。
 間の取り方が致命的に悪い(ウンナンの番組だけどダウンタウンの悪影響が顕著)欠点はあるものの、コントをともかく中心に、という姿勢は好ましい。
 ただ、やはりネリが足りないんだよなあ。
 特別警戒中のラブホテル、男女がシケこもうとするのだが、受付は「ご夫婦ですか? 身元がハッキリしないとお泊めできません」と、つれない態度。
 男が「結婚なんてまだ……」なんて言い出すものだから、女のほうからも「結婚する気ないの?」と突っ込まれる始末。最後には男が先月浮気してたことまでバレて、結局二人はその場で喧嘩別れ。
 ……うーん、設定は面白いんだが、もう一つ二つ、畳かけるようなギャグがあってもよかったんじゃないかなあ。浮気してたんだったら、その証拠ビデオが盗撮されてたとか。それともそういうギャグは過激過ぎてダメなのかなあ。

 短いギャグだけど、次のやつが結構気に入った。

 タトゥー屋に飛び込んできた男、いきなり服を脱いでハラを見せて、
 「ピョン吉彫って!」
 「しゃべらないよ」

 
 福岡競艇のCMがまた変わった。
 竹中直人が毎回出演して、シリアスからギャグまで、ほのぼのからナンセンスまでと幅広いアイデアで(多分竹中自身もアイデア協力してると思われる)面白がらせてくれてるこのシリーズ、ここしばらくは「居酒屋編」で、竹中が主人に扮しているものが続いている。
 ラジオを聞きながら2−4にするか2−6にするか迷ってる竹中、カウンターのちょっとセクシーな美人に尋ねる。
 「高校2年生の時、何組でした?」
 「……B組」
 竹中、絶句。
 と、今回はちょっとドジ編でした。


 マンガ、がぁさん『背後霊24時!』3巻(完結/秋田書店・540円)。
 ううむ、3巻でいきなりライバル登場でしかもあっという間に完結ってのは構成としてはちょっと破綻してる気はするが、まあ、その分エッチシーンは増えてるし、まあいっか。
 いきなり天国の門が開かれ、みちよちゃんの背後霊でいられなくなったまさる君。奈緒ちゃんが心配で今度は浮遊霊になって戻ってきたけれど、これで天国行きはご破算、小板橋さんとみちよちゃんの仲を妨害するさくらちゃんとその背後霊の姫君に対抗する力は全くない。果たしてみんな幸せになれるのかっ!?
 って、がぁさんのマンガの結末がハッピーエンドにならないワケないんだけど。予想通りと言えば予想通りだけれど、いかにもがぁさんらしくていのだ。
 がぁさんのマンガって、エロマンガなんだけれど、SEX=純愛って図式を絶対に崩してない。「エロにテーマはいらない、エロはエロでいいのだ」というのは一面の真実ではあるが、そう言いきるのも作品世界を狭めるだけだ(だから矢野健太郎のエロはエロに徹してもホラーにしてもつまらない)。
 エッチはあっても安心感があるってのは、絵柄の柔らかさだけでなく、物語が決してアンハッピーエンドにはならないだろうという期待にあるのではないか。SEXはがあさんのマンガでは「努力の道」でもあり「健気さ」のシンボルでもあるのだ。
 なんだか、みんなで頑張ってSEXしようぜ! と謳いあげたくなっちゃうのである。


 マンガ、浦沢直樹『モンスター』17巻(小学館・530円)。
 完結まであと1巻。
 ラストがマインドコントロールによる殺戮とは、これはちょっとした恐怖だ。ヨハンの秘密もほぼ語り終え、フランツ・ボナパルタもその姿を現し、否が応にも盛りあがる。
 けれど、このネタって、ある意味ミステリーのタブーではあるんだよなあ。……だって、リアリティを持たせれば持たせるほど、現実に模倣犯が生まれる危険があるから。
 ちょっとしたささやき一つで、人を簡単に殺せるなら、殺してみたい、そう思ってるやつにネタを与えちゃうのはねえ。
 でも、それくらいのものでないと、物語がうまく締まらんし、さて、どうオチをつけるんだろうか。


 マンガ、夏目義徳『トガリ』5巻(小学館・410円)。
 前巻で大量の「咎」をばら撒いた瀬奈に呼応して、集合した「イクス』の面々。敵の組織が5巻を過ぎて登場というのもペースとしては遅い気がするが、ということは長期連載を想定しているということか。
 まあ、108つの「咎」を集めるってところからして、大風呂敷広げちゃってるわけだけど、それに見合うだけのドラマ性は持ってると思うんである。サンデー本誌では人気が微妙にあるようなないようなって感じだけれど、ともかく5巻まで来たのだ。見返しで作者が弱音吐いてるのが気になるけど頑張って連載を続けてほしいものである。

2000年10月21日(土) 仔牛のテールは美味かった。♪ドナドナ/『火星人刑事』4巻(安永航一郎)


2001年10月20日(土) 泣くなしげっちゅ/『眠狂四郎』1巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)ほか

 オタアミ当日まであと35日! 35日しかないのだ!

 ようやく土曜日、仕事をさっさと片付けて病院に行く。
 熱は一晩寝たおかげで引いた。
 「注射はいいですね」と言われたので薬だけもらう。
 ついでに糖尿病食のレトルトパックを買いこむ。これ、いちいち計りメシしなくていいのだけれど、一食が1000円とバカ高い。半額なら、1ヶ月分買っても3万円、料理の手間が全くなくなって助かるのだが。

 帰宅すると、しげがいない。
 しかも玄関に鍵が掛かっている。
 そういや今日はしげは自動車学校の卒検だったんだなあ。って、まだ鍵なくしたまま見つけてないんだぞ!? これじゃ部屋に入れないじゃないの!?
 慌てて携帯でしげに連絡を入れる。
 「オイ、玄関に鍵掛かってるじゃないかよ!」
 「あ、鍵持ってないん?」
 「持ってないって言ったろ!」
 もともと鍵をどこかに置き忘れた私が悪いのではあるけれど、私が鍵を持ってないことをキレイサッパリ忘れたしげも、思いやりのカケラすらない。
 「でも、3時くらいまで帰れないよ?」
 「……じゃあ、天神回って買い物してくるから、博多駅あたりで待ち合わせしよう」
 本当は具合が悪いままなので、さっさと寝ていたかったのだが、家に入れないのでは居場所がない。そのまま、レトルトパックの袋を抱えたまま、バスと地下鉄を乗り継いで天神に向かう。

 いつものごとく、天神ベスト電器「LIMB」でDVDを買いこむ。
 ついでに、「オタクアミーゴス」の公演チラシ、置いてくれるかどうか、売り子さんに尋ねてみる。
 「あの、アニメコーナーに、チラシを置いて頂けますか?」
 「あ、はい。わかりました」
 「……あの、現物見なくていいんですか?」
 「あ、そうですね」
 「……これなんですけど」
 「じゃあ、お預かりします」
 「……あの、店長さんとかに許可いただかなくていいんですか?」
 「あ、そうですね」
 と、店員さん、どこぞに電話するが、つながらない様子。
 「ま、いいんじゃないですか。お預かりしますよ」
 「は、はあ、そうですか、ありがとうございました」
 なんだかえらくアバウトである。でも置いてもらえるというのをいい、と遠慮するのもヘンなので、20枚ほどお渡しする。
 まあ、毎月の面識のある方々だし、月々ン万円は落としていく客であるし、私の本職も知ってるしで、信用があるのであろう。実際、信用だけはとりあえずある職種なのである。
 さて、チラシの効果がこの「LIMB」でどの程度上がるか、実はよく分らない。
 確かにここのアニメコーナーは福岡の店の中では充実している方だ(っつーか、他がシャバ過ぎ)。「アニマップ」なきあと、いかにも濃そうなオタクな方々が寄ってる様子はある。『大巨獣ガッパ』ボックスや『宇宙大怪獣ギララ』ボックスまでよく売れてたみたいだし。
 でも、それだけのオタクなら、福家書店にもきっと寄ってる人ばっかりなのに違いないんだよな。
 どっちかと言うと、ここの店員さんに来てもらいたいくらいなんだが、どうせオタアミ当日は連休中だし、仕事だろう。けどもう、他にオタアミに興味持ちそうなオタクが寄りそうなところって、各種マンガ喫茶やインターネットカフェくらいしか思いつかないしなあ。でもそういうところって、チラシ置かせてくれなさそうな気配が濃厚。
 残り1ヶ月を切ろうかという時点では、これが私にはもう精一杯である。
 ……ああ、本職のコネ使えたら、あいつもこいつも呼べるのになあ。
 
 福家書店で新刊を買いこむ。
 ここもオタアミのチラシ、しこたま置いているのだが、なんだか枚数置き過ぎてるせいもあるのか、減ってる気配がまるでない。
 しかも、置き方がまずいのか、へにょっとしおれて、何のチラシかも解らない。一所懸命立ててみたが、やっぱりへにゃっとなる。
 ……なんだか縁起が悪いぞ。置き場所変えた方がよかないかなあ。

 天神から博多駅に向かおうってところでもしげから電話。
 声の調子がえらく暗い。
 「……ごめん、ちょっと帰りが遅れる。いったん、ウチに帰って鍵、開けとくからすぐ帰っていいよ」
 ……試験落ちたな、こりゃ。
 こうバレバレだと何も言う気になれん。


 博多駅のダイソーで数珠を二人分買う。
 明日の母の七回忌用のだが、こういう百円ショップじゃ、アクセサリー用の短いのしか置いてない。かと言って専門店で何千円もする高いの買う気は毛頭ないので、やっばりそれを買う。
 ウチに帰りつくと、しげも間もなく帰ってくる。
 「落ちたよ〜、信号一つ見落とした〜。隣の人なんか人道に乗り上げても合格したのに〜」
 「再試験、あるんだろ?」
 「ウン、火曜日」
 「ならよかったじゃんか」
 「なんで?」
 「もう一回、実際にクルマに乗る前に練習ができるんだから」
 そう言ってやってもしげはまだ不満そうな顔だ。プラス思考ができない女なのだなあ。

 父から電話。
 明日のために散髪しておかないか、と誘われたが、風邪で外に出かけたくないと返事。ホントは今日のうちに果物を買って行く予定だったのだが、ヘタに外を出歩いてしまったので、体調が本気で優れない。それも含めて、明日のこまごま、結局父に頼む。
 ダルいカラダをおして、劇団ホームページのリレー小説、自分の回を書く。今日がシメキリだから、日延べってわけにはいかないのだ。
 集中力が切れそうになるのをなんとか持ち直させながら書き綴っていくので、いつもの半分くらいのペースでしか書けない。なんだか、受験勉強でもしてる気分になる。前の設定を読み返してみても、なかなか頭に入ってこない、ともかく書いて行くのが精一杯で、文章の手直しも何もあったもんじゃない。
 イライラが溜まって怒鳴りたくなるのを、かろうじて抑えている。
 なのにその間、しげはいつまでも「ちぇっ」とか「あ〜あ」とか、ブツブツブツブツうるさい。またしげの「かまってほしい」病だ。
 ワザと私が書くのジャマしてるのがミエミエ。
 ええい、未練がましい、鬱陶しい。それでも男か。女だけど。
 「いい加減にしとけ!」と怒ったら黙って部屋にすっこんでしまった。どうせ何か家事をするでもなし、引きこもっててもらってた方がずっとありがたい。
 あ〜もう、勝手に泣いてろ(-_-;)。
 

 ゼロゼロナンバー・プロジェクト編『サイボーグ009コンプリートブック』(メディアファクトリー・1785円)。
 原作・アニメ全ての情報を完全網羅、と謳ってるのに、肝心の今回のアニメ化についての情報が全くない。
 ワザと隠してるんだったら、帯に「3度目のアニメ化!」なんて書いてあるのもヘンだし、第一、それじゃ宣伝になるまい。この本を編集してる段階で情報自体がなかったと考えるのが妥当かも。
 それにしても、やっぱり原作『移民編』の改変については、一切触れないままだ。改変にやましいところがないなら、明記するに吝かではないはずなのに、こういう「事情」自体を書こうとしないというのは、ただの「ことなかれ」でしかない。
 『移民編』は改変前の「ミュータント」の設定の方が絶対に完成度が高い。アニメ版も恐らくは改訂後の設定でやるんだろうけど、だったら無理してアニメにする必要ないと思うのだが。
 石森さんのご子息の小野寺丈氏による『神々との戦い編』小説版、2002年には出版、と言ってるが、また、延びたりしないだろうなあ。ここまで来たら、駄作でもいいから読んでみたいんだが。ともかく、私が死ぬまでにはどうか出版されますように。


 マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘作画『眠狂四郎』1巻(新潮社・530円)。
 眠狂四郎のキャラクターデザインは、腰まで届くほどの長髪が原作のイメージとかけ離れている(と言うより時代劇らしさが全くない)のだが、筋運びは原作に実に忠実である。美保代が犯されるシーン、ちゃんとあるし。
 原作を読んでいる人にはご承知の通り、この作品の要は、何かとうまいこと言って狂四郎を乗せて操ってしまう武部仙十郎にあるので、こいつがただのヒネタ爺さん程度のキャラにしか描かれてないのはちょっと残念。映画シリーズはたいていこの武部の爺さんがすっ飛ばされてることが多いので(それに近い役を『眠狂四郎勝負』では加藤嘉が演じてはいたが)、実は極めつけといわれる市川雷蔵の狂四郎シリーズ、私はそれほど高く評価してはいないのである。
 それに比べると、まだこの爺さんが出てる分だけ、マンガ版の狂四郎シリーズはちょっと期待したい。でも、全シリーズマンガ化はムズカシイだろうなあ。第一シリーズの『無頼控』をマンガにするだけで2、30巻はかかるだろうし。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』3巻(小学館・410円)。
 シリアスとギャグの混ぜ合わせがなかなか楽しくなってきたが、なんかギャグのヘタレ具合がなんとも気に入ってしまっている。
 魔物たちがどうして日本にばかり現れるか、「一番勝てそうなやつと最初に戦いたい」という設定は意外と整合性があってウマイ。これなら、敵の魔物が弱くても不自然じゃないし。
 ……いやね、実際、「なんでこんな弱い敵ばかり」って思うくらい、ヘタレたヤツが次々挑戦してきやがるのよ、これが。中でも、変身能力しかないペリカンみたいな魔物キャンチョメと、ナルシストのイタリア俳優、フォルゴレのコンビは最高だ。「(自分が)弱くなる呪文」を駆使するあたり、もー、オイちゃん情けなくて涙が出るよ(T∇T)。
 こういうコメディリリーフは簡単に殺しちゃいけないのは鉄則。ちゃんと生き残った以上は、クライマックスでの再登場を期待したい。
 

 マンガ、石ノ森章太郎『気ンなるやつら』(双葉文庫・600円)。
 今はなき雑誌『平凡』に、1965年から1968年まで連載された、短目のラブコメディー。
 六ベエとマリッペ(この「ペ」って愛称が時代ですな)のケンカしたり照れたりの他愛ない恋愛模様を描いた作品なんだけど、こんな作品にまで随所に石ノ森さんが「実験」を試みてることに驚く。
 サイレントかつ縦長俯瞰のコマだけで構成した『雨の中のふたり』など、もとネタが『シェルブールの雨傘』だってことはすぐ分るけど、その換骨奪胎の技が絶妙にウマイ。
 『スペース・オペラ!?』の巻なんか、ハッキリ『サイボーグ009/超銀河伝説』の基本プロットになってるもんなあ。
 毎回ヒロインのマリッペが、表紙絵でお色直ししてくれてるのも嬉しいのであった。

2000年10月20日(金) カシューナッツと水木の世界とパーティと/『大熱血』(島本和彦)ほか


2001年10月19日(金) 逆探知されました(^_^;)。/『コータローまかりとおる!L』1巻(蛭田達也)ほか

 オタアミ当日まであと36日! 36日しかないのだ!

 風邪、全然よくならない。
 そりゃあ、病院にも行かず、安静にもしておらず、仕事して動きまわってるんだから、当たり前ではあるのだが、若いころに比べてホントにカラダなにガタが来てるのだと、淋しい気持ちに。
 昔は一日じっと寝てればたいてい治ってたものなのに、今は一度風邪をひくと1週間から2週間は、引きっぱなしだ。早く帰って寝たいのだけれど、今日も今日とて残業。
 しかも、昨日なくした自転車の鍵、実はまだ見つかっていないのだ。
 今朝は、「わあ、これじゃ出勤できんじゃないか」と、仕方なくしげが寝ている間に、しげの自転車の鍵を盗み出してきたのだ。
 多分しげは自転車に乗らないだろうから、迷惑はかからんだろうとの判断だが、勝手な決めつけかもしれない(実際そうなんだけど)。
 ああ、でも頭フラフラな状態で行き帰りの山越えはキツイなんてもんじゃなかった。
 ……コラ、そこの前行く、親子連れ、なんで道一杯に広がって歩いてるんだ。アタマ悪そうなガキ、三人もこさえてやがって。
 ホラ、ベルを鳴らしてやってるだろ、どけよ、どけったら。
 ああ、もう! どうしてベルの方にみんな一斉に寄ろうとするのだ。
 撥ねられたいのか、貴様ら。
 そうなのか? そうなんだな?
 そうかそうか、撥ねられたいのだな。ようし、撥ねてやる、撥ねてやるとも。
 へ(゜∇、°)へ ウケケケケ……。

 ああ、でも百万人を殺してるやつらは今、英雄と称えられつつあります……。


 帰りはもう8時近く。
 道すがら、ふと、道端に米の自販機があるのに気付いて、早めに買って置けば今月食料が尽きることもないなと、自転車を停め、何の気なしに万札を入れる。
 ところが、その途端に自販機がいきなり、ガタッと、音を立てて、販売中止の表示が出た。
 万冊は食われたまんまだ。
 いったい、どういうことよ、と、返却ボタンをガチャガチャ押してみるが、ウンともスンとも言わないし、動かない。
 よくよく自販機を見ると「一万円は使わないで下さい」の張り紙が。
 鳥目なので気がつかなかったのだ。
 張り紙には自販機を置いた店の電話番号も書いてあったので、慌てずに携帯で電話番号を掛け間違わないように押す。

 「この電話番号は、ただいま使われておりません。うふ♪」

 いや、「うふ♪」なんて言っちゃいないが。
 どういうことだよ、オイ、と、もう一度、番号を確かめて押すが、やっぱりつながらない。
 呆然として5分43秒ほど立ち尽くし、ハッと我に返った。
 このまま、諦めて帰るわけにはいかない。
 コトは十円百円の話ではない。
 「いちまんえん」なのだ。
 いちまんえんあれば、30年前ならチロルチョコが1000個買える値段なのだ(今はサイズが小さくなって1個20円なんだっけ?)。
 こうなっては非常手段に出るほかない。

 私はためらわず、110番をプッシュした。
 
 「あ、あの、すみません、こんなことで電話していいものか迷ったんですが」
 「はい、なんでしょう」
 「実はこれこれしかじかで一万円取られてしまいまして。いったいどこへ尋ねたらいいものやら迷った末に、お電話差し上げた次第で」
 「ハアハア、で、そこはどこです?」
 「……どこでしょう?」
 「……自分のいる場所、わかんないんですか?」
 「○○○から○○に向かう道だってことはわかるんですが……。鳥目で、あたりの様子が暗くて見えないんですよ」
 「近くに目立つ建物は?」
 「道が広くて、向かいの建物も見えません。……ちょっと渡って見てきます」

 きー、きききい!
 どてぽきぐしゃ。

 いや、ここでクルマに撥ねられてたら、こんな風に日記書けてないって(^_^;)。
 「あ、向かいの建物、わかりました。……もしもし? もしもし?」
 き、切れてる。走った拍子にうっかりボタンを押してしまったらしい。
 しかし間髪を入れずに、着メロが。

 ちゃっちゃらっちゃーん、ちゃーららー、
 ちゃっちゃらっちゃーん、ちゃっちゃらっちゃー、
 ちゃっちゃらっちゃーん、ちゃーら、ちゃーらー、
 ちゃーらっちゃー、ちゃーららー♪

 これだけでもわかるヒトには何の曲かおわかりだろう。しげが私のために入れてくれたのである。道端で鳴るとかなり恥ずかしいが。
 それはそれとして、慌てて電話に出ると、さっきのおまわりさんの声が。

 「いきなり切ったらいけませんよ!」

 ぎゃ、逆探知!
 逆探知されたのだ。
 いやあ、警察が逆探知するシーン、ドラマなんかでよく見るが、まさか自分が犯人の立場に立とうとは。警察にイタズラはできんのだなあ、と感心したが、いや、感慨に浸っているわけにはいかない。
 「すみません、うっかり切っちゃって。あの、えと、向かいには○○○○って建物があります。その隣には○○○○が」
 「わかりました。20分くらいでそちらに行きます」
 「……20分ですか?」
 「待てませんか?」
 「いえ、待ちます待ちます」

 で、寒空で待つこと20分。ようやく到着したパトカーから、若いのと中年のおまわりさんが二人。やっぱり警官ってこんな些細なコトでも必ず二人一組で行動するんだなあ。  
 事情を説明したあと、実際に自販機を見てもらうが、別におまわりさんに来てもらったからって、自販機が観念して万札を返してはくれないのだ(当たり前だ)。
 石地蔵を縛って引っ立てるのとはわけが違うし、途方に暮れるのはおまわりさんとて同じ。
 「電話は通じなかったんですね?」
 「ええ、何度かけても」
 「じゃあ、念のため、もう一度かけてみてください」
 「あ、はい。ぴぽぱぽぴぽ」

 「この電話番号は、ただいま使われておりません。てへ♪」

 「ほら、かかりません」
 「……あの」
 「なんでしょう」
 「市外局番を押してませんよ」
 「……は?」
 「携帯は、市外局番を押さないとつながらないんですよ」
 「そうなんですか?!」
 そう言えば遥か昔にしげがそんなこと言ってた気が。こっちから電話かけることなんて殆どないので、すっかり忘れていたのだ。

 改めておまわりさんが米屋に電話をかけてくれる。
 「20分くらいで来るそうです。待ちますか?」
 「……待ちます(ーー;)」
 私がおまわりさんにふかぶかと頭を下げたのは言うまでもない。
 しかし、更にそのあと20分。
 背中を走る悪寒と、ひっきりなしに出る咳に耐えながら、ようやく米は手に入れたものの、ますます風邪は悪化していくのであった。
 せめて栄養をつけようと、ポプラでカレー、スパゲティ、ネギ塩焼きそば、ハンバーグ、カツ弁を買って帰る。もちろん大半はしげが食うのである。


 しげ、『ナジカ』の第1話を見ていないと言うので、改めて一緒に見る。
 よっぽどパンモロが気に入ったらしい(^∇^)。
 しげは生のポルノとかは全然アウトなのだが、アニメのエロは全く平気なのである。
 「だって、人間同士って気持ち悪くて」
 これがよくわからない。
 結局は本人の想像力の問題だと思うんだがな、実写だろうとアニメだろうと。
 西原理恵子さんが、最近ホームページの『鳥頭の城』から田亀源五郎さんのサイトにリンクを張ったのだが、私はもう、表紙イラストを見ただけでゲンナリなのだが、しげは全く平気である。
 「だって、イラストじゃん」
 だからよう、私は別に他人がゲ○だって別に構わないけどよう、こっちに絡んでくること考えたらもうダメなんだよう。


 マンガ、天樹征丸原作、さとうふみや作画『探偵学園Q』2巻(講談社・440円)。
 先月1巻が出たのに、もう2巻が出たってことは、作者も、トリックがバレバレでくだんないと言うことを知った上での確信犯なのであろう。
 いちいち文句をつけるのも腹が立つのだが、この作家たちにはミステリに関する良心がない。あるいはとてつもないバカなのかも。
 堂々と盗作しておきながら、その盗作の元ネタを作中で披露する神経というのはいったい何なんだろうねえ。
 ヒトコト言っとけば、目の前に死体があるのに、それを検死しない時点で、ミステリとして卑怯なのである。


 マンガ、蛭田達也『コータローまかりとおる!L』1巻(講談社・410円)。
 ついに『コータロー』シリーズも最終シリーズか。
 長かったなあ。空手、柔道と来て、ラスト・シリーズは「忍者」モノだよ。
 しかし、連載開始後、18年、やっと「新堂功太郎」の元ネタが、伊賀忍者「新堂小太郎」であることが披露された(←実在)。
 っつーことは蛭田さん、忍者編で締めることを、もう十年以上も腹案にしてたわけだ。よく根気が続いたなあ。
 でもそれだけ寝かしてただけあって、今シリーズはこれまでの全てのキャラが総登場しそうな気配。舞台はなつかしのDブロック!
 天光寺も20数巻ぶりの登場、相変わらずハ○ネタで真由美とやりあってくれるし、ヨシミちゃんもやっぱり血を際限なく流し続けてるし、狂死郎も例の宴会チ○芸を見せてくれるし、ルーティーンギャグが懐かしいったら。
 っつーか、ここまで読み続けてたやつがどれだけいるのか(^_^;)。ましてや、JACの黒崎輝主演で映画化されたことなど誰が覚えていようか。
 ……行きましたよ、劇場まで。今思い返すと、この映画に出てたことをプロフィールから隠したい人もいそうな気がする。佐土谷峻兵役の伊原剛志とかね(^^)。
 それはそれとして、もう少し引いてから登場させるかと思ってたコータローの母ちゃんもいきなり登場だし、相当気合いが入ってる感じだ。
 さて、今度は何十巻続くのだろう(^_^;)。
 タイトルの「L」は、LOVEとかLOOKだとか異説があるようだが、LIBERTYじゃないかな、一番コータローのテーマに合ってると思うし。

2000年10月19日(木) 異端審問と放火魔タマキと消えたメールと


2001年10月18日(木) 風邪、続く。気の利いたタイトルなんて思い浮かばねーや/『トライガン・マキシマム』6巻(内藤泰弘)ほか

 オタアミ当日まであと37日! 37日しかないのだ!

 auのCMに出てる浅野忠信、「鏑木」くらい読めろよ。
 「かぶらぎ」って読むんだよ。
 天知茂の明智小五郎シリーズの音楽やってる「鏑木創」って作曲家がいたろう。昨日見た『十兵衛暗殺剣』の音楽もやってたな。
 ……軽いツカミでした。すみません、まだ熱にうかされてるんです。


 昨日からの熱、未だに続く。咳も激しくなってきたし、痰も絡む。病院行きたいなあ、ゆっくり寝たいなあ、と思っても、今はとても休めるような仕事の状態ではない。かぼげほごほと咳をしつつ、それでも弱音を吐いてはいられない、明るく元気に振る舞わねばとヘラヘラ笑いながら仕事をしていたが、端から見たらヘンなやつに見えたかも知れない。

 ふと気づくと、家の鍵がない。
 自転車の鍵もない。ポケットを全部探しても鞄の中をひっくり返してもどこにもないのだ。
 熱発してるせいか、記憶もすっ飛んでいて、どこかに置き忘れたのかどうかも全く思い出せない。具合が悪いこともあり、今日はタクシーで通勤。
 けれど銀行に寄って無いのでサイフには金がない。
 しげからお金を借りるが、ケチクサイしげのことだから、後々までネチネチ言われるんだろうなあ。
 「ひばり喚くぅよ、金返せ♪」
 ……誰の歌か、わかるかな?


