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ピーター・パンのことは、 私の古い記憶のなかにもあるのだけれど、 そのピーターは、ディズニーのキャラクターである。 それはそれで、ネバーランドへの夢を与えてくれたし、 幼くしてロンドンへのイメージもつくられたのだが、 バリの『ピーター・パン』にこめられた、 ”いわく、いいがたいもの”は、そこにはなかった。 そこにいたピーターは、むしろ大人になろうとする普通の 少年だったから。
だからこれから書くことは、かなり新しい記憶のなかに住んでいる ピーター・パンのことだ。
大人にならない永遠の少年、ピーター・パンを愛する人たちは、 世界中にいるだろう。ピーターの世界を、もうひとつの別世界として 活字にすることに熱意を燃やす人もいる。 『フック』(映画にもなった)のテリー・ブルックスは、 サー・ジェームズ・バリの『ピーター・パン』への限りないオマージュを 真っ向から注いでいる。 古きワインの精を、妖精の粉にかえてまとい、おとずれるネバーランド。
『フック』の主人公は、過去を忘れて大人になり、家庭をもった 仕事中毒のピーター・バニングことピーター・パン。 もう一人の孤独な主人公は、タイトルどおり、ジェームズ・フック船長。 ああ、フックのファースト・ネームはジェームズだったのだ、 バリ卿と同じく。と本書を読んで気づいた。 ちなみに、「礼儀(グッド・フォーム)の港」に停泊するブリガンティン型帆船「ジョリー・ロジャー号」の船長室には、フックお気に入りの作家、サー・ジェームズ・バリの 本があるという逸話も披露される。 じつは『ピーター・パン』を読んだときには、 鈎の義手をもつフックにはあまり注意を払っていなかった。 だって、犬のナナを普通に養育係にしているような家の子どもたちの 「家出話」を読むのだから、海賊どころではなかったのだ。
ここ、別世界でのフックは、時間のないネバーランドで 宿命の対決相手を待ち続けている、誰も信じられない海賊王であり、 唯一信じて待っていたピーター・パンの、あまりな変容ぶりに 最悪の裏切りを与えられてしまう男である。
そして、フックのそばにさえ『ピーター・パン』のエッセンスである 「お母さん」という芯の糸が、しっかりと編み込まれている。
ピーター・バニングは、過去の記憶を持っていない。 しかし、フックに愛する(愛情不足の)子どもたちをさらわれてしまい、 いやおうなくネバーランドへ連れ込まれる。 かつてネバーランドでピーターとともに暮らしていた「迷子の男の子たち」は、 帰ってきた大人のピーターに、とまどうどころか、信じようともしなかった。 フックが信じがたかったように、誰より、ピーター自身が自分のなかの 少年を忘れ果てていたように。
ただ妖精のティンクだけが、中年のピーターに、 かつての冒険とありあまる熱の名残を見ていて、いつもながら損な役回り。 それでも、ティンカー・ベルに当たったピンライトは、 作者の想いを綺麗に伝えてくれている(読んでのお楽しみ)。
自力で飛んで戦うための大改造特訓のあげく、
やっとピーターを認めた子どもたちは、大喜びでさけぶ。
「パンゲラン!ピーター!」
それにしても。
フックがピーターの息子ジャックをそそのかした言葉には、
うーむとうならされる。本質をついたピーター論を見せられる思い。
「なぜ親はわが子を嫌うのか」
(マーズ)
「フック」テリー・ブルックス著 / 二宮馨訳 / ソニーマガジンズ1992
2004年02月25日(水) ☆映画・オブ・ザ・リング『王の帰還』(その一)
2003年02月25日(火) 『末枯れの花守り』
2002年02月25日(月) 『スター☆ガール』
見返しに、
”水いのちをつなぐ。”
と、手書きの言葉が入っていた。
ベラルーシ、チェルノブイリから200km足らずの村で生きる アレクセイたちの暮らしを描いた写真絵本。
ここに登場する村人たちは、命の泉が湧く村を離れない。 動物たちを残して村を離れない決意をした人たちである。 放射能に汚染された村のなかで、命の泉だけは、 まったく汚染されていないという事実に打たれる。
