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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2005年01月31日(月) --

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☆コールデコット賞の絵本展。

コールデコット賞の絵本展が、盛況のうちに終了。 最終日に一番人出が多かったと聞く。

展示された500冊以上の絵本ほとんどを所蔵している コレクターの意向で、 数冊の稀覯本や他所で借りた本をのぞいては 自由に手にとって読めるようにしたそうだ。

1938年から毎年発表されてきた、 アメリカの良心ともいえる珠玉の絵本たち。 正賞(金のメダル)・次点作(オナー賞・銀のメダル)の ほとんどが、原書と訳書ともにそろっていたのだから、 コレクター魂に感じ入る。

「ちいさいおうち」(ヴァージニア・リー・バートン)のように 世代をいくつか越えて愛されてきた古典絵本から、 2005年の受賞作までをながめると、そこにはやはり、 アメリカだけでなく、20世紀を生きた人々のビジョンが 映し出されている。 反面、人間の世界も、絵本の世界とおなじように 繊細な色づかいや細やかさが、少しずつ失われているのかもしれない、 と思わされたりもするけれど。

逆に言えば、それほど、初期の受賞作は デリケートだし、白黒で線引きできないエッセンスを 発しているのだった。

期間中に企画された、コールデコット本人が描いた マザーグースの絵本についての講演は、 講師のY先生の、なんとも軽妙洒脱、的を射た解説は、 これまであまりくわしいことを知らなかった「絵本の父」 コールデコットの視点や人柄を想像させてくれた。

どこの館とも全国を巡回する展覧会の受け入れが多いが、 それとて低コストとはいえないだろう。 こうした独自の企画展は、低コストで(おそらくは) どこまでのオリジナリティが出せるか、という 格好のお手本となるのではないかと思う。 それほど宣伝もしていないのに入場者が多かったことは、 テーマの親しみやすさと、絵本に寄せる主催側の熱意に 負うところが大きいだろう。 これから先、こうした展覧会の予算が減るなか、 開催意義のある展覧会を企画するには、 やはり、学芸員などの職員だけでなく、地域の人材を積極的に「使う」 ことが鍵なのだろう。 (マーズ)

2003年01月31日(金) 『フランス田園伝説集』
2002年01月31日(木) 『いちご物語』
2001年01月31日(水) 『ばらになった王子』

お天気猫や

-- 2005年01月28日(金) --

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『こぼれ種』

毎週楽しみにしている地方新聞連載の一つに、青木玉さんの小さなエッセイ があります。 題材はその季節その季節の食べ物や植物など、ほんの身の回りにあるものだけ。

去年の春庭仕事をしていると本好きのお隣さんが塀越しに、河津桜が 植えたくて、と言いだしました。 ああ、そういえば青木さんが風邪で寝込んで庭の桜を見に出て行けないので、 花のついた枝をさして枕元においておいたら、数日して不思議や桜餅の匂いがする、 という話が新聞連載に載っていましたね。 花の散ったまま残してあった河津桜の枝の葉が香っていたという。 あれを読んでとても欲しくなって、園芸上手のご主人にねだっているのだそうです。

青木玉さんの祖父君はいわずと知れた幸田露伴、母君は幸田文。
母君には六十歳を過ぎてから、案内人に背負って貰ってまで会い行った屋久島の縄文杉や、 切り倒されて材になって後の何千年の命を持つ木などについて語った、 樹木の生命と渡り合う大傑作「木」がありますが、 穏やかな人柄の娘の玉さんが植物について書かれたエッセイ集「こぼれ種」では 取材に行くにしても心寄せるのは人の暮らしと調和した身近な植物、 例えば植木鉢に植え込まれた季節の寄せ植え盆栽作りの現場や植物園。
祖父や母の思い出の残る庭の馴染みの植物と言えども、 その気になって調べてみないと分からない事は沢山あります。 人づてに聞き、本を調べて、実物を見に行って、ああ、と長年の疑問が 附に落ちた時のささやかで深い喜びと言ったら。

専門職に手入れされた植木に囲まれ、見渡す限りの緑の土地で育ったとはいえ、 直に植物に触れる事のほとんどなかった私は、都心で一人暮らしを始めてからやっと、 都内の公園や植物園をあちこち回って木の事を知るようになりました。
緑がありふれている田舎よりも、都会の人ははるかに植物に心をかけて大切に 身近に育てます。 目当ての植物があったら、青木さんのように東京で探せばかなりの種類を見る事が出来るので、是非。

この本のあとがきには四代目(笑)エッセイスト青木奈緒さんによって 母(玉さん)のお気に入りの木の後日談を書かれています。
木を知る、花を知る事は、時を越えた物語と数限り無い個人のエピソードを 思う事でもあります。(ナルシア)


「こぼれ種」 著者:青木玉 / 出版社:新潮文庫
「木」 著者:幸田文 / 出版社:新潮文庫

2003年01月28日(火) 『フードの仕事』
2002年01月28日(月) 『犬も歩けば赤岡町』

お天気猫や

-- 2005年01月27日(木) --

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『バラのざわめき』

原題は、『オール・ザット・グリッターズ』。

リンダにはめずらしくギリシャの島が舞台になっている。 スパイアクションなどの要素が入った作品は別だけど、 最近読んだ作品はアメリカ南部が舞台のものがほとんど。 かつてのハーレクインロマンス新訳を、ちょっと 新鮮な思いで読んだ。

他界した老富豪の若き未亡人ジェシカと、 ギリシャの大富豪で才気あふれる実業家ニコラスとのロマンス。

ジェシカはもともとアメリカ人の孤児で、歳の離れた 元夫とは、入籍はしているものの、父娘のような関係だった。

ニコラス・コンスタンティノスとジェシカ・スタントン。 二人のロマンスを読んでいると、想い出す作品がある。 イギリスが生んだロマンスの女王、カートランドの 『オリンポスの饗宴』である。 ギリシャの血をひく英国人の娘と、まさにニコラスの ような、アポロ神の化身とのロマンスだった。

何が言いたいのかというと、両作品に共通する、 ギリシャへの想いである。 きちんと取材して描いているのはもちろんだろうけど、 ヨーロッパ文明の最初の光を伝えるギリシャという国に 作家の抱くオマージュが、ここちよく伝わってくる。

こちらの方はハーレクインなので、主役二人の意地の張り合いは かなり激しい。 怒ったジェシカがいったん島から脱出しようとする下りには、 妙なリアルさがあって、ハラハラさせられた。 (逃げられるはずがないと読者にはわかっているのだが)

それにしても、偉大なのは、いずれの作品でも、 母親たちなのだった。 (マーズ)


『バラのざわめき』著者:リンダ・ハワード / 訳:新号友子 / 出版社:MIRA文庫2004

2004年01月27日(火) 『クマのプーさん』 その2
2003年01月27日(月) 『スチュアートの大ぼうけん』
2001年01月27日(土) 『ピエタ −pieta− (1・2)』