 帰宅して横になり、ともかく寝る。寝て汗かけば、少しは楽になるかと思ったが、1時間もすると、せきこんで自然に目が覚める。
 あふあふと言いながらしげにラーメンを作ってくれと頼む。
 さすがに今日は日記更新をする元気がないが、掲示板の返事だけはともかく書きこむ。
 しげの作ったラーメンは醤油ととんこつのスープを混ぜた山盛り。あと卵を混ぜてある。とりあえず汗をかきたかったので頼んだんだが、なんか作りが大雑把だよなあ。病気の時にはちょっとした気遣いとかがすごくうれしく感じられるものだが、しげにはそんなもんがカケラも無いからな。冷凍庫にはモヤシだってあるんだし、そういうのがちょっと入ってるだけでもココロがほんわかするんだがなあ。
 いや、別に「ほかほか家族」なんて期待しちゃいないけどよう。
 ……あのアニメ、もう覚えてるヒト殆どいないだろうなあ。日々の生活を無理やりコトワザにこじつけるあたりが笑えたが、キャラデザインはマンガマンガしていて好きだったのである。制作スタッフなんか全く覚えてないんだが、アレは誰の絵だったのかなあ。

 余り味気なくて寂しくなってきたので、自分で鶏肉炒めを作る。小麦粉を溶いてエノキと卵を混ぜてお好み焼風にしようとしたが、やはり頭がフラついてるので味付けに失敗。醤油を入れすぎた上に焦げつかせて、辛いんだか苦いんだかわかんない味になった。
 でも作ったものを捨てるわけにはいかないので無理して食う。
 ああ、ますます気分が悪くなっちまったい。


 しげが『ナジカ電撃作戦』に興味を持ったので、第2話を一緒に見る。
 「可憐なパートナーは美しき弾丸と共に」。
 そのパートナーのリラが、ショットガンを片手持ちしてるカットを見て、しげが「なにこいつ?」と聞いてくる。
 「なんかロボットらしいよ」と答えといたが、正確には“ヒューマリット”と言うらしい。
 じゃあ、ヒューマリットってのが何かと言われるとまた説明に困るのだが。
 SFものは作品によってはその用語に権利が発生するものがあるので、ウカツには使えない。いきおい、作品ごとに新しい用語がやたらと生まれることになって困るんだが、「ロポット」「アンドロイド」「ヒューマノイド」とどう違うんだ。
 その辺の面倒臭さをゆうきまさみは『究極超人あ〜る』の中で「ロボットじゃないよ、アンドロイドだよ」とからかってみせたんだったが、更に火浦功は『未来放浪ガルディーン』の中で「ロボットじゃないよ、オーガニックインフォーサーだよ」と発展形を披露したのであった、って何のネタかわかんないね、すみません。
 ともかく、ヒューマリットってのは「生身の人間に限りなく近いが通常の人間の数倍の能力(身体的能力や知能指数)を備えてはいる」ということだが、そうなるとサイボーグやバイオロイドとかに近い感じなのか。よくわかんないが、出だしの展開が何となく『ザ・ビッグ・オー』に似てるんで、どう奇矯な行動をしていってくれるか、今後が期待できそうな設定ではある。
 こういう「人間でないものがトンチンカンな行動をとる」ってのは、やっぱりルーツは『王子と乞食」や『ローマの休日』あたりにあると思う。いや別にアン王女を「人間じゃない」と言いたいわけじゃないけど、経験を通してヒトとしてのココロを手に入れるって路線を辿る点では同じだからね。
 ……で、ヒューマリットのリラ、いきなり今話で逆立ちしてパンツを思い切り見せているのであった(^_^;)。


 マンガ、内藤泰弘『トライガン・マキシマム』6巻(少年画報社・520円)。
 わあ、GUNG-HO-GUNS、数が増えてやがる。なんか、霞谷七人衆が八人衆にいつの間にかなっちゃったみたいで、ちょっと話ムリヤリ続けようとしてないかって気はするけれど、一応クライマックス近しって感じはするのでまあいいか。
 「例の事件」のせいで(後書きでちょっとだけほのめかしてるけど)、内藤さんも多分随分参っちゃったと思うのに、それがまたバネになっているらしいのが嬉しい。
 「一度罪を犯した者の罪は、永久に消せないのか」
 「暴力を、殺人を、ヒトはヒトを犠牲にしなければ生きられないってコトを完全に否定するのは不可能なのか」
 現実的に考えれば、答えを出すのは簡単な、けれどあえて別の答えを求めてさ迷うヴァッシュの姿は、今までも随分壮烈だった。壮烈過ぎて、ついに悲しい弱音をヴァッシュは吐いてしまった。
 「もうわかんないんだ。どんな表情すればいいのか」
 ああ、このセリフは結構胸に刺さった。
 先が見えなくなった時って、もうなにがなんだかわかんなくなるんだよなあ。でも、そのセリフを口にした、というコトは、それを乗り越える展開を、キャラクターが、そして作者自身も考えているということでもあるのだ。
 物語はいったん、過去へ遡る。アニメでも描かれた、レムとの交流。
 プラントを受け入れることに偏見を持っていなかったレムに、同じように育てられていながら、ヴァッシュとナイブズはなぜ二つの道に分かれたか。それを語り終えたあとに、本当のクライマックスが訪れるのだろう。
 なんの希望も見出し得ないような設定なんだけど、それでも何かの希望を求めて物語は進んで行く。
 ヘンな雑音に惑わされず、内藤さんには頑張ってもらいたいものだ。


 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』5巻(小学館・530円)。
 脚本を井上敏樹が書いてるってことで、AIQのぴんでんさんはこんなのまで読んでらっしゃるようだが、すみません、私も読んでます(^_^;)。
 トリコロールの同僚と言うか、アキラの推理のライバルとして登場した新人アイドルの山吹美奈斗、作中に出て来た写真のポーズなんか見てると、釈由美子あたりをモデルにしてるように思うんだが、どうだろうか。
 ストーリーやトリックの方はどうこう言えるほどのレベルではないのだが、犯人のキャラクターが毎回エキセントリックなのはやっばり青少年向けだから「勧善懲悪」でないとってコトなのかな。ドラマとしてはこれ、随分マイナス要因になってると思うんだけど。

2000年10月18日(水) オニギリとわらび座とフリカケと/『彼氏彼女の事情』10巻(津田雅美)


2001年10月17日(水) 踊る私と寝る私/映画『十兵衛暗殺剣』/『ザッツ・ハリウッド』ほか

 オタアミ当日まであと38日! 38日しかないのだ!

 昨日からの雨、今朝になっても降り続く。
 こう鬱陶しいと仕事に行く気も失せるが、日銭を稼がんことには本も映画も楽しめない。合羽を着て自転車で山越え。
 けど、これは思ったよりも全身にびっしょりと汗をかくことになって、ヤバイなあ、と思っていたら、案の定、ぶるっと寒気が来て、熱が出始めた。
 自分がだんだんと風邪を引いていくのを感じるっていうのもイヤなもんだ。


 残業はもう連日。
 まあ、ツライ残業ってわけじゃないし、楽しいから、それはそれで構わないんだが、ともかく残業手当が出ないのが悲しいなあ。
 夕方ごろから、眩暈やノドの痛みも襲ってくる。
 雨は一向に止まないし、どんどん思考が減退していくのであった。

 帰宅途中にポプラに寄って、今週の「少年ジャンプ」の『ヒカルの碁』を立ち読み。
 今までずっと伊角編が続いていたのが、ようやくヒカルの話に戻ってきた。佐為が消えてからもう2ヶ月以上、話を引いて来たわけだから、単行本1巻分くらいの分量になる。
 もうそろそろ、佐為が消えたままになるにしろ復活するにしろ、いい加減、決着をつけなきゃならんころだろう。でも、アニメが始まってるってのに、雑誌連載に佐為が登場しないってのも、売るための戦略としてはマイナス以外のなにものでもない。余り考えたくないことだけど、やっぱり佐為は復活しちゃうんだろうなあ。
 復活のさせ方次第では、急速に熱が覚めちゃう気もするが、それはそれで仕方ないかな。


 帰宅は6時半すぎ。残業があったと言っても、今日は比較的早い方だった。
 テレビを点けると、NHK教育『天才テレビくん』で、中村有志さんがパントマイム指導をしていた。
 「パントマイムの基本はですね〜、三つあるんですよ〜。
  愆櫃なる・反る』
 ◆愎ばす・縮む』
 『ねじる』
 これだけなんですね〜」
 ふむふむなるほど、といつの間にか見入ってしまう。
 で、カラダを丸めたりねじったり。
 私も一応、劇団の代表でございってな顔して、脚本書いてるけれど、演劇の勉強を専門の学校で習ったわけではなし、やたら本を読みまくって我流で理論を考えついてるだけなんだよね。
 だもんで、こういう番組があるとついついメモでも取りながら見てたい気分になるのだな。
 「つま先で立つ。これで同じ場所で歩いてるように見せられるんですね」
 これが私はヘタなのである。私もご多分に漏れず、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が流行ったときは、ムーン・ウォークをマネしたものだったが、どうしても後ずさっちゃうのだ。要領が悪いやつはどこまでいっても要領が悪い。
 これが出来るようになると、チャップリンが『街の灯』で見せたような「平地の階段登り」が出来たりするので便利なのだが。
 「固定点を作る」というのはまあまあできるようになった。あの、「壁」ってヤツですね。これも感覚の再現を試みれば、コツがつかめてくるのだ。
 ……で、テレビの前であんなことやそんなことをやってると、しげがニヤニヤしながらこっちを見るのだ。私がこういう「青二才」的なことをやってるとすごく喜ぶんだよなあ。温かく見守るということができんのかな、こいつは。


 続けて『テニスの王子様』&『ヒカルの碁』の第2話二本立て。しげも他の新番アニメはなかなか見ようとしないが、この二本だけは何となく気になるみたいで、いろいろ突っ込みを入れてくる。
 私が「『テニプリ』始まったぞ」と言ったら、「何それ?」と聞くので、ついうっかり、「テニスのプリンセス」と言ってしまった。
 ……女じゃん、それじゃ。
 でも「テニプリ」だけじゃ男か女かわかんねーよな、実際。
 意外なことに、しげはこのマンガ、気になってたらしい。「絵柄が好きだからどんなのかなと思ってて」しげの好みの絵柄ってのが私にはイマイチ分らないのだが、そうウマイってほどの絵でもなし、ツリ目キャラがいいのかなあ?
 第1話も、リョーマの実力をザコキャラ相手に見せつける展開、主役の顔見世としては、まずはいかにもな滑り出しだったけど、第2話で、その実力が父親譲りの才能とわかって、「おいおい、そこまで定番な設定なのかよ」といささかゲンナリ。
 リョーマが「サムライジュニア」と呼ばれるシーンを見て、しげが「何これ、毎回アダナがつくの?」と言って笑う。実際、そう言いたくなるのもわかるくらい、展開が1話と変わらないのだ。言っちゃなんだが、手抜きだよ。そうでなきゃ、基本的に物語の懐が小さい原作なのかも。出来次第によっては原作も読んでみるかどうか考えていたが、特に読みたくなるほどの魅力は今んとこない。

 『ヒカ碁』の第2話「見ぬかれた急所!!」、女の子に人気(らしい)緒形九段が登場。声は『クレヨンしんちゃんの』ひろしの藤原啓治さんだ。
 「どうもこの声聞くとひろしの顔が浮かんじゃって」と、しげは緒形ファンが聞いたら激怒しそうなことをサラッと言う。抑えた演技で、私はひろしとはまるで違う印象を持ったんだがなあ。
 それより、原作ではあまり感じなかったけど、塔矢アキラの「ヤオイ」的演出が目立ったことのほうが気になったぞ。
 ヒカルを探して、電車のドアをこじ開けて飛び乗ったり、息せき切ってヒカルに追いすがるように呼びとめたり。予告編でも行洋ババと花散る下で見つめあってて、いやもう妖しいのなんの(^_^;)。余りそっちの方のファンに媚びたりはして欲しくないんだけどねえ。


 具合が悪くなったからといって、しげが飯を作ってくれるわけでもないので、仕方なく晩飯はレトルトカレー。賞味期限切れか何かで200円の割引だったので買った激辛カレーだったが、マジで激辛。食べるのに十分以上かかる。
 考えてみたら、風邪ひいてるのに、カレーはちょっと胃に悪かったよな。なにかうどんか何かを買っときゃよかった。
 カレーもイマイチだったが、ご飯が最近、上手く炊けない。
 ホントに何度も何度もといで、水を濾して、それでようやく甘くなる。そうでないとたいてい苦い。
 もしかしたら炊飯器自体の調子が悪くなってきてるのかなあ。結婚前から使ってるやつだから優に15年は経ってるしなあ。さすがに買い替えどきなんだろうか。

 しげが仕事にいった後、熱に浮かされ始めたのか、なかなか寝つけない。そのまま勢いでCSを見続ける。

 CSファミリー劇場『十兵衛暗殺剣』(1964・東映)。
 東映の近衛十四郎による柳生十兵衛シリーズ第9作にして最終作。最初の『柳生武芸帳』は言わずと知れた五味康祐原作なのだけれども、このころになるともう完全に五味原作とは離れていて、「紙屋五平」原作ってことになってる。この人はよく知らないのだが、多分もともとの作家じゃなくて、映画のためのお抱え原作者なんじゃなかろうか。
 ああ、しかし、近衛十四郎の柳生十兵衛と大友柳太朗の幕屋大休との最後の決闘が、史上最高の殺陣シーンとまで言われて世評に高いこの作品、これがやっぱり『柳生武芸帳』の時と同じでシネスコサイズの画面の両端をぶった切ったトリミング版なんだよ!
 見ていても確実にわかる、この映画が面白いのかどうか、テレビじゃ判断のつけようがない。……だって刀が画面外に切れてて見えないんだもの(T_T)。かろうじてカメラがロングに構えた時の二人の間合いで緊張感は伝わってくるものの、肝心の斬り合う場面になるとカメラはどうしても寄っちゃうから、刀のスピードがよくわからなくなるのだ。
 ストーリーが「殺陣を見せる」ということだけに徹していて、ムダな部分が殺ぎ落とされているだけに、部分的にしかそのスゴさが伝わってこないのがなんともモドカシイ。ああ、これは本気で劇場で見たいぞ。けど福岡にはもともと少なかった名画座、今は全滅しちゃってるからなあ。せめてノートリミングのDVD、出してくれないかなあ。


 WOWOW『ザッツ・ハリウッド 秘蔵のフィルム』。
 タイトルに「ザッツ」とつけてるあたり、MGMの『ザッツ・エンタテインメント』を意識してるのだろうけれど、原題は“Hidden Hollywood”で、“That's”なんてついてない。でも、そう付けたくなるのもよくわかるのである。なんたってこれは、20世紀フォックスの100年の映画の中から、今は失われたと思われていたもの、編集の段階でカットされたもの、カメラリハーサルのフィルムなどを探し出して一挙公開したものだからだ。
 MGMへの対抗意識があるとは言え、本気でこれは面白い。MGMといえばそのドンはあの「タイクーン」ダリル・F・ザナックなのだけれど、彼の眼鏡に適ったもの、適わなかったもの、そこには個人的な趣味と言ってもいいやや独善的な判断が色濃く反映されている。
 そのため、捨て去られたフィルムの中には今の眼から見れば間違いなく傑作、と言えるものも膨大な数だけ秘蔵されていたのだ。
 あのねえ、『天晴れテムプル』(1938)のシャーリー・テンプルとジミー・デュランテの“クライマックスの”ミュージカルナンバーまでがカットされちゃってんだよ、こりゃ、言ってみれば『虹の彼方に』のカットされた『オズの魔法使い』、『ドレミの歌』のない『サウンド・オブ・ミュージック』、『マイ・ブルーヘブン』を歌わない『エノケンの法界坊』みたいなものではないか。
 しかもその理由が「テンプルちゃんが生意気に見えたから」……テメーの主観でミュージカルナンバーを勝手にカットするなああああ!
 また、かわいそうなのが伝説の黒人タップダンサー、ビル・ロビンソン。舞台ではシルクハットに燕尾服の粋なスタイルで人気を博していたのに、映画ではいつも使用人の役、唯一本人役で出演した『カフェ・メトロポール』(1937)は、役そのものがカットされた。「黒人が活躍するシーンなんて許せない」という観客の抗議にザナックが屈したのだ。差別や偏見が映画・演劇・文芸の数多くの名作を闇に葬ってきた例は枚挙に暇がないが、やはり表現の自由はどこまででも保障されないといけないのだ。
 W.C.フィールズやバスター・キートンの失われたコメディ・シーンが再現されているのもコメディファンには必見だろう。

 見ながらようやく眠りに落ちたので、後半はうろ覚え。そのうちまたゆっくり見なおそうかな。

2000年10月17日(火) 博多弁とベターハーフと女好きな女と/映画『知らなすぎた男』


2001年10月16日(火) ココロを濡らす雨……詩人だなあ(どこが)/『エンジェル・ハート』1巻(北条司)ほか

 オタアミ当日まであと39日! 39日しかないのだ!

 職場で、同僚に「字がきれいですねえ」と言われる。
 「字配りがまっすぐで、読みやすくて」とまで。しかも複数のヒトに。
 なんかなあ、しげにまた謙遜ぶりっこなんて言われちゃうかもしれないけれど、私ゃ自分の字に本気で自信がないのよ。ちょっと書痙ギミなところがあるので、長いこと書き続けられないし。
 でもだからこそ、誉められると素直に嬉しくなっちゃうのだ。貶されると素直に落ちこむし(^_^;)。
 不思議だなあ、自分の書いた脚本なんかだと、誉められても貶されても、結構冷静でいられるのに、字のこととなると、妙に一喜一憂してしまうのだ。
 やっぱりお袋がムチャクチャ字が上手かったせいだろうなあ。どんなに人から誉められても、母の字には遠く及ばないことを自覚してるから、嬉しいのと恥ずかしいのがいっぺんに来てしまうのである。
 「きれい」と言われるより「読みやすい」と言われる方が嬉しいが、「暖かい」と言われたことはない。でも世の中には、「ああ、暖かい字だなあ」と思ってしまう字を書く人もおられるのだ。
 ムリにきれいな字を書こうとせず、流れるままに書きたいなあとは思うのだが、余り暖か味のある字にはなっていない。まあ、死ぬまでにいっぺんくらい、人が見て心が和むような字を書いてみたいようにも思うが、なによりも歪んだ性格がそれを邪魔しているようである(^_^;)。


 朝方、寝坊しそうになって慌てて自転車で出勤。
 いつもは天気予報を確かめて行くのだが、そのヒマもなし。
 外を見るとやや曇り空ではあったが、晴れ間も見えてはいたので、つい油断をした。傘も合羽も用意せず。
 何となく肌寒く感じていたので、これはヤバイかな? と思っていたら、見事に勘が当たった。実際、悪い勘ばかりはホントによく当たる。
 昼ごろから外は雨模様、一時は土砂降りになった。
 今日も今日とて残業だったので、帰宅は8時近く、外はもう真っ暗闇。
 これで自転車で山越えをせねばならんのか(ーー;)。
 悩んでいても仕方がないので、小降りになったのを見計らって職場を飛び出すが、天も私を見計らったのか、途端にそれまでの小雨がいきなり土砂降りに変わる。
 いやもう、マジで前が見えなくなった。
 もともと目が悪く、鳥目気味である上に、眼鏡には拭っても拭っても水滴が溜まり、クルマのヘッドライトを乱反射させる。
 もう、このへんに道があるはずだ、というカンだけで、ソロソロと進んで行くが、こんな時に限って、横道からヒトやらイヌやらが飛び出してくるのである。
 撥ねられたいのか、コラ。
 こっちはちゃんとライト照らしてるんだから、気がつきそうなもんなのに、どうして間近になるまで道のど真ん中にいて除けようとしないかなあ。
 いや、まだそれはマシなほうで、最悪なのは、無灯火、傘差し、右側通行ですっ飛ばしてくる自転車である。こんなのが何台も私のワキをビュンビュンかすめて行くのだ。事故が起きずにすんだのは、私の注意と僥倖のおかげ以外のナニモノでもない。
 ……雨ん中、携帯でくっちゃべりながら自転車でこっちに突っ込んできた女子高生までいたぞ。なぜ雨の中でまで携帯にすがりつかねばならんのだ。やっぱりどこかイカれてるんじゃないのか。
 なんとか命からがら(いやホント)ウチにたどりついたが、カラダはずぶ濡れ、ココロもずぶ濡れである。
 慌てて風呂に入ってカラダを温めるが、ココロは寒いまま、なかなかもとには戻らない。


 ついさっきまで鴉丸嬢が来ていて、しげと一緒に芝居の練習をしていたらしい。というか、雨に降り込められて帰れなかったのかな。
 大分セリフも入ってきたらしいが、さて、動きはちゃんと練り上げられてるのかどうか。しげも鴉丸嬢も、姿勢が悪いからなあ。
 鴉丸嬢、美人なのに仕草が固いせいで舞台上ではもう一つ映えないのである。その辺、演出がカバーしてあげる手を考えてあげられたらイイ線いくと思うんだけど。今回の脚本、ダンスをあちこちに入れまくったのはともかく「動いてほしい」ってことがあったからなんだが、さて、型が決まらないまでも面白く見せる手をみんなが思いつけるかどうか。
 それにしても、役にハマっているからとはいえ、しげは最近、私生活でも脚本のセリフを頻繁に口にするのである。これが実に癇に障るのだ。いや、どんなキャラかって「化け猫」なんだけれども(^_^;)。
 自分の書いた脚本だからそう文句も言えんが、私はコトバの語尾に「にゃ〜にゃ〜」付けるヤツはでーっキライなのである。
 お前はでじこか。
 でも行灯の脂を舐めるシーンとか書かなくてよかったなあ。そんな演技まで家ん中で練習されてたら、夜もおちおち眠れたもんじゃなかったろう。


 風呂から上がって、更新の遅れている日記をひたすら書く。
 いや、別に長々と書かなくたって、10行程度で終わらせときゃ、追いつくことだって簡単なんだが、なんだかついついあの話題もこの話題もと思っちゃうのだなあ。
 疲れて話題をはしょったりすると、あとになって、ああ、あれを書いときゃよかったって必ず後悔するもんでねえ。
 我ながらバカだとは思っているのである。

 ニフティのオタアミ会議室を覗いてみると、先日アップした『サイボーグ009』の感想へのレスがポツポツと載っている。残業が増えてきたので、すぐにレスをつけ返せないのだが、概ねみなさんもあの1話には感激しているようで、白黒アニメ放送時からのファンとしてはやはり嬉しい。
 何でも世間には「009は初期の丸っこい絵で目はぐるぐる目でないと!」なんて言ってるコアなんだかイッちゃってるんだかわからない人もいるらしいが、『009』の内包するテーマは、既に少年マンガの絵では表現しきれないくらいに深くなっちゃってるんで、さすがに最初期の絵じゃなあ、と考えるのが常識的な判断ではなかろうか。
 もしも『天使編』まできちんとアニメ化するのであれば、「我らヒツジ、群れ集う」のセリフを、あの最初期の絵のキャラに吐かせると言うのか。……それはそれで結構シュールかもしれないな。でもそれじゃ手塚治虫の『罪と罰』になっちゃうぞ、多分。


 マンガ、北条司『エンジェル・ハート』1巻(新潮社・530円)。
 おっと、出版社が集英社じゃないや(^o^)。
 ついに出たバンチコミックスだけど、しげの野郎、一番ほしかった『眠狂四郎』を買って来てくれなかった。そんなにシバレン、キライかよ。読んだこともないくせに。
 前に総集編で読んでるんで今更たいして感想はないが、見返しのところで作者が「これは『シティ・ハンター』の続編ではありません」と断りを入れているのには呆れた。続編じゃなきゃなんだって言われたら「パラレルワールド」なんだそうな。『宇宙戦艦ヤマト2』かい。
 ま、アレだろうな、編集長の堀江ポテト信彦が、「新雑誌は絶対ヒットさせなきゃならないから、好きなものは第2作で書かせるから」とか条件つけて、無理やり北条司に頼み込んで描かせたとか、そんな事情なんだろうな。
 それならそれで、読者にだって、あくまでこれを『シティハンター2』として読んでやる自由だってあるわけで、貶すもクサすも自由ってもんだ。たとえどんな裏事情があるにせよ、読者を無視した創作姿勢に対しては、批判はされてしかるべきだろう。
 これで、ヒロインと香の心が融合して一人の人格になってハッピーエンド、なんてしょーもない結末になるようだったら、もっと罵詈雑言投げつけてやるぞ(^^)。
 

 マンガ、赤塚不二夫『(週)少年アカツカ サイケに笑いたい時には… べしを探せ!号』(小学館・300円)。
 雑誌形式の本なので、やたら広告が載ってるが、全部ガーナチョコで高橋尚子。なんだか露出のしかたが一般的なイメージの陽気で天然ボケなキャラクターと合ってない気がするが、本人は案外したたかなキャラなのかもな。
 いや、広告のことはどーでもいーのだ。
 いつも載ってた予告編が今回はなかったが、そうなるとこれが最終巻になるのか? まだ四冊しか出てないのに早過ぎないかなあ。よっぽど売れなかったんだろうか。
 今回は『天才バカボン』『おそ松くん』『オッチャン』『もーれつア太郎』の四本。いつものやや長めの短編がないが、その分、ラストの『サイケ・サイケビーチにて』は言ってみれば赤塚版『ねじ式』。あるいは赤塚版『エヴァンゲリオン』か。ニャロメとべしの海岸での妄想をマンガにした実験作だ。
 傑作かケッ作か、その評価は分かれるだろうが、赤塚さんがこんなのも描いてるってことを考えると、ホントに行きつくとこまで行っちゃった人なんだなあ、という感慨が起こる。結構幅広く赤塚作品は読んでたつもりだったけど、こんなのもあったんだなあ。
 こうなると、もっとほかの作品も読んでみたいぞって思うんだけども、ムリなのかなあ。次は『ひみつのアッコちゃん』とか取り上げてくれればいいのにって思ってんだけど。

2000年10月16日(月) ファジー理論とエスパーとサイボーグと/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第一話ほか


2001年10月15日(月) カチカチ山の……/ドラマ『着ながし奉行』

 オタアミ当日まであと40日! 40日しかないのだ!