「測ると減るのかい?」 と、放射能測定の役人に、村人達はたずねるのだという。 人の住めないはずの村に、人々は暮らし、 命の泉が、人々の未来を少しだけ身軽にしてくれる。 この先、皆がずっと健康でいられる保証はない。 村を捨てる人たちも増えているはずだ。 それでも、生まれた土地に根を降ろして生きることを 選び取った人々は、謙虚で潔い。
どんな悪意もおよばないほどの事故を起こした チェルノブイリへの批判は尽きないが、 それも人間のしわざであれば、 ここにいる村人たちも人間である。
本橋成一は写真家・映画監督。 91年から、チェルノブイリ原発の放射能汚染地域を おとずれ、そこで暮らす人々を撮っている。 (マーズ)
「アレクセイと泉のはなし」本橋成一著 / アリス館2004
2004年02月23日(月) 『アンデルセン童話集2』
2001年02月23日(金) ☆ 新本バーゲン
「今日の本」2004年01月21日で シィアルが紹介していたのを読んで以来、 これはどうしても手元に、と思いながら延び延びになっていた 『おはなしさいた』シリーズの『森のお店やさん』。 このほど、やっと入手した。
森じゅうの動物たちが、 てんでにお店(やサービス)を始めるお話。 ハードカバーのA5版なのだが、合間に絵が入るので、 絵本をめくっている気分になる。 独特のリズムにシンクロしてゆくと、 昨日のことも明日のこともなくなって、あるのは 今このときだけ、森のなか、という空気がここちよい。
「おとや」に始まり、
「ぽけっとや」
「ぎんめっきごみぐもの伝言板」
「空のおふねや」
「おやおやや」・・・と
つづいてゆくアイデア商売の数々。
絵がまたすてきに調和していて、 表紙も外国絵本を思わせるクラシックなイメージ。 (『白いシカ』という本を最近知ったのでその影響もありそう)
ひらがなが圧倒的に多くて、 しかも一本調子ではない「もの」がいろいろ登場するから、 かぎ針で編むように、行ったりもどったりしながら 読む楽しさがある。大人にとっては、きっとそう。
お店の好みをあえて言えば、「おやおやや」は
出色なのだが、この店のあるじは地面の下に住む、
もぐら。である。
代々の老舗らしい。
出かけてゆくと、もぐらが出てきてこう言う。
「おやおやは、いろいろございますよ」
手がかからないらしいのも、意外にうれしい。
(マーズ)
「森のお店やさん」林原玉枝 著 / 絵:はらだたけひで / アリス館1998
2003年02月21日(金) ☆活字が先? 映像が先?
2002年02月21日(木) ☆おまけにつられる。
2001年02月21日(水) 『六番目の小夜子』 (1)
カトリーヌは、今なお同じ位置に立っている。 しかしノストラダムスは、いったいいつから、 幸せなどという得体の知れない島に移り住んで しまったのだろう。何を手掛かりにして。(引用)
本書は、超人的な守備範囲の知識や技術を持ち、 優れた占星術師であり医師でもあった ノストラダムスの世俗的で人間的な面を、よく描いている。
冒頭のように、カトリーヌとノストラダムスの間には、理解を超えた 人生の目的が横たわっていた。 幸せになる、という痛いほどの目的は同じであっても、 競争に勝つことが生死の命題であったカトリーヌと、 魂の底からわきあがる目的を持っていたノストラダムスは、 どこかで道を分けて生きねばならないのだろう。
カトリーヌにはありえなかった人生。 愛情で結ばれた家族と暮らしながら、 内面には、人生のすべてをかけて追い求める、 ノストラダムスにしかできない無限の領域があった。 占星術をきわめ、人生の奥義や法則を、時間をかけて解明し、 形に成し、それを求める誰かのために役立てるという夢。 時を越えた先にも、それらを待つ人々がいるという信念。 そのためにこそ生きている、このとき場所に生まれたのだという、証。 それがあってこそ、ノストラダムスはひととき 家族とともに炉辺に座り、カトリーヌのいぶかる「幸せ」なるものを 味わうことができるのだろう。