お天気猫や

-- 2005年01月26日(水) --

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『あなたがいるから』

☆海には思ったほど魚はいない。

角川書店のBOOK PLUS 海外の現代小説がラインアップされている。 ペイパーバック本は見るからにおしゃれで、 重さもライトな装幀。 カバーをはずすと、まるっきり洋書という感じ。 新潮クレスト・ブックスと比べると、 内容も値段も、重さも、実際、かなりライト。

ハンナ、エマ、リオニー。 エジプト旅行で偶然出会い、意気投合した三人。 アイルランドに帰ってからも、その友情は続く。 それぞれ、いろいろな問題を抱えるが、 それはそのまま現代女性の悩みそのもの。 未婚、離婚、不妊、不実な夫(恋人)、親の痴呆、 思春期の子供、仕事のキャリアe.t.c. お互いに励まし、支え合いながら、 やがて、困難を乗り越え、幸せを手にする。 (原題は“Someone Like You”)

うまく出来すぎていると言えば、そうなんだけれど、 日常に近いところで話が展開するので、リアリティもあるし、 また、それぞれが身近に幸福を見つけるから、 共感もできるし、読んでいてほっとできる。 そういう小説だから、 現実感を持って胸に響く言葉がいくつか残った。

「海には思ったほど魚はいないものよ。」 これは、離婚経験者であるリオニーに、 母親が言った台詞。 「真実の愛の信奉者」であるリオニーは、 10年経っても、まだ、真実の愛にはたどり着けない。 いや、本当に。 「海には思ったほど魚はいない」 この言葉は、「愛」云々に限らず、 そうだなあと、次があるはずと見送った、 “チャンスの前髪”の数々が思い浮かぶ。

さらに。 ハンナの母の娘への一言。 「直せぬものは我慢せよ。」 なるほど、と。 この台詞が語られた状況とは全然違うけれど、 職場のあれこれのストレスを思い浮かべながら、 確かに。 「直せぬものは我慢」するしかない。 当たり前のことかもしれないけれど、目から鱗が落ちたような感じ。

それにまた。 不妊に悩み、友人の妊娠が喜べず、 精神的に追い込まれるエマが、知らず知らずの間に、 職場でも嫌な上司になってしまっていた時、 不意に自分自身、そのことに気づく。 そして、 「この頃わたしは仕事をきちんとこなしていないのではないでしょうか。わたしは一緒に働きにくい人間になっているのでは?」と、問うのだった。 相手が一瞬言葉を詰まらせたことで、彼女はその問の答えを知る。 そして結局は自分の弱さや苦しみに対峙し、状況を打開しようと踏み出す。 この言葉は、痛かった。 自分自身も、知らず知らずに、 「一緒に働きにくい人間」になっていたらどうしようかと。 そんな時に、こう潔く、自分をリセットできるのかと。

テーマは現代的だけれど、ライトな小説なので、 すぐに読めるし、読後も気持ちが良い。 けれど、やはり、自分の身に置き換えて、 あれこれと、思いが行ったり、来たりする。 心配なこともあるけれど、でもまあ、 良い友達がいるから、何とかなるかと。 そう思ったところが、私の結論だろうか。

この小説の大切なテーマの一つが、 言うまでもなく、友情だから。(シィアル)


「あなたがいるから」 著者:キャシー・ケリー / 訳:古川 奈々子 / 出版社:BOOK PLUS 角川書店2002

2004年01月26日(月) 『クマのプーさん』
2001年01月26日(金) 『サムシング・ブルー』

お天気猫や

-- 2005年01月25日(火) --

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『キャノン姉妹の一年』

☆寒い日の温かなスープのような、そんな一冊。

勧められて、初めてドロシー・ギルマンの本を手に取った。 近所の本屋さんに唯一あったのが、この本「キャノン姉妹の一年」。

物語は、1950年代頃。 両親の死により、離ればなれに暮らしていた姉妹が、 叔父さんの残してくれた田舎の湖畔の家で一緒に暮らし始める。 姉のトレイシーは、ニューヨークでの華やかな生活を捨て、 妹のティナは孤独な寮生活から逃れて。 原題は「THE CHALICO YEAR」 キャラコ(木綿)の服を着るような質素な生活という意味とのこと。 実際、何も持たずゼロから始まった二人の生活は、 自給自足でつましい生活を強いられる。 けれど、二人はマサチューセッツ州バークシャー郡の自然の中で、 何ものにも代え難い大切なものを見いだしていく。

この物語の魅力は、いろいろあって、 何から取り上げようかと、迷ってしまう。 私にとっての一番の魅力は、「安心感」 それぞれに傷を抱えた二人が、やがて癒され、 大切なものを自分の中に見いだしていく。 回復の物語がもたらす幸福感は、 現実のストレスも、少し軽くしてくれる。 「安心感」の源は、作者のまなざしの温かさ。 「約束された幸せ」へと、一気に読み進んでいく心地よさ。

二人を取り巻く登場人物も、それぞれに魅力的だ。 二人は成長していくにつれて、隣人を見る目も変わり、 人の本質に触れることができるようになっていく。 たとえば。 初めてあった時には、意地悪で他人に容赦ない人物に見えた ミセス・ブリッグス。 ティナは、彼女の中の誇り高く、正直で不思議な不屈さに気づく。

ミセス・ブリッグスの人生は、バークシャーの草地に威風堂々と 存在する岩山よりも決して美しくはないかもしれないが、彼女は それを耕し、種を蒔き勇敢な小さな収穫を得たのだ。(略) 頭のいい人なら、彼女を尊敬するだろう。だが賢い人なら、彼女 が経験したことをうらやましく思うだろう。(引用)

また、ミセス・ブリッグスがどのような人物か理解できるように なったトレイシーは、彼女の意見を大切に受け止めている。

ミセス・ブリッグスは長年一人暮らしをしてきたが、視野を狭め るどころか反対に広げてきているのだ。(略)ミセス・ブリッグ スが意見を言うときは、完全に偏見から自由であると知っている からだった。その厳しさは、彼女の孤高さからきているもので、 高いところから下を見ている鷹のように、厳しいけれども共感を もって隣人たちを見ているのだ。(引用)

それから、もちろん、自然の美しさ。 厳しい季節があるからこそ、いっそう引き立つ春や夏の豊かさ。 厳しさの中にある荘厳な自然の美しさ。 季節それぞれの喜びがつづられている。

彼女たちはそれまで一度もこれほど素晴らしい自然の輝きを見た ことがなかった。黄色は銅色でもないし磨きたてられた黄銅でも なく、むしろ新鮮な金色のバターの豊かな色で、木は紅葉した葉 が太陽に照らされて、真っ赤に燃えているように見えた。秋のタ ペストリーは、目の届くかぎり続いていた。あたかも天の芸術家 が絵の具のしたたる筆とパレットを持って、自然の中を塗りたく って通り過ぎていったかのように。 「インディアン・サマーね」ティナが言った。そして教会に行く ための服装をするのに、スーツではなくシルクのドレスに手を伸 ばした。(引用)