 世間は未だに狂牛病だの炭素菌だのと喧しい。
 でもマスコミが躍起になって報道し続けるほど、結局はニュースがニュースでなくなって、ただの情報の垂れ流しになってしまうことは以前もこの日記に書いたような気がする。
 必然的に、ニュースのリアリティはどんどん失せて行ってることにマスコミが気付いてないらしいのがつくづくバカだ。というか、「バカでいいじゃん」と開き直ってるのかも。センセーショナリズムをジャーナリズムと言い替え、その欺瞞に馴れて欺瞞であることすら自覚できなくなっている連中の猿芝居をいつまで見せられつづけるのか。
 だってねえ、「テロだテロだ」ってテレビは騒ぎ続けてるけど、いつまで経っても日本にジェット機が突っ込んでくる気配もないのだよ。それどころか、タリバンは連日の空爆で明らかに弱体化してきている。
 「長期戦になるかも」という予測に反して(もちろん残党が各地でテロを続けることはありえようが)、意外と早く始末がつきそうな気配なのだ。もうテロ関係のニュースは夜中に「今日のタリバン」とかいうコーナーを作って、そのときだけ流すようにしたらどうか。


 夜明け前、何か夢を見たらしい。
 メモに「2ちゃんねるの夢見る」と書いているのだが、更新が遅れているので、完全に記憶の彼方に行っちゃってて、ハテ、いったいどんな夢だったんだか(^_^;)。
 なんだかなあ、私のことが2チャンネルで貶されてたような気がするんだが、どうして貶されてたのか、全く思い出せん。
 つーか、そんな夢を見たってことは、私は2チャンネルで話題にされたいのか。おいおい。
 多分、一昨日見た『ファントム・ペイン』の「やんすちゃんねる」のせいでそんな夢見ただけなんだろうけど。しかし、匿名巨大掲示板を社会病理の象徴のように描くなんて、鴻上尚史もつくづく腑抜けたものだ。
 もちろんそれは「便所の落書き」の拡大版なわけで、品性ゲレツと言われればその通り、俗と言えば俗なのだけれども、だからこそ表には現われぬ、その時代の意識下の情念を知るには格好のテキストであることは間違いないのである。
 かつて「奇想天外文庫」が、「便所の落書き文化」の重要性をその創刊の辞で高らかに標榜したことがあったが、今和次郎の考現学も、藤森照信の建築探偵も、赤瀬川原平の路上観察も、もちろん唐沢俊一さんの裏モノ採集も、全て根っこはつながっているのだ。学校の教科書に載っている文化史などは全て偏狭かつ独善的な「おカミの言い分」でしかない。
 鴻上さんも「えらい人」になりたいのかなあ。
 演劇が社会的に認められることは喜ばしいことではあるのだけれど、その分、社会的通念に迎合する作品が増えるようになれば、演劇というジャンルそのものが死に瀕する危険性だって生れてくると思うんだがなあ。


 休みが明けても(って休日も出張ってんだから全然明けた気分にならねーけど)残業は続くし、自分の時間がここしばらく取れそうにない。
 既に仕事中の安らぎは便所に篭ってる時だけとなりつつある。
 クサイ話だ。


 今日の夕食は、カレーをまた作ろうかと思っていたのだが、ステーキ肉がまだ残っていたので、目玉焼きをつけて焼いてやる。狂牛病騒ぎもそのうち沈静することであろうから、安い肉をたらふく食うのは今がチャンスである。
 既に通常時の半額にまで落ちているのだから、精肉業者も大変だろうが、これだけのデマで迷惑を被ってるのだから、当然、国の補償はあるであろう。その金は税金で賄われるわけだから、我々は肉を食っても食わなくてもある程度肉代を払わされることになるわけだ。
 ……だったら、食ってたほうがまだいいじゃねーか。
 いつぞやのカイワレ大根騒ぎも『買ってはいけない』騒動もそうだが、デマに踊らされる群集の愚かしさを、もっと各方面で笑ってやったほうがいいんじゃないか。

 アナタも今、肉を食べるの控えてませんか?
 だったらアナタは紛れもなく現時点では世界最低のアホです。


 しげが仕事に出たあと、口淋しくなって、シャケを焼く。
 ガスコンロにかけて、火をつけたの忘れないようにしなきゃなあ、と思って、パソコンの前に座ってメールチェックを始めた途端、きれいサッパリ忘れた(^_^;)。
 気がついたら部屋の中が煙でモウモウ。
 なのに、いやに目が痛いなあ、疲れ目かな? なんて悠長に構えてたのだから情けない。
 幸い火事にまでは至らなかったが(一応、警報が鳴るほどではなかった)、シャケは黒焦げ。それでも、残った身はないかと細かくお焦げを殺ぎ落とすあたりが我ながら貧乏人。
 換気扇を回し各部屋の空調を全開にして数時間、それでも煙はなかなか薄くならない。風呂場の窓を空け放し、風通しをよくしてようやく煙が薄らいだ。
 たまにこういうことがあるが、昔に比べて本当に記憶力が減退したのだなあ。ドクター・カオスではないが、新しい知識が古い記憶をどんどん消し去って行くのであろう。って、5秒毎に記憶が消えていくのは困りものだが。
 ……関係ないけど、私は何遍覚えても「IT革命」の“IT”が“Information Technology”の省略形であることを覚えられません。何かいい語路合せでもご存知の方はいらっしゃいませんか(仕事柄、この手の言葉をパッと言えないと困ることが多いのです)。

 CS時代劇チャンネル『着ながし奉行』見る。
 言わずと知れた、岡本喜八の傑作時代劇。これがなんとテレビで放映されてたってんだから、いい時代もあったもんだ。
 原作は山本周五郎の『町奉行日記』。
 すなわち、三隅研次の『鉄火奉行』、市川崑の『どら平太』と同じ原作だ。
 しかし、同じ原作なのに、毎回主役の仇名が変わって、それがタイトルになるってのは偶然なのか伝統なのか。実際ドラマの中で奉行所の書き役が望月小平太の仇名を聞くシーンが必ずあるしなあ。
 誰の考えることも同じ、と言いきっちゃうのは岡本喜八に悪いかも知れないが、ネーミングセンスからいえばやはり「どら平太」の方が一つ頭抜きん出ている。このネーミングは黒澤明の発案だそうだが、どうも岡本さん、黒澤さんと同じ題材で勝負するといつもいささか分が悪い。
 ……『どら平太』の監督が市川崑でよかった。黒澤さんが撮ってたら、岡本さんのテレビ版も敵わなかったかもしれない。いや、歴史にifは禁物かな(^^)。

 ストーリーはどの映像化もほぼ同じで、原作を忠実に描いていると言える。言い替えれば原作のヨワさもそのまま踏襲しているわけで、ラストであっけなく濠外の面々が降参してしまうのがいささか拍子抜け。そこにアイデアがほしいところだったが、その分、岡本喜八の映像化は役者の魅力でその辺を補っている。
 望月小平太の仲代達矢以下、当時の無名塾の面々(『どら平太』の役所広司もいる!)と、いつもの岡本組の役者たち、殿山泰司も天本英世もチョイ役だけどちゃんと出ているのが嬉しい。
 やはり山本周五郎には「軽み」が必要なのだなあ。

2000年10月15日(日) ステーキとモーレツとSFミステリと/『海底密室』(三雲岳斗)ほか


2001年10月14日(日) 新番紹介、大トリ!/アニメ『サイボーグ009』第1話「誕生」

 オタアミ当日まであと41日! 41日しかないのだ!

 しげもよしひと嬢も起き出す前に、朝もはよから休日出勤。
 ……って、ホントに6時半だってのに自転車飛ばして山越えだぜ。いったい何の因果でこんな目に(TロT) 。
 バタバタしててつい寝ているしげの髪の毛を踏む。
 「いたあい!」と悲鳴を上げて一瞬アタマを起こしたが、またそのままパタン、と倒れて目を閉じたので、多分、夢だと思ったであろう。

 そんなわけで、よしひと嬢にはご挨拶もできなかった。
 まあ、またそのうち遊びにくることもあろうから、せいぜいよしひと嬢の喜びそうな映画やなんかを録画して用意しておくことにしよう。
 実を言うと、今回も三船敏郎主演の『戦国無頼』とか『赤毛』とか、準備してはいたのだが、チラリともお見せできなかった。そりゃ『ナジカ』とか見せてたからだろうって、そうなんだけど(^_^;)。以前から「黒澤明の『野良犬』見せてください」なんて頼まれてて、うんうん頷いてたのに、その約束も未だに果たしていない。
 よしひと嬢も、日頃映画を見たくてもなかなか見に行けないことも多いようなので、せっかくの機会をムダにさせてしまったようで、申し訳ないことであった。

 昨日の日記では触れ損なってたことであるが(っつーか疲れて書ききれなかった)、実際、よしひと嬢の会社、残業が多くて、録画したビデオもなかなか見られないくらい忙しいらしい。
 でも残業の中には「勉強会」とか称するタダ働きもあるそうなので、結構アコギな職場みたいだ。
 なんでもそこの社長は会社の真ん前に、今時「二宮金次郎の銅像」をおったてるようなアナクロ爺さんだということだが、よしひと嬢が「ポケットマネーで建てたって言ってるけど、それ、会社の売り上げだろーが!」とここ数ヶ月ずっと怒り続けているのである。

 まず間違いなく、この「二宮金次郎像」ってのは、薪しょって片手に本を持ってる姿だと思うが、さて、実在の二宮尊徳が子供のころホントにこんなことしてたのかというと、これがイマイチ定かではないのである。
 というのが、このイメージが世間に広まったのは、実は1891年(明治24)、尊徳の門人の手になる彼の伝記『報徳記』を読んで感動した作家、幸田露伴が、少年少女向けの「少年文学」の中で表した伝記『二宮尊徳翁』の中に、絵入りで薪を担いで読書する金次郎像を提示したことがきっかけになっているのである。
 この話が国定教科書の修身の教材として採用されたことで、世間一般にひろく知られるようになって、半ば国策的な形で全国の小学校の校庭に金次郎の銅像がたてられることになったわけだ。
 幸田露伴という人は、ともかくマジメ一徹な人で、歴史に取材した小説を書く場合でも、原典に信憑性がなかったりすると筆を折っちゃうような頑固なところがあったから、このエピソードも事実なのかも、と一瞬思っちゃうのだが、それがどうも違うらしい。
 なぜかというと、ジョン・バニヤンの宗教書『天路歴程』の1886(明治19)年の翻訳版の挿絵に、背中に大きな荷物を背負って本を読んでいるクリスチャンの少年の姿が既に登場していたからである。
 実際、「文章として」尊徳がそんなことしてたって記録はないんで、言い替えれば、そんなイメージだけが先行してるものにノせられて「精進」をスローガンにしてるような奴は、相当アタマの中身がとろけてると判断してまず間違いないと思われる。
 ……でも、よしひと嬢の職場、最近業績が上がってるらしいのだ。果たしてホントに何かの御利益があったのか、それとも鰯の頭もなんとやらの効果であるのか。


 昼過ぎには仕事を終えて帰宅したのだが、どうにも頭が重く、そのままぶっ倒れて寝る。しげはどうせ練習で遅かろうから、唯一ゆっくり出来る時間だ。
 目が覚めて見るともう夕方。
 ちょっと慌てたのは、今日が新作『サイボーグ009』の第1話の放送日だったからだ。いやはや、危うく録画し損ねるところだった。
 一読三歎、いや、一見百歎と言うべきか、殆どハズレばかりの新番の中で、掛け値ナシの傑作、過去の全ての009映像化を凌駕したことは間違いない。
 興奮して即座にオタアミ会議室に感想を書きこむ。
 (以下引用、ご参照のこと)



 やってくれましたよ、キャラデザイン&作画監督の紺野直幸さん、この、原作そのままの絵柄で(といっても、ベースは多分『エッダ編』の頃)、あのアングルとアクション!
 サスペンスフルなドラマを堪能させていただいた30分でした。

 原作マンガをご存知ない方はいらっしゃらないでしょうから、ネタバレを気にする必要もないとは思いますが、一応ギリギリの線で書いておきますと、第1話が原作と最も違う点は、原作にあったOPの、ブラックゴーストの陰謀の描写、001から008までが誘拐されるくだりが丸々カットされていることです。
 もっとも、このOPエピソードは、原作自体、後から追加されたもののようですが。
 ですから、アニメの第1話は、009の改造、脱出、襲いかかるロボットや戦車、戦闘機との戦い、001のテレパシーによる誘導、仲間たちとの出会い、ギルモア博士の拉致、と続きます。
 いや、ここまでの話をダイジェストに陥ることなく、凝縮して描いた脚本の腕は、称賛に値するものでしょう。何より原作を好きだって思いが伝わってくるのがいいのですよ。

 ああ、特にあの伏線張りまくりのセリフ・セリフ・セリフ!

 001のテレパシーの導く通りに逃げているのに、なぜか敵に襲われ続ける009、「どうして……? 君の言うとおりに逃げてるのに……」
 001はアッサリと、「ごめんごめん。君の能力をもっと見たくて、敵のいるところにワザと連れてったんだよ」
 ……ああ、そういうやつなんだよ、001は!(^^)
 「会ったら君をぶん殴ってやる!」と言う009に、「殴れないと思うよ」と笑う001。
 やっぱりグループのリーダーと言うのはこれくらい人非人であることが絶対条件ですね♪
 爆発する戦闘機から落下する009を救ったのは002。
 このときの二人の会話が……ああ、すごい(初心者には)さりげない伏線!

 既に原作を知っていて、001の正体も、『ヨミ編』のラストも知っているオトナにとっては、これらの伏線、バレバレではあります。
 でも本作で初めて『009』に接した子供たちは、たとえばこの第1話のラストで、あるいは十数話を経て、あたかも「ウルトラマン」第1話と最終回が見事に連続したときのように、「ああ、アレにはこんな意味があったのか!」と感動するのではないでしょうか。
 009はもうブラックゴーストの戦闘員(←人間)に「化け物」呼ばわりされています。サイボーグたちの悲しみを語る伏線も既に張られているのです。

 ちょっと不安材料を口にすれば、どうやら009の設定が「少年院を脱走した」わけではないらしいことや(回想シーンに「ボクは神父さんを殺してない!」のセリフあり)、第2話の予告編が全部止め絵であったり(ウワサではまだ出来ていないとも)、裏番が“俺ももう見てないのになんでまだ視聴率が高いんだ”「海産物一家物語」だったりと、この先原作の改変やテコ入れ、番組の継続自体の危機は訪れているような気がいたしますが、スタッフのみなさんもそれは先刻ご承知のはず、きっと後は「勇気だけ」で乗り越えてくれるだろうと期待しています。

 それにしてもスカールが若本規夫ってのはちょっと濃すぎるんじゃないか。でも中間管理職って言ったら「カッコつけだけ」であんなもんなのかな。
 首領の声はできたら劇場版第一作の山内雅人さんのように、リアリティのある渋い声がいいのだけれど。



 オタクでない人のためにちょっとだけ注をつけておくと、「勇気だけ」は、原作『ミュートス・サイボーグ編』での009のセリフ。
 けれど出来ればこのままレベル落とさずに『中東編』や『移民編』も原作を余り改変せずにやってほしいなあ。
 もひとつ言わせてもらえば、絵面だけのキャラに引かれるんじゃなくて、こういう「魂」を持ったキャラに目をきちんと向けるアニメファンがもっと増えてほしいぞ。マジで。


 帰ってきたしげ、いきなり「スシ食いたい!」と言い出したので、二人で近所の回転寿司屋へ。私はもうカネがないので全てしげのオゴリだ。
 なんて情けない夫だろうとお思いの方もおられようが、そうではない。
 私はちゃんと自分の分の食料を買い置きして、冷蔵庫に入れているのだが、気がつくとしげが肉だのなんだのを勝手に食いつくしてカラにしてしまっているのである。
 ……私は何を食べればいいのだ。
 自分の分は自分で買って作れと言ってるのに、しげはこういうことをしょっちゅうやらかしてるのである。回転スシの10皿や20皿で返せるものではないのだ。
 というわけで遠慮なくタカる。久しぶりに食いすぎた感。……明日はまた絶食せねばなあ。

2000年10月14日(土) 「野草」刈りと漂泊者と生ベルばらと/『あこがれの遠い土地』(トーベ・ヤンソン)ほか


2001年10月13日(土) 封印/第三舞台『ファントム・ペイン』(鴻上尚史作)/アニメ『カスミン』第1話

 オタアミ当日まであと42日! 42日しかないのだ!


 すっかり書くのを忘れてたけど、この人のことを書かないではいられない。
 10月9日、映画監督、ハーバート・ロス氏、死去。
 死因は詳らかではないが、ここ数ヶ月、入退院を繰り返していたとか。
 享年74歳。

 CNNは「映画『愛と喝采の日々』のハーバート・ロス監督、死去」と伝える。
 もともとバレエの振付師から出発した経歴をメインに、バレエ映画を数多く撮ったと紹介。
「バレリーナのノラ・ケイさんと結婚したが、ノラさんは1987年にがんで死去。1989年には、故ジャクリーン・ケネディ・オナシスさんの妹リー・ラジウィルさんと再婚したが、10年後に離婚した。」とも。
 代表作として挙げられていたのが、『チップス先生さようなら』『ボギー!俺も男だ』『グッバイガール』『ニジンスキー』『ダンサー』『フットルース』『摩天楼(ニューヨーク)はバラ色に』『マグノリアの花たち』など。

 まあ、一般的にはそういう認識だったのだろう。
 でも、私にとってのハーバート・ロスは、上記の作品の中では『ボギー』くらいしか面白いと思ったものはない(っつーかほかのは余り見てないんだが)。

 それよりも、ロス監督といえば、脚本家ニール・サイモンとの名コンビであったことを明記しておかねばなるまい。
 調べてみると、『サンシャイン・ボーイズ』を初め、5本もある。『カリフォルニア・スイート』『グッバイガール』『わたしは女優志願』『キャッシュ・マン』……あはは、ニール・サイモンのファンみたいなことを日ごろ言っときながら、私の見てるのが最初の一本だけだ。情けないなあ。
 でも、その1本だけでもこのコンビのスゴさは充分語れると思う。
 『サンシャイン』はいわゆるバックステージものなのだけれど、私自身はこの作品はチャップリンの『ライムライト』を越えたと思ってる。ウォルター・マッソーとジョージ・バーンズのかけあい漫才は楽しかったし、二人だけの幕切れがイキだった。三谷幸喜が「東京サンシャインボーイズ」を立ち上げたのも本作へのオマージュだろうが、逆立ちしたって敵うもんじゃないのである。

 いや、それよりも更に、私のロス監督フェイバリット・ムービーは、実はこの一本なのだ。

 『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』。

 ……あえて原題を書こう。“The Seven-Per-Cent Solution(7%の溶液)”。
 これは、いわゆるホームズシリーズの「正典(キャノン)」ではない。映画評論家ニコラス・メイヤーによるパスティーシュ(贋作)小説、『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』の映画化なのである。
 ホームズがコカインの常習者であったことは正典にも記載のあることだが、原題の7%溶液というのは、このコカインの濃度のことを表している。このコカインがホームズの頭脳にどのような影響をもたらしたか。
 それを解き明かすのがなんと、実在の精神分析医、シグムント・フロイト!
 ホームズが実在の誰それと会った、という贋作は数あれど、私はこの「フロイトVSホームズ」が、山田風太郎の『黄色い下宿人』(夏目漱石VSホームズ!)と並ぶ傑作だと信じて疑わない。
 ホームズに扮したのは、ニコル・ウィリアムソン、腺病質のホームズをキッチリ演じていた。後に彼は『刑事コロンボ/攻撃命令』でホームズを彷彿とさせる役を演じ、擬似「コロンボVSホームズ」の夢も叶えてくれることになる。……アンタ、知ってるかい? 吹き替え版の声優は平田昭彦だよ!?
 Dr.ワトスンにロバート・デュバル、マイクロフト・ホームズは『OO7/ダイヤモンドは永遠に』で三人目のブロフェルドを演じたチャールズ・グレイ、モリアーティ教授はアッと驚くハムレット名優、ローレンス・オリヴィエ。
 しかしなんと言っても感動なのは、フロイトがもう一人のクルーゾー警部、アラン・アーキン!

 つまりこの映画、「クルーゾーVSホームズ」でもあるんですね(^o^)。

 ラストのオッカケはまんま『キートン将軍』へのオマージュ、果たしてこれはシリアスなのかコメディなのか、けれどともかく数あるホームズ映画の中でもむちゃくちゃ面白いという稀有の傑作なのだ。

 ロス監督はやはりアチラの職人監督、役者の芸に注目する目には確かなものがあったのだと思う。観てない映画もまだまだ多いし、DVDを少しずつでも集めて行こうかな。
 少なくとも『サンシャイン』と『ホームズ』が出たら絶対買うぞ!


 今日はよしひと嬢が泊まりに来るので、仕事から帰るなり、部屋の中を大片付け。でも対して間がなく、トイレ掃除も風呂掃除も取りかかれないまま、タイムリミット。
 博多駅で待ち合わせして、私、しげ、よしひと嬢の三人でメルパルクホール福岡へ。
 開場30分前に到着したが、既にホール開場を行っていた(並んでいる客が多いのでそうしたのであろう。メルパルクは、そういう配慮を殆どしないところなので、鴻上さんの指示かも)。
 周りを見まわした感じでは、ジジババ(私と同年輩以上)は殆どおらず、だいたい20代〜30代のお客さんばかり。てことは旗揚げ当時は小学生以下って子供ばかりなわけで、世代交替してるんだなあと実感。
 どちらかというと、カップルや女性客の方が多い感じ。

 今回の公演は、第三舞台『ファントム・ペイン』。
 20周年記念&10年封印公演だとか。最終公演がオハツ、というのもなんだかなあ。
 デビュー当時から注目してて、鴻上尚史の脚本も『朝日のような夕日を連れて』以来結構買いこんで読み耽り、ビデオなんかでもよく観てた第三舞台だけれども、実はナマで観たのはこれが初めて。
 理由は簡単で、ビデオで観た舞台の様子が、脚本から想像される面白さの半分も面白さを伝えていなかったからだ。芝居が、演出が、学生演劇の延長でしかなかったのだ……って、そりゃ早稲田の学生演劇だったんだから当然なんだけれども。
 もちろん、若さゆえのパワーを感じてはいた。
 それまでの演劇には見られなかった様々なガジェット、たとえばマンガ、たとえばアニメ、たとえば特撮、そういったものを作品中に散りばめることによって、「ああ、この人はボクたちと同じものを見てきている」、そう感じて共感もした(同じようなことを渡辺えり子や野田秀樹もやっていたが、鴻上尚史のほうがより我々に“近かった”)。
 けれど同時に「何か違う」という思いもしていたのだ。
 それはつまり、鴻上さんという人が基本的に「青春野郎」であった、ということに起因しているのだろう。
 鴻上さんには、世の中にたくさんの「許せない」ことがある。それは例えば、「演劇が世間的に認められていない」なんてことも含まれるのだが、ともかく、世の中の矛盾、いい加減、適当なこと、そういうものにたいする怒りを結構露わにしちゃう人なのだ。
 鴻上さんの発言は、だから時として、年下の私から見てすらとても青臭くなることがある。
 教育問題について発言し、「学級崩壊を起こさないために20人学級を実施せよ」なんてことを言ったりする。いや、教育に関する発言、鴻上さんは結構たくさんしてるのだ。

 ……多分、鴻上さんは、演劇の道に進まなければ、教師になりたかったのだ。

 『ファントム・ペイン』は、鴻上さんのかつての作品同様、様々な映画や演劇の影響を受けて作られている。
 もちろん、『朝日』以来、全ての作品に影を落としているサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』は言わずもがなだが、もう一つ指摘しておきたいのは、黒澤明の『赤ひげ』だ。
 青年医師が、頑固一徹な老医師の指導の下、心を閉ざした少女の治療に成功する物語。実はこの二人の関係は、医者と患者のそれと考えるより、教師と生徒のものとして見たほうが理解しやすい。
 『赤ひげ』にこういうシーンがある。
 青年が少女に薬を飲ませようとするが一向に飲んでくれない。
 ところが、老医師「赤ひげ」が匙を差し出すと、初め同じように抵抗していた少女がやがて薬を飲んだ。
 いったい、赤ひげはどんな「魔法」を使ったのか。
 何も使ってはいない。赤ひげはただ匙を差し出し続けただけだ。つまり、「何もしなかった」。

 鴻上さんは教師になりたかったのかもしれない。しかしなれたとして、「よい」教師にはなれなかったろう(「よい教師」なんて概念自体、空中楼閣だが)。 なぜなら、鴻上さんには赤ひげのように「何もしない」ことが出来ない。
 何かをしなければならないと思いこんでいる。
 そして、何をすればいいか、正しく「よい教師」への道が見えていたからだ。
 しかし、これが大いなる罠なのであって、目の前に見える道は、それがどこへ続く道であろうと、決して最善の道ではありえない。
 それが現実だということを、「青二才」の鴻上さんは未だに知らないのである。

 「ファントム・ペイン」とは、「幻肢痛」のことである。事故などで失われた四肢がまるであるように錯覚すること。切断面の神経が圧迫されているために起こる錯覚だ。それをタイトルに選んだ理由について、鴻上さんはこう語っている。

 「例えば、ひとり旅とか、グループ旅行の思い出とかは延々語られていくわけだけど、別れた人と行った旅の思い出は二度と語られないと思うんだよな。
 そういうのはもちろん俺にもあるし、誰でもある経験だろうと。じゃあ、その語られなくなった言葉は消えてしまったのか。いや、もしかして、ふたりが共有していたモノに閉じこめられているだけかもしれない。もし、そのモノに込められた“語られなくなった言葉”を読みとることが出来る人物がいたら……」

 気がついているのだろうか、鴻上さんは。
 そんな人物の存在自体が「幻肢痛」であるということに。

 『スナフキンの手紙』の続編として書かれた本作は、「争いのない」平成の現代日本に飛ばされてきたパラレルワールドの人々が、かつての仲間たちと邂逅を果たすところから始まる。
 かつて、この世界に飛ばされるきっかけとなった、インターネット上のサイト「やんすネット」を通じて語られていた謎の言葉、「スナフキンの手紙」。
 それが、この世界にも「ある」というのだ。しかも、その言葉が語られているサイトの名は「やんすチャンネル」。
 彼らは、その管理人に会おうとするが、彼は今まで20年も自室に「ヒキコモリ」の状態でいた。パラレルワールドの人々は彼を外に引き出すため、ヒキコモリの部屋を前にしての、「岩戸神楽」を試みていく……。

 ……お客さんはね、ここから大いに盛りあがってたのよ。
 役者たちが次から次へとヒキコモリくんを呼び出すための方法が楽しくて。
 「楽しいことをすればいいんだ!」
 カンケリ、サッカー、フルーツバスケット、ミュージカル、etc.……。
 どれもヒキコモリ君の心には届かない。
 ……届いてないのに、どうして観客はああも笑えるか?
 いや、笑ってていいんだよ。
 ヒキコモリくんも、そして舞台で飛びまわってる役者たちも、そして実は観客たちも、みんな「舞台」という名の部屋に引きこもってる人たちなんだから。

 私がどうにも不快に陥ってしまったのは、このときのミュージカルシーンで、役者全員が唐突に「一緒に滅びましょう」と歌ったことだ。
 このセリフは、ヒキコモリくんに投げかけられたセリフでもあるが、観客に投げかけられたセリフでもある。
 それで一気に気持ちが覚めていった。
 なぜ、私があなたたちと一緒に滅びなければならないのか?
 コトバを逆転させようと、本質的な意味は変わらない。このセリフにあるのは陳腐な共同体幻想であって、鴻上さんがやったことは、「私たちと一緒なら幸せに慣れるよ」と誘うただの「宗教の勧誘」にすぎない。
 そして、カーテンコール、「信者」たちがあちこちで立ちあがり拍手を送る。
 ……彼らの中のどれだけが、「一緒に滅びましょう」の意味に気付いたというのだろうか?

 だからこその封印、ということなのであろうか。
 劇団が封印されるだけではない。
 観客もまた、「第三舞台のファン」という立場を追い出され、どこかに閉じ込められるのである。
 かつて、第三舞台の芝居に熱狂し、公演のたびにかけつけていた同世代の客たちは、今、殆どいなくなっている。
 小劇場ブームは、結局、一過性の流行現象でしかなかった。
 オトナになり、演劇を生活の必需品とする習慣の消えた人々、言わば、劇団との共同体幻想を持ち得なくなっている人々は、とうに第三舞台から離れているのだ。
 劇場に足を運ばなくなった彼らこそが、「語られなくなった言葉」なのだ。
 彼らが姿を消したのは、鴻上さんが「言葉をないがしろにしてきたツケ」だとは言えまいか。 

 しげやよしひと嬢はそれでもまあ満足したようである。
 「役者がみんな『芝居が大好きだ!』って感じがいいの。第三にストーリーなんか期待してない」
 と誉め言葉になってないことを口にするしげ。
 役者の何人かについて、自分たちの芝居と比べて、あれこれ見習わなければ、などと話し合う。
 特に、今度私が書いた脚本の中に登場させたヤツとよく似たキャラがこの『ファントム・ペイン』にも出てきたもんだから、「あんな風に演じればいいんだよねえ」などと某くんへの愚痴を言うよしひと嬢。
 ……なんかシンクロしてんなあ、とつい思っちゃったのは、その「よく似たキャラ」を演じてたのが、私の高校時代の友人で、池田成志というやつだったからだ。すごく親しいというわけでなくて、普通の友達の間柄だったので、卒業後特に連絡をとってはいなかったが、間に知り合いを介在して、今でもちょくちょく近況を聞いたりしてはいるのである。
 ……本人も役がらそのまんまなやつなんだけどね。


 帰りにロイヤル・ホストで三人で食事。
 よしひと嬢、会社の悪口を言いまくる(笑)。
 大分疲れがたまっていたので、タクシーにでも乗ってさっさと帰りたかったが、いかんせんそんなカネはない。
 ……パンフレットがなあ、DVDつきで、3600円もしやがったんだよ。……こういうときは、別売りにするもんじゃないのか?


 帰宅して、慌ててトイレ掃除、しげは風呂の準備。
 こういう時、結局汚いほうを私がやるのだ。つくづく性格の悪い女房に引っかかっちまったなあ。

 録画しておいたNHK教育の新番組アニメ『おいでよ! ヘナモン世界 カスミン』第1話を見る。
 全く前情報ナシに録画したんだが、なんと、『クレヨンしんちゃん』の元監督、本郷みつる氏だったのだった!
 更に更に、キャラクターデザインは『おじゃ魔女どれみ』シリーズの馬越嘉彦、制作は『To Heart』のオー・エル・エム。どういうわけだか「ヘナモン監修」に荒俣宏(^o^)。つまり「ヘナモン」ってのは妖怪なわけだ。
 こりゃ結構強力な布陣ではないかな?
 なるほど、日常的な描写がなかなか細かくて上手い。主人公の春日カスミがベッドにポンと横たわるときに足なんかが投げ出される感じ、華奢な重さが感じられててすごくいいぞ。
 両親がアフリカに行くことになったカスミの下宿先は、なんとオバケ屋敷だった、って設定はありきたりなんだが、そういう細かい描写で見せる。少なくとも、これまで観てきた新番アニメのなかじゃあ、出来は格段にいい。
 ……でも気がついてみたら、毎週楽しみに見てるアニメが段々少女ものに傾いてきてるなあ。
 あ、いや、別にちっちゃな女の子が好きだからってワケでは(^_^;)。

 『ヒカ碁』『ナジカ』をよしひと嬢に見せる。
 やはり原作ファンなだけあって、『ヒカ碁』はお気に召さなんだご様子。
 後は疲れてみんな眠る。……久しぶりに私はイビキをかいたらしい。また鼻詰まりが再発し始めたかな?