一方で、魅力的な脇役として著者に愛されているのが、 イタリア時代からのカトリーヌ守護者、貴公子アルベルト。 宮廷の女性達にも人気の洒脱な若者である。 しかしカトリーヌへの忠誠を貫いたため、投獄される。 拷問に屈せず最後まで戦うだろうとわかっていても、 彼がカトリーヌを裏切ったら耐えられない、と 思ってしまうほど、存在は大きい。
カトリーヌの道を照らす灯りは少ないが、心強い。 そんな灯りの一つである、アルベルトとノストラダムス。 その幸運を正面から考えることも避けるかのような カトリーヌを見ていると、孤独の深みにはまりこみそうだ。 「幸せなどという得体の知れない島」に いつかはたどりついてみたいものよ、と思わされる。 (マーズ)
「ノストラダムスと王妃」(上・下)藤本ひとみ著 / 集英社文庫2002
2004年02月17日(火) 『人生の塩』
2003年02月17日(月) 『ふくろう模様の皿』
読みおえて2ヶ月たった今も、折々に反芻を繰り返している。 文庫化にあたって『預言者ノストラダムス』 から『ノストラダムスと王妃』に改題されている。
王妃とは、イタリアからフランスへ嫁いだ ある意味悪名高いカトリーヌ・ド・メディシス。 ノストラダムスを保護したことでも知られる。
不実な夫アンリ二世の事故死を予言したノストラダムスと、 急速に親しくなるカトリーヌ。 王妃でありながら王の愛人に権力で及ばず、 イタリアの豪商出身とさげすまれるカトリーヌと 一歩誤れば異端の罪を負うノストラダムスの二人。 どちらをも対等に立たせ、 奸計のテクニック、宮廷生活の裏側、出世の階段を登る男たち、 火花飛ぶ宗教の対峙など、こみいった要素を きわめて上手く突いた歴史小説である。
そして、カトリーヌの人物像。 バーソロミューの虐殺など、決してイメージは良くない はずだが、ここでは権力の座を求めてあえぐ一人の女性として、 優れた「女性どうしのひらめき」ともいえるほどの理解を示している。 人間の感情というものがいかに理不尽で、 他者とのコミュニケーションが、いかに難しく、 同時に、瞬時に愛憎が入れ替わるものか。
その瞬間に何度か、強い光が当てられていることが 作品を特徴づけているのではないだろうか。 人間が一生抱え続ける、子ども時代への深い理解も含めて。
人をあやつるためのテクニックも多々教えてくれるカトリーヌ、 ノストラダムスを「父」とまで呼ぶ姿には、 「そうなって当然」と思わされるものがある。
ノストラダムスも人間的である。 体躯のがっしりした人、というのは意外だったが、 晩年健康を害しながらも 若い妻、幼い子どもたちを抱え、未来に名を残し、 家族に生活の保証を与える方策に心を砕く。 カトリーヌとともに、出世の糸口を求めてあえぐのだ。
ノストラダムスが発見したという運命の法則や かの悪名高き終末予言詩の読み解きについては、 個人的にはとても興味深かった。 しかしそれらは、人間を描いた本書を読むにあたっては、 楽しみのなかのひとつ、といえるだろう。 (マーズ)
「ノストラダムスと王妃」(上・下)藤本ひとみ著 / 集英社文庫2002
2004年02月16日(月) 『坊ちゃんの時代』1-5
2001年02月16日(金) 『サンタをのせたクリスマス電車』
季刊誌「銀花」がこの冬、35周年を迎えている。
移り変わりの激しい世の波間にあって、 雑誌として得がたい長寿のめでたさと同時に、 これまでありがたく読ませていただいた 手仕事の神髄を突き詰める内容の深み。 創刊当時から貫かれてきた編集方針に いささかの後退も見せず、時は経った。
そして今回は記念号として、ふろくがついている。 ひとひらの、花弁のかたちをした「散華」が、 表紙をあけたところに、赤い袋に守られ、収まっていた。 木版で一色ずつ重ねた、ていねいな仕事。
私のいただいた散華は、三浦景生画伯の絵。 思ったよりもしっかり厚く、額に入れて飾ろうかと 思いつつ、ながめている。 思えば、散華なるものを教えられたのもこの雑誌からだった。
特集の全国注連縄コレクション、 本の虫に贈る木の家具、 銀花の装丁を手がけてこられた杉浦康平さんの 雑誌デザイン特集と、 興味は尽きない。 銀花こそ、雑誌世界の「お正月」なのかもしれない、と ふと思う。 (マーズ)
「季刊 銀花」(雑誌)/ 文化出版局
2002年02月15日(金) 『クレメンタインの冬じたく』
