無責任賛歌
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2001年09月30日(日) |
新人さんの名前は?/『不幸な子供』(エドワード・ゴーリー)ほか |
オタアミ当日まであと55日!
イヤらしい「荒らし」が増えているようなのである。 「エンピツ」のある日記、なんの恨みを買ったのか、どうやら2ちゃんねるに勝手にURLを張られちゃったらしい。 そうかあ、こういう「荒らしの連鎖反応を促す」という手もあったんだなあ。まさしく「言葉のテロ」だね、こりゃ。 荒らされた方も当然のように痛くご立腹。 どうやら妙齢のお嬢さんらしいのだが、「ゲスヤロー!」とはしたないお言葉をば発せられている(^^*)。 まあねー、その気持ちも分らないでもないのだけど、公開日記というものの性格上、ある程度は悪口雑言を浴びせられることも覚悟しておかねばならんと思うんだがねえ。黙ってられないというのが若さゆえの過ちかな(スミマセン。久しぶりに「ガンダム」にハマってるもので。「坊やだからさ」も可かな♪)。
要するにこれは「読み物」であるわけだからして。 我々が小説やマンガを読み、映画を見て「面白い」あるいは「つまんない」と思うこと、それは当然の権利なんだから、たとえ作者といえども禁止したりしちゃイカンのだよな。 その批評のレベルがどんなに低次元でくだらないものであったとしてもだよ。 ちょっと前、作家の栗本薫が、ネットで悪口書かれまくったことに激怒して、『グイン・サーガ』の後書きにまで「このままですむと思うなよテメーら」みたいなことをお書きになっておられたことがあった。 プロとしての作家生活も長かろうに、えらく大人気ないことだと思ったものだったが、逆にそれくらい心が狭いほうが、作家としてはいいのかも知れないね。モノを創るという情念、エネルギー、創作意欲というもの、これはフニャフニャした軟弱な精神からはそうそう生まれてこないものだろうから。 もっとも、この間荒らされて日記を書くのをやめちゃったヒトと違って、今回の方は戦う意欲マンマンのようだから、かえって「荒らされて」喜んでおられるのかもしれない。 いやあ、女性は強いね(=^_^=)。 今朝はちゃんと7時に目覚めて、『パワーパフガールズ』を見られた。 『のうみそチューチュー』 原題/THE HEADSUCKER'S MOXY 何者かに襲われた後に記憶がなくなる被害が続出。犯人のロビン・リーチ、要人の頭に噛みついては、脳から大事な情報を吸い取っているのだ。ガールズは市長をオトリにして、犯人を誘き出すことにしたが……。 ……という話だったみたいだが、なんだなんだ、見てたいして時間も経ってないのに、ほとんど筋を覚えていないぞ。 そういえば、被害者のアタマのところに歯型がついてたっけなあってのは何となく記憶にあるんだが。ああ、あと市長が「次に狙われるのはワシじゃ!」とか騒いでたっけ。……でも、オチが完璧に抜け落ちてる。 思うに、起きぬけだったので、まだ脳が働いてなかったか、さもなくばロビン・リーチに脳みそを吸われていたのであろう。 『ガールズの主張!』 原題/EQUAL FIGHTS ガールズは女怪盗ファム・ファタルを捕まえるが、逆に女性差別問題についてそそのかされて、彼女を釈放してしまう。女性の権利に過敏になった3人は博士や市長の話を全く聞かなくなり、一方、ファム・ファタルは悪事をし放題。そこでミス・キーンやミス・ベラムらがガールズの説得にあたって……。 「女性の悪者は私一人しかいないのよ!」……この程度の説得に乗せられるとは、所詮はガールズ、幼稚園生。って、最近はそういう話が多いなあ。 つーか、これって、安易なフェミニズム運動やってる連中って幼稚園生並みっていう揶揄だよな。 秀逸なのはファム・ファタルのデザイン。顔にも体にも「♀」マーク、って、こんなマスクつける感覚の女って、やっぱりどっかキテるぞ。いいのか、そんなキャラアニメに出して。 もちろん、マスクを脱いだファムの顔は美人なのであった。
『仮面ライダーアギト』第35話。 やっぱりサブタイトルがほしいよなあ。特に今日は四人目のライダーが初登場したんだから。役割も何となくライダーマンだし。 名前は「アナザーアギト」だそうな。……なんだか名前が思いつかなかっただけって気もするぞ。とゆーか、こんなキャラ出す予定は最初はなかったんじゃないのかなあ。 デザイン的にはより昆虫的で、なんとなくスカイライダーとZXとシンを足して3で割ったような感じ。腹の筋肉が妙に細かいのがリアルなんだかゲテモノ趣味なんだか。 でもあっという間に使い捨てそうなムードもあるのが気になる。重要に見えたキャラをどんどん途中で消してく癖までイシモリ調を真似してほしくはないんだが。
『コメットさん』第27回 『ケースケの夢の実』。 今日もメテオさん、疑心暗鬼の自意識過剰の思いこみののマイペースぶり。 脚本家も彼女をコメットさんの引き立て役にばかりせず、ちゃんと見せ場を作ってほしいんだけど。 コメットさんの呼びかけの収穫祭、メテオさんは「コメットのやつ、きっと何かたくらんでるに違いないわ!」 「いつもたくらんでるのはメテオさまでは」と突っ込んで殴られるムークがいい味出してます。 収穫祭当日、ライフガードの選出大会のために出席できなかったケースケに、こっそりと風になって会いに行ったコメットさんの代わりに、メテオさんはみんなのヒロインとなって大活躍したのでありました。 ……やっぱりこの番組の主役はメテオさんなのである。
ファミリー劇場『加藤夏季のファミナビ10月号』。 さて、元気で今日も新番組『西部警察』や、本人も大ファンらしい『アキハバラ電脳組』なんかの宣伝をしてくれる夏季嬢であるが、さて、どこまでがシナリオでどこからが彼女の地であるのか。 「『ゴレンジャー』の誠直也さん、ステキですよね! 誠さんは『特捜最前線』にも出てるんですよ!」って、どっちの番組も生まれる前だろう(^_^;)。 「キレンジャーはやっぱりカレーを食べてるから黄色?」なんてボケは明らかにスタッフの仕込みだろうな。 結構オタクな発言が多いのは、全体的にはやはりスタッフの教育の賜物であろうが、それをよくまああそこまでハイテンションでしゃべれるものだ。あのパッパラパーなキャラが、映画になると一転してホラーに馴染んじゃうのだから、やはり侮り難し加藤夏季、なのである。 でも「『千と千尋の神隠し』、千尋がお掃除したりしながらオトナになっていく姿がとっても健気です」なんてトンチンカンなコメントはなんだかねえ。これは多分、自由に喋らせた部分なのだろうな。 ……うーむ、掃除をするとオトナになれるのか。ウチのしげがいつまで経っても子供なのは掃除をしないからだな。納得。
外は大雨。 しげは練習に出かけたが、私はシコシコとパソコンいじったり、昼寝したり、カレー作ったり。 昨日買った材料をぶちこんで、時間をかけて煮込む。 イモをやや大きめに切るのがコツ。二日分くらいをまとめて作るので、小さく切っちゃうとすぐ溶けちゃうのだ。
『機動天使エンジェリックレイヤー』最終26話『天使の翼よ! 私とヒカルを誘って』。 おお、コミック版と結末が全く逆だ。 途中から見始めたので、さて、面白いアニメだったかどうかってのは判断が下しにくいのだが、コミックよりは一人一人のキャラの掘り下げが出来ていたのではないか。 前に女の子版『プラレス三四郎』と書いたが、最終回を見た感じでは女の子版『巨人の星』っつー印象も。
練習が終わったら映画に行こうかと話をしていたのだが、結局しげが帰宅したのは6時過ぎで、今日は断念。 まあ、雨天でもあるし、仕方ないかな。 なぜ買えるのが遅くなったかというと、トリアス久山の近くまで行っていたからだそうな(ウチからはメチャ遠いのである)。 何でも穂稀嬢の彼氏のお友達の豪邸が久山にあって、一人で三部屋も使えるのだとか。で、今日はそちらのお宅におジャマして練習してたそうである。 穂稀嬢やその彼氏さんに騙されたのかどうか知らないが、まあ、新人さんが入ってくれたのはありがたい。音響も結構できるという話だし。 ……で、なんて呼べばいいんだよ。早く芸名決めてくれ。 「でねでね、そのヒトのウチ、たくさんエロビデオがあったの」 「……見せたのかよ、そいつ」 「ううん、そうじゃなくて『こんなのがある!』って、勝手に見たの」 「ヒデエな。人権侵害だな」 「エロビデオって、タイトルが面白いね。ほら、南野陽子の映画で『私を抱いて、そしてキスして』ってのがあったじゃない」 「ああ、あのエイズの映画」 「あのパロディでね、『私で抜いて、そして○○○○』……」 ……まあ、外道な業界だからなあ。 「そりゃあ、独身男は仕方ないよ」 「でも、彼女いるんだよ、その人」 ……まあ、若いってことなのだよ、それは。
テレビにニュース速報で「高橋尚子女子マラソン世界最高記録」のテロップが流れる。 もう30も近いってのに、たいしたもんだなあ。だいたい、たいていの選手がオリンピックのあとは期待の重圧に負けて記録を落としていくのに、そんなのを屁とも思っていない(本当は思ってるのかもしれないが、少なくともそうは見せていない)、これはやはりスゴイことだ。 まあ、CMでは最近ヘンな踊り踊ってるけど。 しげはやっぱりこういうニュースにも興味を示さない。昨日の長嶋引退にも無反応だったし、果たして世間の事件でしげの興味を引く出来事などあるのだろうか。
エドワード・ゴーリー/柴田元幸訳『不幸な子供/The Hapless Child』(河出書房新社・1050円)。 『ギャシュリークラムのちびっ子たち』『うろんな客』『優雅に叱責する自転車』に続く、ゴーリー絵本の日本語訳第4弾。 これはもう、私の大好きな作品なので、全文をご紹介しよう。 「勝手な引用は危ないんじゃないの?」なんてご注意を受けそうだけれど、絵本だし、批評目的なので、著作権侵害には当たるまい。
あるところに シャーロット・ソフィアという女の子がおりました。 シャーロットの両親は優しくて お金持ちでした。 シャーロットはお人形を持っていて ホーテンスと名づけておりました。 ある日、軍隊の大佐だったお父さまが、アフリカ行きを命ぜられました。 七か月後、原住民の謀反が起きて お父さまが殺された、と報せが届きました。 お母さまはやつれ衰え、やがて息を引きとりました。 ただ一人血のつながった叔父さまは、落ちてきた煉瓦に脳天を砕かれてしまいました。 シャーロット・ソフィアは一族の弁護士の手に委ねられました。 弁護士はただちに シャーロットを寄宿学校に入れました。 学校でシャーロットは 先生たちから してもいないことで 罰せられました。 ホーテンスはほかの生徒たちに 八つ裂きにされてしまいました。 昼のあいだシャーロット・ソフィアは できるだけ隠れておりました。 夜は眠らずに しくしく泣いておりました。 もう我慢できなくなり 夜が明けるのを待って 学校から逃げ出しました。 シャーロットはじきに気を失い 舗道に倒れました。 一人の男がやって来て 両親の写真が入ったロケットを奪っていきました。 別の男が反対方向からやって来て シャーロットを連れ去りました。 男はシャーロットを 卑しい場所に連れていきました。 そうして 飲んだくれのごろつきに売りとばしてしまいました。 シャーロット・ソフィアは 造花作りの内職をさせられました。 わずかな食べ残しと 水道の水で食いつなぎました。 ごろつきは時おり 幻覚に襲われました。 シャーロットはどんどん目が悪くなっていきました。 そうこうするうちに、実は生きていたお父さまが 帰国なさいました。 お父さまは毎日 シャーロットを探して 車で街をまわりました。 とうとう ごろつきが発狂しました。 もうほとんど目が見えなくなっていたシャーロット・ソフィアは、表に飛び出しました。 そしてたちまち 車に轢かれてしまいました。 お父さまは車を降りて 瀕死の子供を目にしました。 あまりの変わりように、お父さまは それが自分の娘とはわかりませんでした。
……これで終わりです。 続きはありません。 ヒロインが悲しく死ぬ結末は『マッチ売りの少女』が有名ですが、あれは一応天国に召されております。 筋だけは『小公女』をなぞりながら、この話には救いが全くありません。 なぜなら、この絵本のイラストには必ずどこかに小さな魔物が描きこまれているのです。シャーロットの運命は、初めから魔物に委ねられていたのでした。 そして、物語が終わった裏表紙には、鏡の中にとらわれたシャーロットの魂と、大きく不気味な魔物の姿が……。 現実に救いを求めちゃいけない。そんなものはただの偶然だ……。藤田和日郎なら激怒しそうなセリフですが、それがシビアな現実というものでしょう。 このヒトの絵本はみんなこんなんばっかです。決して物語にご都合主義的なハッピーエンドを持ちこんだりしない。 多分、子供の頃にこれを読んでいたら、きっと大きなトラウマになっていたでしょう。あの永井豪の『ススムちゃん大ショック』のように。 機会がありましたらどうぞ手に取ってお読みください。読むだけなら5分しか時間をとられずにすみますよ。
2000年09月30日(土) 邪馬台国と背後霊と泥繋がりと/映画『モンティパイソン 人生狂騒曲』ほか
2001年09月29日(土) |
郵便ポストが赤いのも/『エクセル▽サーガ』8巻(六道神士)ほか |
オタアミ当日まであと56日!
はい、お気づきになられましたでしょうか。 本日より『オタクアミーゴス in 九州 2001』本番の日まで、この「無責任賛歌」は、期間限定でタイトルを変更させていただきます。 ……要するに販促なんですけどね。 オタアミが終わったら、また元のタイトルに戻す予定ですが、また1年立ったら改題するかも(^^)。 いやホント、九州近辺のみなさま、ぜひ一度おいでになってみてくださいな。もうとても公共のメディアでは発表できないアニメ、マンガ、特撮、鬼畜(笑)、その他もろもろのオタクなネタのオンパレードでありますからして。 絶対、損はさせません。 ただし、お子サマ連れはご遠慮下さい。 笑いのウズに巻きこまれて酸欠死することは確実であります。\(^▽^@)ノ
休日だけど、朝から晩までひたすら日記の更新。 ふと計算してみたんだが、最近は1回の日記で400字詰め原稿用紙にして10枚から20枚くらいは軽く書いちゃってるんだよね。 てことは、ひと月に換算すると、おおむね500枚くらいは書いてることになる。 ……分量だけはプロの作家並みだよなあ。 読書記録や映画の鑑賞記も書いてるし、結構夜更かししてることも日記に書いてるから、いったいいつ寝てるんだとか突っ込み入れられそうだけど、大丈夫です。職場のトイレは私のベッドです。 30分の仮眠で体力は充分回復するのです。 いつでもどこででも寝れるというのはウソでも誇張でもないんだけど、チト臭い話ですね。すみません。 食事もちゃんと取ってます。今日は昨日作り置きしておいた牛丼食ったり明太子丼食ったり。
「エンピツ」ネットの日記をあちこち覗くが、なかなか「お気に入り」に入れたくなるようなところが見つからない。 別に内容がつまらないということではなくて、若い女性が書いたものが多過ぎるのだ。 ……あのねアナタ、イマドキ、中年男が若い女性の日記覗いて喜んでたら、ヘンな趣味と間違えられちゃいまんがな。 って、黙って覗いてるのもイヤらしいかなあ。かと言って、ごくフツーの「今日はガッコ(カイシャ)でこんなことがありました」みたいな日記に、「それはよかったですね。あ、私は誰ですかって? やだなあ、通りすがりの日記読みですよ」なんて挨拶してたらますますヘンタイじゃん(^_^;)。 出来るだけオタクっぽい趣味のありそうなヒトをセレクトして(本人たちはそう思われるのがメイワクかも知れないが)、「お気に入り」に入れているのだが、それが見事なくらいに男性ばかり。女性はほんの数人だ。 やっぱり映画や本やアニメをまんべんなく見てる女性って少ないのかなあ。
逆にこちらの日記をどんなヒトが覗いてるかっていうと、最近は「特撮ヒロイン」で検索したり「トンデモ」で検索したりする人がよく飛んで来ている。飛んでくるのはいいのだが、果たしてこの膨大な日記の中で、お目当ての記事を見つけることができるのか、また見つけてもご満足頂けるのか、はなはだ心許ない。 検索された方、どんなことが知りたいのか、ヒトコト掲示板に書いていただければ、答えられることには答えますですよ。 『スーパーヒロイン図鑑』のDVDがいくらかくらいのことならお教えできます(^^)。ただ、柿崎澄子が今何をやってるかなんてことは知りません。
開田あやさんの「猫津波日記」、9月28日の分に、例の「きらら博」でヒドイ目にあった話の後日談が載っている。 大魔神のお怒りは未だ完全には収まっておられぬようだが、山口県の方々から「どうか山口を嫌わないで下さい」とのメールが届いて、少しは顔が穏やかになられたようである。 でも、肝心のきらら博関係者からの謝罪はどうやら正式な形ではなかった模様だ。開田さん、「萩や下関に行くことはあっても宇部には行かない」なんてこと書いてるし。 あの原画展示会については、客だって怒っていいと思うのである。 当日の日記にも書いたが、場所の案内はチラシにないわ、絵はプレハブの事務所の一角に適当に並べただけだわ、向こうじゃ係員がウロチョロしてるし、とても絵を鑑賞できる雰囲気じゃなかったのだ。主催者が客のことだって何も考えちゃいないってのがアリアリだった。 まさかあれで「見せてやってるんだ、ありがたく思え」みたいな態度は取るまいなあ。でも所詮は公務員の仕事だし、その辺は怪しいよなあ。 あのあときらら博関係者のホームページもちょっと覗いてみたのだが、なんの反省もした気配がない。それどころか「二度と来ない」とゲストの方々が怒ってらしたのに対して、「誰が呼ぶか、お前らの代わりなんかいくらでもおるわ」と嘯いてる始末。 いくらでもいるなら最初から呼ぶなってば(-_-;)。 私も別に宇部の人間がみんなこんなアホだとは思わないが、役人とかボランティアとかに自分がエライと勘違いした人間が腐るほどいるのは事実だからねえ。福岡も役所の類はみんなこんなもんだ。情けない話だけど。 須らく、公務員とはできるだけオトモダチにならないほうが無難であろう。
しげが起きたら買い物にも行こうか、映画にでも行こうかと思っていたが、夜になっても全然起きて来ない。 もう7時を回って、オイ、こいつまた12時間くらい寝てるぞと思って、ムリヤリ起こすが、まだ寝たりない様子。 これでしょっちゅう「最近寝不足で」なんて大ウソこいてやがるんだから、みんなでしげに石を小突けてください(「小突ける」は博多弁かな?)。
でもどういうわけだか、しげは最近どんどん鬱になっているのである。 芝居の演出がうまくいかない、ということもあるのだろう。 身を引く直前、私もしげに「役者をどんどんヘタにする演出してどうする」と批判したことがあったが、同じことを鈴邑君にも言われたらしい。 イメージはあってもそれをどう伝えたらいいか分らない、それで悩んでいるようだが、別に演出ってのは自分のイメージを役者に伝えるのが仕事じゃないんだがねえ。根本から芝居の演出ってのがなんだかわかっちゃいないのだ。 鈴邑君には「役者をもっと自由にさせたら」なんて言われたらしいが、まさにその通り。大リーグボール養成ギプスじゃあるまいし、束縛からドラマは生まれやしないのである。
「……ねえ、世界中が私を嫌ってると思わない?」
近所のベスト電器を回り、生ビデオテープを買いこんだあと、マルキョウに食料を買いに行く途中で、しげがいきなりこんなことを聞いてきた。 「なんだい、そりゃ」 「AIQのパティオにさ、書きこんだけど、レスが誰からも付かないの」 「挨拶しただけだろ? あれは言ってみりゃ業務用なんだから、用事がなけりゃ普通レスは付けんよ」 「でもアンタには付いたし」 「オレは挨拶だけじゃなくて、チラシの配布についていろいろ書いたからレスが付いたの。チケット売って、報告すりゃ、レスは付くだろ」 「そうかな」 「そうだよ」
しばらく、てく、てく、てく。
「……でもやっぱり世界中が私を嫌ってると思わない?」
あああああ、鬱陶しい! 鬱鬱するな! 鬱がこっちにまで移るわあ!
「……移るの?」
移らねえよ!
鬱のクセにしげには食欲だけはある。常にある。しょっちゅうある。 だからしげの鬱なんていちいち気にしてやるほどのことはないのだが、マルキョウで「カレー作って?」と聞かれた時、「レトルトのほうが安上がりだぞ」と言い返したら、すぐさましげは鬱モードに入りそうになった。 ああ、もう、まるで相原コージの「太宰治」のようだ。 仕方なく急遽カレーの材料を買い始める。
「肉は何がいいかな?」 「何でもいいよ」 「じゃ、ビーフにしよう」 「ウン、分った、じゃあこれ」 「……何それ。ブタじゃん」 「だって今、ビーフにしようって……」 「ビーフは牛じゃあ! ブタはポーク!」 「……え?」 「んじゃ何かあ! キサマは今までビーフカレーをブタだと思って食っとったんかあ!」 「……たまに」
実話である。
「カレーにコーンを入れたい」というしげの希望を蹴り(そんなのは邪道だ)、ビーフと馬鈴薯と人参、タマネギのシンプルなカレーで行く。それでもしげが「これだけはぜひ」と頼むので、マッシュルームホールとスライス。 カレー粉は「グリコ熟カレー甘口」、「S&Bディナーカレー中辛」、「S&B圧力鍋で煮込んだとろけるカレー辛口」の三つをブレンド。中辛だけだと、味が単調になるのだ。こうして何種類かを混ぜると、口に入れた瞬間は甘いが、段々辛さが伝わってくる、という感じになってよい。 あとは焼肉のタレ、野菜ジュース、牛乳を隠し味にする。先にこんなのでイモや人参を煮込んでおくと、口当たりがまろやかになるのである。 ……と、こういうレシピを書いてるってことは、この1年、全然カレーを作ってなかったってことかな。なんにせよ、適当に作ってる家庭料理のわりにはしげにはなかなか評判がよいのだ。辛いもの嫌いのしげがパクパク食うのだから、それなりの味にはなってるのだろう。 あ、それから肉は予めガラムマサラで炒めておくこと。これ必須ね。
日本でも発生したという狂牛病のせいであろうか。 何となく肉の量が少なく、そのクセ値段は高いような気がする。でも、1頭見つかっただけであれだけ大騒ぎになるなんて、潜在的にはもっと出まわってる可能性があるってことなのかなあ。 何となく、こんなのはいつぞやのカイワレ疑惑同様、ガセっぽい気がするんだがなあ。O-157もそうだが、どうも日本人ってやつは何か機会があるたびに、故意にパニックに陥ろうとしているような気がしてならない。 これも、日常を非日常に置き換えて見るという点では、形を変えた「祭り」なのだ。
しげの職場の「リンガーハット」のマネージャーさん、この人、以前からスゴイマジメ人間の青春一直線の森田健作野郎だと聞いていたのだが、その「青春性」が災いして、飛ばされちゃうことになったそうである。 ……いや、あんまり笑える理由なんで、ついここに書きたくなっちゃうのだが、さすがに全く知らない人のプライバシーを暴き立てるのは気が引ける。 でも、しげの鬱の原因の一つは、このマネージャーさんの配置換えにもあるようなのだ。 「あんなに笑かしてくれる職場もなかったのに」 ……オイ、それは仕事選ぶ基準が違うって。
テレビ『筋肉番付』。 体育会系の番組はあまり好かないのだが、この「サスケ」だけは別で、ついつい見入ってしまう。しげもやっぱりサスケに見入ってたので「お前がこんなん好きだとはねえ」と言ったら、「ケインのファンだもん」と言う。 ケインって……ケイン・コスギ? そりゃ今まで知らなんだ。 そのわりに私が『ウルトラマン・パワード』1巻見ただけで続きを買うのやめたのに、文句の一つもつけなかったなあ。『ザ・格闘王』とか見てたのかな? 今回のサスケ、結局、ラストの第4ステージまでたどりついたのが、オリンピックメダリスト(何の競技だっけ?)、ヨルダン・ヨブチェフと、ケインの二人だけ。しかしちょうど台風が吹き荒れてて、二人ともあと数秒というところでゴールならず。……あれ、天気さえよければゴールしてたよなあ。日を改めるくらいのこと、してやってもよかったろうに。 それはそれとして、このラストステージのBGMにかかってた曲が、押井守監督の『アヴァロン』。最近しょっちゅうかかってるのを聞くが、テレビ曲に隠れ押井ファンって多いのかなあ。
続けて『世界ふしぎ発見』、安部晴明特集。 夢枕獏・岡野玲子の『陰陽師』に影響受けたか、番組中で堂々と「晴明と源博雅は親友」なんてこきゃあがる。だからそれは原作の創作で、そんな証拠はないんだってば。 「陰陽道から生まれた遊びは?」ってクイズ、正解は「にらめっこ」なんだけど、「かごめかごめ」だって「はないちもんめ」だって「かくれんぼ」だって「鬼ごっこ」だって、全部陰陽道と関係があるぞ。 バラエティ番組のスタッフに文句つけたってしょうがないのかもしれないが、生半可な知識だけで問題作るなよな。
「ニュースステーション」 気になったニュースをいくつか。
自衛隊が派遣しようとしているイージス艦の「イージス」とは、ギリシアの戦いの女神、アテナが持っていた盾の名前から取ったのだそうな。……すみません。初歩的な知識なのかもしれませんが、今の今まで知りませんでした。 ……「盾」なら、防衛のみに専念しても別に文句を言われる筋合いはないなって思ったのと、もしその「盾」をロンギヌスの「槍」で突いたらどうなるのかという……すみません。多分このネタ、日本中で18万2502人くらい思いついてますね。
近鉄優勝の時、監督も選手たちも腕に木彫りの数珠をつけていたそうだが、これは実は福岡県粕屋郡南蔵院の御神木を削って作ったものだそうな。この南蔵院の住職の林覚乗さん、地元福岡では平成の一休さんと言われるくらい気さくなお坊さんで、私もこの人の公演、今までに3回くらい聞きに行っている。 ともかく語り口がうまく、ギャグに継ぐギャグで会場内は常に爆笑の渦、あまりに笑っちゃうので、あとで何を説教されたか忘れちゃうくらいなのだ。 いや、ホントは覚えてるんだけどね、私の商売がバレちゃうので具体的には話せないのだ。 まあ、基本的なポイントだけ言っとけば、「バカがリコウのフリするな」って話かな。 モラルなんて、守れるものじゃないと思うからこそ、人に優しくなれるのである。マジメくらい世の中を悪くすることはない。もっとフザケようって、お坊さんにこれ言われると、説得力あるで~。
マンガ、六道神士『エクセル▽サーガ』8巻(少年画報社・520円)。 がはははは、げひひひひ、うへ、あひ、ぶしゃしゃしゃしゃ(なんか最近こんなんばっかりや)。 いやあ、すごい。 文句ナシに『エクセル・サーガ』今が旬の絶好調である。これはもう絶対にもう一度ナベシンにアニメ化してほしい、いや、映画化してほしいと言いたくなるくらいのハイ・テンション。 いきなり「ベター電器」(わはは)でバイトするエクセルとハイアット。やる気のない店長に「こーゆー地場ベッタリの大型店なんて客層がシケてる間はどーしたってシケッぱなしなんだよ」なんて言われてしまう。 違うぞ、お前んところが今、新興の「コ○マ」や「ヤ○ダ」に負けてるのは、今までやってきてた殿様商売してたツケだよ。……で、店員の客へのいい加減な対応までバラしまくってやがんの。……当たってるだけに、「ベ○○電器」から訴えられたらどうすんだよ、って読んでてハラハラ。 それにしても、こんな超ローカルなギャグネタ、福岡に住んでるやつ以外に解んねーよなー。 そしてついに出た三人目の構成員、福岡人の殆どが予想していたその名も「エルガーラ」。……ここのホールにはまだ行ったことないな。いや、最強のキャラだよ、こいつ。思ったことは全て声に出しちゃうし、巨乳だし(^^*)。 「エルガーラ的には殺すぞって思いましたけどね」って、本気で殺そうとするだろう、お前なら。ああ、でもこの押しの強いキャラ、誰かのギャグに似てると思ってたけど「小林よしのり」だよ! 小林よしのりと言い、安永航一郎と言い、六道神士と言い、どうして福岡のマンガ家は濃くて危ないギャグばかり飛ばしたがるかな。 今回は更に超強力なネタも用意されてるのだが、それは未読の方のためにヒミツにしておこう。 あ、カバー裏もちゃんと読もうね。
マンガ、椎名高志『MISTERジパング』6巻(小学館・410円)。 自分のホームページにうっかり「気乗りせずに描いてる」みたいなこと書いちゃった椎名さん。けれどじわじわと面白くなってきてるよん。 久しぶりにヒナタちゃんも出て来たし。 椎名さんの場合、ヘタに絵が美味くて、毎週毎週それなりに盛り上げてくれてるので、逆に1巻、2巻と通して読むと、どこが一番の見所なのか、分散して解りにくくなっちゃうのだ。 今巻も藤吉郎が幻術の薬を飲んでしまったことがどの程度あとに響いてくるのか、予測がつきにくいのである。引くだけ引いといて終わりって可能性もあるしな。 どっちにしろこのペースだと、本能寺の変までやるとして、あと20巻以上はかけないと終わりそうにない。 ……それまで人気が続くかどうかは微妙なんだよなあ。
マンガ、CLAMP『エンジェリックレイヤー』5巻(完結/角川書店・567円)。 正直言って、やっぱり、ダイジェスト版で終わっちゃったなあって印象。キャラクター詰め込みすぎな上に、数ページ毎にムリヤリ「タメ」をとって盛り上げようとするから、かえって中身が薄っぺらに見えてしまうのだ。 アニメ企画の方が先に立っちゃったんだろうから仕方がないのだけれど、これだけの物語を本当にドラマチックに描こうとしたら、短くても15巻は必要になるよ。 しかし、父親との関係を描くのがCLAMPはいつもヘタ(というか無視しまくってる)だが、脚本担当者(大川さんだろうなあ)には何かトラウマでもあるのだろうか。
2000年09月29日(金) Sashimiと震災の真実とバーブラと/『爺さんと僕の事件帖』2巻(しかくの)ほか
2001年09月28日(金) |
さらば長嶋/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』Ⅲ&Ⅳ(安彦良和)ほか |
オタアミ当日まであと57日!
ようやく今日で仕事が終わり、明日から二連休。 でもどうしてかなあ、今週は仕事に四日しか行ってないのに、なんだかむちゃくちゃ疲れているよ。 ……5月病か? 中二病ってのもあったな。ヽ(^。^)丿 退院してからこっち、体調もまあまあよかったのだが、1ヶ月しか持たなかったか。つくづく難儀なカラダをしているものである。
しげの免許取得が間近なので、マンションの駐車場に空きができるのを待って、場所を予約していたのだが、見事当選、その契約書が送られてきた。 これで月々駐車場料金を何千円か取られることになるわけだけれど、実際にしげが車を手に入れるのは何ヶ月も先のこと。それまでウチの駐車場は野ざらし状態になることになる。 もったいないので誰か車で遊びに来ないかね?
帰宅してみるとしげは留守。 何日か前からしげは、「気分が悪いカラダがダルい気持ちが滅入る鬱鬱鬱」と愚痴ばかりこぼしていて、鬱陶しくて仕方がなかった。 昨日あたりから「四連休~」とか言って喜んでたから、おとなしく寝てるかと思っていたのに、いったいどこに行ったのか。 そう言えば、と思い出したが、今日は仕事場の宴会があるとか言ってたっけ。じゃあ早々とそっちに出かけたのかと思ってしげの携帯にかけてみたが、全くつながらない。 しげからは、今日、体調が良ければ映画に行こうと誘われていたのだが、考えてみたら宴会と映画とでダブルブッキングしてるじゃねーか。 ぼんやり待ってるのもなんだかもったいないので、買い忘れているDVDなどを買いに天神まで出かけることにする。
天神・ベスト電器の「LIMB」、もう最近はここと博多駅の紀伊国屋ばかりでDVD買ってるなあ。つくづく「アニマップ」がつぶれちまったのはイタイ。 品揃えがいいとね、まあ慌てて買わなくてもいいかな、そうそう売り切れもせんだろう、と思って、ボーナス日まで買い控えすることもできる。計画的に配分しての購入が可能なのである。 けれど、目録だけ配られて、「入荷するかどうか解りませんよ」じゃ、予約買いするしかないのだ。……でもこの「目録買い」ってのが難儀なもので、映画ファンならお分りだろうが、映画には同タイトルのものがけっこうたくさんある。『ふたり』だの『探偵物語』だの、思わず「どの?」と言いたくなるのである。
で、今月も再来月発売のリストに、『三毛猫ホームズの推理』とあるのを見てうなった。 これは土曜ワイドの石立鉄男主演版か、それとも大林宣彦監督の陣内孝則主演版か。それとも誤植で他の『三毛猫ホームズ』ものか(アニメ版で『三毛猫ホームズの幽霊城主』なんてのもあったし。出来はもう、アレだったが)。 もちろん、こんな細かいところまで店員さんに分るはずもなく、結局「とりあえず予約しといてください。でも要らなかったら買いません」なんて、いくら客だからって、スゲエワガママなことを頼んでしまうことになるのだ。 ……店員さん、笑顔で引きうけてくれるが、これも毎月ン万円の投資をし続けたおかげなのだ。私以外の人間がこんなこと言っても聞いてくれるとは限らないので、「LIMB」をご利用の方がいらっしゃったらワガママは仰いませぬよう。
予約注文しておいた『STACY』、昨日発売のはずが発売延期で10月になるとのこと。 こ、こ、これを買うためだけに、わざわざ天神まで出張ったと言うのに言うのに言うのに。o(ToT)o 。 『STACY』、福岡では公開されていないのだぞ(されてて気付かなかっただけかもしれんが)。DVDがこんなに早く発売されると聞いて楽しみで楽しみでたまらなかったのに。 ……仕方がない。加藤夏季のご尊顔を配するのは来月の楽しみとしよう。 でも新作コーナーを探して、いくつかDVDを購入。
じつは段々、DVDを見る時間も限られてきつつあるのだが(見ながらウトウト寝ちゃうこっちも悪いのだけれど)、この日記の更新がひと区切りついたら、一気に耽溺する予定である。 DVDレビューも本当ならもっと内容を充実させ、かつ読みやすく整理していきたいのだ。理想はあの、故・長岡鉄男さんのように、内容・画質・音質に至るまで細かくチェックしたいのだが、ウチにあるオーディオ機器がしょぼいのと、色弱の身の上が災いして、客観的で解りやすい評価を下すことがなかなか困難なのである。今も批評のスタイルをいろいろ模索してはいるのだが、何か一点、批評のポイントになるものを見つけないといけないなあ、と考えてはいるのだ。 そのためにはどうしてもホームページを立ち上げる必要があるが、休日も仕事ぶちこまれることが多いのでなかなかままならない。しかし確実に少しずつ、コンテンツの内容は増えてきているのである。中身が薄いのが一番のネックなのだが(^_^;)。
福家書店を回って本を買いこんだあと、もう一度自宅に電話をかけるが、しげが帰宅した様子はない。これはもう、今晩は帰ってこないなと思い、映画を見にいくのは中止する。 荷物も増えて重いし、今日はもうさっさと帰って、遅れている日記を更新することにしようかな。 夕食は「マルチャン」で一人淋しく「エビ天うどん」トッピング「イカ天」。……どうでもいいが、この「トッピング」って言い方はちょっとやめて欲しいかな。 ああ、今頃しげは飲んで騒いで周りに迷惑かけまくっているんだろうなあ。どんな恥を晒してるかと思うと心配でうどんもノドに……まあ、通らないことはないが。 しげが腹を減らして帰ってくるかねしれないと、マルキョウで牛丼の材料を買う。この間からちょっと牛丼に凝っているのである。 私は昔から常々牛丼のタマネギは細く切れば細く切るほど美味くなると思っているので、実際に試しているのだが、これだとタマネギの甘さがまんべんなく肉に絡みなおかつタマネギを齧った時の草を噛むようなイヤな歯応えが少なくなるのだ。 しげにも評判がいいようなので、奮発して牛肉をたっぷり買い込む。明日は牛丼デーだ!
帰宅は8時。テレビをつけると、ジャイアンツの長嶋監督が退陣のニュース。 まあ、還暦過ぎてるし、もう二度と復帰はないだろうなあと思いながらよく聞いてみたら、「終身名誉監督」になるんだと。 ナベツネ日和ったか(☆▽☆) 。 若い人はもう知らないんだろうなあ。長嶋が巨人の監督を退任するの、これで二度目だってこと。 前の会見は「涙」の会見だった。戦力不足で球団史上初の最下位すら喫し、それでもひたすら長嶋は世間の罵声に耐え、少しずつ若い選手を育てていった。 それが身を結ぼうとした矢先に、突然の解任劇。 あれには巨人ファンでなくとも怒った。それまで長嶋を罵倒していたファンですら起こったのだ。 あとを継いだ藤田監督は再び巨人を常勝チームとしていったが、それは「長嶋が育てた選手達」の貢献が大きかったとは、誰もが思っていたことだった。 そして再び長嶋が巨人の監督に返り咲いた。そのときにはもう、長嶋を罵倒する者はいなくなっていた。
誰もが長嶋を愛していたのだ。
今度の退任、ニュースは「円満」を強調していた。「解雇」ではなく、「後進に道を譲る」、あくまで「禅譲」であることを強調したいのだろう。 でもどんなに誰もが納得する形での引退であろうと、「名誉監督」になろうと、巨人軍のベンチに長嶋がいなくなるという事実には変わりがない。 長嶋は現役の選手のときも、監督時代も、いや、監督でなかったときも、「ミスター・ジャイアンツ」だった。 ……若い連中、気楽にこの「ミスター」って言ってるけどよ、昔からのファンにとっては、長嶋がミスターなのは当たり前のことなんで、いちいちそんな呼び方しないんだよ。 チョーサンなんて呼び方もしない。「長嶋」は「長嶋」だ。 「不世出」ってコトバを安っぽく使うやつ多いけどよ、その意味を噛み締めてほしいんだよな。そりゃ、王だって野村だって衣笠にだって名選手だよ。そのコトバ使うことは出来なくはない。 けど、やっぱり「長嶋」は違うんだ。 長嶋は「時代」だった。 昭和は、20世紀は長嶋の時代だった。教科書に昭和の後半を「長嶋時代」と載っけたって文句はないくらいだ。 そして「時代」は終わったのだ。
……いかんなあ、まるで長嶋が死んだみたいだ。 でももうお歳だし、長嶋が死んだらオレ、本気で泣くかもなあ。 それから、私は王・長嶋のファンではあるが、巨人軍のファンではないので、来年以降はますます野球中継を見ることが少なくなると思いますが、巨人ファンのみなさま、悪しからず。 新監督は原辰徳がヘッドコーチから昇格だってね。お袋は原の大ファンだったけど、私には全く興味がわかない。……三年で江川に交替に一票(^^)。
しげに電話したら、やっと通じた。でも電話の向こうの様子でもハッキリと分るくらいに相当デキあがっている。 「あはははは、ウン、も少し遅くなる。うふふふふ、2次会にも誘われちゃってさ。きゃははははは、でもそこまでは付き合いたくないし。くくくくく、適当に帰るから」 帰れるのか? オイ(・・;)。
『ニュータイプドットコム11月号増刊 ガンダムエース 2001 Autumn No.002』。 やっぱりメインは、安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』Ⅲ&Ⅳ。 ……ああ、生きてて良かった生きてて良かった生きてて良かった生きてて良かった生きてて良かった。
ちょっと背中を貸して? (* T-)(;^_^) 背中ないんですけど……。
ストーリーは知っている。 大きな変更はない。「オリジン」と謳ってはいるがこれがアニメの「コミカライズ」であることには違いがないのだ。 なのになぜ私はこんなに感動しているのか。 ほんの少しの脚色が、かつて見逃していたあの演出の意味を、キャラクターたちの心の動きを改めて私たちの目の前に披露してくれる。 ガンダムが立つ。 しかしそれは「大地に立つ」という勇壮なものではない。その姿はまるで幽鬼にも似て、これからアムロ達を翻弄して行く運命を暗示するかのように不気味だ。 シャアが語る。 「認めたくないものだな。自分自身の若さゆえのあやまちと言うものを……」 しかしそう言うシャアの口もとはやや微笑んでいる。 そしてムサイから音もなく発射されるメガ粒子砲。 このセリフはこんなに淋しいセリフだったのか? セイラが嘯く。 「宇宙のチリになってしまえばいいんです」 ああ、あのカイに浴びせた「軟弱者」というセリフ、あれはキャスバル兄さんを唯一の「男」と見ていたセイラのトラウマから逃れられない叫びであったか。 セイラの強さと、冷たさと、優しさは、みんなキャスバル兄さんを追い求める心から発していたのだ。 アムロが呟く。 「また……だ」 白い闇に一瞬とらわれるアムロ。ニュータイプへの発現はもう始まっているのだろうか? そして再びシャアが笑う。 「見せてもらおうか……連邦軍の新モビルスーツの性能とやらを……」 赤い彗星が迫る。 ひとコマ目、小さく。 ふたコマ目、やや大きく、星の粒子を背後に流して。 さんコマ目、赤いボディに単眼がピンクに輝く。 ああ、アムロは、ホワイトベースは、シャアの猛攻を防げるのか!? 結末を知っているのになぜこんなに燃えるんだ!
やはり本作には「オリジン」の名が相応しい。 シェークスピアの戯曲が時を経て幾度も様々な演出で再構築されるように、これは「安彦演出」によるアニメシリーズとも劇場版とも違う、唯一無二の『ガンダム』なのだ。
『ガンダム』読んでて興奮したせいか、風呂に入って上がったらドッと疲れが出てきた。横になっていたらそのままガクッと熟睡。昨日も寝たの8時ごろだったけど、なんだか夜遅くまで起きてられなくなっちゃったんだろうか。 目を覚ますともう午前3時。 しげはまだ帰ってきていない。相当遊んでるなと思い、電話をすると、「今からカラオケ、3次会~」だと。 うひゃあ、私もしたことないのに先に女房に朝帰りされてしまうとは。私と言うものがありながら浮気だわ浮気だわ浮気だわ。
……しげのまねして「不幸な夫ぶりっこ」しても全然つまらんな。どうしてしげはワザとジェラシってみせるのかなあ。
テレビを付けると、NHKで萩尾望都の『トーマの心臓』の舞台を中継していた。でもいくら美形の俳優使っても、日本人が「ユリスモール!」なんて言ったって所詮はゲテモノにしか見えないのであった。
結局、しげの帰宅は朝の5時。 「きつい疲れた気分が悪いカラダがダルい気持ちが滅入る鬱鬱鬱」と愚痴ばかりこぼして、鬱陶しくて仕方がない。 「風呂入って寝ろ!」と言ったらホントにそのまま寝やがった。 ああ、遊んでるか寝てるかしかおまえの生活にメニューはないのか(TロT) 。
2000年09月28日(木) 百鬼夜行とヤオイSFとデクノボーと/『イミューン ぼくたちの敵』(青木和)ほか
2001年09月27日(木) |
「檸檬」って書ける?/『BLACK JACK ILLUSTRATION MUSEUM』(手塚治虫)ほか |
オタアミ当日まであと58日!
チケットは要らんかね~。 可愛いチケットだよ~。 大きくなんないよ~。
なんだかなあ、掲示板に案内だしてるけどさ、今んとこ「チケット買います」って言ってきてくれる人がいないんだよね~。 劇団メンバーが今一つアテにならないから、ちょっと販促の方法考えないとなあ、と思うんだが、どうも平日は仕事に追われていてアタマが働かない。 できるだけアタマを使わないほうが捗る仕事だから、それはそれでいいのだが(おいおい)。 実家の床屋のネットワークが使えんかとも考えたが、親父は「オタク」系が大嫌いだからなあ。 私の「オタク」的傾向のベースは、映画マニアの死んだお袋に仕込まれてるものなので、親父には通じないのである。 ……すみません、エロさん。まだノルマ分(ではないんでしょうけど)、一枚も売れてません。 (;_;)( ;_)( ;)( )(; )(_; )(;_;)(T-T)うるうる~。
なんだか急に仕事が押し始めて、合間にこっそりと便所で本を読んでるヒマが取れない。 いや仕事はサボってませんよ。 本当です。 シメキリが来週なのでまだ慌ててないだけです。 本当にサボってませんってば。 ……誰に向かって言ってるんだ?(=^_^=)
梶井基次郎の小説に『檸檬』というのがある。 いや、こんなヒョーロンカみたいな前振りしなくったて有名だけどさ。 この日記の読者の中には、「漢字が多くって、ムズカシーイ」なんて脳天から声出してるようなバカ女(あっ、そこのアナタではありませんよ)もいたりするので、一応、説明しているのだ。 ……ちなみに、「檸檬」って漢字、変換で出しただけだからホントは書けないと思ってるだろうが、ちゃんとソラで書けるからな。 閑話休題。
ある若い男の子(10代。お稚児さんではない)と会話していて、ふと、この『檸檬』のことが話題になったと思いねえ。 筋の説明はめんどくさいのでしないが、その中の一節に、「びいどろという色硝子で鯛や花を打出してあるおはじきが好きになった」ってのがある。 ……どうですか? 読者のみなさん、私が何を書こうとしているか、解りますか? 気がついた人もいるでしょうね。 そうです。 その子は「おはじき」を知らなかったのです! 「おはじきって何ですか?」って聞かれたときゃ、アタシゃ硬直しましたね。 そりゃね~、男の子だから遊んだことないっていうのはまだ解るけどね~、存在も知らないってのはどういうことよ。 いくら今と昔と、時代が違うとは言え、女の子は今でも「おはじき」で遊んだりしてるぞ? 何か大事なものをどこかに置き忘れてるやつ、増えてないか? 私ゃ子供のころは男の子とより女の子と遊んだりすることの方が多かったからね~。「おはじき」も「あやとり」もしょっちゅうやってたけどね~。 幼稚園とかでは今どき「おはじき」なんかやらないのかな? だとしたら、やっぱり今の教育、「やらなきゃならないこと」をほっぽらかしてんじゃないかって疑惑がフツフツと沸いてくるぞ。
「遊び」は全て悪いものって感覚が今の学校を支配してるように思えてならない。 文部科学省はしょっちゅう「ゆとりの教育」だの「個性の教育」だのとコトバだけはリベラルなこと言ってやがるが、さて、そんなことが実践されたことがどれだけあったか? 昨日読んだ『ドンキホーテのロンドン』に、「イギリス人はジャンケンを知らない」という記述があった。揉め事が起こっても、徹底的に話し合う。「時間がないから」最後にジャンケンで、なんてことはしないのだ。 でもな~、日本の場合いくら時間かけて話しあったって、ディベートの土壌となる「個性」自体が認められてないから、意味も実りもないんだよな~。 結局、「まあ結論が出ないようならこの件はまた次回検討するということで」みたいなことになっちゃうのである。 ひどい場合は、討議の前に結論が用意されてたりしてな。「会議が出来レース」って、話し合う意味がどこにあるってんだ。 何のCMだったかなあ、「最近の若いヤツらはイエスマンばかりでいかんねえ」「お言葉ですが社長」「口答えするな!」「なぜだ~っ!」ってのがあったよな。……シャレになってないって(-_-;)。 「遊び」も「悪」も、それを排除してマットウな人間が出来るかっていうと、そんなことはない。 『檸檬』だって、「ムシャクシャするから現実逃避して幼児退行して、丸善にバクダン置いた気になって、ああスーっとした」って小説じゃないか。イタズラの一つや二つやってこそ人間ってもんだ。 なのに『檸檬』を評論する連中って、たいていその「スーっとする方法」よりも、「何が彼をそこまで追いつめたか」って、それまでの人生とか、環境とか社会状況とかの方ばっかり重視するのな。 そんなことより、たとえフザケてるように見えようが、モラルに反していようが、「みんなで幸せになる方法」を考えた方がよくはないか? 「虚構」ってのはそのためにこそあるんだよ。
芥川龍之介の『羅生門』、あれを「怖い小説」だって思いこんでるやつも多いみたいだけど、なんで素直に「貧乏したら人のもの盗んだっていい」って額面通りに解釈しようとしないかね。 昔、高校の授業で「人間のエゴイズム」がどーのこーのって、教師が教えてたの聞いて、「日本の教師はバカばっかりか」と思ったことがあったが、「『羅生門』は、モラルからの解放の物語である」って的確な批評を教えてもらったのは、大学に入ってからだったよ。 要するに日本の小・中・高校までの授業ってのは全て、「偽善者」としての考え方を仕込む場であって、それ以外の、自分の頭で考える人間を淘汰していくシステムになってるわけだ。
「勉強ばかりで遊ばない。今に子供は気が狂う」
……もう、狂ってるかな?
仕事の帰りに「ミニストップ」に寄って、弁当を買う。 ウチの近所にあるコンビニは「セブンイレブン」と「ポプラ」くらいしかないので、ちょっと珍しいコンビニがあるとつい寄ってしまうのだが、売ってるものにそう違いがあるわけではない。 ミニスト、以前はけっこう弁当にチカラ入れてくれてたんだが、最近は幕の内に毛の生えた程度のモノがちょこちょこっと並んでるだけで、他のコンビニとたいして区別がつかなくなった。 というか、オニギリの種類では「セブン」に負けている。 それでもしげが食うのは弁当の類だろうと、オムレツっぽいのとか、のり弁っぽいのをいくつか買う。 あとは飲み物程度、そんなにオカネを使うつもりはなかったのだが、ふと見ると、インスタント麺で、「黒スパ」「白スパ」というのが目についた。 珍しいものはとりあえず買ってみなければ気がすまないタチなので、早速、両方を買う。
帰宅して、まずは汗を流そうと風呂に入る。 湯船に使っていると、しげがいつの間にか忍び寄ってきていて、こちらをじっと見ている。 「なんだよ、どうしたんだよ」 「……いま、鬱なん」 「……は?」 「淋しいとよ」 いきなりそんなこと言われてもなあ。 「何かあったのかよ」 「……さあ?」 どうやらただ単に狂っただけらしい。 「なんかまた、変な夢でも見たんじゃないのか?」 「……アンタがね、ひどいんよ」 「ひどいって、何が」 「浮気したとよ」 「……夢だろ?」 「夢でもひどいんよ。私の目の前で浮気するもん」 「……だから、おまえが勝手に見た夢でどうして俺がやつあたりされなきゃならんのだ」 「知らん」 「……おまえ、内心、俺に浮気してほしいとか願望もってないか? そうやって自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるのヤメロ」 「……悪男(わるお)」 わしゃ西川浩司か。
どうせ腹を減らしているからロクな夢を見ないのである。 しげに弁当をやって、私は例の「黒スパ」を作ってみたが、その正体はイカスミラーメンであった。 まあ、予想はしてたが、そんなに美味くない。珍しいものって、そのときだけでどんどん消えていく。結局後々まで残ってくものって、スタンダードだけなんだよね。
あまりしげが淋しがるので、しげと二人でDVDを見ることにする。 『ハレのちグゥ』の続きも見たかったのだが、しげの希望に合わせて、ジャッキー・チェンの『プロジェクトA』セットを見ることに。 テレビで見たのももう随分古い話なので、筋は殆ど忘れていて新鮮。 ただ、声が北京語と広東語、どちらもジャッキー本人の声ではなく他人のアテレコなので、どうにも違和感がある。 それならいっそのこと石丸博也の吹き替えで聞きたいのだが、このDVD、アチラのストレートなコピー版なので日本語吹き替えが付いてない。 セットで割引になってるのはありがたいのだが、「ジャッキー=石丸」ってのは日本ではほぼ定着してるので、それくらいのサービスはしてくれてもいいんじゃないかって思う。『ゴージャス』にはちゃんとついてるんだし。 十数年ぶりに見返すと、ジャッキーの代表作と言われながら、まだまだ演出などに荒削りなところがあるのがわかる。アクションの見せ方も、もっとアングルに凝ってほしいなあ、と思うところしきり。 見ているうちにコテッと落ちて寝入ってしまった。 おかげでこの日は相当な早寝。8時くらいに寝たかな。 ……当然、朝は2時ごろに目覚めてしまったのであった。 まあ、寝惚けながら日記を書かずにすんだけどね。
マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき漫画『学園戦記ムリョウ』4巻(NHK出版・500円)。 最近、出版ペースが早いなあ。来月にはもう5巻が出るって言うし、月イチくらいで出してるじゃん。 そのワリにNHK、出した単行本、たいてい初版だけですぐに絶版にしちゃうのな。『飛べ! イサミ』を復刊するくらいのことしてみい。 で、今巻はなんとその「イサミ」の孫たちがゲスト出演。「三代目しんせん組」だと。名前はやっぱり「イサミ」「トシゾウ」「ソウシ」。……あの一族は代々同じ名前を踏襲させてるのか(^_^;)。てゆーか、三人の名字が違うってことは、じいちゃんのトシゾウもソウシも、イサミをモノに出来なかったってことかい。情けないぞ。 更に言えばイサミはやっぱりスパッツ。……学生服やセーラー服がアンティークになってる時代だっちゅーのに、スパッツだけは生き残ってるってか。ううむ、恐るべしスパッツ。 ああ、でもこうなると本編のアニメのほうにもイサミたちを出してほしいぞ。そしたらたまにしか見てないアニメ版のほうも毎週見てやるのに。
手塚治虫『BLACK JACK ブラック・ジャック ILLUSTRATION MUSEUM』(秋田文庫・950円)。 うわああ、文庫だってのに千円近くするなんてメチャ高。 けれど、今まで単行本に収録されたことのなかった『ブラック・ジャック』の扉絵だけを完全収録しているこの本、カラーページも全て再現、それどころか、BJが他の手塚作品にゲスト出演しているぺージまで特別収録していて、編集者のこだわりがヒシヒシと伝わってくるツクリになっているのだ。 手塚さん自身、ブラックジャックの過去はあとから考えたとか言ってるが、カラーページを見ると、第4話の段階で既に顔の皮膚の色がツギメから黒かったりしている。これは「黒人の友達の皮膚を移植してもらった」って設定のためなんだけど、「全てあとづけ」ってのは手塚さん流の「照れ」であって、ホントは相当量の設定を考えていたのだろう。 けれど、一読して、よくもまあ、これだけバラエティに富んだ雰囲気の表紙を書き続けられたものだと感心する。怪奇ムードあり、メルヘン調あり、ギャグ調あり。 ご子息の手塚真さんの絵を表紙に使ったものや、アニメ『バンダーブック』のセルをそのままトレスした珍品もある。 何より目玉なのは、手塚プロ製作のアニメ『S09』に手塚さん自身が描き下ろしたイラストが全て収録、ストーリー解説付きでその筋を楽しめるということだ(ブラック・ジャックはチョイ役だけど)。 惜しむらくは、その当時しか分らない時事ネタを表紙で使ってるのに、解説が付いてなくて全く解らなくなっていること。223話で、手塚さんがなぜペンを投げつけられてケガをしてるのか、意味が全く分らないぞ(何かの抗議を受けたのかな?)。これだけが唯一、画竜点睛を欠くことであった。残念。
2000年09月27日(水) とろける膵臓と行きずりの恋と膝小僧と/『おもいでエマノン』(梶尾真治)
2001年09月26日(水) |
彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャックⅢ』/『ドンキホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか |
オタアミ当日まであと59日!