2000年10月13日(金) 病気自慢と白髪三千丈と……ね、眠い/映画『レッド・ブロンクス』


2001年10月12日(金) それはそれ!/『ゲッベルスの贈り物』(藤岡真)ほか

 オタアミ当日まであと43日! 43日しかないのだ!


 朝方、随分涼しくなっているのだけれど、日中、陽射しが指すとじんわり汗ばむ日が続く。
 今日、やっとワイシャツを長袖にしてみたのだけれど、暑い暑い。明日からまた半袖に戻そうと決意。
 

 仕事が忙しいので、無理やり息抜きの時間を作って本を読む。
 こういう時ほど本がどんどん読めてしまうのはなぜだろう。時間がゆっくりある時にはたいてい居眠りしちゃうのに。

 藤岡真『ゲッベルスの贈り物』(創元推理文庫・672円)。
 創元推理文庫が、90年代に入って才能のある新人さんをどんどん発掘してくれてるのはミステリファンとして単純に嬉しく思う。
 先日読んだ青井夏海の『虹の事件簿』も面白かったし。
 この藤岡真のデビュー作も、1993年に一端発表されてすぐ絶版になったものだとか。こういう「幻の」ってヤツは当然「幻」になるだけの理由があるわけで、傑作か超駄作かそれを確かめてやろうって思うだけでもココロがワクワクしてくる。
 著者は博報堂に勤めてて、VOW者でもあるそうで(^o^)、いかにも「怪作」っぽい気配だ。
 タイトル見ると、何かスパイものか何かかなんて思っちゃうでしょ?

 実際、物語は、ドイツ降伏、ヒトラー自殺直後のUボートの中から始まる。海軍大佐、飛良泉英雄に与えられた最後の任務は、最終兵器、コードネーム「ゲッペルスの贈り物」を日本に届けること……。
 でも次の章で、おハナシはいきなり現代日本に飛ぶ。
 人気俳優、剣城直樹が、その秘密の恋人、真弓にビルの28階から突き落とされ殺される。
 更に次の章、人気爆発中の謎の女性アイドル、「ドミノ」の正体を探るように命令されたプロデューサー、藤岡真のところに真贋いずれとも判別し難い情報が次々にもたらされる。
 メディアにビデオテープのみが送りつけられ、一切姿を現さない「ドミノ」とはいったいナニモノなのか?

 ……どうですか?
 三つの、何の関わりもなさそうな出来事が段々一つに収束していく……ミステリーではよく使われる手ですね。既に最初の3章で、トリックは仕掛けられています。
 多分、ミステリを読みなれてない人は引っかかっちゃうんじゃないかなあ、と思いますが、先にちょっとご注意申し上げておいた方がいいでしょう。

 この作品に散りばめられたトリックは、どれもこれも、「かなり」インチキです。

 っつーか、トリックのためのトリックであって、必然性がない。マジメなミステリファンなら絶対怒るだろうなあ。

 ミステリの「アンフェア論争」は、クリスティの『アクロイド殺し』以来、様々な作品で論議されてきたことだけど、たいていそこで問題になったのは「叙述のトリック」、つまり犯人ではなく「作者」が読者にトリックをしかけてもいいものかどうか、ということだった。
 私は基本的にそれは構わない、と思っている。つまり、作者が読者にトリックを仕掛けなければならない必然性があった場合だ。
 そう考えると、『アクロイド』には「アンフェア」な部分などこれっぽっちもない。
 横溝正史の『本陣殺人事件』は、叙述のトリックを仕掛けないと、犯人の仕掛けたトリックまで露見してしまう危険性があった。これも「必然性」があったと言えよう。
 しかるに、この『ゲッベルス』には、それが全くないのだ。あるのは、作者の「意表をつきたい」願望があるばかり。これじゃとてもミステリとは言えない。これはただの「イタズラ本」だ。
 だから、最初の一章で、「これは作者にマトモなミステリを書く気がないな」と気付いてしまえば、後は殆どのトリックが芋づる式に露見するようになっている。

 ……もう、ある程度ネタバラシしちゃうけどね、いきなり「ゲッベルスの贈り物」なんてもの大仰に持ち出してきて、そしてその正体を明記しない、なんて、これで「謎」を提出した気になってるのがちゃんちゃらオカシイのだ。
 そんなもの存在しないに決まってるじゃないか。
 そんな最終兵器が実在してるんなら、どうしてドイツは自分たちでそれを使わなかったのだ。
 冒頭からトリックにもなってないトリックをカマしてくるあたり、この作者、相当ミステリってものをナメてるのである。っつーか頭がかなり幼稚。
 だからさあ、「犯人」をいきなり登場させてたら、そこにトリックがありますよ、と自分で宣言してるようなものじゃないの。ミス・ディレクションでタネのあるほうに注目させてどうすんのよ。
 いや、そのへんはともかくさあ、これ、時代設定が1993年ってことになってるけど、この時点では絶対不可能なトリック使ってるのよ。森博嗣の『すべてがFになる』にもそういう欠点があったけど、ハナからミステリ書く気なんてないなら、「これはミステリではありません」って明記しとくべきだと思うがな。
 だから、結論として、これはアンフェア以前に「インチキ」な作品なのだ。そのインチキさを楽しもうと思って読めば(つまりはトンデモ本ですわな)、まあそこそこの出来だとは言えようか。

 ……なのに、存外この作品、「本格ミステリ」として評判がイイらしいんだなあ。どこが?
 ただのバカミスで、笑い飛ばしながら読んでやりゃいいんじゃないかと思うんだけど。新本格が流行ってからっていうもの、読者のレベルも落ちたのかなあ。

〔付記〕

 六年も前の文章であるが、作者の藤岡真氏が、自身のブログでこの記述についての怒りを表明しておられるのを発見した。
 それについては、2007年8月9日の日記で「訂正」を記しておいたので、こちらにも転載しておく。

>「坊主憎けりゃ(2007/07/14)

> 曝してやるぜ。
> 九州でオタクアミーゴというイベントを仕切っている藤原敬之という男が、己のHPで書評を書いているのだが、これが惨憺たる代物で、頭と性格の悪さが如実に出ている。

> これは、そいつが書いた、『ゲッベルスの贈り物』の書評だが、後にも先にも、これほど無礼千万なものは見たことがない。
> 千野帽子さんがブログの、5月29日のエントリでも言っているように、素人だからといって何を書いても許されるわけではないのだ。
> 前々から苦々しく思っていたが、いい機会なので貼っておく。

> 馬鹿が書いた文章の見本のようなものだ。」

 『ゲッペルスの贈り物』の書評を書いて、ずいぶん時間が経っているのに、またどうして今更、という気もするのだが、タイトルを見て納得した。ああ、藤岡氏は私がまだオタクアミーゴスの関連者だと思っているのだなと。藤岡氏はと学会のメンバーでもあったので、唐沢俊一氏への怒りがこちらにも飛び火した、ということらしい。私が唐沢氏の腰巾着の一人か何かだと思っておられるのだろう。
 そこんとこは完全な誤解なので、記しておかなきゃならないだろうけれど、もう何年も前にAIQとは縁が切れている。今頃になっていきなり「袈裟」扱いされても困るのである。第一、AIQにいた頃だって、ただ所属してただけであって「仕切ってた」なんてことは全くない。
 私は今も昔も、唐沢俊一氏の「著書」のファンではあるが、それにしたところで別に「唐沢信者」というほどではない。AIQにいた頃だって、いや、その以前から、唐沢氏の著書に間違いが多いことは日記で結構指摘しているのである。
 AIQに入ったのだって誘われたからであって、自分から進んでではないのである。というか、よく入れる気になったと今でも思うが、恐らく私の日記をよく読んでいなかったのだろう(苦笑)。

 それはそれとして、私の書評に対する藤岡氏の怒りは感情論としては理解できるものである。誰だって、自分が精魂込めて書きあげた作品を頭ごなしにつまらんと言われたら、腹が立つだろう。
 かと言って、読者だって、作者に阿って誉めた文章だけを書くしかないなんてリクツがあるわけでもないので、つまらないと感じたものはそう書くしかない。腹を立てるなら立ててください、としか言いようがないのである。

 更に言えば、藤岡氏は、千野帽子さんのブログを引用して(ここの部分だろう→「素人はなにを言ってもよくて、作家は素人に反論できないと考えている人がいるようですが、ウェブだろうが商業媒体だろうが、原稿料が発生しようがしまいが、著名人だろうが無名人だろうが、人に見えるところで発言する以上は批判されることは折込み済みのはず。作家に弄られるのが嫌なら感想などネットに公開するな。」)いるが、私は別に自分の文章に対して反論がないなんて考えているわけではない。
 逆に、千野さんと全く同じことを、これまで何度も日記に書いてきている(もう一つ、付け加えるなら、作家さんに喧嘩を売るために書いているわけでもない)。

 だから、こうして藤岡氏に私の文章を晒されても全然構わないし、それどころかまさしくこんなドシロウトの馬鹿な文章に「馬鹿」とマットウな評価を下してくれたことについて、逆に驚きと言うか、読んでくれていたのかとありがたくさえ思うのだが、私ごときにありがたがられたところで藤岡氏には迷惑なことであろう。
 こちらが素直に喜んでいるのを今度は阿ってくるのかとまた誤解されても何なので、このまま怒っておいていただくしかあるまい。
 従って、『ゲッベルスの贈り物』についての再反論もするつもりはない。

 藤子・F・不二雄氏が、『エスパー魔美』の一エピソードで描いていたと思うが、「作家が作品を描く。批評家がそれを貶す。作家がその批評を見て怒る。それでおしまい」なのである。 (2007年8月10日記之) 


 仕事から帰ってみると、しげ、ようやく病院に行って、セキドメの薬をもらってきていた。
 「注射打ってもらったか?」
 と聞くと、
 「熱はないから」
 と、またウソをついて逃げていた。昨日は「熱があるよう」と泣いていたくせに。
 今日になって熱は引いたと言いたいのだろうが、だったら病院だって行かなくていいんじゃないか。ともかくなにをやるにつけても一足も二足も遅いのである。

 帰りがけにコンビニに寄って弁当を買ってきてやったのだが、しげもほか弁を買っていた。
 マンガを買うときなんかもそうだが、結構お互いに考えがシンクロして、買い物がかち合うことが多いのである。それを回避するためには出来るだけ仲を悪くしてた方がいいのかもしれない。でもそうすると、今度はお互いに何も買わないで、一日ずっと日干しってことにもなっちゃうので、なかなかうまいこといってくれない。
 とりあえず、しげの食べ残しを食べる。
 かつとじなどの丼もの、胃にもたれるナァ。


 ビデオで仕掛けておいた『明智小五郎シリーズ |懃畸法抔る。
 当然、再放送で、本放送は1989.11.15。もう10年以上前だ(森尾由美が探偵助手をやってるくらいだものなあ)。
 明智小五郎は小野寺昭で、これほど知性を感じさせない明智は、『D坂殺人事件』の郷ひろみとタメを張るほど。にやけた好青年の明智なんて毒にも薬にもならんわ。
 他のキャストもなべおさみの浪越警部といい、畔柳博士の本郷功次郎といい、気の抜けた芝居しかしていない。いや、何より脚本が何も考えていない。ミステリをやりたいのかサスペンスをやりたいのか、狙いがなにもないのだ。
 ……2作で終わったのも当然だよな。


 しげが仕事に出かけた後、漫然と金曜ロードショー『マスク オブ ゾロ』を見る。
 劇場で見たときは、初代ゾロの妻がどうしてロリータじゃないんだとか、原作との違いに目くじら立てつつも、それなりに楽しんで見てたので、まあ、吹き替え版には特に注目してなかった。
 ところがどっこい、なかなか面白いキャスティングしてくれましたねえ。
 主役のアレハンドロ/2代目ゾロ(アントニオ・バンデラス)には森田順平、ドン・ディエゴ/初代ゾロ(アンソニー・ホプキンス)には樋浦勉。
 いや、主役陣はいいのよ、驚いたのは敵方のドン・ラファエロ・モンテロ(スチュアート・ウィルソン)、これをアテレコしたのが野沢那智!
 ……おわかりですか? かつて『アランドロンのゾロ』を吹き替えしたのは、もちろん、ドロンのフィックス俳優である野沢さん。つまり本作は、新旧ゾロの対決バージョンになっていたのですよ!
 いやあ、野沢さんの切れまくった悪役ブリの凄まじいこと。
 「ムぅスメを殺すとでも、おもぉったくわァ!」
 アンタ、その演技、時代劇だよって、こりゃアチラの時代劇だったか(^^)。
 こういうイキなキャスティングがあると、吹き替え版もなかなか捨てたもんじゃないと思えるのですな。


 今月からCSキッズステーション『アニメぱらだいす』がリニューアル。パーソナリティーが飯塚真弓から野川さくらに変わった。
 ……って、別に声優オッカケなんてやってないんだってば。
 『吠えろペン』の島本和彦がゲストに出ていて、なんでもない言葉でも力説すれば名ゼリフになる!」と力説していたのに大笑い。
 「それはそれ!」って、大ゴマで言われりゃ確かに納得するものなあ。これが言霊の力ってやつ?
 「『ふとんがふっとんだ』ってギャグだって、普通の布団が風で吹っ飛んだと思って描いても面白くない。高級羽毛布団がダイナマイト百本で吹っ飛んだと思って描くとスゴイ迫力が……私は何を言ってるんでしょうね?」
 いや、島本さんは何を言っても「許す!」

 同じくキッズステーション『鉄人28号』26話「ロビーの最期」。
 う〜ん、ちょっと自信がないが、ドラグネット博士の声、巌金四郎じゃないかなあ。……わかんない人のために言っとくと、黒柳徹子の大センパイでNHKで声優指導をしていた大重鎮、昔の東映動画にはしょっちゅう出ていて、『西遊記』の牛魔王や『わんぱく王子の大蛇退治』の火の神なんかを演じてる。
 こういう昔のアニメは資料が散逸してることが多いんで、聞き取りで確認するしかないのだ。
 ……『鉄腕アトム』のハム・エッグが江幡高志さんだったって知ってた?
 正太郎がドラグネット博士を追いつめる時、「博士はガラス窓は実験の失敗で割れたと仰いましたが、ガラスの破片が部屋の中に落ちているのはどうしてですか?」と問詰めるあたりは、さすがは少年探偵。っつーか、そんなすぐわかるウソつくなよ、博士のクセに頭わりーぞ。

 この26話から、あの『彼氏彼女の事情』でも有名な正太郎マーチに歌詞がついたらしい。
 でも曲が先にあったせいか、どうにもメロディーにうまく乗っていない。……曲は好きなんだがなあ。歌いにくいよなあ。
 『アトム』も歌ってる上高田少年合唱団が合唱してるんだが、サビの部分(「ぼくは正太郎 まけるものか」の部分)がボーイソプラノなのは、さすがショタコンの元祖♪ 今聞いても萌える同人女が出るんじゃないか(^^)。
 『独立少年合唱団』(美少年好きはぜひ見たまえ)には、正太郎マーチを歌わせればよかったのだよ。
 さあ、サビの部分は裏声で歌へ!

 進め 進め 空へ海へ 進め 進め チャンスだぞ
 鉄人 ぼくらについてこい 力あわせ ガオーと進め
 ぼくは正太郎 まけるものか

 急げ 急げ SOS 急げ 急げ ピンチだぞ
 鉄人 ぼくらがついてるぞ 力あわせ ガオーと進め
 ぼくは正太郎 まけるものか ぼくらは仲間だ 正太郎進め

2000年10月12日(木) 乳の電話と江戸のエンコーと胃袋女と/『十時半睡事件帖 おんな舟』(白石一郎)ほか


2001年10月11日(木) なぁじぃかは、知ぃらねぇどぉ♪/『ナジカ電撃作戦』第1話「華麗なるエージェントは 一輪の薔薇と共に」ほか

 オタアミ当日まであと44日! 44日しかないのだ!

 ホントにないのだ。
 うーむ、この「エンピツ」には既に5万人近い方が登録されているというのに、誰か一人くらい、「オタアミに行くよん」と仰る方はいらっしゃらないのかなあ。
 ……いや、登録されてる方は5万人でも、この日記に目を通されてる方はせいぜい数十人程度だろうってことはわかっちゃいるんだけどさ。
 エリア検索をすると、福岡に住んでらっしゃるって登録されてる方が90人くらいおられるようなので、いっそのこと全員にメール送っちゃおうかなんてことすら考えちゃったのだが、すんでのところで留まった。
 イカンイカン、またちょっとココロがどこかにイキかけてるぞ。
 

 仕事、更に遅くなる。
 でも実はこれが苦痛ではない。
 私は自分の職業について、社会的な観点からいえば、ハナクソほどの価値もないと考えているものであるが、だからこそ社会にはなくてはならないものだとも思っているのである。
 いわゆる「無用の用」ってやつだね。
 自分が今「ムダなことをしているなあ」と感じることが、とても快感だったりするのである。


 見損なうといけないと録画しておいた、WOWOWアニメ『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第2話「トラウマなんて、こわくない! 」。
 やっぱりというか、早くも2回目にしてドラマ展開は第一話の拡大再生産。
 キンギョのラン、インコのツバサ、ハムスターのクルミに続いての新登場はネコのタマミ。赤ん坊少女じゃないのか(^o^)。
 猫だから当然金魚もインコもハムスターもかなわない、ってところがミソか。……でもそう考えると、12人出るというペットたち、同時期に飼ってたわけではないようなので、飼い主の悟郎、ホントにペットを短期間で殺しまくってたんだなあ。それが守護天使となって転生って……復讐の間違いじゃないのか(^^)。


 帰宅が8時だったってのに、しげが帰ってきたのもその直後。
 帰るなり、「熱がある」と言って倒れこむ。
 やはり具合が悪いまま自動車学校に行って、しかもその足で立て続けに鴉丸嬢たちと芝居の練習をしていたのだ。
 そんなんどうして中止にせんかなあ。
 「鴉丸さんちでバファリンもらったから」
 いや、あのね、それが周囲に気遣わせてるってことじゃんかよ。
 自分がメイワクかけてるんだって認識自体、できなくなってるのか。もう、熱で頭がイッちゃってるのだろうな。
 ムリする必要のないことでムリをすればそれはムリじゃないって見なされちゃうものだ。っつーか、私はもうそう見なした。
 それでも今日は仕事が休みだそうで、睡眠だけは取れる模様。
 だったら、私に絡んで来ないで、さっさと風呂入って寝てろ。
 最近の説では、寝冷えさえしなければ、風呂に入るのは風邪によいそうだし。でもしげの寝相はとてつもなく悪くて、かならず掛け布団を蹴飛ばし、ヘソを出して寝るので、まず確実に寝冷えするのだ。
 ……明日も風邪は治ってないな。


 CSキッズステーション『ナジカ電撃作戦』第1話「華麗なるエージェントは 一輪の薔薇と共に」。
 疲れても疲れても今日も新番を真夜中に見る私ってとっても健気(んなわけあるか)。
 ああ、でもこれはスゴイです。
 チラッと噂は聞いてましたが、これは確かにスゴイ。
 監督があの西島克彦ですよ、『うる星やつら』(「ROCK THE PLANET」のOP)の、『プロジェクトA子』(宮崎駿に「セーラー服の美少女が機関銃ぶっ放すようなアニメ作ってちゃダメだ」と言われて「営業妨害だ!」と叫んだ)の、『炎の転校生』(世界初のOLAなんて誰が見てるってんだ)の西島克彦。
 ……まあ、マトモなアニメにゃなるまいとは思ってたが、これはなんですかあ?
 ただひたすら美少女のパンチラを見せるだけのアニメじゃんか!

 いや、ストーリーがないわけじゃない、とゆーか、シナリオ自体は超シリアス(『蒼い瞳の銀鈴』のもりたけし)なだけに、このパンチラ(っつーかパンモロ)度の異常な高さとのギャップがありすぎるのだ。
 一流の調香師で、実は秘密組織のトップエージェント、柊七虹香(ひいらぎなじか)。今回の任務は大富豪のマダムが誘拐した美少女の救出。
 愛機ハインドを駆り、厳重なセキュリティ網をかいくぐり、マシンガンを手にしたメイド達が守る城に忍び込むが、そこで救い出した少女は……。
 このノリはもう、『電撃フリントGOGO作戦』か『スパイ大作戦』かって感じで、本格的スパイアクションというキャッチコピーは伊達じゃない。これが本家OO7そのままってわけじゃなくて、ちょっとC級なお色気アクションっぽくなってるところが実にイイのだ。……『ハニーにおまかせ』もちょっと入ってるかな?
 ……だいたい、動きやすいジャケットで潜入しておきながら、城に忍び込む段になってミニスカとタキシードに着がえるってのはなぜなんだよ(^^)。
 ところどころ雑な作画もあるが、概ねレベルは高い。音楽も明らかに60年代スパイアクションを意識したジャズ(『カウボーイビバップ』もそうでしたな)。こうなるともう至れり尽せりといった感すらある。
 ラストは、任務を終えたナジカのもとに現われるあの誘拐された美少女。しかし、その目の光は……。
 この続きは次回のナジカタイム、ナジカチャンネルで! ……ロイ・ジェームスでした♪

2000年10月11日(水) スパイと台湾論とこげぱんと/『こげぱん』(たかはしみき)ほか


2001年10月10日(水) 新番レポート復活!/アニメ『テニスの王子様』&『ヒカルの碁』第1話

 オタアミ当日まであと45日! 45日しかないのだ!


 残業が段々増えてきたけれど、まあ、今が1年で一番忙しい時期なので仕方ないかな。
 おかげで本がじぇんじぇん読めないのはツライが。
 ちゃっちゃか仕事片付けて慌てて帰宅したけれど、『スクライド』も『シャーマンキング』も『X』も見逃した。
 ……どうしてビデオを仕掛けて置かなかったのかって?
 それがねえ、昼間やってた、古谷一行版『病院坂の首縊りの家』の再放送を仕掛けてたのよ。駄作だって知っちゃいるんだけどさ。


 『テニスの王子様』第1話「王子様現る」。
 うわあ、すげえタイトル(^^*)。
 思わず『新機動戦記ガンダムW』の第1話を思い出してしまったが(あれっスね、「ヒイロは……星の王子様?」っていうリリーナ様のぶち切れてるセリフのことです)。
 本編中、ホントに「あれはテニスの王子様さ」のセリフがあってのけぞる。原作は読んでないのだけれど、多分元からあるセリフだろう。……まず間違いなく『ガンダムW』見てるな、原作者。
 これで制作がサンライズだったら笑えるんだけれど、トランスアーツってとこらしい。うーむ、今まで余り聞いたことない。何作ってたのかなあ。
 作画はまあこんなもんかってレベルで、テレビアニメとしてはごく普通。
 でもテニスボールが時折はっきりデジタルって判っちゃうのはマイナス要因。ボールのスピード感や空気を切る感じが全く表現できていないぞ。
 『キャプテン翼』も予告編見たかぎりじゃサッカーボールをデジタルで動かしてたけど、なんでもかんでもCGだのデジタルにすりゃいいもんじゃないって、いい加減気付けよなあ。
 「効果」のない技術はただの手抜きだ。

 ストーリーは良くも悪くもジャンプアニメ。
 主人公の越前リョーマ(すごいネーミングセンスだねえ、こりゃ)にバカでヤンキーな高校生が絡んできて、そいつをテニスでコテンパンにするって展開も定番と言えば定番。
 けれど、「テニスマンガ」といえば誰もが真っ先に思い出すであろう『エースをねらえ!』、あの存在が余りに大きすぎて、少女マンガはおろか少年マンガでも、「これは面白い!」と言えるテニスマンガがなかなか生まれてこなかったことを考えると(『テニスボーイ』なんか、全部読んでるはずなんだが、筋ほとんど忘れてるくらい印象が希薄)、真っ向勝負の本作はなかなか勇気あるアニメ化と言えるんじゃないか。
 だいたい『エースをねらえ!』って本質的にはテニスマンガじゃないし。
 エアチェックまではしないけど、キッチリ「テニスアニメ」している本作は意外な拾いモノになるかも。


 『ヒカルの碁』第1話「永遠のライバル」。
 原作の小畑健さんの絵の魅力をどう伝えたらいいだろうか。
 『ヒカ碁』を読んでる人に対しては言わずもがな、全く読んでいない人や、このアニメで初めて『ヒカ碁』を知った、という人に対して、「原作はあんなもんじゃないよ」と言ったって、さて、原作ファンのヒステリーと思われかねないのがツライ。
 でも、ホントに「あんなものではない」のだけどね。
 原作は、静止画でありながら、その一枚絵から登場人物の息遣いさえ聞こえてきそうなリズムというか、「間」を感じさせてくれる絶品。
 作られた「間」で成り立っているアニメじゃあ、あの「空気」はとても伝えきれない。
 ……そうだなあ、覚悟してたことではあるけれど、やっぱり、「空気」が希薄なんだよ。アニメには「物語」はあっても「空気」がない。

 1話にまとめるためだろう、原作と違って、ヒカルの爺ちゃんの登場はなし。 Aパートで佐為との出会いが慌しく描かれ、Bパートではもう塔矢アキラとの最初の勝負だ。
 30分番組としてドラマを構成するための改変だろうけれど、そのせいで、ヒカルと佐為の出会いがアッサリしすぎてしまったキライがある。
 ……幽霊に取り憑かれちまったってのに、もう少し葛藤があったっていいんじゃねーか?
 でもこのへんは実は瑕瑾だ。

 一番の問題点は、やっぱりというか、「囲碁のシーンが盛りあがらない」点にある。
 専門用語の解説を省いて、勢いを殺がなかったのはいいが、肝心の作画がただのネット碁だ(-_-;)。碁石の重みがまるでないのな。おかげで「音」が全く聞こえてこない。
 声優について言えば、ヒカルの川上とも子はありきたりで個性に欠ける。そのせいでドラマを作り損ねてる部分が結構大きい。
 所々、声が上ずるような演技は、まるっきり「ウテナ」のときと同じだし、作画されてるヒカルの演技にも全く合っていない。
 「ミト」のときには一瞬、これが川上とも子? と思うくらい、ウテナの時とキャラを変えることができていたのに、今度のヒカルは明らかに「流した」芝居をしているのだ。
 ……なあ川上さん、アンタまだベテランって言うには、キャリアが全然浅いだろう? 流した演技するのはちと早すぎるんじゃないかい? もっと自分の演じてるキャラがなんなのか、考えて演技プラン立てろよ。
 佐為の千葉進歩は悪くはないって感じで、アキラの小林沙苗、意外に押さえた演技が光ってる。
 碁会所の市河さんは、また雪乃五月だ。
 なんだか最近、ヒロインときたら雪乃さんが使われてるが、ポスト林原めぐみを狙ってたりしてるのか?


 しげ、具合悪し。
 どうも風邪らしくノドが痛い、熱がある、気分が悪いとウルサイ。
 「んじゃ、明日病院に行けよ」と言うが、「自動車学校があるから行けない」と言う。
 またそんなウソを平気でつきやがる(`´メ)。
 自動車学校が朝から晩までやってるはずがなかろうが。
 合間に医者に行って、注射の一本でも打ってもらえる時間くらい、ないってことはなかろう。
 しげのバカタレは、本当は医者に行って、注射されるのが怖いだけなのだ。
 キサマは小学生か。
 そんなんで風邪を長引かせて、あまつさえ私にまで風邪を移すようなことをしでかされたらと思うと(実際、今まで何度もそんな目にあった)、それ以上同情する気になれない。
 医者に行かないなら勝手にしろ。その代わり看病はせん。
 自分で自分の首を絞めてるようなアホウに付き合ってなんかいられんわい。


 米が切れているので買い物に行く。
 生ビデオテープも残り少ないので買っておきたいのだが、連日帰宅が遅くなってるので、もう近所のベスト電器もヤマダ電器も閉まっている。
 仕方がないなあ、今まで録画したテープの中から、もう消してもいいものを選んでいくしかないなあ。
 ……で、それが選べるんなら苦労はないんだってば。
 牛肉が以前にも増して安くなっている。
 昨日の品が今日も売れず、一日に百円単位で値下がりしていっている。
 150gの国産牛ステーキが、一昨日600円だったのが今日はなんと400円。
 アメリカ産のカルビが400gで780円だから、それよりは高いが、今までボッてると言われてもいいくらいの高値だったことを考えると、すごい安値になってることは間違いない。「この肉は安全です」の張り紙もなんの効果もないようだ。
 ホルモンが200gで100円。これは絶対大安値。
 ギョーザが18個入りで150円。タダみたいなもんだ。
 世の中、バカが多いもんで、こんなにお肉が安く買えました。ああ、バカって素敵!


