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子供のころからなじみのある名作翻訳児童書は 単なる邦訳を超えて、 独自の日本語世界を構築していた。 つまり、翻訳者(とその弟子)はネーミングのセンスを、 それもかなりいい感じのセンスを 持っていたといえるのではないだろうか。 同じ翻訳でも分野がちがえば、力点のおきどころもちがう。 その国の社会背景であったり、日常のこまごまとした習慣で あったり、学術的な専門用語であったりなのだろうけど、 児童書においては、ことばが単純なだけに 主人公や脇役たちの"確固たる"名前が大切になってくる。 名前はアイデンティティーそのものといっていい。
たとえば、ムーミン。 「おさびし山」や「ニョロニョロ」といった 他にいいようがないと思わされる固有名詞。 フィンランド語は調べてないが、 英語ではおさびし山がLonely Mountain, ニョロニョロはHattifattenersというそうだ。 どうしてもただの「さびしい山」じゃものたりない。 そう思わせることができるということは、 原作に対して対等に名前の載る翻訳者の仕事の 醍醐味なのだろう。 (話がずれるが、アニメのムーミンで、 そこはかとない寂寥感をあおっているのは ムーミンたちが歩くときにきこえる キュキュキュキュゥという効果音だと思う。 あれはだれが考えたのかと感心する)
さて、ネバーエンディングストーリーこと 『はてしない物語』はどうか。 The Childlike Empressというのが 「幼なごころの君」でなくて、もしも 分別くさい名前、あるいはカタカナそのままだったら? 映画のタミー・ストロナッハはあんなにも 可憐に見えただろうか?
原作のふんいきを損なう、とか そのままの言葉で伝えたい、というのは わかるけれど、作者が細部に関与できるのは 母国語だけのはなし。 (もちろん著作権に関わるような変更は 許されないとして) それだけじゃ世界じゅうの人気者にはなれない。
だから翻訳者には、 名づける権利と義務がある。 「新しい名前」を。(マーズ)
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管理者:お天気猫や
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