一昨日24日、作家、中岡俊哉氏が異ガンで死去。74歳。 唐沢俊一さんの裏モノ日記に、「心霊研究家としての肩書きに触れてなかった」と書いてあったが、読売新聞、ちゃんと「超常現象、心霊現象に関する多数の著作がある」と記載してる。 まあ、これを書かなきゃウソだよなあ。 昔はしげ以上に怖がりで、心霊写真なんて見ることもできなかった私ですら(隔世の感があるなあ)、中岡氏の著作を何冊かは所持している。 怪作『新・世界の怪獣』もしっかり持ってるし。 ああ、地球は怪獣バグンによって滅ぼされちゃったんだよなあ。それまで「怪獣」というのは必ず倒されるものだと思っていたのに、人間の兵器を全て寄せ付けず、世界各地を荒らしまわる大群獣バグン。 しかも各国は自分たちの利権ばかりを考えていて、ともに怪獣に当たろうとしない、その結果、人類は自滅とも言える滅亡を遂げる……。あの崩壊のイメージは、映画『ノストラダムスの大予言』以上に、今でも私のトラウマの一つになってるのだ。 もちろん、氏の「どう見てもウソ」の心霊写真を、「ホンモノ」のように見せかけた「罪」は大きいとしても、そんなのはオトナになれば自然と判断がつくものであったし、何よりコドモに「得体の知れないものに対しても興味を持つ」視点を与えてくれていたことは、大いに評価していいのではないか。最近はたいした著作を書いてはおられなかったろうが、その死はやはり惜しい。
……ちょっと本棚から『クロワゼットの超能力』(笑)を引っ張り出してみたのだが(心霊関係のはどこかに紛れこんでて解らん)、中岡氏がどの程度超常現象を信じていたかは分らないが、その「筆力」には頷かざるを得ない。 「超能力を頭から疑っている人に理解してもらおうというのは、盲人に血の赤さをわからせようとするくらいむつかしいのではなかろうか」なんて、今なら一発で削除をくらいそうな表現まであるが、この人の文章、同じことを二度三度と畳みかけるように訴えるところに特徴があるのだ。 「私は超能力の実在を信ずる。 私はまた、超能力は誰にでも潜在している可能性を信じている」 こんな具合。つまり「アジテーションの文体」なのだね。クサイが、この表現に私はけっこう騙されていた。かなりトシをとるまで「ユリ・ゲラーはニセモノだけれど、クロワゼットは本物」なんて言ってたのだ。 言葉は決して真実ではない。メディアが真実を伝えることは不可能に等しい。だとしたら、「真実だ」と思いこましてくれるものがそこにあり、たくさんの人々がそれを受け入れれば、それは畢竟、「真実」としての機能を果たしだす。……いやねえ、なんつーか、読み返してみて、結構「自分の文体」と似通ってるところ見つけちゃったわけですよ。 私も知らず知らずのうちに中岡さんの影響を受けていて、この日記の読者をアジってたのかもなあ。
今週はお仕事が始まったのが、火曜日なので、まだ二日目なのだが、体が異常に疲れている。 職場でもウチでも椅子に座ってる時間が長いせいかなあ。腰にはっきりと痛みがあって、捻ると一瞬、激痛で立往生する。 日記の更新で夜更かししてるから、という理由もあるのかもしれないが、それにしたって5時間は寝ているのになあ。もっとも入院中は8時間、9時間は寝ていたわけで(つーか消灯されてちゃ寝るしかないわな)、やはり人間は位置に血の1/3は寝ないと体調が万全にはならないものらしい。 布団が固いせいもあるのかな。そろそろ新しく布団を買おうかなあ。
帰宅してみると、しげ、20時間の睡眠からやっと目覚めている。 ……臭い。言っちゃあなんだがマジで臭い。20時間でこれなのだから、イバラ姫も100年の眠りから目覚めたときにはさぞや臭かったであろう。 しげには、日曜日に「休日くらいは洗濯しろよ」と言っておいたのに、途中でほっぽらかしていたので、「まだ洗濯もの残ってるだろ」と言ったら、「ちゃんと干したよ、見えんの?」とこきゃあがった。 「ウソをつくなよ、やってないだろ!?」 「ウソなんてついてない! 後から出したんじゃないの?」 「お前がそう言うと思って、昨日から着替えてない!」 ……あ、臭いのは私もだった。 どっちにしろ、しげが洗濯をサボったせいでこういう事態に立ち至っているのだ。自分のやったことを確かめもしないで意地だけ張るのがあまりに業腹なので、怒って洗面所にしげを追い払う。籠の中に洗濯物が残っているのを発見して、しげはやっと自分のボケに気がついたらしい。ブツブツ言いながら洗濯を始める。 多分、しげの脳細胞は寝ている間にどんどん死滅しているのだ。
テロップで近鉄優勝とのニュースが流れる。 ああ、ダイエー勝てなかったか……とちょっと気落ちしちゃったのは、別に私が福岡生まれだからではない。 多分、私の野球の知識は、岡田斗司夫さんか虹森多佳子さんナミなので、見ていてそう面白いものではない。ゲームの「面白がりどころ」がどこだか見当がつかないのだ。 まあ、虹森さん曰く「ホームランだけは解りやすいんですけれど」。 『スタジアム 虹の事件簿』を読んでて思わず頷いちゃったのは、虹森さんのこのセリフだったりするのだ。実際、王選手の現役時代は756号や800号の瞬間をか見たくてテレビにかじりついてたけどね。それ以降はサッパリ。 西鉄ライオンズの3連覇も生まれる前のできごとだしな~。親父とお袋は二人揃って徹底的な巨人ファンだったから、地元球団に対して思い入れできる材料自体がなかったのだ。
それでも今まで、あの福岡ドームの中に5回ほど出かけてはいる。 1回目はコミケ(多分ドームができて2年目くらい)、2回目はオヤジに連れられて試合観戦(ダイエーは見事に負けた)、3回目は家電製品の即売会、4回目は2年前のダイエーの日本シリーズ優勝の中継観戦、4回目は去年の5月ごろ、ペナントレース観戦(やっぱり負けた)。 自分から出かけて行ったのは、家電製品を買ったときだけで(あの時は何を買いに行ったんだったか)、後は全部、知り合いとのつきあいである。 福岡県民が全てダイエーのファンってわけじゃないのだ。 じゃあ、どうして残念だったかっていうと、「もう一度ON対決」が見てみたかったって、それだけ。
八百長、とはちょっと違うが、スポーツだって人間のメンタル性の影響が強い以上、勝負になにかしら「時代の要求」みたいなものが関与してくることはありえるだろう、と思っている。 去年は日本全国の誰もが「ON対決」を望んでいた。そんな中で他チームが「巨人」や「ダイエー」に勝つことがどれだけムズカシイか。まさしく「20世紀を締めくくる対決」をみんなが待ち望んでいたのだ。 けれど今年はどうだろう。昨年の覇者でありながら、巨人戦の視聴率は全く振るわず、話題は殆どマリナーズのイチローだ。人々が野球にゲームとしての面白さではなく、「時代のヒーロー」を求めているのだということがよく解る事実ではないか。
9時からRKB毎日放送、『ブラック・ジャックⅢ 悲劇の天才料理人』。 画面に出て来たタイトルはこれだけだけれど、新聞を見ると「舌から味覚が消えていく? 鬼の頑固シェフを襲う脳のガン“俺を今すぐ殺してくれ”」とサブタイトルが。 ……これ見て、この番組面白そうだ、と思うやつがいるのかね(^_^;)。 前二作を見逃しているのでどんなものかと思ったが、これがもう、楽しいくらいの珍品。 マンガの実写化がそもそも不可能だってこと、演出の堤幸彦は熟知しているのだろう。最初のテレビ化が『加山雄三のブラック・ジャック』てあったように、ここでは『本木雅弘のブラック・ジャック』をひたすら描く。 もちろん、それは正しい。 本当にリアルな医者のヒューマンドラマを作ろうと考えるなら、そもそも欺瞞だらけの手塚原作に頼る必要はない。……『ブラック・ジャック』って、そんなに「名作」か? 作者自身、あとづけで設定やらテーマやらを考えていったシロモノだぞ(まあ、手塚作品は全部そうだが)。
とにかく今回のドラマ化も頗るデタラメ。 一応、ブラック・ジャックとドクター・キリコの「医者は何のためにあるのか」論争が交わされる。まあ、BJもキリコもとうの昔に警察にとっつかまってなきゃおかしいという至極マットウなツッコミは置いといて(^o^)。 「医者が体の病だけを治してもしかたがない。心の病も救えねば」というのと「医者が人間の命をどうにかしようなんてのはおこがましい」というのは理念上、矛盾しまくってるんだけどねえ。 蟹江敬三のシェフが、ガンそのものはBJに治してもらったんだけれど、味覚を失って絶望し、飛び降り自殺する。 ところが落下地点に飛び出した弟子の池内博之のおかげで一命をとりとめる。感激したシェフは死ぬことを思いとどまったけれど、今度は弟子が大ケガして命が危ない。しかも外国の首相の晩餐用に料理を作らなければならないのに、味覚は戻らない。 で、BJに弟子を治療してもらって、料理を作るのはシェフ、味を見るのは弟子という二人三脚でこの難関を乗り越えるのだ。 ……ちょっと、ムリヤリドラマを作りすぎてるよなあ。BJのやってることって、結局自分の失敗の尻拭いだしね。 で、BJが苦悩するたびにキリコがどこからともなく現れて、「お前は間違ってる~。安楽死させろ~」って幽霊みたいに囁くのよ。
これに、ヒューマンなものを感じろって、そりゃちとばかしむちゃな話だ。展開的には「ホラーもの」と全く変わんないんだよ? あっ、だから、ピノコが双子になってるのか。まんま『シャイニング』じゃん。 ……つまり、『BJ』のコミックスに、かつて「怪奇コミックス」とサブタイトルが付けられていたように、これは現代の「奇談」として見たほうが面白い作品なのだね。
鴻上尚史『ドンキホーテのロンドン』(扶桑社文庫・650円)。 『SPA!』連載の『ドン・キホーテのピアス』の文庫化第4弾。 連載、単行本化、文庫化という過程を辿るので、実際に鴻上さんがロンドンに1年間の演劇留学に出かけたのは、1997年の9月から7月まで。もう4年前だ。 鴻上さんとは4つ年が離れているので、留学したときの鴻上さんは今の私と同い年、ということになる。 わあ、ロンドンに留学できたんだ、いいなあ、という感覚は私にはあまりない。鴻上さんの「将来、英語圏で自分の芝居を上演する」ことの意義を認めるに吝かではないが、伝統的なシェークスピア演劇が、日本の伝統芸能、例えば歌舞伎や能とよりもはるかに優れている、とは思いにくいからだ。 ちょうど今月の『言語』10月号が「シェイクスピア学の楽しみ」特集号なのだが、実はイギリスの伝統演劇、一端、17世紀に途絶している。王政復古により、初めてシェイクスピア研究が行われるようになったのであって、例えば『ハムレット』が初演時においては筋肉隆々、ヘラクレスのような知性と肉体を兼ね備えた男として演出されていた、なんてことは、近年の研究でようやく解ったことだったりする。 鴻上さんも書いていたが、1年間の留学で鴻上さんが知ったことは、「なんでい、みんな変わらないじゃないか」ということだったとか。 でも、そんなん行く前からわかりきってることだと思うが。というか、「文化的に劣った国日本」と思いこんでる連中の方がはるかに多い国から、何を学ぼうと言うのか。 実際には現場で経験しなければ分らないことも多かったかと思う。でもそれって、「反面教師」的なもののほうが多かったんじゃないかなあ。
けれど、鴻上さん個人に学ぶものがあったにせよなかったにせよ、結果的に鴻上さんの留学のおかげで、日本の演劇界の閉鎖的な雰囲気が少しは壊されていくのだったら、これは嬉しいことだ。 マスコミは、日本人が海外で成功している例をあまり嬉しがらない傾向がある。あるいは逆に過剰に評価しすぎるかの両極端だ。どちらの場合も、肝心の「芝居の中身」が置き去りにされているのが特徴だ。 この7月の、野村萬斎『まちがいの狂言』(シェークスピア『まちがいの喜劇』の翻案)のロンドン公演についても、その内容にまで踏み込んで紹介しているニュースはごく少なかった。「演劇」という分野そのものが日本では異端視されているのである。 鴻上さんが未だに気がついていないらしいのは、たとえ日本に国立劇場が増え、世間的に演劇の存在が認知されていくようになっても、それは表面的な部分に留まって、決して普段の我々の生活に密接したような存在にまで演劇が認められることはありえないということだ。 なぜなら、日本の演劇と、社会主義活動は長く密接に絡みあってきた歴史がある。公共の場において、たとえば学校教育の中においては、お遊戯や部活動を越えた正規の形での演劇教育は、まず望み得ないのだ。 ……ヒカゲの存在でいいじゃん、とも思うのだけれどね。ヘタに光を浴びると、ヨコヤリガ上の方から入りまくるに決まってるんだから。
赤塚不二夫『アカツカNO.1 赤塚不二夫の爆笑狂時代』(イースト・プレス・2000円)。 『天才バカボン』と『レッツラゴン』の中から、いわゆる「実験マンガ」的なものを数ページずつだけ抜き出して、当時の雑誌インタビューなども交えて構成したもの。 「数ページずつ」だから、完全に一本のマンガが読めるものは一本もない。 伝説の「等身大マンガ」、ラストでコマが小さくなるところまで収録しないと、ギャグの効果が半減すると思うんだけどなあ。
子供の作り方を初めて知ったバカボンが、パパとママを「汚らわしい!」と怒る話なんか、これを『バカボン』でやったもんだから当時はむちゃくちゃ衝撃的だったんだが。 確かになあ、言われるまでパパとママのナニシーンなんて想像もしてなかったけど、バカボンにハジメまで作ってるんだものなあ。……やってるんだよなあ、あの二人。 ギャグキャラクターに「肉体」を与えたマンガ家って、赤塚さんが初めてなのではなかろうか? っつーか、当時私も「それ」を知ったばかりだったしさ、最初はバカボンに同情しながら見ちゃうワケよ。「そうだ、僕はオトナになったって、そんな汚らしいことはしないぞ!」とか思っちゃったりしてさ(^_^;)。 いや、小学生のタワゴトですから。 だから、オチでバカボンが「なんだ、これって自然なことなんだ!」ってスッキリしちゃうところが思いっきり肩透かしされちゃうことになるのよ。 なのに、そこがまたカットされてるから、これもギャグがギャグとして完結してない。 ……誰だ。こんな変な編集したの。
「山田一郎」改名事件も懐かしい。けれど、たとえ完全収録されたからといって、こういった実験作品を今の読者が楽しめるかというとそれは別問題だろう。 事実、しげなどは同じ実験マンガでも、唐沢なをきだと笑うのに、赤塚不二夫だと、白けた眼で見るだけなのだ。 時代と寝ている時、ギャグマンガは強いけれど、そこから一端リタイアすると、ただのつまらないマンガに堕してしまうんだろうか。
2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ
2001年09月25日(火) |
リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき) |
オタアミ当日まであと60日!
昨日、日記の「荒らし」について書いたことの続き。
なぜ「荒らし」がこうも横行するのかって考えたんだが、やっぱり人気のある日記って、女性の方が書いたものが多いからではないかな。 今から書くことは、女性にとってはちょっと申し訳ない表現になっちゃうかもしれないけれど、話を進めるために我慢して読んでもらいたい。
まず、女性の書くサイトの方がなぜ人気があるのか、ということから。 これはもう、ネタが圧倒的に「恋愛」沙汰だったりしてる点にあるからではないか、と思うわけだ。 もちろん、日々の出来事が全て恋愛がらみであるはずがない。 けれど、別に作家でもアイドルでもないごく一般の人の日記になぜ人気が出るかと言うと、これはもうその中身の「ドラマ性」にあることは明白なのであってね。で、男性と女性では、日常をドラマチックに虚飾する能力が圧倒的に違っているのだ(もちろん、女性の方が「上」)。 ミもフタもないことを言っちゃえば、「なんでもない日常のことがらを、むりやりドラマに仕立て上げる能力に長けている」と言ったほうがいいかな? 解りやすい例をいくつか言えば、女性はみんな清少納言よろしく、「春って曙よ!」って言っちゃえる存在なのである。男はああいう「それがどうした」的なことはそうそう言えないんだよねえ。 あるいは、『赤毛のアン』。「私、あの湖を『きらめきの湖』って呼ぶことにするわ!」……呼べよ、勝手にって男なら思うところだな。マシューも多分そうだったであろう。
女性の恋の対象は、実は「男」だけではない。もともと日常の様々なものに「恋」をしているのが女なのである。(「恋は女の本質」って言ってたのだけだったっけ?)。 「読み手」がワクワクするためには、まず「書き手」の方もワクワクしてなきゃならない。人気のある日記を読んでいて思うのは、やっぱり「みんなワクワクしてるなあ」ってことなのだ。たとえ、それが、「つらい恋」であっても。
で、「荒らし」が起きる理由も、その内容の如何に関わらず、「ドラマ性」の訴える力によるものだろう、と断言できるのだ。 もし、清少納言がただ単に「春はいいわね~」程度のことしか書いてなかったら、彼女に対して紫式部が、「なに様のつもり!?」なんて噛みついたりすることも、ありえなかったであろう。 「春」を全て「曙」に限定して象徴する視点、それまでの誰にもできなかった見方でありながら、普遍性を持ちえた見方、「特殊を普遍化する」ということは、「少数派が多数派に受け入れられる」ということでもある。 つまりね、これって、「つまらないやつ」と差別されてた人間がみんなに認められるようになったってことと同じ図式なんだね。 これは、同じように「つまらない」人間の「嫉妬」を引き出すには充分の要素となるのよ。
おわかりだろうか? ややこしい書き方をしちゃったが、「荒らし」を起こす人間の心理って、「自分と同じか、それ以下のレベルだと思ってた人間が、他人に認められるなんて羨ましい妬ましい」ってジェラシーなのだね。 男がよく「女のクセに生意気だ」って思うのもこの心理。あれは「男の嫉妬」なのですよ、女性諸君。
荒らされたとき、男と女とでは反応が明らかに違う。まずそのことを「荒らされてる」人は充分に認識する必要があるのではないか。 同じように腹を立てたり、悲しんだりしているように見えはするけれど、相手のサディズムにより訴えかけちゃうのは、やっぱり女性の方なんだね。それだけ「ドラマチック」に反応しちゃうから。 意識的にか無意識的にか、そこで女性はまたしても自分を「特殊化」してしまう。「ウチは日本一不幸な少女や」って反応だわな。 だから「荒らし」は喜ぶのよ。自分の挑発に乗ってくれるんだから。 不思議なもんでねー、日記なんかで一切触れずに「荒らし」を問答無用で削除するってこと、女性はなぜかできないんだよねー。 必ず日記の中で「どうして私がこんな目に」って書くのよ。 ……書かずに消せや。たとえ何十回、何百回と「荒らし」が続こうが、冷静に対処してひたすら消す。 「冷静じゃないやつ=バカ」と見下されてるから「荒らし」も起きるのだよ。それに素直に反応してちゃ、やっぱり「バカ」なんだってことを自分で認めちゃうことになる。自分で自分を感情的なバカに仕立て上げてどうするの?
それにしても「エンピツ」の登録者が40000人を越した途端に「荒らし」が増えたってのも、一種の「スタンピード現象」なんだろうか?
天気予報が雨だったので(でも実際には降らず)、通勤はタクシー。 帰りの運転手さんが、ちょっとビックリした才能の持ち主であった。 「お客さんのお仕事、○○○○○でしょ?」 ……言っとくが、職場のすぐ近くでタクシーを拾ったわけではない。しばらく歩いて、何百メートルか離れた地点でだ。位置から断定するには根拠が薄い。 「どうして判ったんです?」 と思わず聞き返してしまったが、返事を聞いて納得。 「お客さん、○○○○○○○じゃないですか。それに○○○○○○○○だし○○○○○。だから○○○○○○○○だろうって思って」 ホ、ホ、ホームズ! こ、こんなところにシャーロック・ホームズが! 実際、この運転手さん、しょっちゅう、お客さんを拾うたびに「○○○○までですね」と行き先を当てて見せて、お客さんをビックリさせるのが趣味らしい。 性格歪んでるところまでホームズそっくりだな(^_^;)。 「どうしてそんなことができるんですか?」 と思わずバカな質問しちゃったけれど、途端に「苦労してますから」だと。 う~ん、この反応はいかにも日本人的でちょっと興醒め。 やはりここは「初歩ですよ」と言ってほしかったな(^^)。
帰宅してみると、しげは寝ていて全く起きて来ない。今日も弁当を買ってきてやったというのに、モッタイナイ話だ。 一応、耳元で「飯食うかー」と声をかけてみたが、全く反応がない。 ああ、これは本当に熟睡している。ムリヤリ起こすのもなんだかなあ、と思ってほっておいたが……。 結論から先に言うと、このあと、翌朝私が出かけるまで、しげ、全く目を覚まさなかったのだ。 ……ってことは最低12時間、多分、20時間くらい連続して眠ってたのではないか。脳がどんどんバカになるのも当然と言えば当然であろう。
テレビ、『ハレのちグウ』最終回『おしまい・おしまい』。 原作のむちゃくちゃ中途ハンパなところで終わっちゃったなあ。一応ウェダとおばあちゃんの和解、というところでひと区切りついてる感じではあるけれど、これから先が本当の「物語」になるんだし。グゥの謎も解かれず終いだぞ。 思えらく、延長を期待して、スタッフはあとワンクール分、ウェダの結婚あたりまでやるつもりだったのではないか。 ……視聴率、取れなかったのかなあ。 原作をベースにしつつも、オタクなギャグを付け加え、細かい作画、絶妙なタイミングと声優のノリで爆笑に導く演出は最近では珍しく見応えがあったのに。 ハレがアニメに関してオタクなウンチクタレであったりするのも笑える。だいたいアニメを見ながら声優に触れずに作画に言及し、「第1話としてはまあまあかな」なんて嘯きやがるガキなんて生意気にもほどがあるってんだ……ってガキの頃の私か(^_^;)。 OVAで続編作らないかなあ。「第2回ウェダ争奪戦レース」のネタも残ってるし。
『人気者でいこう!』最終回スペシャル。 何気なく見たら最終回でやんの。 水野美紀、顔が変わったなあ。『ガメラ2』の頃よりずっと凛々しくなってる。『2』のころはまだどこかナヨっとしてて(アクション女優出身のクセに)、どうしても『1』の中山忍と比較されてワリ食っちゃってたけど、今ならけっこう対抗できるのではないかな。 途中から見たが、ちょうど、『恋に落ちたシェイクスピア』のジョン・マッデン監督が撮った映像と、そこいらのADが撮った映像とを見比べて、どっちが本物かを見分けるという問題。 ……まあね~、確かに一目見て見分けられはするけどねえ。 何しろADの撮ったやつは「クサイ」から。 でも、それを「本物」「偽物」という観点で見るのはどうかなあ。巨匠の作品は確かに自然なんだけどさ、ADのそれとハッキリわかる未熟さってのも、シロウト戯曲家のハシクレである私にはどうしても共感を覚えちゃうのよ。 どう見てもB級、どう考えてもヘタレ、だからこそ「好き」だってものは誰にでもあろうし、ゲージュツだのアートだのより、そんなものの方が感性に訴えかけてきたからこそ、オタクになっちまったやつらって、世の中にはたくさんいるだろう。 たとえ「本物」がどちらか解っても、「好きなヘタレ」を選ぶ。それでいいのではなかろうか。 で、その「へタレ」を選んだのが浜田雅功と坂東英二。この二人、次の「ユトリロの絵を見分ける」でも外しやがった。 本物ばかり当てつづけてたのは、山咲千里と水野美紀。おお、奇しくも「ガメラ」女優の対決。でもラストの「エビチリ」と「ザリガニチリ」を食い分ける問題で山咲千里はどん底に沈んだのであった。……ザリガニってどんな味がするんだよ。
CS『こみっくパーティー』『マイアミガンズ』のことを書くスペースがまたなくなった。いやまあ、とりたてて書くほどのことはないんで、まあ「バカアニメ」は好きだよってことで。
『キネマ旬報』10月上旬号、例の「『キネ旬』、角川が買収!」の件について、詳しい説明。 てっきり、経営不振で身売りせざるを得なかったのかと思っていたら、そういうわけではなかったよう。 本当に存続が危ぶまれていたのは、1960年代の映画産業自体が斜陽化していた時期で、そのとき松竹の城戸四郎社長の知人だった上森子鐵が株を買って、経営を立て直した。 そして1989年に上森氏が亡くなって、株は「文化事業に理解がある」ということでセゾングループのSSコミュニケーションズが譲り受けた。 けれど、バブル破壊後、セゾンは文化事業の縮小を決めて、株を角川に再譲渡、という過程になったということだ。 今回のことはあくまで親会社のSSCの事情であって、『キネマ旬放射』には変化はない。まあ、元から提灯記事が多い誌面ではあったし、これで角川系のアニメなんかがより特集されたりするようになったからって、中身がよくなったとか悪くなったとか一概には言えまい。 ダサイ誌面をもちっとなんとかしてほしいとは思うが。
と学会著『トンデモ本の世界R』(太田出版・1554円)。 タイトルのRに意味はなく、来年は「S」に、再来年は「T」になる予定だそうな。3番目は「SS」、4番目は「スターズ」になるかと思ったのに(^^)。 ああ、これが某氏の日記で、某氏の原稿の入稿があまりに遅いので、某氏が代筆したという例の本なわけだね(←三つの某氏は全部別人です)。 でも代筆された某氏の文章、一読するとまるでホンモノ。某氏の描写力が見事なのか、それとも、ギリギリになって反省した某氏が原稿を差し替えたのか。 でもなあ、まさか私がこの某氏と『○○○○○○○○○』を通じて関わることになるとは夢にも思ってなかったからなあ。 実際、この事件を知っていて、某氏がこんな人だと知っていなけりゃ、いい加減な私のこと、きっと○○○○○○○○○○○○○○に違いないのである。
巻頭で俎上に上げられてるのが、わが博多の誇る(誇っていいのか)小林よしのりの『戦争論』。 先に書いておかないと絶対誤解を招くだろうな(^_^;)。 あのですね、『戦争論』の歴史認識がデタラメである、という点では、私も山本弘さんの批判を聞くまでもなく、その通りだと思ってるのよ。 「南京大虐殺が完全な捏造」ってのは絶対ウソだって“実感”できるしね。 いや、だってさ、「精神主義」が大好きな連中、今でも腐るほどこの日本にいるのだもの。そいつらが寄せ集まっててさ、戦闘で仲間をたくさん殺されてるんだよ? しかも敵は「三等民族」ってバカにしてる中国人だし。 復讐心に燃える日本軍が、敵が降伏したからって、虐殺を行わないわけがないよ。それに、数日後、陥落した南京を視察するために、皇族の入城が予定されていた。民間人の中に不穏分子が紛れこんでいたら、どんな事態になるか。 実際、民間人に偽装した便衣兵がいたことは小林さん自身、『戦争論』の中で書いてるしね~、つまり、「虐殺」が行われた根拠を、小林さん自身がしっかり示しちゃってるのである(^o^)。
そう。「虐殺」は一部軍人の暴走としてではなく、日本軍の「義務」として行われた。その可能性が高いのだ。 「そんなのは感情論だ、証拠を出せ」と反論するやつもいるだろうが、その資料を曲解し、あるいは無視し、そして「無かったもの」にしていったのがこれまでの「虐殺なかった派」。 ただし、それは中国側も同じであって、これまた「民間人30万の虐殺」なんて大ウソをつきまくっている。それこそ一次資料に、陥落以前に南京を脱出して行った中国人がたくさんいると書かれているのに、なんで30万もいるのだよ。それ以前の住人数よりもはるかに多かろうが。 結局、「あった派」も「なかった派」も、目クソ鼻クソを笑ってるみたいに自分の都合のいいようにしか歴史を解釈していないのである。
もともと「中国べったり」の報道にハラを立てて『戦争論』をぶち上げた小林さんだから、真実がどうかなんて、実はなーんも考えちゃいないのである。場を引っ掻き回すのが目的だから、それにウカウカと乗っちゃあいけない。 「と学会」はトンデモ本を笑い飛ばすのがコンセプトなのだから、さて、面白い見方をしてみせてくれるんじゃないかと期待して読んだのだ。 でもねえ、執筆してるの会長の山本弘さんなんだけど、これがいたくマジメなんだわ。 山本さんは数々の一次資料を挙げて「これでも南京大虐殺はなかったと言えるのか」また、自己矛盾しまくりの記述をいちいち検証して憤慨されてるけど、あと先考えてないバカに論理で攻めたって効果ないってば。小林さん、「自分がデタラメ書いてる」って知った上で書いてるんだから。
小林さんのマンガを描く姿勢が基本的に『どとーの愛』に見られるようなムリヤリギャグだってこと忘れちゃいけないよ。でもあのギャグ感覚がわかるのって、見たところホントに博多人だけなんだよなあ。 「世の中にギャグにしちゃいけないものなんてない」 それは「戦争」もしかりだ。 「いや、小林よしのりは本気で戦争を賛美してるぞ」と言いたい方にはこう言おう。 「その通りだ」と。 だから、それが博多人のギャグ感覚なんだってば。 本気でそんなことやるから「ドン・キホーテ」になれるんでしょうが。演技でやったって、笑いは取れないって。 山本さんが「矛盾だ」と指摘している部分、例えば「国際法ではゲリラは殺してよい」なんて、ギャグ以外のなんだというのか。「んなわけね~だろ」ってのをちゃんと読者に突っ込んでもらうのを目的としているのだよ。 よく読めばわかることだが、「虐殺はなかった」に結論を持っていく過程で、どんどん資料をデタラメに読み替えていく手順は、「爆笑問題」の太田光のギャグのふり方と同じだ。「確信犯」でやってるんだって。 だからね~、小林さんをへこましたければね~、「ギャグのふり方がヘタだ」と言ってやった方がずっと効くんだってば。 根がマジメな人ってさ、どうしてもそれができなくて、あの本を、からかえないのな。
『戦争論』の功績はもっと別の面で認められていいと私は思っている。 あれのおかげで、「大東亜戦争は本当は正しかったんだ!」って堂々と発言するやつが増えたからな。今まで「隠れキリシタン」状態だったクズどもが表面化してくれたのだ。もちろん、それに反発して「日本叩き」をしようって腐れた連中もアタマをもたげてくる。 たしか去年の「オタアミ」でも、唐沢俊一さんが「小林よしのりを支持するやつも反発するやつもみんなバカ」と仰ってたが、その通りの状況が生まれたわけだ。 私の近所でも、「実は私は……」とカミングアウトした右や左のダンナサマがゴロゴロ出て来てさ、「あ、こいつはバカだ」と判別しやすくなったこと(^^)。冷静にあの戦争を見ることのできる人間というのがこうまでこの国には少ないのかと思っちまったねえ。 山本さんも、真っ向から否定の文章を書くんじゃなくて、そういった「功績」を踏まえて、あの本を笑い飛ばしてくれた方が、読み物としてずっと面白くなったと思うのである。
他にもたくさん、面白い記事があるんだが、とても全部には触れられない。 で、補足的な解説をちょっとだけ。 唐沢俊一さんが執筆している『世界変書カタログ』、『オッド・デーツ・オンリー』(つまり、1年365日の各日に、これまでどんなバカな出来事があったかってのを記録してあるのね)に紹介されていた、唐沢さんの誕生日5月22日の出来事。 「1959年、アルバニアで黒いうさぎが白いうさぎと結婚する内容の子供向け絵本が発売禁止になった」 唐沢さんは「それがどうした」みたいな感じで書いてるだけだけど、これは有名な絵本で、邦訳も出ている『しろいうさぎとくろいうさぎ』(絵と文 ガース・ウイリアムズ/訳 松岡享子/福音館書店)のことなのだな。 作者のウィリアムズは、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズの挿絵でも有名。 実は本作、絵本の世界で「世界で初めて」結婚をテーマに扱ったということで物議を醸した本なのである。もちろん「白と黒」ってのが「白人と黒人」に読みかえられたってことでもね。発禁の理由もその「異人種間の結婚」という点にあったことは容易に察しがつく。 出版されたのが1958年だから、翌年の発禁というのは反応としては早急で随分ヒステリックだ。 今、この絵本は「名作」としてその評価も高い。 多分その『オッド』は、「昔はこんな馬鹿げた偏見があってねえ」と、日本でもちょっと前まで『ジャングル大帝』が「黒人差別」の問題に引っかかって出版できなかったのと同じような例であるのだろう。 ……いい加減、藤子不二雄の『オバQ』や『ジャングル黒べえ』も再版出せ。黒人の絵を描きゃみんな差別か。
マンガ、唐沢なをき『けだものカンパニー』3巻(完結/集英社・840円)。 ぶはははは、うひひひひ、げひゃげひゃげひゃ。 いや、笑ろた笑ろた、笑かせてもらいました。 ただひたすら「下品」に徹した潔さ、ギャグはやっぱりこうでなくちゃ。 唐沢なをきさんのマンガで特に好きなのは『カスミ伝』シリーズだが、『BRAIKEN』他の「欲情」シリーズ(勝手につけるなよ)も大好きなのである。 このマンガのどこが好きかを語っただけで、私がどれほど下品なのかバレてしまうので書きにくいのだが(今更)、まあ、ゲイのイルカ兄弟とかね。イルカだから「ゲイ」をするという、もう腰砕けの駄洒落が最高ですわ。 ああ、でも、オタクをデブで臭くて欲情したブタにたとえられるのは、イ、イタイ。関係ないが、「同豚誌」の中でバックで攻められてるブタはマルチかな? 3巻で終わりというのも手ごろなところかな。多分2年もすれば絶版になるので(笑)、今のうちにまとめて買おう!
2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか
2001年09月24日(月) |
荒らしを起こして♪/DVD『マジンカイザー』1巻/『KUNIE』1巻(ゆうきまさみ)ほか |
オタアミ当日まであと61日! なんだかテロネタにも飽きたので(いや飽きる飽きないの問題じゃないってコトも知っちゃいますが)、身近なネタから。
「エンピツ」に登録している日記サイト、いつの間にか40000人を越してるんだねえ。 私も他人の日記を覗くのが好きで(なんだかこう書くと変態みたいやな)、「お気に入り」にこそ入れはしないが、いろんなヒトがいるなあ、わはは、と笑って見ている。 けれど、なんだか最近、あちこちの日記に共通して、「荒らし」の報告が寄せられてる例が増えてきているのだ。 内容はたいてい「ねたみ」らしく、「人気投票数が高いからってエバるなテメー」、みたいな低次元な(って高次元な「荒らし」ってのもあるまいが)書きこみがほとんどのようだ。 いや、「人気」ったってねえ、フツーの人々の「日記」で、プロの作家さんのそれってわけじゃないじゃん。「荒らし」さんたち、何を目くじら立ててるんだか(^_^;)。 かと言って、あまり笑ってばかりもいられないのかな。 中には、被害に堪えきれず、せっかく立ち上げた日記を閉鎖してしまう人もいる。 某巨大掲示板のように、いろんな人が匿名で参加できるところだと、ある意味「荒らされる」ことは覚悟の上で参加せねばならない。 しかし、こういう日記オンリーのところに参加する人たちは、そんな被害に会うとは夢にも思っちゃいなかったのだろう。だから予想外のことに出会って、むちゃくちゃ傷ついてしまったのだ、と推察する。 まあ、いきなりテロ受けちゃったようなもんだし(またそのネタかい)。 けれど、見ていてもったいないなあ、やめることはないのになあ、とはどうしても感じてしまうことだ。
「荒らし」ってそんなに怖いか? いや、私も知人で掲示板にやたらとエロメールを書きこみされて往生している人を知っているから、相当迷惑だろうなあ、ってことは解るよ。 一時的に「テメーの日記なんかつまんねーんだよ」とか「さっさと消えろ」みたいな書き込みされて落ちこむのは仕方ないことではあるけれど、それと同じくらい「負けないで!」って応援メールとかもあったんではなかろうか。 だとしたら、「荒らし」に負けて撤退しちゃうってのは、それこそ「荒らし」の思うツボ、「オレの書きこみで、一つサイトを消してやった」なんて、妙な権力意識を相手に持たせちゃうだけじゃないかなあ。
私なんか、身内からしょっちゅう「荒らされ」てるからなあ。 って、しげのことなんだけどさ(^.^;)。 私が誤字脱字がないか(寝惚けてると腐るほどあるのよ、これが)、文章にヘンなところがないか見返したりしてると、「また『オレ様文章』に浸って」なんて言いやがるし。おかげで最近は見返すこともできなくってよ。誤字増えてんだろうなあ。 私にナルシストの傾向が全くないとは言わんが、「オレってステキ! オレ様サイコー! みんなオレを誉めて誉めて誉めてェ~!」みたいな、そこまでの変態じゃねーぞ、俺は(←ちょっとは変態なのかよ)。 「どうせ誰も読んでないんだからヤメなよ」とまで言われたときにゃあ、このクソアマ、とは思ったが、しげの場合、ここまで悪態つくのは自分が構ってもらえない淋しさ故だってことはハッキリしている。 ……素直に甘えられないって、かえって恥ずかしいんだぞ。……とか言ったらホントに「素直」に甘えてきそうだなあ。それもちょっと困るが。
「荒らし」どころか、私ゃストーカーにだってあってるし、職場の横槍で日記を移転せざるをえなかったことだってあるし、ウィルス送りつけられたこともあるし(笑)。 ……考えてみりゃ、よく日記やめてね~よな(^^*)。 おかげでよく「有久さんって、強いですねえ」なんて言われちゃうことも多いのだが、とんでもない、私ゃ、自分以上に泣き虫で弱虫なヤツぁこの世にいまいって思えるくらい、自信のカケラもない男なのだ。 その点に関してだけは自信がある(笑)。 逆説的な言い回しになっちゃうが、自分の文章に価値なんてないって思うから、続けられてるのですよ、私の場合。 何回も書いてるけどさ、こういう公開日記ってさ、愚にもつかないことをウダウダと、ただ垂れ流すことにこそ価値があるんであってね、だから「くだんねーんだよ」ってご意見はまさしく正鵠を射ているので、公開日記の書き手としては喜びこそすれ、傷ついたりしてちゃイカンのですよ。
自分の文章に価値があるなんてゴーマンな気持ちでいるから傷つきもする。 どうもサイトを閉じてくヒトたちの最後のメッセージなんてのを読んだりしてると、「こんなに一生懸命書いてるのに!」ってことを訴えてるヒトが多くてねえ。「オイ、そりゃちゃうやろ」とツッコミたくもなるのよ。 あのね、「一生懸命」ってのは他人が評価するものであって、自分で評価するものではないのよ。「自分で自分を誉めてやりたい」って言葉さ、某スポーツ選手と某アニメキャラのおかげでえらく流行ったけどさ、つまるところそれって自分に対する批判はおろか、他人の応援だって無視してるってことではないの。 ゴーマンでしょ? その二人の末路がどうなったか考えると、やっぱり「文章」ってのはヒトに見られてナンボなんだよなあ、と思うのだ。「けなし」も「ねたみ」も自分の「コヤシ」ですがな。 いや、要は、自分が自分の文章をどう思っていようと、面白がってる人間はいるんで、自分だけの事情でヤメちゃいかんよなあ、と言いたいんだけどね。
この日記だって、いつかは終わりが来る時があろう。 いきなりパソコンが壊れたとかね。 まあ、またぞろ私が入院して中断って可能性が一番高いんじゃないかとは思うが。 覚えていますか? いや、「愛」じゃなくて、以前、ホームページの方で私が連載していた演劇に関する「シナリオアクロバット」っていうエッセイもどきのことなんだけどね。18回くらいまで続けてたけど、これの中断はしげの事故がきっかけだった。 で、しばらく書いてなかったら、前に書いてた内容をキレイサッパリ忘れちゃったのである(笑)。もう一度再開するには、過去のネタ全部読み返さなきゃならんなあ、と思っていたら、諸事情で書きこみ自体ができにくい状況になってしまった。 メンバーのホームページに小説を連載し始めたら、こちらも諸事情(こればっかしやな。要するにパソコン自体が使えなくなっちゃったんだが)でサイト自体が閉鎖されてしまって宙ぶらりんのままである。 こういうの、私が全てほっぽらかしているとお思いの方もおられようが、ところがどっこい、ちゃんとコピーを取っていて、再開の機会を狙っているのである。どうせしげは「みんなもう忘れてるよ」と言うであろうが、天災は忘れた頃にやってくるのである。 個人ホームページの準備稿の中にはしっかりそれらも入れているのだ。 ……こんなもん、「自分を誉めてやりたい」気持ちなんかで書けるかって(^_^;)。
まあ、こんなこと言いながら、実際に「荒らし」にあったら、泣いちゃうと思うんで、どうぞみなさま、お手柔らかに。
ようやくデジカメのメモリーパックの入れ方をしげに習って、昨日できなかった、街中の写真撮影に出かける。 しげも一緒に付き合うかと思ったら、職場のミーティングがあるとやらで、一人で散策。 まあ、どこで何を取るか分らない、行き当たりばったりの撮影だから、付き合いたくない気持ちになるのも解りはするが。 コンセプトは「博多の街のヘンなもの」って、まあ「VOW」ですね。 そこいらを適当に歩いただけでも超芸術トマソン(=美しく保存された無用物)はゴロゴロしてるし、昔からあるもので博多人が見なれてるけれど、考えてみたらどこかヘン、なんて建造物なんてのもいっぱいある。 だから別に一般の観光案内的なものなんて撮る気はハナからないのね。 で、どんなのを私が撮ってたか。 「商店街の入口でオッペケペを踊ってる川上音次郎」 「君は虎フグチリを食ったことがあるか」 「床屋のサインポール各種」 「ビルの二階のESP研究所・一階は喫茶店」 「男子トイレを案内する黒田武士」 「巨大な鈴の前のホームレス」 「ドラえもん山笠」 等々。 何のことか解らん、という方もおられようが、それはホームページが立ち上がってのお楽しみ。ホームページのタイトル、予定は『探偵たまちゃん細腕繁盛記』(仮題)である。
帰宅してみると、しげは昼寝。 せっかく弁当を買って来てやったのにもったいない。ムリヤリ起こして殴られるとイヤなのでほっといてパソコンやCSなどに見入る。後は休日をゆっくり楽しむだけだ。
パスワードの打ちこみ方を覚えて、やっと初めてAIQのパティオに入れるようになったが、これまでの過去ログを読むのがひと苦労。 だってほぼ2年分あるのだもの(^_^;)。 一通り読みはしたが、細かいところまではとても覚えきれない。特に会計関係は、おカネがどこからどう動いているのか見当もつかない。……スミマセン、お手伝い出来ることは何でもしますが、経理関係の仕事はできればパスさせてください。収支が合わなくなっても多分原因すらつかめなくなると思いますので。 うわあ、劇団の前の公演、宣伝までしてくれてたのだなあ。これにはひたすら感謝。 あと二ヶ月でどれだけ集客できるか分らないが、ともかく今は販促に力を入れるのみである。
初書き込みで、チラシをパピオに置いてきたことの報告、付け加えて「『アクロス福岡』にもチラシ置きませんか?」と意見を述べる。 あと、チラシ置けそうなところといって思いつくのは「紀伊国屋書店」だったりするのだが、オタアミの協賛が福家書店だから、これはマズイのだろうなあ。 「あいれふ」や「大野城まどかぴあ」、各区の図書館センターなんてどうかなあ、などといろいろ考えるのだが、こういう演劇関係や公共ホールの類、利用者の中にオタクがどれくらいいるか心許ない。効果がいまいち期待できないのである。 会場が岩田屋G-サイドだから、岩田屋系列以外のデパートとかにも置けないんだろうしなあ。……意外とシバリが多くないか? 福岡近辺で、他にチラシ置けそうなとこ、知ってるヒトいませんか? ……って、こういう告知したときにさ、いつだって劇団メンバーからの反応が一番乏しいんだよ。「知りません」「解りません」あるいは完全無視。 ……ウチのメンバー、マジで交際範囲狭すぎだって(-_-;)。
CSファミリー劇場を立て続けに見る。
『チャンピオン太』2話。もうアントニオ猪木の死神酋長は出ない。今回の敵はもと柔道家のスマイリー。 こいつがまた風貌から衣装まで、まんま『姿三四郎』の檜垣兄弟を足して2で割ったようなヤツで、ハグレ柔道家のイメージっていったらこれしかないんかと突っ込みたくなる。勝負に負けたけれど、命を助けられて最後に改心するとこまで『三四郎』と同じ。 梶原一騎って、やっぱり戦前の熱血小説の流れから一歩も先に出られなかったヒトなんだよなあ。
『狼少年ケン』68話。 もうこんな古いアニメ、設定やストーリーを解説しないと若いヒトには全然わかんないんだろうなあと思いつつ、そこまでは面倒臭くてしたくもない。 ゲスト声優、字幕が失われているがヒアリングで堀絢子・近石真介・増岡弘・神山卓三の諸氏とわかる。近石真介がハンターで、その息子が堀絢子。息子とケンは仲良くなるが、親父は「ジャングルの連中はみんな危険だ」と信用しない。けれど命を助けられて最後に改心する……ってさっきの『太』と同じオチやん(^_^;)。
『がんばれ元気』13話。 これも久しぶりに見たなあ。監督は名匠なんだかヘボなんだかどっちつかずのりん・たろう。 というか、この『元気』はまあまあの佳作だったんだがねえ。当時としても、どこかくすんだような色使いで「なつかしアニメ」の雰囲気を出してたのが面白い効果をあげていた。ただ、声優に藤田淑子を起用したのは失敗だったろう。おかげでアニメ化されたの少年編どまりで青年編にいくことができなかったし。 今回は、元気が、関拳児のタイトルマッチをおじいちゃんに内緒で見るって話だったけど、関のキャラクターが原作よりもずっと力石徹に似ていて、そりゃいくらなんでもちょっとマズイんじゃないかって気になった。 作画監督の小松原一男、美術監督の椋尾篁、ともに今はこの世にない。 一時代を築いたことが明らかなこの二人の早世は、アニメ界にとってあまりに失うものが大きかったように思う。
続けてキッズステーション。 『こみっくパーティー』10話『二人の距離』、『マイアミガンズ』第1話などを見る。基本的にその日見たもの、読んだものについては全て感想を書いておきたいのだが、どうも文字数をオーバーして登録できそうにないのでカット。 これだから、しげから「書きすぎ」と言われるのだ。
マンガ、竹本泉『しましま曜日』1巻(エンターブレイン・756円)。 以前出したものの新装版。……もう持ってるのになあ。後書きが書き下ろしってだけで買ってるんだものなあ。 でも、この「服に着られる女の子」(優柔不断なので着た服によって性格が変わる……ってプロレスラーの覆面かって)という設定は大好きなので、まあいっか。
マンガ、ゆうきまさみ『KUNIE(クニエ)―パンゲアの娘―』1巻(小学館・410円)。 アトランティスもムーも使い古されてると作者が思ったのか、いきなり「パンゲア」と来た。 といっても、「今はない」ものであっても、前二者と違って、パンゲアは架空の大陸ってわけじゃないからねえ。大陸移動以前の、ユーラシアもアフリカも南北アメリカも、すべてが一つの大陸であった頃にまで遡って、物語は展開されて行くのだろうか。 今のところ、第1巻の段階では、そんなに目新しい設定は登場していない。 小学生の主人公のところに、突然「お嫁さんにしてっ!」って南の島からかわいいムスメが飛び込んでくるってのも新鮮味がないし。 卵からプレシオザウルスが孵るってのが『のび太の恐竜』だってのもまず間違いなく作者の確信犯。 平成『ガメラ』的展開と言い、「どこかで見たような」導入が、今後「ありきたり」で終わっちゃうか、「物語の復権」となるかは、まだ即断するには早かろう。 でもヒロインのクニエ、トシのワリにちょっとおばさんくさいぞ。
マンガ、横溝正史原作・つのだじろう作画『犬神家の一族』(講談社漫画文庫・630円)。 どうやら講談社漫画文庫の金田一耕助シリーズ、これで打ち止めにするつもりらしい。昭和50年代に横溝ブームが起きた時には、つのだじろうはもう一作、『八つ墓村』を描いているが、これは影丸穣也(譲也)の少年マガジン連載版『八つ墓村』を既に出版しているので、ダブらないようにと発行を控えたものらしい。 意味ないと思うがな、そんなの。 解説の皆川博子、『犬神』を横溝正史屈指の名作と称賛しているが、それほどでもない。これは正史唯一の「実験作」であって、全てのトリック、構成を考えた上でなければ作品を執筆しなかった彼が、初めて「設定だけ作って結末を決めずに書き始めたらどうなるか」を試してみた作品なのだ。 苦し紛れに思いついた後付けのトリックが功を奏して、それなりの評価は受けているものの、整合性に欠け、動機にかなりムリがある。 何より、犯人が意外でも何でもないのがイタイ(-_-;)。 横溝正史ベスト10を作れば、せいぜい5、6位あたりが関の山ではなかろうか。それがなんでそんなに傑作みたいに錯覚されてるかと言うと、角川で映画化されて17億稼いだってことと、評論家の大坪直行あたりが過剰に評価したってことが影響してると思う。 そのことを考えれば、つのだじろうの脚色、得意のオカルトを交えて動機に説得力を持たそうとしているのはなかなか面白い。本格ミステリにオカルトは禁物、というご意見はこの場合当たらない。だって事件の背景にオカルトが絡んでるだけで、解明に当たってはちゃんと現実の事件として、合理的に解明を行っているのだから。 細かいことだけどさ、タイトルの『犬神家』、ただのハッタリで、伝説の「犬神」とは何の関係もない。その点を正史は江戸川乱歩から非難されてるくらいなんだよ。 それをつのださん、ちゃんと犬神家は「犬神憑き」の家系である、と、事件の動機に絡めて説明しているのだ。しかも、「斧・琴・菊」の三種の神器のウラの意味まで創作したオリジナリティは充分評価していい。 はっきり言うが、原作よりミステリとしての完成度、高くなってるのだ。けれど、「意外じゃない犯人」だけはつのださんも如何ともしがたかったらしく、金田一耕助に「犯人…と、事件の動機そのものは単純でしてね…。はじめにみなさんが疑ったとおりの人物だったんですよ!」と言わせちゃっている。 さすがに犯人を変えちゃうわけにはいかないしねえ。 ついでだけれど、前に「つのだ版金田一のモデルは菊田一夫である」と書いたことの補足。マンガの金田一、口ひげは口の端に生えているが、菊田一夫の著名な写真はたいてい鼻の下のちょび髭である(小鹿番が菊田一夫を演じる時もそのスタイル)。 けれど、若い頃の菊田一夫は、マンガのように口の端にヒゲを蓄えていたのだ。そのあたりもつのださんの「こだわり」が見えて面白いのであった。……金田一は和服じゃなきゃ、と思いこんでる原作ファン、偏見を捨ててちゃんと読んでみたら?
DVD『マジンカイザー』1巻『激闘! ダブルマジンガー』。 兜甲児、石丸博也です。 弓教授、八奈見乗児です。 あしゅら男爵、柴田秀勝&北浜晴子です。 ドクター地獄(ヘル)、富田耕生です。 それだけで、もう往年のファンならば、いや、そうでなくても、本物の「声優」の演技を求める方ならば、必見の作品でしょう。 ここで、どうして弓さやかは松島トモ子じゃないのかとか、せめてボスは大竹宏にしてほしかったとか言っちゃいけません(原作じゃボスは女言葉喋ってないんだよ)。継続して起用された声優と、リニューアルされた声優の間には、それなりの理由があると考えられます。より原作のイメージに近く、という今回の新作のコンセプトに沿った改変なのでしょう。 まあ、大半は「トシ取っちゃったから」というのはあるのでしょうが。 脚本ははっきり言って、定番に流れすぎてかえって盛り上がりに欠ける面はあります。というか、ピンチになったらお助け、ピンチになったらお助けのパターンの繰り返し過ぎで、工夫に欠けてます。 しかし、旧作よりも遥かに永井豪の当時の絵柄に近いキャラクターデザイン、テレビシリーズでは部分的にしか描かれなかった「機械獣軍団」の描写、何より「血を流す(ように見える)ロボット」としてやっと映像化されたマジンガーZとグレートマジンガー。 脚本の陳腐さを補うにあまりあるものがあります。ああ、でもバードス島のシーン、あれだけ原作どおりにやるのなら、ドクターヘルの「アレキサンダーが、ジンギスカンが、ナポレオンが果たそうとして果たせなかった野望、世界征服! それをこのドクターヘルが、機会獣軍団とともに果たすのだぁぁぁ!」ってキメゼリフも言ってほしかったなあ(それに近いセリフはあります)。 ……でも新ロボット、マジンカイザーのあのデザイン、もちっとなんとかならなかったのか。ゴテゴテしすぎなんだよなあ。
2000年09月24日(日) ○○と○○はどちらが臭いか…汚ねえな/『いつも美空』1巻(あだち充)ほか
2001年09月23日(日) |
行間を読んでね/映画『ラッシュアワー2』&『ファイナルファンタジー』 |
オタアミ当日まであと62日!
うああああ、また『パワパフ』見損なっちまった~い! こうなったら10月からのキッズ・ステーションでの再放送を丹念に録画していくしかないなあ。……どうかオープニングもカットされてませんように。
テレビ、『仮面ライダーアギト』34話。 ……34話にしてはじめて、お互いがアギトでありギルスであることを翔一と涼は知る。 引いたなあ。いや、ここまで引くたあ思わなかった。でも、引いたワリにお互いの葛藤が全然ないのな。翔一をああいう能天気キャラにしたのはドラマ的にはやっぱり失敗だったんじゃないか。「お前に亜紀が殺せるわけないものな」って、真魚も自分の父が翔一に殺されたのかもって疑問をすぐ捨ててたし、こんなに簡単に信頼させるなよ。 「おまえが犯人だ!」 「違う」 「そうか違うのか、ゴメン」 なんてやりとりをミステリで書いたらバカって思われるだろう。謎の伏線の張りかたってのを、過去の作品読んでちったあ研究しろよ、井上敏樹。 エルロードを初めとして、アンノウンが喋り始めたのは諸刃の剣になりそうな気はするが、今のところは成功している。 セリフが陳腐に流れさえしなければ、アンノウンの「知性」が、人類を淘汰する「資格」として機能することが視聴者にも理解しやすくなるからである。……このまま黙ってるだけじゃ、ただのケダモノで終わっちゃうところだったからね。 10月1日は夜7時からスペシャル放送か。2時間くらいやるのかな?