 自衛隊を派遣するための法制化が進んでいるが、「現地に行っても自衛隊にすることがあるのか?」なんて言い出すヤツが出る始末だ。
 はっはっは、笑っちゃうなあ、最初っから「役に立たないのはわかってるけど、とりあえず送り出しとかないと『国際貢献』したことにならないから」、って外面作るのが目的だったんじゃないのか。今更、内実まで伴わせようってのはゼイタクってもんだろう。
 小泉首相、国会答弁で「危険区域でないところに派遣」なんて、ますます「役立たずで何が悪い」に近い開き直り発言。いや、開き直りになってるって自覚すらないよな、ありゃ。
 言わずもがなだが、「危険区域」に行かなきゃ、補給も救助もできやしないのである。全く、何しに行かせるつもりなんだか。首相を責める野党だって、「対応が遅い」と文句つけながら、対応し始めたら、今度は足引っ張ってジャマしようというデタラメを繰り返している。
 楽しそうだねえ、みんな。


 BSNHK『チャップリンの殺人狂時代』。
 もう何度見たか分らないくらいだが、見返してみるといろいろ発見がある。
 ヴェルドー氏のラストのセリフ、てっきりあの有名な「一人を殺せば犯罪者だが、数万人を殺せば英雄だ」だと思い込んでいたけど、あのあとがあったのだね。
 死刑執行を前にして「ラム酒はどうだ?」と看守に薦められて、いったんは断るヴェルドー、ふと思いなおしてグラスを手に取り「いや、頂こう、まだ飲んだことがなかった」。
 ……こっちのほうがもしかしたら、「解りやすい」前のセリフより、ずっと「重い」のではないか。

2000年10月10日(火) 失敗合戦と治らないケガと異父兄妹と/『ムーミン谷への旅 トーペ・ヤンソンとムーミンの世界』


2001年10月09日(火) 探偵小説ネタ多し。ついて来れる方、求む/『死神探偵と憂鬱温泉』(斎藤岬)ほか

 オタアミ当日まであと46日! 46日しかないのだ!

 少しずつだけれど、この日記への毎日のアクセス数が増えてきている。
 けれど『オタクアミーゴス』チケットの購入申し込みはまだない。
 頑張って頑張って、「オタアミ」の宣伝してるつもりなんだけどなあ。いや、別に私のところからチケットを買わなくても、福家書店やエロさんところで買ってくださってかまわないのである。
 あの、ただのお笑いなトークショーなんかとは質が違いますよ。オタクじゃないと意味が解らないなんてことはありません。過激で毒があってブラックなギャグが好きな方なら確実に笑えます。
 なんたって、こないだのきらら博じゃあ、起きたばっかりのあの事件をもうネタにしてたんだから。


 夕べからの雨が今日は酷い土砂降り。
 今週末には第三舞台の休眠公演があるというのに、タクシー代がまたかかっちゃうじゃないの。
 職場には山越えで通勤しているのだけれど、こっちの山にはダムがあるわけでもなし、雨は降るだけ無駄なのだ。
 もっと南の方で降ってくれないかなあ。

 
 『キネマ旬報』10月下旬号。
 巻頭特集は『GO!』だったり『たーん』だったり『ショコキ!』だったり。
 「ショコキ」って何のことかと思ったら「昇降機」、つまりエレベーターのことだったのだね。ジョビジョバ、やっぱり言語センスがヘンだ。そこが客の好き嫌いが分かれるところじゃないかな。

 東京国際映画祭のラインナップ、コンペ部門に、『羊のうた』『化粧師 ―KEWAISHI』と、二本もコミック原作のものが並んでいる。
 つーか、この二本が日本映画の代表。審査委員長のノーマン・ジュイソン、別に原作がマンガだってことに拘りゃしないだろうから(知りもしなかろうが)、
ドラマ性だけに注目した評価をしてくれるんじゃないかな。
 もちろん、私はジュイソン監督が加藤夏季の美しさに打たれて、『羊のうた』がグランプリを取るものと信じて疑わぬものである。

 あっ、『砂の器』や『事件』のサントラが出てたのか。これは探して買わねば。けれど、今まで出してた『鬼畜』や『八つ墓村』なんかもカバージャケットを統一して再発売。その辺のは既に買ってあるのだけれど、シリーズでカバーが統一されてないってのも迷惑な話だよなあ。もう一度買いなおせっちゅーのか。


 少しだけ残業、おかげで今日も『オコジョさん』を見損なう。
 7時半から『FF:U ファイナルファンタジー:アンリミテッド』第2話「黒き風の男」。
 「ファイナルファンタジー」全く門外漢の私が2回目もアニメを見ているので、しげが驚く。
 RPG嫌いで、ゲームのほうは今まで一度もやったことがないのだが、正直な話、チラチラ画面を見るかぎりでは、どうしてそんなに人気があるのか見当もつかないのである。
 映画見たときも、なんだあのジェニファー・コネリーと原田知世を足して2で割ったようなヒロインは、とか思っちゃったし。CGで架空のキャラ作るんなら何でもっと「萌え」るようなキャラにしないのか。CGの使い方を知らないな、とか思っちゃったのである。
 「映像じゃなくてゲームのシステム自体が受けてるんだよ」としげは説明するが、やってみなければ判らないゲーム自体より、まず映像イメージのほうが客の目につくものなのではないのだろうか。
 アニメのほうはどうやら『FF』っぽくないようだが、キャラクターはいくつかゲームと共通しているらしい。
 悪役が生意気なチビガキってのは『サイバーシックス』を思い出すなあ。もう一つ高次元の悪の親玉がいて、結局ガキンチョは道具に使われてただけだ、という話になると思う人。……はーい。ヽ(^。^)丿
 来週も続けて録画するかどうかは迷っているが、チョコボの声が矢島晶子さんなので、今、迷ってるとこなのである。


 しげ、今日は仕事がないので、「ゆっくり一緒にいられるね!」とか言ってやがったが、夜8時にもならぬうちにグーと寝入ってしまった。
 寝る前に作ってやったカレーの肉がヘン、とか言ってたから、狂牛病に当たっちゃったのかも知れない(^_^;)。


 西南大学に「アナタノガッコ、キリスト教、教エテマスネ。90分後ニ爆弾シカケマス」とイタズラ電話があったとか。
 カタコトの日本語、ということだが、このコトバの壊れ方が実にウマイ。
 「爆弾を仕掛けました。90分後に爆発します」じゃなくて、「90分後にしかけます」だもんなあ。
 捕まっちゃうって、それじゃあ。\(^▽^@)ノ
 恐らく犯人は本当に日本語に不自由している外人さんなのであろう。たとえ日本人であっても外人であるに違いない。


 マンガ、斎藤岬『死神探偵と憂鬱温泉』(ソニーマガジンズ・546円)。
 ミステリマンガ専門の『Bstreet』連載の初単行本化。本格ミステリを描くのは初めて、というわりにはそう悪い出来ではない。
 だいたい、「どこかに旅行するたびになぜか殺人事件に巻き込まれるおかげで『死神探偵』と仇名がついた」って主人公、鹿神孝(ししがみこう)の設定自体、人を食ってて面白い(「何で俺ばっかりこんな目に」って、そりゃ作者がサドだからだろう)。
 まずはこの「死神探偵」の称号、浅見光彦に捧げるべきではないかと思うがどうか(^^)。
 お堅いミステリファンなら(あるいは浅見さんや金田一さんの熱狂的なファンなら)激怒しちゃうかもしれないけれど、こういうパロディックな設定、私は全然キライじゃない。
 少なくとも、これは「探偵が事件に巻き込まれるのは『運命』であって、事件に関与しているわけではありませんよ」という読者への記号として機能しているのだ。けだし、作者はフェアプレーの精神の持ち主というべきではないか。
 開巻10ページほどでもう、温泉旅館で首吊り死体の発見、ドラマのテンポは実にいい。トリックはたいしたことはないが、目くじらを立てるほどでもない。
 難を言えば、現地の警官がミステリの定番で全くの無能、小学生でも気がつくような自殺体と他殺体の違いを見逃すというミスがあるが(それに、自殺体だって不審死は全て解剖に回されるのだから、自殺に見せかけた他殺だってことくらい、すぐにバレる)、それは短編なので余りワキのキャラにまで気を回せなかったのだろう。


 マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』23巻(小学館・530円)。
 23巻も続いた(しかも不定期連載)ということは、もう7、8年にはなるはずだ。ということはフジタもサラも結構なトシになってるんじゃないかと思うが、一向に二人の仲は進展しない。その辺、まだまだ少年マンガの尻尾を引きずってるよなあ、細野さん。
 別にサラとフジタが深い仲になっても、マンガは続けていけると思うんだけどねえ。

 今巻では「アイボ」をネタにした猫型ロボット「タマエモン」(ちょっとこのネーミングはどうかと思うぞ)をフジタが「フェイク」と否定するあたりが逆説的で面白い。贋作を扱っているくせに矛盾しているんじゃないか、という批判もあろうが、フジタのポリシーは、贋作でも真作以上の「美」がそこにあるのなら、それは真作と同じものである、という点にあるのだ。
 伊丹万作の『国士無双』なわけだね、つまりは(譬えが古いか)。
 私も、アイボをほしがる人間の心理っちゅーのがよく解らんので(同じく、『ファイナルファンタジー』もよく解らない。CGキャラでブス作ってどうするんだ)、フジタ……っつーか細野さんの意見には全面的に賛成。
 マンションじゃ犬猫が飼えないから、ってのは口実だろう。ホンネは、「シモの世話をしたくないからロボットペットを」って発想じゃね〜のか。でないなら、「ウンコをする」ペットでも開発してみろよ。それでも飼うヤツがいたら立派だと誉めてやってもいいけどな。
 
 全部のエピソードは紹介しきれないので、もう一つだけ。
 神田神保町の古書店街を舞台にした話があるのだが、ここで細野さんが、相当なミステリマニアであることがわかる。
 話の中心になってるのが、「山田休太郎の『聖女淫楽』探し」ってのが、思わず「おお」と膝を叩いちゃいたくなるのだが、もちろんこれは「山田風太郎の『虚像淫楽』」のパロディ。
 ほかにもチラチラと、角田喜久雄の『高木家の惨劇』、岡田鯱彦の『噴火口上の殺人』、南條範夫の『被虐の系譜 武士道残酷物語』、島田一男の『古墳殺人事件』といった、マニアックな本がコマの端々に描きこまれている。
 私も一応ミステリファンのつもりではあるが、さすがにここまでの本は持ってはいない。……初版では。
 いったい、どれだけ古本屋を回ったんだろうなあ。学生の頃はこんな本、買いたくても買えなかったものなあ。
 今なら、東都書房の『日本推理小説大系』(全16巻)、一冊、5000円以下なら絶対買うんだが。正宗白鳥の『人を殺したが』や佐藤春夫の『女誡扇綺譚』なんか、この全集くらいでないと載ってないんじゃないか。
 あの、バラでもいいです。どなたか古本屋で見かけましたら、ご一報下さい。

2000年10月09日(月) 女って癒してもらう対象ではないよな/『鉄槌!』(いしかわじゅん)ほか


2001年10月08日(月) これは戦争ではない。……まだ。/映画『クイーンコング』/『カムナガラ』3巻(やまむらはじめ)ほか

 オタアミ当日まであと47日! 47日しかないのだ!

 劇団ホームページの方の公演情報、まだ私が出演することになってるなあ。いい加減で変えないか。

 連休最終日。
 起床は7時半。
 夕べは映画『陰陽師』を見たあと、床に倒れこんで、そのまま寝てしまったので(どこでも寝れるという特技は、こういう時かえってカラダを壊す原因になるのがネックだよなあ。最近、行き倒れ式に眠っちゃうこと多いぞ)、ちょっとカラダの節々が痛む。

 パソコンで「エンピツ」の日記サーフィンをしていると、ところどころに、「戦争」の文字が踊っている。
 もしや、と思ってテレビをつけてみると、やっぱり「米英アフガン空爆」のニュース。ブッシュ大統領がなんたら演説しているが、どうも真正面から見るとこの人、マヌケに見えて仕方がない。タリバンがビンラディン引き渡しゃ話は片付くのにそれをしないのは「こんなマヌケ顔に頭下げてたまるか」と思ってるからじゃないのか。
 イスラム圏では、人を罵倒するのに「犬」と譬えるそうだが、実際、犬に似てるものなあ(「犬に失礼」との説もアリ)。

 それにしても、ネット上では、宣戦布告もないのに「戦争」だあ、と騒ぎ立ててるヤツらが多いのにはビックリ。これは「報復攻撃」であって、「まだ」戦争ではない。ブッシュがいかに「WAR」を繰り返そうと、国際法における「戦争」には当たらないのだ。
 もっとも、日本の新聞やテレビがヒトッコトも「戦争」というコトバ使ってないのは、そうしちゃうと自衛隊派遣が「戦争協力」ってことになっちゃうんで使えないんだろうけど。
 どっちにしろ、アメリカがあれを「戦争」と呼んでいるのは、自国民の報復の意志を駆りたて、国際協力をも得たいがための宣伝工作の一環にすぎないのである。だから、直接テロにあったわけでもない日本人が、盲目的にあれを「戦争」と呼ぶことは、とりもなおさずアメリカの認識に追従することにしかならない。 そんなに今回の攻撃を「戦争」に仕立て上げたいのはどうしてかね?
 この攻撃がどんどん拡大していって、本格的な戦争になればいいと願っているのか?
 そうでないなら、安易に「戦争」なんてコトバを使うな。
 「21世紀型の戦争」とか、一見意味ありげで、その実何が言いたいんだか分らない言質を繰り返して喜んでる軍事評論家モドキと同じレベルだぞ。
 ……民間レベルでは戦争について、その程度の認識しか持てないのかねえ。

 もちろん、今回の空爆によって、罪のない民間人も多数、死傷しているに違いない。たとえこれが現時点では「戦争」ではないとしても、その「死」は紛れもない事実だ、と主張する方々はおられるだろう。
 けどねえ、みんなヒステリックに「民間人がたくさん殺されてるんだぞ!」と叫んでるけどさあ、さて、今まさに民間人を殺しているのは本当にアメリカだって言えるのか、ちょっと考えてみたらどう?
 アフガニスタンもまた、ワザと自国民を犠牲にしているってことに、気がつかない?
 あのさ、ビンラディンもオマル首相も、アフガンの閣僚が全く犠牲になっていないのに、どうして民間人にだけ被害者が出てるわけかな?
 つーか、攻撃ターゲットになってる周辺にどうして民間人がいるの?
 危険区域にそれと知らせず、置き去りにしてるからに決まってるじゃないの。
 これは、タリバンが「民間人をアメリカは虐殺した。悪いのはアメリカだ」と自分たちを正当化するためにあえて自衛をしなかった、そう考えるのが自然だよねえ。

 「パールハーバー」のときみたいにさ。

 はい、戦略マニアにはお馴染みでありましょう、田中芳樹の『銀英伝』でも同じ手が使われておりました、「あえて犠牲者を出して戦意を鼓舞する」作戦であります。
 ……だからこの程度の見え透いたプロパガンダに乗せられて、「イスラムは正しい、アメリカは悪だ」あるいは「戦争自体が悪だ」と主張するヤツらはただのバカなんだって。
 で、このバカが歴史上、いなくなるってことはまずないから実に有効な手なのだよなあ。
 アメリカも既に自国民の犠牲者をを「利用」してここまで戦略を拡大させている(日本の「英霊」と全く同じ扱いになってるじゃんかよ)。この事件について何か感想を述べるだけで、我々は否応なしに「戦争に巻き込まれる」ようなシステムが作られつつあるのだ。
 いや、もはやアメリカの犠牲者、あるいはイスラムの犠牲者、どちらか(あるいは双方)に「同情」する気持ちを持つことすら、「戦争肯定」の「思潮」に荷担せざるを得ない状況になりつつあるのである。「イデオロギー」やら「宗教」ってのをあまく考えちゃいかんよ。

 だから言ってる。
 政治家は何らかの態度を取らざるを得ないからしゃあない。けど、民衆まで過剰に反応する必要はないのだ。
 こんなのは「対岸の火事」だ。
 無視しろ。

 ビンラディンの最新映像とやらも何度となく流れて、「ジハード」を訴えている。これだけはっきりとこれは「宗教闘争」である、と宣伝してくれているのだぞ。日本人には全く無関係ではないか。一体いつから日本はキリスト教国になったのだ?
 日本の米軍施設が襲われる危険性? そんなもん、ホワイトハウスが再攻撃目標とされることに比べたら針の先ほどの可能性もないぞ。
 デマを広げようとしてるのは誰だ?

 そして、そのデマに乗せられかけてるのは紛れもなく、アナタなのです。

 しげが言う。
 「戦争になったら、何がイヤかって、『隣組』とかでご近所と『協力』しなきゃならないってのが絶対イヤ。そんなんするくらいだったら、『特攻』して犬死した方がいい」
 至言である。
 敵は常に身内にアリなんだものねえ。


 しげとマツダに寄って、手続きの残りを片付ける。
 しげの銀行印などを押して、これでほぼ書類は出揃う。あとはしげが住民票を取ってくるのと、マンションの管理会社から車庫証明が届くのを待つだけだ。
 外はポツポツと雨が降りだしていたが、映画に行けるのはもう今日しかないので、自転車で傘さし運転、ちょっと危ないが、なんとか博多駅までたどりつく。

 シネリーブル博多駅、実は前売券が公開当日でも一階のチケットぴあで売っている。……少しでも客に入ってほしいという健気な心がけなのだろうか、先にそこでチケットを買って、映画『クイーンコング』を鑑賞。

 タイトルでおわかりの通り、これは女版の『キング・コング』、もちろん正当な続編などではなく、徹底したバカパロディ映画である。いやもう「パロディ」なんてコトバも使いたくないくらい、ヘタレたモジリの連続で、ただひたすら「バカ……」という感想しか出て来ない。
 面白いとかつまんないとかいう評価を超えているのだ。
 筋はもちろん旧作の『キング・コング』(ナカグロで区別しよう)に則ったもの。なんたって、主役の名が「レイ・フェイ」だ(フェイ・レイが生きてるうちにこれを見てたら、どう思ったかなあ)。

 女の、女による、女のための映画を作ろうとアフリカに出かける(なんで?)女映画監督。主演の男・レイを誘拐して、女だけの部族の村に潜入したとたん、レイはまたもやその部族に誘拐されてクイーンコングの生贄に出される。
 で、恋に落ちるレイとクイーン。
 レイを襲う恐竜ティラノ“ハリボテ”ザウルスと戦うクイーン。……このシーンがどつきあってるだけなのにひたすら長い。ともかく長い。
 ……すみません、見ながらこのへんでちょっとオチました。というわけで筋の紹介はあと飛び飛びです。

 お約束通り、ロンドンに運ばれてくるクイーンコング(ニューヨークじゃないのか、と文句言わないように。これ、英=伊合作なんだし、『キング・コング』の更に元ネタ、コナン・ドイルの『失われた世界』では、恐竜は当然のごとくロンドンに運ばれて来るんだから)。
 メスなので、放送上問題があると、鉄のブラジャーをつけられる(でも下半身はスッポンポン。ボトムレスはいいのかイギリス)。怒って鎖を引きちぎって暴れだし、レイとビッグベンの頂上に。
 そこでレイは「女性解放」を訴えて、民衆の共感を得、クイーンとレイはめでたく夫婦揃ってアフリカへ。
 ……で、終わりかい。

 ジョン・ギラーミンのクソ映画、リメイク版『キングコング』(実は私、あれをそう嫌いではない。だってジェシカ・ラングが出てるしい♪)の直後に公開予定だったらしいが、製作のディノ・デ・ラウレンティスが怒って公開中止に追いこもうとしたってのはなぜなんだ? 歯牙にかけるほどの出来ですらないぞ。
 なにしろロジャー・コーマンの低予算ホラーより金かけてない。
 いや、『ウルトラファイト』以下の特撮、と言ったらイメージが伝わるであろうか。だってティラノってどう見ても布でできてんだもん。

 吹き替えは広川太一郎と小原乃梨子。楽屋落ちと言うより、映画自体への突っ込みまくりのアテレコ、これも面白いんだかつまんないんだか評価に困る。
 ハンナ&バーベラの動きの少ないリミテッドアニメだったら、行き過ぎたアドリブも効果はあるけど、もともと動きのある実写に過剰なアテレコしたって、セリフは浮くばかりなんだよね。
 『ミスター・ブー』も私ゃ広川さんのアテレコは、全然つまんなかったし。
 歯がキラッと光って「キラーン」「カキーン」「ピカーン」なんてのはまだ笑ってられるけど、踊りに合わせて延々と「ヒッチャカフッチャカハッチャカハ……いつまでやらせるの」って、声優が疲れた様子見せてどうする。
 オチで「最後は愛は勝つって、終わり方が陳腐だね」って、アテレコだって意外性もないし陳腐だわな。

 まあ、私ゃバカ映画は大好きだし、作り手にここまで知性が全くないと、「私バカなフリしてるけどホントはリコウなんですよ」的なイヤミが全くないので、キライなところは全くないんだけど、面白いわけでも全くないので、映画を楽しんだ感覚も全くない。
 ああ、ダメだ、映画のことを思い出しただけで頭の中も大分トロケてきたよ。
 まあ、人生の数時間を無駄に過ごすのも優雅な贅沢でありましょう。
 しげ、音楽が気に入ったらしく、多分ここで買わないと二度と手に入るまいと、サントラCDを買う。
 ついでに『カウボーイビバップ』、エドのストラップも購入。エドがストラップを上下するようになっていてかわいい。

 「GAMERS」でマンガの新刊を何冊か買い、妖怪根付を1個買う(開けたらまた天狗だった。なんでこう天狗ばかりにぶち当たるかな)。
 帰り道、「ビッグボーイ」で食事。
 買ったばかりのマンガを読みながらハンバーグにかぶりつく。

 マンガ、やまむらはじめ『カムナガラ』3巻(少年画報社・520円)。
 先の「侵略者」との戦いで右腕を失った久谷。
 何となく右腕もいずれは復活しそうな気配だけれど、今のところは義手のまま。安易に生やしたりしないところは、作者が作品を大事にしている証拠だろう。 前世の記憶も戻らないまま、それでも敵は襲ってくるので、戦わざるを得ない久谷。彼に襲いかかってくるもとは人間だったモノ、それはたとえばごく普通の主婦であったりする。自分の赤子をその手で殺した母親をヒヒイロカネの剣で倒しながら、心にやりきれないわだかまりを感じていく。
 それでも、少しずつ、過去と現在の接点を探し求め始める久谷のその顔は、前巻に比べるとどこかイっちゃってたような“目の下クマ”の表情が、随分落ちついて来ていて、どこか淋しげな、諦観にも似た装いを見せるようになってきている。
 ああ、そうだなあ。このマンガって、どこかいつも淋しいのだ。「剣」の久谷に付き従おうとする「鏡」の香奈多。
 彼女だって、前世の全ての記憶を思い出したわけではない。全く思いだせない久谷にいらだち、怒り、反発しながら、それでも、その淡い絆を手繰るように久谷に寄りそう。
 淋しいのだ。
 なんだか、こう誰一人として幸せになりそうもないムードのまま、物語が展開していくの、読んでてけっこう痛いんだけど、目が離せなくなっちゃってるんだよなあ。

 帰宅したら、ちょうどCSで『チャンピオン太』の第4話をやっていた。
 おお、またアントニオ猪木がゲスト、今度は覆面レスラーのストライプスネークだ。で、展開は第1話と全く同じ。
 路上で暴れまくって、第一話では並木をぶったおしてたが、今度は電話ボックスを倒す。……試合する前に警察に捕まるって。


 空爆のニュースのせいで、イチローの首位打者のニュースもすっかりかすんでる。
 この世の森羅万象に興味がない「ここにいるのは私だけ」のしげに、「どうせお前はイチローのニュースも他人事なんだろうな」と言ったら、「アンタが首位打者になったら他人事じゃなくなるけれど」とアホなことを言い返される。
 一気に会話するのがバカバカしくなったので、口をつぐんでいると、ややあってしげが口を開いた。
 「……で、どうやって首位打者になったん?」
 「イチローが?」
 「違う、アンタが」
 「オレがいつ、首位打者になった話をした?」
 「イチローは野球をしてるから首位打者になるのは判るけど、アンタはやってないやん、なのにどうして首位打者になれるのかと思って」
 「だから、オレは別に首位打者になる話なんかしてないだろ? そうやって自分の妄想膨らませて勝手に人を巻きこむな!」


 「スマスマ」、今日から再開。
 吾郎くんがいなくてもみんな元気一杯なのは、罪を軽く考えてるわけじゃなくて、また戻ってきた時に気遣わずにすむようにという配慮からだろう。
 ヘタなコメディアンより、よっぽど笑える番組を作っているのだから、早いとこ五人組に戻ってほしいものだ。
 冗談ではなく、スマップはドリフの跡を継ぐコメディ・ミュージシャンだと思っているのである。


 しげが仕事に出かけたあと、またカレーを作り置き。
 鶏の唐揚げも一緒に作ったが、うっかり流しの中に落として、全部洗い流したので、コロモがグズグズになってしまった。
 仕方なく殆ど自分で食う。顎の裏にベタベタとコロモが張りつく感じで、気持ち悪いのであった。……無理して食わずに捨てろよ(貧乏人はこれができないのだよなあ)。

2000年10月08日(日) V2余燼/映画『X‐MEN』ほか


2001年10月07日(日) 新番紹介お休み・有朋自遠方来/映画『陰陽師』ほか

 オタアミ当日まであと48日!

 今日も『クラッシュギア・ターボ』とかいう新番組が朝早くから始まってたが、『パワーパフガールズ』を見るので、一応録画だけしておく。
 でもなあ、こうやって録画しとくと、実際にはなかなか見返せなくなるんだよなあ。だからできるだけ映画の類は録画しながら見るようにしてるんだけど、こんな風に番組が重なるとどうしても片方は録画するしかなくなるので困ってしまう。
 ……録画しただけで見てない映画、既に千本は越してる気がする……(-_-;)。

 『パワーパフガールズ』第40回。
 前半、『シリアル大作戦』(原題/JEWEL OF THE AISLE)。タイトルは『ナイルの宝石』のモジリだそうな。「aisle」は天王洲アイルの「アイル」だな。「通路」って意味だったのか。
 原典の映画は、テレビで流れてたのをチラッと見た記憶はあるが、あまり覚えてない。でもストーリー上のパロディは特になかった気がする。
 ガールズに追われた泥棒(珍しく名前のないただのヒト)が、シリアルの箱詰め工場に逃げるが、盗んだ宝石を製品の中に落して出荷されてしまう。これだけ見ると、『ナイル』がオリジナルというより、シャーロック・ホームズの『青い紅玉』『六つのナポレオン』が元ネタだよな。
 全てのシリアルの箱を開けつくし(これだけでもスゴイ)、最後の一つを開けようとした瞬間、ユートニウム博士に買われてしまう(博士も周りの開き箱の山に気付けよ)。泥棒は、CMキャラクターに変装して、ガールズからシリアルを取り上げようとする。
 このとき、ガールズは『メカニマルズ』というCGアニメを見てるのだけれど、これがビーストウォーズをコメディ風にした感じで、ガールズたちよりリアルなのがいい味出してる。この、テレビ画面の映像の方がリアルなタッチってギャグもよく使われてるなあ。
 泥棒が変装したキャラクター、「キャプテン・ラッキー・ラビット・キング・ナゲット」(なんかいろんなCMキャラクターを混ぜくったものらしい)、子供たちの人気者ではあるのだけれど、ただの人気者なのではなく、「子供たちにシリアルを取り上げられる」キャラとして人気があるのだ。
 だから泥棒が「シリアルを頂戴」といくら頼んでも、ガールズは「シリアルは子供のもの、オトナはダメよ、キャプテン・ラッキー・ラビット・キング・ナゲット」と言って渡そうとしない。あらゆる手を尽くして、やっと宝石を手に入れたと思ったら……。
 今回は伝統的な定番ギャグで、あまり過激なギャグはなし。

 後半、『タイムスリップ』(原題/SPEED DEMON)。
 幼稚園でミス・キーンに相対性理論を教えてもらったガールズ(何教えてんだよ)、帰り道に1秒でも早くバカンスに行きたくて、「家まで競走しよう」と言い出す。が、なんと光速に近いスピードを出してしまい、50年後の世界にタイムスリップ!
 そこで見たのは、50年の間ガールズが不在だった為に「彼(ヒム)」によって支配され、荒れ果てたタウンズビルの街だった。
 ユートニウム博士はもう何十年もガールズを再生させる実験を繰り返しては失敗し続けている(この辺、いなくなったアトムを再生しようとして失敗するお茶の水博士の影響かな?)。
 老婆となりながら死んだ市長への愛を語りつづけるミス・ベナム(やっぱりそうだったのか)。
 幼稚園の庭で「私は『サヨナラ』って手を振っただけ」と繰り返し呟いているコワレたミス・キーン(自分のせいなのかもって、責め続けてたのね)。
 う〜ん、これ、子供が見たらすげえトラウマになるんじゃないのか。
 「自分がいなくなったら、周りのみんなをどんな悲しい目に合わせてしまうか」っていう。なんだか「暴力的なアニメ」って批判をかわすための「教育的」な面をクローズアップさせようってハラなんだろうか?
 なぜか現代に戻って来れたガールズ、「バカンスには行かない、私たちが街を守る!」って叫ぶのも、何となくキナ臭く感じるのは考え過ぎなのかなあ。


 『仮面ライダーアギト』第36話。
 あれあれ? なんだかヘンな展開になってきたぞ。
 アナザーアギトに変身した木野。
 最初は驚く涼と浩二に向かって、あかつき号の事故とは関係なく、「医師としてもアギトとしても自分を必要とする人々のために戦う」と、その決意を宣言していたのに、翔一がアギトに変身するのを目撃した途端、豹変してしまう。
 「アギトはこの世で俺だけでいい。お前の力では雅人を助けることはできない!」
 雅人とは、木野が雪山の事故で亡くしてしまった弟だ。木野の腕は、実は凍傷で腐ってしまったのを、弟の手を移植していたのだった。
 でもなあ、そのことが自分がただひとりのアギトになろうとすることとどう関係があるの? また思わせぶり復活か?