気に入ったシーンを書きあげれば、切りがないほどに、 心惹かれる情景がページいっぱい広がる。 自給自足の二人が、畑に何を植えるのかを相談している。 ティナがハーブ畑を作りたいと言って、次々とハーブの種類を 読み上げる。 数え上げると27種類。 おなじみの知っているハーブもあれば、「ジョニー・ジャンプ・ アップ」や「ランニング・マートル」のように、いったいどんな花が咲き どんな香りがするのだろうと、想像もつかないハーブもある。 しかし、次々にティナが上げるハーブの名を聞き、トレイシーは

「ふーん。いい名前ね、どれも。オールドファッションでみんな いい香りがしそう。昔覚えた、たったひとつ、そらで言える詩を 思い出したわ。とてもすてきな詩よ。」(引用)

と、その後に美しい詩の暗唱が続く。 引用した文章はほんとうに何でもないところばかりだけれど、 こういう普段の生活の中の、何の飾り気もない場面の美しさに ページをめくる手が止まってしまう。

私にとっての大事な言葉、美しい言葉はまだまだたくさんあって、 ほんとうに切りがない。 美しい言葉というと、「ひと月の夏」を思い出す。 ジャンルは違うけれど、片田舎の自然の中で青年が癒され、 回復していく美しい物語で、 この本の中にも大切な言葉がたくさん詰まっていた。 それから。 自然の美しさや。人と人との結びつき。 若い娘が自分自身を見つめ、やがてたどりつく幸福。 そういうエッセンスを並べていると、 ロザムンド・ピルチャーにもたどり着く。

「キャノン姉妹の一年」は、ドロシー・ギルマンの初期の頃の作品で、 今後も続けて数冊、初期作品が訳出されるという。 しかし、私にとっては、これがドロシー・ギルマンの一冊目なので、 幸せはまだまだずっと続く。(シィアル)

出会いのきっかけを、ありがとうございました。

(追補)「ジョニー・ジャンプ・アップ」は三色ヴィオラの種類、 「ランニング・マートル」は「ツルキキョウ」「ヒメツルニチニチソウ」の ことだとわかりました。


「キャノン姉妹の一年」著者:ドロシー・ギルマン / 訳:柳沢由実子 / 出版社:集英社文庫2004

2002年01月25日(金) 『時の旅人』
2001年01月25日(木) 『フローリストは探偵中』

お天気猫や

-- 2005年01月24日(月) --

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『おやじ時評』

やっぱりファンなので、新作が出ると 買ってくる。

4コマの時事ネタ「きっつい」漫画と、 1コマ漫画の繚乱。 巻末には糸井重里vsしりあがり寿対談つき。

雑誌と新聞に載せた作品を、みっちりと時系列時事編集 していて、朝日新聞の連載に出てくる家族キャラも 登場している。 手を振りながらイラクへ向かう自衛隊員など、 実際の報道写真も数点挿入されていて、 デジャヴのような「いま」感を煽られる。

コイズミはもちろん、アメリカもイラクも 北も、不景気もマイケル(ネバーランドのマイケル)も、 9.11も、惜しげなく網羅された記録。

こんなこと描いていいのだろうか、とか 勇気あるなあ、とか、 また下品なことを、とかつぶやきながら、 いわゆる時事漫画とはアプローチが 違うはずなのに、いつのまにか、これぞ王道、という 見え方がしてくるのは、 「しりあがり寿」印の庶民キャラたちが ちゃんとそこにいるからなのだろう。

ちゃんとそこにいて、おじさんもおばさんも、 心やさしいOLも勝手な上司も、私たちと同じ目線で、 大事件を転送してくれる。

マスコミだって転送してるのだ、と いうことを思いださせるように、 小さいことも大きいことも、 「人間性」のフィルターを通して、 あっけらかんとほっぽり出してくれるのだ。 どこよりも狭く、どこよりも広い、 白い□のリング上に。 (マーズ)


「おやじ時評」著者:しりあがり寿 / 出版社:洋泉社2004

2003年01月24日(金) ☆手帳と私。
2002年01月24日(木) 『ほんとうはこんな本が読みたかった!』
2001年01月24日(水) 『審問』(上・下)

お天気猫や

-- 2005年01月21日(金) --

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☆落ち行く平家は誰々ぞ

今年の大河ドラマは「平家」ではなくて「義経」なんですね。
「確かに、この時期だったら平清盛を主役にした方が面白そう」
そこらの山に行けば平家の落人伝説がごろごろしていて、 どちらかといえば平家のほうが身近と言う事もあるのですが。

第一話見ました。今の所、清盛初めその周囲の 平家の皆さんの紹介篇という感じです。 過去にもいろいろ物語があるらしいので、 もう少し時代を遡った所から見たかったですね。
「原作本は宮尾登美子の『平家物語』なんでしょ?」
立ち読みして来ました。

ドラマの第一話、常盤御前が赤子の義経を抱いて仇である 清盛の元に身を寄せるというアクロバティックな発端の場面が、 全四巻のうちのなんと第二巻の最後でした。

「事前に二冊分の話がある訳だ。読まないと分からないかな」
ハードカバー本です。高いです。
『義経』のほうは司馬遼太郎にもありますけど。
「義経は大体分かるからいいや。平家の方、面白そう」
平家本読みますか。
「吉川英治の『新・平家物語』はどう」
そりゃ面白いでしょうけど全十六巻ですよ。
「私は学生時代、山岡荘八の『徳川家康』を」
ええっ、全二十六巻読破したんですかっ!
「その前に休みが終ってしまって十九巻までしか読んでない」
勿体ない。実家には箱入りハードカバー全巻が棚を一列占拠してました。
「読んだ?」
埃が凄くて、箱から出してもいません。
『四十七人の刺客』の池宮彰一郎の『平家』なども、政治的にハードで面白いかも。
でも考えてみたら、二次創作を読む前に原作を読むのが私の方針でした。
「二次創作って何?」
気にしないで下さい。とにかく、映画でも漫画でも、名作と 呼ばれるものならば、できればモトになったものを先に読みたい方です。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。
奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。 /「原作」

「どこで止まるの」
一息にここまで言いきらないと気持ち悪いんですよ。
『平家物語』、岩波文庫で全四冊。
「読めないよそんなの」
ワープロだってこうやって「ぎおんしょうじゃのかねのこえ」と打てば ちゃんと「祇園精舎の鐘の声」って出してくれるくらいです。
全部は無理ですが、有名な場面なら注釈がついていればなんとかなるでしょう。

これまでも何回か「平家物語」を読もう、と思っては忘れていたんです。
華々しく砕け散る王国の物語、中世ゲルマン精神の神髄 「ニーベルンゲンの歌」を読んだ後や、 古代ギリシャの英雄達が相まみえるトロイの国の攻防戦、 全てのヨーロッパ文学の源「イリアス」を読んだ後など。
「滅びの比較?」
といいますか、どれも本来は文字を読む文学じゃないんです。
吟遊詩人が語る、耳で聞く文学。
でも翻訳ではそれは味わえないので、それなら音の分かる日本の作品でならばどうかと。