続けてテレビ『コメットさん』第26回『星力をください』。 先週で一つハードルを越えたのか、今回の姉弟話は少しトーンダウンして、テーマもなんだかありきたり。 つまりはミラとカロンが安易に星力を使うため、サポート役のラバボーが疲れきって、星力の源である星の子たちも言うことを聞かなくなる。 だからお掃除くらいは自分でやりましょうって結末なんだけど、このネタ、横山光輝の原作にしっかりあるのな。 だったらやっぱり、原作横山光輝って入れといた方がいいと思うけどねえ。
『サンデープロジェクト』、電話アンケートを行って、日本のアメリカの軍事行動への支援に賛成するかとの質問に対して、賛成・反対がほぼ半々。 アメリカが90%賛成に比べりゃ遥かに冷静ではある。 アメリカは完全に狂っちゃいるが、まあ、テロ受けて冷静でいるのもかえって不自然だから、アレはアレで傍目でフフンと笑ってやってりゃいいのである。 相変わらず社民党の辻本清美、現実を見ているようで自己矛盾した言質を繰り返している。 「後方支援だけと言いながら、その補給線を断つために攻撃されたらどうするんですか!」 つまりは、だから自衛隊は派遣すべきではない、と言いたいらしい。 安部晋三も相変わらず守勢一方、かつ要領を得ないので、辻本さんの方がマットウなこと言ってるように聞こえちゃうんだが、国際協力をしない、ということは、自分たちがテロの犠牲になっても、他の国に助けを求められないってことにもなるのだ。 ……だったら、自衛隊を正式に「軍隊」にせざるをえなくなっちゃうじゃないの。辻本さん、自分の意見が「軍隊肯定」にもスライドしちゃうってことに気づいてないのな。 も一つ言えば、その補給線を断たれないために、今、アメリカは周辺諸国に協力を要請し、タリバン政権を孤立させようとしているのだ。そして、協力した国の軍が被害に会わないための措置が完全に取られなければ、報復行動だって取りようがない。そんな状況で、どうやったら補給線を断てるというのか。 非現実的なことを言ってるのは辻本さんの方なのである。
アメリカの独走に諸外国もようやく危険を感じ始めて、協力体制をやや「下方修正」しつつある。ロシアは「救援協力だけ」と言い出したし、中国は「報復は慎重に」と、少しセーブをかけている。アメリカだって、ハデなことをやって、自分のほうが悪者にされることは避けたかろう。意外と日本に対しても「憲法の範囲を越えて」の協力要請はしないのではないか。 後方支援くらいに留めておけよな。
しげ、練習に出かけるときに、昨日、シネリーブルで買ったばかりの『カウボーイビバップ』のTシャツを着ていく。 胸にアイン(ビバップ号で飼われてる天才犬ね)をプリントしてるのだが、しげ、「エドのがない」と嘆いている。 ……まあ、エド単品で売れるもんでもないと思うが。
私は私で、しげのデジカメを借りて、個人ホームページ用の写真を撮影しようと出かけたはいいが、2、3枚撮影しただけで、「メモリーが足りません」と表示が出る。 ……メモリーの入れ替えってどうするんだよう、それくらい教えとけよう。
某サイトで「ここは美味い!」と紹介されていたラーメン屋に行く。 悪口になるのを承知で言えば、戦後生まれの福岡・博多の人間にラーメンの味が解るのかねえ、という思いが私にはある。 何度かこの日記にも書いたが、「博多=とんこつラーメン」という図式が出来たのは戦後のことだ。 戦前からの博多人は、とんこつスープみたいな下卑た味は好まない(私ゃ戦後生まれだけど、先祖代々博多人だから、感覚的には戦前人なのよ)。 とゆーか、普段、「ラーメン食う習慣」自体がないのだ。 「ラーメン=不味い=でもとりあえず安いから食う」それ以上のものではないのだ。とりあえずとんこつ、ハラは膨れるからな。 で、美味いという評判のその店だったんだけど、トンコツの臭みを唐辛子で誤魔化してるだけのシロモノ。アイデアは買うが「美味い」という感覚とは別のものだ。カレーじゃねーんだから、辛くすりゃいいってもんじゃね―の。 しかも値段がバカ高い。あれで300円くらいならガマンもするが、680円も取るな。客をバカにしてるよ。他にもいろいろ言いたいことはあるが、ラーメン屋を特定されても悪いからこのへんにしておこう。 ……っつーか、行くまで忘れていたが、ずっと以前、やはり「評判の美味い店」ということを聞いて、しげと一緒に行って、「二度と行くか」と決心した店だったよ、そこ。 広島人のしげにとっても、そこはたいして美味い店じゃなかったのだ。 でも、昼飯どきになると結構そこにヒトが並んでるのな。味覚を唐辛子で麻痺させられただけで美味いと感じてるんだから、博多人の舌バカぶりもここまで来たかなあ、という感じである。 「味は好き好きだ」とおっしゃる方はあろう。唐辛子が好きな方には美味しく感じられるのかもしれない。しかし誓っていうが、これは決して「博多人好みの味」ではない。 ……その店、昔はその辺で唯一の本屋だった金文堂の後にできたんだよなあ。上の階が小さなミニシアターでさ、そこで私ゃ山中貞雄の『右門捕物帖一番手柄 南蛮幽霊』なんてのを見たりしてたんである。無声映画時代のアラカンの殺陣は素晴らしいの一言に尽きた。 そこが今や、味オンチが列をなす情けない店に成り果ててるんである。 ある意味、博多の顔であったその街が、どんどん文化果つるトコロになっていくんだと思うと、いっそのことラドンでもキングギドラでも飛んで来てふっとばしてくれと言いたくもなるのよ。(T-T) グスッ。
天神のベスト電器『LIMB』で、予約しといたDVDをいろいろ買い込む。 先月買った分も見切れていないのだが、ともかく『ハレのちグウ』を早いとこ見たかったし、『明智小五郎シリーズ』も、買いそびれると来月は一気に6枚も買わねばならなくなるのだ。今月に買っておくしかない。
吉塚のパピオで、しげと待ち合わせ。 劇団のみんな、今日はほぼ全員が揃っている。相変わらず藤田(兄)は姿を見せていないが。 彼がいない時はたいてい新しい彼女ができたときと相場は決まっているので、またシツコク迫ってドジをやらかしてそれでも諦めきれずに「ボクなんてどうせ」とかなんとか言って拗ねて見せたりしてるのであろう、多分(いや、絶対)。 否定できるなら否定してみい(^^)。
もう役は降りたので、練習に関して文句はつけない。 というか、文句つけてもしかたがない。 今まで練習中、「この場ではこの人物をどう見せたいのか」ってことを聞いても、みんな、殆ど何も考えてなくて、暖簾に腕押しだったのだ。やる気が殺がれても、なんとか自分を鼓舞してきた。入院したのだって、はっきり言って、舞台のために体調を整えたかったからだ。 いいか。 私は今度の芝居のために、仕事を休んでまでカラダを整えようとしたのだぞ。 それがもう、真っ先にしげに裏切られた(そのあたりの過程は、8月の日記に書いた)。 ヒス起こすばかりで、真剣に芝居に取り組む気なんかこれっぽっちも見せやがらなかったのだ、あいつは。 もう私は、椿三十郎じゃないが、「テメエのケツを切られちゃかなわねえ」って気分になっちまったのである。
……みんな、本当に芝居をやりたいのか? 別にクソマジメにやることはないのだ。宮本武蔵みたいな求道精神でものごと全て解決できるんなら、日本は戦争にだって負けてないってことになるし。遊んで、楽しんで、芝居を作って全然かまわないのだ。 でも、仲間の足をひっぱって平気なヤツと芝居は作れない。私はみんなを仲間だと思うからこそ、役を降りた。降りるしかなかった。 役を降りてもう2週間にもなるが、未だにしげはきちんと謝ってない。私はしげを今でも仲間だと思っているが、しげの方はなんとも思っていないのだろう。
役に取り組む、芝居を作るってことの意味ってなんなのだ? それをもう一度みんな、考えて見る必要がないか? これは役者として未熟だとかプロじゃないから、とかいう次元とは全く関係のない話だ。 例えば、殺人者の演技を行うのに、舞台上で本当に殺人を行うわけにはいかない。しかし、観客には本当にそこで殺人が行われているように錯覚させねばならない。そのためには何をどうしたらいいかを考える。 それが、「芝居を考える」と言うことだ。 それを、誰も考えようとしてないのだもの。 「本気じゃない」と言われて腹は立つかもしれないけれど、事実だよね? それとも、感情的にならず、きちんと反論はできるのかな?
先日、鈴邑くんが劇団ホームページに「くだらない なにもかも」と書きこんでいた。私は諸事情で掲示板の方に書きこむわけにはいかないので、メールで「どうしたの?」とその日のうちに問い合わせのメールを送った。 鈴邑くんからも、簡潔に返事のメールが届いた。
今日、鈴邑くんに会ったときも、私は「どうしたの?」と聞いたが、「メールに書いたとおりです」とだけ鈴邑くんは答えた。 後はもう質問をする必要はない。 私と鈴邑くんとはそういう会話をしたが、劇団のメンバーは、日記にも掲示板にも何の反応もしなかった。多分、メールも送ってはいまい。
鈴邑くんは、「役を降りられたんですね」と私に聞いてきた。 「約束、破られたからね」と答えると、鈴邑くんは「ウチなんてしょっちゅうですよ」と言って笑った。 「5回も6回も破られたら、さすがにもうダメだね」と言って、私も笑った。 笑ったつもりだったが、声には出なかった。
つまり、そういうことである。
みんなと別れて、しげとキャナルシティまで。 福家書店を冷やかして(のつもりだったが、結局何冊も買い込む)、腹を減らしたしげに、トンカツを食わせる。 時間の余裕があるので、映画のハシゴが久しぶりにできそうだ。
AMCで、映画『ラッシュアワー2』を見る。 福家書店に割引券が置いてあったので、しげと二人で600円のおトク。 まあ、パンフレット代にはなったな。 50歳になろうってジャッキーが、未だにアクション映画を撮り続けていることに素直に感謝。 クリス・タッカーが中途半端にアクションが出来るのが邪魔だけれど(コメディとしてコントラストを付けるつもりなら、タッカーは絶対に口先だけの軟弱男にしなきゃウソだ)、1に続いて、いきなり冒頭で展開される「追っかけ→ぶら下がりギャグ」の連続、「これがジャッキー映画さ!」と思わず膝叩き。 この間「ギネスブック2001」を立ち読みしてたら、ジャッキー・チェンは『スタントを使わずに最も数多くの映画を撮った男』として記録されてた。オマケに「あまりに危険なため、ジャッキーの保険を引き受ける会社は世界中のどこにもない」だって。 まあ、確実に怪我するって解ってる契約だものなあ。 ああ、でも、今回は女優陣が特にいいぞ。 中国マフィア役のチャン・ツィイー、芝居が臭いんで、普段は美人に見えないが、アクションシーンになると俄然生える。 ああ、ああいう美女に思いきり踏まれてシバか……ああ、ゴホン、今、何か聞こえた? 幻聴かな(^.^;)。 クール・ビューティーの系譜自体は長い伝統があるけれど、テキの女ヒロインがアクションも出来るってのは、007シリーズだって、結構後期になってからだ。『美しき獲物たち』のグレース・ジョーンズあたりからかな。 それが今回は東洋美女ってんだから、『2』がアメリカで『1』以上にヒットしたっての、ツィイーの貢献度もかなり高いと思う。 ……なんで殺すかなあ、もったいない。『3』にも復讐戦として出してやればいいのに。いや、死体は見せてないから今度はサイボーグ美女として……ああ、いやいや、ウソです、ゴメン。 ワリを食ってるのがジョン・ローン。 一応、悪のボスなのにね~、その「仕掛け」がまるで効いてないしね~、アクションできない分、演技でなんとか、と思ったら、『ラストエンペラー』の頃の演技力はどこへやら、『キングコング』のチョイ役出演の頃のクサイ演技力にまで戻っちゃってるしね~。でもそっちの方が受けるんだろうなあ、単純バカのアメちゃんにはよう。 東洋人がアメリカ人演技すると、どうしてもムリがあるんだよねえ。ジャッキーが今までアメリカで受けなかったのは、かえってアメリカ的なクサイ演技をしてこなかったこともあると思う。 ……ウソだと思ったら、過去のジャッキー映画見返してみな。動きそのものはハデだけれど、「演技」そのものは感情を過剰に発露しない、抑制の効いたものだから。 ジャッキーの真価、日本でだってまだまだ正当に評価されちゃいないよなあ。 恒例のエンディングNG集、アクションやセリフのトチリに加えて、今回はハプニング編もあり。 撮影の真っ最中にクリス・タッカーの携帯に知人から電話がかかって来る。 「撮影中だよ、ジャッキーと」 電話の向こうで相手が何か言ったらしく、眉間にシワを寄せるクリス。スッと、ジャッキーに携帯を差し出して、 「……ジャッキーに代わってくれって」 うーむ、スター同士の軋轢がNG集にまで(^_^;)。
少し間が空いたので、ケンタッキーで夕食。 芝居に出ないとなると、カロリーにも気を使わなくなってくるなあ。 せっかく少し痩せたんだし、もちっとだけカロリーコントロールがんばってみてもいいのだけれど。
ハシゴ2本目、9時以降なのでどの映画も1000円興行。ホントは『仮面ライダーアギト』をちょっと見てみたかったのだが、これだけレイトショーはなし。 で、結局見たのが映画『ファイナルファンタジー』。 『FF』も『ドラクエ』も一度もプレイしたことがない人間がこの映画を云々言ったりしたらお叱りを受けるかもしれないが、脚本が徹底的にクズだと、誉めようがありませんがね。 あの、八つの精神体を集めることが地球を救うことになる理由の説明が全くないのは何故なの? キャラクターがステロタイプと言うより、陳腐の一言に尽きるのはアメリカ人の知能程度に合わせたってわけ? CGがどこまで自然かってのは、もうあまり論議しても仕方ないって気がする。要するに、受け手の想像力に喚起する要素があればいいわけで、あれを「まだまだだ」って批評するなら、『ジュラシック・パーク』だって、『トイ・ストーリー』だって、当時から「まだまだ」だった。アニメを未だに「実写じゃないから」劣る、なんて言ってる連中もいるんだぞ。 っつーか、この映画の問題点、CG技術をどう評価するか、なんてところにあるわけでは全然ない。 この映画自体がCGで描く必要が全くないってことにあるんだよ。 昭和38年のテレビ紙芝居『鉄腕アトム』にだって、我々は感激し感情移入していたのだ。今現在、皮膚のきめ細やかさは表現できても、その重さ、柔らかさまで表現しきれていないのを「欠点」と呼ぼうと、CGが更に進化、将来、ホログラフィーの映画が作られるようになれば、「昔の作品だから、技術的に劣ってることを云々したってしかたがない」ってことになるのだ、きっと。 そろそろ、ポルノCGがどこかで作られるころなんじゃないかな。 パンフレットが売り切れだったので、そのうちまた買いに来なけりゃなあ。
帰宅して、DVD『ハレのちグウ』1巻をしげと二人で見る。 私は結構面白かったのだが、しげにはイマイチのよう。 今日見た映画も、しげは『FF』の方が『ラッシュ2』より面白かったとか言ってるし、なんかトチ狂ってるんじゃないか。 まあ、ストーリーが破綻してるって点ではどっちもどっちだが、「映画の方法論を間違えてる」『FF』のどこに評価を与えればいいというのか。 「前よりCGが凄くなってるんだよ」 ああ、そうかい(-_-;)。
2000年09月23日(土) 昼寝とDVD三昧の一日/映画『スリーピー・ホロウ』ほか
2001年09月22日(土) |
気がついたら食ってばかり/映画『カウボーイビバップ 天国の扉』 |
オタアミ当日まであと63日。
ああ~ああ~ア
今日はホントはお仕事がぁ、お休みだったのはずなのにィ~
半ドンだけど休日出勤
デートの予定が潰れたよ(シュビドゥワー)
最初の予定じゃエルガーラでぇ
押井守の公演をぉ 見に行くつもりだったのさァ
福岡結構好きなのかなァ
押井は毎年福岡に来るよ
だけど去年も行けなんだァ 今年も仕事で行けなんだァ(パパパヤ~)
縁がないのか押井とはぁ あってどうする楽しいか
だいたいデートと言っときながらァ
行くとこみぃんなオタクのイベント
しげの眉間にタテジワ走る
それでも出かけるオタクのイベント
しげは泣く泣く煙は残る
来年こそ行くぞオタクのイベント
押井に会うぞオタクのイベント
とか言ってるけど来年来るのか押井
いやいや来ると信じるぞ
それがオタクの生きる道ィ
冥府魔道に生きる道ィ(すちゃらかちゃかぽこ、ちゃかぽこ、ちゃかぽこ……)
え~、なんだか書いててすごくアホらしくなって来ましたが、まあいいや(^_^;)。 つまり、今日は福岡アジア映画祭のイベントで、『うる星やつら2ビューティフルドリーマー』から『アヴァロン』に至るまでの押井作品上映、あるいはデジタルアニメの上映に関連させて、押井守と福岡在住の評論家兼小説家、友成純一の対談イベントがあったわけです。 行きたかったんだけどね~、勝手に予定入れられちゃったしね~。仕事に文句つける気はないけどさ~、もちっとこちらの事情も考えてほしいなって思いはするんだよね~。 この「福岡アジア映画祭」、毎年開かれていて、日頃見られない中国、韓国はおろか、タイやネパール、バングラデシュ、モンゴルなんかの映画まで見られるという、ちょっとシブいけれども面白い企画なのです。 けれど、上映本数が多いワリに、開催期間自体は短くて、全作品見るのは、ほぼ不可能だという大きなネックがある。 あのね、平日の昼しか上映しない映画なんて、誰が見られるのよ(-_-;)。 期間を延長するか、ゴールデンウィークや盆の時期に上映するかどうかしてもらいたいんだけどねえ。
職場からの帰り道、ちょうど車で通りかかった同僚に、「乗っていきませんか?」と誘われる。 本当は運動がてら途中まで歩いて、適当なところからタクシーに乗ろうと考えていたのだ。しげと『カウボーイビバップ』を見に行く予定なので、少しでも早く家に帰りつきたかったし。 けれど誘われて断るのも悪いなあとつい乗りこむ。 「バス停まででいいですね?」 ……あの、バス停って、50メートルも先にないんですけど。 乗せてもらってる以上は「はあ」と答えるしかない私。30秒と立たずにバス停につく。 でも歩いたって、1分ちょっとしかかかりゃしないのだぞ。それでも同僚は親切のつもりなのだろうか。よく解らない。 礼を言って車を降りた途端、タイミングよく(悪く?)バスが来てしまった。ここでバスを見逃してタクシーに乗るのもヘンに思われるだろう。仕方なくバスに乗りこむ。 行き先は博多駅で、ちょうど『ビバップ』はそこで上映している。 ……こりゃもう、博多駅でしげと待ち合わせるしかないか。
「シネリーブル博多駅」、上映中の作品は『魔王』と『ビバップ』。……あれ? 確か和田誠の『真夜中まで』も上映してたはずじゃ……。 と思っていたら、昨日まででもう終わっていたのだった。しまったなあ、結構見たい映画だったのに、見逃してしまった。 電話で呼び出したしげも、30分ほどして辿りつく。 時間は1時50分。ちょうど『ビバップ』が始まる直前だったので、館内に入ろうとしたら、「満席のため、立ち見になります」とのこと。公開一週間が経ってるというのに、結構ヒットしているようだな。善哉善哉。 次回は4時10分から。それまでカラダが空いたので、姉の店まで顔を見せに行くことにする。
今日はオヤジの誕生日。もう今更トシのことは言われたくはなかろうし、本人もしょっちゅう「老い先短い」などと言ってはいるが、実はあと10年生きたって、平均寿命には届かないのだ。 父のことをこういうときに独善的だなあと感じるのは、70歳、80歳になっている人のことを思いやっていないからだろう。たとえあと何年かしか生きられないとしても、今どう生きるかってことを誰だって考えているのに。
父へのプレゼントは、さっき博多駅の地下の怪しげな店で買ったディスプレイ・ライト。 しげがプレゼントを選ぶときは、何週間も前から天神やキャナルなど、色々な店を回って、めぼしいモノにいくつかアタリをつけ、私に「どれがいいかなあ」なんて相談して、店から店へと引っ張りまわし、そうしておいて「買うのはもうちょっと後でね」なんて言いやがって、誕生日の直前になってようやく買うという、むちゃくちゃな手間をかける。 それが私の場合は時間が殆ど30分とかからない。 情がないと言われりゃそれまでだが、プレゼントなんて、相手が喜ぶかどうかも解らないものを押しつけるのだから、あまり深く考えたってしょうがないと思っちゃうのである。 ついでに、小さなコーラの瓶に入ったアロマテラピー(要するに芳香剤じゃねえか)がおもしろかったので買う。これはトイレでフタ開けときゃいいか。
店でプレゼントを手渡すと、父、封も空けずに喜ぶ。 「ああ、お前にも渡すもんがあるけん」 と言って父が持ってきたもの。 「北海道もぎたてとうきびチョコ」。 「……なに、これ(・・;)」 「こないだ北海道に行って来たったい」 ……行って来たって……いつの間に。人が知らんうちに、ホントにあっちこっちで遊んでやがるよなあ。先日会ったのが15日で……一週間しか経ってないっちゅーのに。
昼飯、博多駅交通センター8階の「大韓苑」で焼き肉。 もちろん「焼肉が食いたい」と言ったのはしげである。たいていの焼肉屋、ロースやカルビが中心になっているものだが、この店のメインはハラミ。 カルビよりも柔らか味があって美味いが、赤身だったら並でも特上でも文句ナシのしげに区別がついてる様子はない。 ……美味しいものの店を食べ歩きするってのも結婚前の夢だったんだけどなあ。肉でさえあれば後はどうだっていいんだもんなあ。ぐすぐす。
映画『カウボーイビバップ 天国の扉』。 テレビシリーズはその世界観、キャラクターの魅力、各話のバラエティーさ、ディテールに至るまで、ここまでのクォリティがよくぞテレビで、と言いたくなるほどの傑作だった。 それの映画版でっせ、期待はしようってもんじゃないの。 なのに出来がねえ……。 いや、作画は最高ですよ。多分、今の日本の、というより世界のアニメのトップレベルにあると言ってもいいくらい。 けど、ストーリーがあまりに陳腐。 『機動警察パトレイバー2』プラス『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』プラス『アヴァロン』÷3ってとこかなあ。今回の主要キャラのヴィンセント、『パト2』の柘植のパクリだって言われてもしかたないくらい設定が似てるぞ。 ナノマシーンの実験台に使われ、記憶を失った男の復讐劇ってのがストーリーの骨子だけど、それだけだとSFにする意味があまりないんだよなあ。普通のテロものじゃん。 パンフのインタビューで監督、「テレビシリーズを見ていない人にも解る話作りを」って言ってるけど、結局テレビの番外編にしかなってないじゃんか。「映画を作る」ってことの意味が肝心なところでわかってないんじゃないかなあ。 キャラクターの、特に主役のスパイクの目的意識が充分に描かれていないから、読者はなかなか感情移入できない。だいたい、テレビの最終話まで見ないと、初めて見る人にはなぜスパイクがあそこまで事件に関わっていくのか理解不能じゃないかよう。 ただの賞金稼ぎなら、テロを前にすればケツ捲って逃げるはずだし、「借りを返す」って、言ってるけど、何がどう借りなんだ? 全く説得力に欠ける。 やっぱり、スパイクはいつだって死にたがってたのだ。 テレビシリーズを見ていてそこまで気づいておかないと、イチゲンさんには「なんだこの映画は?」ってことにしかならんのじゃないか。 シメのセリフも「あなたのいる世界はホンモノですか」って、使い古された不可知論。質問の意味まで考えて書けよ、脚本家。
帰り道、しげが唐突に「『火星人刑事』面白かった?」と聞いてくる。 新登場キャラのイザベルもインパクトが弱かったし、昔ほど面白くはないなあ、と言ったらしげも同感のよう。 「いろいろシバリが多くて本領発揮できないんじゃないか」と言うと、しげは「面白いからいいと思うんだけどなあ」と不満のよう。 この「おもしろけりゃいい」というコトバを世間のマジメ人間はすぐ「だったらヒトを傷つけてもいいのか」と置き換えてしまうのである。そういうやつらに限って、自分がコトバの欺瞞を行っていることに気づいていない。 作者はもちろん「面白い」ものを書こうとしているのだが、読者が絶対に「面白く」反応してくれるわけではない。同じように、全ての読者が「傷つく」ようなこともありえないのである。 この「ありえない」ことを前提に自分が絶対的に正しいと主張するマジメぶりっこの既知外がどれだけ多いことか。出来あがった作品を批判することはもちろん自由だが、その表現活動を制限しようとすること自体がファシズムだってこと、もちっと声高に言ってやってもいいと思うんだが。
夕食は近所のCOCO壱番屋で、しいたけの肉詰めカレー。 しげも同じものを頼むが、「最近しいたけの肉詰めがはやってるね」と言われて、キョトンとする。はて、そんなもんがはやってたっけ。 「あ、茄子の肉詰めだった」 ああ、最近コンビニで売ってるやつのことか。それにしても、別にしげが好きで食ってるだけで、それは単にマイブームって言うんじゃないのか?
しげに今日から日記を付けさせることにする。 あまりにもしげの物忘れがひどいので、「備忘録」を付けろと言ったのがことの始まり。私が自分のこの日記に好き勝手なことを書いているから、しげの反論の場がないとなあ、ということもある。 もう一つ言えば、「少しは文章の練習をせい」と言うこと。 日頃の喋りを聞いていても、コトバとコトバの間に脈絡がなく、「いつ、どこで、誰が、何を、どのように行ったのか」が全然解らんことも多いのだ。 日記を読んで、「これ何のこと? という疑問があったら、読者の方々にも遠慮なく突っ込んでいただきたい。
エロの冒険者さんから、AIQのパティオのパスワードを教えてもらう。 AIQのヒミツの会話は、ここで自由に出来るわけだ。なんとなく会員制のヒミツクラブに入ったようでワクワクしてしまうが(おいおい)、クセになっちゃったらどうしよう。って何がだ。 ところが、何度パスワードを打ちこんでも全然中に入れない。 半角全角、色々変えて試してみるが、効果は全くない。 パ、パソコンに嫌われているのだ、ネットが私の秘密を嗅ぎつけて、私を拒絶しているのだ。 思わずしげに聞こうとしたが、既にしげはグースカ寝てしまっている。 30分ほど格闘してついに諦める。 ……認めたくないことではあるが、『電脳炎』のパソコンオンチの課長さんと自分とが自然にダブる。ひいんひいん。
冷蔵庫を覗くと、しげが買ったまま手付かずのオニギリが残っていた。「あれは私のだからね。絶対食べちゃダメだからね」とさんざん念を押していたやつだが、キレイさっぱり買ったことも忘れているのである。 もう賞味期限、二日も過ぎてるのになあ。 もったいないので仕方なく食ったが、既に米は硬くなっていてパサパサで美味くもなんともないのであった。 ……これだから「備忘録」が必要なんだってば(-_-;)。
2000年09月22日(金) 徳間ラッパ逝く……/ドラマ『ケイゾクFANTOM 特別編』ほか
2001年09月21日(金) |
子供のころは本屋さんになりたかったのさ/『多重人格探偵サイコ』7巻(大塚英志・田島昭宇)ほか |
天神ビブレ2の跡地に、大型書店、ジュンク堂が進出することになったとか。 四階分のフロア、150万冊を越える売り場面積は文句なしに福岡最大となる。 活字中毒、マンガ中毒であるこの身であれば、本屋の数が増えることは単純に嬉しい。客の食い合いで潰れる本屋も出るのではないかとの危惧もあるようだが、そんなことを言ってたら、東京神田の神保町はどうなるのだ(ジュンク堂は天神を福岡の神保町にしたいのだとか。だったら古本屋も建てろよ)。 要は、それぞれの本屋がいかに個性を打ち出すかという点にかかっているのである。実際、私もコミックスを探すときはまず、小さいけれども天神かキャナルの福家書店に行くし。演劇関係の本を探すなら、博多座の紀伊國屋だな、やっぱ。 でもこの二箇所だって、フロアの面積に対して、どんな本を置いて行くか、改善の余地はまだまだあると思う。 映画関係のコーナーはどこも似たり寄ったりで、ここでなら、という本屋がない。結局、何軒かをハシゴすることになる。 つまり「専門の」コーナーにどの程度の質と量を裂いているかがポイントになるわけ。どんなに大型店でも、「一通りはある」だけじゃアウトなんだよねえ。 実際、天神地区だけでも、三越の八重洲ブックセンター、福岡ビルの丸善、天神コアの紀伊國屋書店が凌ぎを削っているのである。そこへジュンク堂が殴りこんでくるわけだ。しかもDVDコーナーを作ったりしている紀伊國屋と違って、あくまで「本のみ」で勝負すると言う。それだけ勝算があるということなのだろうが、さて、ほかの本屋に更なる営業努力をする心積もりがあるかどうか。 以前はよく通っていたショッパーズプラザのリーブル天神、アニメイトが撤退して全く行かなくなったが、位置的に北に離れていることもあり、あそこはちょっと苦しいのではないか。近くの「まんだらけ」で見つからなかった古本をリーブルの新刊書でやむなく買って帰るってことはできるけれども。 売り上げベストテンを紹介する、ポイントカードを作る、特定の作家をフィーチャーする、サイン会等のイベントを行う程度のことはどこもやるだろう。でも、肝心の「本」はどうか。これは全ての本屋に言えることだが、新刊書はともかく、ちょっと古くなった本だと今はまず手に入らない。結局あちこちの「BOOK・OFF」を渡り歩かねばならないことになる。そこが狙い目なのではないか。 各出版社だって、夏になると「名作フェア」とか「なんとか文庫の名作100」とか称して、カビの生えたような旧作をカバーまでリニューアル、学生さんをだまくらかして売っているのだ。本屋だってそういうことをやって悪いってことはない。 天神の福家書店がマンガ『蟲師』を「立ち読みオーケー! 気に入ったらぜひ買ってください」と見本を置いてくれたりしてるのは嬉しいかぎりなのである。 東京の本屋にあって、福岡にないコーナーは、雑誌のバックナンバーばかりを集めたフロアだ。あれは面積を食うワリにそうそうハケるというわけでもないので、敬遠する本屋が多いのも解るが、それをいかに売るかが企業努力というものではないか。「ここでしか買えない」という信用を作ることの方が、長い目で見れば顧客を離さぬことにつながると思うのだが。 ……昔は本屋になりたかったから、こういうことまで色々考えちゃうのな。古本屋と貸し本屋と新刊書をいっぺんに売る本屋があればなあ、なんてことも考えてたんだが、ここに「貸し本」ってのが入ってくるあたり、世代がバレバレなのだな(^_^;)。
仕事を早目に切り上げて本屋回りをしたかったが、仕事が押して結局は定時に職場を出るのが限界。いや、ちゃんと仕事はしましょう。万国の労働者諸君(^.^;)。 帰宅が遅れそうなので、行きがけに「まるちゃん」でうどんを食う。 先日行った、具のトッピングができる店だ。掻揚げやイカゲソ天を乗せてもせいぜい5、600円というのは実に安い。ネギは乗せ放題だし。 ……で、つい食べすぎちゃうのな。最近、体重計に乗ってないけど大丈夫だろうか。
近所の本屋に寄ってみると、もう少年ジャンプが出ている。 ……あれ? 発売日が早まったのかな? 一時的なものか、それとも休日にじっくり読んでもらおうという措置のつもりか。 『ヒカルの碁』、中国での伊角編が続いていて、ヒカルたちの出番は全くなし。何だか佐為を復活させるための場つなぎじゃないかって心配ばかりが先に立って、マンガ自体に今一つ入り込めない。 アニメ化がどうのこうのより、佐為が安易に復活することだけは絶対止めてほしいと思っているので、伊角が復活しようがしまいがどうでもいい気になっているのである。 ……伊角ファンの人、多いだろうなあ。いや、そういう熱心な方々をべつにテキに回す気はないんだけど。
博多駅の紀伊國屋、メトロ書店を回って本をしこたま買いこむ。できるだけ文庫で本は買うようにしてるのだけれど、今月は買いたい本が単行本で目白押しなのである。ちょっとセーブしないと、またぞろ月末に苦しむことになるので、何冊かは購入を断念。 と言いつつ、『エボリューション』の前売券をチケットぴあで二人分買う。……まてぞろ初日に行くことになるんだろうなあ、ダン・エイクロイド、脇役だってえのに。
帰宅すると、しげが開口一番、「なんか食ってきたんやね」と恨みがましい目でこちらを見る。 「今日は買いものをするから遅くなるって言っといたやん」 それでもしげ、プイ、と横を向く。 一緒に出かけないか、と誘ったのに「めんどくさい」と言ってついて来なかったのはしげなのに、そうやって文句をつけるのだよなあ。 要するに前に断っておこうが、自分にとって気に入らないことをされたと思うと機嫌が悪くなるんだなあ。
予定では今晩9時15分から、山田風太郎の『警視庁草紙』が原作の金曜時代劇シリーズ、『からくり事件帖』が始まる予定だったのだが、例のテロ事件のせいで一週遅れている。 この金曜時代劇シリーズ、いつも渋好みの原作使ってるわりには演出がどこか中途半端でまあまあの佳作はできても異色作や傑作はできない。だから余り期待しちゃいないのだが、山田風太郎が毎週テレビで見られるってのはそうそうあるこっちゃない。全9回だそうだから、録画しそこなわないようにしたいんだが、『びいどろで候』も『十時半睡』も『新・半七』も『柳橋簿嬢』も全部途中で飽きちゃったし、どうなることやら。
マンガ、大塚英志原作・田島昭宇作画『多重人格探偵サイコ』7巻(角川書店・610円)。 うわあ、今はマジでやばいぞ、このマンガ。 連載続けられるかなあ。来週あたりから中断されちゃいかねないぞ。 今までだって残酷描写が多くて物議は醸していたのだけれども、今回特にヤバイのは、ジャンボジェット乗っ取って豪華客船にぶち当てるって話がメインになってること(^_^;)。さすがにちょっとタイムリー過ぎるね。 ……あれ、ホントに、誰でも思いつく作戦なんだよねえ。だから前代未聞なんて言うなよって。 角川は「自粛」なんてコトバとは比較的縁がない出版社ではあるけれども、それでも微妙な修正を要求して作家との間にトラブルを起こすこともないわけではない。 7巻はギリギリ事件直前に発売されたから助かった感じだけれども、 謎が少しずつ解けていく感じだけれど、同時にどこか迷走しつつあるようにも見える。 「人格転移」って設定、あまりリアルに説明する気はないのだろうけれど、少なくとも「なぜそんな実験をガクソが行っているのか」ってことについては、あまり「ただ知的好奇心のおもむくままに行動してきた」って説明だけでシメにしちゃうのは、安易だと言われかねない。人間の文化が目的のための目的、手段のための手段だけで発展してきたことへの揶揄なんだろうけれど、そんなの「誰にでもわかっていること」なんだって、大塚さん気がついてるのかなあ? そんな「説明」をまんま提示したって、「ドラマ」にゃならんよ。あまり自分の「思想」で物語を作ったりするもんじゃない。 おかげでルーシー・モノストーンの登場もそれが事実であれ嘘であれ、あまり気にならないのである。
マンガ、安永航一郎『火星人刑事(デカ)』5巻(集英社・530円)。 ウルトラジャンプもよくカゲキな安永さんのマンガを載っけれるものだと、いつも感心しているが、ちょっと今巻はおとなしめ。 まあ、せいぜい「スペイン無敵歓待」のギャグがちょっとオコサマにはキツイくらいか。……読んでない人には何のことか解りませんね、スミマセン。 でも『アナルマン』ほどじゃないしなあ……って、アレはカゲキ過ぎて未だに2巻が出ないけどね。 安永さんの未収録短編だけ集めて、単行本出す出版社どこかにないかねえ。
CSキッズステーション、『こみっくパーティー』8話「渚にて」。 先週録画し損ねて見ていなかったので、総集編で見返す。ちょっと主人公の落ちこみ編が長すぎる感じだなあ。せっかくの水着編なのだから、もう少し明るい話をもって来ればよかったのに。 私自身はこれの原作になったゲームをよく知らないのだが、しげによればやっぱりエロゲーだそうな(^_^;)。 じゃあ、同人誌作りながら関わった女の子とどんどんエッチができるって話かい。 ……そんな幸せなオタクがおってたまるか。 でもちょっとやってみたくなったな、そのエロゲー。誰か、やったことあるZてオタクの方、いらっしゃいます? イタすぎてやれないかもしれないけれど。
同じくキッズステーションで『鉄人28号』24話。 こんなんまで放送してるんだものなあ。キッズステーション、スゴ過ぎ。単にDVDが出たやつ片っ端から放映してるだけかもしれんが。 もちろん、モノクロ版の方ね、『太陽の戦士』でも『FX』でもなく。リメイクのカラー版より、モノクロ版のほうが、アニメ技術はともかく、ストーリー的にはずっと面白いぞ。 いやあ、本気で好きだったっスよ、鉄人。もう30年、見てないのに、未だにニコポンスキーとかスリル・サスペンスとか、シャネル・ファイブとか、悪役キャラの名前を覚えてるし。というかそのころから主役より悪役の方が好きだったんだなあ。 よく同時期に放映してた『鉄腕アトム」と比較されるけれど、コアな人気は『鉄人』の方が高かったように思う。実際、子供のころ、落書きと言えばアトムより鉄人の方を圧倒的に多く書いていたんだよね、私も。 それにしても、永遠の少年、ショタコンの元祖、金田正太郎君の高橋和枝さんも亡くなっちゃった。 光陰矢のごとし。 大塚署長役の富田耕生さんが未だにがんばっておられるのは、考えてみたらスゴイよなあ。 ちょうど今日見た回が、宿敵ロボット、ブラックオックスが味方になる話&知性を持ったロボット・ロビーの反乱の発端。 そうだった、そうだった。『鉄人28号』って、1話完結じゃない連続モノで、しかも前の話のエピローグが次の話のプロローグにもなるという斬新な構成(っつーか、昔の紙芝居はこんな感じのものが多かった)だったんだよねえ。 こういう流れるような連続ものの形式がどうしてなくなっちゃったかというと、これも『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』の虫プロが、海外に作品を売るために、1話完結の差し替え自由な形にしちゃったのが伝統になってるのだ。 考えてみれば、そう都合よく事件が順番に起こってくれるわきゃないので、『鉄人』のほうがずっとリアルなのである。『鉄人』の場合、二つの事件が同時に起こることも結構あって、その二つの事件が絡み合うなんて、森村誠一みたいなミステリーものもあった。 あ、これ意外と気がつかれにくいことだけど、『鉄人』ってSFのジャンルに入れられることが多いけど、内容的にはミステリーにより近いのね、実は初期の『アトム』もそうだったんで、当時の惹句に「科学探偵漫画」と書かれてあるのは嘘ではないのだ。 ああ、第一話からしっかり見返しとけばよかったよ。
2000年09月21日(木) 笑顔とブレゼントとオタアミと
2001年09月20日(木) |
ま、映画さえ見られりゃいいんだけどね/『夜刀の神つかい』4巻(奥瀬サキ・志水アキ) |
福岡・博多の観光地の、昨年一年間の入場者データが公開された。 1位がホークスタウンで、年間およそ180万人。昨年まで4年連続1位だったキャナルシティの120万人を大幅に抜いた。ホークスの優勝効果が貢献しているのだなあ。でも、今年優勝出来なかったら、来年はまた落ちこんじゃうんじゃないか。 ぐんと下がって70万人利用の第3位が、ただいま経営不振でジリ貧の博多リバレイン。 しかし、閑古鳥が鳴いてても第3位。というか、70万人も入っててペイしてないってことのほうがスゴイよ。『クレオパトラ』を製作した20世紀FOXかってなもんで、ハナから博多の人間は誰もあんなもんが成功するなんて思っちゃいなかったのである。 不況の中、高級品で顧客増加を、って発想、どう考えても逆効果だ。庶民の街が庶民を無視してどうするのか。 結局、川端の商店街の連中の天神・福岡地区への対抗意識だけで作られたようなものだからねえ。「何もせんよりはした方がマシ」「やってみないことには分らん」って発想だけでものごとが全て片付くように錯覚するのは博多人の悪いクセだ。っつーか、戦前の精神主義から一歩も出てないって。 私だって、博多人のハシクレとして、リバレイン、利用してやりたいとは思うのだが、買いたいものが何もないのだもの。へっ、ブランドものなんてオタクにゃ似あわねえんだい。 経営母体である第3セクターのSBC(スーパーブランドシティー)、福岡市が援助を決定したようだけれど、こちらが買い物しなくても税金って形で持ってくってか。じゃあ、なおのこと出かけてやる義理はないじゃないか。 1位のホークスタウンだって、ダイエーの営業不振は未だに続いているし、2位のキャナルシティもメガバンドールが閉鎖したばかりだ。客は結構カネを落としてるのに、なぜそんなに経営が苦しい。どこかに放埓な部分があるんじゃないのか。 時代を経て、街が様変わりしていくのはある意味しかたのないことだ。上位3ヶ所に4位のベイサイドプレイスだって、全部この10年ほどの間に生まれたものばかりである。天神も、博多も、私の子供時代から残っている風景そのままなんてところは殆どない。馴染みの商店街や行き付けの店も、寡頭競争の中でいつの間にか消えていく。それを惜しむ気はないが、だったらその競争に買った連中が、勝った途端に企業努力を放棄してるように見えるのは、ちょっと腹立たしいのである。 ……中洲の映画館、軒並み潰れてるんだぞ。これでキャナルのAMCやホークスタウンのユナイテッドシネマが潰れたらどこで映画を見たらいいのだ。って、やっぱり心配してるのは映画館のことだけかい(^_^;)。
仕事から帰ると、しげがいない。 またどこかにフラフラと遊びに出かけたのかなあと思っていたら、しげから電話。 「今からマックに来ん?」 「なんでいきなり」 「BOOKOFFに行った帰りに食べたくなって」 もちろんこのマックはマッキントッシュのことではない(今更なギャグですみません)。 でもしげはマクドナルドが余り好きじゃなかったはずだよなあ。どういう風の吹き流しだ(by.那須雪絵)。 「オゴリなら行ってもいいよ」 「いいよ」 ど、ど、どうしたのだ。あのケチで吝嗇で(このギャグ前にもやったな)出すものはウ○コだってイヤだというしげが、気でも狂ったか。 これは、ぜひ「真相」を確かめねばなるまい。 とか言うほど大げさな理由でもないが、誘われて断る理由もないし、出かけることにする。ちょうどスパゲティを作ろうかと思ってたところだったんだけど、まあ、非常食をあえて減らすこともない(給料前でマジで金がないのだ)。晩飯にハンバーガーというのも味気ないけど。 自転車で近所のマックまで行くと、しげがいかにも「遅いよう」という感じの顔で待っている。ったって、10分しか経ってないのに。 ホントに、何をそんなに腹減らしてるんだと思って、ふとウィンドウを見上げると、そこに期間限定の「月見バーガー」のポスターが。 ……なあんだ、しげ、これが食べたかっただけか。 そう言えば、季節が巡るたびに「月見バーガーが始まったよ!(=^o^=) 」「月見バーガーが終わるよう(ToT )( T-T) 」と騒いでたよなあ。
世の中に 月見ばあがの なかりせば しげのデバラは のどけからまし
相変わらず世間は「テロ事件」報道で喧しいが、「“裏”モノ会議室」を覗いてみても、良識的な意見が殆ど見られないのは実に冷静でよいことだ。 「戦争なんて個人の力でとめられるものじゃないんだから」って死んだお袋がしょっちゅう言ってたのが思い出されるなあ。 こういう時にたかが庶民の分際で「今こそ平和を祈念する一人一人の力を結集して」なんてアジりまくる人間くらい信用ならないものはない。 「犠牲になった人の気持ちが分らないのか」とか言って粋がってるヤツだって、何かが出来るわけではないのだ。 「本当に戦争になったらどうする」なんて詰め寄られたら、「オマエと同じ行動をとるよ」と言ってやればいい。そのときそいつが慌てふためいたりしようものなら、そいつがイザって時にどんな行動をとるヤツか、底が見えようってもんだ。 こういう時に「何とか」してもらうために政治家に一票入れてきたんじゃないのか。庶民が出来ることなんて何もない。 ……いやね、またぞろ「戦争になったらどうすればいい?」って私に聞いてきたバカちんがいたんでね、「じゃあ、戦争を怖がってどこかに逃げるか? で、どこに逃げる? で、何も起こらなかったとして、ノウノウとここに帰って来れるか?」と言ってやったのだ。……実はこれ、『ちびまる子ちゃん』の『ノストラダムスの大予言の巻』で、マルちゃんがお姉ちゃんから言われてたセリフの丸写しなんだが(^o^)。 納得するねえ、みんな。だから今、政治家以外で騒いでるやつはただのバカということになるのだ。 ……お袋とさくらももこに感謝(⌒▽⌒)。
まあ、テレビを見てて楽しいのは、やたらとアチラのなんとか専門家ってのが出て来て、ベテランの声優さんの声が聞けることかな。 青野武、小林恭治、屋良有作なんて人たちが次から次へと出て来るんだもの。でも、昔だったら必ず出てきたであろう納谷悟朗さんの声を全然聞かなくなってるのが寂しい。 もう随分体を悪くされているというウワサだし、無理はされないでいてほしいんだけれども。
しげ、今日がホームページのリレー小説の連載のシメキリだと言うのに、一行もネタが浮かばないらしい。 「ああ、地球が終わらないかなあ」なんて呟いている。 しげは意外に「言霊」ってやつを気にするタイプなので、この手のことは冗談でも言わない方なのだが、よっぽど今回は困り果てているようなのである。 ミステリの犯人なんか、直感でよく当ててるくせに、書く方になるとなぜか論理的に物語を組み立てられないのだな。 足し算は出来るが引き算は出来ないってやつか(^o^)。 譬えがちょっと違うようだが、事実、しげは引き算がむちゃくちゃヘタなのである。で、掛け算と割り算は全然ダメなのである。九九も全部言えるかどうか怪しいもんだ。
マンガ、奥瀬サキ作・志水アキ画『夜刀の神つかい』4巻(ソニー・マガジンズ・546円)。 何となく『火焔魔人』にリンクして行くんじゃないかと言う予感で読み始めたんだけれど、同じ吸血鬼、同じ不死者の物語であっても、物語の肌合いというか、毛色はだいぶ違ってきた。 殆ど自分で絵を書かなくなって、原作だけを担当するようになった奥瀬さんだけれど、そのおかげで、「ストーリーテラー」として奥瀬さんが評価されるようになってくれればいいんじゃないかと思っている。 ……いやね、『低俗霊狩り』の解説で誰ぞが書いてたけれど、奥瀬さんが注目されていたのはいつもその「絵」ばかりだったのね。でも、昔は全く逆だったのよ。デビュー当時は天野喜孝の影響がモロに顕著でね、っつーか、『低俗霊』のころははっきり言ってマネにすらなってなくてドヘタクソだったのだ。作者自身、後書きでファンにボロクソ言われたようなこと書いてたし。 多分、奥瀬さんは「がんばった」のだ。必死になって、自分の絵柄を模索して、天野さんの影響を脱したのだ。けど皮肉なことに、今度は奥瀬さん、「絵」についてしか語られなくなってきた。 ……不幸だよなあ。 2ちゃんねるの掲示板でも「自分で絵を描け」とか最近はよく書かれてたし、私の周囲の奥瀬ファンも似たようなことを言う。でも、デビュー当時から付き合ってきたファンなら、奥瀬さんの真骨頂は「絵」にはないということに気づいていてもよいはずなではないのか。 『コックリさんが通る』でファンになったような連中は、うまくなりすぎた絵にかえって幻惑されているのだ。 いや、ストーリーだって、永井豪やら夢枕獏やらに影響受けてるのは事実だ。 吸血鬼と化したヒカゲの姿に、『デビルマン』の飛鳥了の姿を重ね合わせるのは容易だろう。ヒカゲは夕介を自分の仲間にはしたいが、かと言ってそうしたところで彼が自分になびくわけではないということも知っている。不動明の心に牧村美樹が住み続けていたように、夕介の心には菊璃がいる。 そしてヒカゲは飛鳥了と全く同じセリフを夕介にぶつけるのだ。 「お前に何ができる!! お前一人で何が出来るって言うんだ! 何も出来なかったじゃないか! みんな死んだじゃないか!」 そうだ。 菊璃を守ろうとした人々はどんどん死んでいっているのだ。それも『デビルマン』と至極似通っている。 では、夕介は矢折れ力尽き果て倒れる結果になるのか。 菊璃を守れぬまま終わるのか。 しかし、私には、これは奥瀬さんが『デビルマン』を自分なりに越えようとする物語を作ろうとしているように思えてならない。奥瀬さんは一貫して、異形のもの、人間に受け入れられないもの、彼らのいるべき場所を探し求めるようなマンガを描いてきた人だ。それは相手が「低俗霊」であっても同様で、私は、巨乳マニアの低俗霊が、魔魅の貧乳に包まれて、「誰よりも小さなムネだったけれど、魔魅さんのムネが一番暖かかった」と言って昇天するというギャグが大好きだ(笑)。 奥瀬さんは、夕介にも、ヒカゲにも、菊璃にも、生きるべき「時間」と「居場所」を与えるような物語を作ろうとしているのではないだろうか。 普通のストーリー展開なら、ヒカゲは3巻あたりで自分自身の邪な恋自体に押しつぶされて滅びていてもおかしくはない。凡百の作家ならそうする(ジャンプ系はたいていそう)。 しかし、この『夜刀の神つかい』のサブタイトルは『ヒカゲの時代』。そしてヒカゲは変わり果てた姿にこそなれ、死なずに「生き」のびたのだ。そこにあり続けることの苦しみ、哀しみ、やるせなさ、それを描いてなお、存在することの意味を奥瀬さんは問おうとしているのではないか。そう思う。 異形となったものにすら生きるべき「時代」があるとすればそれはどういう時代なのか、奥瀬さんが出す答えが待ち遠しいのである。
2000年09月20日(水) 頭痛と頭痛と頭痛と……/ムック『山下清のすべて』
2001年09月19日(水) |
ヤンキーたちの好きな戦争/『日露戦争物語』1巻(江川達也)/『探偵学園Q』1巻(さとうふみや) |
今朝のスポーツ新聞各紙、米国防総省が対テロの報復として大統領に核兵器の使用を進言したと報道。 見出しはどでかく「核戦争か?」と煽っているが、アナタ、せっかく盛りあがってる大統領人気、それを一気に打ち消してしまうようなアホなまね、ブッシュがするわけないやん。 まあこの報道がガセって可能性もあるのだけれど、一般誌は見事なくらい全くこの件に触れていない。 人心に騒乱を起こしたくないという判断なのか、単にウラが取れなかっただけなのか、それも判断はつかないが、本気で「核戦争」の勃発を危惧する必要はないだろう。 ……余裕があるから記事にもできるんだよな、スポーツ誌は。テロ発生以来、一週間が過ぎたが、マスコミも一般人もみんなこの状況を「楽しんでる」ねえ。全くどうしてこんなにみんな「戦争」が好きなのかね。
「楽しむ」とか「戦争が好き」なんて言ったら、かえってキリキリと顳に青筋立てて怒り出す方もいらっしゃるかもしれないが、人間は自分が意識しているしていないに関わらず、それがたとえ逆境であろうと状況を楽しんでしまうものである。 アメリカ本国で顕著なことであるが、今、テロの報復が市民レベルでイスラム教徒や関係の施設を対象に行われている。 中には、「オサマ・ビンラーディンに顔が似ていた」ガソリンスタンドの店員とか、「アラブ人に似ていた」インド人とかが、トバッチリを食らって殺されたり乱暴を受けたりしているのである。 普通、マットウな教育を受け、ごく普通の知性を持ちあわせている人間ならば、イスラム教徒がみんなテロに走ってるわきゃないってことくらい見当が付きそうなものだ。アメリカ人がどんどん狂っている、と判断する識者が現れるのも当然と言えば当然だろう。 でも、本当に彼らは興奮のあまりトチ狂っちゃったのだろうか? 関東大震災の際、日本人が朝鮮人の暴動を恐れて虐殺を行った集団心理、さてあれを「狂気」のヒトコトで片付けることが果たして可能か。 あのとき、「日本人は朝鮮人を差別している」という自覚があるから、「朝鮮人の暴動」というデマゴーグには根拠があると多くの人が信じた。 「アラブ諸国をアメリカは不当に迫害している」「イスラム教徒はみな危険だ」、もともとそういう思いがあるからこそ、“アメリカからアラブへの”無差別テロが頻発しているとも言えるのではないか。 日頃の鬱屈を発散する対象を人は求める。それが「公明正大に」行っていいということになれば、人は日頃の反感、偏見、疑心暗鬼、そんなものを一気にぶつける。 間違っちゃいけない。 例えばスポーツは戦争の代償行為として生まれた。 もともと人間の闘争本能は「戦争」を欲しているのである。 アメリカ人は「やられたからやり返す」と思っているのかもしれないが、今までは「やられなかったからやり返せなかった」だけだ。 「持ってる兵器は使いたい」で、原爆を二発も日本に落としたことを想起すれば容易に知れよう、あれは戦争終結のための手段などではなく、戦争終結を口実にした「実験」であり「力の行使」に過ぎなかった。 べつにアメリカ人に限らず、人間はみんないつでも機会さえあれば、差別し、迫害し、苛めさいなむ「欲望のはけ口」を探し求めている。だからアメリカは「ただのテロ」を「戦争」にまでグレードアップさせたのだ。 今、世界は「戦争を楽しんでいる」。 否定できるか。
最近、テレビではパキスタン、アフガニスタンの両国で診療所を経営しているNGO「ペシャワール会」の医師、中村哲さんの露出が増えてきている。 政治的な動向だけではなく、現地の民間の実情を知る関係者が少ないということなのだろう。中村さんは一貫して大旱魃で住民が水も食料もなく飢えている実態を訴え、「報復は事態の解決にはならない。住民の虐殺にしかつながらない」と警鐘を鳴らしている。 でも、報道はこのコトバをただの「平和主義的発言」としてしか捉えてないみたいなんだよなあ。 そうではなくて、テロ組織もタリバン政権も、アメリカが報復攻撃に出れば姿をどこかに隠すに決まっている。だからこそアメリカは「今度の報復は長期化する」と明言しているのだ。 つまり、アメリカが標的にしているのは「住民の虐殺」そのものだ、ということだ。アフガンの人々は、難民として他国へ逃げることが出来るものばかりではない。恐らくは最初に、動けない病人や子供たちが殺されていく。しかしアメリカは、自国民の怒りをどこかで発散するためには、ともかく「早期の犠牲者」を必要としているのである。 力のない彼らを殺すことで、報復を果たす気だということを中村さんは指摘しているのだ。これは「やむを得ない戦争」などではない。
テロ実行犯がかつてイラクの諜報員と接触していた、黒幕はやはりフセイン、なんてニュースも流れてきているが、これとても報復が長期化し、アメリカ国民の怒りが米政府に向けられた時に言い訳をするための予防線を張っているようにすら見える。 アメリカにはバカしかいないが、したたかだ。 なんだか日本がバカに振り回されるもっとバカになりそうな気がして情けないのだが、この事態に反対してる連中がただの「平和主義者」や「社会主義者」でしかないのがもっと情けない。 「協力してるフリして何もしない」政治的手腕が、一番のお得意じゃなかったのか。口先三寸、ノラリクラリで誤魔化して、金だけ出してケツまくって逃げる卑怯者の道をあえて選んでたんじゃなかったのか。 「多国籍軍の中にちゃんと日本の旗を掲げたい」なんて、ただの「見栄」だけで自衛隊を動かすのかなあ。それとも「犠牲にするのは自衛隊だけだから」って考えてるのかなあ。もしそうなら、「自衛隊派遣」、必ずしも反対する理由はないな。日本人全員がバカになることはない。「バカな日本人を助けるためなら死んでもいいと考えてるもっとバカ」だけを外に出しときゃいいだけの話だ。つまりは「醜(しこ)の御楯」(笑)。 ……死者を英雄視するって、そういうことだったのね。
今月のCSファミリー劇場「ファミリー探検対」第2週、先週に続いて佐々木剛さんがゲスト。 今回は主に共演者についてのコメント。 2号のコスチュームは、もともと1号のリニューアル用に準備されていたものだったってこと、何となくそうじゃないかとは思っていたが、やっぱりそうだったか。だって、2号の横の線、1本なのに、新1号は2本線なんだもの。当時疑問に思ってた子供、多かったろうなあ。 ロケ中のホテルの立てカンが「山本リンダ様御一行(仮面ライダー)」だったって話は聞いたことがあったな。でも当時だって山本リンダ、そんなにトップスターってことでもなかったぞ。どんなに視聴率取ってても所詮は子供番組だと思われてたんだなあ。 千葉治郎さんがとてもいいやつだったとか、宴会で、死神博士役の天本英世さんは、みんなの前で踊ってくれたとか、楽しそうに話されてるのを見るにつけ、今度の「アギト」にも何らかの役で佐々木さんに出演してほしいなあ、なんて思っちゃうのである。初代の藤岡弘さん、今度の映画版に警視総監役で出るんだよなあ、それはちょっとだけ見たいような気もするが。
CSキッズステーション、『こみっくパーティー』9話、そろそろ展開が臭くなって来たなあ。なんだか「同人誌に関わってる人たちだって、みんなと同じく青春に悩み傷ついてるいいやつばかりなんだ!」ってプロパガンダが、鼻についてよ。主人公が「売れることだけを目的に同人誌を作るんじゃない」なんて堂々と言い放ってるのは単に企業努力を怠ってるだけの話なんだがねえ。 この「アマチュアならば赦される」って感覚で同人誌作るなら、タダで配れや。金を取るなんて、一億万年はえ~や。 先日の某○○○博でも、ゲストに多大な迷惑をかけたスタッフの一部が、なんだか開き直って、ゲストの誰かに対して「あんなに怒るなんて人としてどうか」とかなんとか自分のホームページで書き込みしてるのを見たんだが、ゲストの方々が「人としてどうかしている」こと、事前に知らなかったのか(^^)。我々はみんな知ってるぞ。 ヤ○ザのことを知ろうと思ってヤ○ザを呼んだりしたらどんな結果になるか、わかるじゃん(いや、たとえがヒドイね、どうも)。 まあ、悪態をつくのも自由だし、それこそこれっきりで双方ともに縁を切るつもりなんだろうから、傍観者の私が何か言う必要もないことではあるのだが、「オマエの代わりなんかいくらでもおるわ」っていう、スタッフのゲストに向けた捨て台詞は、自分のバカさ加減を思いっきり露呈しちゃっててどうしても笑えてしまう。 つまり「いくらでも代わりのいる」程度のゲストだと思って初めから呼んでるってことじゃないの。そりゃ、腹を立てられるのが当たり前ってもんだよ(後で見たらこのセリフ、削除されてたな。さすがに誰かから注意を受けたらしい)。 プロ意識だけが強いアマチュアってのが多いってのは巷間よく言われることだが、基本的にプロ意識を持ってるやつで本当のプロだったヤツなんて、まずいない。プロ意識を持ってる時点でアマチュアの証拠だってことなのかもなあ。
マンガ、江川達也『日露戦争物語』1巻(小学館・530円)。 著者略歴に最近やたらと「表層に見られる軽薄な作風の中に、誰にもわからない深いテーマ性が隠されている漫画を描き続けているが、全然評価されない、本人だけががんばっている漫画家である」と書いてるけれど、そういう読者の歓心を買おうって態度がみっともないぞ。 日本海海戦の作戦参謀、秋山真之の生涯を描こうってんだけれど、人気出るのかなあ。ホントに表層だけなぞってるようにしか見えないんだが。 江川達也の真骨頂は、決してその「深いテーマ性」などにあるのではなく、「本人だけが誰にも分らない深いテーマ性を内包した漫画を描いているとつもりでいるが、大多数の読者にはその浅薄さがバレバレになっている漫画家」として評価されてると思うぞ。 ちょんまげ結ってる正岡子規の絵なんかはうまいなあ、とか思ったりはするんだけどねえ。変なテーマ性なんか絡めないで、屁理屈抜きのエンタテインメントを実践してほしいもんだ。
マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』1巻(講談社・419円)。 まあ『金田一』ってパクリをやめただけでもマシか。 学園物で、みんなで探偵って設定も使い古されてはいるんだけどね。 さとうさんの絵が結構うまくなってきているので、イヤミな部分は随分減ってるんだが、トリックが不自然過ぎるのは相変わらず。 犯人がある方法で現場を行き来するんだけど、「本人はその方が速くて目立たないと思った」って、かえって目立つってば。 ……願わくは、金田一少年がゲスト出演なんてしないことを望む(^^)。//
2000年09月19日(火) 塩浦さん、今度はご夫妻で遊びに来てね
2001年09月18日(火) |
声だけ美少女/『スタジアム 虹の事件簿』(青井夏海)ほか |
しげと電話で会話したことがおありの方はどれだけいらっしゃるだろうか。 いや、殆どいないってことは知ってるんだけどね。 実は、職場関係者で、初めてウチに電話をかけた人などは、たいてい次の日に、「有久さんの奥さん、いったいおいくつなんですか?」なんて聞いてくるのである。 私はそうは感じないのだが、メチャ若いらしいのだ、しげの声って。 ……冗談ではなく、人によっては、しげが10代なのではないか、と、ムチャクチャ誤解してたりもするのである。 いや、あのね、いくら私がロリ……ああ、いやいや、一般の人々よりは多少、うら若き乙女に対して微笑ましい眼差しをおくることがないわけではないと言っても、さすがに親子ほどもトシの離れた相手を妻にするほどの体力はないってば。 第一、今年で結婚して丸10年になろうってのに、未だ10代だったら、結婚した時、しげはいったい何歳なんだよ。それこそ私が変態みたいじゃないか。 ……でもまだ20代なんだよなあ(-_-;)。 同年輩の連中に「くぬやろ、くぬやろ」と言われてしまうのも仕方がないと言えば仕方がない。立場が逆なら私もマジでそいつに蹴り入れてるだろうし。 しかし、しげ本人も自分の声について、「ちょっと舌足らずかな」とか言ってるが、電話口では更に作り声でブッて、「あ、どうも初めまして♪」なんて喋るものだから、ますます誤解が増大していくのである。 声だけでなく、「有久さんの奥さん、超美人説」が何度流布されたことか。 ……実物を一目見れば、穴の空いた風船が、しゅしゅしゅしゅしゅ、と萎むようにそんな幻想は消えていくんだけどね。 この天然ブリッコのしげが、知り合い相手になるってえとガラリと豹変してしまうのである。 横柄、なんてもんじゃない、ナマイキ、エラソウ、アザワライ、電話の向こうの相手をせせら笑うかのように鼻で「フフン」と息をして、森羅万象を睥睨し「自分以外は全部ゴミ」的な態度を取るのである。
今朝も私は、そのしげの「フフン」という鼻息で起こされてしまった。 どうやら電話口の相手は鴉丸嬢らしい。 内容は解らぬが、時折聞こえる来宮良子のプロメシュームが野沢雅子の星野鉄郎を嘲笑するような笑い声に、えらくムカついて目を覚まし、ふと枕もとの時計を見ると、午前3時。 ……お前ら、いったいいつから話をしてるんだ。何の用事だか知らんが、しげの「悪代官笑い」から判断して、そうたいして深刻な話題ではあるまい。こっちは睡眠時間が限られてるんだよ、ちったあ、自分には家族がいるんだってことくらい、思いやる気持ちを持ってくれよう。o(ToT)o
テロ事件以来ずっと閉鎖されていたニューヨーク株式市場が一週間ぶりに再開、予想通り売り注文が殺到して全面安の展開、下手すりゃ世界恐慌にもなりかねないとか。 実はワタクシ、経済のことはチンプンカンプン、株なんてどんな仕組みになってるか皆目見当もつかない。 ……死んだお袋は天性の山師で、あらゆる賭け事に通じ、本業の不振も株でカバーするくらいの才能があったんだがなあ。どうやらそっちのほうの血は、全く継いでないらしい。 親父は株でン百万くらいスッてるらしいから、そっちの方の血だろうな。 どっちにしろ株に手を出したことは生まれてこのかた、一回もないし、この先手を出す可能性も多分ない。私の心の中では、株だろうがなんだろうが、「経済に関わる=賭け事」という図式が出来あがっちゃってるのだ。 宝くじ買ったことすらないってのは自分でも面白味のない人生送ってるなあ、とは思うが、そういうヤツなんで、訪問販売、宗教の勧誘の類は、一切受け付けないと思います。そのへん、悪しからず。 日本での一万円割れがどーのってのも、自分の生活にどう関わっていくか解らないでいるってのに、今度の件がどう世界経済に影響していくのかなんてハラホロヒレハレである。 あの、間違ってたらごめん、要するに、業績不振を見越して手持ちの株価が下がる前に売っちまおうって連中が大挙したってことなんだよね? ……解釈、それで合ってる? でもその「株売り」自体が経済破綻を起こすってんでしょ? それ、「自業自得」ってんじゃないの? と言うか、世界の企業って、もともと自分だけ助かりたいって船から逃げ出すネズミみたいな連中が支えてたってことなの? それじゃ、「経済機構」そのものが豆腐の上に立ててるビルみたいなもんじゃないの。 なんつーかねー、WTCビルがもろくも崩れ去っちゃったってのがいかにも世界経済の正体を露呈しちゃったみたいで、こんな象徴的過ぎるのって、あまりにも出来の悪いコメディーみたいでアホラシイんだけど。
テロの影響で、あちこちで「自粛」ムードが高まっちゃって、実際にアーノルド・シュワルツェネッガーの新作映画なんかが公開延期になっちゃったりしてるそうである。 筋はテロリストに復讐する話らしいから、かえって公開した方が「戦意昂揚」になってよさそうなもんだが(^o^)。 WOWOWを見ていると、番組変更のお知らせが連発していて、『乱気流 ファイナル・ミッション』『マーシャル・ロー』『バック・ドラフト』なんかが軒並み「都合により」放送中止だと。 いや、放送中止するならするで、その「都合」ってのを説明しないのはなぜなの? 「米国のテロ事件の被害者のご心情を鑑み」とか堂々と言えばいいではないの。やましいことがあるわけじゃないんでしょ? それともあるの? まあ、説明できるわきゃないよね~。本当はこんな自粛、なんの意味もないことを映画関係者もみんな知っているんだから。 なのにどこからどう抗議が来るかわからんということで初めからビビって、「臭いモノにフタ」してるだけなのだよ。 『バック・ドラフト』を放映中止するなら、新宿の火事が起きた時点でなぜやらなかったのよ。結局、アメリカに阿ってるだけじゃん。 この事件が春に起こっていたら、『名探偵コナン 天国へのカウントダウン』も公開中止になってたんだろうと思うと頭痛がしてくるよ。というか、ビデオの発売が相当遅れちゃうんだろうなあ。……はああ(´o`;)。 そんなことしてテロが防げるわけでもないのに、どうして映画界にはこうバカが多いかね。
仕事から帰ってみると、しげは留守。 どうやら鴉丸嬢とどこかに遊びに出かけたらしいのだが、さて、汗を流そうかと風呂のフタを開けて湯船を覗いてみてギョギョギョッとした(楳図かずおかい)。中がとんでもなくヒドイことになっているのだ。 お湯は白濁し、カエルの卵のような濁った水泡がブクブクと浮かんでおり、その泡に絡みつくように何十本もの髪の毛がザラリと広がっている。 しげが湯船の中で髪を洗ったのだ。 ……いや、いいよ、外は寒かったのかもしれないし、湯船の中で髪洗っても。 だったら最後にお湯を流していかんかい(`m´#)! 私は男が女よりも先に風呂に入るべきだなんてこれっぽっちも考えちゃいないが、「ホントにキタナイ」場合は別だぞ。 しげはトイレや風呂の掃除なんて、この数年、全くやってないのだ。 ……テメエの垢ぐらいテメエで落とせや。
テレビ『ジャングルはいつもハレのちグゥ』第25話『恐怖! 人情鬼ごっこ』見る。 もう、サブタイトルからしてふざけまくっとるなあ。何しろグゥが鬼ごっこしながら、ホントに人間を次々食ってくって話だし。どこに人情があるのだ(^_^;)。 この『人情なんたら』ってタイトル、時代劇(特に市井物)のタイトルなんかによく使われてるんだけど(山中貞雄の映画『人情紙風船』とか、山本周五郎の小説『人情裏長屋』とかが有名)、そんなん子供にわかるパロディじゃないってば。で、あまつさえその上に「恐怖!」なんてつけるかよ。 視聴者もこのアニメ見て笑ってるんだろうけど(あるいはポカンとしてるか)、それ以上にスタッフが視聴者を笑ってるよなあ。 ……非道なアニメだ。ε=(^u^)プッ。 で、今回ついにハレはウェダの母さん、つまりおばあちゃんに出会う。 かつて家を出た娘になにもしてやれなかった自分を責めるおばあちゃん。自分が孫だってことを言い出せないハレ。なんとか母と娘の絆を取り戻せないかと思い……。 来週が最終回なんで、「泣き」の芝居で落とすつもりなのかなあ、でもそれじゃあグゥの出番も少なくなるばかりで、どんどんつまんなくなっちゃうぞ、と心配してたんだが。 予告編を見てぶっ飛んだ。 『ニュータイプ』の予告じゃ、最終話のサブタイトル、『おかえり』になってるんだよね。なのに実際に出たタイトルは『おしまい・おしまい』。 しかも都会からジャングルに帰る話じゃなくて、あの原作者のオタク度爆発の「巨大ロボット」もの(笑)。 「いろいろあったよなあ、ハレが×××したり」 「……大冒険!?」 何のことか解らんだろうが、それは来週のお楽しみというヤツである。 いや、これで落とすかよ横手美智子(笑)。根性あるぞ水島努。 DVDを予約したのは間違いではなかった。さあ、来週の『ハレグゥ』は必見だぞ、全国のオタク諸君!