 『コメットさん』第28回、『お手伝いできること』。
 おお、今回からOP、EDが一新。
 『ミラクルパワー スターダスト・バージョン』と『星のパレード』、どちらも何度か挿入歌として流れてたものだったけど、アップテンポになって歌いやすくなった。……って、どこかで歌うつもりなんかい。
 以前のものより、メテオさんの露出が増えて、いかにもライバルっぽくなっているのが実にいい。
 エンディングでは白鳥の湖のスタイルでちゃんとバトンも振ってくれてるし。
 ストーリーのほうも、美味しいところはメテオさん。
 ケースケのオーストラリア行きが決定したある日のこと、コメットさんは、デザイナーの卵、優衣さんから新人発表会のモデルを依頼される。 けれど、発表会の日はケースケの旅立ちの日と重なって……って、前回と全く同じ展開じゃんか。脚本家、ちょっと疲れてるか?
 どうしても優衣さんの発表会を断れないコメットさんは、土壇場でモデルをメテオさんに譲って……。
 そうです、今回、メテオさんのファッションショーがクライマックスなのです! なにしろ、剛くんと寧々ちゃん(4歳だってば)の服まで変身して着るんだからなあ。……バレるって、いくら何でも。


 しげが練習に出かけている間に、部屋を片付け。ゴミが山ほど出るがたいていは古新聞の山。この期に及んでも、夏の入院中の手書き日記を更新しようと、資料として新聞を捨てきれないでいるのである。いい加減、うっかりすると散らばった新聞を踏んでコケちまうので、一部を残してまとめてゴミ袋に。
 ともかく、座れる場所を作らないと、広島から福岡に帰省してきている友達が訪ねてくるのだ。ヘタすりゃ奥さん子供も連れてくるかもしれないので、なんとしても座れる場所を確保せねばならない。来てくれても、ずっと部屋の中で立ち話って……そりゃ、シュール過ぎるわ。

 晩飯にと山菜クリごはんを作ってみたが、見事にシンが残っていて失敗。かき混ぜ方が足りなかったらしい。
 もう一度よく混ぜ、水を入れて炊きなおしたが、今度はオカユになってしまった。
 「山菜クリおかゆ」なんて、こりゃ、とても食えたものではない(でも食うしかない)。一応味見はしてみましたが。

 ……今晩は外食だ(ーー;)。


 2時ごろ友達Hくん、3歳の娘さんを連れて来宅。
 ちょうど駐車場が開いているので、遠慮なく案内ができる。でもネームプレートがまだ切り替わってないので、Hくん、どこに停めていいか迷ったよう。慌てて階下に降りてご案内。いやいや久しぶりに会うのに、のっけから迷惑かけちゃった。
 いつものごとく、段ボールに一杯マンガを持って来てくれたのだが、上まで運ぶのに結構腰に来る。こちらが降りていかなきゃ、Hくん、自分で荷物も運んで子供も連れてくるつもりだったのだ。おいおい、それくらい声をかけてくれってば。
 娘さん、オタクな部屋で泣きだしゃしないかと心配してたが、『ハレのちグゥ』のDVD2巻を見せていたら、食い入るように見入ってる。ギャグは全然わかんないと思うが、なんかイキオイで面白く見れちゃうんだろうな。
 Hくんのほうは、「こんなの出てるとは気付かなかった」と、『ガンダムエース』に見入っている。「単行本出るよな」って、ここにもオタクな親子が(^o^)。
 私は私で貰った段ボールを開けて中を確かめるが、「この手のは持ってないかと思って」と、近藤るるるや二宮ひかる、恋緒みなと、馬頭ちーめいとか、確かに私がカバーしきれてないマンガ家さんのものばかりだ。
 でも、何となくちょっとエッチ系だったりロリ系だったり、「こんなの持ってたら嫁さんに悪いか」って感じで、私に譲ってくれたって感じがするなあ。
 データハウス刊の『危ない!!』、「女がどんなふうにレイプされてるか」とか、「詐欺の手口」とか、完全犯罪マニュアルみたいな本だが、「こんなの持ってたら自分のほうが危ないヤツだと思われる」と考えて私にくれたのかな。……私が持ってる分にはいいのかよ(^_^;)。
 『ガロ』のバックナンバーまであるじゃないか。こっちが何もあげないのはつくづく悪い気がしてくるよ。それとも「本の整理ができていい」と思ってるのかな。
 Hくん、娘さんの頭をなでて、「子供がいると、趣味に走る時間がホントになくなるよなあ」と言いつつ、お子さんは可愛い模様(当たり前か)。
 「DVD借りてくか?」と聞いたら、「子供と見れるものじゃないとなあ」と言いながら、『トイストーリー1&2』、『バグズライフ』、『ファンタジア2000』あたりを借りていく。
 ……で、『ヤング・フランケンシュタイン』も子供と一緒に見るんかい(^.^) 。まあ、そうそうオタクの血が途絶えるはずがないのである。


 夕方、しげと天神の福家書店で待ち合わせをして、新刊をいくつか買う。
 アニメ化、ドラマ化のコーナーがあって、よしひと嬢がお気に入りの『西洋骨董洋菓子店』なんかが置いてあったのだが、しげに「買うか?」と聞いたら、「1巻はよしひと姐様に借りて読んだからいい」だと。そりゃ、お前は読んだかもしれないけど、おりゃあ読んでねーんだよ。
 「面白かったか?」と聞いたら、「まあまあ」とのことだったので新刊で買うのは見送る。そのうちBOOKOFFででも探してみよう。

 そのあと、ビブレの地下で食事。テンプラ定食がフェアで550円と安かった。
 映画を見るまで時間が余っていたので、まずそこで1時間ほどヒマを潰してマンガを読む。
 柴田昌弘『クラダルマ』3・4巻(少年画報社文庫・各620円)。
 敵のシンシアの過去もきちんと描いて、単純な悪役にしないところはいいのだが、設定が『ブルー・ソネット』に似過ぎてないか。
 
 しげの話によると、今日の練習、久しぶりに塩浦嬢が来ていたとか。
 私に会って聞きたいことがあったらしいのだが、わざわざ会ってまで聞かなきゃならんってどんなことかと思ったら、「君が代」の由来だそうな。なんでも大学の課題レポートでそんなのが出されたらしい。
 なんか以前もこのムスメは、「ベーゴマってなんですか?」とかいきなりなんの脈絡もない質問をカマしてくれたことがあって、日頃何を考えてんだかわからんところがあるのだが、だいたいどうして歴史にもコトバにも門外漢な私にそんなことを聞いて来るのだ。大学に通ってんだから、誰かセンパイや専門家に聞くか、パソコンで検索するぐらいしろやあ。
 もちろん私だって、この歌詞のモトが『古今和歌集』の賀の歌であることくらいは知ってるが、更に詳しいことは自分で資料にあたったほうがいいに決まってる。どうせキョージュは「君が代の君は天皇を指すのか否か」とか、下らん論議を生徒にさせたいんだろうから、キョージュが右のヤツだか左のヤツだかは知らんが、満足しそうな説を資料ツギハギしてでっちあげときゃいいのだ。

 ゲーセンでちょっと遊んで「おじゃる丸電動ハブラシ」(しげは鴉丸嬢にプレゼントするつもりらしい)をゲットしたあと、G−SIDEに寄って、「オタクアミーゴス」会場のNTT夢天神ホールを覗いてみる。
 ……なんだ、本屋の「リブロ」と同じ階にあったのか……って、今まで何度もこの本屋に来てるのに全く気付かんかったぞ。むちゃくちゃ目立たんやないか。
 前がFMホールみたいになっていて、その奥まったところの更に奥にあるんだものなあ。廊下も狭いし、客の行列が出来ると、整列させるのにちょっと骨が折れそうだ。オタクは、廊下のハバ取っちゃいそうなヒトが多いだろうし(←偏見ではない)。
 本屋の方まで列が流れて行かないようにしないとまずかろうし、そのあたりのことをエロさんたちと充分相談しておかないと、ウラカタもやりにくそうだなあ。


 天神東宝で映画『陰陽師』。
 少なくともテレビ版よりは出来がいい。役者に余裕があるのがいいのだ。晴明と博雅が酒を飲み交わすシーンも何度かあって、原作の雰囲気はよく伝えている。
 けどなあ、やっぱり脚本にアラがあちこちありすぎるし、キャスティングに疑問ってのも結構多いのだ。

 ともかくキャラクターの行動原理が殆ど描写不足なのが最大のネック。
 陰陽頭・道尊(芦屋道満がモデルか?)が平安京を鬼の街と化して支配しようとする動機が、最後まで分らないままなのが頗る痛い。これ、『帝都物語』でも加藤保憲がなぜ帝都を破壊したがってたのか分らないままだったのとよく似てる(『帝都』は一応、原作のラストでその理由がわかる仕掛けになってんだけど、映画では語られずじまいなのよ)。
 そういえば、早良親王の霊を利用しての都の破壊って手段も、『帝都』そっくりだな。でもなんつーかさあ、歴史考証について余りやいのやいの言いたくはないけどさあ、平安時代最大の怨霊と言われる早良親王を、たかが女一人の「愛」で浄化させちゃうってのはどうだかなあ。
 しかもその女がすっかり老けたキョンキョンだし(それを言えば、早良親王が萩原聖人ってのも違うべえよ)。

 更には安倍晴明が都を守ろうとする動機も希薄なままだ。
 一応、博雅のためってことになっちゃいるけど、博雅、原作以上にアホヅラ晒してるだけで、足手まといにしかなってない。なんで晴明がこんなやつのためにカラダ張ってやらなきゃならんのか、画面上からはどうにも納得ができないのだ。
 まあ、晴明を陰、博雅を陽とするなら、博雅が明るいだけが取り得の間抜けであるほうが、呪術的には正しいのだけれど、別にこれは陰陽道の解説映画ではなかろう。あくまでこれは時代劇という名の、現代人である我々が見るものとして作られたドラマなのだ。現代人として納得できるロジックが描かれなければ、我々は感情移入ができるはずもない。

 もひとつ言えば、蜜虫役の今井絵理子がもうただのブ○でよう(-_-;)。見るに耐えねえったらありゃしない。
 これ、ストーリー上は全く必要でないようでいて、実は一番重要な役なんだがなあ。つまり、安倍晴明の陰陽師としての力というか、その存在を象徴する役割なのよ。何もせずただそこにいるだけで意味を感じさせねばならない、むちゃくちゃムズカシイ役なのだ。
 よくもまあ、こんな大根の、存在感のカケラもないヤツを振ったよな。事務所の力か?
 ……これ、私の勝手な予想だけどさ、最初製作者側が狙ってたの、上原多香子じゃなかったかと思うんだよ。はっきり言って、ルックスからいけばSPEEDの4人の中じゃ上原の美形ぶりが突出してたしな。
 けど、残りの三人もなんとか売りたいってのがプロダクションとしてのホンネだろうから、「上原ダメだけど今井なら」って話になったんじゃないかと。
 そんな話蹴って、加藤夏季にやらせればよかったのに。……って、そこに落ち持っていきたかったんかい(^_^;)。

 けれど、大いに不満だったかっていうと、そうでもなくて、クライマックスの晴明(野村萬斎)と道尊(真田広之)の立ち回り、ワイヤーワークにところどころ頼っちゃってる欠点を除けば、日本の殺陣史上、屈指の名シーンと言っても過言ではない。他の全ての欠点がこのシーン一つで消し飛ぶほどだ。
 狂言の足さばきと、JACで鍛えたアクションとの異質のアンサンブルが、こんなリズムと緊迫感を生むとは。「殺陣」ファンはこのシーンを見に行きなさい。そうでない人にはお薦めしません。

 個人的に気に入っちゃったのが、石井愃一演じる藤原兼家。ご承知の通り、摂関政治によって最大の権力を得た藤原道長のお父っつぁんで、歴史上、晴明のパトロンだった男だ。
 側室の藤原道綱母(『蜻蛉日記』の作者ね)が、この父っつぁんに浮気されて、「なげきつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」(=アンタが他の女とイチャイチャしてる間さあ、アタシは一人で布団に入ったまま、ずっと夜明けまで眠らないで待ってんのよ。オ○ることもできないのにさあ、どれだけ長く感じるか、わかってんの?)って歌を詠んで締め出したら、
 「げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり」(=君が怒るのは解るよ、ボクが悪いんだから。でもさあ、いくら冬の夜が明けるのが遅いからって、君の家のドアまで開くのが遅いなんて、あんまりじゃない?)と返歌して謝っときながら、でも浮気はやめなかったという、ツワモノである。
 ……まあ、女の一人や二人に祟られてて当然ではあるわな。
 晴明に「祟られる心当たりは?」と聞かれてぶんぶんぶんと首を横に振るあたり「ウソつけ」と思わず突っ込み入れたくなるような名演♪
 東京ボードヴィルショーのファンは、兼家と博雅(伊藤英明)の二人ボケ漫才を見に行きましょう(^o^)。

2000年10月07日(土) V2/ムック『本多猪四郎全仕事』ほか


2001年10月06日(土) 新番……第何弾だよ/『星のカービィ』第1回/『ヒカルの碁』(ほったゆみ・小畑健)14巻ほか

 オタアミ当日まであと49日!

 朝のっつーか、夜中の3時すぎ、しげが誰かに電話をかけている。どうも口調からすると鴉丸嬢らしい。
 ちょうど連休の初日ってことで、こっちも夜更かししてたから、別に睡眠のジャマになってはいないが、最近、こういうことが多いのだ。
 かと言って、「夜中に掛けるな」とは言えない。しげと鴉丸嬢の都合が合うのが、今の時間帯しかないのだ。それに、私が寝てる時にはできるだけジャマにならないように気遣って、奥の部屋で喋るようにしてくれてるし。
 でも、この「奥の部屋で喋る」ってのが実は問題なのよ。
 本人は迷惑かけないように声を落としてるつもりなんだろうけど、おかげでくぐもった不気味な声がかえって寝てる私の耳に響いてくるのね。
 あのね、アナタ、「ふふふふふふふふふふ」って、楳図かずおのマンガからそのまま抜け出てきたような声が聞こえてきたと思ってごらんなさいな。いっぺんで目が覚めるどころか、ドアのスキマからヘビママがヌルって滑りこんでくるんじゃないかって、エライ恐怖に襲われちゃうんですよ。
 ……これだけヒトを怖がらせといて、本人は私が怪談話をしようとすると、悲鳴をあげて嫌がるんですよねえ。当人、別に幽霊信じてるわけでもなさそうなのに、理不尽だ。
 劇団の連中とか集めて、一度百物語やってみたいんだけど、そういうのってみんなもイヤがるのかなあ。


 朝もはよから新番アニメのチェック。
 7時半から『星のカービィ』と『ガイスターズ』の二本が重なっていたので、どっちかは録画にしておくしかない。
 迷って『ガイ』のほうを録画セットして、『カービィ』を見たのだけれど、これが意外にいい出来。
 主役のカービィと悪玉キャラのデデデ大王の二人だけデジタル作画の頻度が高くって、ほかのキャラは手描きってのに何の意図があるのかわからんという欠点はあるが、脚本、演出にはなかなかキレがある。
 謎の怪物に襲われ、飼っているヒツジが何十匹と犠牲になっている村。村人たちはその怪物がデデデ大王の居城からやってきていると訴えるが、大王はせせら笑って否定するばかり。仕方なく伝説の勇士「カービィ」が現われることを期待する村人たちだが、ある夜、村に落ちてきた星を見て、すわ勇士の降臨か? と浮き足立つ。
 ところが、星の中から出て来たのは、丸っこくってかわいらしいヘンな生き物。
 「これがカービィ?」
 主役が全く喋れず、意志疎通が出来ない、という設定は、ドラマを盛り上げる上ではネックになることも多いのだが、そこを逆手にとって、果たしてカービィは伝説の勇士なのか? と村人たちの不安が高まるようにしているのは悪くはない。
 やがて、怪物の正体が大王が通販で買った(笑)オクタコスというタコが巨大化したものだと判明。これからの展開が一気に大活劇、東映動画の名作、『長靴をはいた猫』を髣髴とさせる城の内外の破壊と追っかけが始まる。
 ようやくその力を発動させたカービィ、星に乗っての空中戦は、まるで『わんぱく王子の大蛇退治』!(若い人は『ナウシカ』の空中戦を想起されたい)
 いや、ホント、城の壁をなめるように飛んでいくカービィを、後ろからタコの足が追いかけてく構図は、『わんぱく』そのまんまなんだから。なんで敵がタコだったかって、「足が8本」あるからだったんだね(^^)。これは、まさしく「アメノハヤコマに乗ったスサノオとヤマタノオロチの対決」の再現なワケで、相当自信がなきゃやれない演出なのよ(実写の『ヤマトタケル』は見事にコケてたし)。その演出の要求に、作画陣が見事に答えてるのが立派だ。
 このレベルが来週以降も持続されるんだとしたら、オトナのお客様も充分期待していいと思うぞ。脚本・演出は『ルパン三世 ルパンvs複製人間』の吉川惣司監督。監修が『アルプスの少女ハイジ』の作画監督小田部羊一(『じゃりん子チエ』の、とか『ポケモン』の、と言ったほうが通りはいいか)。

 あ、『ガイスターズ』はクソでした。
 世界的規模の破壊ののち、宇宙に避難していた人々が戻ってきた地球は、怪物たちの跳梁する世界と変わっていた。まあ、なんでそうなったのかってのはおいおい説明されていくんだろうから突っ込まないけどさ、怪物のCG、GONZO以上に浮きまくってるぞ。
 で、あとは頭の悪そうな戦闘員どもと怪物との争いが延々と盛り上がりもなく続くだけ。
 ……ああ、つまり『スターシップ・トルーパーズ』がやりたいだけなのだね。エイリアンもどきの怪物が人殺すシーンを見るのが好きな人は見てもいいんじゃないですか。
 私は少なくとも、もう録画はしません。つーか、もう見ません。


 さて、しげが「車を見にいくからつきあって」と言うので、近所のマツダ展示場まで、散歩がてら出かける。
 我が家はずっと家訓で「クルマ買うべからず」ということになっていたので、私には車に関する知識が殆どない。多分、「常識を逸している」と言われても仕方がないくらいないであろう。
 何しろ以前、同僚の車に乗せてもらう時、“自動ドアが開くのを待っていた”というヤツなのだから(タクシーしか乗ったことがないから、全ての車は自動ドアだと思っていたのだ)。
 今回、しげは自分の貯金と給料でローンを組むことにしているのだが、それだと相当長期間に渡ってオカネを払い続けねばならないようなのである。
 いや、そんな高い車買うのかって誤解しないように。しげの給料が安いだけなのだ。
 私の冬のボーナスまで待ってくれれば一括で払える程度の金額なのだが、しげは一刻も早く車がほしいらしい。
 「なんで?」
 と聞くと、
 「免許取って間が空くと、運転忘れるから」
 ……だから運転すること自体が間違いだ、とは思わんのか。
 少しは手出ししてやらなきゃならんのかなあ、と思いながら、「でも私は免許持ってないからお金出せないし」と言ったら、しげとマツダの人に怪訝な顔をされる。
 ……なんか、バカなことを言ったらしい。
 「あの、車って、免許持ってなくても買えますよ」
 ……え? そうなの?
 「だって、おカネもちが車だけ持ってるってことあるでしょう」
 「運転は運転手にさせればいいんだし」
 そういうものなの?
 でもそれじゃ無免許運転を予め認めちゃうことになるんじゃないの?
 何となく納得がいかないが、世の中そういうものなのであろう。
 クルマ音痴ってのはこんなものなのである。
 しげ、結局即決で契約をすまして、なんたらいうクルマを買う。こういう時、しげの思いきりは早い(だったら日頃の優柔不断もなんとかしろよ)。
 どんなクルマか、詳しく紹介したいが、クルマ音痴なのでどう形容したらいいのかわからんのよ。
 スズキの軽自動車で、ドアが4つの中古車で、7年前の型だけど3万キロしか走ってなくて、高さがある程度あって、後部座席をフラットにできて、後ろのドアがパカッと上に大きく開いて、まあまあ荷物が置けそうなことはわかった。
 さあ、おトクなブツなのかどうか?


 「モスバーガー」で昼食。
 エビかつバーガーが250円で割引だけれど、マクドナルドのチーズバーガー80円に比べれば、割高感は否めない。
 もちろん、材料費をケチってるマックとモスとが比較になるはずもないのだが、実際に出て行く金は少ないほうがいいに決まってる。
 モス、今は苦しいんじゃないかなあ、と思うが、私みたいに、たとえ安売りしてても、マックで何食えってえの? みたいな感覚の人間がいる限り、モスの火は消えないであろう。
 焼肉ライスバーガー(既にバーガーではないという批判は置いといて)をぱくつきながら、ウワサ話などに花が咲く。
 ここしばらくすっかりお見限りの藤田君、なんだか大変なことになっているようだ。
 「藤田君の親がね、『育て方間違えたかなあ』って言ってるんだって」
 「なんだよそりゃ。一体何やったの?」
 「今ね、○○○○○○○○○○○だって」
 「なんでそんなに? 何に○○○○○?」
 「だって○○○○○○○○○○○ってよ」
 「いくら何でもそこまではいかんだろう。やっぱり○○○○○○○じゃないのか?」
 「さあ……?」
 端から見てると面白いヤツなんだけど、ご家族にしてみれば気苦労のタネだろうなあ。何しろ忠告したら忠告されただけ、「オレはダメなヤツなんだ〜!」って言って、ますます落ちていくヤツだし。っつーか、「落ちていくのがカッコイイ」って思いこんでるマゾだし。
 フジタく〜ん。もうこの日記読んでないかもしれないけれど、ある程度のところから引き返したほうがいいよ〜。別に家族に迷惑かけるなってことじゃなくてさ、周りのみんなが笑って見ることができなくなるところまで落ちちゃうってのも、娯楽の一つがなくなっちゃうわけで淋しいからさ。


 『ザ! 鉄腕! DASH!!  爆笑! 秋の大収穫祭! おにふすべスペシャル』再放送見る。
 実はこの番組、ときどきしか見てないが結構好きなのだ。何しろテレビのコメディ番組がバラエティに押されてほぼ全滅状態にある中、体を張って見せてくれるもののほうが何倍も面白いことは事実なのだもの。『ガチンコ』みたいにヤラセっぽいのはどうも好きになれんけど、こういうのはゴマカシ効かないからね。
 自転車3000コギで鎌倉の海まで行けるか、ってネタ、ちゃんと一人脱落したのがいいねえ(笑)。
 「DASH村を作る」ってネタ、偶然撮れた「おにふすべ」の成長過程ビデオ、実に勉強になる。たった五日で人間の頭大にまでデカくなるのだ、あれは。こういうのはヤラセでっつーか、そんなんなるなんて誰も思っちゃいないから面白いのだ。


 CS時代劇チャンネル『天下の御意見番罷り通る 彦左衛門外記』。
 原作は山本周五郎の『彦左衛門外記』。
 大久保彦左衛門が本当に天下のご意見番だったかどうかはちょっと、どころか大分疑わしい。所詮はただの旗本であるわけだし、家康の側近だったことは確かだが、親しいつきあいがあったわけでもなさそうだ。『三河物語』を書いていなければ、巷間、話題に上ることもなかっただろうし、あの話にしたところで、感じとしては、「有名人とちょっとお近づきになったことがある」ファンがやたらそのことを自慢話にしてるようなものじゃないかって思う。
 『三河』のほうは安彦良和さんが漫画化してるので、そちらのご一読をお薦めします。
 山本周五郎の原作はその虚々実々の狭間を縫うようなウマイ脚色がなされていて、果たして「ご意見番のお墨付きはあるのかないのか?」という話になっている。何しろほぼ架空の人物とされている一心太助を登場させないことで、より現実感、信憑性が増す仕掛けになっているのだ。
 良くも悪くも山本周五郎は菊池寛に連なる主題主義の作家なワケで、結末がお定まりのところに落ちついちゃうのは仕方ないかな、という気はするけれど、彦左衛門を演じるのが晩年の三船敏郎であること、ワキを藤村俊二、田中美佐子、田村亮といった芸達者で固めていることで、充分見応えのあるドラマになっていた。
 個人的には三船さんにボケ老人みたいな役を演じてほしくはなかったけど。


 広島の友達から電話がある。
 この友人とは盆と正月に必ず会うことにしてたのだが、今年は私の入院で会えずじまいであった。
 会えば必ずオタクばなしに花が咲くのだが、あちらも既に二人の子持ちであるし、なかなか自分の時間も取れないのであろう。休憩がてらウチに来ないかと(汚い部屋であることは無視して)誘う。
 しかし、シンクロニシティというものはあるものだよなあ。
 今日マツダで車買ったと思ったら(まあ買ったのはしげだが)、マツダに勤めてる友人から電話があるとはねえ。


 直後に父から電話。
 こう、あちこちから電話がかかるのもシンクロか? ってただ単に休日に入ったからってことなんだろうけど。
 21日の母の七回忌についての打ち合わせである。
 親戚に強欲の俗物の高慢ちきの人でなしの、そのあまりの性格の悪さゆえ、縁を切ってた人がいるのだが、もう大分時間が経ったことでもあるし、招くことにしたい、ということであった。
 内心、またこのお人好しが、香典泥棒されたこと忘れてるのか、とは思うが、母のことに関しては父に一任すべきだと考えているので、口出しはしない。
 葬式だの法事などが下らないと思うのは、生きている人間たちの思惑がまるでまとまらないというアホらしい事態に落ち入ってしまうことがしばしばなので(映画の『お葬式』以上のトラブルが現実に起こりまくる)、そこに私がまた何か言い出せば、ますます混乱を呼ぶばかりだ。
 けど、一番苦労させられるのは、母のあとを継いで店を切り盛りしている姉なのである。父の話によると、今度の法事、参席を一番いやがったのは姉だそうだ。
 そりゃそうだろう。面倒臭いのでいちいち書いてないが、姉と呼んではいても私と血のつながりはないのだ。血縁でもない者が母の跡継ぎだということで白眼視するクサレ外道がウチの親戚にはゴマンといるのだ。父も私も納得している(どころかぜひ跡を継いでほしいと頼んでいる)ことだというのに。
 父は「十三回忌はお前に任せた」と言ってるが、私ゃ客は一切呼ぶ気はない。「宗教は嫌いだ」と私がしょっちゅう言ってるのを、どこまで本気で聞いてるのか。こっちがいくら言ったって、暖簾に腕押しなのだ。
 いい加減マジで打ち合わせしてもらわないと、困るんだけどな。だいたい、親父の葬式だって、こっちは出す気がないんだから。


 マンガ、西岸良平『ヒッパルコスの海』(双葉社・300円)。
 月の土地を買った男のところに(そういうジョーク企画が、昔本当にあった)、宇宙人が売買契約にやってくる、というネタは、藤子・F・不二雄のマンガにもあったネタだけど、もしかして、ほかにも思いついた人がいるかもしれないなあ。いちばん最初に書いたのはだれだろう? 小説にもあるかもしれないから、そういうのを全部比較対象してみると面白いかもしれない。
 藤子マンガでは首尾よく大金を手にした主人公だが、西岸さんのこのマンガでは、主人公はやはり貧乏生活に舞い戻ってしまう。
 昭和30年代に強い郷愁を覚える西岸さんと、過去を冷ややかに見つめる藤子さんの資質の違いであろうが、どちらが上かってのは決められるものではない。ただ、どちらも背景にある「貧乏」のリアリティは相当なもので、イマドキの批評家が西岸さんの作品を「ほのぼのマンガ」でくくっちゃうのはやはり見る眼がないってことになると思うのである。
 

 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』14巻(集英社・410円)。
 佐為と塔矢名人の対決、完結編。
 連載中に読んでいた『ヒカルの碁』白眉のシーンが連続するが、ラストで消え行こうとする佐為が「神のさだめたこの運命にはあらがえないのか!?」
 と語っているのを見逃していた。
 これを「佐為復活」の伏線と見るのは穿ち過ぎかなあ、とも思うが、一回完全に消えちゃった以上、そのままの復活は絶対に無理だと思うのである。
 ありえるのは「転生」ってヤツだけど、そうなると以前、ネットにニセモノの「SAI」がいたのが気になる。アレが実は時空を越えて転生していたホンモノの佐為だったりして(過去の記憶をなくしていたので、囲碁はまだ弱かったのである)。
 ……マンガと関係ないがオマケマンガ「ネームの日々」36、ジャンプの編集部は「非通知」で電話していることが判明。
 あそこの編集者に社会的常識がないってのが如実にわかるエピソードですねえ。「ジャンプの編集部員です」ってウソ電話をかけるイタズラ者が出たら、どうやって区別つけるのよ。こういうバカどもにせっかくのマンガ連載が引っ掻き回されてるってこと、読者はもっと怒っていいと思うんだが。

2000年10月06日(金) 詳しくはコメディフォーラムを見てね


2001年10月05日(金) 新番第4弾/『クレヨンしんちゃんスペシャル』/『化粧した男の冒険』(麻耶雄嵩・風祭壮太)ほか

 オタアミ当日まであと50日!