鏑は海に入りければ、扇は空へぞあがりける。

「カブラ?野菜の?」

沖には平家、舷をたたいて感じたり、
陸には源氏、箙をたたいてどよめきけり。

「エビラ?怪獣?」
‥‥邪魔しないでください。(ナルシア)


「宮尾本 平家物語 全四巻 」 著者:宮尾登美子 / 朝日新聞社
「義経」 著者:宮尾登美子 / 出版社:日本放送出版協会
「義経 上・下」 著者:司馬遼太郎 / 出版社:文春文庫
「新・平家物語 全十六巻」 著者:吉川英治 / 出版社:講談社歴史時代文庫
「平家 全四巻」 著者:池宮彰一郎 / 出版社:角川文庫
「徳川家康 全26巻」 著者:山岡 荘八 / 出版社:講談社歴史文庫
「ニーベルンゲンの歌 上・下」著者:不明 / 訳者:相良守峯 / 出版社:岩波文庫
「イリアス 上・下」 著者:ホメロス / 訳:松平千秋 / 出版社:岩波文庫
「平家物語 全四冊」 訳:梶原 正昭, 山下 宏明 / 出版社:岩波文庫

2004年01月21日(水) 『森のお店やさん』
2003年01月21日(火) 『種をまく人』
2002年01月21日(月) ☆本をどこで買いますか?(その6)

お天気猫や

-- 2005年01月20日(木) --

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『イルカの家』(その2)

ヘンリー八世の治める一六世紀のロンドン、とある工房。 そこでは、強く美しい「よろい」を作る職人一家が、 にぎやかに、丁寧に、ささやかに暮らしている。

軒に、青いイルカの像が彫られている家。 そこに田舎からやってきた少女タムシンは、 街のなかにほんとうの居場所がないことを悲しむが、やがて 同じような孤独を抱えるいとこの少年、ピアズと、二人だけにわかる 思いを交歓させながら、居場所を見つけてゆく。

郊外へピクニックに行ったり、 市場へ買い物に行ったり、 お祭りの日、職人たちのケンカがあったり、 女王様に声援を送ったり、 造船所を見に行ったり、 お茶に招かれたり。 ハロウィーンやクリスマスも訪れる。

通りには赤いリンゴや焼き栗を売る店が出はじめ、 凍えるように冷たく青い夕闇が、夜ごとに、前夜より 早くやってきます。 (中略) 暖炉の明かりの中で過ごす長く暗い夜は、 古い物語のための時間だったからです。 そうしてそういう夜の中の一番は、クリスマス・イブを 別にすれば、たぶん、ハロウィーンの夜でした。 (引用)

生活するということは、いつの時代でも、こんな風なのだろう。 人の幸せや悲しみも、いつの時代であっても、 深さに違いはないのだろう。

サトクリフはタムシンと同じ目線でペンを走らせながら、 「あきらめないで」とささやいてくれる。 タムシンとピアズが一緒に見た夢。 思いの深さが、その人の人生を導いてゆく。 そんなことを、タムシンたちの暮らしが教えてくれる。 (マーズ)


「イルカの家」著者:ローズマリー・サトクリフ / 訳:乾侑美子 / 絵:C・ウォルター・ホッジズ / 出版社:評論社2004

2004年01月20日(火) 『死体が多すぎる』その2
2003年01月20日(月) 『町かどのジム』
2001年01月20日(土) 『わたしの日曜日』&『とっておきの気分転換』

お天気猫や

-- 2005年01月19日(水) --

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『イルカの家』(その1)

旅先の書店で手に取り、「これを探していたのだ」と 思えるような出逢いだった。 何せ、この一冊を選ぶまで、ずいぶんさまよったので。

そして、読んでいる間ずっと、私のなかの子どもの心が サトクリフの子どもたちや人々と交歓し、 真冬の寒さを忘れさせてくれた。

訳は新しいがサトクリフ初期の作品で、「第九軍団のワシ」より 3年前の1951年に出版されたそうである。 これから少しずつサトクリフを読んでゆく予定なのだが、 その最初にこの作品を読むことができて、幸せだった。

一六世紀ロンドンの下町を舞台に、 田舎から出てきた親のいない少女タムシンが、 いとこ達の住む、通称「イルカの家」で受け入れられてゆく日々を ていねいに描いた珠玉作品。

誰も意地悪な人は出てこないし、本当に大変な事件も起こらない。 けれど、真珠のつぶのように連なった日々の移り変わりは、 どんな波瀾万丈の冒険よりも、深く心に碇を降ろす。 本のなかで大きなモチーフとなっている『船』のように。

同じ英国人とはいえ、 サトクリフのなかに、これまではまったくちがうイメージを 抱いていたA・アトリーを見たかのような思いである。

それにつけても、思う。 このような珠玉の作品を、もし、すでに作家として名を成した人なら 世に問うこともできるだろう。しかしもし、そうではない作者が 出版しようとしたら、日本では自費以外に、 いったいどんな方法があるのだろうか、と。 出版社は持ち込みをほとんど受け入れていない。 エージェント制度もまだまだ未熟だ。 作家になるには、特にコネがなければ、文学賞の新人賞を取るのが早道というか、 それしかないような風潮のなか、そうなると選ばれるのは 扇情的で厭世的で複雑怪奇な殺人的志向の作品や、人間性や母性を疑わせるような、 あえていえば、神をも畏れぬ作品が常連になってしまいかねない。

もちろん日本には、そういう作品ではないものを求めている人もいる。 しかし、そうした声は、出版の世界にはなかなか届かないようだ。 「イルカの家」のような作品が、児童書という枠の中だけでなく、 私たち大人の求めに応じて、世に出られる状況を願っている。

この作品によって与えられた静かな癒しは、何年もつづくだろうし、 私はこれですっかり、サトクリフ贔屓になってしまった。 (マーズ)

→「イルカの家」その2へつづく。


「イルカの家」著者:ローズマリー・サトクリフ / 訳:乾侑美子 / 絵:C・ウォルター・ホッジズ / 出版社:評論社2004

2004年01月19日(月) 『死体が多すぎる』その1
2001年01月19日(金) 『ガラスの城』

お天気猫や

-- 2005年01月18日(火) --

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☆ドラマティックな、読書。(その3)

■“リーガル・サスペンス”映像編

日本でも、もうじき陪審制が導入されます。 2009年(平成21年)までに一般市民が参加する裁判員制度が始まる予定です。 市民が直接裁判に参加することによって、より公平性・信頼性の高い裁判を 行うことを目的としているのですが、小説や映画、ドラマを見ていると、 不安もあります。

ドラマでは、
 ・「プラクティス ボストン弁護士ファイル」
(リアルでシリアスな法廷ドラマ)
 ・「エド〜ボーリング弁護士」
(法廷物ではなく、ヒューマンな人間ドラマ)
 ・「アリー マイ・ラブ」
(「プラクティス」と同じプロデューサー。キャリアとロマンス)
 ・「正義は勝つ!」
(織田裕二主演 ライトなんだけれどなかなか見応えがあった弁護士物)
などが頭に浮かびます。