青井夏海『スタジアム 虹の事件簿』(創元推理文庫・650円)。 これがデビュー作の青井夏海、どういう人だかよく解らない。別にどういう人でもないのかもしれないが、なんとこの作品、自費出版されたものの文庫化である。 つまり、賞をとったとか、そういう肩書き付きでデビューしたわけではなく、「こんな面白いミステリがある」とネットなどを通じて口コミであちこちに伝わって、ついに創元の戸川安宣編集長の目に留まったというわけだ。 帯には新保博久キョージュの推薦文でこう書いてある。 「本書を次のような方にお薦めします。 北村薫『空飛ぶ馬』 天藤真『鈍い球音』 都筑道夫『退職刑事』シリーズ 泡坂妻夫『奇術探偵曾我佳城全集』 が好きでたまらない人に。」 こりゃ、随分ぶち上げたもんだなあ、と思って、ノボリを高く上げすぎるってのもかえって期待倒れに終わってマズイんじゃないかと思っていたのだが。 いや、確かに、これは上質のミステリだ。一読して「女性版泡坂妻夫」の惹句が思い浮かんだくらいで、ミステリの仕掛けどころをよく知っている。 探偵役は、パ・リーグ(パラダイス・リーグなんだって)の万年最下位チーム、東海レインボーズの新オーナーにおさまった、岡田斗司夫さん以上の野球オンチ(笑)虹森多佳子。 「ストライクゾーン? それはどこに付いているのですか?」 「べつに印は付いていません」 「まあ、そうですの。わたくし、サッカーのゴールのように、何か目印が立ててあるのかと思いました」 どこに立てるんだよ。ピッチャーとキャッチャーの間にワクでも立てとくんかい(^_^;)。 ところが、この「野球オンチ」ゆえに、彼女はスタジアムで起こった事件を次々と解決していけるのだ。 ミステリーでは、謎を解くきっかけが、その事件とは全く関係のないことからの連想によって与えられる、という描写がよくある。 例えば、映画『犬神家の一族』で、石坂浩二の金田一耕助が、鏡の前に映ったミカンを見て、あのトリックに気がつくといったような例だ(実はそんな描写は原作にはない)。 この方法、探偵が綿密なデータからではなく、ただの偶然に頼って謎を解くため、一般的には安易な解決法と取られがちなのだが、「読者に与えられるヒント」として機能している場合には全く問題がない。私たちがそのアナロジーに気づくかどうかが作者の仕掛けたトラップだからである。 この手法を多用したのが泡坂妻夫だったわけだが、このタイミングの取り方が作者の青井さん、実にうまい。 私も話テンポが小気味よく進んでいくので、この「ヒント」をつい見逃してしまうこともしばしばだった。 なんたって、多佳子さんが「あのう……」といい出したときにはもう、「犯人、解っちゃて」いるんだからなあ。……『ケイゾク』かい(^^*) 。 難を言えば、後半の話に行けば行くほど、多佳子さんの影が薄くなっていくことなのだが、作品と使用トリックの性格上、それはしかたがあるまい。 どっちにしろ、これは久々のヒットだ。 ……こうたろうくん、ようやく久しぶりに、お薦めできるミステリを見つけたよ。
マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』34巻(小学館・410円)。 絵柄的に好きなほうなのになんでこんなに面白くないかなあ、『コナン』は。 ……と思いながらもう34巻まで買ってるよ。 面白くない原因の一つに最近やっと気づいたんだが、あれだけマンガチックな絵柄でありながら、主要キャラの表情が一様に乏しい、特に口のバリエーションが少なすぎるのである。 極端な言い方をすれば、呟いてる口と笑ってる口の二つしかない。たまに怒ってる口を描くが、これが実にぎこちない。 この作者、自分の作ったキャラの動かし方が解ってない……というか、顎を細くしたせいで、口の表情をつけにくくしてしまったのだ。それが証拠に、特に顎が小さく描かれているわけでもない脇キャラのほうが、よっぽど表情が豊かになっている。 マンガよりアニメのほうがまだ見られるのは、アニメーターのほうが原作者よりもよっぽどあのキャラに表情をつけることがうまいおかげだろう。……蘭の表情、たまにゾクっとくるしな。特に毎回のエンディングとか。 いつもトリックのアラばっかり見つけて文句をつけてるから、たまには絵柄のことでも注文をつけてみたが、だからって今回の収録事件にアラがないわけではない。 まあねー、小学生向けのマンガだから仕方がないのかもしれないけどねー、犯人がなんでわざわざ足がつくと解ってるような珍しいナイフで人を殺すかねー。最近はもう、マトモに推理しようって感じで読まなくなってんだよ。データそのものがデタラメだから。 『コナン』を名乗るんなら、「与えられたデータが間違っていれば、正しい答えは導き出せない」って「初歩の初歩」の論理くらいは守ってもらいたいもんだけどねー。
2000年09月18日(月) ゴキブリと音痴娘と構造記憶と/『僕らは虚空に夜を視る』(上遠野浩平)ほか
2001年09月17日(月) |
祝日には旗を。私は出さんが/『クラダルマ』1・2巻(柴田昌弘)ほか |
米国のテロ事件、いろいろなところで余波を及ぼしているが、ウチの職場でも、渡米予定だった同僚が、いきなり「出待ち」状態になってしまった。 上司はそのことを「いるはずのない人がまだここにいる」なんて言って、笑って報告しているのだが、これもまあ、聞くヒトが聞けば不謹慎極まりないということになるのであろう。 ったって、この程度の冗談なら、誰だって言うよな。世界の動きに対してノホホンとしている日本人の平和ボケぶり、これがかえって周囲に振りまわされない、動じない態度に見えてしまうのだから皮肉なことである。 外務省、15日が「敬老の日」だということで国旗を掲げたら「なぜ半旗にしないのか」とクレームを付けられたそうだ。って、誰が付けた、アメリカの手先か? 「国民の祝日」だってえのに、アメリカを気にせにゃならんってことはなかろうがね。 そのクレーマー、迷惑を被ってるのはこちらだということを忘れちゃいないか。
アメリカは、ビンラーディンの身柄引き渡しを正式にアフガニスタンのタリバーン政権に要求したとのこと。 これからがキレイなコトバで言えば、「外交上の駆け引き」ということになるのだろうが、その実体は、「おう、オマエんとこの舎弟がワシラんところにえらいハジかかせてくれよったやないか、そいつのそっ首差し出してワビ入れんのやったら、どないなことになるかわかっとるやろうな」というヤクザの恫喝だ。 全く、「高度な政治的判断」ってのはどこに行ったんだ? 世界各国に対してやってることも「ウチに着くのかアチラに着くのかはっきりせんかい」って、二者択一を迫ってるだけ。 で、日本はヤクザの下っ端。独自の判断なんかできるはずもない。 またぞろ、湾岸戦争の時に続いてアメリカは、日本に「人的貢献を」とか言ってるらしいが、日本国憲法を押しつけて戦争放棄させといて、そしてテメエがケンカする段になるってえと、「ワリャ、金出しゃ赦してもらえると思うとんのか?」と凄んで言うこと聞かせようだなんて、虫がよすぎやしないか? いい加減、日本人も、アメちゃんの他人を見下すことしかしない下劣な根性というか、所詮、アイツらは既知外の群れだってことに気がついてもいいんじゃないかね。 だって、アメリカ国民、「たとえアラブの民間人を虐殺しようと、復讐を果たせ」と叫んでるやつらが、今や8割以上なのだぞ。 日本も、ホンの56年前まではそうだったわけだから(今も生き残りが結構いるのが困ったもんだが)、批判はしにくいが(したって既知外に聞く耳なんかありゃしないんだが)、誰かブッシュに「オマエもビンラーディンと同じや」と言うてやれんものか。 せめて、「いやあ、兄貴のくれたケンポーのおかげで動くに動けねえんでさあ」と言い張って、自衛隊も派遣しないでいられたらいいんだけどなあ。 トバッチリ食って迷惑するのは国民なんだから。
更にアメリカでは今、今回の黒幕にイラクのフセインがいる、という説が浮上してるとか。 情報撹乱と言いきれない信憑性があるのがなんとも(^_^;)。 実際、私もテロ直後は「フセインか?」と思ったものな。 多分、これは「カワキリ」の一つにすぎない。 たとえ犯人が断定されても「いや実は黒幕に誰それが」という説が出てくるのがこういう事件の常だからだ。 恐らくこれからどんどんと、意外や意外、荒唐無稽で奇想天外な「真犯人」の数々が、ネットや活字メディアを席捲してくれることであろう。 犯人に擬せられたヒトには迷惑な話であり、世のマジメ人間、ギャグが嫌いなヒト、狂信者のミナサマにはキリキリとコメカミが脈打つほどに腹立たしいことであろうが、これは「どんな悲惨な悲劇も、それは客観的には喜劇である」ことの一つの証左なのである。 実際、アメリカだけでなく、パキスタンの慌てぶりやタリバーンの能天気な「聖戦」の連呼も、日本も含めてとんだトバッチリに巻きこまれた世界各国の右往左往ぶりも、見ていて笑いがこみ上げてくるのをどうにも止められない。 これが「コメディー」でなくてなんだというのだ。
昨年5月に自殺した、井上大輔(58歳)さんの妻、洋子さんが死亡していたとか。享年51歳。 確か井上さん自身の自殺が、奥さんの看病疲れが原因じゃなかったっけ。新聞にはその辺の事情が一切書かれていないのだけれど、病気の奥さん残して先に逝ってどうするんだろうと思っていたが、こうして、一年と少し経って奥さんが亡くなってみると、もしかして井上さんは、奥さんが来るのをアチラで待ってるつもりででもあったのだろうか、という気がしてくる。 こういうさりげない死の方が、何千人と死んでいく人々よりも心にジンとくるものがあったりするから、人間の心なんていい加減なモノである。
今週の少年ジャンプ、『ヒカルの碁』、完全に「伊角編」になっていて、ヒカルの復活は先送りになっている感じ。 しげが「これから『ヒカ碁』、つまんなくなるかなあ」と心配していたが、その危険性は確かにある。 これまで「ジャンプシステム」に飲み込まれずに来たこと自体、奇跡のようなものなのだ。というか、あまりにも「人気次第」の編集方針が批判されたために、何となく誌面自体が以前より遥かに「緩やかな」雰囲気になっていたのがよい方向に作用していたのかもしれないが。 でもあまり露骨な「引き伸ばし」はしてほしくないのだけれど。
コンビニで、サバのミソ漬け・ハンバーグ・揚げだし豆腐を買って帰るが、しげと分けて食べようと思ったのに、「要らない」と言われる。 おかげで全部食わねばならなかったが、多分これで一日の摂取カロリーをオーバーしたことは間違いない。 じゃあ、食わないで残しておけばいいじゃん、と言われちゃうとグゥの音も出ないのだが、この「残しておく」ってのが性格的にできないのよ。
マンガ、秋月りす『OL進化論』18巻(講談社・540円)。 今でこそ、4コマ誌が乱立して、OLモノで可愛い絵柄なのに不倫も描けばセクハラも描く、なんてのはごくフツーになったのだけれど、そのハシリの一つがこの作品だったのではないか。 モーニングに連載、というところが、いわゆる「4コマ誌」のマンガと一線を画している面があったのかもしれない。 18巻経っても変わらないように見えるこのマンガも、少しずつ様変わりしている。以前は毎回のように書かれていた「社長秘書令子」シリーズは殆どなくなった。 代わりにやたらと書かれているのが「35歳で独身で」シリーズ。似たようなネタの使いまわしなのだが、よっぽど作者が気に入ってるのか、多い時には1回に2、3話書かれることもある。 もうちょっとだけ穿った見方をしてみると、これって、連載開始の10年前に比べて、「結婚しない女性」が圧倒的に増えたという時代の変化を写した結果であるのかも。 ……でも、現実に私の周りに限って見渡してみた場合、どっちかっつーと、ポコポコ結婚してヤンママってケースのほうが多いんだが。 こういう4コマ、
マンガ、柴田昌弘『斎女(ときめ)伝説 クラダルマ』1・2巻(少年画報社文庫・620円) 『ブルー・ソネット』のころは結構ハマって読んでいたのだけれど(何しろ企画モノLPまで買ってた)、主要キャラをあまり必然性もなく軽く殺していく作風が何となくイヤになって、柴田さんの作品、しばらく読んでいなかった。 和田慎二と同じで「解説的セリフが不自然」という欠点もあったし。 けれど、文庫になったのを機会に初めて読んでみたのだが、設定やストーリーに破綻は多いけれど、マンガの持つエネルギーというかパワーはやはりたいしたものだと言える。 性のパワーを使い、日本の歴史を影から支えていた「斎女」の一族、それに敵対し、世界を征服しようとするシャクティ教団。 作者自身、「あの宗教団体とは一切関係ございません」と断っているが、偶然とは言え、結構あの事件と似ちゃったのがこの作品の不幸だったのかも。 けれどちゃんとマンガとしての節度は守っていると思う。なんたって、ヒロインの由麻はそういう性のパワーが横溢する中にあって、汚れなき乙女でありえているのだから。 ……でもやっぱり、意味なくキャラが死んでいくんだよなあ。 好きな女を助けに来て、逆にシャクティ教団に獣人に改造され、無駄死にどころか足手まといになって殺される太刀掛なんてキャラを見てると、この作者、もともと自分の作ったキャラに愛着持てないタイプなんじゃないかって気さえしてくるぞ。 そういう展開は和田慎二だけにまかしとけばいいのに。
CSファミリー劇場、『チャンピオン太』第1話『死神酋長』。 昨年、『オタクアミーゴス』でアントニオ猪木の登場シーンを中心に見ていたのだが、改めて全編を見ると、脚本のいい加減さがよく解る。 なにしろ、出だしからして物語のセオリーってものを全く踏んでいない。 来日する死神酋長(猪木)、プロモーターは「あの憎い力動をやっつけちゃってくださいよ」なんて言ってるが、何が理由でそんなに力道山を憎んでるのか一切の説明がない。 肝心の主役、太と力道山の出会いのシーンも全くない。いきなり、力道山のジムに太はいるのである。 酋長を呼んだプロモーター、なぜか孤児院の権利も狙っていて、イヤガラセをするのだが、そこへ偶然通りかかった太にコテンパンにやられる。 その孤児院にはルリ子さんという可愛い少女(タイガーマスクと同じやん)がいるのだが、せっかく助けてもらったのに、「乱暴する人嫌いよ!」と太は嫌われてしまう。 ……コラ、女、助けてもらえなかったらオマエが危なかったんだろうが。 プロモーター、復讐のために、いきなり「暴れ牛」をけしかける(ツクリじゃないぞ、本当だ)。 この牛が私には可愛い雌牛にしか見えないのだが、太はこの牛を投げ飛ばし殺してしまう。ああ、哀れ(このワザがノックアウトQであることが説明される)。 ……これ、やっぱりマス・オーヤマの話を元にしてるんだろうけど、江戸時代じゃあるまいし、現代日本で「暴れ牛」はないだろう、「牛」はよ。 あまりに無理がありすぎるが、設定を変えられなかったのは原作の梶原一騎の意向なのか? 更に腹が立つのが、ルリ子さんの態度。先ほどとは一転して、「ありがとう太さん!」。……オイ、コラ、このアマ、牛なら殺してもいいんかい。 この後、試合があって酋長は力道山に敗れるが(おいおい、酋長のモヒカンのカツラが脱げてるがな)、ジムに復讐のために殴りこみにきた酋長、太のノックアウトQに破れる。この時、酋長、というか猪木の顔に「牛」がオーバーラップするのが大笑い。 ……なんだか書いてるだけでバカな話、としか思えないが、これ、CSで全部ちゃんと放映する気だろうか。 ちなみに、力道山の声は、塩見竜介氏がアテレコしておりました。
『水戸黄門』最終回、市川崑のオープニングを見て、しげ、ウケている。見事なくらい、音楽に合ってないのだもの。 最終回ということで、藤井紋太夫が死ぬのだが、史実と違って、なんと黄門に切られずに、切腹してしまう。黄門を殺人者にはしたくない、という配慮かもしれないが、こういうのを姑息な手というのだ。 改めて史実を知った者には、「黄門って、本当はただの人殺しだったんだ」と逆に悪い印象を与えてしまうだけじゃん。
WOWOW、急遽、相米慎二監督の追悼特集で『ションベンライダー』をオンエアー。 なんだか二十年振りくらいに見たが、やっぱり全然つまらない。 いじめっ子が誘拐されたからって、そいつを助ける主人公たちの気持ちが画面から伝わってこないのだ。 ……アップの使い方も知らないドシロウトなのか? なぜ押井守はこんなクズ映画にコンプレックス抱いちゃったかなあ。謎だなあ。
『ドリフ大爆笑』などを漫然と見ながら寝る。 もう意識が混濁していたので、内容はあまり覚えていないが、長山洋子、伊藤智恵理、松本伊代、といったアイドルの歌、全然知ってるものがない、ということはかろうじて覚えている。 ……「オチメアイドルの墓場」と言われてたのも納得するような。
2000年09月17日(日) クウガと絶叫としゃぶしゃぶと/『少年探偵虹北恭助の冒険』(はやみねかおる)ほか
2001年09月16日(日) |
オタクの輪ッ!……古い(^_^;)/『(週)少年アカツカ/おまわりさんを追いかけろ!号』(赤塚不二夫)ほか |
夕べはマジでぶっくたびれていたのだが、これ以上、日記の更新は遅らせられぬと気張って日記を書く。 だもんで、ほぼ半徹夜。 朝方にはもう睡魔に襲われていたのだが、今日は『パワーパフガールズ』があるのだ、『コメットさん』を見るまでは寝れぬ、寝れぬぞと気張っていたが、意識は朦朧、どの番組も断片的にしか記憶がない。 なんか記憶違いがあったらごめんなさい。 『パワパフ』、前半は『おさらい ステキな博士』、つまりは総集編。 これまでにもガールズの活躍に焦点を当てたもの、悪役たちをフィーチャーしたものなど、総集編は何度か放送されてるが、これ、全部日本語版だけのものらしい。 ああ、となるとDVDが発売されたとしても収録されない可能性は高いなあ(もともと小堺一機のナレーションつきになるかどうかも判らないのだが)。やっぱり全話がんばって録画しておくべきだったかなあ。 予想通り、ダイナモが再登場。これだけのキャラがわずか1話で使い捨てってのは贅沢なアニメだよなあ。 後半、『ワルイことはイイこと!?』、タイトル通り、プリンセスが父親の金の力で全タウンズビルシティーを買い上げて、市長におさまり、犯罪者が罪に問われない法律を作る、という話。 うわあ、この話も何かに元ネタがあったことは確実なんだけれど全く思い出せない。魔女っ子ものとかによくありそうなんだけどなあ。 ガールズはこの法律を逆手にとってプリンセスを懲らしめるのだけれど、このオチの着け方まで、何かにあったよなあと喉元まで出かかっていて、思い出せないのである。ああ、モドカシイ。 どっちかと言うと「トンチもの」に近いネタだからなあ。……もしかして『一休さん』か?
『仮面ライダーアギト』33話、もうあと20話を切ったせいか、ようやく話が転がり出す。 アンノウンの目的は、氷川が唱えていた「超能力者たちの殺害」にないのではないかと推理する北條。見ている視聴者は、難船した「あかつき号」の乗客たちに超能力が発動したことを知っているから、北條の疑問に納得する仕掛け。 この辺、北條をただの無能でイヤミなだけのライバルに終わらせまいとする脚本家、井上敏樹の配慮が心憎い。まあ、こいつがダメなままで終わってもそれはそれでいい役割だが。 『あかつき号』の乗員たちを次々に殺していたのが、アンノウン・エルロードに憑依されていた真澄だということも今回判明。と同時に、エルロードが実体化して真澄は死ぬ。このあたりの畳み掛けるような展開がなかなかにドラマチックである。 真澄役の平岩紙(スゴイ名前だ)さん、松尾スズキさんの劇団『大人計画』の女優さんなんだなあ。 これまでヒステリックな演技ばかりだったのが、自分自身が仲間たちの殺害犯と知って苦悩するあたりの表情がなかなか好みで、ヘタ揃いの主役陣の中にあっては結構いいかも、と思っていたのだが、今回で退場。 う~ん、ちょっとモッタイナイ。 ともかく展開が早まったのはありがたい。できればそろそろ再生怪人軍団を……ってのはさすがにムリか。
『コメットさん』第25回『忘れちゃった輝き』。 何でそこまでハマってるんだ『コメットさん』という声がどこかから聞こえてきそうだが、気にしない気にしない♪ 前回、地球へやってきたはいいけれど、いきなり二人揃って不登校になっちゃったタンバリン星国の姉弟ミラとカロン。 ミラはコメットさんの、そしてカロンはメテオさんの(^_^;)ところにホームステイすることになったのだけれど、どうしたら二人を学校に行かせることができるか、コメットさんとメテオさんとでは、やり方が全く逆。 メテオさんは、ともかくスパルタ、カロンを星力でさんざん痛めつける。 「どうしたの!? だらしないわね!」 ……って、そりゃずるいよメテオさん。 まあ、そこがメテオさんらしくていいんだけど(^^*) 。 実際、メテオさん目当てで見てるファンの方が絶対多いよな。 ……最近になって気がついたんだが、このコメットさんとメテオさん、二人のライバル関係、まんま『バトルロワイヤル』の前田亜季と柴咲コウのキャラにダブってんだな……っていうか、『バトロワ』のキャラ設定自体、実は古典的なキャラ構成で出来上がっていたのだ。 あの映画、残酷描写ばかりでなく、物語としてよくできている点をもっと評価してもいいと思う。
それはさておき『コメットさん』。 地球の学校に行ったことがないコメットさんは、どんなに辛いところか興味津々。ミラに変身して学校に行くけれど、やる気のない、受験偏重主義の先生の授業なんて、全然つまらない。つい、ホンネで「つまんない!」と叫んじゃったけど……。 先週、解決できなかった問題を今週まで引いたけれど、魔法少女アニメとしては、この解決方法は正解。 「現実の問題を魔法で解決するなんてズルイじゃないか」と文句をつけることは簡単だけれど、アニメは別に視聴者のカウンセラーではないのだ。 不登校の問題が、現実の学校が抱えている問題の本質がどこにあるのか、それを象徴的に指摘するだけで充分である。 この「星国姉弟編」、中盤のメインシリーズとして、スタッフも力を入れているようだ。次回がおそらく完結編、こいつは「キラッとお楽しみ」なのだな♪
ついに我慢の限界、あとはずっと昼寝して、目覚めた時はもう夕方6時。 都合、5、6時間は寝た計算になる。 夜更かしは周囲が静かでありがたいんだが(私のウチは福岡空港の近くなので、昼間は騒音がウルサイのである)、昼間寝ちまうんじゃ、結局は時間のムダ遣いだ。本が数冊は読めたろうに、もったいなかったなあ。 AIQのみなさんとの飲み会は7時半の待ち合わせ。 時間に間に合うか、実はちょっと危なかったのであった(^_^;)。
いつもなら天神までは自転車で出かけるのだが、どうせしげが浴びるほど飲むであろうし、ヨッパライを自転車で連れて帰る愚は、前回でつくづく懲りた。 ……夜の町を、うひゃひゃ、がはは、いひいひひ、えしぇしぇしぇしぇしぇ、と笑う女を連れて歩いていたら、マジで警察に職質されてしまいますがな。
というわけで、今日はおとなしくバスと地下鉄で天神へ。 ついつい、地下鉄に乗客のファッションに目が行ってしまうが、これにはワケがある。 昨日の山口きらら博での「オタク講座」で、岡田斗司夫さんが、前三列くらいのいかにもオタクな客を見渡して、「みんなシャツをズボンの中に入れてるね! ウン、いいんだよ、それが正しいオタクの姿だ!」とイジったのだ。 ……確かに、見渡すと、イマドキの若者たち、みんなシャツを外に出している。私の若いころには全く見られなかった光景だ。 と言うか、感覚が私の若いころと全く逆転しているのだ。シャツ出しなんて、「だらしない」「みっともない」って感覚しかないしなあ。 いったい、この時代の激変はいつ起こったんだ? 私ゃ、気がついてもいなかったぞ。観察力がなかったのかなあ。 学生さんも、うら若き乙女も、みんなシャツ出ししている。 斉木しげるさんじゃないが、「近頃何か、革命でもあったかね?」(by『ゴム脳市場』)と言いたくなるぞ。 ……私も昨日はしっかりシャツを入れていたのだが、なんだか今日はシャツを出してなきゃいけないような気になってしまった。ううむ、『クレヨンしんちゃん』は平気で映画館まで見に行けるのに、この程度のことで心がグラツクとは、まだまだ修業が足りないなあ。
7時前に着いたので、福家書店を冷やかして行く。 しげ、『フルーツバスケット』の1巻を立ち読みして、「つまり、バカな女がなぜかいい男にモテるって話か」と、ヒトコトで切り捨てる。 昨日の「オタク講座」で、岡田斗司夫さんが「小学生に受けてる」と紹介してたので、読む気になったものか。 「……このトシになると、こういう女って腹立つだけだけど」 しげはそう言うが、小中学校のころの女の子ってものは、ちょうど「女のくせに」なんて言われ始める頃で、現実以上に自分を卑下して見てしまうものである。「キミはバカじゃないんだよ、素直なだけなんだよ」と庇ってもらえるマンガがあればすぐに飛びついちゃうものだろう。 確かに、しげぐらいになると、もうちょっと捻って、“バカな女が全くもてない”『ハッピーマニア』みたいな作品じゃないと感情移入しにくいのだろうな。 けどアレだって、捻っちゃいるが、「女はバカでいい」と言ってる点では『フルバ』とたいして変わらんぞ。
7時15分、天神大丸前で待ってみるが、どなたの姿も見えない。 念のためにと、携帯でエロの冒険者さんに連絡を入れてみると、真正面のバス停に既に集まっていらっしゃったのだった。 地下鉄工事が間であっていたので、気がつかなかったのである。 タクシーに分乗して、清水四つ角の「赤鳥」という居酒屋へ。エロさん、ぴんでんさん、しおやさんの行き付けの店らしく、お酒が「脂身三兄弟」の名でキープしてある。\(^▽^@)ノ でもぴんでんさん、退院してすっかり痩せられているのだが。 毎度毎度、酒が飲めない私にとっては新鮮なところばかりで楽しい。
今日のメンツは、エロさん、いちろうさん、ZUBATさん、遅れて、ぴんでんさん、しおやさん。 いきなり、エロさんから「今度のオタアミ、スタッフとして参加してほしいんですけど」と頼まれ、しげともども、思わず二つ返事で引き受ける。 けれど、正式スタッフになるということは、しげと私の二人分のチケット代がAIQに入らなくなるということでもあるのだ。「チケット代も払いますよ」と言ったのだが、固辞されてしまった。 やれやれ、こうなると出来るだけこちらのほうでも販促しないとなあ。でも翌日がコミケってのがネックなんだよなあ。ウチの劇団の連中、殆どコミケの準備で、前日にオタアミ見てる余裕なんて、まずないのである。 修羅場じゃ修羅場じゃ。
とりあえず乾杯。突出しのつくねが美味い。 初めはエロさんが『オトナ帝国の興亡』の同人誌を回覧したり、11月の「オタアミ」のチケットの説明などして、穏やかに駄弁っていたのだが、例によって例のごとく、気がついたら話は縦横無尽、ネバーエンディングなオタク・バトルロイヤルへ。
しげとZUBATさんは、予想通り『パールハーバー』話で盛りあがる。 私が「やっぱりアレは見たほうがいいんですかねえ」と言うと、「ZUBATさん、「始まって1時間20分経って入るといいですよ」とアドバイスを戴く。 ホントにいいのかなあ、それで(^_^;)。 しげが反発して、「ええ~っ? ダンが出ない3時間があるから、ダンの5分がステキなのに」とムチャクチャなことを言う。途端にZUBATさんが「却下!」 私としげの会話も、よく「漫才みたい」と言われるが、それは単にしげが全ての人間に対して「ボケ」たりうるからであって、誰でもしげに「ツッコミ」入れることは可能なのである。
ぴんでんさんとZUBATさんのバトルの楽しさも相変わらず。 『仮面ライダーZO』だの『J』だの『タオの月』だの『人造人間ハカイダー』だの、クズ映画ばかり取り上げて誉めたり貶したり。 というか、ぴんでんさんがただひたすら、誰が見てもクズなこれらの映画群を誉めまくるものだから、聞いてる我々は感心するばかり。 昨日、唐沢俊一さんが「『千と千尋の神隠し』を誉めることなんて誰にでも出来る。オタクがそんなことをしていては、スキルが低いとしか言えない。真のオタクならば、『ガンダム』や『エヴァンゲリオン』の上に『ガオガイガー』を置くくらいでなければならない」と煽ってたからなあ。 ぴんでんさん、唐沢さんのアジテーションに乗せられて、すっかり気をよくしていらっしゃったようだ。 もちろん、好きなものを好きだというのに誰憚る必要はないのだ。 「『ハカイダー』には宝生舞が出ている、これで全てを赦す!」と言い切るぴんでんさんの態度には「勇士」という言葉が相応しい。 反作用的に、ZUBATさんがぴんでんさんの「ダークサイド」にされてしまったのはお気の毒であったが。
ぴんでんさんには、新作『009』の情報も色々教えてもらった。 声優さんが新人ばかりだとか、来月放送なのにまだ○話までしか出来てないとか、キャラデザインの紺野直幸さん、コアなファンが(つーか、鳥さん)が、「1巻のころのデザインじゃないと認めん!」と騒いでいるのを聞いて落ちこんでるとか(^_^;)。 自他ともに認める石ノ森ファンのぴんでんさん、「『009』の移民編のオリジナル版、手に入れるまで7冊も買っちゃいました」とサラリと仰っている。若い世代の方には、そういう苦労もあるのだなあ。
エロさん、最近チャンネルNECOの「東宝」「新東宝」「日活」の映画にハマっていて、その魅力をトウトウと語る。 『大盗賊』と『カリ城』の類似性や、『大阪城物語』の地平線を埋め尽くす軍勢を映像にした当時の映画界の底力などなど。 私も「戦後東映時代劇全てクズ論」をぶち上げたりはするが、戦前からの時代劇ファンには別に目新しくもない説であり、はっきり言えばウケウリである。オリジナリティのある意見とは言えない。 エロさんはきちんと映画を見て、自分のコトバで喋っているのだ。半可通な知識だけでモノを言っている自分が恥ずかしくなってくる。
まあほかにも柴門ふみや、いしかわじゅんの悪口なんかでしおやさんと盛り上がったりもしたのだが、キリがないのでこのへんで。
ただ、もう一つ、これはどなたのことかは、一応匿名にしておこうと思うのだが、話がちょっと脱線しちゃって、オタクのオナニー話が始まった時の逸話(^o^)。 「だいたいよう、30過ぎてよう、オタクがオ○ニーの一つもしてないわけないじゃんかよう」 「じゃあ、今もウチでしてるんですか?」 「してるに決まってるじゃんかよう」 「してる最中に家族の方が来たらどうするんですか?」 「バーカ、バーカ、ドア開けっぱなしでやってるわけないだろう、鍵しめてやってんだよう」 「じゃあ、親御さんが、ドア、トントンってノックして、『○○○、どうしたの?』って聞いて来たら、どうするんです?」 「途中でやめるよ」 「やめるって、……できるんですか?」 「そりゃ、ちょっと仕舞って」 ……仕舞って、後で再開するのだろうか(^_^;)。 そこまで突っ込んで聞いてみたかったが、笑いすぎて、その先は聞けないのであった。 でも、あれだよなあ、あの○○さんの、あの豪邸の、あの大画面で美少女アニメ(とも限らないだろうが)上映してナニするってえのも、大迫力だろうなあ。 音声ボリューム、最大にしてたりして。
関係ないが、「オナ○ー」という言葉、ほかにも数限りない呼び方があるにもかかわらず、なぜかオタクは「○ナニー」に固執しているような気がする。 「せ○ずり」も「マ○かき」も「五○組」もめったなことでは使わない。 ひたすら「オナニ○」である。オタクの心をくすぐるような語感がここにはあるのであろうか。
名残は惜しいが、11時に散会。 しげは、いつの間にかカルピスサワーだのなんだのを5、6杯は空けていて、やっぱり二日続けて酔っ払い。 タクシーを呼んで帰るが、ウチに着いても私がトイレに入ろうとすると、「うひひひひ、トイレだって、トイレ~」と絡まれる。 だから、その、笑いながら絡んでくるなってば、怖いんだよ、気がフレタかと思って。
マンガ、赤塚不二夫『(週)少年アカツカ/ナンにも考えずに笑いたい時には…おまわりさんを追いかけろ!号』(小学館・300円)。 週刊と言ってるくせに2週間に1回しか出ない『少年アカツカ』の第3号。 ニャロメ、バカボンのパパに続いてフィーチャーされるのが、「本官さん」こと、「目ン玉つながりのおまわりさん」もしくは「日本一ピストルのタマを使うおまわりさん」。 ……のわりに、彼の本名が「白塚フチヲ」であることが明かされたり、実は彼が「私設警官」であるという設定を紹介したエピソードが収録されていない。 かと言って、それらが「面白い」かと言われるとそうでもないので、まあ、赤塚作品の代表作にはたいてい出演しているということが一望できるだけでも価値はあるかな。 第一、そんな裏設定、作者自身が忘れてるに決まってる(^○^) 。
今回の収録マンガは、『もーれつア太郎』『天才バカボン』『天才バカボンのおやじ』『ギャグゲリラ』『レッツラゴン』『おそ松くん』の6本立て。 このうち、『おやじ』と『おそ松』に本官さんは登場していない。 初期の『ア太郎』のころは、本官さんも後期ほどには狂気に走ってはいない。 ピストルこそ撃ちまくってはいるものの、ごくマットウなおまわりさんで、ニャロメに制服とピストルを盗まれるあたり、随分お人好しだったりもする。 このキャラクター、当時「警官をバカにしている」という事でクレームがついたらしいが、それがかえって本官さんをどんどんヘンなキャラクターに変えさせていった原因ではなかったのか。 スケベで金の亡者で、どうやら露出狂でホモでもあるようだ。……ここまで開き直られると、警察も「この作者にゃ何を言ってもムダだ」ってことになったんじゃないかな。 ラストの『おそ松くん/脱獄はふたりで』は、まんま、映画『手錠のままの脱獄』のパクリ。前々回の『約束』といい、過去の「名作」に倣うことに余り目くじらを立てられずにすんでいた時代だったんだなあ。
2000年09月16日(土) 電波とスケルトンと二人乗りと/アニメ『バットマン マスク・オブ・ファンタズム』
2001年09月15日(土) |
オタクなばーすでぃ/映画?『スペースカッタ2001』in「山口きらら博」ほか |
9月15日、敬老の日&しげの誕生日である。 「トシヨリは大切にしなくっちゃね」と言ってしげをからかえるのも、今年までなのかな。来年からはその週の月曜日に移動するかもしれないって話だし。
誕生日のイベントということで、しげと「山口きらら博」に行くことにしているので、朝もはよから6時の起床。 お目当てのオタクアミーゴス番外公演、「きららにオタク講座」は夕方4時からなのだが、それまでにもあちこちの展事物など見ようよと、しげを説得したのだ。 だが、予想通り、しげは寝不足、機嫌がはなはだよろしくない。 「新婚旅行が『広島アニメーションフェスティバル』で、誕生日が『オタクアミーゴス』?」 なんてイヤミたらたら。 オタクの妻がそういう文句をつけるなよ(-_-;)。 でもしげは、そういうのが本気でイヤというわけではない。実際、しげ自身オタクなんだし、そういうイベントに行けば行ったで、私以上に楽しんでやがるし。 要するにしげは、自分以外のことに私が目を向けるのがジェラしいんだよね。 ……じゃあ、私は、そういうイベントでも楽しくなさそうにしてなきゃならんのかい。
窓の外を見上げると、なんとなく空模様が怪しい。 しげがプンスカしながら、 「ウソつき、天気予報昼から雨だってよ」 「ウソなんかついてね~や、昼から晴れって昨日の天気予報で言ってたんだから」 昨日から今日にかけて、天気予報にも変化があったのだろう、そんなことまで私のせいにされちゃかなわね~って。 実際、昼どきにはきれいに冴え渡った秋空に、気持ちよい風が吹いていたのだから、ホントに気象庁は当てにならない。
博多駅で駅弁を買って、新幹線の中で二人で分けて食べる。 もちろん、肉はしげ担当で野菜がしげ担当である。 小郡までは50分程度なので、食事して駄弁ってたら、もう着いた。……しまった、新幹線の中でちょっと寝て、体を休める計画がいきなり狂った。今日はペース配分を考えないと大変そうだなあ。
小郡駅からきらら博直通の送迎バスが10分置きに出ている。往復700円は距離のわりには割高。しかも途中道路が渋滞して、15分で着くというのが40分かかる。 おかげで会場の9時半をちょっと過ぎてしまった。
会場前は人だかりで入場ゲートがどこかすらよく解らない。 地方博はジリ貧って言ってるわりには、このきらら博は結構客入ってるらしいし、山口県はホクホクであろう。 でも入口の人だかりを見て、しげ、途端に機嫌が悪くなる。 ともかく、一定以上に人が集まるところはイヤと言うむちゃくちゃワガママなやつなので、最初は「観覧車あるかなあ」なんて言ってワクワクしてたのが、一転して苦虫噛み潰して飲み込んでオエッと言って吐き出したような顔になっていた。 ああ、こういう時のしげはヤバい。
とりあえず会場の「やまぐちホール」ってのを探しに行ってみる。 ……「ホール」? よくもまあ、そんな適当な名前を付けたもんだ。 客席は吹き抜け、ステージの壁はベニヤ板を貼り付けただけのようなペラペラな、いかにも仮設って感じのところに持ってきて、屋根のまわりを覆ってるアレは……葦簾? 通気をよくしようというアイデアのつもりかもしれないが、ちょっと強い雨でも降ってきたらどうするつもりだ。 しかも客席は背もたれもないただの長いすを並べてるだけ。 こんなのは「Hall」とは言わない。「Hole」(穴)だ。 スタッフが今回のゲストに対してどんな扱い方をしてるかがよく解る。 言っちゃなんだが、去年までのAIQの会場も相当ひどかったが(AIQのみなさん、ゴメンナサイ。でも事実です)、その上を遥かに飛び越えて月面着陸までしそうだぞ。 集まってくる連中も、いかにも穴に群れ集うような汚らしいオタクばかり……って、これは私もそうなので人のことは言えんが。 ああ、これはしげは怒る。きっと怒るぞ。
心配していた通り、10:00から始まった、開田裕治・増尾隆幸両氏による特撮トークショー『怪獣元気伝説』を見ている最中に、しげ、「気分が悪くなった。帰る」と言い出す。 せっかく来たんだから、となだめるが、マジで顔色が悪い。目の下にクマがくっきりである。 仕方なく、トークの最中で、席を立つ。 しげのためにヒトコト弁護しておくが、しげはバカだが、礼儀知らずなやつではない(バカなせいで結果的に失礼なことをすることはしょっちゅうだが)。 体調がもともと悪かったところに持ってきて、東宝特撮映画の予告編上映(これも、白黒版なんぞは光が当たって画面が全く分らないヒドイもの)中、前列のいかにもオタクどもが意味もなく笑うので(なぜ『地球防衛軍』とか『妖星ゴラス』とタイトルが出るだけで笑うのだ。それでオタクのつもりか)、「本当に」気分が悪くなっているのである。 トークされている開田さんには悪いが、しげをつれて空気のいいところに移動。
砂浜を歩き、観覧車に乗ると、しげの機嫌、途端によくなる。 パビリオンの類はどこも混んでいるので寄らず。 観覧車に乗る前に、「記念写真はどうですか?」と係員に請われるままにツーショットを写してもらったのだが、こういう時、しげは決して笑おうとしない。 「私の笑顔って変なんだもん」 「ったって、笑わないからニヒルに見えるわけでもあるまいし」 「……いいじゃん、ニヒル好きなんだから」 ……ニヒルなつもりだったのか。 断言するが、しげの仏頂面を見てそれを「ニヒル」なんて好意的に解釈してくれる人間は百億人に一人もいまい。 どうせアホ面なんだから、せめて愛嬌くらい見せればいいのに。 観覧車を降りると、記念写真、「1000円です」と言われる。 ボリゃあがってこんガキャ、と内心思うが、カメラの類を一切持って来ていないし、せっかくしげの誕生日なんだから、と買うことに。 出来あがった写真、やっぱりしげはいかにもつまんなそうな顔で他人行儀、日頃私にベタベタくっついてくるような気配がカケラもない。こういう写真を見たら、絶対この夫婦、不仲で離婚寸前なんて勘違いしちゃうんだろうなあ。
開田裕治さんの原画展があるというので探してみるのだがなかなか見つからない。ギャラリーの近所をぐるぐる回って、ようやくプレハブのようなスタッフルームの一角に、ちんまりと展示してあるのを見つけた。 スペースは四畳半ほどもない、向こうじゃ事務所みたいなところでスタッフがウロウロ。とても原画を鑑賞する雰囲気ではない。普通、こういう原画展になら置いてあるはずの案内のチラシだってないのだ。 ……こりゃ複製原画の即売会よりヒドイぞ。 ホールの件もそうだったが、あとで開田あやさんの日記などを見たところ、スタッフが展示会場を確保するのを忘れ、更には信じられないことに原画の扱い方も全く知らなかったそうである。 それで当日の案内のチラシにも、展示会場のことが書かれていなかったのか。 山口県人、バカの集団か。
やまぐちホールのところまで戻ってくると、AIQのみなさんとオタクアミーゴスのお三方がお話されている。 ご挨拶に行くが、アミーゴスのお三方とはお会いしたことは一度しかないし、馴れ馴れしくするのもなんだよなあと会釈のみ。多分、私がだれだかもわからなかったであろう。 眠田さんには同人誌のこともあり、お礼を申し上げたかったが、それはオタアミ公演の時に持ち越そう。 生で初めてソルボンヌK子さんのご尊顔を拝したが、冗談じゃないって言いたいくらいの美人。なんかもう、これだけで山口くんだりまで来た甲斐があったような。
ちょうどそのとき、山口名物かぼちゃのソフトクリームというのを食べていたので、「またいきなりそんなものを」とAIQの方々にからかわれる。 名物は貶すために食うもんだと思っているが、意外にこれが美味かったのだ。でも土産に持っては帰れないのがネック。 これが山口で取ったほぼ唯一の食事だったな(あとでしげとタコ焼きと焼きそばを分けて食ったが、もちろん美味いようなものではない)。
しおやさんから「『スペースカッタ2001』はご覧になりましたか?」と聞かれるが、まだであると答える。 アミーゴスのみなさんは、そそくさと見に行かれていたし、私も話のタネに見てみたいと思っちゃいたのだが(出来について期待はしていない。自治体主導のプロパガンダ映画にいいものがあるわきゃないのだ)、しげがともかく「つまんないモノを見なきゃならんのか」とブータレていたので、入り損ねていたのだ。 夕方のオタアミ公演で触れることは間違いないし、見てみたいんだけどなあ。
公演まではまだ間があるので、その場を辞去して、また会場をぐるぐる回る。 小高い芝生の上で横になっていると、眠くなってくる。 しげは、昼からの影山ヒロノブのコンサートもここで聞ければいいという。 確かに涼しいし、のんびりは出来るが、パビリオンの一つも見ないで帰るってんじゃさすがにつまらないなあという気がしてくる。 そういう雰囲気を察してか、しげがようやく「『カッタ君』……見てもいいよ」と言い出す。 どうせ私が「ああ、『カッタ君』見られなかった、見られなかった」とあとでブチブチ文句を言うだろうと見越して、節を折ったのであろうが、別にそんなことするつもりはないんだけどなあ。 ともかく、しげの元気もようやく治ってきたようだし(眼の下のクマも消えた)、『スペースカッタ2001』を見に、宇部市館に向かう。