 連休前ともなると、仕事がドッと押し寄せてくる。
 で、連休明けも溜まった仕事がドッと来ることが初めから解りきっているのである。
 だったら連休なんかなきゃいい、と言ってしまいたいが、来週は休日出勤があるので、全く休みがないのだ。
 じゃあ、明日休めることを感謝せねば……と気持ちを切り替えてはみたものの、まるでこりゃ「朝三暮四」そのまんまである。
 ……それより悪いな。結局あるはずの休みが潰れていくんだから。

 日々の雑感を書きながら思うことだが、読者のみなさんは、私が自分の商売を隠して日記を書いてることを、どうお感じだろうか。
 と言うか、いちいち「私はナニナニです」と書いてある公開日記もそう多くはないから、「別にカミングアウトするかどうかなんて本人の勝手じゃん」と寛大にお考え頂いているのかもしれない。
 でも、私としては覆面かぶって好き勝手言ってるようで、なんだか申し訳ないなあ、と思ってる部分はあるのだ。
 たとえば私の正体が小泉○一郎だったとしたら(゜∇、°)、こりゃヒミツでサイト持ってるってだけで国民への裏切り行為である。内容を読めば更に非難囂々、内○支持率はあっという間にヒトケタ台まで落ちてしまうであろう。
 ……それくらい、バカなこと書いてるってくらいの自覚はあるのよ、これでも。
 でも、だからこそ、「自分がなんであるか」ってことは、社会的な立場からモノを言う意味でも、あるいは、“いかに社会的な立場を無視してモノを言ってるか”っていう意味でも、きちんと明かしといた方がいいと思うのだ。
 実際、「なぜ私がこんなことを言うのか」ってこと、私の商売を知った人じゃないと意味が分らないってことも多いのだよね。

 たとえば、今日こんなことがあった。
 私の知人が、6年ぶりくらいに私を訪ねて来てくれた。
 しかし、その用件とは、彼の個人的な事情についての深刻な相談だったのだ。
 明言するが、私の人格は「人として最低」である。それはこの日記をお読みいただければよくご理解頂けることであろう。
 しかし、実は私の商売上の肩書きってヤツ、これ、社会的には相当信用に値しちゃうものなのだね。
 だからこそその知人は、「私の肩書きを当てにして」訪ねて来てくれたのだ。
 もちろん、知人の頼みを私はその場で頷いて聞き入れた。
 しかし同時に私は、その肩書きがなかったなら、自分が知人の頼みひとつ聞いてやれないほど卑小な存在だということを自覚せざるを得なかった(いやまあ、たいていの人がそうだろうけど)。昔、しげにも「アンタが○○でなかったら好きになってない」なんて言われたことあるんだよなあ(しげも相当「人として最低」である)。
 っつーかねー、なんか自分の肩書き使って知人に恵みを施してやったみたいでイヤになっちゃったのよ、今日のことで特に。批判されてもいいから、自分の正体明かして心のモヤモヤを取り払いたいなあ、なんて思っちゃったのね。
 でも、私が正体を明かさないのは、私個人の事情ではないので、到底できることではないのだ。ああ、もどかしい。
 ……もう、お解りであろう、私は本当に小泉○一郎だったのである。
 今度から「ソーリ」と呼んでください。って、中村雅俊か。


 秋の新番組アニメ、全部見ちゃうぞ(ムリだって)ツアー、個人で勝手に始めているが、そのためには仕事を定時で切り上げて猛ダッシュで帰って来ねばならない。
 ……できるこっちゃないのだが、今日もちと帰りが遅くなり、それでも『VANDRED the second stage』、前半を見逃しながらもテレビにかじりつく。
 なんだかね〜、男と女がそれぞれの文化圏を持ってて、宇宙戦争繰り返してるって聞いたらもう、真っ先に「『マクロス』やん」と思ってしまうのだが、第2シリーズに入っても、まだ仲直りが出来ていないらしい(^_^;)。
 ……SFの名を借りた集団ラブコメだからなあ。批評がどうのこうのって言えるほどのものでもないんだけど、これも制作はGONZO。この、CG使いまくりの違和感アリアリの、ストーリーやプロットは定番どころか陳腐のパクリのって、なぜこれだけのクリエイターが集まっててそんなになっちゃうかね。
 今回もラストでお約束の新キャラが導入、やっぱりボケ美少女で、主人公といちゃいちゃ、ヒロインがヤキモチ焼くっていうトホホな展開。
 もうどーにでもして(-_-;)。

 口直しにと見た7時からの『クレヨンしんちゃんスペシャル』。
 前半の『魔法使いしんちゃんだゾ』は、しんちゃんの被害にあうカザマくんがいい味出していて、なかなか笑えたのだが(でも「『サリーちゃん』も『アッコちゃん』も『マコちゃん』も人間界に行ってるのに!」としんちゃんが叫ぶところ、確かにサリーちゃんとマコちゃんは魔法界、人魚界のお姫様だけど、アッコちゃんはもとから人間で鏡の国の王女様は別にいるのだけれど)、後半の『おうちはなかなかできないゾ』はちょっとダレた。
 原作はこんなにスペシャルにするほど長くないのに、妙に幸田露伴の『五重塔』みたいな職人話にしちゃったからねえ。
 しんちゃんがイタズラして「先行者」作ってたギャグはよかったけど(^^)。

 8時から、あともう一本の新番組、CSカートゥーンネットワークの『パワーパフガールズ』、もちろんテレQでやってるやつの再放送なのだけれど、局が変わるんで(っつーかもとのところに帰るっつーか)、声優の変更があったりするのかなあ、とか心配していたのだ。
 でも、心配は杞憂に終わり、テレQではカットされてた本国版のOP&EDも復活、しかも日本語版のエンディングもフルコーラスでインターバルに放送と、CS版は結構豪華。ホッと胸をなでおろしてひと安心。
 パワーパフガールズへの視聴者の質問コーナー、「どうしてブロッサムだけマントをつけてるんですか?」(ポニーテールのことだな)なんての、いかにもヤラセだが、かえって楽しい。あれは、そのために新作のアニメ作り下ろしてるのかな、それとも既成のフィルムのツギハギだけで作ってるのかな?
 一つだけ不満だったのは、日本語版サブタイトルが紹介されなかったこと。
 何か理由があったのかなあ。版権とかは関係なさそうだけど。


 そんなこんなの埒もあかないことを、毎日「オタアミ会議室」に書きこんでいるのだが、少しは関心を集めていただいているのだろうか、今日はあの「と学会公認(笑)」占い師の、稗田オンまゆらさんからレスがついてしまった。
 しかも、リクエストつきだったりして(^_^;)。

 「今日夜中3時10分からテレビ東京で放映される「バビル2世」リメイクはいかがざんしょうかどうやら、声優総とっかえだそうなので、見たいような見たくないような、なんですが、、、、、、、」

 ああ、ちゃんとアニメ見てレスをつけたい!
 けど、テレQの○○野郎、テレ東のネット局のくせに、『バビル2世』を放
送しやがらないのだ。
 鈴邑君がなー、以前そこに勤めてたんで、裏事情を聞いたことがあるんだが、編成会議で「アニメは何本か落とす」ことになってるみたいなんだなー。
 たいてい、深夜ワクがターゲットになってカットされちゃってるんだよなー。
 で、今日、何をやってるかって言うと、映画『極道戦国志 不動』。……こんなんに三つのシモベも歯が立たないってかよう。
 泣くに泣けねーや。うううう(T∇T)。泣いてるじゃん。

 主役の名前が山野浩一から神谷浩一に代わってるのは、笑っちゃったけど。
 「やっぱ山野浩一はマズイでしょ(←特にオタクでない人のために解説。SF作家で山野浩一って人がいて、そこから勝手に拝借したらしいんだよね、この名前。原作の横山光輝、パクリに関しちゃ感覚が結構ユルイのよ)」
 「じゃあどうする?」
 「せっかくだから神谷明さんに名字だけ借りましょうか?(←これも解説。最初のテレビアニメ化で主演したのが神谷明さん。しかもこれが主演第一作だ)」 「おお、それいい!」
 ……てな発想で決められた過程が見えるその安易さからして、脱力ものだ。
 なんで放送しなかったかなあ、ポスター見ると、ヨミのそばにいかにも『ジャイアント・ロボ』の銀鈴っぽいキャラがいたりして、以前のOVA版より、はるかにヘタレそうな気配が濃厚でタノシミだったのになあ。
 時期遅れでもいいからやらないかな。
 ……けど、局にリクエストハガキ送るほどの出来でもないんだよな、きっと。


 ネットを渡り歩いていて、岡田斗司夫さんの「OTAKING SPACE PORT』の巻頭言に目が止まった。


「 あるサイトでこんな「フロン」感想を見つけました。

>『フロン』読んでわたしは違和感を持ちました。
>著者には申し訳ないけど、しょせん頭のなかで生きてる
>オタクの言うことだなあ、と正直言って思いました。

 本を出したからには、どんな感想を持つのも本人の自由です。
 でも、上の感想は、なんかイヤな感じがしました。ちょっと考えたらわかったのですが、これを書いた人はオタクを差別しています。これが「しょせんバカの書いたタワゴト」と書かれたら、別にイヤな気分はしなかったと思います。
 この感想を書いた人の「オタクだからダメ」という視点が、なんかイヤだったんでしょうね。

 たとえば「オタク」を「女」と言い換えてみましょう。
 
>『フロン』の感想を読んでわたしは違和感を持ちました。
>書いた人には申し訳ないけど、しょせん頭のなかで生きてる
>女の言うことだなあ、と正直言って思いました。

 ね、けっこうひどいでしょ?
 
 今まで「しょせん女だから」「女の考えることなんか」と差別される側にいた女性でも、こんなに簡単に人を差別して、おまけにそれには無自覚な様子なのでイヤになっちゃいました。」


 私は岡田さんが怒ってくれてるってことで嬉しくなっちゃったぞ。
 『オタク』と言うコトバが一般に浸透した原因は、ルーツと言われる中森明夫のエッセイよりも、宅八郎と宮崎勤の存在が大きい(それが証拠に、私の大学時代、既に中森氏のエッセイは発表されていたが、私を含めて、私の周辺のオタク的な人々の誰一人として「オタク」と呼ばれたことはなかった)。
 言わば、全くのマイナスイメージだ。
 そのとき作られたマイナスイメージは、未だにあちこちで偏見と差別を生んでいて、「アニメが好きだ」と言っただけで「え〜、キミ、オタク?」なんて言われちゃうこともままある。

 宮崎勤事件が起きた時、たいていのオタクは「アレはホンモノのオタクではない」と、そのコレクションの「レアものならなんでもいい」みたいな嗜好性のいい加減さを指摘して、オタク仲間からの「追い出し」を図ろうとしていた。
 私の場合、当時は逆に「俺はオタクじゃない、マニアだ」とか言ってたなあ。でも実質、宮崎勤との間に差別化を図ろうとしてた点では同じだ。でもなあ、やっぱり社会的常識から言えばさ、何万本ってビデオを持ってるってだけで、充分「オタク」なんだよな。いくら本人が否定したって、物理的な共通項があれば、世間は一つのカテゴリーでくくっちゃうよな。
 かと言って、くくられて仕方ない、と諦観できるわきゃない。
 なんたって相手はヘンタイの犯罪者だ。当時のオタクたちはたとえムダだと知りつつも、宅八郎や宮崎勤なんかと同一視されることを嫌がる言質を繰り返して訴えてきたのである。……まあ、嫌がらないほうが不自然だよね?

 オタクたちは、自分たちが好きなもの好きだって堂々と言えるだけの文化的土壌を持っていなかった。それどころか、宅や宮崎の登場で、自分たちの立場を社会的に認知させるためのコトバすら奪われてしまっていた。
 「オタクのどこが悪い!」
 たったこれだけのことを、口に出せないムードが、社会を支配していたのである。
 それを、「オタク」というコトバはそのままに、内実のイメージを全く逆にプラス転換するというアクロバットのような手法で逆転させてしまったのが岡田さんの「オタクエリート論」なのだ。
 もちろん、その論の創始者は必ずしも岡田さん一人に限定は出来ないが、世間に対して積極的に戦略を展開していったのは紛れもなく岡田さんだ。
 「夢と現実との区別がつかないオタク」なんて陳腐なイメージの中に、「何かに熱中する人間を全て放りこんでしまおうとする」世間の人々の偏見を、次々に遺伝子操作よろしく「組み替えて」いった手腕は、もっともっと評価されていい。 

 そして、岡田さんは未だに怒ってくれているのである。
 この『フロン』について、女の人が「頭の中で生きてる」って批判したってのはつまり「夢と現実の区別がつかない」って批判と同質のものであろう。
 しかし、人間は「心」を持ってしまった時点で、現実を認識できる能力を殆ど捨て去ってしまった動物であるのだ。

 ……あの、今回のテロ事件だって、我々がどれだけあれを「現実」として認識できてると思います? というか、「現実」と認識すれば認識するほど、心がその事実の重みに耐えられなくなってしまうとは思いませんか?
 あるいは、こういう例を考えることもできるよね。何か事件が起こるたびに「まさかあの人がこんな事件を起こすなんて」ってみんな言うじゃない。てことは、その事件を起こした本人じゃなくて、周囲の人間の方が犯人の「現実」が見えてなかったってことでしょ?
 人間の防衛規制って、全部「現実から目を背けること」から成り立っているのよ。

 この女性も、自分が「頭の中で生きてる」人間であることに気付いていない。気付いていれば、こんな言葉は使えないからだ。
 というか、「現実を見てない」なんて批判は、もとから批判としての機能を持ち得ない空虚なコトバなのだという「現実」すら、世間の差別者たちには「見えていない」のだ。
 ……悲しいよな。


 作り置きのカレー、やっと全部食えた。
 前のよりは「美味い」と言って食べたしげだったが、最後はあまり食べてくれなかった。
 「肉が固い」というのである。
 鶏肉の切り落としを具に使ったのだが、確かにコリコリした肉が入っていたのは事実だ。けど、それが私には美味しかったんだがなあ。
 だいたい、ウシとブタの区別もつかないくせに、ウマイのマズイのって言えるってのがいい根性してるよなあ。


 マンガ、神坂一原作・トミイ大塚作画『スレイヤーズすぺしゃる』4巻(完結/角川書店・546円)。
 映画公開が近いのに、本編シリーズもこのすぺしゃる版のマンガ化も終わっちゃった。
 結局、マンガ版はあらいずみるい版、義仲翔子版、そしてこのトミィ大塚版と3種類も出たわけだけど、ほぼオリジナルといっていいあらいずみ版を除けば、原作のノリに迫り切れたものはない。この4巻も、ページ数の限界で、今一つ感が強い。原作を消化しきれずにここで終わりってのも無理からぬ気はする。
 でもなあ、ラストはもうちっと最終回らしくしてほしかったなあ、とは思うのだ。ラスト前の1話をフィリオネル王子編でシメてたんで、てっきりナーガとの親子対面があるかと思ったのに、すれ違いなんだものなあ。
 いい加減、このすれ違い、引きすぎじゃないのか、『君の名は』じゃあるまいしよ。まあ、マンガ版より先に小説版でやんなきゃいけないことだけどね。
 そのためには、本編の第3部を神坂さん、書かなきゃいけないと思うんだけど、そんな気配もないよなあ。


 麻耶雄嵩原作・風祭壮太作画『メルカトル鮎の事件簿 化粧した男の冒険』(秋田書店・540円)。
 原作は短編集『メルカトルと美袋のための殺人』(講談社)。
 ここ数年で随分増えたよねえ、新本格ミステリのコミック化。
 しかも、こないだ読んだ『モーツァルトは子守唄を歌わない』もそうだったが、必ずしも原作におんぶに抱っこの、マンガとしての工夫のないつまらないものではなく、意外といい出来ってのが多いのである。
 あ、内田康夫原作のは除いてね。ヽ(^。^)丿
 おかげで、「原作読まなくてマンガでいいか」って気になっちゃうのはよくないけど。
 この『メルカトルの事件簿』も、最後の『水難』が真犯人が○○という、掟破りの手に出ている点を除けば、まあ、悪いデキではない。
 探偵の性格が悪い(何しろ自分の天才を証明するために犯人の殺人を誘発さえする。……ってそれって真犯人って言わんか)、というのは実はミステリーの伝統だといってもいい。
 シャーロック・ホームズだって「自分の知的好奇心を満足させてくれる事件が起きないか」っていつも考えているし、明智小五郎だって、ある事件じゃ真犯人の片棒担いだりしている。
 ラスト・ケースの真犯人が探偵ってパターン、どれだけあるかね(^.^)。
 マンガが犯罪の誘発要因のように言われ出す前、目の敵にされてたのはミステリーだった。戦前、乱歩の小説が谷崎潤一郎と並んで、有無を言わさず全作発禁になったのは、そのエロ・グロ性ゆえであったが、そういった暗いイメージを払底しようと、戦後は「ミステリーは健全な読み物です」みたいなキャンペーンが張られることも多くなった。まあ、悪は滅びるっていう「勧善懲悪」的な物語ばかりが量産されちゃったんだね。
 けれど、探偵と犯人の知恵比べっていう設定は、実は勧善懲悪とは何の関係もない。探偵が悪に手を染めることだって、あるのが「自然」だ。
 シルクハットにタキシード姿、自分は名探偵ではなくその名を後々まで人々の心に刻む「銘」探偵である……って、性格が悪いっていうより、破綻してるぞ。
 だからこのシリーズ、ある意味で全ての事件の真犯人は、メルカトル自身とも言えるのだ。
 凄いんだかヘンなんだか。


 マンガ、清涼院流水原作・蓮見桃衣漫画『エキストラ・ジョーカー JOE』(角川書店・588円)。
 で、これもミステリの漫画化ってことになってるけど、「日本探偵クラブ」とか、「L犯罪」とか、非現実的な設定がやたらぶちこまれてるので、どこまで事件をまともに受け取っていいのかわかりにくい。なんだか『ケイゾク』の後半のようである。
 まだこれが前編ということで評価は下しにくいが、新時代のミステリの一つの形式を作るのか、ただの大バカ漫画になっちゃうのかは、神一重ってとこだろう。
 少なくとも「ファジィ推理」ってのが、「直観」とどう違うのか、くらいは説明してほしいもんだけど。

 ……それにしても、まさか『全てがFになる』までが浅田寅ヲで漫画化されるたあ思ってもみなかったなあ。買いはしたが、怖くてまだ読めないでいるのである。

2000年10月05日(木) ちょっと浮気(?!)とSFJAPANと/『荒野のコーマス屋敷』(シルヴィア・ウォー)ほか


2001年10月04日(木) 新番第3弾……いつまで続くのよ/『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第1話ほか

 オタアミ当日まであと51日!

 みなさま、お元気ですか?
 めっきり涼しくなったが、私は未だ半袖です。
 理由はないっ!(c.斉木しげる)
 いや、ホントは理由はあるんだけどね(^^)。
 ここ数日、なんだか暑くなったり寒くなったりが繰り返されてて、気候に翻弄されて着替えるのも面倒臭くてヤだなあ、と思ったんで。
 ……それだけです。たいした理由じゃなくてスミマセン。


 ニュースがなんだか錯綜してるんである。
 今朝方またもやハイジャックがあったようなことをキャスターが話していて、おやおやと思っていたら、「すんまへん、誤報でやんした」とすぐ訂正。
 夕方にはシベリアで航空機墜落のニュース。すわまたテロかって感じの報道が一転してウクライナ軍の誤射だとか。
 テロだテロだって浮き足立ってるみたいだけど、ジャーナリストの連中、絶対「テロであってほしい」って心理が働いて報道してるよなあ。ただの誤射じゃもう事件としてのインパクトないもの。

 お気づきだろうか?
 既に現在、テロ事件に関する報道の殆どが、憶測とデマに基づいてしかされてないことを。
 言ってみりゃ、「てェへんだあ、てェへんだあ」のガラッ八状態。いや、それより悪いよな、少なくとも八五郎はガセネタは持ってこなかったし。ちったあ、事実を検証して、マトモな報道してみろって言いたいけど、「即時性」のみに拘るジャーナリズムが、そんなマットウな意見に耳を傾けるわきゃない(だから冤罪事件もなくならないのさ)。
 で、そんなマスコミのバカ報道に乗せられてるアホ視聴者も多いのな。

 確かになあ、テレビってのは「錯覚」を起こしやすいメディアではあるよ。
 目の前に現場が映し出されて、そこで証言している人たちの姿がそのまま映しだされちゃえば、「映像=真実」であると誰もが思いこんでしまうのもムリはない。けどさ、そこで大事な視点が欠落しちゃうことを視聴者は予め知ってなきゃマズイんだけどねえ。
 つまり、その映像が、「見ている我々とどう関係してくるのか」ってことだよ。

 「この事件に対して日本は」「政府は」「自衛隊は」とやたら身近で大変なことが起こってるように思いこまされてるけど、そうやって報道が「関係ない一般の人間をどんどん巻きこんで行こうとしてる」ってことにみんな気付いてるのか?
 なんかみんな忘れてるみたいだけどよ、アラブのテロなんて、この五十年の間に腐るほど起こってるんだぞ。
 今までそれを日本人の何割が自覚して、「自分の身にも関わってくるかもしれない」って考えたよ。考えてなかったろ? 何を今更浮き足立ってんだ。「国際貢献せねば」なんて言い出すんだったら、もっと昔にやっとけって。

 今回のテロは質が違うって言いたいやつも多かろうが、そこがまた大きな勘違い。
 確かに今までのテロと違ってるとは言えるけどね、それは「質」じゃなくて「量」なの。規模が大きくなっただけなの。
 アラブゲリラの力が増大したとか、そんな質的変化は全くないんだよ。
 ……あればあんな戦略的効果の殆どない、貧乏臭い作戦はとらないってば(-_-;)。
 テロってのは基本的に「敵に絶対的に勝てないような弱小戦力しか持たないヤツら」が、「心理的に揺さぶりをかけるために行う作戦」なの。現在、テロの「影響」で起こりかけてる経済の沈下だって、直接的な被害じゃないでしょ?(ビルの1個や2個が壊れて数千人が死んだ程度で経済が破綻するかい。だったら阪神大震災後の神戸は永久に復興できないのかよ)
 みんな勝手に疑心暗鬼に陥って、不安感を増大させてるだけだ。まあ、「オイルショック時」の「トイレットペーパー買い占め」と同じような状況だよ。

 その意味で考えれば、「アメリカのプロパガンダに乗せられるべきではない」という野党あたりが出してる意見、一応筋は通る。けど、じゃあその誘いに乗らないでいられるかっていうと、それは即「日本はアラブに付いた」って考えるのが単純バカのアメちゃんだから(^_^;)。
 政府が「対岸の火事を決めこめない」のが解ってて、代案を示さずに文句だけつける野党の連中も結局は「デマ」を垂れ流してる片棒を担いでるんである。

 自衛隊の海外派兵がどうのこうのと、テロ対策をどう考えるかってことよりも自分たちの立場をどこに置くかってことしか考えてない政治屋やエセ文化人やジャーナリストと称してるトップ屋どもが大挙して石の下のワラジムシみたいに蠢いてるさまは見ていてムナクソ悪くなることも多いんだけど、どうせ本当に戦争になったりしたら自分たちだけ安全なところに身を隠そうとするのは目に見えてるよな。
 自分たちにできることなんて何もないってことにも気付かないで、何かできるように振る舞ってみせることをアジテーションとかプロパガンダって言うんだよ。いい加減、社会不安だけを撒き散らすのはやめい。
 

 さて、先日から新番組アニメを中心に、「できるだけ放送中のアニメを見よう」と決心し(なんでだよ)、『オタアミ会議室』などにも書きこんでいるのだが、早くもちょっと挫折気味。
 どうもなあ、「出来が悪い」と切って捨てるほどのものでなくて、つまりは可もなく不可もなくという程度のものが多いんだよねえ。そういうののほうが、かえって見るのが苦痛だ。突っ込み入れたってねえって気にもなっちゃうもので。
 番組表に小さくしか載ってなくて、つい見損なったり、ハナから見ることが出来ない作品があるのも業腹だ。
 ……『まほろまてぃっく』、BS−颪任靴放送しないとはねえ。GAINAX、新しいメディアには必ず手を出すのな。……『炎の転校生』の二の舞を演じなきゃいいけどさ。


 『フルーツバスケット』第14話。
 ああ、なんかやっと、見てて笑える話になった。
 何より新登場の「綾女」(男だ)ってキャラが秀逸。
 少女マンガの典型的なナルシストキャラなんだが、なぜかかつては生徒会長まで勤めたほどの人気者。
 生徒たちが歓楽街に出入りしたってんで、弁護に立った綾女のセリフ。
 「性欲は安易に否定されるべきじゃない。我慢できなくなることだってある。……そういうときは……ボクで欲情したまえ!」
 ……するか(-_-;)。
 

 WOWOW新番組アニメ、『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第1話『忘れえぬ絆』。
 運の悪さでは誰にも負けない睦悟朗。ある日占い師に「今日からつきますよ」と占われて、家に帰ってみると、見知らぬ3人の女の子が。ラン、ツバサ、クルミと名乗った彼女たちは、実は悟朗がむかし飼っていた動物たちの生まれ変わりだった。……つまり「憑かれた」ってわけね。……まあ、いいけど(ーー;)。
 オープニングのモノクロフィルム風の「思い出」の演出、あざといけれど悪くはない。
 いや、実はこの「昔、飼っていた動物が生まれ変わってもとの飼い主のところ
へやってくる」ってプロット、結構イケるんじゃないかって思うのよ。
 子供の頃に動物飼ってた経験があって、「二度と戻れないところへ行っちゃった」悲しみに耐えたことがあれば、アレは確かにムネにズンと……ねえ。
 ……でもいくらなんでも全部で12匹、しかも全員メスってのはちょっとやりすぎだ(-_-;)。
 けれど、ここ数日のアニメの中じゃ、これが一番の出来かな。ったって、相対的なもんだけどさ。