私の「陪審裁判」観というのは、「プラクティス ボストン弁護士ファイル」に よるところが大きいので、ドラマにはまって見ていた分、 どうしても制度の導入に消極的になりがちなのです。 ことの真偽よりも、いかに陪審員を有利に導いていくのか、 検察と弁護士で弁舌巧みに審理が進んでいくシーンは ドラマであればエキサイティングであるけれど、実際のこととなると、 ずいぶんと怖ろしいことなのです。 (まあ、ドラマはあくまでもフィクションなんですけど。)

裁判員制度導入にあたり、模擬裁判なども行われています。 新聞によると、参加した市民の感想は手応えと同時に、 やはり人を裁くという責任の重さを実感したそうです。 もちろん、評議評決の場は公開されず、守秘義務がありますが、 審理のシーンというと、何と言っても、 ヘンリー・フォンダの主演映画「十二人の怒れる男」(監督:シドニー・ルメット)。 日本ならコメディですが、三谷幸喜脚本の「12人の優しい日本人」 (監督:中原俊)が浮かびます。 日本に陪審制度があったならという架空の設定が、 もうすぐ現実になるのですね。 当時はそんなこと絶対にあり得ない、と思っていたのに。

小説もいいけれど、やはり映像ならではの緊迫感や爽快感も捨てがたいです。
・「エリン・プロコビッチ」(2000)
 巨大企業を相手に集団訴訟を起こしたエリン・ブロコビッチの闘い。
・「いとこのビニー」(1992)
 新米弁護士ビニーが恋人の助けを借りながら、
 殺人容疑を受けた従兄弟のために奮闘するコメディ。
・「ア・フュー・グッドメン」(1992)
 軍事法廷物。米海軍基地で起きた殺人事件の真相を探る若き弁護士の成長。

そうそう、私たちが一生のうち、 裁判員に選ばれる可能性は、政府の試算によると100人に1人だそうです。 (67人に1人という試算も。) どきどきはらはらは、小説だけで十分。 現実としては、真摯に向き合っていかねばならない難しい問題です。 (シィアル)

付記:女性パーク・レンジャー、アンナの活躍を描いたネヴァダ・バーの シリーズ、教えていただいてありがとうございました。

2002年01月18日(金) ☆本をどこで買いますか?(その5)
2001年01月18日(木) 『QED 東照宮の怨』

お天気猫や

-- 2005年01月17日(月) --

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☆ドラマティックな、読書。(その2)

■リーガル・サスペンス

前回につづいて、ドラマティックな物語というと、 そう、確かにリーガル・サスペンスははずせません。

これも読み始めると、一気に結末まで物語を駆け抜けたいので、 ついつい、読むタイミングを選んでしまう本です。 最近、読書に勢いがなくなったというか、 体力的に一気読みができなくなったのか、 リーガル・サスペンスからも遠ざかっていました。

・「女神の天秤」フィリップ・マーゴリン (講談社文庫)
・「死刑判決」スコット・トゥーロ(講談社文庫)
読み応えのありそうな、リーガル・サスペンスを紹介していただきました。

私がリーガル・サスペンスを好きになったきっかけは「復讐法廷」でした。 その後は、目に付くと端から読んでいったものでした。 公平であるはずの裁判であっても、人種問題が絡むと、 陪審員選びから、いかに偏向を排除していくのか、 真実を明らかにしていくことよりも、 いかに偏見を排除していくのか、 読んでいる小説がフィクションとはいえ、 やはり、陪審制度の、あるいはアメリカ社会そのものの複雑さ、 難しさをしみじみと感じました。

そういう思いは、リーガル・サスペンスではないけれど、 特に「アラバマ物語」(ハーパー・リー / 暮しの手帖社)でも強く感じました。 (「アラバマ物語」は現在500円(!)でDVDが発売されています。おすすめ)

たくさんの作品が映画化・ドラマ化されていますが、 ジョン・グリシャムの作品はいろいろ読みました。 法廷物はどうしても、シリアスな結末になるものもあるので、 リアルでエキサイティング、でも安心できる結末を求めると、 ジョン・グリシャムに行き着いたのです。 (最近は読んでいないので、どうなのかわからないのですが。)

○映画・ドラマ化されたリーガル・サスペンス
「法律事務所」ジョン・グリシャム(小学館文庫) <映画「ザ・ファーム 法律事務所」原作
「依頼人」ジョン・グリシャム(小学館文庫)
「原告側弁護人」ジョン・グリシャム(新潮文庫)絶版 <映画「レインメーカー」原作
「ペリカン文書」ジョン・グリシャム(小学館文庫)
「推定無罪」スコット・トゥーロ(文春文庫)
「陪審員」ジョージ・ドーズ・グリーン(ハヤカワ文庫)

○その他の法廷物
「復讐法廷」ヘンリー・デンカー(文春文庫) 読後感:◎
「弁護」D・W・バッファ(文春文庫) 読後感:○
「十二人目の陪審員」B・M・ギル(ミステリアス・プレス文庫) 読後感:△

(シィアル)
→ ☆ドラマティックな、読書。(その3) “リーガル・サスペンス”映像編に続く。

2003年01月17日(金) 『信仰の現場』
2002年01月17日(木) ☆本をどこで買いますか?(その4)
2001年01月17日(水) 『決断するイギリス─ニューリーダーの誕生─』

お天気猫や

-- 2005年01月14日(金) --

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☆ドラマティックな、読書。(その1)

先日の「ロマンス小説の力。」で、ロマンスを熱く語ったところ、 ロマンティックかつドラマティックな本について いろいろ情報をいただきました。どうもありがとうございます。

■ ロマンス編

積ん読中の「ジェイミーの墓標(原題:Dragonfly in Amber)」 「もったいないですよ。」と、新シリーズの刊行を教えていただきました。 もうじき「アウトランダー・シリーズ」の第3シリーズ 「時の彼方の再会 I(原題:Voyager)」が発刊されるそうです。 そろそろ読み始めなければと、ちょっとあせっています。 苦手なシーンもあったのですが、最初のシリーズ「時の旅人クレア」では、 夢中になって一気に読んだものでした。 はまってしまうことはわかっているので、 仕事のスケジュールを見ながら読み始めたいです(^^)  → 「アウトランダー・シリーズ」について (1) (2) (3)

ずっと気になっていたのがJ・D・ロブ(ノーラ・ロバーツの別名義)の 「イヴ&ローク」シリーズ。 興味はありつつ、どうもノーラ・ロバーツと相性が悪いようなので、 二の足を踏んでいたのですが、このシリーズは「いけます」と、 教えてくださった方も。

・「イヴ&ローク」シリーズ
 「この悪夢が消えるまで(1)」
 「雨のなかの待ち人(2)」
 「不死の花の香り(3)」
 「死にゆく者の微笑(4)」
 「魔女が目覚める夕べ(5)」
 「復讐は聖母の前で(6)」
 「招かれざるサンタクロース(7)」
※21世紀半ばのニューヨークを舞台にしたニューヨーク警察の女性警部補イヴ・ダラスと大富豪ロークのロマンティック・サスペンス。