宇部市館、まあまあの人気のようで、30分ほど待たされて入場。 最初は舞台にではなく、「宇部市の歴史」なんかをパネル展示している部屋に通される。 地方の歴史を見るのは好きなほうなのだが、本当に歴史のない街らしく、古地図がちょっと紹介されているだけ。 どこの歴史資料館でもそうだが、モノを展示するだけで、歴史をどう面白く見せるかってことに腐心していないのは営業努力が足りないと思う。 どうせなら、宇部がこれまでに(そして今も)どれだけ公害を垂れ流してきたかってこと、微に入り細に入り展示してみせりゃ、感心したのになあ。 宇部市のキャラクターでもある「カッタ君」ってのがなにかと言うと、どこぞの池で飼ってるペリカンのことなのである。セメントと公害のイメージの強い宇部って所を「自然の街」として認識してもらおうって魂胆なんだろうが、まあ、ムリな話だ。 ペリカンがなぜ「ペリ公」とか「ペンペン」でなく「カッタ君」なのかはよく知らない。多分「かった○」でも患っているのであろう。 で、ようやく入れた『スペースカッタ』、出来はどうだったかと言うと、まあ予想通りなのであった。
内容はCG特撮と着ぐるみショーを合わせたチープなもの。 宇宙の帝王だかなんだか知らないが、地球を汚染するタネを植えつけようと飛来してくるのを、カッタ君と、かぐや姫、花さかじいさん、一休さんが合体して倒すというしょーもない話なのだが、いちいちそのキャラクターに意味付けがされてるのがバカバカしい。 つまり、カッタ君は「市民」の代表、かぐや姫は「行政」、花さかじいさんは「産業者」、一休さんが「学者」の象徴だそうな。 で、宇宙の帝王が公害だとすると(このデザインがいかにも汚水で変異した魚っぽい)、「これまで環境を汚染しまくってきた歴史を、みんなでよってたかってなかったものにする」話ってことになるわけだね。 帝王を倒したあとのカッタ君のセリフがまた、「ボクたちはみんなの心の中にいるのです!」だとさ。そりゃいるだろう、過去の傷をなかったものにしたいのは人間共通の願望だものな。 ……誰だ、脚本書いたの。全く、いい根性しとるわ、宇部市。 かぐや姫だけ西村知美が地顔で演じているのだが、宇部市出身ということでの起用らしいが、ほかにいないのか、宇部のタレント。 どうせなら同じく宇部出身の庵野秀明に監督させりゃ(『スペースカッタ』の監督は川北紘一)、ラストはもう少しマシなものに……なるわけないか(^_^;)。
ちょうど同じ回を岡田斗司夫さんがご覧になっていた。 直後の何とも言えない微笑が印象深い(^^*)。
やまぐちホールでは、まだ影山ヒロノブ&遠藤正明によるアニソンライブショー「アコギな二人旅だぜinきらら」ってのをやってるが、出来るだけ空気のいい場所に座ろうと思って、早めに行くと、会場脇の休憩所で、AIQの方々とお会いする。 しげの誕生日をみなさんに拍手してもらって、しげ、照れる照れる。 しばらく談笑して、会場へ。 ぴんでんさんが、午前中、開田さんのトークを途中で退席した話を聞いて、「私なら、自分だけ残りますが」と仰って感心されていたが、別に私が特別に女房思いというわけではない。 ほかの日なら私もそうするが(笑)、今日はしげの誕生祝できらら博に来たのだから、しげの意志を優先しただけのことだ。
さて、本日のメインイベント、「きららにオタク講座」、岡田斗司夫・唐沢 俊一・眠田直、「オタクアミーゴス」でおなじみの御三方によるトークショー。 残念ながら内容については「ホームページ」等には書かないように、ということなので、書けない。でも、唐沢俊一さんの日記や開田あやさんの日記には、経緯が裏事情も含めて詳しく載っているので、そちらをご参照のほどを。 しかし2時間トークのみのぶっ通しの喋り、ご不満もいろいろあったろうに、ショーを盛り上げようというみなさんのプロ根性はさすがである。
体力も使い果たしつつあるので、公演終了後AIQのみなさんへの挨拶もそこそこに、再び慌しく新幹線に乗り込んで博多へ。 7時半過ぎに博多に着き、待ち合わせしていた父と姉と中華料理。 しげ、浴びるように酒を飲む。空腹だったせいか、あっという間に酒が回ってしげフラフラ。 バスで帰る予定をタクシーに切り換えて帰宅。 しげはいつもの笑い上戸で、うひひ、けらけらと笑いながら寝る。 ……疲れるやつだ(-_-;)。 まあ、楽しんではもらえたようだし、一応、誕生祝としては無難な線で落ちついたのではないか(でもないか)。
マンガ、富沢ひとし『エイリアン9』1巻(秋田書店・540円……でも「BOOK・OFF」で買ったんで300円)。 アニメDVDがなかなかの出来だったので、単行本も探してみた。 ヤングチャンピオンコミックスだったんだなあ、これ。道理で巷で見かけない(^.^;)。 初版が2年前の3月。そう時間が経っているわけでもないのに、『ミルククローゼット』とは絵柄が相当に違う。 っーか、驚いたのは、現在の絵よりも、遥かにデッサンがしっかりしていることだ。目の外輪線も歪んでいないし、口も鼻梁と顎を結んだ線上にある。今の絵と比較すると、随分と落ちついた印象の、可愛らしい絵だ。描線自体を美しく丁寧に描こう、そう考えていると思しい律儀さすら見える。……最初の1、2話くらいまでは。 ところが、2話の後半くらいから、『ミルク』のあの「歪み」が頻繁に現れてくる。線そのものが歪み、目と口は顔の両極離れてどんどんヒラメ顔になっていく。と同時に、エイリアンを殺す描写もどんどん残酷度を増していくのである。
友人から「このマンガ、お前さんの好みじゃないか」と言われたことがあるが、確かにアニメイトされた揺らぎのない絵柄の方は好きだと言えなくもない。けれど、マンガの方の「痛み」を連想させる絵は、作者の意図は理解できるものの、好きだと積極的には言い難い。 ……『ミルク』もそうだけど、どうしてこう、この作者は女の子が眉間にシワを寄せて怯える絵ばかり描くかな。勝手な想像だが、この人、エロマンガを相当描いてきているのではないか。それも少女強姦ものとか。 もしかしたら作者は、その「怯え」の表情を通して、「少女の心の暗部」をマンガに表そうとしているのかもしれないが、ただ単に、女の子を苛めるのが好きなだけじゃないかって気もしてくる。
次々と学校に飛来してくるエイリアンを倒していく「エイリアン対策係」。 オトナがどうしてそんな危険な係を学級委員の一環みたいな形で小学生にやらせているのかとか、どうして恐怖心の塊のような大谷ゆりにその御鉢が回ってきたのかとか、対策係の久川先生本人がエイリアンっぽいのはなぜかとか、語られていない謎はいくらでもあるのだが、残念なことに、それが物語を牽引するマクガフィンになり得ていない。 どうとでも説明が付けられる適当な謎なんて、ただの「思わせぶり」にしかならないんだけどなあ。
2000年09月15日(金) ネパールとサウスパークとおだてブタと/『ブタもおだてりゃ木にのぼる』(笹川ひろし)ほか
2001年09月14日(金) |
カリメンしげ/『モーツァルトは子守唄を歌わない』1巻(森雅裕・有栖川るい) |
昨日から雨続きで、仕事の行き帰りはタクシー。 ううむ、明日は山口きらら博に行かねばならぬというのに、また余計な散財。 給料日はまだ1週間も先なのだぞ。私を日干しにする気か……って、雨天だったな。f(^_^)ポリポリ。
鬱陶しいと、気晴らしがしたくなるのか、タクシーの運ちゃんとも話が弾む。 ちょうど帰りのタクシーのラジオから「武蔵丸破れました!」と流れてきた。 「ああ、負けちゃった、最近の横綱を弱くなりましたたねえ」とついネタを振っちまったもので、気がつくと、「栃若時代はよかったですねえ」なんて話をしている。 実は私ゃ、太鵬・柏戸の時代には間に合っているが、そこまでの年寄りではない。相手がご年配だったので、つい知識だけで喋ってしまったのだ。 でも、まんざらウソをついたというわけでもない。 テレビでちょくちょく流れる「大相撲名勝負」の類で、栃錦の相撲も先々代の若乃花の相撲も見ているし、何より母からそのころの相撲の話は結構仕込まれているのだ。「講釈師、見てきたようなウソを言い」ではないが、なんなら双葉山あたりまで遡って語ることだって出来る。
不思議なことに、20代以上の誰に聞いても、「相撲が面白かったのは千代の富士まで」と異口同音に答える。多分それは正しい。 それこそ「栃若」だの「輪湖」だの、「ナントカ時代」とマスコミは煽りたがっていたが、「若貴」のころにはもう世間も「ムリ」を感じていたのではないか。 NHKのアナウンサー、勝負が決まった瞬間、解説することすら忘れて「強い!」とだけ口にしてあとの言葉が出て来ないことが時々あったが、貴乃花にそれをやった時には、「いくらなんでもそりゃウソだ」と思うようになっていた。 時折、相撲の八百長疑惑が思い出したように囁かれていたが、実際に関取たちが勝負している姿を見れば、熱心な相撲ファンは「八百長なんてあるもんけえ!」と、口角泡を飛ばして否定していたものだった。なのに、若貴時代にはそれがなくなった。「若貴だけはしていない」とという言葉のほうが絵空事に聞こえるようになっていたのだ。 ……八百長疑惑も、二子山部屋のスキャンダルも今の相撲人気の凋落と関係があろう。だがそれ以前の藤島部屋と二子山部屋の合併、これが一番のガンであったと今なら確実に言える。同部屋どうしの取組は行わないというあの「公然たる八百長」を仕組まれたあとでは、それまでの純真なファンは、ファンでありつづけることができなくなってしまったのである。 「……そのうち横綱がモンゴル人ばかりになっちゃうんじゃないですかねえ」 運ちゃんがそうしみじみと呟くのを聞きながら思うのは、「別にそれでも構わないよなあ」ということだった。「日本人の血」を第一とする旧弊な相撲界のしきたりが、ある時は力道山に、ある時は小錦に涙を流させたことを考えると、これ以上くだらぬところに相撲界が堕していくのがあまりに情けなく思えたからである。
しげがついに自動車の仮免を取った。 「一発で取れたよ!」 顔写真、実に仏頂面。まあ、免許証の写真がニッコリしてる必要はないにしても、身分証明にもなるんだから、もちっと愛想のある表情をしたっていいと思う。 「今日から私のことを『カリメン』って呼んでいいよ」 「カリメンしげ」ってか。『時には母のない子のように』でも歌う気か。 ……誰が呼ぶか(--#)。
しかし、今日は午前中はずっと教習所、夜は仕事、明日は丸一日「きらら博」だというのに、しげは寝る間が殆どないのである。 「どうして前日くらい休みをとっておかないんだよ」と言ってふと気づいたが、きらら博に行くことを決めたのはつい先日のことだったのだ。 いきなり休みを入れることなんて、簡単にいくわきゃなかったのである。 しげ、「今日、仕事から帰ったら、朝まで2時間くらいしか寝れん」とぴーぴー泣くので、「新幹線の中で寝ればいいじゃん」と言ったら、「そんなモッタイナイ!」と言下に否定された。 そうなんだよ、こいつ、目的地で遊ぶことよりも、新幹線に乗ることのほうが楽しいってやつなんだよ。 ……なんでいつまで経っても精神年齢が小学一年生で止まったままなのかなあ。
テレビは相変わらず「米同時多発テロ事件」(名称が今一つピンと来ないなあ)のニュース一色。 ブッシュ大統領は、「ウサマ・ビンラーディンを首謀者と判断しない根拠はない」と明言、さらにこれは「21世紀最初の戦争である」とも言いきった。 米議会は武力報復に向けた正式な宣戦布告を大統領に求める決議案を上程し、国防総省は予備役招集を検討し始めた。 ははは、アメリカは「喜んでいる」ねえ。 皮肉でもなんでもなく、憎しみや恨みを誰憚ることなく実行できるってのは、人間にとって快楽であることに間違いはない。 ちょっと考えてみれば、別にビンラーディンが指示をしなくても、この程度のテロ、その辺の大学生グループにだって計画・実行できるのだ。パイロットの訓練するだけですむんだからな。 にもかかわらず、アメリカは事態を拡大する方向にムリヤリ進めようとしている。こんな早期にビンラーディンという格好の犯人を想定しているのが何よりの証拠だ(でっちあげとも思い難いが、実は真相なんてアメちゃんにはどうだっていいのだ。「血」の対象をアメリカは欲しているんだよ)。
テレビも、少しずつ、ビンラーディンがなぜテロを起こしているのか、アメリカがこれまでイスラエルをバックアップしてどれだけアラブ人を迫害・虐殺してきたかを報道するようになってきている。中東情勢をよく知りもしない日本人にも、ようやくあれは必ずしも不合理な奇襲ってことではなくて、やはりアメリカがやってきたことに対する「報復」であったってことを理解し始めた。 報復が更に報復を生む。 これは「メンツを潰されたヤクザ」と全く同じレベルの行為だ。
……こりゃ、ネットの人たちの反応が楽しみだと思っていたら、昨日までは「こんな極悪非道なテロは赦せない」一辺倒だった論調が一気にトーンダウンしてやがる。急に「戦争」が実感出来るような事態になってきた途端にビビリ出してるんだものなあ。 笑っちゃうことには「報復には平和的な措置を」なんて言い腐ってるやつらもいるんだよ。自分の言ってるコトバが根本的に矛盾してるコトにも気がつかんのかね。うひゃうひゃひゃひゃ。~(^Д^~) 全く、日本人の人権意識や平和主義ってやつがどれくらいいい加減かわかろうってもんだ。事件が起これば沈痛な面持ちで道学者めいたことだけ言ってりゃいいと思ってんだねえ。 その点、「“裏”モノ会議室」のみなさんは、全くアメリカとは逆のベクトルで事件を「楽しんで」いるねえ。全く、戦争好きの既知外と基地外のケンカに、あえて巻きこまれる愚を犯すこたぁねーよな。 ああいうのは「対岸の火事」を決めこんで笑ってやってりゃいいのである。 ……来年は自衛隊の志願者が一気に減りそうな気がするなあ。
『ウリナリ!!』を見ていたら、しげが、「来週は決勝大会を中継するんだ。なら来週は見ようかな」なんて言っている。 どういうわけだかしげはダンスが好きだ。先日もCSJスカイスポーツで「ジャパンカップグランプリ2001」の放映をわざわざ録画してまで見ていた。 よっぽど好きみたいだから、「じゃあ今度一緒にダンス教室に通おうか」と言ってやりたい衝動にかられるのだが、そんなこと言ったらホントに通わねばならなくなりそうなので、躊躇しているのである。 ……カラダが持つかい。
明日の準備のために、ネットできらら博の情報、新幹線の時間などを調べる。 交通費を安く上げるために鈍行で行こうかとも思ったが、昔と違い、小郡までの直通なんてないのだった。 やっぱり新幹線で行くしかないか。確かにスピードは速いけど、何となく無粋な気がして、今一つ好きになれない。こういう感覚、ご理解頂けるであろうか。
仕事に出かけるしげのために牛丼を作ってやるが、「夜食は食べない」と言って、手を付けようとしない。 でもあのしげにそんな固い意志などあるわけがないと思い、一食分ちゃんと残しておいたら、仕事から帰ってきて、やっぱりペロリと食べやがった。 「だって一口だけにしとこうと思ったら美味しかったんだもん」 そりゃ、今回は気ぃ入れて作ったしな。 玉葱、牛肉、卵を程よくブレンド、生姜で下味をつけて炒めて、すき焼きのタレで仕上げたのだ。 そのうちしげが「また作って」と言い出すのは間違いないだろう。どんなにイジを張っても、しげが肉の欲求から逃れられるはずはないのである。
マンガ、森雅裕原作・有栖川るい作画『モーツァルトは子守唄を歌わない』1巻(ENIX・580円)。 原作は初版で持ってるのに実はまだ読んでない(^_^;)。 いや、当時の表紙の絵を描いてたのが『パタリロ!』の魔夜峰央でさ、てっきりギャグミステリーかと思って何ページか読んでみたら、ごくマジメでさ、ちょっとガックリきてしまった。 しかもストーリーが、「モーツァルトの死の謎をベートーヴェンが解く」という、誰でも思いつきそうなネタなんで、ますます興味が持てなくなった。 こういう実在人物をネタにしたやつって、犯人の仕立て方に「定番」があって、昔、海渡英祐の『伯林 ―一八八八年』の犯人を“読まずに”当てちゃったことがあるので、すっかり「歴史もの」には食指が伸びなくなっていたのだ。 でも、今回のコミカライズ、1巻だけしかまだ読んでないけど、滅法面白い。 ポイントは、モーツァルトでもベートーヴェンでもなく、ベートーヴェンの弟子にして、ワトソン役のカール・チェルニーなのであった。 いやもう、ワトソンのくせしてやたら出しゃばるわ、ベートーヴェンのウラをかいて陰謀は巡らすわ。 魔夜峰央のイラストでは細身のパタリロって感じの絵だったのに、有栖川さんのキャラはあくまで美形、常に唇の端に微笑をたたえ、自ら恃むところ頗る厚く、しかし屈託のない無邪気な悪意でベートーヴェンを翻弄する。 「ぼくを犯人だと思ってるんですか? ベートーヴェン先生」 ……だとよ。 あ~ナマイキ。つまりこいつ、オトナになった名探偵コナンなのだな。って、工藤新一じゃん。 更にいいのが、フランツ・ペーター・シューベルト。こいつのデザインがもうただのつぶれ大福(^o^)。後に貧乏のズンドコで死んだとは思えないふくよかさ。こいつがまた、純朴そうな顔してチェルニーと組みやがる。 ああ、やっぱり絵の魅力は大きいなあ。 ……原作、探し出して読んでみようっと。
2000年09月14日(木) 通院と残暑と誕生日プレゼントと/『世紀末アニメ熱論』(氷川竜介)ほか
2001年09月13日(木) |
コロニー落としの報復は/『ヘブン』『ヘブン2』(遠藤淑子)ほか |
劇団ホームページの方で、よしひとさんに「1年遅れの恐怖の大王」というネタを使われてしまったので、タイトルを捻り出すのに苦労をしている。 一昨日は「地球人と宇宙人との友好を描いた」(笑)米映画、『地球が静止する日』をモジり、昨日は『帰ってきたウルトラマン』の始祖怪鳥テロチルスをネタにしたわけだが、ああ、くそ、ノストラダムス先にを使われてしまった。 まあ、誰でも思いつきやすそうなネタだけどさ。 しかし、よしひとさんも被害者に全く哀悼の意を表さないわ、マスコミが慎重に使用を避けている「狂人」というコトバを遠慮なく使ってるわ、恐怖の大王で落とすわ、遠慮のないこと。 ……よしひと嬢、ウチのメンバーの中では一番の人格者で通っているのである。他のメンバーの性格がいかようなものか、推して知るべしであろうヽ(^。^)丿 。 で、やっと思いついたタイトルはもちろん『ガンダム』から取ったもの。 自分の武器使わないで大量殺戮ってとこが似てるよな。 アラブゲリラにもオタクがいたりして(^_^;)。
ゆっくり読めなかった新聞をまとめて読む。 犯人グループの目ぼし、イスラム組織のセンが濃厚になってきたようだ。 頭目と目されているイスラム原理主義者のオサマ・ビン・ラーディン(ウサマ・ビンラーディンという表記の方が正しいとか>。どっちでもえーわい)、アフガニスタンに匿われているそうだが、「犯行には無関係」と声明を発表しているそうな。 声明の代理人は、「あんな犯行を行うチカラはラーディン氏にはない」と言っているが、チカラの問題か? 別にラーディン本人がハイジャックする必要はないわけだし、この声明はいかにも不自然だ。 でも「犯人の行動は支持する」んだって。それじゃ「アタシが黒幕です」って言ってるようなもんではないの(^▽^) 。
予想通りではあるが、ロシアもフランスも、西欧諸国の殆どが今回のテロに対する米の報復宣言を支持するコメントを寄せている。 日本は小泉首相の声明が事件発生の12時間後で、各国に比べてずいぶん遅れたと、どの新聞も非難している論調だが、アンタ、戦争放棄してる国でそんなに簡単に「軍事報復」に賛成する意見が吐けるわきゃないでしょうが。 ついこの間まで「靖国がど~の」と小泉首相の戦争肯定とも取れる言動に対して文句つけてた新聞が、「はよう戦争協力せんかい」と全く逆の責め方をするのは、いくらなんでもアタマが悪すぎるのではないか。 もっとも、ア○ヒだろうとヨ○ウリだろうと、毎日、記事を埋めるだけの仕事に追われているカワラバンヤに、アタマを鍛えるヒマもなかろうことはよっく解るが。
それに対して、アラブ諸国のいくつかは、逆に歓迎するコメントを発表。サダム・フセインはもちろん後者(^o^)。 さすがにイスラエルとの和平を模索中のパレスチナ自治政府のアラファト議長は、遺憾の意を表明しているらしいが、さて、ホンネは奈辺にあるか。 ……昔、伊丹十三が『お葬式』を撮った時に、「葬式というのは死者のために行うものではなく、生きている人間が自分たちの関係を再確認するために行うものだ」と喝破したことがあったが、今回、まさしく世界各国は、この「大量殺戮」をきっかけに、その立場を明確にするよう求められることになりそうだ。 既にマスコミも世間も、興味の関心は「死者」から「生者」たちの動向に、完全に移ってしまっている。未だに犠牲者の確認すらできない状態であるってのに、いいのかねえ。 そんなこんなで昨日までの「哀悼ムード」はすっかりどこかへすっ飛んじまってるが、その「不謹慎さ」にはマスコミの連中、全く気づいてないのな。 死んだ者はいずれ忘れられる運命とはいえ、ちと早過ぎないか? 人間、ホントに「死んだらそれまで」なのだと思うと、今生きてる者の醜態すら、バカバカしく見えてくるよ。
最初に誰が言い出すかなと思っていた「アラブ擁護」、元ベ平連の小田実が、しっかり「アメリカの一党支配に対するアラブの報復」というような意味のことを述べている。いかにもなヒトがいかにもな発言をしているのは実に微笑ましいな(^.^) 。なんだかんだで、アメリカに原爆を落とされた日本、どんなに安保同盟を結んでいようと、内心アメリカに対して「いい気味だ」と思っている連中は結構多いのではないか。 そう言った潜在的な反米勢力が、あと1ヶ月の間に第2、第3のテロを繰り返し、アメリカを半壊状態にまで追いこめば、世界の勢力地図は相当、様代わりすると思うが、急激な行動は犯人たち自身のチカラをも減じかねない。 既に彼らは「持久戦」の構えに入っているのではないか。各国の影の協力者の間に潜伏し、アメリカが報復しあぐねて隙ができたところでまたテロを起こす。ベトナムゲリラがアメリカ軍に対して行った作戦の応用だ。アメリカはじわりじわりと国際社会での信用をなくし、ジリ貧になっていく。 私が犯人なら、そういう作戦を取るが、さて、犯人たちの真意はどこに。
あ、念のため言っとくけど、私ゃ別に「アラブ支持」じゃないからね。これはあくまで「現状分析」に過ぎないので、またミョーな勘違いをしないように。
『國文學』10月号、「ことばの最前線」特集。 こういうのではたいてい「若者コトバ」の採集が行われるのが常だが、若い女性たちに、「あなたは『違うよ』を『ちげーよ』って言いますか?」ってアンケートを取っていたのが面白かった。 2001年6月の調査で、女子短大生105人と、2001年1月の世論調査2192人とを比較しているのだが、世論調査では「使う」がわずか5.4%であるのに対し、女子短大生は45.7%。 圧倒的に「若い女性のコトバ」として世間では流通しているのだが、笑っちゃうのは、その肝心の女性たちの大半が、この言い方を、「男言葉で乱暴だから、ホントは使わないほうがいい」と答えていることだ。 だから使ってるのは女ばかりだって。 自分のことが見えていない女がどれだけ多いか、それが言葉のデータから見えるってことですな。 自分の彼女が「ちげーよ」なんて使ってたら、その人はかなりの「馬鹿」である可能性があります。注意しましょう。 ……って、しげも使ってたんだ、これ。あたた(^_^;)。
夕方、テレビアニメ『フルーツバスケット』、入院中からチラチラと見てはいたのだが、今日初めてじっくり見てみた。 女の子に相当人気があるということだけど、さて、いったいどんなものなのか。大地丙太郎監督ということでもちょっと期待したんだけどねえ。 ……貧乏でマジメでちょっとドジだけど人に尽くすのが大好きな、まあ「お人好し」な女の子が主人公。 劇中で、ある男の子が、その女の子を好きな男の子たちに向かってお伽噺を語るシーンがあるんだけど、その話ってのが「バカな旅人がいろんな人からモノをねだられるけど、バカな旅人はバカだから、どんなに騙されてもモノを与えつづけ、自分の体までバラにしてあげちゃった」というアホなもの。 なのに、男の子たちがそれ聞いて感動するのな。 「ああ、あの女の子は、自分のなけなしのバイト代まで、ぼくたちへのバレンタインチョコを買うのに使ってしまったんだ」って。 ……そんなバカに惚れるなよ(^_^;)。 どうも毎回こんな調子らしいんだな、このマンガ。 つまりこれは武者小路実篤の『馬鹿一』とか、遠藤周作の『おバカさん』みたいな「バカ=純粋」って図式をいささか妄信的に賛美している小説の流れの上にあるのだな。 まあねー、キレイなものだけ見てたい永遠の女の子にはいいかもしれないけどねー、ヒネタおやじにゃ感動できるところがカケラもありませんがな。 せめてドストエフスキーの『白痴』みたいに、最後あの女の子が破滅してくれたら、リアルで感動できちゃうんだがなあ。まあムリだろうなあ。
CSファミリー劇場『ハレンチ学園』第1話『トイレット作戦』。 いやあ、ついに見たよ、懐かしの東京12チャンネル版『ハレンチ学園』を。 もう、子供のころ、見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たいと思い続けていて、当時はネット局が福岡になかったために、全く見られなかった番組を、ほぼ30年ぶりに見られたのだ。 もう、出来なんてどうでもいいね。 原作の小学生の設定を高校生に変えちゃいるが、ストーリーは殆ど原作通り。実写のドラマ化がことごとく改変されることがジョーシキだった中で、これは意外だった。 大辻伺郎のヒゲゴジラ、井上昭文の丸ゴシも原作の扮装のまんま。用務員の左卜全ってのもハマってるよなあ。 ……しかし、子供のころは児島みゆきのことをとてもきれいなお姉さんだと思ってた記憶があるが、今見ると、理由が全く解らない。やはりブームに乗せられていたというべきか。
冷蔵庫に紅シャケの切り身が残っていたので、焼いてシャケ飯にして食う。 このシャケッてやつも私には昭和30年代を思い起こさせるなつかしアイテムなんだが、今の若い人にはただの貧相なオカズにしか思われてないのかもなあ。
マンガ、遠藤淑子『ヘブン』『ヘブン2』(白泉社・各410円)。 短編シリーズがその殆どで、長編は殆ど描かない遠藤淑子、これが初の2巻に渡る長編と言えるが、やはり本領発揮とはいかなかったようだ。 『ヘブン』の前日譚が『ヘブン2』という、変則的な構成になっているせいか、この2作、設定がうまくつながっていない。 元軍人の少女、マットが偶然拾った中古ロボット、ルークは、実は要人暗殺用に作られた殺人ロボットだった。しかし、マットの「人は殺すな」の言葉を聞いて、ルークの中で何かが変わっていく。 ……でも結末が尻切れトンボなんだよなあ。てっきり、『2』でその続きを描くのかと思ったら、そのルークのモデルになった男の子の話で、こっちはラスト近く以外は全然SFでもなんでもない。 こりゃもう、『ヘブン3』を描いてもらって、ちゃんと『1』からつながる話にしてくれないと、どうにもおさまりがつかないぞ。 しかし、遠藤さんの作品、旧作は殆ど絶版になってるんだなあ。 『エヴァンジェリン姫』シリーズはさすがにデビュー作だから古すぎるってことがあるのかもしれないけど、『ぐーたら姫』シリーズはほんの2、3年前の作品だぞ。なのにもう絶版か? 遠藤さんだけじゃない、日渡早紀も桑田乃梨子も、初期作品は軒並み絶版だ。白泉社、見切りをつけるのがいくらなんでも早過ぎるぞ。
2000年09月13日(水) シゲオと誕生プレゼントと009と/『遊びをせんとや生まれけむ』(石ノ森章太郎)
2001年09月12日(水) |
誰かあの飛行機に「テロチルス」と仇名をつけたやつはいないか(^_^;)/『あずまんが大王』3巻(あずまきよひこ) |
さて、本日も朝っぱらからテロの続報。 夕べ11時ごろまでの段階では、1機目の激突映像はニュースに間に合わず、2機目の映像も手前のビルに隠されてたが、半日も経たぬというのに、あらゆる角度の映像が出揃う(笑)。 全く、いったいどこから調達して来るんだろうね。 1機目の映像なんか、事件が起きることが予測できていたはずはないから、民間人が撮った、偶然の映像だろう。 さあ、いったいいくらで売った(^▽^) 。 この事件に関して不謹慎な言動を行うやつらは腐るほど出るだろうが、その第一号はあのカメラマンたちだな。マスコミの誰も指摘はすまいが。
その後の映像も、逃げ惑う人々、崩れ落ちるビル、道路を走る粉塵等々、バラエティに富んだ映像が目白押しである。 テロップも殆どドラマのノリである。 「1機目が激突!」 「2機目も連続して」(とここで、3度に渡って多角度から繰り返し映像) 「ペンタゴンも黒煙に包まれる」 「ビルが崩壊」 「そして残りのビルも……」 事件の悲惨さを伝えるよりも、いかにそのショッキングかつスペクタクルな演出で視聴者をクギづけにできるかということを各局が競っているようにしか見えない。 ニュースの担当者は、いや、あくまで事件の悲惨さを伝えたいのだ、と言うかもしれないが、そんなものウソに決まっている。 もしそうなら、既に発見されて運ばれているであろう数々の遺体の惨状をなぜ映さないのか。 それが「遺族に対して不謹慎だ」とか、「むごたらしくてお茶の間には不向き」とかの理由で放送できないと言うのであれば、所詮は臭いものにフタ、現実の悲惨さから目を背けさせてるだけってことだ。 これを「史上最悪のテロ」と本気で認識しているのなら、ホコリまみれで逃げてるどこか間抜けな印象を与えるような人間の姿より、瓦礫に押しつぶされてグチャグチャになった死体くらい流せ。血を映せ。遺族の哀しみもへったくれもあるか。全世界規模の人間に怒りを感じさせたいのなら、現実の「死」に無理やり向き合わせるくらいのインパクトのあるシャシンを見せてみろ。それくらいやらなければ、「真を映した」とは言えないのだ。 本当に伝えるべきものはなにか、それを認識しているジャーナリストがただの一人もいないから、あんな気の抜けた報道しかできないのだ。 いいか、子供があの映像を見て「わあ、スゲエ」と反応してるんだぞ? はっきり言うが、あれだけで「テロの悲惨さ」を感じ取れる人間は、映像自体を分析してそう感じているのではなく、「テロ=悲惨」という図式が予め脳にインプットされているからそう反応してるんであって、マトモなアタマなんか全然使っちゃいない。言わば、シミュレーションであり、ただの条件反射。もっと言えば、「自分は善人」という妄想の中に逃げこんでいるだけだ。 映像自体が与えている印象は、まさしく「映画のような迫力」にすぎない。 だからオトナよりずっと本能的なコドモが、あれを見て「テロはカッコイイ」と感じたとしても全然不思議はない、というより、ごく自然なことなのである。
……何だかなあ、知り合いの若いやつらがみんなして私に聞くわけよ。 「ねえ、戦争が起こるの?」とか、 「ビルってなんであんなに崩れるの?」とか、 「『ぱれすちな』って何?」とか(おいおい)。 この日本人の大多数はそういう馬鹿で成り立ってるということがマスコミにはわかっちゃいないのだよなあ。 で、いちいちそいつらに私ゃ返事をしてやってるんだけど、どうしてみんな、私にだけそう言うことを聞いてくるのかな(^_^;)。
ブッシュ大統領、「これはテロを超えた戦争である」と盛んにアジをトバしていて、小泉首相は「アメリカを全面的に支持する」と明言している。 おーっと、コイズミサン、「戦争放棄宣言」を「放棄」しちゃったぞ。 いっいのっかなっ。 ……もちろん、これは戦争でもなんでもなく、規模がでかいとは言え、ただのテロだ。首謀者が戦争のつもりで行い、被害を受けた方も戦争と受け取ったとしても、国家間の争いでない限り、戦争とは言えない。だから、一応アメリカに協力したって、戦争協力にはならないのだけれど、「アメリカの報復に対して異は唱えない」程度に押さえとかないと、飛んだ火の粉を浴びることになるぞ。
日本の企業が国際貿易センタービルに多数入っていたとしても、それをもって「日本企業も狙われた」と解釈したがるのもムリがある。それは、「『スターウォーズ』はクロサワの影響を受けた」と声高に言いたがるのと同レベルの日本ビイキ、軽い国粋主義の表れに過ぎない。つまり、日本の国際的経済成長を誇示したい気持ちがどこかにあるわけ。 「日本も危ない」とかやたら言ってるやつらがいるけどよ、こんなことでまで「ジャパン・アズ・ナンバーワン」って主張したいかね。そっちの方がよっぽど不謹慎だと思うがねえ。 たかがアジアの端っぺたの島国がちょいとコガネを稼いだからって、国際的テロリストがそんなもんを標的にするか。 だったら平和ボケした日本、とうの昔に新宿副都心が瓦礫の山になってなきゃオカシイじゃないの。これで大騒ぎしてること自体が平和ボケなんだってば。
ネットであちこちのサイトを覗いてみると、やっぱりと言うか、「こんな残酷なテロは赦せない」とか、キレイゴト言ってるやつが目白押しだ。自分には無関係な対岸の火事だと思ってるからこそ、気軽にそういうことが言えるわけで、さて、本気で自分が戦争に巻きこまれる危険を感じてるんだろうかね。 どうせ対岸の火事を決めこむなら、ことさら善人の演技なんかせず、しげのように完全無視を決めこんでた方がよっぽど潔いぞ。……なんだか今の状況は、葬式になるとどこからともなく現れた遠い遠い親戚が、「お悲しいことでしょうねえ」なんて言いながら遺族に向かってウウウと泣きマネをして見せて、そのあとチョイと香典ちょろまかしていってるみたいで、見ていて胸糞が悪くってしかたがない。
日本人がよく知らなかっただけで、テロなんて全世界で頻繁に実行されている。多分、今放映してる映像のインパクトが薄れたら、かつてのテロ事件なんかも引っ張り出してきて、「こんなに世界は危険」とニュースは煽りたてるんだろうが、これまでそれが我々の眼に全く入ってこないくらい、日本人は世界に背を向けて生きてきていたのである。 今更、「テロ赦すまじ」なんて言ったって、ずっと「高みの見物」決めこんでたやつらの発言なんか、聞いたって腹が立つばかりだろう。世界がマトモに相手にするか。
朝から晩まで仕事に合間がない。 ちょっと新聞を読むヒマもない。 もちろん、職場でもテロ事件についてはもちきりで、いろいろ面白い話題もあるのだが、全部オフレコにせざるを得ないのが残念だ。 ……私の職業バラした上で、その裏話セキララに書きまくって本にしたら絶対に売れる自信あるんだがなあ。 もちろん、そんときゃ私はクビになってるだろうが。
帰宅して、晩飯は買い置きの煮物。ところが冷凍庫に入れていたわけでもないのに、野菜の類が全部凍っていて、コンニャクなんかカチンカチンである。 湯がいたら元に戻るかと思ったら、硬くなって縮んだスポンジのように、歯応えが。こ、これはグミ! ……マメ知識です。 コンニャクは凍らせて解凍すると「グミ」になる。 ……今度、試してご覧あれ。 あと、サバを焼いて、晩飯はそれだけ。一応、退院後も控えめにはしているのだ。テレビニュースに齧りついているので、あとは食器洗いと洗濯をしたら一日はあっという間に終わり。 しげ、宮部みゆきの『模倣犯』も『R.P.G.』も全部読み終わったらしく、「面白かったよ。けど、アンタはすぐ先が見えちゃうんじゃないかな」とか言っている。何だか買い被られてる気はするが、ミステリーは作者と読者の知恵比べ、という古風なものが性に合う私としては、確かに宮部さんの作品も好きなものが多いのである。でもさすがに上下巻合わせて1000ページ以上というのはちとキツイ。じっくり一日かけて読む時間、なんとか取らねば。
マンガ、あずまきよひこ『あずまんが大王』3巻(メディアワークス・714円)。 さりげない女の子のカラダの線をリアルに描ける点では、今、日本一のマンガ家(^^*)、あずまきよひこの最新刊。 どうも、私の世代では「あずまんが」と聞くと、どうしても『アズマニア』を連想して、「吾妻ひでおのことか?」とか思っちゃうのだが、「ともかく徹底的に女の子がかわいい」という点では共通項があろうか。 表紙絵は、私のイチ押しの、一見クールに見えるけれど、実はただの引っ込み思案で、大の猫好き(だけどなぜか猫には嫌われちゃう)、ファンシーグッズ大好きな、背が高くてロングヘアー、超巨乳な美人、榊さんのニット姿。……なんだか男の妄想を絵に描いたような(絵だってば)キャラだな。 4コマが主体だけれど、間にたまに入る短編スペシャル、「榊さんの初夢」とかが面白い。 よくわからないが、12歳だけれど頭がよいので飛び級してきた高校2年生のちよちゃんちは大金持ちなのである。 榊さん、お年始にちよちゃんちに来るのだが、お手伝いさんはペンギン、お父さんは多分猫である。でも立って歩くし、妙に平べったいしヒゲは生えてないし、ホントのところ何なのかよく解らない。 喋ってることもよく解らなくって、「一緒に夕食でもどうかね? 赤いものもはいっているが」と、なぜか赤いものにトラウマがあるらしい。……こういう「不条理をトラウマに絡めて描く」感覚も吾妻ひでお的だ。 クラスの担任のゆかり先生が、美人なのにグータラで、生徒のことなんてまるで考えてないってのはいしいひさいちの藤原先生の影響かな。「あーいいわよ好きにして。生徒の自主性をそんちょーとかゆーので」。……セリフだけ書き出したら、本当にそっくりだな。 完全にオリジナルなギャグなんてのはそうそう作れるものではない。でも従来のギャグの語り口を変えて今の読者にウケるようにし立てるのは、必ずしも手抜きではあるまい。パロディから出て来たとはいえ(多分エロも描いていたのであろう)、あずまきよひこの活動は、もう少し評価してあげてもいいのではないか(相原コージなんかが、あがいているのが見える分、逆に笑えなくなってるのに比べると遥かに面白いし)。
2000年09月12日(火) 打ち身とワンピースの続きと/『ONE PIECE』6~15巻(尾田栄一郎)
2001年09月11日(火) |
地球が静止した夜/『ななか6/17』3巻(八神健) |
え~っと、先にヒトコト断っときますが、今日から数日間、人によっては読んでてちっとばかし不快になることを書いたりする部分が多少あるかもしれませんので、ごくマジメな方は読まれないことをおススメいたします。 まあ、いつものことか(^.^) 。
♪聞ぃこっえそっおっなぁ、鼓ぉ動ぉがぁ、恥ぁずぅか、しぃいぃよぉ♪ どぅおぅしぃてぇ、わぁたぁしらしくは、なっ、いっいぃよぉ♪ 残念ながらテレビ版バージョンで、フルコーラスバージョンを知らない。おかげでカラオケで歌いたくとも歌えないのであった。 何のことかって、『To Heart』ですがな、18禁エロゲーの。テレビのほうは山口宏の切なくキュンッとした(おええ)脚本のおかげでごくフツーの青春純情アニメの佳作になっとりましたが、ゲームの方はどうもひろゆきちゃんはマルチとまでちゃんとナニしているらしい。 ……だからしげよ、ええトシの女が朝っぱらからエロゲーなんかやってんじゃないってば。こんな音楽で目覚めさせられるこっちの身にもなれや。
平常のお仕事に戻って第一日目。 まあ、遅刻もせずにすんだのはええことであった。……って目標のスキルが低いか(^^)。 今日から一日の半分以上は職場にいるわけだし、基本的に仕事のことは書かないと決めているこの日記、あまり書くことがなくなっちゃうかもなあ、と思っていたのが大間違い(* ̄∇ ̄*)。 ……いや、なんつーか、何のことかおわかりの方も多かろうが、もう一回、ご注意。 気分が悪くなっても知りませんよ。
定時に職場をあとにして帰宅、なんとか『ジャングルはいつも ハレのちグゥ』の時間に間に合う。……いや、マジメに仕事はしてますってば。 ホントにこんな面白いアニメがあることに気づかなかったのは痛恨の極みである。やっぱりシンエイ動画はきちんとチェックしておくべきだよなあ。 既に24話、ということはあと2話で最終回。ハレたちが都会から帰ってくるあたりで終わりってことなんだろうな。果たして保険医とかあちゃんの結婚まで描くのかどうか。少なくともグゥの正体が明かされないままに終わるらしいことは予想がつくが。 今回の話は原作にもある保険医とかあちゃんのデートをハレたちが妨害するエピソードだが、なんてったって「男が女をホテルに連れこむ」って話で、ちょっと放送的にマズイんじゃないかと思ったが、堂々とやりやがった。(⌒▽⌒) ……さすが、『しんちゃん』でもオトナギャグをほぼカットせずに「今夜は……」なんてギャグをトバしているシンエイ。 あと2話しかないが、まだこの水島努監督の傑作に触れていないというオタク諸君、人生随分損してるぞ。 今からでも見なさい。
しげが急に「今日は焼肉だ!」と叫んだので、晩飯はいきなり焼肉。 しかも「高くても美味い焼肉が食いたい」と言うので、いつも行きつけの「安いだけでただ『肉』である(笑)」某チェーン店にはいかず、比恵の『蛮風』に行く。……いや、確かにいい肉使ってんだけどさ、マジでたっけーんだよ。 「私は払わん!」 週末、きらら博にも行かねばならんのに、そんな散財をしている余裕はない。そしたらしげ、 「私が払う!」 ……え? 一瞬、目が点になった。 あのケチで吝嗇でしわい屋のしまり屋で業突張りの守銭奴の(って全部同じ意味やがな)しげがいったいどうしたのだ。鬼の霍乱か(譬えが違うって)。 「もう、ガマンできない、今日は行く!」 なんと言いますか、周期的に思い切り肉を食わねば気がすまない日が来るらしいのだなあ。 人間、メシ食ってる時にも脳内麻薬は分泌されてるそうだからなあ。 多分しげのA10神経は「肉を食う」ことによってドーパミンをドバドバ出しているのであろう(^▽^) 。 ってことは、しげの「肉欲」、いや違う、「食肉欲」、これもマズイか。「肉好き」(これも違うがほかの表現が思いつかん)って禁断症状なのか。 しげは主に赤身の肉、私はホルモンなどが中心。 福岡以外の人は意外に知らない人も多いようだが、この「ホルモン」っての、ブタの臓物の俗称である。本当に「ホルモン」を食ってるわけではない(当たり前だ)。クニュクニュした食感が楽しくて、私の幼稚園のころからの大好物なのだが、しげには不評。 「ゴム食ってるみたい」なんて言われちゃうのだが、ゴムを食ったことがあるのか、おまえ。 この間から気に入っている「とんとろ」を頼んでしげにも食わすが、これもしげには余り美味しくなさそう。 薄切りなのに歯応えがあり、かと言って軟骨ほどには固くない微妙なところが美味いんだがなあ。 もっとも肉の趣味がはっきり分かれているので、いわゆる「肉の取り合い」になるような「死の翼アルバトロス状態」(日本人ならネギ食えネギ!)に陥る危険は、われわれ夫婦にはない。趣味が一致してないほうがいい場合もあるのである。 ……しかし、相変わらず私の勘は冴え渡っている。 何となく、今日あたり、夜たらふく食うことになるのではないかって気がして、朝、昼ともに軽くしか食べていなかったのだ。せっかく痩せたこの体重、なんとか維持しておきたいものだ。
飲み物を買いに立ち寄ったコンビニで、「妖怪根付」を発見。 しげもこのシリーズは気に入ったようで、二人で1個ずつ買うと、なんと「天狗」の色違いペア。楽しい偶然ではあるが、これは二人とも「天狗になっている」という暗合かな(^.^) 。 しげ、実は私に内緒で1個買っていて、「青坊主」をゲットしていたようだが、「こんなんかっちょ悪い」と、早速、携帯のストラップを「天狗」に付けかえている。私の携帯には既に「おとろし」が付いているが、そのうち「天狗」も付けてやるかな。 世間的には夫婦で「天狗の根付」を携帯に付けてるってのも変人扱いされるかもしれないが。
帰宅してふと気づくと、しげの布団の枕もとに、飲み残したアップルティーのパックが置いてある。飲みかけなら貰おうかと思った途端、また、勘が働いた。 「おい、しげ。……これいつ飲んだ?」 ……しげ、黙ってアップルティーを台所の流しへ。 ……ホントに、いつ飲んだんだ!?