 BSハイビジョン『ローマの休日』。
 何度見たか解らんが、偶然テレビにかかってるとつい見ちゃうんだよなあ、エディ・アルバートのカメラマンがよくって(^o^)。
 ……いや。オードリー・ヘップバーンだっていいと思いますよ。少なくとも他の映画は『ティファニー』でも『マイ・フェア・レディ』でも別にオードリーでなくっても、とは思うけれど(つーか明らかにミスキャスト)、『ローマ』だけはそうでもないからね。
 デビュー当時のオードリーって、その無国籍風の風貌から実際に、どこぞの国の「王女」にも見えただろうってことも解る。芝居がシロウトっぽいのも、いかにもアイドル映画だ。
 ……でも未だによく理解できんのは、日本人はこういう露骨なアイドル&ロマコメ映画、外国ものだと「永遠の名画」みたいな言い方するくせに、どうして日本のアイドル映画はすぐに貶めたがるかね。『ローマの休日』と山口百恵の『伊豆の踊子』と、映画としてどっちが上かって言われたら、甲乙つけがたいと思うが。

 木曜洋画劇場『WHO AM I』。
 映画自体は劇場で見てるが、石丸博也の吹き替えが聞きたくて見る。山本未来の声は別の声優さんがアテてたが、これは当然の判断だろう。あのヒトにとても声優演技が出来るとは思えないし。
 しかし、石丸さんの吹き替え、どの役やっても全て「ジャッキー」ってのはある意味酷いんだが(『酔拳』みたいな実在人物を描いたものまでこうするのは確かに酷い)、チャップリンがかつては出る映画全て「アルコール先生」と翻訳されていたように、これは日本の喜劇映画の伝統ではあるのだ。
 エンディングのNG集がカットされてたのはテレビだから仕方がないとは言え、ジャッキー映画の本質を何一つわかっちゃいない措置だよなあ。


 テレビばかり見ていたので、しげがすっかり腹を減らしてしまった。
 今日はしげは仕事休みの日だったので、「リンガーハット」に食事に行く。
 別名「しげのマネージャーさん見学ツアー」ヽ(^。^)丿。
 しげが散々マネージャーさんのウワサを口にしていたので、どんなにスゴイヒトかと思っていたら、外見はごく普通の、実直そうなオジサンである。
 まあ、川谷拓三と角野卓三を足して2で割ったような風貌。なんか、「いよっ、タクゾー!」って声をかけたくなるような。
 「いつも○○さんにはお世話になっております」と挨拶されてしまったが、それは私があなたに言うセリフじゃないの? と、ちょっとやっぱり違和感を感じてしまいましたわ(^.^) オホホホ。

 『ブックセンターほんだ』を回って、本を買い込み。
 十冊くらい買ったけれど、とある事情で図書券を手に入れていたので手出しは200円。
 どうもあぶく銭が身につかぬ性格をしてるのだ。


 マンガ、大和田秀樹『警死庁24時』1巻(角川書店・567円)。
 『ガンダムエース』で『ガンダムさん』を描いてる大和田秀樹が放つ、なんつーか、徹底的なバカマンガ。
 えーっと、けいしちょーには、警“死”庁という裏の組織があります。
 一種のちょーけーさつとゆーものらしいのですが、なんのためにあるのかはよく解りません。
 そこに新しく配属された若き警官、山吹鉄之助くんが、危険な任務のたびになぜかすっぽんぽんになるマンガです。
 終わり。

 他に何を語れというのか(^.^;)。
 なんかなあ、帯に大きく「吉田戦車推薦」と書いてあって、ちょっと見ると作者が吉田戦車であるように勘違いするようになってるのは確信犯だろうけれど、それほど面白いかっていうと、ビミョーなところなんである。
 バカなギャグは好きなんだけどね、なんか「余裕」がないのな、絵に。
 どこか突き抜けそうでいて突き抜けきれないものがあって、それがなんだかうまく言葉に出来ないのだが、「こうすれば面白くなる」というワクの中でしかマンガ描けてないみたいな。
 けど、このなぜか毎回ハダカになるってギャグも元ネタあったよなあ。何だったかなあ。

2000年10月04日(水) 止まる息とふらつく自転車とドロドロと/『本気のしるし』1巻(星里もちる)ほか


2001年10月03日(水) 新番2弾!/『X』第1話/『女刑事音道貴子 花散る頃の殺人』(乃南アサ)ほか

 オタアミ当日まであと52日!

 昨日、疑問に思っていた『フルメタル・パニック!』放送中止の件だが、「オタアミ会議室」に疑問を書きこんだところ、早速「あれは例のテロがらみですよ」とのご指摘を頂いた。
 で、「WOWOW ONLINE」でそのあたりの事情を確認してみたところ、以下のような情報が。
 
⇒< 10月2日(水)後6:30スタートのアニメ新番組「フルメタル・パニック!」放送見送りについて

 弊社は、9月11日に米国内で起きました同時多発テロを受けて、放送が与える社会的影響を鑑み、「今回の大惨事を想起させる番組の放送見送り」という緊急の措置を取らせていただくことにいたしました。
 つきましては、10月2日より毎週火曜日後6:30からの放送を予定しておりました「フルメタル・パニック!」(全24話)の放送を急遽見送ることに決定いたしました。
 尚、10月2日以降の火曜後6:30枠の放送番組につきましては決定次第お知らせいたします。>

 なるほど、そういう事情か。
 けれど、『フルメタル・パニック!』、『ニュータイプ』10月号記載のあらすじを読むかぎりでは、
 「相良宗介は超国家的秘密組織『ミスリル』に所属する兵士。彼は『ウィスパード』と呼ばれる謎の能力を持つ女子高生・千鳥かなめを護衛するため、彼女の通う学校へ転入する。だが戦場の常識に染まった宗介の言動は、学校内で浮きまくることになるのだが……」とあるばかりで、その「大惨事」とやらが何を指しているのか、一向に見当がつかない。
 「秘密組織」がダメなのか、それとも「戦場」がダメなのか?

 『フルメタル』を放送中止にした翌日の今日から始まった、同じくWOWO
Wの『X』、これなんか冒頭から廃墟と化した東京が延々と映し出されて、ご丁寧なことに「高層ビルが二つ並んでいて、それぞれど真ん中に穴が空いてる絵」を堂々と放送してたけど、これがOKで『フルメタル』がNGなのはなぜなんだ?
 マジで疑問だ。

 で、ほいでもって、『X』の第1話、映画が映画だっただけに、どれくらいトンデモになるかと期待してたけれど、監督の川尻善昭さん、ソツなくまとめてた。
 でも、マッドハウスのアニメって、世評が高いワリに私にはイマイチなんだなあ。どうも演出が「歌舞伎」みたいで、妙に「キメ」を作りすぎてるんだよ。
 今回も、どうやら何かカタストロフに向けて、七人の選ばれし者たちが群れ集う、って設定らしいけど、これももう、『里見八犬伝』以来の定番だしねえ。キャラクターが紹介されるたびに、やたらと天使の羽だかなんだかが舞ってたりするのは、一体何なんだろうね。ちょっとワザトラしすぎないか? それともアレが「耽美系」のシルシ?
 同人上がりの少女マンガやアニメって、オタクにゃかえって世界観が狭く感じられて、乗りきれないのが多いのよ。しげは「所詮チューボーの女が見るアニメ」のヒトコトで切り捨ててるし。
 ちょっと笑ったのは、授業中のシーンで朗読されてた詩が、宮澤賢治の『永訣の朝』だったこと。
 う〜ん、耽美って、佐藤春夫とか萩原朔太郎とか、中原中也を好むんだとばかり思ってたが、ケンジと来たか。
 しかも「わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ」ってところ、ヒロインの桃生小鳥、「さいはい」って発音してたぞ。さすが耽美(^^)。
 戦時中は「滅私奉公」の象徴とされ、戦後は宗教的色彩の濃い「魂の求道者」ともてはやされ、少女マンガの世界では「耽美」。
 いやはや、ケンジの道程も紆余曲折、さぞあの世で苦笑していることだろうなあ。


 昼間、やたらと睡魔に襲われる。
 仕事が暇だったせいもあるが、ずっとウトウト、ヘタに口を開くと、あらぬことを口走りそうで危ない危ない。
 

 しげがずっとカレーにこだわっているので、仕事帰りにコンビニに寄って、具の代わりにチキンカツを買う。
 私としてはそろそろカレーもウチドメ、と思っていたのだが、しげが「もうカレーはないとやろ?」と愛玩動物のような目で見るものだから、仕方なくカレーの追加を、買いにマルキョウまで出かける。
 ……牛肉の数がめっきり減っていて、しかも安い。これも狂牛病のせいなのかなあ。


 野南アサ『女刑事音道貴子 花散る頃の殺人』(新潮文庫・500円)。
 ……えーっと、タイトルだけ見ると、ミステリー小説だと錯覚しますが、これ、刑事を主人公にした市井小説です。事件の謎とか、鬼面人を驚かすトリックとか、意外な犯人とか、そんなもんは全然ないので、期待しませんように。
 たとえば、第1話『あなたの匂い』、ヒロイン貴子の集積所に出したゴミ袋が何者かに荒らされます。
 さて、犯人は誰でしょう?

  〃抻,瞭睇調査を行っていたスパイ。
 ◆,つて貴子に補導されたことのある少年。
  貴子を犯人と疑った同僚の刑事。
 ぁゝ子の下着に興味を持ったストーカー。
 ァ〆郤圈幣弌法











 えー、答えはい痢屮好函璽ー」でした。……謎でも何でもないでしょ?
 最初はタイトルからしてミステリーだと思いこんでたから、見事に騙されましたね(だいたい、「殺人」じゃなくて、最初から最後まで「自殺」なのだ。羊頭狗肉だよ)。登場人物も本当に市井の人ばかりで、かと言って共感できるほどの人情味もなく、気の抜けたような短編集でした。
 ……でもこの前作の『凍える牙』で直木賞取ってるんだよなあ。ミステリーでないからかえって取れたんじゃないかな。

2000年10月03日(火) 博多はよか、よかァ/映画『博多ムービー ちんちろまい』ほか


2001年10月02日(火) 新番組マラソン開始!/アニメ『FF:U ファイナルファンタジー:アンリミテッド』第1話「異界への旅」ほか

 オタアミ当日まであと53日!

 AIQから預かっている『オタクアミーゴス in 九州』のチケットがなかなかハケない。
 しげの話によると、このたび、まあなんというか、笑っていいのか気の毒に思うべきかよく分らない理由でトバされることになったマネージャーさんが(事情はしげに直接聞いてください。当事者じゃないもので、私の口からはなんとも)、「時間が許す限り行きますよ!」と仰ってくれてるらしい。
 しかし、時おり劇団ホームページの日記の方にしげが書きこんでいる記述をお読み頂いてる方には先刻ご承知のことであろうが、このマネージャーのAさん、いまどき珍しい「青春野郎」なのである。モリケンなのである。
 「もしこの中に泥棒さんがいたら名乗り出てください! 僕は待っています!」って熱血教師みたいな人らしいんである。
 さて、こういう方が果たして「オタアミ」が何なのか、ご承知の上で来られるというのだろうか。
 多分、いや、絶対なにか勘違いしていると思うのである。っつーか、「モリケン」やってる時点で、人生間違えてる人だよな。
 多分、Aさんの心の中では、「オタアミ」が21世紀の人類の明るい未来を担う進歩と調和の一大イベントと認識されているのであろう。

 ある意味、当たってるかな。ヽ(^。^)丿(←ええじゃないか)


 今日あたりから、秋の新番アニメが次々と登場してくる。
 今回、見られるだけのアニメ新番を見てやろうかと考えている。
 別にたいした理由はない。なんかね、ちょっとね、面白いアニメに飢えてるんでね、ストレスが溜まったときに、ムショーにバカ食いしたくなっちゃうのと同じ心理だと思ってくらはい。
 とりあえず一通り見てみて、面白いものだけピックアップして見ていこうかと思ってたのだが、いきなり帰宅が遅れて『しあわせソウのオコジョさん』を見逃しちまった。
 ……なんかチラッと見た感じでは、オコジョが好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きで好きでたまらない変な人が出ていたので、面白いのかもしれない。ヘンタイものはギャグの王道であるからだ。って、ホントか?

 困ったのは、18:30からの『フルメタル・パニック!』(WOWOW)と、『FF:U ファイナルファンタジー:アンリミテッド』(TVQ)とがカブってたこと。
 まあ「ハイジかヤマトか」って迷うほどのものじゃないが、同時チェックはできない。片方を録画して、もう片方をナマで見るしかないな、と思って、迷った挙句、『FF:U』を録画して、『フルメタル』を見ることにした。
 ……結果的に、この判断は「正解」だった。
 時間になって、WOWOWで始まったのは、『フルメタル』ではなく、以前放送されていた『人形草紙あやつり左近』。

 ……ど、ど、どういうこと?
 もしかしたら、オープニングで何か事情説明があったのかもしれないが、ちょうどカレーを食いながら見ようと思って、皿に盛ってる最中だったので、アタマの部分だけつい、見逃していたのだ。
 最初に思ったのは、「落としたのか?」ということだ。でも劇場映画ならともかく、テレビシリーズの第1話が間に合わないというのはよっぽどのことだ。あの『エヴァ』だって、7話くらいまでは放映前に出来てたんだからなあ。

 次に考えた理由は、『フル』も『FF』も、どちらも制作が『青の6号』『ゲートキーパーズ』のGONZOだってことだ。
 再放送とならともかく、同一時間帯に同制作会社の新作がぶつかるって事態は避けたいのではないか。
 そのために放送曜日を変更したのかも?

 それとも何か自粛をせざるを得ない内容でも含まれていたのか。
 ……まさかこれも「テロ」の絡みか?
 来週の予告を見るとやっぱり『左近』を放送するらしいし、『フルメタル』はどこに行ったのだろう?

 で、しかたなくチャンネル合わせて、録画しながら見た『FF:U』第1回、『異界への旅』。
 果たして故意にやったのか、キャラクターに全く陰影がついていない。これ、『人狼』で沖浦啓之監督がやった手だよなあ。もちろん、平面的な絵のほうが作画的に動かしやすい、という利点はあるのだが(『未来少年コナン』を見よ)、そのせいでCGのメカや背景と重なってるときには、その違和感がとてつもなく激しくて激しくて。
 GONZO、そこまでしてCG使いたいのんか?
 ヘタするとスクウェアの二の舞だぞ?
 転んで目を回した時のウズマキまでデジタルで回転させなくてもよかろうにねえ。
 よく動かしてはいるのだが、ヒロインのリサの巨乳、全くチチが揺れてないぞ、なんのために影を省略したのか。チチ揺らさんでどうする。。
これにはやはり『FF』としてのシバリがあったりするせいなのか?

 『FF:U』、録画してあとでしげにも見せるが、「これのどこが『FF』なん?」という反応。
 「どこが」って、そもそも私ゃ、『FF』の世界観自体よく知らんのよ。「『FF』なのになんで佐渡島!?」って文句言われたってさあ、『FF』に佐渡が出ちゃイカンという決まりでもあるのか?
 怒りのあまりか、しげは「このアニメ見たあとだと、映画版が傑作に見えるね」とまで言ってのける。そりゃいくら何でもなあ。映画の『FF』、ありゃ『赤影』と並ぶ今年のワースト映画だぞ。多分、今年のラズベリー賞の筆頭候補にあがると思うが。
 そう言えば、スクウェアは、『FF』映画が思いっきりコケたんで(たって、日本円にして30億くらいは稼いでるんだけどね)、映画製作から撤退するのだそうな。「なぜコケたのか分らない」なんてプロデューサーは言ってるらしいが、そりゃ、客をナメてたからであろう。

 『ヒカルの碁』のアニメの予告編も二人で見たが、「なんだかなあ」である。
 見た目、影の付け方がうるさすぎて、原作の描きこみが多い割に涼やかな印象の絵と違い、妙にゴテゴテしている。しかも止め絵ばっかりでまるで動いてねー(-_-;)。
 でも、原作のテンポをアニメで再現出来るたぁ、ハナから思っちゃいないけど、期待せずに見てみれば意外と面白い部分も少しは見えるかも。
 原作はといえば、未だに佐為やヒカルのことほっぽらかして伊角編が続いてるなあ。それがどうしたって感じで、初めて『ヒカ碁』がつまんなくなってきたぞ。アニメは佐為が消えるあたりでうちどめにしといた方が無難かもなあ。


 風呂があまりに汚れていたので、懸命に掃除。洗濯物も溜まっていたので、ぐわらぐわらと洗濯機を回し、干すのはしげに頼んだ。
 ちょうどしげが「風呂に入る」と言ったので、上がるとき、ついでに頼むと言っといたのだが、でもどうせしげのことだから、すぐ忘れるに決まってるのだ。
 ……的中。

 カレーが尽きたが、しげが「もっとカレーを!」とピーチクパーチク騒ぐので、仕方なく作る。
 昨日のものより野菜ジュースを余計に入れて、甘口にしたら、途端にしげのウケがよくなる。やはりしげの舌、まだ子供なのである。


 しげ、『ガンダムエース』2号を読んで、「あ、さとう・げんさんって、SDガンダムの人だったんだ!」と驚いている。
 SDガンダムのっつーか、もともとは劇場版『クラッシャージョウ』制作時に、『がんばれアルフィンちゃん』というイタズラ描きをしてたのが安彦良和さんの目に留まって、それがSDキャラ開発のきっかけになったって経緯があるのだが。
 一時期は「映画本編より、併映のSDのほうが面白い」という評判すら取ってたものだったが、何となくアニメから離れてマンガにシフトして以来、あまりいい評判を聞かなくなった。
 実際、コマ割りは見辛いわ、独善的なギャグは多いわで、ちょっとこりゃウケねえよなって感じのものが多くなってたが。
 しげは「イッてるカミーユ」が大好きだったそうである。もちろん今回のマンガもカミーユが主役(タイトルからして『カミーユとファの非日常劇場 じ・おりじん』だし)。でも、パロディ自体がキャラ持っちゃうと一気につまんなくなるんだよね。やっぱり、オリジナルをからかってこそのパロディなんである。


 STUDIO HARD プロデュース『仮面の戦士三十年の歩み 仮面ライダー画報』(竹書房・2940円)。
 泰一シリーズ第1話から、『X』あたりまではほぼ1話も欠かさず、『アマゾン』『ストロンガー』もちょこちょこ見てはいたけれども、私は熱心な『ライダー』ファンとは言えない。
 実は『テレビマガジン』の「少年ライダー隊募集!」に応募して、隊員バッジも持っていたというイタイ過去はあるのだが。
 やっぱり、「ウルトラ」シリーズのほうに思い入れが深いと、「ライダー」にはちょっとハマりきれない部分があるのだ。……ハッキリ言っちゃえば「怪人」に「怪獣」ほどの魅力を感じなかったんだよなあ。なんか弱いし。
 ヒーローもので私が見るポイントにしてるのは、「悪役が魅力的か」のヒトコトに尽きる。……あのさ、言うまでもないけどさ、最初の頃の大幹部、宮口二郎に天本英世に潮健児に丹羽又三郎だぞ? こんな豪華キャストなのに、結構もったいない使い方してたと思わないか?
 図鑑見返しても思うのは、大幹部が怪人に変身してもまるで弱っちいってことが不満の最たるものだったりするのだ。
 ゾル大佐の狼男はまだいいよ、死神博士がイカデビルって、どう考えても博士の美学に反する変身だと思うぞ。ブラック将軍に至ってはヒルカメレオンだよ?
 もちっとなんとかならなかったのか。
 まあ、こんなことを今更言ったって仕方がないこた解っちゃいるんだ。その分、今の『アギト』なんかを応援したいんだが、内容が『仮面ライダー』ってより『イナズマン』になりつつあるのがちょっとアタタと来てるとこなのである。

2000年10月02日(月) 出たものは全部食う、は貧乏人の躾か?/『名探偵は密航中』(若竹七海)


2001年10月01日(月) 貴公子の死/ドラマ『仮面ライダーアギトスペシャル』/『終着駅殺人事件』ほか

 オタアミ当日まであと54日!

 また朝っぱらからエロゲーをしているしげ。
 何でも某穂稀嬢から借りてきたらしい。
 しかし、ウチの劇団、どうしてこうエロゲーマー率が高いのか。しかもやってるの、ほとんどが女ばかりだ。
 「エヘへ、ねえちゃん、そこで四つんばいになって、おばさんに○○○見せてみい」って、そんな気分でゲームしてるのか。


 練習場に行ってないので、アミーゴスのチラシがどのくらいハケているか、しげに聞く。
 少し減ってるよ、ということなので、また来週あたり追加で置いておこうかと考えているが、だいたいあの練習場を使っている人々は演劇関係、音楽関係がほとんどなのである。
 さて、どのくらい興味を持つ人間が現われることか。


 今日は仕事を少し早引けして、医者に薬をもらいに行く。
 ついカレーなんか作っちゃったものだから、どうにも腹が重い。また体重が戻りかけてるのかなあ。でも怖くて体重計に乗れない。もともと舞台に立つ気でいたからカロリーコントロールもせねばと思っていたので、今となっては以前ほどの意欲は湧かないのだ。
 でもせっかく落ちた体重をどうしたら維持できるのか。
 しげに合わせて食事作ってたら、どうにもならないのである。
 と言い訳してるが、結局は私の意志が弱いのに違いはない。今日も、医者の帰りに腹が減っちまって、ついラーメンを食う。
 いやね、一応ね、大盛りとかチャーシュー入りとかもあったけど、それは控えたんですよ。ラーメン一杯だけ。それだけです。
 でも、それでもカロリーがバカ高なのは知ってんだよ。
 ……こりゃ痩せんのも当然か(-_-;)。


 古今亭志ん朝師匠、肝臓ガンのために死去。享年63歳。
 63歳という歳は常識的には若死になんだろうが、あの志ん朝師匠が還暦越えてたってのが、なんだかピンと来ない。
 新聞には「落語界のプリンス」って見出しで紹介されてるが、実際そのキャッチフレーズが相応しくて、若々しいイメージしか私にはなかった。
 もう若い人は『平成狸合戦ぽんぽこ』のナレーションくらいでしか志ん朝師匠を知らない人も多いのだろう。
 あれも若い頃の師匠の口跡を知ってるものとしては、なんだか気の抜けた、張りのないシロモノだったのだが。
 志ん朝師匠に説教臭いナレーションは似合わない。
 「これぞ法月弦之丞!」……NHK金曜時代劇、吉川英治原作の伝奇ものの代表作(『バガボンド』より十倍は面白いぞ)『鳴門秘帖』のナレーションを担当していたのが志ん朝師匠。このキメのセリフと若き日の田村正和のニヒルな演技が相俟って、あのシリーズは稀代の名編となったのであった。
 『新八犬伝』の坂本九と並んで、時代もののナレーションの白眉だと思ってるんだが、どうせNHKのアホウはこのビデオも消し腐ってやがるんだろうな。

 「この人はうまい」。
 誰もがそう評価する落語家はそう多くない。
 昭和40年代、志ん朝師匠は明らかに天下を取っていた。
 こう言うと多分、「談志はどうなんだ」と仰る方がいるだろうが、もちろん談志師匠のうまさに異論を唱えるつもりはない。
 ただ、あのアクの強さにはどうしても客によっては好き嫌いが生じる。
 たとえば、ウチの父も母も、根っからの落語好きでありながら、談志は一切認めようとしなかった。私が「談志ってうまいね」と言ったら、母なんか「あんなもの」と吐き捨てるように言ってたし。
 母が認めてた落語家は二人しかいない。
 志ん朝と小朝だ。
 おばさんキラーだったしねえ、二人とも。


 昨日の作り置きのカレー、具がなくなってるよう、追加して作ってとうるさいしげ。
 具がなくなったのは当然しげが食いまくったせいなのであるが、その自覚はないようである。
 「明日は作ってね」って、どうして自分で作ろうって気になれないかな。
 「だってアンタが作ったほうがうまいんだもん」などと言うが、それは自分の腕を上達させることを放棄してるからなんだよなあ。


 『仮面ライダーアギトスペシャル』。
 こういうスペシャルものにはやはり再生怪人軍団を出してほしいものだがそうはいかないらしい。
 ゲストは京本政樹、息子がアギトになり、そのことに堪えきれず自殺してしまったのを止められなかったことを今でも悔いている。
 だから翔一の力になりたいと思う展開なのだが、結局は本編に絡んでこないから、あってもなくてもいいキャラなんだよな。
 最近、本編のほうではすっかり人間が丸くなったカ感のある北条さん、今回は「オレはエリート」全開で楽しいこと楽しいこと。
 「あなたたちはいずれ私の前でひざまずくことになるのですよ、はっはっはっ」って、よくこんなセリフ今時書けたな、井上敏樹。
 ストーリーはこのスペシャルから映画版に続き、そして本編に戻るような流れらしいが、さて、新規の客もその流れでアギトにハマるようになっちゃうんだろうか。
 でも何となく「アギト」って新人類みたいで、「これ、ライダーじゃなくて『イナズマン』になってるじゃん」って言いたくなるんだけど。


 月曜ミステリー劇場・西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ23 第34回日本推理作家協会賞受賞作品『終着駅(ターミナル)殺人事件』。
 ……なげーよ、タイトルが(-_-;)。

 上野駅のトイレで発見された刺殺死体。
 彼は、青森の高校の同窓生たちと、七年ぶりに会い、列車旅行に参加する予定だった。
 警察は夜行列車に乗りこんだ同窓生6人を追うが、一人、また一人と彼らは列車内からその姿を消していく……。

 佐野洋が「オレの目の黒いうちは西村に協会賞はとらせん」と言ったとか言わなかったとか、確かにあれだけ乱作してたら、そう言われても仕方ないかなあ、とは思う。で、佐野洋が会長辞めた途端に協会賞を取っちゃったのがこの原作。
 ……功労賞とかよく待ったで賞って言ったほうがよくはないか。
 と言いつつ、実は原作まだ読んだことがない。
 これだけ作品自体が有名なら、それほどヘンな改変はしてないんじゃないかと思いはするが、さてどうだろうか。
 もし、このドラマが「原作通り」なら、ちょっと出来過ぎの偶然が多過ぎるよ、やっぱり。
 全く無関係に見えた者どうしが偶然出会い、事件に関係してくるっての、作者のほうは書きたがるんだろうけど、読者は別にそんなの喜んでないって。列車トリックもトリックといえるほどじゃないし。
 唯一誉めていいのは、動機が最後の最後で判明するあたりかな。……インチキギリギリの手だけど。
 でも役者はいい演技してます。
 土ワイの三橋達也・愛川欽也コンビの方はちょっと二人とも元気がなくなってきてる感があるので(とゆーか、もう作られてないのではないか)、渡瀬恒彦・伊東四朗のお二人にはもうちょっとがんばってほしいもんである。
 しかし、小田茜、凄みのある美人になったなあ。まさかあのエラ張ってるだけのほわほわした女の子がサスペンスもののヒロインになる日が来ようとはねえ。


 マンガ、高橋葉介『KUROKO 黒衣 ―くろこ―』4巻(完結/秋田書店・390円)。
 なんだなんだ、前作の『学校怪談』、もう単行本リストの中から消えてるぞ。絶版になっちゃったのか? まだ1年たってないってのに、見切りが早すぎらあ。昔は秋田書店は単行本をなかなか絶版にしないことで有名だったのに。
 4年以上続いたヒット作『学校怪談』ですらその始末なんだから、5巻行かずに終わっちゃった『黒衣』なんか、半年経たずして品切れになっちゃうんじゃないか。ヨースケファンは今のうちに買っておこう。
 一応最後のネタはどんでん返しのつもりなんだろうから隠しておくけど、『無限紳士冒険編』みたいなギャグで最後まで突っ走るかと思ったら、結構シリアスにうまくまとめた印象。
 今回の設定で一番立っていたキャラは、やはり囚われの姫、黄華(きっか)だろう。高橋さん自身は「クトゥルー神話をもとにした」と後書きで語っているが、実は設定は巷説の「件」、あるいは小松左京の『くだんのはは』の影響が濃い。何となくエヴァって感じもあるな。
 しかし、これで高橋さんが『チャンピオン』から撤退するようになったらイヤだなあ。一応どの週刊誌も一通り読むことにしてるんだが、これからは『ななか』しか読むものがなくなっちゃうし。

2000年10月01日(日) スランプと○○○の穴と香取慎吾と/映画『マルコヴィッチの穴』



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)