その他、今までずっと「おばちゃまシリーズ」の著者としての 印象だけが強かったドロシー・ギルマン。 メールをいただいたことで、作品群を調べてみると。 ライトなサスペンスからロマンティックなもの、 少女や少年を主人公にしたアドベンチャーものなど 作品が多彩なことがわかりました。 タイトルを見ているだけでも楽しくなります。 ロザムンド・ピルチャーとは、まるっきりタイプが違うかもしれませんが、 あらすじ紹介や書評をざっと読んでいると、 何となく、ピルチャーに感じたような穏やかで温かなぬくもりが そこにはありそうで、大切な作家のひとりになりそうな予感もしています。

・気になる作品
 「バックスキンの少女」
 「メリッサの旅」
 「人形は見ていた」
 「キャラバン 砂漠の愛」
 「テイル館の謎」
 「古城の迷路」
 「アメリア・ジョーンズの冒険」e.t.c.(すべて集英社文庫)
 「一人で生きる勇気」(集英社)※ギルマンの自伝的エッセイ

(シィアル)
 → ☆ドラマティックな、読書。(その2) “リーガル・サスペンス”編に続く。

2004年01月14日(水) 『オリンポスの饗宴』
2003年01月14日(火) 『見知らぬあなた』

お天気猫や

-- 2005年01月13日(木) --

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『吉を招く「言い伝え」』

以前、新書版の歳時記を買ったらけっこう 仕事にも使えたので、本書も手に取ってすぐ決断。

副題が『縁起と俗信の謎学』となっているように、 日本で古くから信じられたり使われたりしてきた 俗信などの、本来の意味を探りあて、説き明かす。

一つの言い伝えについて、ほとんどは1ページ、 まれに2ページを費やしているが、とても 読みやすいし、共感をおぼえる書き方である。

曰く、「猫を飼う時は年数を決める」 いや、それはできない相談で(笑) じゃあ、「20年でお願いします。それが過ぎたら 出て行って下さい」と? 猫の神秘性が産んだ迷信なのだろうと言われている。 あまり長く生きすぎて、化け猫にならないようにとの 願いも入っているらしいので、周到というか。

一方、ぶどうや藤などは「下がる」から 家の敷地内には植えなかった、というのがあって 思い当たったのが、この正月の門松。 大阪で見かけて、京都の知人も言っていたが、 京阪神では下を向いて弧を描いた柳を 門松に刺すことが多いのだろうか。 紅白の餅花が刺してあれば華やかだろうけれど、それもない。

青竹をナナメに伐って天を突くかのごとき門松の勢いを緩和するというか、 腰砕けにそいでしまうようなバランスではある。 あるいはまたそこには、別の奥深い意味が込められているのだろうか。

まったくもって、日本人であるということは、 これほどにも障りが多く、しかも楽しいことなのだ。 昔から言われていることには、 何にでも意味があるものだとため息をつく。

日本人にとって、名前はその人の外見でなく魂につけるものと されている、などと読むと、いろいろ考えさせられる。 真の名前、「ゲド」シリーズを連想する哲学だが、 果たして私の名前は私の魂につけられたものだろうか。 (マーズ)


『吉を招く「言い伝え」』 著者:岩井宏實 / 出版社:青春出版社2005

2004年01月13日(火) 『神秘島物語』

お天気猫や

-- 2005年01月12日(水) --

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☆ロマンス小説の力。

時を選んで、良書を積ん読・熟成させる私も、 ロマンス小説は即読(かつ速読)である。 あれこれ読むわけではないけれど、 チャレンジャーであり、たとえロマンス小説といえでも「相対的」な 位置づけを知りたい私は、いろいろ読んでみた。

きっかけは、 ジュード・デヴロー の「時のかなたの恋人」で、 “タイムトリップ・ロマンス”なるジャンルの存在に気づいたこと。 そこから、リンダ・ハワード(「夢のなかの騎士」)を知り、 リンダ・ハワードから、ロマンス小説のおもしろさを知った。 “タイムトリップ・ロマンス”を気がつく限り、網羅しつつ、 有名らしいハーレクイン系の作家の本を選びながら読んだ。

ロマンス小説というのは、玉石混淆で、 すごく面白いものもあれば、どうしようもないものもある。 訳のせいで読みにくいものもあるが、 訳者が変わってみてもやっぱりおもしろくなかったりもする。 ほとんど積ん読はしていないけれど、 どうしてもノーラ・ロバーツだけは、合わなかった。 書評などを読んでいると、ものすごく面白そうなのに、 どうしても読めない。 “タイムトリップ・ロマンス”なのに、 全然読み進まない「時は、やさしく / 未来からきた恋人 2」 (かろうじて「時が、ふたりを / 未来からきた恋人 1」は読了した。) 「愛は時をこえて」もサスペンス色のある“タイムトリップ(系の)・ロマンス”だが、(上)が読み終わらない。 「妖精の丘トリロジー」はアイルランドを舞台とした、ケルトの妖精が絡んでくるファンタジックなロマンス。 その一冊目の「ダイヤモンドは太陽の宝石」は、わりと面白いと思ったのに、残りの二冊が進まない。 どうしてこんなに合わないのか、自分ながら不思議である。

まあ、それはそれとして。 ロマンス小説なら、時を選ばない。 いつでも、気分転換にページをめくれる。 仕事のストレスに潰れそうなとき、 小説の中ぐらいは、予定調和のハッピーエンドにめぐり逢いたい。 少々、ご都合主義でも、肩の凝らない楽しい小説を読みたい。 頭の中を空っぽにして、どんどんと活字を読んでいく。 山あり、谷あり。でも絶対不幸に打ち勝つ。 そういう、気晴らしが必要な時って、ありますよね。

それでも最近は、ロマンス小説であっても、 ただ甘ければいいという、感じではない。 やっぱり、試練が必要。 ロマンスだけを追い求めるヒロインじゃなくて、 ちゃんと、自分の人生を生きているヒロイン。 困難に打ち勝って、求める物を手に入れ、 おまけにハッピーエンディングがついてくる。 そういう物語では、やはり、リンダ・ハワード。 「悲しみにさようなら」は、もっともシリアスな問題が絡んでいた。 自分の力で人生を切り開こうとするヒロインは、 読んでいて、好感が持てる。 たとえ、「あり得ない」設定・状況であっても、 ヒロインの生き方には、リアリティを感じ、共鳴できる。