さて、もう後悔はありませんね? いよいよ「あの」ネタでありますよ(^.^)。 でも、いつも私の日記を読み慣れてる方には、全然意外ではないかもね。
時刻は10時を過ぎたころ。 しげはマンガを読んで、のへっと寝転がっている。 テレビをつけて、何気なく「ニュースステーション」に合わせると、いつも顔は見ているが未だに名前を覚えていない女性ニュースキャスターが、沈痛な面持ちでニュースを伝え始めた。
「アメリカ、ニューヨークのマンハッタンにある『世界貿易センタービル』に、“たった今”、飛行機が激突いたしました……」
映像が切り替わる。 リメイク版『キングコング』でお馴染みの(そういう覚え方をするなって)、あの無粋なビルの何10階あたりか、確かに濛々たる煙が舞い上がっている。 ……飛行機が突っ込んだ? ということは「事故」ではないな。 どこぞの田舎の民家に突っ込んだのならともかく、あんなどでかいビルに偶然ぶち当たったとはとても考えられない。 狙われたのだ。……って、誰がいったい何の目的で? そう思った瞬間、“今まさに”2機目の機影が、ツインタワーのもう一方に突っ込んで行くのが見えた。手前のビルに隠れて、その瞬間は見えなかったが、向こうのビルからも爆発したような噴煙が燃え上がる。
キャスターが興奮して、「2機目が激突しました!」と叫ぶ。 もう、間違いない。 これは「攻撃」だ。 その瞬間、日頃『サウスパーク』に毒されている私の頭は、「フセインの仕業か?」なんて思ったりしていた。 私も思わずしげに向かって、「おい、すごいことが起こってるぞ」と声をかけた。 しげ、「何?」と言って、テレビを見るが、状況が判るとまた、マンガに目を落とす。 そのあと、時々刻々とテレビは状況を伝えていくが、しげはいっかな関心を示そうとしない。というか、以後、完全なる無視である。 しげにとっては、こんな自分に何の関係もない、些細なニュースには全く興味がないのだ。
……この、しげの、ある意味冷酷な態度のおかげで、私もようやく冷静になれた。 世間では、しげのこんなノンシャランな態度に対して、「これだけの大惨事に、悲しみの一つも覚えないのか」とか、「自分に関係がないなんて有り得ない、政治的、経済的にも世界への影響がどれだけあることか」とか、激烈に非難する人もあろう。 だが、「いったい何が原因でこんな事態になり、今後自分にどのような形でこの事件が具体的な影響を与えるか」何一つ解っていない状況で、慌てふためいて「大変だ大変だ」を繰り返す人間の方が、突発的な事態でパニックに陥って周囲の被害を増大させる連中の同類だとは言えまいか。 しげは世界の情勢に対して全く興味がない。 政治も経済もしげの世界の中には存在しない。 日頃がそうであるのに、今日に限って狼狽したりしたら、それこそ不自然だし、「自分」というものをなくしている。 ましてや、顔も知らぬ人々が死んだことに対して、いきなり哀悼の意を示すような「偽善」を、しげが働くはずがない。
あの、この日記で私はしょっちゅうしげのことを貶しているので、すわ夫婦仲が悪いのではないかとか、これは「離婚秒読み日記」なのかとか思ったりしてる人がいるかもしれないけどね、実際しげ自身が、そう思ってたりもしてるんだけど(笑)、私がしげと結婚した一番の理由は、この「冷酷さ」なのだよ。 というのが、私は「偽善」が好きでねえ。 だって、「安全圏」でものを言うのって、楽じゃないの。表だった批判もされずにすむし、何より汚いもの、醜いものから目を逸らしていられるんだしさ。 つまりは、人権を声高に叫ぶ人間が一番人権をないがしろにしてるってことだよ。 ……そういう私の「善人ぶりっ子」に冷ややかな目を向けてくれたのって、しげしかいないわけだよ。 だったら、私も、しげに対しては「本気」でぶつかっていかなきゃならんでしょうに。日頃、しげを貶しまくってるのはそういうわけです。
事件の続報は次々に入り、そのたびに状況は変化していく。 攻撃されたのは、センタービルだけではなく、国防総省、ペンタゴンにも飛行機が突っ込んだこと。 ピッツバーグでも墜落した飛行機があること(これは目標を達成できなかったものか)。 突っ込んで行ったのは「戦闘機」だったという情報も流されたが、機影を見る限り、あれは戦闘機などではない。普通の航空機だ。 案の定、「航空機はハイジャックされたものらしい」というニュースが流れる。
攻撃目標の無差別性(非戦闘員も狙われたという意味)から、標的が「アメリカ」そのものであることはどうやら見当がついた。そう考えると、これは実に「効率的」な攻撃である。 なにしろ、自分たちの手持ちの武器を用意する手間は全くないのだ。 攻撃する武器も敵のもの、目標も敵のもの、それでいて、何千人もの犠牲者を出すことができ、こちらの犠牲は数人ですむ。 ちょうど偶然、午前中に『ニュースの裏には科学が一杯』という本を読んでいて、「カミカゼアタックが失敗したのは、加速すると翼に揚力が働いて、目標を飛び越えてしまうから」と書いてあったのだが、となると、あの操縦をしていたパイロット、相当な腕の持ち主だということにもなる。 「飛行機の訓練をする」だけで甚大な被害を敵に与えることが出来るのである。考えてみれば、こういう効果的な攻撃が、今まで一度もされていないということのほうが稀有なのではなかろうか。
いや、そういう戦闘がなかったわけではない。こちらの人的被害を最小に、敵の被害を最大に、という攻撃、超有名な事例が一つあったではないか。 ベトナム戦争におけるアメリカ軍の「枯葉剤」の使用である。 あの、ナチスドイツですら、毒ガス兵器を開発しておきながら、連合軍による更なる報復ガス攻撃を恐れて使用できなかった(一部、実験的使用に留まった)、大量殺戮の手段を、アメリカ軍は採ったのだ。 今回の攻撃、まるでアメリカ軍の顰に倣ったようである。
パレスチナ解放民主戦線が犯行声明を発表した、とニュースがあり、すぐさま否定の声明も出された。 犯人の特定は錯綜しそうである。これも、実行犯が確実に死亡しているのだから、隠蔽工作としても非常に効率的である。 何より、「やろうと思えば、アメリカという国を攻撃する手段はいくらでもある」と知らしめた効果は大きい。事件の背後にいる犯人たちが特定できたとして、何らかの報復措置が採られたとしても、それ以上にアメリカをビビらす効果があると判断した結果の攻撃ではないのか。
ただ、逆にこの攻撃が効率的であれば効率的であるほど、同時に犯人たちの「効率的に行わなければならなかった」事情もまた、浮きぼりになってくる。 犯人たちには、独力でアメリカと戦えるほどの力がないのだ。 ある程度バックがいるにしても、正面きってアメリカと戦争できるほどではない。だから、「同時多発テロ」ということは、「継続的にテロが行えない」ということでもあり、この時点でわずか4ヶ所しか狙えなかったということが、犯人たちの限界を示しているとも言える。 しかし、犯人たちはこれを将来への「布石」であると考えたのではないか。 つまりは、全世界の「反米勢力」へのアジテーション、呼びかけである。 「アメリカを憎んでいるやつらは俺たちのほかにもいるはずだ。今はまだ君たちは立ち上がれないかもしれない。だが、たとえ小さな力でもこういう手段をとることができる。ベトナムがなぜアメリカに勝てたか。小さなゲリラ活動の積み重ねだ。恐れることはない。アメリカの繁栄もいつかは終わる。それを終わらせるのは君たちだ」 さて、これに呼応する勢力がどれだけ出てくるか。 これほどの事件が起これば、その態度を各国は明確に表明せざるを得ない。 身を寄せるべき、反米勢力を確認し、結束を固める地盤を作る。 それが犯人たちの最大の目的であったように思えてならない。 にっほんっの、たっちばっは、びっみょおっだなっ、と♪
……で、ここまで引いて参りましたが、もう、お気づきになった方もおりましょう、この作戦、『ガンダム』の「コロニー落とし」のアレンジですね(もう誰かが言ってるかもしれないが、個人の日記だから気にしない)。「仲間がどこにいるか」を探すって意味では『ジャイアントロボ』(アニメの方)「世界制止作戦」のバリエーションとも取れる。 ……誰だ、犯人たちに日本制アニメ見せたのは(^▽^) 。
テレビがだんだん激突シーンばかり繰り返すようになってきたので、飽きてきて寝る。っつーか、そんなんばかり見てるから、日記の更新ができんのだ。 明日には恐らく「ほかのアングル」からの映像も映し出されることであろう。それを楽しみに今日は寝ようっと。
マンガ、八神健『ななか6/17』3巻(秋田書店・410円)。 6歳以降の記憶をなくした七華、一時的に記憶を取り戻す。 わあ、まだ3巻だと言うのに、結構ハードなテーマに触れちゃったぞ。 こういうシチュエーションコメディーものって、案外深刻なテーマを内包していることが多いんだけど、そのことに「あえて触れない」ことが長期連載のためのヒケツではある。 例えば、『オバQ』とかでもそうだけど、「正ちゃんとQちゃんのように、もともと住んでる世界の違うものはいつか別れてしまう」ってのが昔は定番としてあった(でもこのパターン、『うる星やつら』以降、現在では見事に崩れ去っているけどね)。だから、オバQがオバケの国に帰って行きそうな話は極力避けていたんだよね。 この『ななか』のような「記憶喪失もの」も、定番な流れで行けば、「いつか記憶を取り戻す」ことが物語の終わりになる。つまり、作者は「どうやっても記憶が取り戻せない」という状況を作り出すことに腐心していれば、連載を続行させられることになるのだ。 でも、今巻では一時的にせよ、ななかの記憶が戻る。しかも、「記憶が戻っても稔二と七華の間は修復できるのか」というところまで話を持っていった。 こうなると、「記憶が戻りました、めでたしめでたし」のパターンはもう使えない。作者は、物語を楽に終われない道をあえて選んじゃってるのだ。 ……でも、自分の創ったキャラクターが好きだからそこまで突っ込んで話が作れるんだよなあ。ガリ勉に戻ったななかを見て、稔二は「今のななかは苦手だ」と言うが「嫌い」とは絶対にに言わせないのね。そういう「キャラクターに対する気配り」も、作者がこのマンガを大事に作っているんだなあ、と感じさせてくれて、好感度が高いのである。
2000年09月11日(月) ミステリとワンピースと/『ONE PIECE』1~5巻(尾田栄一郎)
2001年09月10日(月) |
憎まれっ子世に……/『RED SHADOW 赤影』(加倉井ミサイル)ほか |
昨9日、映画監督、相米慎二氏、肺ガンで死去。56歳。 早過ぎる死、というのはその通りなのだが、全然惜しいと思わない監督なので、もっとたくさん映画を撮ってほしかった、という気持ちは全く湧いて来ない。
80年代の映画シーンの中で、相米監督が中心的な位置にいたことは事実だ。 今はなきディレクターズ・カンパニーの旗手、というイメージはあったし、実際、ヒット作も結構飛ばし、作品評価も高かった。 遺作は今年の『風花』。 見てはいないが、「ああ、ディレカン解散後も、まだ映画撮ってるんだなあ」とは思っていた。 ……でも、ディレカン後の「ソウマイ」の名は、私の記憶に殆ど影を落としていないのである。 いや、ディレカン以前だって、相米慎二の映画は、私にとって「ムナクソ悪い」映画でしかなかった。 役者に対して監督が愛情を持っていないことがありありと見えていたからだ。
相米映画を語るとき、必ず触れられていたのは、その「長回し」と「ロング」をを多用した(というかアップをとことん嫌った)映像作りである。 「長回しをすると、役者も緊張するし、その空気はロングじゃないと捉えられない」みたいなことを評論家や監督自身も口にしていたように思う。……でもねえ、それって、「役者が緊張感のある演技をアップで表現できないから」って言ってるのと同じなんだよ。 アイドル映画ばかりを作らされてた鬱憤を晴らしてたつもりかもしれないが、あの監督にはアイドルをアイドルとして撮ろうとする気持ちが全くなかった。 だからこそ、できあがった映画は、確かに他のアイドル映画とは「毛色の違った」「ヘンな」ものになっていた。 けれど、その曰く言い難いへんてこさを、うまく批評できないために、ついみんな、「あれは傑作だ」なんて勘違いして誉めそやしてはいなかったか。 別に難しく考えるコトはない。 監督は手を抜いていただけである。……実際に映画撮ってみた経験があればわかるけどさ、長回しは楽だよ~、編集が。ロングにするのだって、長回しのときにはカメラを引かないと状況が判らないからそうするだけなんだって。 必然的に、登場人物たちはただの「点景」になってしまうのだ。
相米ファンに聞いてみたいんだけどさ、『翔んだカップル』や『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子、本当に魅力的に撮られていたか? 『台風クラブ』、女生徒たちをみんな十把ひと絡げに撮っといて、本当に10代の抑圧された心を描けていたといえるか?(せっかくの渕崎ゆり子の下着姿がコマネズミみたいな映像でしか拝めないんだぜ。あああ、姫宮アンシーのセミヌードがああああ。……ごめん) 『ションベンライダー』なんて、タイトルからして「なんでこんなションベン臭いガキどもの映画撮らされなきゃなんねえんだ」って監督の悪態が聞こえてこなかったか? 河合美智子、あれに出てなけりゃ、もっと早くにブレイクできてたかもしれないぞ。 『ションベンライダー』は、それを見た押井守に「映画は好き勝手やっちゃっていいんだ」と思わせたという点で、素晴らしい遺産を残したと言えるが、映画自体はまさしくデタラメな、ただの「一人よがり」の映画である。……確かにあれ見たあとなら、「どんなデタラメな映画を作ったって傑作」っていう気になれるよなあ。 ……はっきり言うが、どんなに下手な役者でも、役者をバカにしている監督を私は映画監督として評価しない。 相米はクズだ。
この時期の監督たち、実は相米ほどじゃないにしても、結構ロングと長回しを多用してるんだよね。根岸吉太郎、井筒和幸、大森一樹、森田芳光。……みんなおもに角川系でアイドル映画撮ってるけどさ、見る者を「萌え」させる映画はただの一本も撮ってない。 ……映画として出来がどうこう言う以前によ、アイドルを撮らなきゃなんねえんだよ、アイドル映画はさ。 どんなに内容がクサかろうと、どんなにヒヒオヤジのロリコン趣味が満一していようと、この時期にアイドル映画を撮れていたのは、大林宣彦しかいなかったのだ。『時をかける少女』はむちゃくちゃバカ映画だったが、それでも私は今でも言えるぞ、「原田知世はいい!」と。 あああ、結婚さえしていなければ、角川三人娘BOX、全部買ってやるものを。
……まあ、相米さんは天国で誰も萌えないアイドル映画を○田○○子と一緒にでも作っててください。
朝、メールボックスを開こうとしたら、えらく重くって全然開かない。 ……なんと、ウィルス入りのメールが送られてきていたのだ。 事前に気がついて削除したので、被害には合わずにすんだのだが、それから少しずつ時間を置いて、十何回も送られてくる。 ちゃんと感染してるか確かめながら送ってるんだろうなあ。 と言うことは、無作為にばら撒いてるんじゃなくて、私、ないしは劇団をターゲットにしているということだ。 ……つーか、多分、私だろう。
上記の相米監督に対する批判もそうだが、私は、自分がこうだと思ったことは、たとえそれが死者を鞭打つようなことであっても平気で書いてしまう。 相米監督のファンだったら、これを読んで激怒するかもしれない。 しかし、よく読んでいただければお解りの通り、私は根拠のないことは書いていない。私の根拠の立て方に対して批判することはできても、述べている意見自体について「黙れバカヤロウ」とは言えないはずだ。 どんなにオチャラケたり、揶揄してはいても、私は「批評」以外のことは書いていないのだ。 だから、それをまず受け入れることは、言論の自由を標榜する者ならば認めなければならない「義務」なのである。 その上で文句があるのなら、その根拠を示して反論すればいい。
日記を移転した時も思ったことだが、「理不尽な妨害」は、私の言動が民主主義の名において正当であることを逆説的に証明してくれていることになる。 ……いや、そんな大げさなつもりで書いてるわけじゃないんだけどねえ。 根拠のないプライドだけで生きてるようなクサレ野郎ってさ、「こいつには何を言っても勝てない」と思ったら、まず確実にヒステリーを起こしちゃって、暴力的な行為で報復しようとするものなんだよねえ。
ああ、つまりウィルスを送ってきた御仁は、戦う前に白旗を振って、私を褒め称えてくださっているのだ。しっかり私の文章を読んで下さっているからこそ、本気で憤ってくださっているのだ。 こんなステキな読者がまたとあろうか。 読者へのサービスは公開日記を書いている者の義務である。いったいどうすればこの熱烈なる読者のご期待に答えることができようか。 そうだ、この人は私が苦しみ、凹み、鼻っ柱を折られてシュンとしている様子が見たいのに違いない。 わかりました。今から「困ります」。
ぐすっぐすっ。 ご、ごめんよう。 悪気はなかったんだよう。つい手が滑って、ヒドイこと書いちゃったんだよう。 もうウィルス送るなんてことしないでくれよう。 パソコンが壊れるかと思ってビクビクしてたんだよう。 夜も眠れなくて、体調は崩すし、下痢と便秘はいっぺんに来るし、アラン・ドロンかジェラール・フィリップの再来かと言われてた美顔が、モンゴメリー・クリフト並に落ちちゃうし、アタマはもともとオカシイし、あんまり苦しくてバカ食いしたんで体重が1キロ太っちゃったし、今日録画する予定だった『SAMURAI GIRL リアルバウトハイスクール』はうっかり録り損なっちゃって土曜まで待たなきゃいけないし、夢の中に横溝正史が出て来たんで、思わず、「セ、先生、『女の墓を洗え』と『千社札殺人事件』はどんな筋になるんですか!」って聞いたけど、ニヤニヤ笑うばかりで全然返事してくれないし、踏んだり蹴ったり突っ込んだりだったんだよう。 赦してくれよう、悪かったよう、ごめんなさい、謝ります、赦してえな赦してえな、ごめんちゃい、すまなんだじょ~、アイアムソーリーヒゲソーリー、ヒラにご容赦、課長に五輪車、初めチョロチョロ中パッパ、オセン泣くともフタ取るな、生麦生米生卵、武具馬具武具馬具三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具、月が出た出た月が出た、隣りのミヨちゃんのケツに出た、あなたと私の合言葉、愛のコトバはアイラブユウ、ユウラブミイくん、松本零士、汽車はゆくゆく貴社の記者、ちょいとお待ちなそこ行く旦那、旦那寺から兵庫に行って、その兵庫の坊主の屏風にいたしやすと、かようお伝え願います。
……ご満足頂けましたでしょうか、モリウチさん。
一昨日は休日出勤したので、今日は平日だけれど休み。 でも、外出しようにもしげは爆睡していて起きないし、日記の更新も溜まっているしで、昼過ぎまでパソコンの前でパコパコ書き込みなど。
夕方、そろそろ入院中に貰っていたクスリが切れるころなので、近所のかかりつけの病院に行って、薬を貰う。 早くに渡さなきゃならなかった成人病センターからの診断書も、今日になってようやく担当医に手渡す。 ……前はひと月に一度来ればいいと言われていたのに、今度から2週間にいっぺんせよとのことだそうな。そんなに時間が取れるかなあ。 「あの、ついでにナンですが、ここの『神経内科』って神経のクスリとか貰えるんですか?」 「どうかしたんですか?」 「なんだかイライラして眠れないこと多くって。そっちのほうの医者にもかかったほうがいいかなあって思いまして」 「『神経内科』ってのは脳卒中とかを見るところですよ。おっしゃってるのは『神経科』か『心療内科』ですね」 「ああ、そうなんですか」 「前はこの病院にもあったんですが担当の先生が移っちゃいましてね。でも睡眠薬くらいなら内科でも出せますよ?」 「ああ、それなら結構です」 単に薬代がかさむから遠慮したのだが、神経科にかかりたいなあと思っているのは本当である。 正直な話、最近、しげと一緒だと疲れて疲れてかなわないのだが、それが必ずしもしげだけに原因があると思い込むのは危険なのではないかと感じているのだ。
夫婦である以上、心はお互いに影響しあっている。 しげのストレスが私に影響し、そうして起きた私のイライラが、またしげを萎縮させ、という悪循環に陥っているように思えるのだ。 薬などの治療でこの状況が改善できるなら、一度夫婦ともども見てもらえないかと思っていたのだが、どうもしげは気乗りがしていない。 「……隔離されたらイヤだ」なんて言っている。 それが既に被害妄想であるし、神経症に対する偏見以外のなにものでもない。 ココロの病がカラダの病に比べて危険だというのは統計的にも何の根拠もないことだし、悩みを表に出すことを怖がる気持ちは、かえって自分自身を痛めつける結果にならないか。 ……こういう時に私はちゃんとしげに「一緒にいるから心配は要らないよ」って言ってるんだがなあ。こんな時だけ私のコトバを聞いていないのだ。日頃の悪口だけは執念深く覚えてるくせに。 平日、しげが一緒にいられるときがまたいつかあるかなあ。
積文館書店を回って、買い損ないのマンガなどを渉猟。 博多はマトモに新刊書を置いてある本屋が、博多駅、天神あたりまで足を伸ばさないと見つからないので、結構手間がかかる。 探しているのはあずまきよひこの『あずまんが大王』3巻と、上遠野浩平『ブギーポップ』シリーズの最新刊なのだが、『あずまんが』はあと2冊で売り切れ、というところでかろうじてセーフ。 でも『ブギー』は影も形もなく、さて、どこまで探しに行けばよいものやら。
スーパーマルキョウの前のうどん屋で、イカ天掻揚げうどんを食べる。 しげは肉うどん。「おなか壊しててイタイ」と言ってるくせにどうしてそういうシツコイものを食うか。案の定食ってすぐ、「いてててて」と言い出すが、自業自得なので全く同情する気になれない。 そのあとスーパーで買い物。 牛肉、鶏肉、塩サバ、紅シャケ、みな賞味期限ギリギリの値引き品ばかりを買う。だってそろそろ生活が苦しくなってきてるんですもの(^^*)。 これで占めて千円にもならないが、充分1週間は食いつなげることであろう。
マンガ、横山光輝『仮面の忍者赤影』2巻(秋田文庫・610円)。 昔、買ってたサンデーコミックスの単行本は親に捨てられちゃったからなあ。ようやく30年ぶりくらいに忘れものを取り戻した気分。 ……でも今巻も表紙の絵、アシスタントの代筆だよなあ。赤影が大カタツムリと戦ってるけど、こんなシーンは原作にはないぞ。ドラマの方じゃ、「魔風編」で、「バビラン」って、ちょっと似た怪忍獣が出てくるけど、よくよく見るとだいぶ違ってるし、この怪獣、何なんだろ? 1巻の「金目教編」に比べると、この「うつぼ忍群」編、構成に難があって完成度の点では一段も二段も落ちる。 ラストの総力戦なんかあっという間に終わっちゃうし。テレビの放映が終了する前に連載が終わったもののようだけれど、やはり人気が出なかったからじゃないのかなあ。
マンガ、横山光輝キャラクター原案、斎藤ひろしストーリー監修、加倉井ミサイル作画『RED SHADOW 赤影』(角川書店・567円)。 こちらのマンガは映画晩の公式ノヴェライズ。 基本的な筋立ては映画版と概ね同じだけれど、キャラクターの扱い方が微妙に違う。飛鳥がチョイ役でしかも死なないのは、ビックリしたけどちょっと嬉しい。代わりに登場、「薄影」が死ぬことで、青影は抜け忍になる。 ほかにも映画と違って、根来弦斎と幻妖斎が同一人物であっりたと、細かい改変は多い。……映画よりこっちのほうがよっぽど面白く仕上がってんだよなあ。
2000年09月10日(日) 睡魔と戦いつつこれを書いてます/『星降り山荘の殺人』(倉知淳)
2001年09月09日(日) |
見え透いたウソにすがるココロは/DVD『ウルトラマンティガ THE FINAL ODESSEY』 |
日曜は朝寝することが多かったけれど、今日はやっと7時に起きることができた。『パワーパフガールズ』を見るのも久しぶりだ。 今日は「もっとオモチャを」「トゥイッギーを守れ」の二本。
朝、目覚めるとガールズの部屋の中はオモチャだらけ。けれどそれが全部オモチャ屋から盗まれたモノと知ってビックリ! なんと犯人は夢遊病のユートニウム博士だった! そこでガールズは博士を逮捕し……ないで、なんと博士に欲しいオモチャを伝えて、もっと盗ませ……って、おいおい、子供に犯罪を奨励してるのか、このアニメ(^.^) 。 子ども番組のモラルに厳しいアメリカでヒーローが悪いことする展開が赦されちゃうってのは(後で反省するけど)、いったい規律が厳しいんだか緩いんだか。 ハカセが銃で蜂の巣にされるときの警官の数がやたら多いのは、『俺たちに明日はない』か『ブルースブラザーズ』の影響だろう。スローモーションで倒れていくところはもちろんサム・ペキンパー&『七人の侍』。全く、相変わらず意表を突くパロディをやってくれるもんだ。
幼稚園のペットのハムスター、トゥイッギーの世話をする当番になった、ミッチ・ミッチェルソンはとんでもないイジメっ子。ガールズの目を盗んでトゥイッギーを虐待。でもトイレに落ちて突然変異を起こし(どんなトイレだったんだ)巨大化したトゥイッギーに、今度はミッチが襲われるハメに。 動物巨大化ものはアチラのB級SFに腐るほど出てくるが、ハムスターをでかくするというのは、なんとなく『うる星やつら』の「ツバメさんとペンギンさん」を思い出させるなあ。アニメ化されたときの脚本は、金子“ガメラ”修介だったけど、もしかしてパワパフのスタッフがホントに見てるかもしれないな。
『仮面ライダーアギト』、死んでるわきゃないと思ってたギルス、真魚ちゃんの超能力で(だからどういう能力なんだかよくわかんね~よ)やっぱり蘇生。 でも、ギルスになった途端に真魚ちゃんを助けに来るってのは、自分を助けてくれたのが誰か知ってたってことなのか? それとも謎の青年に操られているのか? 青年が呟く「この世にはアギトなるものが必要なのだ」というコトバの意味はなんなのか。なんだか進化の過程で枝分かれしていったミュータントたちを戦わせ、行き残るべき者は誰なのかを決めるって展開になりそうでヤだなあ。 ……どうもこのあたりの思わせぶりが、『地球へ……』や『エヴァンゲリオン』とかぶって来るんだよ。
『コメットさん/タンバリン星国の姉弟』。 ここでマメ知識(^.^) 。 「姉弟」は「きょうだい」と読む。 男だろうが女だろうが、「兄弟」「姉妹」「兄妹」「姉弟」、全て読み方は「きょうだい」。「しまい」なんて読み方は戦後に流行した読み方なんだよね。もちろん「なんで女どうしなのに『きょうだい』なんて読ませるんだ」ってアホなことで怒った連中のさしがね。文化ってのはそんな一義的な見方で変えちゃイカンのよ。 そんなことするから、人が人を差別してきた歴史までが忘れ去られていくのだ。 今回の物語、コメットに憧れて地球に来た姉弟が、新しい学校生活についていけずに差別されるって話なんだけど、明らかに「帰国子女」の問題を扱ってる(コメットさん自身は、星国でもう学校を卒業してるので、地球の学校には通わなくていいというのはうまい設定だ。……なぜそれが通用するんだという疑問はあるが)。 現実にある民族・人種差別などを、「宇宙人と地球人」というアナロジーとして描くっていうのは、今までにも『ウルトラマン/故郷は地球』『ウルトラセブン/ノンマルトの使者』『帰ってきたウルトラマン/怪獣使いと少年』などで使われてきた手法なのだけれど、実は私は、基本的にはあまり好きじゃないのである。 ぶっちゃけた話、これって、アナロジーがアナロジーになりきれなくて露骨になっちゃう嫌いがあるのね。ドラマを作る上では、なかなか諸刃の剣なのである。『も~ッとおじゃ魔女どれみ』の最初の数話でもこの問題を扱っていたけれども、少女モノアニメで描くにゃ重いんだよねえ。適当なキレイ事で終わらせられるものでもないし。 案の定、1話では結末をつけられなくて、来週に続いちゃったが、うまい結末つけられるのかなあ。 それにしても、もうコメットさんも24話か。もう半年にもなるが、レベルダウンしてないのは嬉しいなあ。視聴率も必ずしも振るってないみたいだけど、一応3クール目には入るようだ。そろそろDVD出してほしいが、広告を全然見かけないぞ。予定はないのか。
今日から練習には参加しなくなったので、なんとか体を休められる。 と言っても、洗濯や台所の片付けは残っているのだ。 部屋の掃除とゴミの取りまとめもしておきたいが、そこまでは手が回らない。 ……だからしげがちょっと手伝ってくれるだけでも助かるんだけどなあ。朝起きて、出かけるまで、何時間もあるじゃないか。その間ぼーっとしてるだけってのは、どういう了見だ。 別に妻に家事をさせるために結婚したわけじゃないし、もともとないモノねだりだということもわかっちゃいるが、せめて「ごめんね」の一言ぐらいはほしいぞ。 しげは『全員集合』の志村けんと桜田淳子の夫婦コントがやたらと好きで、「私のこと愛してないのね?!」と私にしょっちゅう振ってくるのだが、仮に「そんなことないよ、愛してるよ」なんて答えてやったところで、ならば、と働き始めるわけではないのである。 そんなんじゃ、答えてやるだけムダじゃないか。 それよりは「いつもいつもすまないねえ」とでも振ってくれたほうが、まだ返事のし甲斐があるというものだ。 ……いや、病人の看病してる気分にならなきゃやってけませんって。
日記を一気に更新させようとフンバッテいたのに、あと一行、というところで、突然「わお~ん」と音を立てて、「不正操作ガアリマシタ。コノぷろぐらむヲ強制終了シマス」のコールとともに、日記が、ぱあああっ……と消える。 ……たまにあることなんだけど、原因がいつも不明だ。ヘンなことした覚えなんか全然ないのに。 ちょっと、頭が白くなって、パソコンの前から離れ、しばらく昼寝。 気分転換しないと、もう一度取りかかる元気が起きないのであった。
今月号の『アニメージュ』と『ニュータイプ』、ようやく10月からの新番組情報。 アニメオタク向けには『まほろまてぃっく』や『Hellsing』、『フルメタル・パニック』『X』『ヴァンドレッド セカンドステージ』とかがあるのだけれど、どうも心引かれるものがない。 『まほろ』なんか、あの『王立宇宙軍』の山賀博之氏による(というか、“公式には”これが多分、第2作だ)初のテレビシリーズだというのに、かわいいメイドさんが異星人と戦うって、なんだかありきたりな設定。 もっとも、フタを開けてみなけりゃ出来は分らないし、とりあえずこれ一本くらいはチェックしとくかな。OP演出だけだけれども、庵野秀明もアニメに帰ってきたみたいだし。 同じGAINAX制作なら、鶴田謙二と山賀博之が組む『アベノ橋魔法☆商店街』のほうが意外に化けるかも。 もっとも、キャラデザインのツルケン、脚本のあかほりさとるに「巨乳のメガネっ娘を描け」と言われて苦労してるらしいが(^o^)。……しかしこれだけ接点のないスタッフが協力してテレビシリーズ作るってのも滅多にないよなあ。大ゴケする可能性も大だが。
個人的には『サイボーグ009』と『ヒカルの碁』が一番の楽しみなのである。ただし傑作が出来るだろうという確信があるわけではないが。 期待はあるが、両作とも不安要素だってかなりあるのだ。
『009』、誕生編から天使編(完結編)までをアニメ化すると嘯いてるが、何年かけるつもりだ。もう来月から放送だというのに、未だにキャスティングが発表されてないのは、やはり「難航」しているのだろうか。 映像化において最も困難な点は、やはり「黒い幽霊」をどう扱うかではなかろうか。実際、冷戦構造が消えたとは言え、「死の商人」の存在が消えてなくなったわけではない。より「合法的な」形に変貌して存続している分、タチが悪くなっているとも言えるのである。正面切って扱わせてくれるほど、テレビの制約が緩やかになっているとは思えない。 既に第一話、島村ジョーの設定が、原作の「少年院脱走」から「無実の罪で地裁に護送中に脱走」と、ソフトな形に変えられているのである。 「ベトナム編」は、「中東編」はどうなるのか。「移民編」は既に原作すら「ミュータント」の設定が抹消されている。スカスカの、お茶を濁したような内容になるなら、アニメにしないほうがいいとは思うが、打ち切られるのもいやだしなあ。 作画の紺野直幸、今度は『キカイダー』の時より動かしてほしいぞ。
あと、『バビル2世』や『キャプテン翼』の再アニメ化まであるなあ。 こんなのは志がまるで感じられない分、“今更”感が強すぎる。 『バビル』、主役の名前が原作では「山野浩一」だったが、今回は「神谷浩一」に変えられている。実在の山野浩一からクレームでもついたかな。でも「神谷」はねえだろう。神谷明は許可したのか。
いったいいつ出来るんだとヤキモキしていた『機動警察パトレイバー』(廃棄物13号)、制作をマッドハウスに移し(『鉄腕バーディー』の流れなんだろうなあ)、ようやく始動とか。 ……2002年公開って、時代が追いついちゃったじゃないか(^_^;)。 さすがにこれも今更だなあと思うけど、「とり・みき脚本」の一点のみで期待してしまうのである。
DVD『ウルトラマンティガ THE FINAL ODESSEY』。 すごくつまんないかと思ったら、ストーリーとしては『ウルトラマンコスモス』よりスッキリしていて駄作と貶すほどではない。 太古に滅びた古代都市ルルイエの三巨人が現代に復活、かつての仲間だったウルトラマンティガを再び仲間にし、地球を征服しようとする……。 平成ウルトラマンシリーズが実はクトゥルーものだったって設定にはのけぞったし、三巨人がティガを仲間に出来ると簡単に思いこんでるあたり(ティガを復活させなきゃ、地球征服は可能だったろうに。自分で自分の敵を蘇えらせてどうする)、脚本上の欠点は多々あるものの、役者がみんな手を抜かずに演技していることが何より好ましい。 特撮モノに恋愛を絡めるのは、『ゴジラ』などでは失敗するけれど、『ウルトラ』シリーズでは、ヒーロー自身に運命をしょわせる方法として、たびたび使われて成功してきた。 ダイゴとレナにかつてのダンとアンヌを重ね合わせて見た人も多かろう。更に今回、かつてのティガの恋人、カミーラ(芳本美代子熱演!)が登場、恐らくウルトラシリーズ初の「三角関係」が描かれる(^o^)。 レナが「カミーラって誰?!」ってヤキモチ焼くあたりなんか、一歩間違えば失笑ものだけれど(いや、失笑したっていいけど)、吉本多香美がかわいいから赦す(^^*)。 ……でも、これで泣いたってのはちょっと青春のころに何かを起き忘れてきちゃった人なんじゃないかな。
練習から帰ってきたしげに、役を降りたことをみんなにちゃんと伝えたかどうかを聞く。 「言いはしたけど、詳しくは説明してない」と、相変わらず煮えきらない返事。 「オレが抜けるって理由、なんて説明した?」 「『私とは一緒にやれないから』って言ったよ」 ああ、まただ。 こいつ、絶対、「自分が迷惑かけたから」とは認めたくないのだ。 モノをなくせば、「見つからなかった」(「見つけられなかった」だよ)。 何かを壊したり割ったりしたら、「壊れた」「割れた」(なぜ自分が「壊した」「割った」と言えないか)。 予定を忘れたら黙りこむ(「忘れた」だけは自分に責任が掛からないような言い換えが効かないから)。 全て、自分に責任が掛かることを回避しようとするのだ。 プロデューサーがこんな「逃げ」ばかり働くヤツだから、私は一緒にはやれない、と言っているのに、やっぱり何一つ反省していない。 「……みんなはそれで何か言ってたか?」 「別に」 つまりみんな無言だったってことか。 少なくとも、しげの言動は、ちょっと眼はしの効く者ならば、ウソとゴマカシと自己弁護で成り立っていることくらい気づくはずである。 ……というか、気づけよ。 何の件でもいいが、思い出してみればいい、しげもこれまで何度となく失敗は繰り返している。そこで素直に「謝った」ことがあったか? 「しまった」とは言っても「ごめん」とは言っていないぞ。 そこにしげの「欺瞞」を発見できいていたなら、今回の件でも、反応の一つくらいは返したってよかったはずだ。 しげを責めるのでもいい、私を責めるのでもいい、いや、責めないまでも質問の一つくらいしないで、真剣に芝居を作ろうとしてると言えるのか。 ……真剣、というのは別にクソ真面目にってことじゃない。芝居は「遊ばないと」出来ないものでもある。 ただ、ふざけて一人よがりな遊びをしたところで、客は乗っちゃくれないのだ。「真剣に遊ぶ」、その心構えがないと、他人から見て楽しい芝居になんかなりゃしない。 しげの最大のウソは、芝居がウケないのを「自分たちの実力がない」と口では言いながら、本心では「客に見る眼がないのだ」と思っているところだ。なぜって、ならば当然考えて然るべき「どうしたら実力が伸びるのか」ってことについて、しげは今まで一度も語ったことがないのだもの。 そういうことを指摘する者が誰もいないということは、結局、メンバーのみんなもしげと同じ穴の狢だってことだ。……否定できないよね? 前から何度も言ってるが、脚本の協力や撮影くらいなら付き合ってもいいけど、それ以上は私に要求しないでほしいのよ(みんなもどうして脚本書こうとしないかね)。 これでも私ゃやんわりとした指摘しかしちゃいないんだけどね、「ああ、自分たちもまだまだだな」と思えるほど、芝居について真剣に取り組んできたとは言えないでしょ? 私にはみんなが目の前の「なにか」から(自分自身のコトだけどね)常に目を逸らしてるようにしか見えんよ。
自分の失敗を自分のせいだと思える程度のオトナになれたらいつでも呼んでね。そのときは過去のことなんか気にせずに裏でもなんでもやるから。
テレビで、プレステ2の『ガンダム』の新作CMがオンエアー。 これがまあ、滅法面白い。 路上で携帯電話しているサラリーマン、ふと向こうを見ると、ガングロ、超デブのコギャルがこちらに向かって走ってくるのに気づく。 「……まさか」 よく見ると、デブの向こうにもう一人のデブ、やっぱりガングロ。 「……まさか!」 更にもう一人のデブが……! 「まさか!」 走りぬける轟音とともにカットバックされる「黒い三連星」! ……無残に路面で踏み逃げされたサラリーマン。 ああ、久々に「傑作」と言えるCMを見たなあ。 でも、このジェット・ストリーム・アタック、さいとう・たかをの『無用ノ介』にも出て来たんだけれど、最初に考えついたの誰なんだろうね?
しげが突然、「デートに行こう」と言い出す。 「なんだよいきなり」。 「来週、きらら博に行くっちゃろ? だからその前にデートがしたくなったの」 「……意味がわからん。きらら博に行くのがお前とのデートだろ?」 「だから、『きらら博に行く』っていう目的が主なんじゃなくて、『デートが主』ってのがしたいの」 「……デートってのは目的地にどこかにいっしょにいくことで、『デートが目的』ってのはない」 「ただ、なんとなく目的地を決めないでブラブラしたいの!」 「目的地を決めないとどこへも行けないじゃないか!」 言いたいことはわからなくもないが、それこそしげはドラマの見過ぎだ。お前がやりたいのは「逃避行」であって、「デート」じゃないよ。 何が悲しゅうて、全てを捨てて北へ(とは限らんがなんとなくそんな雰囲気)行かねばならんか。……温泉に行くくらいでガマンせいや。
深夜、CSファミリー劇場で『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』見る。 もう何度見たか分らないが、多分、これが私が劇場で直接見た最初のガメラ映画。というか、最初に見た「映画」かも知れない。 うーむ。ここから私の転落人生は始まっているのか(^_^;)。 昭和41年ってーと、私ゃまだ3歳だよ。しかし、その殆どのシーンをしっかり覚えてるんだから(テレビで放映されるたびに見ているからだとしても)、当時の私がどれだけガメラにハマっていたか、わかろうというものだ。 一般的には次作の『ギャオス』の方が人気は高いが、映画としてみた場合、怪獣を倒すために次々と作戦を繰り出すというフォーマット、その作戦自体の奇抜さ、という点において、第一作の『大怪獣ガメラ』とこの『バルゴン』とは、優に東宝『ゴジラ』シリーズをも凌駕しているのである。……まあ、バルゴンの卵が南洋から日本に持ち込まれて、それを取り戻しに現地の女性が来日するって設定は『モスラ』の真似っぽいけど。 カラー映画にもかかわらず、夜のシーンばかりで怪獣の輪郭がよく見えず、海外興行では不評だったということであるが、夜だからこそバルゴンの冷凍光線(と当時は言ってたけど、光線じゃないよな。霧だよ霧)や悪魔の虹が映えて見えたのである。そのコントラストが醸し出す幻想的かつ恐怖をも感じさせる特撮は今も色褪せてはいない。……平成ガメラでも、せめてラストでバルゴンは出してほしかったんだけどなあ。 『ギャオス』以降の『ガメラ』シリーズが、予算の縮小もあってか、だんだん作戦自体がチャチになって行ったのは、なんとも残念なことであった。
2000年09月09日(土) なんでこんなにバカなのか
2001年09月08日(土) |
半年分の食い散らし/『あなたの身近な「困った人たち」の精神分析』(小此木啓吾)ほか |
今日で外でのお仕事もおしまい。 長かったなあ。 入院明けにいきなり肉体労働だもんね、どうなることかと思ったが、なんとかついて行けたのは、一応、体調がよくなっていたからだろう。 けれど昨日あたりから、早くも一日の疲れがやはり取れなくなってきているのである。風呂に入っても寝ても、次の日起きてみると、カラダの節々が痛い。けれど筋肉痛ではないのだ。 つまり、退院して気付いたことなんだが、「椅子に座る」って、それだけですごいストレスになるのだ。 腰は痛くなるし、背骨はイビツになるし、ベッドの上というのがいかに楽か。 全てのオフィスの椅子をアームチェアやカウチベッドに換えて、ゆったりした環境の中で仕事させるようにしたら、サラリーマンのストレスも随分軽減されるのではないか。 ……居眠りが増えるだけだって(^_^;)。
帰宅してみると、やっぱりしげは寝ている。 土産の弁当を「食うか?」と聞くと、ガバッと起きあがって「食う食う」。 これじゃまるで川原泉のマンガに出てくる「食欲魔人」だよ。……あるいは『うる星やつら』のレイか?(覚えていますか? あのブタ牛です) 台所に行ってみると、いい加減溜まりに溜まった食器が異臭を漂わせている。何日か前から、あまりのしげのグータラを叱りまくり、しげも「ごめんなさい」なんて珍しくも殊勝なことを言ってたから、少しは反省して自分から掃除や片付けをするかと思っていたら、やっぱり何もしていないのだ。 ……なぜそこまで臭いかと言うと、夕べ、しげの枕もとに、半年以上も食い散らかして放置してあった食器の山を見つけたのだ。いやらしくも枕や布団で見つからないように隠してたりする。 「さっさと台所に出せ!」と言ったのだが、出しただけで洗っていないのだ。 ……普通、洗うぞ、どんなバカでも。 私も、どうしてこんなものまで洗ってやらねばならんのかと思うと、やる気がどんどん殺がれていくのだが、放置してたらますます臭くなるばかりだ。しげの鼻はもともと腐っているから平気なのかもしれないが、私はたまらない。 泣く泣くジョイをドバドバ食器にふりかけて金ダワシで擦るが、こびりついたヨゴレがなかなか取れない。殆ど重労働だよ、これじゃ。 半分ほど洗ったところで、食器置き場が一杯になったので、残りは明日に回す。どうしてここまでしげに振りまわされねばならないのか。 これで私がしげを怒ると、こいつは「アンタって優しくない」「私のこと嫌い?」なんて言うのだよ。 ……虚しいのは私の方だってば。o(ToT)o ダー。 どんなに言い訳をし、反省したそぶりを見せようと、しげが生まれながらのウソツキであることはこれだけでも証明されてしまうと思うのだが、どうだろう。 誰かこいつを弁護できるヤツ、いるか?
神戸市の中国自動車道で、七月下旬に中学一年生の上家法子ちゃんが手錠をかけられ、路上に放置されて轢き逃げされ死亡した事件で、車から転落させた犯人として、中学教師の福本謙容疑者が逮捕された。 ……また、教師の犯罪か、というのは呆れるばかりだが、やはり知り合ったきっかけはテレホンクラブだったようである。 事件が起きた当時は、中学生なのにテレホンクラブ、ということで、被害者の少女のほうもやや非難に近い論調でコメントされることも多かったのに、ここにきて、犯人が教師だったことで、少女の不行跡のほうはなんとなく不問に伏された感じになってしまった。 でもなあ、女の子の親が、インタビューに答えて「教師のくせに……」なんて憤ってるのを見てると、「キサマが言えた立場か」と言いたくなるなあ。 もともとテレクラ遊びするような状況にまで娘を追いこんだのは親だろうが。自分の責任で娘が死んだとは思わんのか。そういう親だから娘もテレクラに走ったんじゃないのか。 別に犯人を弁護する気は全くないが、被害者の家族に同情する気も起こらないのである。
テレビ、8時からの『これマジ!?』をなんとなく見る。 えなりかずきがUFO信者だとは知らなかったが、自ら「エナリアン」なんて名乗ってんのは何なんだか。 えなりクン、最近はつんくのプロデュースで歌も歌ったりして、相当勘違いしているみたいだが、多分ナンシー関がどこかでこのイタさ加減を皮肉ってんじゃないかな。マスコミや芸能界がどれだけ役者に対して冷たいかっていうのは、こういうとき本気でたしなめてくれるスタッフがいないってことだと思う。 同じ顔の弟も登場してきて(笑)、こちらのほうが「UFO否定派」だというのはいかにもツクリっぽいが、ともかく紹介されるフィルムが誰が見ても特撮だっわかるシロモノなのは視聴者をナメてないか。 ……すごく単純な疑問なんだけど、UFOが目の前を横切っていくのに、カメラがそのUFOを追いかけないというのはどういうわけかね。追いかけてるやつもあるけど、それは弟クンが指摘したように、ただの鳥だし。 えなりクンがマジで肯定派だとすると、知能の程度が知れるが、これくらい顔と言動が一致してるタレントってのも斎藤清六以来じゃないか。……いや、『渡る世間は鬼ばかり』を見る限り、えなりクンを「役者」とは呼びたくないんだよなあ。
小此木啓吾『あなたの身近な「困った人たち」の精神分析 パーソナリティ そのミクロな狂い』(新潮OH!文庫・650円)。 明確な精神分裂症でなくても、ちょっとオカシイ、という類の人間はいつの世もいるもので、まあ、危険がない限りそういうオモロイ人はいても全然構わない。 ところが別に精神的にヘンとはとても言えないのに、いつの間にか周囲に迷惑をかけてしまう、という人間のほうが、現実的には「困ったちゃん」であることが多いのだ。 ここで取り上げられているのは、意地悪な人、いじめる人、冷たい人、酒癖の悪い人、暴力をふるう人、嘘をつく人、冷酷な人、意志の弱い人、無気力な人である。 なんだ、全部私だ(^_^;)。 でも、実際、現代社会なんて、こんな人たち「だけ」で構成されてると言ったっていいくらいなのだ。作者の小此木さん、こういう人たちを片っ端から容赦なく「ブンセキ」してくれるのだが、タイトルに「職場や家庭のアノ人たちにどう対処するか?」ってあるのは全くの看板に偽りアリで、対処法なんてこれっぽっちも出て来ない。 例えば、依存型のパーソナリティーを持っている女性が、恋人に捨てられないだろうか、という不安から情緒不安定になってヒステリーを起こし、鬱病になり、アルコールに溺れ……なんて書いてあるから、てっきりその女性をどう治したかってことが結論として書かれてるんじゃないかと思ったら、結局「恋人と別れました」。……コラ、全然治療できとらんじゃないか。 全てがこの調子で、精神分析関係の本でこれくらい役立たずな本を読んだのも初めてである。 作者は、こういう「困ったちゃん」のサンプルを集めて、「自分はこいつらより人間的にエライ」と思い込んでるだけじゃないのか。この作者が一番「困った人」だったという陳腐なオチでありました。
マンガ、園田健一『砲神エグザクソン』4巻(講談社・530円)。 「ガルフォース』以来、園田キャラは好きなので『ガンスミスキャッツ』に続けてかってるんだけど、どうもスカッとした侵略者撃退ものにならないのがモドカシイんだよなあ。 主役の砲一、前巻までは、敵と戦うことをためらったりして、どうにも煮えきらなくて、それがドラマのノリを悪くしてたんだけど、今巻じゃ逆にキレまくって敵を殺してる。この変貌ぶりにどうにも説得力がないのが結構大きな欠点。ヒーローって、基本的にエールを送りたくなるようなキャラじゃないとマズイと思うんだがな。アムロやシンジ君みたいなうじうじキャラに予め設定されてたのならばともかく、もとから猪突猛進型である砲一には、もっと早い段階で、覚悟を決めた行動とっててほしかった。 インベーダーのリオファルド人も、最初のころはキンバー先生のように、侵略そのものを否定的に見る人物なんかを出したりして「人間」であることを強調してたけど、もう最近はただの悪役だ。 ……だったらもっとスッキリと、単純な勧善懲悪モノにしてたほうがよかったと思うけどねえ。
マンガ、有希うさぎ『グルメな情事』(秋田書店・410円)。 しげがいきなり衝動買いしたマンガだけど、これが意外に面白い。掲載誌は……『ボニータCUBE』? 滅多なことじゃ手にすることもないな。 「父は一流料理人、姉は女子アナ。美食と美人に慣れきった高校生、譲史には、どんな女の子も『埴輪』に見える」……わはは、こういうバカバカしい設定は大好きだ。 まあ、「埴輪」ってところが少女マンガらしくていいやな。男が描くと、まず間違いなく「イモ」とか「ダイコン」になるだろうし。 そんな譲史の家の隣に引っ越してきた料理上手の美少女、いつき。 もちろん一目ボレしてしまった譲史、偶然の事故でいつきとベッドインしちゃったのはいいものの、なんといつきのアソコには見なれたモノが……。 さあ、究極の選択。 可愛くて料理上手の「男」と、料理上手で女の子だけど「埴輪」。 どっちを選ぶ? ……まあ、「見える」だけで中身は「女」なんだから、「埴輪」を選べばいいように思うかもしれないけどね~、やっぱ、リビドーに「視覚」は重要なのよ(^^*) ホホホホ。
2000年09月08日(金) 這えば立て、立てば歩めの夫心/『ビーストテイル』(坂田靖子)ほか
2001年09月07日(金) |
夢の終わり/映画『王は踊る』ほか |
昨日までの雨天が、今日はカラッと晴れてポカポカ陽気。 まだまだ外でのお仕事は続いているので、都合がいいといえばいいのだが、今度は日中、眠くて眠くてかなわない。 新しいクスリ、やたらと副作用が強いと言われてるが、そのせいなんだろうか。でも、以前から7、8時間寝てても眠いときは眠かったからなあ。 しげの眠り病が移ったかな(^_^;)。
1995年のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)をめぐって、ホテル代を水増し請求させて4億2300万円を騙し取ったとして、外務省課長補佐が逮捕。 外務省も次から次へとトラブル続きだが、別に昨日今日のコトではなく、長年の澱のように溜まっていた腐敗体質が、今になって一挙に噴出した印象だ。 ラジオで、なんとかいう評論家が「田中真紀子大臣に代わったので、これまでの不正をなんとかしてくれるんじゃないかということでリークが相次いでるんじゃないか」なんて意見を語っていたが、もちろん、「田中大臣に全ての責任を取らせよう」という動きだと捉えることもできる。 田中さん、つい先日自ら給料カットしたばかりだし、これで結構動きを規制することもできるかもってことなんだろうけど、さて、これでおとなしくするようなタマかね。もともとが放埓な人だから、ますますイキリたって、暴走して、外務省の中を引っ掻き回してくれりゃ面白いんだが。 だいたい官公庁で不正をしていないところがあるなんて、国民は一切信じちゃいないんだよねえ。使途不明金や放漫会計、別に内部事情に通じてなくったって、役所の近所の居酒屋で聞き耳立ててりゃいくらでも情報は手に入るぞ。 なのに、この程度の告発で済んでいる、ということのほうが僥倖なのである。まだまだ10億や20億程度の税金が宙に消えてんだろうから、一連の騒ぎで慌てふためいてボロを出す人間がもっと出て来てほしいもんだね。
『キネマ旬報』9月下旬号、映画『ファイナルファンタジー』の特集。 全米2649館での公開、これはなかなかの規模で、しかもそれなりのヒットは飛ばしたらしい。CG映像に食傷気味の昨今だが、それでも『FF』の映像は結構ショッキングだったということなのだろう。 映画を見る前にはできるだけ情報を入れずに見に行こうと思っているので、監督の坂口博信と押井守の対談も斜め読み。 でもチラッと「ゲームと映画とは違う」というようなことを二人が語っているのを見て、ああ、これは期待していいかも、と思った。 実は私は「ファイナルファンタジー」シリーズも「ドラゴンクエスト」シリーズも、RPGモノはほとんどやったことがないのだが(ビデオゲームではなく、実際に知人同士でやったことはある。当たり前の話であるが、ビデオより圧倒的に面白かった)、ちょっと考えただけでも、ゲームと映画とではその性質が水と油、ほとんど相容れないものであることは見当がつく。 ゲームと映画とでは、そもそも楽しみ方そのものが違うと言っていい。 ゲームに参加しているアナタは、主人公自身であるが、映画を見ているアナタは、主人公の冒険を見ているただの傍観者である。 経験値を挙げるために、延々とザコキャラを倒していく、なんてことは、ゲームの中で自分が主人公となってやっていることだからこそ楽しいのであって、それを2時間程度の映画でただ傍観者として見せられるのであれば、こんな退屈することはない。 従来のゲームの映像化は、ゲームをなぞることに汲々として、とても映画とは言えないシロモノになっていることが多かった。『ストリートファイター』など、これがラウル・ジュリアの遺作かと思うと情けないやら悲しいやら。『弟切草』に至っては、存在そのものが冗談としか言えないような出来だったし。 坂口監督が、“ゲームとは違う”「映画」を作った、というのは、これまでのゲームの映像化を考えると大言壮語にすら聞こえる。CG技術がどうのより、私はゲームは本当に「映画」たりえるか、ということのほうが気になってしまうのである。
今日で公開が終わる『王は踊る』、しげが見に行きたがっていたので、仕事を1時間早引けして待ち合わせ。 キャナルシティあたりで上映してくれてたなら、家からもそう遠くないし、早引けする必要もないのだが、KBCシネマと言う、天神というよりは長浜に近い映画館での上映なのである。 私なら自転車で40分弱で辿りつけるが、しげが一緒だと多分1時間ちょっとはかかる。時間に余裕がないと、しげは絶対ヒステリーを起こすので、仕方なく早引けしてるのだ。ちっとは感謝してもらいたいもんだよ。
しげ、腹も減らしているので、天神ショッパーズの地下で、柳川定食を頼む。 ウナギを卵とじにしているが、ウナギ自体が薄くてそれを卵で誤魔化してる感じがしてそれほどうまくない。 最初はマクドナルドでハンバーガーを買って行こうって言ってたのになあ。 しげに『キネ旬』を見せると、「もうこれ『FF』じゃないよ」なんてウンチクを垂れる。だから私ゃもともとの『FF』を知らないんだってば。
『王は踊る』、実は全く予備知識を持っていなかったので、タイトルの「王」ってのが誰のことなのかも知らなかった。監督は『カストラート』のジェラール・コルビオ(すまねえ、この人の映画見たの初めてだ)。 アホな話で、インド映画の『踊るマハラジャ』の続編かなにかか、なんでしげは独善的で能天気なだけのお寒いミュージカル映画を見たがっているのだ、などとぼんやり思っていたのだなあ。 でも、これがもう、見てビックリ。いや、これだけ見応えのある映画も久しい。やっぱりスカスカなハリウッド映画ばかり見てちゃダメだよん。
……「王」って、“太陽王”「ルイ14世」だったんだねえ。彼が若いころバレエ・ダンサーだったとは全然知らなかった。 宮廷作曲家として揺るぎない権勢を誇っていた、ジャン=バティスト・リュリ。イタリア人である彼がフランスに帰化したのは、若き日、ともに踊ったルイ14世に対する思慕の念ゆえであった。 しかし、男色を嫌う14世は次第にリュリを敬遠するようになる。30歳を越えた王は、既に自ら踊ることもなくなっていた。それでもリュリは王を称える音楽を作りつづけ、盟友である劇作家のモリエールとも決別する。失意のうちに喀血、舞台上で死んでいくモリエール。その姿に自らの運命をも重ね合わせるリュリ。 そして、リュリの最後の演奏会に王の姿はなかった。リュリは指揮棒で誤って自らの足を傷つけ、「王と踊った足を切るな」と叫び、死ぬ。 リュリの死の床に顔を見せようともせぬ14世は、一言「今日は音楽が聞こえぬ」とだけ呟く。
リュリは本当に男色家で、14世に報われぬ恋心を抱いていたのだろうか。それが果たして史実なのか、映画上の演出なのか、寡聞にして私は判別が出来ない。 しかし、14世とリュリの、「朕に友はおらぬ」「ならば私も同じでございます。私にも友はおりません」という、「拒絶によるシンパシー」とでもいうべきパラドキシカルな会話は、見ていてかなり切ない。 臣下であるリュリは、純粋に王への恋慕を告白しただけかも知れない。しかし、14世にしてみれば、「王」に生まれるということそれ自体が、重大な「欠落」を持っているのだという事実を突きつけられたも同然である。多分、その「欠落」は、「友」だけではあるまい。
ジャン=バティスト。その名は「洗礼者ヨハネ」に因むが、リュリのみがその名を持っていたわけではない。モリエールの本名もまた、ジャン=バティスト・ポクランである。 諷刺喜劇の第一人者と評価の高いモリエールも、この映画の中では、14世に媚びを売るただの追従者である。14世の庇護を受けられなくなった後も、最後まで舞台から客席を見て「王は来られぬのか」と悲痛な声を漏らす。 つまりこの映画は、二人の「王に見捨てられた男たち」の物語なのである。 映画のラストが、この二人の死を重ね合わせるように描いているのは、彼らが殉じていたものがいったいなんだったのかを観客に対して問いかけているかのようだ。 彼らは果たして「美しかった」のだろうか。
なんだか辛気臭い書き方になっちゃったけど、これって、本当に当時の歴史的事実なの? と言いたくなるようなエピソードも満載で、見ていて退屈しないどころか、結構笑えちゃうのだ。 ともかく14世、なにかあるたびに楽隊引きつれてBGM代わりに音楽鳴らしてるのね。 ベルサイユ宮殿建設予定地で、「ここに壮大な宮廷を!」と叫んで、ひときわ音楽が高まった途端、14世が沼にハマって泥まみれになる、なんてまるでコントだ。 最高に笑ったのが、愛人とのベッドインの真っ最中にまでBGMを演奏させてること。しかもその演奏を指揮してるのが14世にホの字のリュリだから、彼がジェラシる表情がいじらしいやらおかしいやら。……しかし楽隊に見られてて、よくヤレるよな14世。
公開は終わっちゃったけど、ビデオでも出たらどうぞご覧あれ、お勧めの一本です。でもなあ、ベルギー映画(性格にはベルギー・フランス・ドイツ合作)なんて、そうそう近所のレンタルビデオにゃならばないかもなあ。
映画が終わったのは9時近く。 しげ、何が気に入らないんだか、妙に機嫌が悪く、声をかけてもぶっきらぼうな受け答えしかしない。 しかも勝手に脇道にそれて見知らぬ路地に入りこもうとするので、こちらも腹を立てて「どこに行くんだよ!」と怒鳴る。 「遠回りしちゃいかん? そんなに早く帰りたいの?」なんて嘯くので、もう、これは相手にしちゃいられないと思って、しげを放って、いつもの通り道を先に帰る。明日も私は仕事があるのだぞ。 それに、色弱で夜目の効かない私が、見知らぬ道を自転車で行くということがどれほど危険か、今までもう何十回も口を酸っぱくして説明しているのに、しげは一切記憶しようとしないのだ。私が何度、夜道で電柱やらガードレールやらにぶつかってコケたと思うのだ。 しげは、自分が自動車の免許を取ろうとしているのは、山道を自転車で通う私が心配だから、と理由を説明しているが、そんなの信じられるか。だったらなぜわざわざ暗い道を選ぶか。 結局しげは、自分の気分で「親切ぶりっ子」をしたいときだけ、優しげに見せてるだけで、相手を本気で気遣ったりしてるのではないのだ。 しげが免許を取ったとしても、その車に同乗する気は私にはない。そっちのほうがよっぽど危険だ。
ドアに鍵をかけて、遅れて帰宅したしげを外に締め出す。 これくらい強硬なことをしないと、しげは決して謝らない。 ようやく「ごめんなさい」と謝ったので部屋に入れるが、結局それも口先ばかりで、なぜ勝手に横道に入ろうとしたのかとか、どうして機嫌が悪かったのか、とか、いくら問い詰めても理由をきちんと説明しようとしない。
入院して以来、しげには振りまわされっぱなしである。 故意に嫌がらせをしているとしか思えないことも多々あったので、何度も叱りつけるのだが「反省する」と言うばかりで、実際に反省したような行動は全くとらない。 相変わらず家事は全くしないし、物忘れをしないように気をつけようともしていない。 「わざと叱られるまねをしてるのか?」と聞くと、「そうだ」と答える。 「どういうことだ?」と畳みかけるように聞くと、「失敗すれば、叱られるって結果の予測がつくけど、反省したらその先の予測がつかないから不安になるの」と説明する。 ……これはもう一種の自傷行為だ。それにつきあってたら、マジでこちらの身が持たない。私生活のフォローだけで私にはもう限界である。これで日曜休日まで劇団の練習に潰されていたら、いつ誰がウチの家事をやるというのか。
しげ自身が性格を変えるなり、セルフコントロールできるようにならない限り、劇団の手伝いまでつきあってはいられない。 しげも劇団内で意味不明なこと喋りまくってるのに、みんな甘やかして放ったらかしてるんだものなあ。 直観と言うよりは思いこみだけで何の理論も根拠もない発言をいちいち尊重してやらねばならんほど、私は芝居について不真面目ではいられないのだ。好きであるからこそ、しげの演劇をナメてかかった態度に対して、私は私生活ほどに寛容ではいられないのである。 なのに、この期に及んで、しげはまだ私に「劇団にいてほしい」などと自分勝手なことを言っている。もともと、私が腹を立てて抜ける可能性が高いことを予測しないで、いつのまにか勝手に私をスタッフに組みこんでいた適当さ加減がこういう事態を招いたのだという自覚がないのだ。 「プロデュース形式を取ったのは参加したい者だけ参加すればいいということじゃなかったのか? それをどうして引きとめる? もともと俺は、お前が感情的な行動をとらないなら、という条件付きで参加してたのであって、約束を破ったお前に付き合う義理はないだろう」と一蹴する。 と言うか、約束なんて結婚してから守ってもらった記憶がないぞ。 いくらでも反省できるチャンスはあったのに、それを全てしげ自身が潰してきたのだ。ここまでマジメに付き合っただけでもよしとしてもらいたいものである。 ……どうせあのアホはまた何も反省しちゃいないんだろうけど。
マンガ、星里もちる『本気のしるし』3巻(小学館・530円)。 星里もちる、もう完全に柳沢みきおの亜流になっちゃったなあ。 青春ほのぼのギャグマンガ描いてた人が、ドロドロした失楽園ドラマに走る法則ってのが何かあるのだろうか。私生活で何かつらいことがあったんじゃないかとか勝手に想像したくなるくらい、描かれる人間関係に救いがなくなってきている。 意識的にか無意識的にか、はかない女を演じて男を弄んでしまう女。 女に溺れれば身の破滅と知りつつ、その魅力にとりつかれてしまう男。 「バカ、その辺でやめとけ」と思わず声をかけてしまいたくなるが、そこで立ち止まっちゃ、マンガも完結してしまう(笑)。 見ていて男のバカさ加減に嫌気がさし、女の卑劣さに腹を立て、これじゃハッピーエンドは期待できない、こんなムナクソの悪いマンガがそうそうあるかと思いながら、いつの間にか固唾を飲んで、愚かな不倫に身をゆだねる男女の行く末を見守っているのだ。 それは多分、私もまた愚かな男であるからなのだろう。
DVD『アヴァロン』、吹替版で見る。 押井守監督自身がアフレコを担当したただけあって、キャスティング、その演出、これが別録りでカラミがないとは信じ難い。 アッシュ役の財前直見、私はこの人を『天河伝説殺人事件』でしか知らないのだが、たいしてよい印象はなかった。しかし、声優としてその“演技を聞いた”時、意外に口跡がハッキリしていて、凛としたムードを醸し出せているのに驚いた。 ゲームマスター役の日下武史も『天河』に出演しているが、財前直見との再度の共演は偶然だろう。劇団四季の重鎮として長年鍛えてきた演劇的な口調は、『攻殻機動隊』の「パペットマスター」を彷彿とさせる。つまり、彼もまた「演出家」としての立場にありながら、「ゲーム」のキャラクターであり、「演劇」の舞台に立つ登場人物の一人に過ぎないことを暗示しているのだ。 他のキャストも、役者の実力を見抜く押井監督の力量が見て取れる。 山寺宏一(スタナー)、范文雀(受付の女)、田中敦子(ジル)、大塚明夫(ビショップ)、木下浩之(マーフィー)。 なんとまあ、舌を巻く実力派揃いであることか。これを、舞台俳優と声優を組み合わせて演出したただの実験、と見るのは短絡的だ。なぜならここにはアイドルとかトレンディ俳優とか、シロウトに毛が生えただけの人気声優などは、ただの一人もいないからである。……石田ゆり子や田中裕子を使った某監督とは雲泥の差があるよなあ。
2000年09月07日(木) 涙のリクエスト/『冷たい密室と博士たち』(森博嗣)ほか
2001年09月06日(木) |
裸という名の虚構/『アイドルが脱いだ理由(わけ)』(宝泉薫)ほか |
今日は小泉純一郎首相の写真集の発売日だそうな。 世間の反応、「いくら人気があるからってやりすぎ」って人も多いみたいだけど、こういうキワモノこそが、後の代において「時代の証言」となることが多いのだ。 人気なんて、泡ブクのようにあっという間に消えちゃうものだから、数年後、「あの小泉フィーバーは何だったのか」みたいな感じで振り返られることは必定。今、書店のコーナーを埋め尽くしている感のある小泉関連本が、水が引くように消えてなくなることも確実なのである。 そうなると、更に十数年後、若い人に向かって「昔ね、小泉さんってライオン頭の総理がね、何の実績も示さないのに支持率だけは90%越してたことがあったんだよ」って言っても誰が信用するかってことになるのだ。 そのとき、押入れの奥に隠していた「写真集」を取り出して、「ホラ、それが証拠にこんな写真集まで出てたんだから」と見せれば、ウソなんかついてないってことが証明されるのだよ。 そのためには、初版を買うより、ある程度増刷が掛かったころを見計らって買うのが一番いいんだけどね。「ホラ、三ヶ月でこんなに増刷が!」とかってね。……でもタイミング間違ったりすると、増刷が掛かる前に絶版、ということも考えられるので、この辺の見極めがムズカシイのだ。 ……え? じゃあ、お前は買うつもりがあるのかって? だから「小泉さんのファンの人」、恥ずかしくても買っといたほうがいいですよって言ってるんだってば(笑)。
私は今、酒井法子の『のりピーちゃん』や飯島愛の『タイムトラベラー愛』(作画は武林武士)を買い損なっていることをちょっとだけ悔やんでいるのである(ちょっとだけだよ、ちょっとだけ)。 朝方、J-COMブロードバンドから、「せっかく申しこんでもらって悪いけどよ、お前んとこ、電波障害があってよ、ブロードバンドできねえんだわ。引っ越したらまた声かけてくんな」って、ミもフタもないメールが届く。 ようやく最近、「ブロードバンド」というコトバを覚えたので、「おお、これは便利そうだな」と、早速しげに頼んで(この辺がまだパソコンオンチな私の度胸がないとこ。しげに頼まないと何もできないのだ)、これからは画面一杯にサイトを広げてもフリーズしないぞと喜んでいたのだが、そう都合よく物事は運ばないものらしい。 だいたい「ブロードバンド」なんてエラそうな名前を名乗ってるんだったら「電波障害」くらいものともしないくらいのスペックがあってもいいんじゃないのか。「ブロード」って「広い」って意味じゃないのか。「でもアンタんとこはダメ」なんて了見が狭いぞ。「バンド」って「帯」だっていうけど「紐」の間違いじゃねえのか。やさしくゆったり包んでほしいのに縛って絞めつけてビシバシしばかれてる気分だぞ。 ……パソコンに詳しい人には大笑いの発言でしょうが、ご容赦下さい。イナカに住んでるんだなあ、とちょっと悲しくなったんです。
夜、偶然、『ディズニー百周年SP クイズ$ミリオネア・新学期子供大会』を見ていたら、ちょっと変わった男の子が出ていた。眼鏡をかけた、ちょっと見は、なかなか利口そうな顔立ちの子である。 番組はもう終わりどきで、「野口英世はなんの病気で死んだ?」という、我々の世代なら選択肢がなくたって即答できる程度の問題だが、小学生にはやはり難しいのだろう。ちょっと悩んで「ええ~っ?」なんて言っている。 その態度に物怖じした感じが全くないので、度胸のある子だなあ、でも一歩間違えたら生意気だって嫌われそうな感じだよなあ、と思っていた。 男の子、ハッとして「黄熱病!」と答える。司会のみのもんた、あのねちっこい声で、「どうしてそう思ったの?」と聞くと、男の子、「う~ん、どこかで聞いたような聞かなかったような、友達から聞いたような聞かなかったような」と言って小首を傾げる。場内、ドッと受ける。 おやおや、これはなかなか「ツカミ」を知ってる子だ。 もちろん、正解、75万円獲得!の瞬間、その子が前髪をかきあげてオデコをペろっと見せると、そこには「75万円」と書かれたハチマキが。 おお、いいぞ、この子。アタマのいい子ってのは、それだけでナマイキに見られちゃうものだが、それを「崩す」手段を知っているのだ。こういうのが「知恵」ってもんなんだよなあ。しかも優勝の百万円は、クラスのユニフォームを作るために使うらしい。……ううむ、みんなに憎まれない根回しも万全だ。やるねえ。 なんだか「知恵の一太郎」(江戸川乱歩の小説に登場する利口な少年)みたいだなあ、と思っていたら、名前が「小林くん」……おい、ホントに「小林少年」だ(笑)。
『ニュース23』で、多重人格の母親を支える家族のドキュメント。 日本には多重人格の症例は少ないと言われる。あっても詐病だと主張する医者もいるが、これは日本人の生活そのものが基本的に多重人核的だからだと説明されることが多い。 詐病でもなんでも、本人がそう「思いこんでいて」、「回復しない」のであればそれは立派な病気だ。 このお母さん、主人格のほかに、3歳、6歳、18歳のほか、年齢不詳の女、更には乱暴な男の人格まで、都合9つもの人格を持っている。やっぱり子供のころ、親に受けた虐待がもとになって、人格が乖離していったらしい。 これを「逃げ」だと見なすのは、自分は確固たる人格を持っていると思いこんでいるモノマニアの「偏見」だ。 こういう多重人格、言ってみれば本人による治療だと言ってもいい。果たしてビリー・ミリガンのように、一つの人格に統合しようとすることが正しい治療と言えるのかどうか。 乱暴な男人格さえなんとかできれば、後は人格が九つあろうが百あろうが、生活するになんの支障もないのだ。他の人格と共存していけるのであれば、それも一つの生き方と受け入れていく方法を選択してもいいのではなかろうか。
ここ二ヶ月ほど、日記の更新がなかったマンガ家の安奈さんへ宛ててメールを送る。 個人的なメールを女性の方に送るのは、場合によっては相手に対して失礼になることもあるし、何よりしげにものすごくヤキモチを焼かれてしまうので憚られはしたのだが、ふと、もしも自分がツライときに誰からも声をかけてもらえないとしたらヤだなあ、と思ってお送りすることにしたのだ。 幸い、夜中にご返事があって、感謝していただけたので、ホッと胸をなでおろす。 安奈さんの描かれたマンガが、どんなのか無性に読みたくなってしまったが、こればっかりはご本人が匿名を守られている以上は、詮索できないんだよなあ。
マンガ、尾田栄一郎『ONE PIECE』20巻(集英社・410円)。 20巻の大台に入って、ルフィたちとバロックワークスとの戦いもいよいよクライマックスに近い印象。少年ジャンプの対決マンガの黄金パターン、「団体戦」が展開されてるのだけれど、スポーツの試合じゃあるまいし、全員で各個撃破したほうがずっと効率がいいだろうに、なんて突っ込むのはもう今更かなあ。 でもねえ、「パターンをなぞる」ってのは、そこにちゃんとなぞるだけの「効果」があると自覚した上でないと、結果的に「陳腐」って印象しか与えないんだけど、そのことちゃんと編集者は尾田さんに教えてるか? 教えてないよな、だって『ジャンプ』だし。 もう、『リンかけ』以来私ゃその手のパターンに飽きてるから、気分的にはもう、「絶対に勝ちそうにないキャラにいかに勝たせるか」って方に興味が行っちゃってるのね。 たとえ初めにどんなに追いつめられたって、ルフィやゾロやサンジが勝つのは意外でもなんでもないのよ。 ウソップやトニートニー・チョッパーをいかに勝たせるか。 ここに作者の技量が現れると言っていいのだ。……そういう肝心なところを読み飛ばしてないかねえ、ヤオイ系の『ワンピース』ファンはよ?