2001年02月15日(木) 『ピュア・スタイル』
立体にモノを飾り付ける必要が 続いたので、気になっていた。 もともと立体は苦手意識が強い。 どうすれば、もっとバランスを取れるんだろう。 どこがおかしくて、バランスが崩れるんだろう。 そういうことがさらっと簡単に(甘いのだが)、 手に入らないものかと。
そんな折、書店で見つけて、今買うべき本と思い、入手。 A5版の、持ち歩くのにもいい感じのムック。
そもそも、モノが多すぎて 何よりも一番それがごちゃごちゃの原因なんだと わかってはいるのだけれど。
でも今回は、部屋の片づけのためではないから。 とは思うものの、やっぱり部屋も部屋だ。 おすすめの「部屋の隅」にはディスプレイの空間がない。 ライトを使って観葉植物の葉っぱをシルエットで映せる壁もない。
…とかなんとか言いつつ、最終的には楽しみたくて、 欲しかったのかもしれない。 すっきりシンプルな部屋という、叶わぬ夢を見るために。
あちこちパラパラとめくっては、さまよっている。 センスというのはほとんど生まれつきで、 模倣しても限界は厳しくそこに見えるものだと わかっているから、まねることもしたくはないが。
何段かの棚へモノを飾るときのバランス、 法則のことを書いてあって、せめてそこはしっかり 覚えておこうと思うのだった。 (マーズ)
「インテリアのセンスを磨く172のルール」/ 別冊Grazia(講談社)2004
2003年02月14日(金) 『コーちゃんのポケット』
2002年02月14日(木) ☆個性。
2001年02月14日(水) ☆ 恋人は、「時」の彼方から
いつも良書を紹介されている翻訳小説の紹介サイトさんが 「チャングム」を取り上げていたのが意外だったことから、 興味を持ちました。 今までずっと、単なるテレビドラマのノベライズだと 思いこんでいたのですが…。 試しに買った第1巻を読み始めるやいなや、 李朝時代の社会の過酷さ(特に女性への)や、 その反面、民衆を犠牲にしながらも、 華やかさ、豊かさを感じさせられる宮廷文化に興味を持ちました。 第1巻を読み終える前に、慌てて本屋に向かっていました。
現在でも儒教の影響の強い韓国ですが、 500年歴史を遡った16世紀の朝鮮社会は、徹底した男尊女卑の社会で、 女性が男性と肩を並べて活躍するチャンスは皆無であったといいます。 そんな時代に、唯一、史実に名を残している女性が、 「チャングム(長今)」だそうです。 ただし、チャングム、その人についての記述はなく、 チャングムの人生については、作者のフィクションなのですが、 当時の社会や制度、文化・風習については、 丁寧に考証されているということで、リアリティがありました。
貧しい生まれながら、聡明で美しいチャングムが、 宮廷で働く宮女として取り立てられ、様々な艱難辛苦を乗り越えて、 やがては、皇帝はじめ宮廷の信頼厚い医女として活躍するまでの 大河歴史ドラマ。 全部で3冊有りますが、1冊が薄く、活字もちょっと大きいようだし、 何より、テンポがいいのですぐ読み終わります。
幼いチャングムのけなげさ。
そのチャングムに忍び寄る魔の手。
やがて成長し、たとえ汚名を着せられても、
けなげに頑張り続けるチャングムの姿には胸を打たれます。
はらはらしながら読み進み、急展開に夢中になってページをめくり、
最後の一ページまで一気に読んでしまいました。
読後感も爽快で、冒険小説のような痛快さも味わえました。
ただ。
想像力は、映像を越える。
いつもそう思っているのですが、さすがに異文化には、
それが通用せず、美しいであろう、豊かであろう、
情景の描写に想像が追いつかず、歯がゆさを感じました。
知らなかったことを、是非、知りたい。
そう思うと、遅まきながら、
テレビドラマに興味津々。
(シィアル)
「チャングム」(全3巻) 著者:キム・サンホン / 訳:米津篤八 / ハヤカワ文庫2004
http://www3.nhk.or.jp/kaigai/chikai/ (NHK 公式サイト)
「宮廷女官 チャングムの誓い」BS2
木曜 午後10:00〜 放送中 (全54話)
※小説とドラマとでは、いろいろ相違点があるようですが、