「沈黙の女を追って」を読んでからは、リンダ以外ではスーザン・ブロックマンが私の中の一押し。 (「沈黙の女を追って」※タイトルは変だと思う。このタイトルのせいで、あまり買おうと思わなかった。原題:The Defiant Hero ) 今は、このトラブルシューター・シリーズの第一作「遠い夏の英雄」 (原題:The Unsung Hero )を読んでいます。 米海軍シールズの登場するロマンスは「あり得ない」が 「あり得ない」ロマンティックがこのシリーズの魅力だろう。 危険を愛する男たちシリーズとして、ハーレクインから最新作「孤独を抱いて眠れ」が出ている。 (ヒーローはみんな、シールズ隊員。でも「沈黙の女を追って」を読んだ後では、ハーレクインはページの薄さの分だけ、読み応えも薄い。)

キャンディス・キャンプ の18世紀〜19世紀頃のイギリスを舞台にしたロマンスも ゴージャスで面白いが、ヒロインが10代で可愛らしい分、 読み応えは少なく、「ああ、面白かった」だけで終わってしまったのが残念。 (…まあ、それでもいいのだけれど。) 「裸足の伯爵夫人」はハーレクイン版「自負と偏見」だと 書かれていたのをどこかで見ましたが、その通りで、 「自負と偏見」を読んでいたら、さらに楽しめるので、おすすめ。 キャンディス・キャンプに限らず、ヒストリカル(?)は、 時代を楽しむという、付加価値を味わえるので、 現実逃避にはもってこいでしょうか? (時代考証にこだわらない人なら。)

好きなのは
・“女王”リンダ・ハワード
 ※加齢と共に、ヒロインにもリアルな人生の襞が。そこが魅力
・スーザン・ブロックマン
 ※マイケル・パレのファンなので、B級映画でもシールズ系のファン
・レベッカ・ウィンターズ
 ※2冊しか読んだことないけれど、良かった。満足度2/2で100%
・ジェイン・アン・クレンツ
 ※都会的でお洒落な感じ(アマンダ・クイック名でヒストリカル作品も)
・キャンディス・キャンプ
 ※陽気でおきゃんなヒロインは読んでいて、楽しい
・ダイアナ・ガバルドン
 ※“タイムトリップ・ロマンス”だが、珍しく、読む時を選んで積ん読中

(シィアル)

2001年01月12日(金) ☆『大菩薩峠』の作者は?

お天気猫や

-- 2005年01月11日(火) --

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☆良書の力。

当たり前のことかもしれないけれど、 「良書」というのは、その本に触れた者の、 いちばん、良いところを引き出してくれるんだなあ、 という、実感。

最近では、梨木香歩さんの「家守綺譚」と、 書評を書くところまで昇華できていないので、 じっと、熟成(笑・単に遅筆)を待っているところである、 同じ梨木香歩さんの、「村田エフェンディ滞土録」 深いところにまで、生きているということの陰影のせつなさ、 はかなさが届いてくるようで、 それをきちんと言い表せる、自分の言葉を探しています。

須賀敦子さんの「ヴェネツィアの宿」については、 先日、感想をまとめましたが、 美しい文章、含みのある豊かな描写などの 言葉の力に、深く打たれました。 須賀さんが訳した「インド夜想曲」を開くのが、 とても楽しみです。

良い本を読むと、 良い文章が、書けているような気がします。(※本人比 ^^) もっともっと良い本を読めば、 今よりずっと、「誰か」に深く伝わっていく、 文章が書けるような気がするのです。

先日、同僚と話していて。 彼女は、私がこんなネット活動をしていることは知らないので、 「ブログとかもはやっているけど、 別に何か聞いて欲しいこともないし、 情報を発信したいわけでもないから、 全然興味ない。」 というようなことを言ったのでした。 そんなことを聞きながら、 何故、こんなことを続けていくのかという、 私の結論は、結局、「伝えたいことがある」につきるのでしょう。 それが、私の探しているものなのでしょう。

急に、良書を積ん読(!)し始めました。

・「インド夜想曲」
・「ウォーターランド」
・「クジラの島の少女」
・「タートルムーン」

翻訳物ばかりなのですが、 読み終わったとき、自分が見つけるであろう、 「伝えたいこと」の存在に、わくわくしています。 (シィアル)

2002年01月11日(金) ☆本をどこで買いますか?(その2)
2001年01月11日(木) ☆児童書の翻訳

お天気猫や

-- 2005年01月10日(月) --

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『ザ ステーショナリー』

金にふちどられた真っ赤な表紙のまんなかに、 白いクリップのマーク。

これは、銀座の文房具屋(彼らは「文具屋」とは言わない) 伊東屋のカタログであると同時に、歴史や文房具の蘊蓄を、 豊富な取材を交えて構成した愛蔵本である。

私が銀座の本店へアルバイトに通ったのは、 もう一昔以上前のことになった。 ページを開くと、当時のスタッフの顔も見える。

ついなつかしくて、昔書き留めていたノートを 出してきて読み返し、夜が更けてしまったりする。

この本にあるような、バリバリとノリのきいた文房具専門店の 姿もまた真実なのだが、私のノートのなかにある伊東屋は、 舞台の裏側での苦労や、あえて言ってしまえば、失敗の 積み重ねでもある。 もちろん、私の日記がわりのノートだから、主に失敗しているのは 右も左もわからない私であるが。 そして、ここには書けない数々のエピソード。

膨大な量の商品が地下から8階、さらに別館まで 埋め尽くしている伊東屋(銀座本店)という店は、 まるで文房具のよろず問い合わせセンターのようだった。 きっと今でもそうなのだろうけど、 一日中、ありとあらゆることの質問が矢のごとく 飛んで来るのだった。

いそがしくレジを打っているカウンターの列に 順番を無視した質問が飛ばないよう、フロアでお客さまの 質問を受けとめ、バリヤーのようにスタンバイしていた自分を 思い出す。 「お世話さま」「ありがとう」の言葉に、 どれだけ力を与えられたか。

伊東屋での一年間が、その後の自分の仕事やボランティア活動(笑)を すんなりと決定づけたという事実。 そんなことの縁をなつかしく思う。

完成度についてあえて言えば、 スタッフから聞き書きで起こした商品説明の文章は、 もう少し読みやすくしてほしいところもあった。 お店っぽくてこのままでもいいのかもしれないが。

当時の体験から私が今でも守っていることがいくつかある。 銀座の中央通りを「銀座通り」と呼ぶことも そのひとつである。 (マーズ)


『ザ ステーショナリー』 銀座・伊東屋100年物語 / 出版社:ピエ・ブックス2004

2003年01月10日(金) 『ハプスブルク家の食卓』
2002年01月10日(木) ☆本をどこで買いますか?(その1)
2001年01月10日(水) 『茨姫はたたかう』

お天気猫や

-- 2005年01月06日(木) --

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『ヴェネツィアの宿』

☆自分のことばで、自分の人生を。

最近、随筆やエッセイをよく読むようになった。 自分の「生」とどこかで連綿と続いているはずの 現実の世界に触れていたいと、思うことが多くなった。 人は、人生に、何を見ているのだろうか。 何を考えながら、人は歩いているのだろうか。 そんなことを脈絡なく、考える。
白洲正子さん(1910-1998)の人生。
青山二郎さん(1901-1979)の人生。
須賀敦子さん(1929-1998)の人生。
いろんな人の生き方に触れ、ふと、ため息が漏れる。