結論を先に言っちゃえば、尾田栄一郎、まだまだ捨てたものではない。 ウソップとチョッパーの敵を、いかにも二戦級なミス・メリークリスマスとMr.4の二人に設定してるって点では、ドラマチックな要素がマイナスされちゃってるんだけど、演出でその弱点を随分カバーしている。 NO.4の特殊能力を説明するあたりのテンポが実にいい。 チョッパーが、「4番バッターで犬と一緒なんだ!!」。 ウソップが「さっぱり意味がわかんねェぞ、どういうことだ!!!」。 実際、全く解らない(笑) 。 わかんないものだから、その間にウソップとチョッパー、メタクソにやられる。 で、ホントにNO,4、「4番バッターで犬と一緒」だったんだものなあ(笑)。こういうシビアな対決をギャグでつないで緩急のリズムを作り出す腕は尾田さん、実にうまいのだ。 ミス・メリークリスマスが「モグラ人間」に変身した途端、「ペンギン?」って突っ込まれるギャグは絵が下手なせいでイマイチ効果がなかったけど。ちゃんとモグラに見えてしまう絵を描いちゃいかんねえ。ペンギンに見間違えられるんだったら、ちゃんと色を黒く塗って、もっと下半身デブにしなきゃ。 「5トン」のギャグはギリギリセーフかな。 ウソップの持ってるハンマーがハリボテなのは、読者にはもうミエミエだから、それを誰にボケさせるか、ってとこでチョッパーを相棒に選んでるのはなんとか納得できるし(でもこれは本来、ルフィの役柄なんだよな)。 最後、それまでのギャグで誤魔化してた対決が、二人の底力で勝利する展開、結構うまくまとめられている。 これで『アラバスタ編』最大の山場は最初に終わっちゃったので(笑)、あとはさっさとゾロもサンジもルフィもズタボロになりながら復活して敵を倒す拡大再生産パターンをさっさと終わらせて、いい加減で音楽家を出して海賊ものに戻れ。シャンクスも出せよ。
……それにしても、一番気になるのは、作者が主役のルフィを扱いかねてるのが目に見えてわかっちゃうところだ。 ラスボスを最初に倒しちゃうわけにはいかないのはわかるが、クロコダイルから「てめェの様な口先だけのルーキーなんざ、いくらでもいるぜ…!?」って言われてるけど、その通りだぞ。 ルフィ、今までもそうだったけれど、肝心なところで役立たずだったこと多いのだ。こういう能天気なヤツを勝たせるには、「能天気だからこそ強い」という発想で描いてくしかないんで、作者によっぽど強引な力技を仕掛ける技量がないと続かないんだよなあ。 それができないと、結局、敵のほうの「強さランク」を落として、「実はただのバカだった」ってことであっさり倒させるしかなくなる。「なんだよこの敵、初め出て来たときにはいかにも強そうだったのに、戦ってみると意外と弱いじゃん」って印象になっちゃうのはそのせい。『ドラゴンボール』も『るろうに剣心』も、それで失敗している。 ……クロコダイルもいかにもそうなりそうなんだよね。ゴタクばっかり言ってるし、今巻でミス・オールサンデーのほうが実は黒幕だったっぽい伏線が張られ出したのも、明らかに次へのつなぎ。 だから伏線ってのは、「先を読ませない」のが主眼にないと失敗するんだってば。これで結局、「ルフィたちは最後には勝つ。敵の中でミス・オールサンデーだけは今の話が終わっても再登場する」ってわかっちゃったじゃないか(もともとルフィたちが負けるわけないじゃんか、って突っ込みは的外れ。これは作劇における演出の問題を言ってるの)。 作劇の欠点を若さと勢いでカバーできるのはせいぜいデビュー後4~5年だ。この辺で連載終わらせないと、ホントに尾田さん、潰れちゃうぞ。
ジャンプの「人気があるうちはいやでも続けさせ、なくなったら即打ちきり」っていう「作家使い捨て」体質を変えるためにね、「どんなに人気があっても20巻で完結」って制度にしたらどうかなと思ってるんだけどね。 今日の読売新聞の夕刊を読んでたら、「囲碁」のページで『ヒカルの碁』のことが紹介されていて、集英社は「人気がある限り連載を続ける」と発言してるとか。 「勇退」ってコトバ、誰か集英社に教えてやってくれ。
宝泉薫編著『別冊宝島Real021 アイドルが脱いだ理由(わけ)』(宝島社・1200円)。 私がこの本を読んでるのを、しげが見て、その目が無言で「私というものがありながら、なんでそんなの買ったの!?」と語っていたが、もちろん、これは「マジメな」研究本であって、ヌード写真なんて、引用のための小さなモノクロ写真が点在してるだけだ。変な疑い持つなよ。
ヌード写真ではない、「アイドルヌード」というものはなんだったのか(これが過去形であることが重要)、80年代、90年代のサブカルチャーの重要な一端として捉えようとする著者の視点には大いに共感を感じる。 女性は気を悪くするだろうが、「アイドル」というのは、たとえ脱ごうが脱ぐまいが、男にとっては「性の愛玩物」なのだ。 その是非はともかく、なぜあの時代の若者たちが、ただのヌード写真ではなく「アイドルヌード」を欲したのか(あるいは欲さなかったのか)というのは、例えば「なぜオタクが美少女アニメに萌えたのか」というテーマとも密接な関係があり、戦後日本の文化的土壌を分析するための極めて重要な課題なのだ。 ……思うに、戦後日本の最大のタブーってのは、天皇制の問題なんかではなくて、男性がどうして女性に性欲を感じるのかってことを秘匿してきたってことにあるんじゃないだろうか。 男が女に性欲を抱くのは本能だと思ってる人が、下手すりゃ男の中にもいるだろう。でもそれは真っ赤なウソ。実は、男が性欲を燃え立たせるのは、その女体が持っている「物語」に対してなのだ。 ……「男はみんな巨乳好き」とか思ってる女性の方、多くありませんか? 確かに男が母親から生まれた存在である以上、「女体に母を求める物語」が、男に受け入れられやすいものであることは事実です。でも、男がその内面で求めている物語はそれだけじゃないんですよ。 いみじくも、かつてのアイドル、南野陽子は『寒椿』でヌードを披露した時、「私ってムネが薄いから、薄幸そうに見えるでしょ?」と言ってのけたが、つまり、「薄い胸」であっても、そこに何らかの物語を見出すことができれば、男は奮い立つのだ。 80年代以降、一つのブームになったと言ってもいい宮尾登美子原作の「女郎もの」映画では、その女優の肉体について、いささかアザトイまでの「肉の振り分け」がなされていた。例えばそれは、エネルギッシュなキャラクターには肉感的な女優を配し(西川峰子やかたせ莉乃など)、耐え忍び病気に犯されるキャラは痩身の女優を配する(夏目雅子や真行寺君枝)、というように。 だから逆に、肉感的な十朱幸代が薄幸な女性を演じても今一つ説得力がなかったりもしたのだ。
もともと、アイドルには「アイドル」という「物語」が既に付与されていたのだ。そして、その物語には、「アイドルはヌードにならない」という物語が含まれていた。それは、大人のヌードではあまりに刺激的過ぎる少年たちに与えられていた、ささやかな性の解放だったと言える。 ……実際、小学生のころの私なんか、スカートめくりまではしててもパンツ脱がそうとまでは思いもしてなかったし。……おっと、脱線(笑)。 しかし、少年は大人になる。にもかかわらず、アイドルたちが脱がないままでいたらどうなるか。もはや、アイドルと大人になった少年たちとの間をつなぐ物語は存在しなくなる。アイドルたちが脱いでいったということは、「物語を変質させ、ファンとの間に、新たな共通の物語を持とうとした」ということを意味する。……失敗した例がたいていだったけれども。 少年が大人になる前に、アイドルのほうが一足早く「変質」してしまった場合、少年は「置いて行かれる」。それが「アイドルに裏切られた」という心理になるわけだ。だから、その「変質」をどう受容してオトナになるか、というのも、当時の我々に課せられていた「性の通過儀礼」だったのだ。
いくつかの「通過儀礼」を通じて、少年は大人になる。しかし、それは、「アイドル」を、「性の消耗品」として見るクセを我々が身につけたことにほかならない。何しろ、アイドルは次から次へと量産されていたからである。 それは、言わば「神」として崇めていた偶像を自分のいる地べたにまで引き摺り下ろし、蹂躙する快楽なのであるが、その「快楽」こそが「大人になる」ということだったのだ。
こうなるともうよりどりみどり、芸能界は妄想少年のハーレムと化す。 初め、「アイドルに裏切られた」と嘆いていたファンも、すぐに「代わり」を見つけた。 そうしていくうちに、彼らは、やがてはアイドルに「裏切られる」こと自体、どこかで期待するようになっていった。つまり「アイドルはいつか脱ぐ」、そのときがいつかを「賭ける」ことすらし始めたのだ。 同時期にデビューした女性アイドルの誰が生き残り、誰が消えるか。そして、誰が脱ぐか。人気があれば、「賞味期限」は延びて、なかなか脱ぎはしないが、ユニットを組んだグループは、たいていが数年で解散し、脱いだ。 トライアングル、パンジー、ギャル、少女隊、セイントフォーなどは、デビュー当時からみんな確信していたはずだ。「いつかは脱ぐ」と。でも、そう考えるほうが、当時の男たちにとっては「健全」な発想だったのだ。 逆に「この子だけは脱がないだろう」という気持ちでアイドルのファンになる男というのは、より強い独占欲でアイドルを見ていたことになる。で、彼らはそのままストーカーになったりするのだ。 結局、どう転んでも男は女を性の対象としてしか見ない。物語は女の側にあるのではなく、女の肉体を媒体とした男の方にしかないからだ。女が自立してるかしてないかは関係がない。 女が自らを性の対象として見させないためには、そこに「男の物語を付与させない」方法をとるしかない。 だから、フェミニストたちが「女性を性の対象として見るな!」と言いたいのなら、できるだけ女を魅力なく魅力なくしていけばいいんだけど、それを誰もしようとしてないのは、結局、自分たちを「性の対象」として見させたいことを肯定しているのだ。
なんか、本の内容に触れる前に、個人的なアイドル論をぶち上げてしまったが、まあ、今、書いたようなことを前提に読めば、女性の方も「なんで男ってスケベなの?」という疑問の答えが見えてくると思います。
本書にはアイドルヌードについての歴史が非常にコンパクトにまとめてあるのだが、やはの全てを網羅しきれるものではなく、ここはもう少し詳しく触れるべきではなかったか、という箇所や、調査が不充分と思えるところも多々ある。 篠山紀信の「写楽」シリーズについては、もっとページを割いて解説してもよかっただろうし、従来の倫理観にとらわれない帰国子女のヌード、例えば川上麻衣子のものは、やはりエポックメーキング的な意味合いがあったと思われるのに全く触れていないのはどうしたわけか。 また、「脱がない歌姫」でありながら脱ぐ以上のセックスアピールを出していた存在として、小泉今日子を筆者は挙げているが、ならば中森明菜の立場はどうなるのか。柏原芳恵は未だにバストトップを出してない、などと書いてるが、これも事実誤認で、ちゃんと脱いでいる。 杉田かおるや、安達祐実など、子役が女優に生まれ変わろうとするときに辿った過程というのも、考察しておく必要があったのではないか。
……なんだか、自分でも「ヌード論」が書ける気になってきたなあ。読者の方で呆れてる人もいるかもしれないが、私が自分で一番呆れているのである。何しろこの本で紹介されている写真集で、その存在を知らないものがただの一つもなかったからだ(笑)。 ここまで自分がスケベだったとはなあ。にもかかわらず未だに浮気の一つもしてないというのは、私ってもしかしたらモノスゴイ人格者なのではなかろうか(我田引水)。
2000年09月06日(水) 妖怪っぽい~妖怪っぽい~♪/『ブロックルハースト・グロープの謎の屋敷』(シルヴィア・ウォー)
2001年09月05日(水) |
中華幻想/『仙人の壷』(南伸坊)ほか |
昨日はピーカンだったってえのに、今日はいきなリ土砂降りだぜ。 ここしばらく外での土方(差別語だっていうヤツがいるが土方自身が土方って言ってるの見たこと何度もあるぞ。第一「土」「方」のどこに差別性があるってんだ)仕事が続いているので、正直言って雨に降られるとマジで辛いのだが、残念ながら私の超能力は聖徳太子の3分の2ほどしかないので、せいぜい雨を小降りにすることくらいしかできないのである。 ……いや、本気で信じるなよ。 騙されるやつはそうそういないとは思うが、一応こう書いておかないと、本気で「雨を降らしてください」とか、「ちょっと呪いたい相手がいるんですけど」なんて言ってくるやつがいるからな(←実話)。 本当は風を呼んで雲をちょっと吹き飛ばせる程度です(^◇^) 。
南伸坊『仙人の壷』(新潮文庫・460円)。 中国の伝説を漫画化した作家、というと、真っ先に思い浮かぶのは諸星大二郎なのだが(『孔子暗黒伝』や『徐福伝説』、『無面目・太公望伝』『西遊妖猿伝』『諸怪志異』など、相当な数に上る。氏の作品を読んだことがない、なんて言ってたら、漫画読みとしては信用されないのでマニアになりたいって人はご注意を)、厳密に言えば諸星氏は「中国の伝説をもとにして」、換骨奪胎したパロディを書き続けているのである。 南氏が以前に上梓した『チャイナ・ファンタジー』は、伝説を伝説のままに、ほとんど脚色ナシでマンガ化したもの。本作はその続編(一部は再録)で、ごく短い志怪小説が、南さんの解説つきで16編、紹介されている。 ほぼ一頁につき2コマ、上段と下段に分けただけのシンプルなコマ割りだけど、これは当然意図したものだろう。「絵巻」的なムードもあって、いかにも中国風(なにがやねん)、これが実に味わいぶかい。 南さんも文章解説で述べているが、中国の古典は簡にして要、その淡々とした語り口が魅力である。妖怪がいたら殴る。女がいたら抱く。ちょっと単純過ぎる嫌いがなくもないが、中国人から見たら日本人の愁嘆場なんかまどろっこしくってかなわないのだろう。 畢竟、中国の不思議譚は、ムダがなく、精錬されたユーモア、あるいは恐怖が味わえるものが多いのだ。
「四足蛇」の話など、男が四本足のヘビを捕まえたら(それ、トカゲとちゃうの?)、男本人にはそのヘビが見えるが、他の人には全く見えない。思わず男はヘビを投げ出したが、途端にヘビはその姿を現した。しかし今度は男の姿が見えなくなってしまった。 「透明人間」って、伝染病だったのか(⌒▽⌒)。
日本人なら、そこに何かの小理屈をつけたがるところである。つけられない場合はもともと記録自体、しなかったのではないか。 心霊写真があれば、必ず「そこは昔の戦場」とか、「自殺の名所」とか、説明しなきゃ気がすまない民族だからねえ。解説できないものを極端に嫌うのだ。……だから差別や偏見が多いんだよなあ。
でも、日本にだって、「不思議」を「不思議」のままに、特に解説することもせず、ただ記した物語がないわけではない。 小泉八雲が『骨董』中で紹介した『茶碗の中』がそうである(小林正樹監督によって『怪談』中の一編として映画化もされた)。
関内という武士が、茶碗に茶を注いで飲もうとしたら、そこに美男の姿が映った。驚いて茶を捨ててもう一度注いだが、また美男の顔が映る。 関内が腹を立ててその茶を飲み干したところ、夜になって、一人の若侍が関内を訪ねてきた。 「先刻、貴殿はそれがしをひどく傷つけなさいましたな」 関内は抜刀して侍を切ったが、一瞬にしてその姿は掻き消えた。 翌晩、三人の男が関内を訪ね、「貴殿はわが主人を傷つけなさいましたな」と詰問した。関内はこの三人も切ろうとしたが、その姿はやはり影のように消えた。
これで終わりである。若侍は何者だったのか、この後、関内がどうなったのか、一切書かれていない。書かれていないからコワイ。 小泉八雲は「この結末は読者の想像に任せる」としているが、多分この物語はこれで終わりで、続きなどはもともとないのだ。 日本人も「恐怖」と「不思議」の関係をよく知っていた一例ではなかろうか。
でも、もしかしたらこの話も中国の古典にネタがあるかもしれないんだよねえ。 「人情に拘泥しているこちらの方が未練たらしく感じられる」と南さんも書いているとおり、日本人はどこまでいっても「理屈」をこねくり回さないと落ち着けない、不安神経症が身に染みついた民族なのだ。
ここでちょっと、私も南さんに倣って、好きな志怪小説の一編をご紹介しておこう。原文から直接訳したので、著作権侵害の心配は一切なし(^▽^) 。 『列異伝』(あの『三国志』の曹操の息子、文帝・曹丕が撰したもの)の中から、『談生と幽霊』。談生は別に落語家ではありません(^o^)。
談生は四十も過ぎようというトシなのに嫁の来手がなかった。 毎日、詩経を読み感激して泣いてるようなヤツだから当然のことであろう。 ある夜、十五、六歳くらいの少女が、談生のところを訪ねて来た。 その容姿はおろか、服のセンスに至るまで天下一品、頗るつきの美人である。 談生に寄り添ってきたので、その夜のうちに夫婦になってしまった。 少女が言うには、「ごめんなさい。実は私、人間じゃないの。だから火で私を照らして見たりしないでね。でも三年経ったらもう照らして見てもいいわ」 少女は、妻となって談生の子供を一人生み、その子が二歳になった。 談生はガマンできずに、夜、少女が寝たのを見計らって、こっそりと少女を照らして見てみた。 少女の腰から上は肉付きのよい普通の人間の体だったが、下半身は骸骨があるだけだった。
ご覧の通り、『雪女』プラス『牡丹燈籠』って感じだけど、この手の類話はたくさんあるのね。 じゃあ、何故これが好きかっていうと、やっぱりツッコミどころがいくらでもあるとこ。 『詩経』はもちろん「四書五経」の一つで、儒教を学ぶための必須本。「科挙」の試験に受かるためにはこれが暗記、解釈出来なきゃいけないわけで、言ってみりゃこの談生って男、東大に合格するまで、ずーっと浪人してガリ勉してるようなヤツなんだね。 つまりこいつは四十まで独身だってだけじゃなくて、未だにプー。 今の日本にもこんなヤツ、いそうな気がするな(^u^)。笑い事じゃないな。私だってしげみたいな物好きがいなきゃ未だにこれに近い状態かもしれない。 やたらとオタクな趣味に走って、世間の偏見も何のその、女なんかに目もくれずにDVDだムックだ同人誌だと……ああ、イタイ。 で、こんなヤツがいったん、女にハマっちゃうともう、落ちていくしかないのだよ。……四十過ぎて、十五、六の娘を、出会ったその晩のうちにいきなリ……だもんなあ。こいつ多分、この後は『詩経』なんか1ページも読んでないね。 こういう話の定番として、男は女との約束が絶対に守れないのな。ルーツはやっぱりギリシャ神話の『オイデュプス』かな。 やっぱりこの話の後、談生と少女はどうなったのかとか、そもそも下半身がなくてどうやって子供を作ったのかとか、いろいろ疑問はあるが、そんなことはこの編者にはどうでもよかったのであろう。 「実は奥さまは骸骨だったのです」でオチ。
さて、この話の教訓はなにか? 私にゃどう考えても、「勉強ばかりしてると、脳が膿んで、若い女に騙されるぞ」って感じにしか受け取れないんだが。 ……ああ、やっぱりなんだか自分の運命なぞってるみたいでイタイ、イタ過ぎるっスよ(T∇T) 。
今朝がた洗濯機を回しておいて、しげに干しておいてくれるよう頼んでいたのだが、帰宅してみると何もしていない。昨日もそれで仕方なくもう一度洗いなおさなきゃならなかったのだが、まただ。 「なんで頼んどいたことしてくれてないんだよ」 と言うと、 「だって、自分は洗濯物、洗濯機に突っ込んで回すだけで、干すのは私? ずるい」 ああ、クソ、こういうことをノウノウと言ってのけるから私が切れるのだ。 ……その、洗濯機で洗濯物を回すことすらしないでいるから、仕方なく私がやってるんだろうが。 全部私がやったら、しげは家事を何一つやらないことになるんだぞ。 で、実際に全部私がやってることも多いし。 ズルくて卑怯なのはどっちだ。わかりきってる話じゃないか。 「さっさと干せ!」と怒鳴りつける。 ……ああ、ストレスが溜まる。
CSファミリー劇場、『ファミリー探検隊』の今月のゲストは、仮面ライダー2号の佐々木剛さん。 大ケガされたこともあったせいだろうけれど、1号の藤岡弘さんと比べても随分老けちゃったなあ。でも、お元気でいらっしゃるだけでも素晴らしいことなんだけどね。 佐々木さんが撮影中のバイク事故で怪我した藤岡さんの代役として2号ライダーに扮したことは今更紹介するまでもない有名なエピソードだが、他にもいくつか、初めて聞く話があって(まあ、私が知らなかっただけかもしれんが)、面白い。 仮面ライダー1号は、中に藤岡さん自身が入っていたために、事故が起きたので、一般的には2号ライダー以降はスタントマンが中に入っていたと紹介されることが多かった。 でも、佐々木さんの話によると、「スタントマンの気持ちもわからないといけない」ということで、サボテグロンと戦ったときを含めて、都合3回、スーツの中に入ったそうである。 「視界は狭いし暑いし」って、そりゃそうだろう。 でも、そのスタントマンさんたちも必ずしもベテランばかりとはいかなかったようで(大野剣友会の初期のころなのかな)、エンディングでライダーに倒されて滝壷に落ちていく6人の戦闘員のうち、4人は泳げなかったとか。 「だから臨場感あるんですよ。腹から落ちてるし」って、それ、下手すりゃ人死に出てるって(^_^;)。 佐々木さん自身、スタントは積極的にこなしていたのだとか。 ヘリコプターにぶら下がるアクション(『キイハンター』以来の東映の伝統芸だね)は、地上10メートルの高さで突風に煽られて、死ぬ思いをしたのに、ラッシュを見たら、全部後ろから撮られていて自分だとわからなくて腹が立ったとか。 こういうウラミツラミも混じった話こそが、人間味があって楽しいのである。毎週『ファミ探』は内容が変わるので、来週はどんなエピソードが出てくるか楽しみである。
『オンリー・ムービーズ・コム』というウェブサイトで、「映画史上最も恐ろしい悪役」という投票を行ったそうな。 1位がハンニバル・レクター博士、2位がダース・ヴェーダー、3位がノーマン・ベイツ。 ……さて、この結果に納得される映画ファンは果たしてどれだけおられるのだろう。 と言うか、この三人、「悪役」って言えるキャラか? 「悪役」というからには「善」と「悪」との二項対立があってこそだと思うんだが、レクターとノーマンにはそもそも対立すべき「善」というものが明確な形では存在していない。 しかもこの三人、次作以降でみんな「いいヤツ」になっちゃうのだ。 というか、レクター、そのシュミを除けば最初から「いいヤツ」だし。 ……ノーマン・ベイツのラストなんて、知らない人が多いだろうなあ。『サイコ4』、いっぺんレンタルででも見てみるといいのだ。こんなアホな結末、滅多にないから。 総じて「悪役」の概念ってのが違うのかなあ、という気がしてしまう。 純粋な悪役ってのは、ヴァン・ヘルシングに対するドラキュラ伯爵みたいのを言うんである。ちょっといいやつ、なんて妥協があっちゃいかんのだ。 漫然と『目撃!ドキュン』を見ていると、失踪したダメ夫の借金を、嫁と姑のどちらが払うかで揉めるという、全くこんなのがテレビの企画としてよく通用してるよなって言いたくなるような、なんとも世紀末的な(まだ百年ほど先だが)どうでもいいような内容。 そのどうでもよさが好きでこの手の番組はよく見てるのだが、しげが「なんでこんなの見てるの?」と疑問を呈する。 まあ、わざわざスタジオに呼んでバトルさせるあたり、十中八九、ヤラセだろうな。でも、たとえヤラセだろうと、視聴者は他人の不幸を見るのが大好きなのだ。でなきゃこの程度のダサイレベルの演出で騙されたりするものか。 世間の知的レベルなんて『渡る世間は鬼ばかり』をいいドラマだと本気で思いこむ程度のものなのだ。 こういうどうしょうもない番組ってのは、ナンシー関に指摘されるまでもなく、テレビには充満している。 そういう情況自体を楽しむスタンスも現代を読み解く重要な手段だろうと思うんである。 下品をバカにするなかれ、だね。
シティボーイズのファンサイトに、例の『ラ・ハッスル智恵子ショー』のカットの理由がアップされている。 WOWOWの回答は、「当コントは、詩人・高村光太郎とその妻・智恵子を題材にしたコントですが、放送にあたりその内容を検討したところ、表現内容に不適切なものがあると判断し、主催者側と協議の上、番組内容から削除致しました」ということだそうな。 この「不適切」って言葉の内容を説明しないところ自体が卑劣きわまりない。 「差別」だとはっきり言っちゃうと、逆にあちこちから突っ込まれかねないからボカしているのがミエミエだ。 きたろうさんも『PINKY YELLOW』の中で、「一番時間をかけて創ったコントが放送できませんでした。ものすごく残念ですが、著作権やら、大人の社会の難しい問題があるようです。適当に想像してください。幻の作品になりましたが、ライブの興奮は映像化されない方が残りそうです」と語っているが、となるとDVDの際も収録されない可能性は大である。 この手の問題では、いい加減腹が立って来てるので、こうなったら言ってやるぞ。 「差別をなくそう」なんて偽善を語るのはもうやめてしまえ。 人間の心は基本的に差別をするようにしか出来ていないのだ。 人間にできることは、自分自身の心の差別を運命として受け入れることと、他人の差別を赦すことだけなのだ。 ……言っても聞かないことは知ってるけどさ。「差別」に触れないでいることの方が、どんどん差別できるってこと、差別者たちはよく知っているからね。 CS時代劇専門チャンネルを何気なく見ていると、なつかしの『吉宗評判記 暴れん坊将軍』第一シリーズが。 ちょうど見てたのが『132話 駆けろ!天下の紀州号』ってヤツ。 おっ、ヒロインのたまえ役、特撮ファンにはお馴染みの斎藤浩子だ、とか思いながら見てたんだけど、ストーリーを追っかけていくうちに、アレ? この筋、どこかで見たことあるぞ、と感じ始めた。 吉宗がアラビア産の紀州号という馬を輸入して、日本の馬の品種改良をしようとするのだが、古来より日本馬の産地として有名な南部藩は猛反対。 どちらの品種が優秀か、ということで「早駆け」が催されるのだが、なんとその直前に紀州号が行方不明になる。現場に残された「白い布」を頼りに、紀州号の捜索が始まるが……。 ……はっはっは。いやもう、ミステリファンには一目瞭然、元ネタは言うまでもないねえ。 コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズの回想』中の名編、『銀星号事件(シルバー・ブレイズ)』だ。 いや、まさか『暴れん坊将軍』を見ていて『シャーロック・ホームズ』に出会えるとはねえ。これだから時代劇は油断がならない。 よりミステリ色の強い横溝正史の『人形佐七捕物帳』なんか、『恩愛の凧』はやはりホームズの『ソア橋事件(トール橋事件)』を元にしてるし、『百物語の夜』はクリスティーの『オリエント急行殺人事件』だったりする。 こういうのを調べていくのもオタクの使命の一つだと思うが、八幡の藪知らずに迷いこんだようなもので、キリがないのも事実なのな。 『市民ケーン』の元ネタがクイーンの『Yの悲劇』だってことも故・瀬戸川武資さんが指摘するまで、だれも気づかなかったしねえ。いや、私もだ。両方知ってたのになあ。
CSキッズステーション『こみっくパーティ』第3話。 すっかり毎回可愛いゲストを出すのが定着したこのシリーズ、今回は主人公の和樹が同人誌即売会に臨む話。隣のブースに、いかにも内気なメガネっ娘が座るが、どうも個人誌を作ってるって設定らしい。しかもパロじゃなくてオリジナル本。……アレだね、引っ込み思案だけど、実は心に強い情熱を秘めてるってのがこれほど解りやすいキャラもいないな。 でも、パロやらずにオリジナルって姿勢、私は大好きだ。パロやってるとパロしかやれなくなるものなのよ。 しげがチラリと見て、「アンタ、こういう女の子が好み?」なんて聞いてくる。またいきなリ何を聞いてくるかな(まあ、好みじゃないとは言わんが)。 以前、「オタクな趣味を理解してくれる女性はオタクにとっては理想」なんて こと言ったせいかな。 でも基本的に趣味ってのは独りでするものなので、「一緒に映画を作る」なんて共同作業でもない限り、趣味が一致してるから仲がよくなるというものでもない。 相手の趣味を理解してくれればいいだけなのだけど、それができない心の狭いやつが多過ぎるんだよなあ。そのクセ自分の要求だけは押し通そうとするのだ。
DVD『ゴージャス』、劇場で見たときは当然広東語版であったので、吹き替え版で見る。 ジャッキー・チェンの声は当然この人しかいない、石丸“兜甲児”博也。なんだか本人の声より吹き替えの方が合ってるように感じるのは、コロンボの故・小池一雄さんと同じだな。 ヒロイン、スー・チーの声は雨蘭咲木子。テアトルエコーの人で、人気も結構あるらしいが、私はよく知らなかった。やや甲高い声だけど、可愛らしさの中に色気もあって、なかなかいい感じである。 特典の一つにジャッキー・チェン完全フィルモグラフィーが収録されてるのだが、ビックリしたのは1982年の項に、『伊賀忍法帖』とあったこと。もちろん、この間買ったばかりの日本版DVDにジャッキーが出ているシーンなんかない。 これ、『怪獣王ゴジラ』と同じで、後でジャッキーの出演シーンだけ撮り足したものだろう。現物を見ていないから何とも言えないのだが、せいぜい1シーンか2シーン程度の出演ではないだろうか。 笛吹城太郎の親友役とかでちょっとだけ顔合わせるシーンがあったりとか。いや、勝手な憶測だけど。
2000年09月05日(火) 日向ぼっこしてるヒマに本が読みたい/ムック『アニメスタイル』2号ほか
2001年09月04日(火) |
虚構としての自分/『マンガと著作権 ~パロディと引用と同人誌と~』(米沢嘉博監修) |
しげがパソコンの壁紙を私の写真にいきなリ変えた。 生活時間帯がすれ違いになっちゃって、寂しいのだろうけれど、自分の顔を見ながらパソコン扱うこっちの身にもなってみろってんだ。 ……キモいぞ。 もしかしたらしげ、定期入れにこっそり私の写真入れとくような真似してないだろうな。 ああ、背中が痒い。 スクリーンセイバーには「バカぁ!」なんて文字は流れてるし、いったいなにが不満なんだか。
今日の言いそこ間違い。 パソコンにずっと座りっぱなしの私に、しげが「何してんの?」と聞くので、返事をして、 「じっくり湯灌かけてるんだよ」 わはは、トフスランとビフスランだな。 めったに言い間違いをしない私だが、たまにはある。珍しいことなのでちょっと記録しておこう。 でも、言い間違いは無意識の願望の表れとフロイトは言っていたが、「じっくり湯灌」ってなんの願望を表してるってんだ。こんなもんでもリビドーの象徴なのかよ。 今時、フロイト学説信じてる心理学者もそうそういないだろうがね。
仕事に復帰して以来、職場ではいろいろと面白いことが起きているのだが、全部、私の職業がバレてしまうものばかりなので書けない。 こっそりどこかに書いておいて、私が死ぬ間際に公開してもいいのだが、そこまでするほどのネタでもないからねえ。 まあ、世の中にスネにキズ持ってない商売ってのもなかろうから、ちょっとくらいウチのネタバラシしたって構うまいとも思うし、内部事情を少しはリークしとかないと、どこまで図に乗るかわかんねえよな、ウチの職場ってコトもあるんだけどねえ。 でも、どっちかっつーとウチみたいな下請けの下請けみたいなところ一つ潰したって、オオモトがしっかりしてくれないことには何も状況は変わらんのだ。 だいたいウチは商売広げすぎなんだよ、客は年々減ってるってのに。 需要がないんだったら、思いきって、事業をもっと縮小した方が絶対いいよな。客の数だけの問題じゃなくって、質もどんどん落ちてっからさ、思い切ってムダな顧客を切ってくってのはどうかな? 半分でいいよ、今の。 もちろん、リストラも断行するのだ。そうすりゃ、予算も節約できるんだけどなあ。 え? 私がリストラされたらどうするんだって? そんときゃ更に下請けんとこ行くから平気。そっちは逆に人手が足りなくて困ってるみたいだから。 ……私の商売知ってる人にはのけぞるようなセリフだろうな(⌒▽⌒) 。
で、仕事は昨日から炎天下での作業だ。 大工さんみたいな仕事してますが、私の商売は大工さんではありません。さあ、何でしょう? しかし、病院にずっといたせいで全然気づかなかったが、真昼ってこんなに暑かったんだなあ。ちょっと遅目だけれど、ようやく日焼けし始めた。 かと言って、「健康美」になったってわけじゃないけどね。
残業のせいで、帰宅したのが午後8時。 外はもう暗い。夏も終わりなんだなあ。鳴いてるセミも、もうツクツクボウシばっかりだ。 帰り道、いきなり鼻の穴に向かってカナブンが飛びこんできて、スポッとハマる。ビックリして「フンッ!」と鼻息でふっ飛ばしたら、そのままカナブン、どこかに飛んで行った。 ……いや、ツクリじゃないっスよ。 こういう珍しいこともあるのだなあ。眼に小さな虫が入る、なんてことは経験した人もいるかもしれないが、「鼻の穴にカナブン」ってのはほとんどいないのではないか。 これぞ盲亀の浮木、優曇華の花、一生に一度あるかないかの稀有な出来事なのではないか。……ってたかがカナブンでなに盛り上がってんだろうね。
コンビニに寄って、今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』を立ち読み。 先週、読み損ねていたので、ヒカルの佐為探しの旅はどうなったのかと思ってたのだが、今週号を読む限り、結局見つからないままだったらしい。 ヒカルはすっかり囲碁への情熱を無くし、アキラが尋ねて来ても逃げるばかり。……見事に「力石なき後のジョー」になっちゃってるなあ。 ここまで物語を引いてるってことは、早期の連載完結はまずないのだろうけれど、だとするとこれからもなんとかヒカルに囲碁を続けさせなきゃならないわけだ。 それこそ『あしたのジョー』パターンで行くならきっかけはたいてい「強力なライバル」の出現ってんだろうけれど、それも芸のない話だなあ。 やたら陽気でラテンな碁打ちとか、傭兵経験があって、地獄を見てきた碁打ちとか、ジャングルで育てられた野性の碁打ちとか(^o^)、そんなんが出てきたら笑うけど。 今週号のラストでいかにもな感じで伊角さんが再登場したけど、ヒカルを碁の世界に引き戻すキャラとしてはちょっと弱いんじゃないか。でもアキラはまだ成長しきれてないしなあ。 もうこうなったら本因坊秀策を転生させるしかないんじゃないか。
唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、「公開日記」についての記述があった。 以前、私もこの日記に書いたことだが、この「公開日記」という形式に、こんなに書きがいを覚えることになろうとは我ながら予想もしなかったことなのだ。 「自分の日記を人に見せびらかすなんて、自己顕示欲の表れじゃないか」としたり顔に批判する人はいるが、そんなことは指摘されるまでのことでもない。 ……書き手自身が一番よくわかっとるわい( ̄へ ̄)。 自意識の塊みたいなやつだからこそ、自分の悪筆がガマンできずに、若いころは日記を書き続けられなかったんだい。
実際、現代のようにネット環境が予め用意されていて、かつ自筆で書く必要がない、という条件が揃っていなかったら、私自身、1年以上も日記を続けていられていたかどうか、わからない。 入院中、久しぶりに自筆で日記を書いていると、昔の羞恥心がまざまざと蘇えってきて、自分のヘタクソな字を見るのがとことん苦痛になってしまった。初めのころはそれでもノートに何ページも書いていたものが、退院間近の最後の数日なんか、メモ書き程度しかできなくなってしまったのである。 「ああ、もしこれが全部自筆のままで残るんだったら、途中でやめちゃってたろうなあ」とつくづく思った。 作家の高村薫さんも「ワープロなかりせば」と何かのエッセイに書いていたから、これは悪筆にコンプレックスを抱くものの共通の感覚なのだろう。
他の方々の日記を覗いてみても、「投票してくださいね」と書かれてあるものが多いのは、やはり「自分の書いているものを面白がっている人がいてほしい」という願望の現れであろう。 その気持ちはわかるのだが、読者にそんな期待をしてしまうのは、日記を書く上ではやはりマイナスになってしまうのではないか。 ……ちょっと説明がややこしくなるが、「読者とのつながり」を必要以上に強くしようとすることは、畢竟、せっかく作り上げた「書き手」としての自分の存在を危うくし、「生の自分」を曝け出してしまうことになりかねないのではなかろうか。 何度となくこの日記に書いていることだが、この日記での私は、現実の私とは微妙に人格が異なっている。別にこれはウソをついているということではなくて、「日記を書き続けるための人格」を仮構しているのである。 例えば、素顔の私は、さびしんぼうで傷つきやすい繊細な感受性の持ち主なのだが(コラ、そこで笑ってるのは誰だ)、もちろん、そんなヤワな神経で日記を書き続けられるはずもないので、この日記上においては、ゴーマンかつ無責任な人格に自分自身を設定している。 パソコン通信どころか、『あしながおじさん』や『ポケット一杯の幸福』の昔から、手紙など顔が見えない間柄では、自分の姿形や性別、立場などを偽ることはある意味ごく自然に行われていたのだ。 男なのに女のフリ、またその逆もあり。みなさんは私のことを今までの文章からオタクな中年オヤジだと思ってるかもしれないが、もしかしたらそんなのは全部ウソで、可憐な女子高生かもしれないのだぞ。 ……って、誰が信じるかい。 ξ^▽〆 おーっほっほっほっ。
でも、冗談ではなく、私のことを「本当は女の人じゃないですか?」なんて聞いてきた人も過去にはいたのよ。全く、「なして?」と疑問符が頭の上を飛び交っちゃいますよねえ。 しげに至っては私のこの日記を読んで、「この人、自分に『しげ』っていう奥さんがいるって妄想にとりつかれてる人みたいね」なんて言いやがるし。 じゃあ、そう言ってるお前は何なんだよ。『粗忽長屋』の熊公か。 ……そう言えば、AIQのエロの冒険者さんも、以前、某ちゃんねるで、女性と間違えられていたなあ(^.^)。 こうやって日記を書いているということは、ある程度は自分の実像を錯覚されてもしかたがないと覚悟せねばならないのだろうが、どうして「私は男だ」と全身で表現してるような文章書いてるつもりなのに「女だ」と思われちゃうかな。 もっとも、それで腹が立ったわけじゃないけど。あまり男がどうだ女がどうだなんてことに拘りたくはないんだよね。別にネカマになるつもりはないんで、自分のことを「男だ」って言ってるだけであってさ。 でも、私のことを女だと思いたがる人については別に否定はしません。想像は読者の自由であります。
「日記が続かない」現象が起きてしまうのは、まさしく、実像としての自分と、日記上に表された虚構としての自分、更には読者との人間関係をうまくコントロールできなくなった結果なのじゃないかと思う。 そのことを唐沢さん自身、「日記上の自分」を「世の中とのしがらみで言いたいことも言わず、思ってもいないことを言う、その世間的存在としての自分の声が本当の声なのではないか」と書いた上で、以下のように説明していた。 「公開日記を書くという作業は、その、本音と世間との距離や位置関係を、自分で確認する行為でもある。よく、公開日記が途中で中断されたまま残骸のように放置されているサイトがあるが、あれはそういう距離をうまくとれずにしまった結果だろう」 まあ、書き手が自分のことを「こんな風に思ってもらいたい」ってのはゴーマンだってことなんだよな。
夜、なんとなく物寂しくなって、外出。 しげと自転車で「ブックセンターほんだ」まで。 夜中、自転車に乗るのは夜目の効かない私にとってはちょっと危なっかしい行為なので、本当は避けたいところなのだが、買い損なってる新刊もあるので、探しに行くことにしたのだ。 行き道、突然しげが変なことを聞いてくる。 「……歌舞伎町で火事があったよねえ。こないだから気になってるんだけど」 「……何が?」 「東京のこうたろうさん、火事に巻き込まれてないかなあ」 思わずコケそうになる私。 「住んでるところが違うじゃんかよ」 「でも、台風が来てたときも、ちょうど書き込みとかなかったでしょ? 何か事故にあってないかなあって」 ……バカだよなあ。 その伝で行くなら、仮に私がハワイ旅行したとして、ロサンゼルスで地震が起きたら、津波で沈んでないかって心配しそうだよな。
本を買ったあと、ロイヤルホストで食事。 カロリーが高いものばかりだが、ステーキが意外と低く、500kcal程度しかない。今日は一日、仕事に追われて朝も昼も食えなかったので、思いきって頼む。 いちいちカロリー気にしながら食べるのっての、どうにも侘しいなあ。 こういうのがかえってストレスになりゃしないかと気になるぞ。
米沢嘉博監修『コミケット叢書―02 マンガと著作権 ~パロディと引用と同人誌と~』(青林工藝社・1050円)。 2000年2月と11月、2回に分けて行われた著作権に関するシンポジウムを収録、解説したもの。 パネラーは、第1回がいしかわじゅん、高河ゆん、高取英、竹熊健太郎、とり・みき、夏目房之介、村上知彦、と、マンガ家・評論家中心。なかなか錚々たるメンバーだけれど、夏目さんの「引用」についての話を除けば、他の人たちの意見は感想の域を出ていない。「何がパロディで何がパロディでないか」というのは主観の問題なので、「法律上、どのように考えたらいいか」という視点で見た場合、あまり意味はないのだ。 以前から思っちゃいたが、いしかわじゅんと高河ゆんが、パアの両極だってことはよくわかったな(^.^)。 それに比べて、第2回は飯田圭、石井裕一郎、牧野二郎の法律家三氏に、マンガ家のみなもと太郎が疑問を呈する、という形式を取っていて、こちらはなかなか楽しめた。 感想を書き出したらキリがないが、一つ言えることは、これから同人誌を作ろうって人も、今現在作っている人も、いや、「創作」に携わっている人は、絶対に、この本(特に第2回)を読んでおく必要があるってことだ。
マンガのパロディ描いたり、ヤオイ本出したりしてる人は、「著作権」って聞くと、すぐにオリジナルのほうの著作権のことばかり考えて、自分たちの作品にだって著作権があるんだってことを忘れてしまいがちだ。 なんとなく「それは著作権に引っかかるから」なんて言葉をよく聞くから、これは描いちゃマズイんじゃないか、とか、ここまで描くとさすがにヤバイ、とか、ついそんな消極的な発想で筆が鈍ることが往々にしてあるけれど、でも、現実に日本で「パロディ」が裁判沙汰にまで発展したのは、いわゆる「マッド・アマノ」裁判一例しかないのである。 ……この件もかなり有名なのに、若い人は全然知らないんだよなあ。自分の半分しか生きてない人でも、話してるとこいつ、私の十分の一か百分の一しか生きてねーんじゃないかって思うことあるぜ。
マッド・アマノってのは人名だ。既成の写真をコラージュして、数々のパロディ写真を作ってきたのだが、そのうちの一つ、白川さんという写真家が撮った雪山の写真の上にでっかいタイヤと轍の写真を合成して、自然の雪山がいかに人間に蹂躙されているかを揶揄する作品に仕上げた。 それが結局はオリジナルの写真の著作権を侵害していることになる、と判決が下されたのである。
この判決自体、なんでやねん、と私などは怒りを覚えるが、百歩譲って、仮にこの判決を妥当なものだと考えたとしても、それで全てのパロディ、批評が禁止されたとまで敷衍することはできない。 なのに、我々はつい「サザエさんの性生活」を描いたら、「長谷川町子記念館」から訴えられるんじゃないか、とビクビクしてしまうのである。批評のための引用なら許諾はいらない。実はこれ、法律でちゃんと認められているのである。 確かに、誹謗、中傷、営業妨害目的のオリジナルの改竄は戒められるべきだろう。しかし、例えば、ある作品のパロディ本を描いたとして、それが誹謗の範疇に入るのか、批評の域に達しているのか、今書いた通り、その判例は「マッド・アマノ」裁判しかないのだ。 現実には、裁判に至る前にパロディを描いた方が謝ったり、示談に持って行ったりして、初めから「負け」ている。 それでほんとうにいいのか? という疑念が、第2回のシンポでは、法律家の方から出されているのだ。 「自信を持っているのならやってほしい。やってから(弁護士のところに)相談に来い」と、牧野さんは発言しているのだよ。
私個人はヤオイ本なんて全部クズと思っているが、だから「禁止せよ」「絶版にせよ」「もう描くな」なんてことを言うつもりは毛頭ない。たとえどんなにヒドイ内容のものであっても、批判の対象にこそなれ、出版差し止めなどを要求していいものではない。それが「言論の自由」ということだ。 その点で行けば、小林よしのりの『脱ゴーマニズム宣言』出版差し止め裁判は、小林さんにとっては自分で自分の首を絞めるも同然の訴訟だったと思う。……『新ゴーマニズム』の中でいろいろ言い訳してるけどねえ、結局、「引用する場合、もとの絵や文を改竄してはならない」点において出版が差し止められたんであって、『脱』が批評本であることは認められたのだから、『脱』の作者の上杉聡さんが改訂版を出せば、小林さんはもう何も言うことはできないのである。 同人誌作家たちも、自分のことを仮にも「作家」であると自覚しているのならば、こういうシンポジウムに積極的に参加するくらいの気概を見せてほしいものだ。主宰の米沢さんが嘆いていたのは、一番参加して欲しかったパロディ同人誌の作り手たちがみんなこのシンポに対して及び腰だったということなんだぞ。 ヤオイ本の作者たちがそのオリジナル作品を愛してるなんてのは、ウソだなあ、とつくづく思う。彼女たちが愛してるのは自分だけなのだ。 ……これ、「中傷」じゃなくて、「批判」だからね。
2000年09月04日(月) また一つ悪いウワサが……?/『マンガ夜話vol.9 陰陽師・ガラスの仮面』
2001年09月03日(月) |
変わるわよ♪ ……何がだよ/アニメ『こみっくパーティー』第1話ほか |
芥川賞作家、畑山博氏、肝不全で死去。66歳。 小説家としての畑山氏の作品は全く読んでいない。でも、その著作や言動には一時期やたらと触れた。 畑山氏が宮澤賢治の研究家としても著名だったからである。 1996年、宮澤賢治の生誕100年記念番組をNHKBSが放送したときには、総合ナビゲーターを畑山氏が務めていた。 語り口は実に朴訥としていて起伏に乏しく、お世辞にも見ていて興味を引かれるものとは言えなかった。けれど、たいていの宮澤賢治研究家が、宮澤作品の映像化に否定的だったにもかかわらず(天沢退二郎などは「失敗作」の一言で切り捨てている)、畑山氏は高畑勲作品の『セロ弾きのゴーシュ』を高く評価しているのが印象に残った。
一時期の宮澤賢治熱が去ったかのように、ここ数年、宮澤作品の映像化や特番はほとんど見当たらなくなっている。代わりに脚光を浴びているのが金子みすゞという印象がある。 なんだか世間が勝手に盛り上がって宮澤賢治を持ち上げ、飽きた途端に見捨てていったみたいで、長年のファンとしてはどうにも気分がよくない。『風の又三郎』にしろ『銀河鉄道の夜』にしろ、まだまだ評価が定まっているとは言いがたい。新たな解釈で映像化を試みてもいいのではないいか。 何より、『銀河』のほうは、未だに一度も映像化されたことのない、通称『ブルカニロ博士編』と呼ばれる初稿形もあるのだ。紛失した「天気輪の柱」の章を補完してみるという手もある。アプローチの仕方はまだまだ残っているだろう。