それもまた楽しみです。
2004年02月10日(火) ☆1800年代の後半。
2003年02月10日(月) 『ひかりの国のタッシンダ』
2001年02月10日(土) 『夏草の記憶』
月光に照らされた雪の森、 あおくつめたい世界を、父さんと娘が歩いてゆきます。 森の奥に棲む、みみずくに出会うために。 人間も息をひそめて、そっと、そっと。
そしてこれは、その場の思いつきではなくて、 父さんと娘の、ずっと前からの約束なのです。 「いつかそのうちに、つれていってあげよう」 大人の約束が、こうして守られていることに、 絵本のはじまりから、ほっとします。 それが、今日、今夜なのです。
二人の「ちょっとそこまで」が、夜のとばりが降りた雪の森、 というのは、アメリカならではのスケール。 それに、普通だったら、父さんと一緒に行くのは、 息子であることが多いのに、そうじゃないところも なかなかに冒険心を満足させてくれました。 何があっても、父さんと一緒なら大丈夫、 そんな女の子の安心した表情も伝わってきます。
ジェイン・ヨーレンの文体に流れる美しいリズムが、 唄のような日本語になって、いきいきと語りかけます。
本をひらくと雪の照り返しがこちら側まで射してきそうな、 澄みわたった空気に、みみずく探しの緊張がつながって、
やがて、待ちに待った出会いが訪れます。
(1988年コールデコット賞受賞作品)
(マーズ)
「月夜のみみずく」著:ジェイン ヨーレン / 画:ジョン・ショーエンヘール / 訳:工藤直子 / 偕成社1989
2002年02月08日(金) 『白州正子"ほんもの"の生活』
2001年02月08日(木) ☆新美南吉(2)
信田家の冒険談は続く。
2作目は、最初の作品よりもぐっと、踏み込む感じ。 パワーアップしたぶん、降りかかる危険も大きい。 今回も災厄を持ち込むのは、夜叉丸おじさん。 ママの身内だけれど、とにかくトラブルメーカーだ。
今回は、きつねのママと人間のパパの留守に、 シノダ家の子どもたち、ユイ、タクミ、モエの三人が 箪笥の引き出しから、コナラの森へ連れて行かれる。 人間そっくりの石像が立ち並ぶ森。 金色のドングリが実る森。 そこで出会った災厄は、子どもたちを震え上がらせ、 そして、出会った人たちは、立ち向かう勇気を心に灯してくれた。
石に命を吹き込む、あるいは 石のなかから形を解放する。 私は彫刻をしたことがないけれど、 そこには大いなる意味が隠されているようだ。
ユイも、タクミも、モエも、子どもたち全員が、 それぞれの能力を使って、お互いを守る。 攻めることもするが、彼らの主力は守りである。
三人の子どもたちそれぞれの活躍とともに、 最後、ママによって締めくくられるいろいろな蘊蓄も、 ちょっと心地よい。
それにしても、ヘビ。 今回は一匹のオロチだった。 次回はどんな形で出てくるのか。 楽しみにはできないが、きっと出てくるのだろう。
次に会うときは、小さなモエちゃんの成長を、 楽しみにしている。 (マーズ)
『シノダ!樹のことばと石の封印』富安陽子著 / 絵:大庭 賢哉 / 偕成社2004
2003年02月07日(金) 『ロザムンドおばさんの花束』
2002年02月07日(木) ☆何となく好きなもの
2001年02月07日(水) 『わたしには向かない職業』
信田(シノダ)ハジメさんとサキさん夫妻、 そして3人の子どもたちが暮らすマンションに、 雲竜(うんりゅう)と呼ばれる、小さい雨降らしの竜が やってきて、居ついてしまった。
ママは人間に見えるが、実は狐だった…というお話である。 不思議なことが日常的な家だが、おじさんやおばさん、 おじいさんといった縁者との関わり方は普通の家族と同じだ。 ハジメさん、つまりパパは、狐と知って結婚したのだという。 あまり理解できないことを考え詰めない性格らしい。
ところで、雲竜といえば、和紙の種類にもあり、楮などの繊維を 糸状にはっきりと見えるよう漉き込んだ紙をいう。 チビ竜と呼ばれて風呂場に居着いている竜は、 雨雲のなかで成長する種類だから、風呂場以上の大きさに なるには、この家を出て家族と別れねばならない。