須賀敦子さんの「ヴェネツィアの宿」 須賀さんの留学生活、家族、友達、夫、 須賀さんの通り過ぎた日々が美しい言葉で描き出されている。 悲しみも喜びも、まるで物語を読むように美しい。 喜びはもちろん、悲しみであろうが、わだかまりであろうが、 言葉は、須賀さんの中から生まれ、昇華されていく。 そして、思い出のそれぞれは、言葉を越えて、目の前に現れる。 聖堂の静けさ、窓から流れ込む音楽、駅での宙ぶらりんの時間。 12編の物語が、次々と形を持ち、私の中でも大切な思い出となっていく。 須賀さんの心のふるえがしっかりと刻まれていく。 抑制された悲しみまで。心のふるえがすべて。

たとえば。
「カティアが歩いた道」では、留学時代の友人との三十年ぶりの再会が。 さくら色の空気に染まった道を歩く二人。 「アスフォデロの野をわたって」では、夫ペッピーノの喪失を。 アキレウスのように、忘却の野を渡っていってしまった夫の姿。 「オリエント・エクスプレス」では、父との別れ。 父親の望んだオリエント・エクスプレスの想い出の品々。

1950年代、須賀さんのようにヨーロッパで 留学生活を送ることができたのは、 恵まれたことではあろうが、困難もあっただろう。
その留学先で出会う、様々な人々。
両親の思い出。
喪失の物語。
ひとつひとつは、須賀さんだけの、物語であるけれど、 そのひとつひとつがあまりに鮮やかなので、 まるで、自分自身の人生のようにも感じられる。 それは、錯覚ではなく、誰にでも大切な思い出はあるから、 そう感じるのだろう。 物心ついたときから見つめてきた家族の姿。 かけがえのない学生時代。 その中での出会い、育んできた友情。 ずっと、側にいた人、去っていった人、 再び、出会う輪のように…

時代は違っても、背景は違っても、 そこに、人生が、人生の中の出会いと別れが綴られているから、 須賀さんの物語は、普遍なのだろう。

物語のように美しく感じられるドラマティックな人生でなくても、 誰の人生にも、ドラマはあって、 たくさんの人々との関わりの中で、生きている、 生かされている自分があるのだと、本を読みながら、 そう思う。

誰の中にも、その人自身の言葉で語られるべき、 意味のある人生が綴られているのだと、 そんなことを感じた。(シィアル)


『ヴェネツィアの宿』 著者:須賀敦子 / 出版社:文春文庫

2003年01月06日(月) 『図書館の死体』
2001年01月06日(土) 『人類の子供たち』

お天気猫や

-- 2005年01月05日(水) --

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『ナチュラル・ハウスキーピング』

市販の化学合成洗剤を使わず、 アルコールや重曹、炭酸ソーダ、アロマ精油といった スローライフな掃除ができれば、そのほうがいい、 というのは皆思っているかもしれないが、 さてその方法は?となると、本書のようなガイド役が どうしても必要になる。

私たち日本人は、あまりにも長い間、メーカーのつくる 洗剤に頼ってきたから、それ以前の生活の知恵を知らない。 今の住居に使われている建材や家具、はては家電にも、 こうしたエコロジカルな掃除がじゅうぶん可能だと いうことも。

ナチュラル・ハウスキーピングのためには、それなりの 道具も必要になる。といっても、 ぞうきんや各種のブラシ類、ほうきや手袋など、 すぐそろうものばかりだ。 それを100円ショップでそろえようと、 少々凝ってみようと、それは自由だろうけど、やはり 多少こだわったほうが作業も楽だろうし、やりがいがありそう。

洗浄剤としては、最初にあげたように、
・アルコールを35〜100に精油で割ったもの(無水エタノール原液を使用)
・重曹(とアロマ入り重曹をつくる)
・炭酸ソーダ
・クエン酸
・精油
が基本だという。

どれも、私には未知の素材ばかり。 かろうじてアロマ精油だけは別の用途に使う程度だ。

たとえば、ドアやリモコンなどの手あか汚れ。 これは油汚れになるので、普通の掃除ならアルコール35を スプレーしたぞうきんで拭くだけでじゅうぶんとか。 けっこう普段から気になっている割に、つい 見逃してしまう汚れだったりする。

他にも、ビニール床の汚れとか、 シンクや鍋釜、におい取りまで、家中のあらゆる 掃除や消毒・脱臭方法に、「なーるほーど」とうなずかされる。

そういいながら、年末の掃除はできなかったが、 旧暦にしたがえば、春の掃除はこれからである。

そしてここに紹介されている掃除の仕方は、 あいた時間を使って、無理しないことも大切なポイント。 そして、苦労と思わず、楽しむこと。 これって、ボランティア精神に通じるんではないだろうか。 (マーズ)


『ナチュラル・ハウスキーピング』 著者:古後匡子 / 出版社:主婦の友社2003

2002年01月05日(土) 『南の島の魔法の話』
2001年01月05日(金) 『ハムレット狂詩曲』

お天気猫や

-- 2005年01月01日(土) --

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『悲しみにさようなら』

大人の女性のために、リンダが描く 母性とラブロマンスのハードな結合。

原題は「Cry No More」。 医者の夫が赴任していたメキシコで 赤ん坊のジャスティンをさらわれてから、 夫とも離婚し、悪夢の日々を過ごしてきたヒロイン、ミラ。

その後、本国アメリカで、「ファインダーズ」というボランティア団体を 組織し、行方不明の子どもたちを探すシンボルとなった。 誘拐から10年がたったある日、犯人の手がかりが現れる。

そして、彼も現れた。 極悪非道の殺し屋と恐れられる男、ディアス。 息子のジャスティンを決してあきらめることのないミラと、 危険な生活を日常としているディアスは、お互いに 惹かれてゆく。 強さと女性らしさが同居するミラのキャラクターには、 ディアスならずとも脱帽だろう。

リンダの新作は、甘さよりも苦さや悲しみに彩られ、 描かれる愛もハードタッチであった。 ヒロインのミラはもちろん、周囲の人物たちも、 それぞれに苦しみながら人生を歩んでいる。 周囲の人間に関しては、今までで初めて、リンダが 定説をくつがえしていることも本作の特徴といえる。 それが自ら招いた結果であっても、引き返せない運命に 身を投じて生きるのは、善悪どちらでも覚悟が要るものだ。

ディアスの風評があまりにも強烈だったせいか、 今までのロマンスとはちょっとちがうところもあるけれど、 ミラが肯定の判断を下すたびに、私たちも同意する。

「大丈夫、信じて進んで」と。

ディアスはミラに、 『風の強い日の煙みたいに捉えどころのない男』と 描写されていた。 それがどう変化してパートナーになるのか、 ハードな運命をともにしながら楽しんでほしい。 ミラの目から涙が消えるときまで。 (マーズ)


『悲しみにさようなら』 著者:リンダ・ハワード / 訳:加藤洋子 / 出版社:二見文庫2004

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