カムパネルラは決して自己犠牲に殉じていたわけではない、というのが私の昔からの意見である。ジョバンニをあの銀河鉄道に乗せたのが誰だったかを考えれば、カンパネルラの利己心が見えては来ないか。宮澤賢治を『雨ニモマケズ』の詩一つに集約して、自己犠牲、滅私奉公の象徴のように扱う観念主義、精神主義の徒は未だに多い。しかし賢治は、大いなる迷いの人であったし、自己の煩悩を制御できない人であったし、人を思うことを考えながら人から逃げていた人でもあった。 賢治が生きていた当時の花巻の人々の評価は「変人」なのである。変人の評価が100年や200年で固まるはずもないことだ。
畑山さんもなんとなく変人っぽい人だった。 今年は賢治の弟、宮澤清六氏も死去しているが、この人もどこか超然とした雰囲気の人だったようだ。 ほんの少しだけ昔の人だった親しい人々が、遥かに遠い昔の人になっていく。仕方のないことだが、寂しい。
今日から本格的に仕事を始める。 私が入院する以前からご病気でお休みしている同僚も、今月から復帰されると聞いていたのに、なぜか出勤していない。 「○○さん、どうしたんですか?」 と他の同僚に聞くと、 「来られないのよ」 との返事。 「まだ、ご病気が治られてないんですか?」 と聞いても、ハッキリした返事がなく、歯切れが悪い。 「……いつごろ戻られるんですか?」 「それが……わからないの」 「……復帰されるご意志はあるんですよね?」 「……実は、こないだ来られたのよね。みんなで拍手して迎えたんだけれど……そこでドラマがあってねえ」 「ドラマ? 何ですか?」 「……聞かないほうがいいわよ」 こ、ここまで引いて、何も説明してくれないとは(・・;)。 いったい何があったのだろう。やはり入院なんてしてると世の中の動きから取り残されちゃうのだなあ。
テレビで漫然と『名探偵コナン』を見ていると、女児誘拐の田中邦彦容疑者をさいたま市で逮捕のテロップが流れる。 ……臨時ニュースで流さねばならんほどのことかと、そのこと自体にビックリ。どうもこの事件、ワイドショーを含めたマスコミが、どう取り扱ったらいいのか苦慮しているような印象があるのだなあ。 幼い子供を誘拐しているわけだから、これはもう、立派な凶悪犯罪、ということで怒りたいところなのだろうが、監禁こそしたものの、女の子は無事解放されていて、イタズラされた形跡もない。 攫ったはいいものの、扱いかねて放り出した、というのが真相に近いところだろうが、そういう犯人の杜撰な計画、アタマの悪さというのが前面に出ていて、「凶悪犯」「知能犯」のイメージからはほど遠くなっているのだ。 つまり、「情けない」「アホな」犯人像っていう印象が強いせいで、マスコミは怒りの矛先を持って行きにくくなってるのじゃなかろうか。 先に捕まった藤田容疑者同様、こいつも美少女アニメオタクなんだろうが、そのことをやたら取り上げて「アニメと現実の区別がつかなくなって」という定番かつ陳腐な言質で批評した気になってるバカコメンテーターが続出してるのも、他にこいつらを責めたてる要因を見つけられないから、しかたなくやってることなんじゃないかな。 トチ狂ったニュースを毎日見せられるのも飽き飽きなので、犯人が捕まってくれてよかったよかった。これで続報もそのうち消えるでしょ。 ……それにしても、逮捕時には作業員をやってたっていう話だけど、履歴書も身分証明もなくて身元保証人もいないってのに、その会社もよく雇ったよな。 過去は一切不問ってのも偏見のないコトで素晴らしいのかもしれないけれど、最低限でも身分証明になる何かを提示させるくらいのことはしておかないといかんと思うがね。
晩飯は餃子を焼いて食べる。 しげにも半分分けてやるが、「どうしてくれるの?」と、とまどっている。 自分のメシは自分で作れ、と言っているから、まさか何か作ってもらえるとは思ってなかったらしい。 気まぐれであるが、考えてみたら、私が気まぐれでしげに優しくすることはあっても、しげが私に気まぐれで優しくすることはないのだ。 自分でも、どうしてこんなやつと一緒に暮らせているのかと確かに疑問に思うことはある。どこかに功利的な判断があるんじゃないかなあ、とは思うが、世間体を気にしてるわけでもないしなあ。 実はバカが好きなんだとは思いたくないが、ちょっとはあるかもしれない。 いや、私はだいたいしげのことを本気でバカだと思っているのだろうか? この日記でも、しげのことを百万遍、バカだバカだと書いているのだが、なぜそこまで書くのかと言われれば、確かに自分でもしげのことを一生懸命バカだと思いこもうとしているフシがある。 では本当はしげはバカではないのかと言うと、やっぱりどう考えてもバカなのである。
先日、しげから突然、「人って変わるの?」と聞かれた。 「変わるさ」と即答する。当たり前のことをなぜいきなり聞くかな、と思って「なんで?」と聞き返す。 しげは直接私の質問には答えず、「性格って、変えようと思って変えられるの?」と、質問し返してくる。 ああ、私がしょっちゅうしげに「バカを治せ。その忘れっぽい性格を変えろ」と言うものだから、そんなことが可能なのか、と考えていたようだ。 「変えられるさ」 「アンタも変えた?」 「変えたよ。環境が変わるたびに、性格何度も変えてきたよ」 「じゃあ、自然に性格が変わるってことはないの?」 「そりゃあるだろう。トシを取って、体が動かなくなりゃ、心が穏やかになることもあるし」 「……確かに、アンタ、変わったね」 「そうか?」 「昔に比べて優しくなった。昔ほど怖くないし」 なんとなく苦笑いを浮かべただけで、それ以上返事はしなかった。 ……なるほど、自分でもトシを取ったのだな、と思う。 以前ならここで「人をトシ寄り扱いするな!」と怒ってただろうから。 でも私はともかく、しげが更に穏やかになったら、バカが加速するだけなんじゃないのか。
なんだかよくわからなくなってきたので、この辺でやめるが、誰か、なんであんなやつと十年も夫婦でいられているのか、説明してください。
バカからバカにされると腹が立つと言うが、しげはしげのクセして私を時々バカにする。でも別に腹は立たない。 あそこまでバカだとかえって「よしよし、バカがまた何か言ってるね」で済ましちゃうからだろう。 CSキッズステーション『SAMURAI GIRL リアルパウトハイスクール』第6話を録画していると、しげが「これ、どこが面白いの?」と、いかにもバカにしたようなことを言う。 実は入院中、録画を頼んでいたのだが、2話以降をまだ見返していない。だから面白いかどうかなんてのはまだよく分らないんだが、とりあえずGONZOで後藤隆幸なんで録ってるのだ。面白さはともかくアニメ技術だけはいいもんな、GONZO。 作品にはいろんな見方があるので、そういう理由で見ることもあるのだが、しげにはそういうのが気に入らないようだ。 ……気に入らないって、そりゃお前の勝手じゃん。ダン・エイクロイド目当てだけで『パールハーバー』見に行ったやつにエラそうな批判される筋合いはないのである。
夜8時、しげが仕事に行く段になって、「3時まで起きてる?」と聞いてくる。 「俺に起きて待っててほしいの?」と聞き返すと、「いいや」と答える。 なら、最初から聞く必要はないのに、どうしてこういう見え透いたウソをつくかなあ。 でも当然、私は先に寝て待っててなんかやらないのである。これは意地悪でもなんでもなくて、明日仕事があるからだ。それを知ってて「起きてるか?」なんて聞いてくるしげの方がよっぽど性格が悪い。 だから、その性格を直せって言ってるんだってば。
CSキッズステーションで『こみっくパーティ』第1話を見る。 一部で話題になってたので、見てみる気になったのだが、要するに「ケイエスエス版『オタクのビデオ』」というわけなんだね。 同人誌だのコミケだのになんの興味もなかった主人公が、筋金入りのオタクな友人に引きずられて、同人誌の星を目指すという……書いててまるでアホみたいだが、そういう設定なんだからしかたがない。 笑えるような、ちとイタイような(^_^;)。 でも、オタクなら誰しも一度は辿った道である。 いきなりオープニングが『TO HEART』で始まったので、一瞬、「なんでマルチが?」なんて、放送を間違えたのかと思っていたら、主人公の夢なのだった。一見ベタベタな展開だが、さにあらず。この夢、後でわかるのだが、主人公を同人誌漬けにするためにオタクな友人がベッドに『TO HEART』の録音テープを仕込んで「睡眠学習」させていたのである。 ……こういう友人を持ちたくはないなあ。 しかし、アホなキャラクターを配置してはいても、「同人誌」を極めて肯定的かつ偏見のない視点で描いているのは、特筆すべきことではないか。 意外なくらいにマジメで、これ、本当に「コミケの星」ってタイトルに変えたとしても違和感がない。これはアニメによる『同人誌入門』なのである。昔は手塚治虫、石森章太郎といった人達が『マンガ家入門』って本を書いてくれてたけど、考えてみたら、今は、同人誌を作りたいと思ってる人たちに対して、技術的なノウハウだけでなく、心構えのようなものまで教えてくれる解説書ってものがない。マンガ家への入門書自体見かけなくなった(『コミッカーズ』は小学生には高度過ぎるし、技術に偏り過ぎている)。 これ、意外と拾いものではないかな。
『コミック伝説マガジン』No.2(実業之日本社・380円)。 おお、ついに『サイボーグ009』が三度目のテレビアニメ化。 10月14日からって、もうすぐじゃん! そこまで制作が進んでるとは思わなかったがなあ。報告はあっても、声優やスタッフの紹介がまるでないのが気になるなあ。 それに合わせる形で、今号のメイン作品も石森章太郎『009』。前回、手塚プロに新作『鉄腕アトム』を描かせるような暴挙はせず、『ああ、クビクロ』の再録。まあ、賢明な判断だろう。 前回の『アトム』、非難轟々だったらしく、手塚プロとの協議の末、新作は作らないことにしたそうな。……手塚プロも根性がないなあ。非難が来ることなんて、当然予測がついただろうに。この程度のことでやめるくらいなら、最初からやらなきゃいいのである。 たとえ批判されてもそれを跳ね除けられるくらいの傑作を書きゃいいだけの話なのに、それができないということは、もはや手塚プロに人材がいないということに他ならない。 まだ、『大長編ドラえもん』を書きつづけてる藤子プロのほうがマシなのかな。 『アトム』の代わりに再録されたのが『落盤』。全集でも、『手塚治虫ミステリー傑作集』でも読んだことがあるので、正直「またか」と思ったのだが、なんと、ラストがこれまで収録されていたものと微妙に違うのである。 しかも、今回のもののほうが断然いい(現物に当たってみてね)。 手塚治虫自身によって単行本用に書きなおされたものが今回の収録版だったわけだが、なぜ、全集のときには改稿版を入れなかったのかな。
マンガ、石森章太郎作・成井紀郎画『決死戦7人ライダー』(角川書店・2000円)。 かつて『テレビマガジン』に連載されていた『仮面ライダーストロンガー』を全編収録したもの。つまりは第一期『仮面ライダー』シリーズの最終作ということになる。 石森自身による原作がない以上、コミカライズとはいえ、これがもっとも正当な『原作』。でも初期のあだち充によく似た柔らかい線のキャラは、タックルはなかなか色っぽくてイイけれども、ストロンガーにはちょっとナンパな印象がくっついているのであった。 解説は一生懸命本作をヨイショしてるが、やっぱり子供向けの月刊誌では、深みのあるドラマ展開はできていない。 テレビ版の最終回も、実はショッカー以来の今までの敵は、みな同一人物の宇宙人であったという、いい加減なオチであった。 『ウルトラマン』世代が『仮面ライダー』にイマイチはまれなかったのは(でもライダースナック買ってたけど)、やっぱり、そういう脚本のチャチさにもあったんだと思う。
マンガ、吉原由起『ダーリンは生モノにつき』8巻(小学館・410円)。 やっと完結してくれたか。 いや、つまんないんじゃなくて面白くはあるんだけど、これ、批評のしようがないのだ。 と言うか、批評しようと思えば引用するしかないんだけどさあ。引用するのがめっちゃ恥ずかしいマンガなんよ、これ。 引用しなくたって、「ヤリたがりの若妻が夫を押し倒すマンガ」、と言えばこと足りるんだけどね。……だからどのギャグも全てナニとかアレ関係の話ばかりなわけよ。 ああ、でも頼むから、フェラ○オした後、陰○とザー○ンまみれのクチビルでキスを迫るような絵を描かんでくれ。オトコがどれだけそーゆーのを気色悪がるかわかるか。 ラストは子作りの話か。この話題が最後の最後に出てくるあたり、これまでの連載が「ただヤル」だけの話であったことを如実に証明しているであろう。
マンガ、田村吉康短編集『筆神』(集英社・410円)。 表紙絵だけを見て買った完璧な衝動買い。 ジャンプの読み切りマンガだから、どれもありきたりなんだけれど、表題作の『筆神』だけはまあ面白い。 設定は現代の『陰陽師』なんだよなあ。でも「書」の精霊、「トヨフデヒメ」の力を借りて悪霊退治、というところがちょっとした工夫で面白い。 ……もっとも、この「書が悪霊を封じる」という発想も、オリジナルってわけじゃない感じで、中国の古典あたりにルーツを求められそうだけど。
2000年09月03日(日) 警察も役所/『ら抜きの殺意』(永井愛)ほか
2001年09月02日(日) |
風が痛いから?/『新天地無用! 魎皇鬼』1巻(奥田ひとし)ほか |
あちゃ~、また寝過ごして『パワーパフガールズ』、見逃してしまった。 DVDになったとき買えばいいじゃないか、とも思うのだが、たいてい外国アニメが製品化されるときには、版権の関係であろう、主題歌が収録されなかったり、声優が違ってたりして、ああ、やっぱりびでおにとっておくんだったと臍(「ヘソ」と読むなよ、「ホゾ」だぞ)を噛むことも多いのである。 『サウスパーク』も、WOWOW放送時のキャラクター紹介のオープニングと予告編がDVDはカットされてるものなあ。 『トムとジェリー』など、日本語版主題歌をフルサイズで特別収録してくれてるのはいいのだが、残念ながらバックの絵は日本で作画されたものではない。 なにより、ハンナ&バーベラ版の谷幹一のナレーション、チャック・ジョーンズ版の植木等のナレーションがどちらも入ってないというのは痛恨の極みである。あれだけリピート放送されてた作品がよもや幻になっちまうとはなあ。 ……来週こそはちゃんと早起きしようっと。 で、目が覚めたのはちょうど8時、『仮面ライダーアギト』が始まっていた。 長々と続いていた真魚ちゃんの、「もしかして、私が念動でお父さんを殺したの?」疑惑、引きに引いたけどようやくひと区切り。 ……だから長いんだってば。 真魚役の秋山莉奈って子、どうも超能力を持つ自分を持て余しているという悲壮感に欠けているので(というか「お芝居してます」って雰囲気がミエミエで)、見ていてツライものがあるのである。 まあ、それを言い出しゃ、他の役者もなあ……ってのは今更言わずもがなだけどさ。 今度の映画版、見に行くかどうか未だに悩んでいるのである。
『も~っとおじゃ魔女どれみ/まぼろしのレシピをください!』、オヤジーデの声優さん、どうなってるかと思ったら、松尾銀三さんのままだった。 声に調子の悪そうなところも特にない。……ホントに急死だったんだなあ。
『コメットさん/ヒゲノシタの輝き』、やっぱりコメットさんにはお爺さんのお目付け役がいなきゃ、ということで新登場のヒゲノシタ。 声が大竹宏さんというのがオールドファンには嬉しい。 星ヂカラが足りなくて弱っているヒゲノシタにラバポーが恋ヂカラを分けてあげようとするのだが、「トシ寄りには恋ヂカラはかえって毒になる」という設定がなかなか(^^)。 「老いらくの恋」というのはやっぱりからだに悪いのかな。でもこのコトバの元になった石川達三が恋愛事件を起こしたのは確か彼が50代のとき。現代感覚だと、年寄りってほどでもないのだ。
栄養価を考えて今日から麦飯を作る。 袋に「白米と混ぜる」と書いてはあるが、どの程度の割合で入れればいいのか見当がつかないので、適当に入れる。出来あがってみると、少なすぎて麦の味も歯応えもまるでない。次回炊くときは、も少し量を多くしてみよう。 どうも私の世代だと、池田隼人の「貧乏人は麦を食え」発言が連想されてしまって、「麦食ってる」というと、つましいイメージがつきまとって仕方ないのだが、イマドキは完全に健康食の一つという名誉ある地位に押し上げられている。 でも、この「白米と混ぜる」ってとこがミソなんであって、結局は白米を底上げしてるだけなんじゃないのか。麦だけで炊いたらどんな味になるのか試してみたい気もするが、ちょっと怖いんだよねえ。
昼を過ぎてもしげが起きて来ないので、痺れを切らして叩き起こす。 今日は一緒に出かけようってときに限って、グズグズしやがるんだもんなあ。 まあ、目的が買い損なってるDVDを探そうっていうんだから気乗りがしないのもわかるが。 電動式自転車がパンクしたままなので、もう一台の普通の自転車に乗っていくことにする。 ウチは移動の手段が自転車しかないので、パンクのときのために、自転車を4台、用意しているのだ。 でもしばらく乗ってなかったので鍵をどこに置いたか忘れている。 「自転車の鍵、その辺にない?」とパソコンの前に座っているしげに聞く私。 「知らんよ、そんなの」と、ニベもなく答えるしげ。あたりを探そうともしてくれない。 私も慣れているので、こういう時はたいてい“しげの周囲に探しものがある”ことはわかっているのである。 ……昨日も「『J‐COM GUIDE』、その辺にない?」と聞いても、「知らんよ!」と答えていたが、実際はしげがその巨大なケツの下に敷いていたのだった。 ……少しゃ空気抜いて小さくしろよ、そのケツ。 で、パソコンのところに行くと、やっぱり鍵がテーブルの端に置いてある。 「やっぱりあったやんか!」 「なら、いいやん」 “ならいい”って問題じゃないって(-.-")凸 。
で、やっと乗った自転車も、空気が抜けててパンク寸前。 なんだかなあ。
天神に向かっている途中、しげがいきなり「アンタが喜ぶような悲しい話ししたげようか」と言い出す。 なんだその矛盾しまくったコトバは。 「……読んだよ、アンタの小説」。 今ごろ同人誌『オトナ帝国の興亡』の感想である。 ついこの間までは、「あんたの書いた小説なんか読む気がしない」なんて言ってたくせになあ。 あれ書いてる時は、劇団の脚本をほったらかして没頭してたから(と言っても足掛け二日、正味8時間くらいしか掛けちゃいないけど)、しげは自分がないがしろにされたような気分になってたのだろう。 心境の変化は、先日の日記に「しげを念頭において書いた」と記述したのを読んだからかな。 「泣いたよ」 「は?」 「アンタの書いたの読んで、初めて泣いたよ」 「……どうしたんだよ、いったい?」 しげが私の書いたものを読んで誉めるなんて、青天霹靂、驚天動地、吃驚仰天、天丼定食、天然電髪の出来事だ。 「ケンのセリフにあったじゃない。『一緒に花火を上げよう。いつまでも一緒だ』って」 ……ああ、確かに、そんなセリフを書きはしたなあ。 人形のようなチャコに、ケンが心を入れようとして言ったセリフだ。 けれど私はそれを非常に空虚なセリフとして書いたのだ。伝わるはずのないセリフをムリに口にしているような、だからあえて描写はしなかったが、そのときのケンは全くの無表情だったはずだ。 そのセリフで泣いたってのは、いったいどういうわけなのか。 「うらやましくって」 「なんで」 「だってアンタ、あんな言葉、言ってくれないもん」 ……ああ、また現実と虚構の区別がついていない。 現実にこんなセリフを女に向かって吐くヤツがいたら、そいつはタラシという以前に脳天がイカレてるぞ。 だいたい私が「花火を上げよう」なんて、どこから三尺玉を調達してくるというのだ。花火師の資格だって持っちゃいないのに、そんなことしようものなら即、逮捕だぞ。 私がしげに言ったことがあるのは、コンビニで売ってるような、ささやかな花火だ。 ……で、実際、花火をしたことだってあるけど、夏の夜のこととて、蚊に食われまくってムードもへったくれもなかったのであった。 「でもホントだね。泣くことと作品の出来とは関係ないって」 なんだとこのやろう(`m´#)。 「ああ、今、思い出しただけでも泣けて泣けて。……この『女泣かせ』!」 女泣かせって、コトバの意味が違うだろうが!! ……実はずっと昔も女泣かせな小説を書いたことはあるのだが、どうもそういうのって、一度書きだすとクセになるので、最近はできるだけ避けてるのだ。 それに私が「いい人」だなんて誤解されたりもするし。 全ての女性に言っておきたいが、この世に真実フェミニストなオトコなんていないよ。「男社会」を批判する女性闘士も、「白馬の王子さま」に憧れる夢子さんも、男に幻想を抱いている点では同じなのだ。 不即不離、オトコとは現実的な距離を保つのが利口な生き方だと思うよ。
けれど、これで昨日、しげがビデオ録画の邪魔をするようなイヤガラセをした理由がわかった。 現実の私がロマンチックでもなんでもないので、逆恨みをしていたのだ。 ……こんな理由でヤツアタリされてたら、マジで身が持たんわ(-_-;)。
9月15日はしげの誕生日なのだが、この間からしげは「パーティでもしようか」、などと持ちかけている。 「パーティって、誰か呼ぶのか?」 と聞くと、 「うんにゃ。二人だけ」 「二人だけってのを『パーティ』とは言わんぞ、普通」 なんて、おバカな会話をしていたのだが、今朝、ネットを覗いていたら、眠田直さんの「MINDY POWER」に、ちょうど15日、オタクアミーゴスのお三方が、山口きらら博に来られてトークショーをされるという記事があった。 詳しく見てみると、その日は他にも面白そうなイベントが朝から晩まである。
10:00~ 「怪獣元気伝説」 ▽開田裕治・増尾隆幸両氏による特撮トークショー。 14:00~ 「アコギな二人旅だぜinきらら」 ▽影山ヒロノブ&遠藤正明のアコギな2人によるアニソンライブショー。 16:00~ 「きららにオタク講座」 ▽「オタクアミーゴス」でおなじみの御三方によるトークショー。 場所は、やまぐちホール、入場は全て無料。
お三方のうちどなたかが「山口ギララ博」というシャレを言うだろうに500点(^^)。 何だかメチャクチャ混みそうな予感はするが、しげが列に並ぶのを厭わないでいてくれさえすれば、誕生日のイベントにちょうどいいんじゃないかなあ、などと考える。 天神への道すがら、しげに話をするが、案に反して、しげは今イチ気乗りがしない様子。 「……だって、それってデートじゃないじゃん」 「デートは結婚記念日にするもんだろう。誕生日なら、どこかに出かけようってだけで充分じゃんか」 「でも二人っきりでラブラブになれないしい」 「……じゃあ、何か? お前は波止場近くのホテルのラウンジで、港の夜景を見ながらディナーを楽しんで、『君の瞳に乾杯』なんて言われるのがいいってか?」 「うん!」 ……しげの死体が明日見つかったとしたら、犯人は私だ。
天神の昭和通には、「アニメイト」と「アニマップ」という2軒のアニメショップがあって、ほんの100メートルとは離れていない場所で競合していた。以前、山本正之さんのサイン会があった時に、しげは、車に撥ねられ松葉杖をついていたにもかかわらずムリヤリ出かけて行ったのが、アニマップの方である。 ところが、今日行ってみると「アニマップ」のほうは潰れていて、貸し店舗になっていた。 CDやDVDの種類、品数で行けば、「アニマップ」の方が断然多かったのである。 しかし、「アニメイト」のほうは、キャラクターグッズのコーナーがより充実していて、またコミック本の専門店としても機能していた。 同人誌用の画材道具も取り扱い、ないのはフィギュアくらいのもので、若いオタクなら、こちらに来る頻度のほうが高かろうということは、誰でも予測のつくことであった。 「アニメイト」の方が天神に近い、という地の利もあったにせよ、企業努力が足りなかったことは否めまい。アニマップは雑居ビルの一階で、上はミリタリー専門店のMGC、そちらから流れてくる「濃い」オタクも多く、そのほとんどはまあちょっと見コワイ感じのする男性、これじゃあ、同じオタクであっても、同人系、ファンシー系な女性のオタクは近寄り難い。 ウチのしげやよしひと嬢のように、ミリタリー系も嫌いじゃない、なんて女性のオタクは、そうそういないのである。競合し始めて数年、よく持った方ではあったか。
うーむ、でもアニメ系のDVDが確実に手に入る店が一軒減っちまったのは結構痛い。とりあえずDVD扱ってます、アニメも少しは置いてます、なんて店じゃダメなのだ。 ちゃんとワンフロア分のDVDのコーナーがあって、ちょっと古いやつでも置いてあって、ということになると、品数が一番多いのはやはり、天神ベスト電器の「LIMB」、それから天神「アニメイト」、博多駅交通センターの「GAMERS」くらいしか私は知らない。 これまで「アニマップ」はこの3軒を抜いて一番だったのだ。 ……結局、探していた『ハレのちグゥ』のDVD第1巻は「アニメイト」でも売り切れ。ついに即時購入を断念、「LIMB」で取り寄せを頼む。 『OH! スーパーミルクちゃん』の4~6巻も既に店頭売りしてないしなあ。これもじきに注文しないといけないのかなあ。
天神イムズの「シズラー」から、しげ宛に「誕生日フェア、20%割り引き」のハガキが来ていたので、朝食兼、昼食兼、夕食をそこで済ます。 一日一食がカラダによくないことは承知しているが、しげとの生活時間帯が完全にズレていて、外食やコンビニ弁当が中心の食生活をせざるを得ない以上、こういうこともままあるのである。 せめてサラダバーで野菜を余計に食べるように気はつかう。
食事をしながら、さっき「アニメイト」で買ってきたマンガなどを読む。 アニメイトは透明なビニールカバーをつけてくれるのが有り難い。本のヨゴレが気になる私は、基本的にカバーを外さないのだが、そうなると中身が分らないので、いちいち背表紙にタイトルを手書きせねばならんのである。 人によってはオビを外し、カバーも外し、本体のみで本棚に並べる(そうすると、カバー付きよりも4、5冊は余計に入る)人もいるが、場所を取っても私はカバーをつけておくほうだ。しげには「どこに目当ての本があるか分らない」と評判が悪いが、本棚の整理をマメにしておけば問題はないのである。 本が見つからないのはしげがズボラで私がいくら整理をしても片っ端から崩していくからなんだよな。
マンガ、奥田ひとし『新天地無用! 魎皇鬼』(角川書店・590円)1巻。 「新」にする意味あるのか(^_^;)。 宣伝上はあるんだろうなあ。 OVAの新シリーズも始まるから「1巻」ということで仕切りなおしたほうがいいんだろうけど、テレビシリーズもあるわ、小説版も映画版もあり、それぞれが微妙に設定が違うってことになると、どうにもややこしくってしょうがない。 『プリティサミー』も入れたらどうなるんだ。 漫画版はOVA版の続きってことになってるようだが、第1期~第3期シリーズのどの辺に入るのかよくわかんないし。 でも『天地』シリーズについちゃ、そこまで細かく気にしてるファンがいそうな感じがしないのだ。『天地』シリーズの、メジャーっぽいようでいて、どこか突き抜けていけない原因は、そのへんを分析していけばわかってくることなんじゃないか。 ぶっちゃけた話、これだけキャラを取り揃えてても、人気がホントにあると言えるのは砂沙美一人だけだろう。魎呼も阿重霞も、キャラが決まりすぎていて、これ以上どうにも動かせなくなっている。っつーか、この二人、まんまダーティペアだもんな。 結局「新」になっても今までの設定の反復再生産にしかなっていないのじゃ、新味はない。ホントにこの第3期シリーズで完結させたほうがいいよなあ。
マンガ、神坂一原作・義仲翔子作画『超爆魔道伝 スレイヤーズ 死霊都市の王編』(角川書店・590円)8巻。 原作の第一部にあたる部分がこれで完結。 “Lさま”もついに登場、さぞや喜んでおられることでしょう(って、原作ファンじゃないとなんのことやら分らんな)。 原作とはやや違った結末のつけ方だけれど、これは冥王フィブリゾに殺されたままではエリナがあまりにかわいそう、という作画の義仲さんの意向であるのだろう。それにこの結末なら、原作ではちょっとおマヌケだった“Lさま”、なかなか「粋」なお方だなあ、という好印象で終わる。 第2部がマンガ化される予定はなさそうだけれど、義仲さんも1巻のころより絵もグンとうまくなってきてるし、ちょっと期待はしたいのである。
帰りに「BOOK OFF」に寄って、千円引きのDVDをいくつか買う。 しげはこの間から宮部みゆきの『模倣犯』の上巻を探しているのだが、どこにいっても下巻しかない。まあ半年もすれば上下巻揃いで腐るほど並ぶんだろうけど。 でもそのころには文庫も出ちゃってる気がするなあ。
DVD『無限のリヴァイアス』第1巻、千円引きでも4000円。ちょっとボリ過ぎじゃねえのか、この値段。 テレビ放映時はほとんど見ていなかったので、今回が初見なのだが、1話見終わった時点で眠くなって寝る。 導入、現代の普通の少年の話かと思わせておいて、宇宙ステーションの全景を見せていくあたりの描写はうまいと思うが、主人公がすぐキレそうな雰囲気を漂わせているあたりや、妙にセリフ過剰な脚本が、なんだか『ガンダム』や『エヴァンゲリオン』の辛気臭いところだけまねしてる感じだ。 続きを買うかどうかはまだ未定。
2000年09月02日(土) 山本正之・あ・ごーごー
2001年09月01日(土) |
加藤夏季補完計画(笑)/『スペオペ宙学』(永井豪)ほか |
テレビのチャンネルを捻ると(とは言っても実際には捻らないんだが、リモコンのスイッチを換えると、なんて表現はどうにも実感が湧かん。これだから昭和30年代生まれはよう)朝っぱらから、ビル火災のニュース。 今日午前1時ごろ、新宿歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル」の3階、麻雀ゲーム店「一休」付近から、爆発音とともに出火、同店や、4階のキャバクラ「スーパールーズ」の客や従業員、44人が死亡。 事件そのものは痛ましいことだが、報道にどうも歯切れが悪いのは、この火災がガス爆発によるものなのか、ハッキリしないからのようだ。つまりは放火の可能性もある、ということだ。 そう考えて見ると、出火の時刻がちょうど1時(厳密に言えば0時58分)というのが臭い。 時限装置のようなものが仕掛けられていたのではないか。 現場検証の結果も出ていないうちに勝手な憶測をすべきではないのかもしれないが、「歌舞伎町」という胡散臭い場所で(昔はそうでもなかったんだがなあ)、火災が起きたのがフーゾク店も入っている雑居ビルってのがどうにも「いかにも」であって、あらぬ想像をかきたてられてしまうのである。 思わず馳星周の小説を思い浮かべたヒトも多くない? 報道を読み解くコツは、「なにがそこに語られてるか」ではなく、「なにが語られていないか」を見ることであって、この場合、「火災の原因の早期究明を」とニュースが声高に叫ぶほど、「原因以外のところに謎の本質があるのではないか」と思ってしまうのである。 ……なんか、歯切れが悪くて申し訳ないが、私の妄想の一つが当たってたりしたらマジでヤバイんで、この辺にしておく。 これがただの事故だってことが判明したら、笑い話の一つとしてその妄想をいくつかご披露できるかもしれない。
9月になって久しぶりの職場復帰。 長いこと同僚とも顔を合わせていないので、休んでいる間に席がなくなってないかとか、机の中に猫の死骸が入れられてたりしないかとか、「君、だれ?」と言われたりしないかとか、置いてたものが盗まれたりしてないかとか(小学生の意地悪かい)、いろいろと悪い想像をしていたのだが、全然そんなことはなかった。 いや、疑心暗鬼になってるみたいだけど、6、7年前に入院した時にはイヤミをさんざん言われたのよ。「忙しい時に休みやがって」とかなんとか。そのときは今んとことは別の職場にいたんだけどね。 今回は、多くの人から優しく声をかけていただいて、「ああ、今年は環境がいいなあ」と安堵すること頻り。 疲れやすかった以前と比べて、やや体調がよくなってるんだなあと自覚できるのは、椅子から立ちあがった時に立ちくらみがひどくないことである。しばらく仕事をしてみないことには分らないが、入院前のようにやたらと頭痛や吐き気に襲われたり、風邪ばかり引いたりしないようになってればめっけものである。
半ドンで帰宅して、しげに映画でも行かないかと誘うが、夜は仕事があるからと断られる。ほんだらばと映画は、明日、買い物ついでに行くことにして、パソコンに向かう。ともかくちょっとずつでも更新しとかねば。
「エンピツ」の日記をあちこち覗いているうちに、少しずつお知り合いの人も増えたりしているのだが、全く逆に、アレ? この人どこへ行っちゃったの? という方々もおられる。 「エンピツ」の登録番号をたどってみても、抜けが結構目立つのだ。 まあ、永遠に続くものなどないのだし、書き始めたはいいものの、仕事が忙しい、ネタがない、ネット上でイヤな思いをした、いろいろな事情でやめちゃった、ということもあるのだろう。 かく言う私自身、以前日記を書いていたところから、とある事情により、こちらに移転してきたわけだけれども、「敗北」したとは思っていない。 「栄誉ある転進」である。ε=(>ε<) プッー!。 何かモノを書こう、創造しようという人間が、「批判」に晒される覚悟なくしてやっていけるか、とは初めから思っていたので、「一時的撤退」を試みただけの話である。 その結果、鬱憤晴らしに書き始めた内容が、かえって膨大に増えてしまったので、今さら短くすることも出来ず(短くする気あるんかい)自分で自分の首を締めることになっちゃったのだが、それでも当初考えていた「たとえ書きこみが遅れることはあっても、一日たりと休まない」ことは実行できている。 「どうしてそんなに書き続けられるんですか?」とよく聞かれるが、実際にはまだ一年しか経っちゃいない。 なのに、「継続のヒミツ」なんてのを書くのもちょっとゴーマンでおこがましいのだけれど、最近、私が気に入ってる方々の日記の更新が軒並み滞ってるのを見ていると、なんだか寂しいので、いくつか私が書くときに気をつけていることをいくつか書いてみることにした。
まず、自分の書いたつまらないものなど、だれも面白がってないんじゃないか、なんて思わないことである。 前にも引用したことがあるが、森下裕美さんが『ここだけのふたり』の中でたきえに語らせていた通り、もともと「自分のつまらない日常だの家族写真だのを無理やり公開して見せつける」のがネット上の「日記」なのである。 つまらなければつまらないほどいいのだ。 それを読者に押しつけるという「状況」それ自体が、「日記」の面白さなのだから。
「今日はお天気。気分もはっぴい(*^▽^*)。 なんだか素敵なカレと出会えそうなヨ・カ・ン♪ うふふっ(はあと)」
……なんて日記があったら、私は心の中で作者に、即座にケリを入れて楽しむであろう。 そういう「楽しまれ方」を覚悟さえすれば、「つまらない」という批判にメゲることはなくなるのだ。
だいたい、日記随筆文学の泰斗、清少納言自身、書いてる内容は「あのね、あのね、雀の子がね、ちゅんちゅん鳴いて寄ってくるのって、可愛いのよ~」って、現代の男が聞いたら、「それがどうした。当時の女ってのはバカか」としか思えないようなことばかり書いてるのである。 当時の男は、こんなバカ女が可愛く見えてたのかなあ、と思っていると、そこで反清少納言として登場してくるのが紫式部である。 同じ女でありながら(いや、だからこそ)「あんなのと私を一緒にしないで。私、清少納言ほどバカじゃないわ」と自身の日記に書くのだ。 ……今のネット環境と変わらないヤリトリというか、攻防を繰り広げていたのだ。
だから、「ネタがない」ということで苦しむ必要もない。 今日食ったメシ。 これだけでも、書こうと思えば原稿用紙10枚は書ける。 その気になれば、一日はネタの宝庫だ。
忙しくて日記の更新が滞りそうな時には、具体的な方法として、とりあえず、その日のうちに書こうと思っていることを先に軽くメモにしておくという手がある。そして、後でじっくり書くようにするのだ。 こうしておけば、二、三日書きこみが遅れたところで、そのメモをきっかけに何を書こうとしていたか思い出せる。
……エラそうなことばかり書いちゃってるけど、これ、日記を続けられなくなってる全ての方々へのエールだと思ってください。 ねえ、アナタ、イマドキのテレビなんて、『どっちの料理ショー』とか、カレーライスとラーメンのどっちが上か、って、人生になんの意味も寄与しない、どーでもいいことにウンチク傾けてケンカする番組の視聴率が高かったりしてるんですよ。 「くだらない」ことに価値があるってこともありまさあね。
……こう言ってる私だって、メゲることはしょっちゅうなのである。 原因は主にしげにあって、私が長く書けば書くほど「つまらない、長い、読みにくい」と文句ばかりつけてくるのよ。 「ちくしょう、なにくそ、負けるもんか!」と涙を流しつつ書き続ける日々。キーボードの上には涙が滲んでいると思ってくださいな(紙じゃないから滲まないなんてツッコミはなしね)。 私は諦めない。たとえどんな批判があろうと書き続けるだろう。 いつかしげに「よかったよ、今日の日記」と言われる日まで。 ……なんか、そんな日なんて永遠に来そうもない気もするが、そうなるとこの日記も永遠に続くことになると思うので、どうか今後ともご贔屓に。
それにしても、本当に私の日記のどこが面白くてみなさん来られているんだか。たいていの方は「エンピツ」のランキングから来られているのだが、毎日数名、「goo」や「Yafoo」で検索かけて来られてる人がいるのである。 O・ヘンリー『警官と賛美歌』なんてので検索かけられても、学術的なことなんて一切書いてませんってば。どうやらなにかの研究の参考になるかと思って来られてる方もいるようでだが、実状は、こういうおポンチな内容のサイトなので、なんとも申し訳ない限りなのである。 「加藤夏季」で検索かけてる人がいるのには大笑い(⌒▽⌒)。 確かに、最近、私の中での加藤夏季度が高いのは事実であるが、ここには画像なんてないぞ。何を期待しているのか。 それともこれは私に、ホームページ開設の際は、「加藤夏季の部屋を作れ」との神の思し召しか。 ……しまったなあ。こんなことなら、『燃えろ! ロボコン』、4話で録画するのやめないで、全話、録っておけばよかった。 ……って、本気で作る気かい(^○^) 。
で、リクエストに答えて、今日の加藤夏季(*^▽^*)。 今月のファミリー劇場の番組を紹介する『ファミナビ9月号』、チャイニーズルックの加藤夏季嬢、もう飛ばす飛ばす。 いきなり紹介してるのが『チャンピオン太』だぜ。 あのね、アナタ、今年16歳の小娘が、「役の上とは言え、あの力道山と死神酋長に扮したアントニオ猪木との対決が見られる貴重な作品!」なんて紹介してんだから! ……これはもう、ファミリー劇場のスタッフが、「加藤夏季オタク化計画」を推進してるとしか思えない。 「夏季ちゃん、いいかい? ただ番組を紹介するだけじゃナビゲーターとしては失格だよ。ちゃんと作品を見て、その作品を愛した上で、紹介してあげなきゃね!」 「はい、わかりました!」 「じゃあこれ、『チャンピオン太』のビデオ。明日までに見といてね(^v^)」 ……なんて会話がプロデューサーと夏季ちゃんとの間で交わされてるのに違いあるまい。 スタイルもいいしなあ、この娘。168センチだって? ちょうど釣り合いはいいな。……って誰とだ(^w^)。 『プレイガール』を紹介するってんで、画面の向こうから視聴者を撃つようなポーズを取ってくれてんだけどね、いやもう見事に射抜かれちゃいましたよ、私のハートを(>y<)。 『エコエコアザラク』『STACY』『羊のうた』と、立て続け3発の加藤夏季主演作品、全国のオタク諸君、これを見逃す手はありませんぞ。
今日の『ウルトラマンコスモス』、タイトルは『乙女の祈り』。 ……『怪獣一本釣り』のときも悪い予感がしたけれど、今日はアヤノ隊員が主役。……もう、チームEYESって小学校のクラスレベルの組織なのな。 みんなから「アヤぴょん」って呼ばれて拗ねるってのも、なんだかなあ、だけど、「カエルの騎士様」のマスコットに誓って、平和を守る決意をしたって、どういうキャラなんだ。 こういうのをオトメチックって言うのか? で、このアヤノ隊員が怪獣にとりつかれて夢の世界に閉じ込められちゃうわけだけど、その怪獣ってのが巨大ヒツジ……。 夢の怪獣だからって、そりゃ安易過ぎるってもんだよ。
日記の更新に追われて、なかなか録画しておいたビデオも見られない。 CSキッズステーション初のオリジナルアニメ、『SAMURAI GIRL リアルパウトハイスクール』も、今のところ録り逃さないでいるものの、全く見返せていない。 『青の6号』のGONZO製作の、『宇宙戦艦ナデシコ』のキャラクターデザイン、後藤圭二の新作なので、一応の期待はして今日も予約録画をしかけておいたのだ。 時間通りに始まったのを確認して、今日は録画しながら見ようかと思っていたら、今まで隣室で寝ていたしげが起きてきて、いきなりCSのリモコンでチャンネルを換えたのだ。 「な、な、なにするんだよ!」 ライン入力で録画しているので、そのチャンネルを換えられると、当然、録画自体も他のチャンネルに変わってしまうのである。 「……音を下げようとして間違えたんだよ!」 「だったら、テレビ本体のリモコンで音量下げればいいじゃないか! なんで遠くに置いてあるCSのリモコンをわざわざ使うんだよ!」 「どこにあるんだよ、テレビのリモコン!」 「おまえの目の前だ!」 ……なんだかなあ、ドジだバカだとは思ってたけどさあ、①「音を下げていいか私に聞くのを忘れた」、②「目の前にあるテレビのリモコンを見つけられなかった」、③「ビデオが録画状態になっているのに気づかなかった」、④「チャンネルと音量のボタンを見間違えた」、⑤「自分が悪いと解ってるのに謝るのを忘れた」。 ……ここまでバカを重ねるやつってそうそういるか?
最近、あまりにもバカがヒドイので今日はかなり本気で怒る。 別にビデオの録画ができなかったことを怒ってるわけじゃない。番組自体は明日も再放送があるので、そのとき録画し直せばいいだけの話だ。 こいつのドジが、日常生活のあらゆるところで私の足を引っ張っていること、更には周囲にとんでもない迷惑をかけてばかりいることが問題なのである。 保険証書は見つけられない、頼んでおいた家事を何一つやらない、病院じゃ周囲の迷惑も顧みずヒステリーを起こす、携帯の連絡先を親にも教えていない。 それらのドジをを全部「忘れてた」「気がつかなかった」で済まそうとしているのだ、こいつは。 自動車の免許も取ろうってやつが、こんなに不注意じゃ、マジで人を撥ねたりしかねない。人を殺しておいて「あ、失敗しちゃった」で済みはしないのだぞ。 人生に対する覚悟がなさ過ぎるのである。 せめて悪いことをしたと思って謝ることができれば、別に私もそこまで怒ったりはしないのだが、しげはこれまでの人生で「心から人に謝った経験がない」ので、やろうと思ってもできないのだ。 でも、できないですませられる問題じゃないぞ。
「お前、自分自身で反省したって証拠を見せられないのなら、これ以上、芝居も協力はできないからな」 芝居に関しては、しげもマジメにやってると思ってる人がいるかもしれないが、私から見たら全然である。入院中、私が考えてた音響プランを見もせずに帰ろうとしたこともあった。そのときの言い訳も「忘れてた」だ。 更に以前も、私の演出で芝居を作ろうとした時、真剣に役作りをするでもなく、ヘラヘラ笑ってばかりいたので、腹を立てた私が演出を降りたこともある。 しかも私が降りたワケを、メンバーにも正直に話せと言っておいたのに、「仕事で忙しいんだって」とウソをついていた前科もしげにはあるのだ。 「忘れてた」のは事実かもしれない。しかし、それが言い訳として成り立つと考えている根性が卑怯なのである。 なぜ先に「悪かった」という感情が生まれないか。 どうして自分の身だけを守ろうとするのか。 私に対してだけではない、自分以外の誰にも思いやりが持てていないのである。
……ちょっと、しげには猛省を促したいので、本気でしげが反省したと判断できるまで、私は今回の芝居から手を引きます。練習にも参加しません。 このことは、今、急に決めたことではなく、入院中にもしげに伝えていて、そのときもしげは初め一切謝ろうとはせず、こちらが本気で怒っていると解るやいなや、口先だけで「ごめん」と謝ってその場を誤魔化しました。 もちろん、その後のしげの生活態度は何一つ変わっていません。 反省したことも「忘れた」のでしょう。 つまり、しげが自分が反省したことを「忘れないようになる」まで、私の復帰は有り得ません。 でも、もともと私は「脚本以外で参加する気はない」と言っているのに、「人数が足りないから」という安易な理由でムリヤリ参加させられているのです。 劇団としてはもとの状態に返っただけですので、後をどうするかは演出の判断することです。
……今度はちゃんと理由をこうして書いたから、嘘ついて誤魔化すんじゃないぞ、しげよ。
マンガ、永井豪『スペオペ宙学』。 ほぼ、永井豪がギリギリ面白かったころの最後の作品かな。 少年サンデーに連載されてたのも、もう二十年も前だ。宇宙の学校に通うエッチ丸出しの男の子ドン宙太と、あこがれの姫君で、実はとてつもなく強い竜子・スカイウォーカーといった生徒たちが、煩悩だらけで人間離れした怪物のような先生たちと争いを繰り広げるって……。 昔読んでた時も驚いたけど、これ、宇宙を舞台にした『ハレンチ学園』のリメイクなんだよね。 実際、第一話からして、オシトヤカに見えた竜子が実は強かったってストーリーが全く同じ、身体検査を覗こうとするエピソードや、ヒゲゴジラ(本作ではホシゴジラ)を追放するエピソードなども、全部、原作にある。 丸ゴシ(本作では丸ゴリ)が女生徒を人質に立てこもる話がないのは連載が短期で終わっちゃったせいかも。でもラストはやっぱり「ハレンチ戦争」で幕。 ……いや、このラストは『ハレンチ学園』よりもずっと切ない。 ギャグマンガとして始めたものをシリアスで終わらせるということを永井さんはよくやってたが、読者のほうはどうにもやりきれない気持ちになることが多々あった。 『ハレンチ学園』しかり、『キッカイくん』しかり、『オモライくん』しかり。まるで「楽しいことって、続かないんだよ」って最後にヒトコト、言ってやらなきゃ気がすまないかのようだ。そういう資質の作家だ、と認識せざるを得ないのかもなあ。
2000年09月01日(金) 食って寝るだけの毎日も今日まで/ドラマ『横溝正史シリーズ・本陣殺人事件』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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