ヘビの大群が出てきたり、いろいろ不気味なこともあったが、 ラストのエピソードは、 家族がピクニックに行くというもの。 この日の彼らは、どこか、ハムステッドへ出かける ロンドンっ子たちを思い出させて楽しい。 そういうことが自然にできる家族。
チビ竜の大好きなハッカドロップ片手に読めば、 さらにもっと臨場感があるのだろう。 (マーズ)
『シノダ!チビ竜と魔法の実』 富安陽子著 / 絵:大庭 賢哉 / 偕成社2003
2004年02月04日(水) 『あのころはフリードリヒがいた』
2003年02月04日(火) 『光をはこぶ娘』
2002年02月04日(月) ☆最近読んでいる本
『チョコレート工場の秘密』で、 工場主のウィリー・ワンカさんが作っている あのチョコレート。 金色の紙に包まれて、世界中の子どもたちに愛され、食べられ、 世界中でたったの5枚だけに、 当たり券が入っている、あれだ。
そのチケットがあれば、工場に招待してもらって、 お菓子をどっさりもらえるという、あれだ。
1月から2月にわたって開催中の児童書関係の原画展に、 『チョコレート工場の秘密』の絵もあるので、 ぜひ、あれを探しておきたかった。
昔はあたりまえだった、金紙の板チョコ。 どうも記憶があいまいで、それでもぜったい あるはずだから、ヤマ勘で同じ国産メーカーのを 2枚買ってみた。 ひとつは銀紙、そして、グレードの少し高いほうが、 金紙に包まれていた!
後日、搬入のとき、意気揚々と、 ワンカのチョコレートになった(私のなかで) 金色の板チョコを、イメージコーナーのいろどりに添えた。 友人に借りた古いトランクの内ポケットから、 チョコレートは金色に輝いている。
絵のほうは、5人の赤い服の子どもたちが 一列に行進していて、 最後の子が、主人公のチャーリー少年なのだろう。 他の子よりもひよひよしていて、 顔にはほのぼのとしたよろこびが浮かんでいる。
楽しそうな一行の足下には、色とりどりの マーブルチョコレート。
もうじき映画もやってくる。 ジョニー・デップ演じるワンカさんが、 どんなに魅力的な金チョコを作っているのか、 楽しみに待っていよう。 (マーズ)
『チョコレート工場の秘密』ロアルド・ダール著 / 田村隆一訳 / ジョゼフ・シンデルマン画 / てのり文庫(評論社)
2004年02月02日(月) 『春になったら苺を摘みに』
2001年02月02日(金) ☆新美南吉(1)
猫を愛する人から、不思議な話を聞いた。 現世を去ったばかりの猫にそっくりな猫が、 入れ替わるようにあらわれ、居ついたという。
それはきっと、と言いたくなる。 きっと、今そこにいるべき猫なのだ。 猫にもソウルメイトがいて、亡き友の願いを かなえてあげるのかもしれない。 どこからきたの、と聞いても、ニャーと応えてくれるだけ だろうけれど、言えない何かがあるのだろう。
こんな寒い夜には、部屋に猫がいてくれて、 ただいてくれるだけで、ほっとする。 たとえ帰るなりトイレを失敗しているのがわかっても、 机の上の物を落としていても、床をかじっていても、 一緒に丸まってあったかく眠るのが幸せである。
もっとも、人間は丸まれないので、猫のほうが ベッドのスペースを多く取っている。 しかも2匹であるからなおさら。
このイラストブックに登場する猫は、 白猫。うちのよりも、ずっとスマートだが、 やることはうちの二匹と同じだ。
SOHOっぽい女性が、どうやら主人である。 ご主人と白猫との関係は、 まさに猫が主人。 この猫のほかに猫はいなくて、 うちは二匹という違いはあるけれど。
そうかそうか、とうなずきながら、つい何度も読み返す。 (マーズ)
『大事なことはみーんな猫に教わった』 著者:スージー・ベッカー / 訳:谷川俊太郎 / 出版社:MIRA文庫2004
2002年02月01日(金) ☆『アメリ』のパンフレット。
2001年02月01日(木) 『The Aardman』
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管理者:お天気猫や
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