浅間日記

2011年02月27日(日)

この週末は頭の中から仕事を切り離そうと思い立ち、
Hのお供をして、冬の八ヶ岳へ。

色とりどりの服を着た登山者が集まる山小屋へ。
Hは、ここで氷を登ったり、ちょっとした話をしたりする訳である。



Aはソリすべりに興じている。
小さいYは、氷を登るHを、真剣な眼差しでみつめている。

よく晴れ渡った、気持ちの良い日。

2006年02月27日(月) 
2004年02月27日(金) 青い空にヘリ



2011年02月23日(水)

甲府にて、昼前に仕事が完了し、解放される。

近くに住んでいるというGさんが、爽やかな笑顔で待ち構えていた。
ひと仕事終え、泥のように着かれきった我々二人を車に積み込み、さっそうとランチへ。

長年憧れていた、素晴らしい伝統的なワイン醸造場の見学をし、
美術館へ絵画鑑賞へ。

山梨県立美術館は、ミレーとその一派の作品群の収集で知られている。
静かな館内に、足をはこぶ。



名画であるとかそうでないという以前に、
300年も前の西洋の油絵が目の前にある不思議。

誰かが、筆を持ってここに確かに色を置いた。
その行為の質量はいささかも減じていない。

近代化以前の人間がする魂の込め方や生命力は、
現代人のそれとは相当にレベルが違うものだと思う。

だから、私は、そのレベルの違いに圧倒される。
若くして世を去る前妻の肖像画には、
描いたミレーと描かれた妻の双方の魂がいまだ宿っている。



「種を撒く人」では、ちょっとした推理。

この作品は、初版とでもいうべき作品と、
それをそっくり真似て本人が複製したものがあるのらしい。

一つはこの美術館に、もう一つはボストン美術館にある。
展示場所には、ボストンの一枚も、複製が展示されている。

どちらが最初の一枚であるかは解明されていないそうである。

まったく私の勘であるが、ボストン美術館の方ではないかと思う。

理由は、二つ。

一つは、ボストンの農民の方が、サロンで「反社会的である」と物議をかもしたという「新しい農民の姿」の勢いが感じられるから。
もう一つは、相当穿った見方だが、本物はアジアの美術館には置かせないだろうと思うから。

2008年02月23日(土) オリンピックか戦争か
2006年02月23日(木) 
2004年02月23日(月) 死ねない犬



2011年02月22日(火)

投宿先のホテルでM先生のメールを受ける。
どうやらまた、上京の日程調整をしなくちゃいけない。

わかりきっている予定が、あたりまえのタイミングでスタートする。
それだけのことだ。

けれども、どうしてまあこんなに、行儀よく一列に並んでは、
一度に押し寄せるでもなく、示し合わせたように、
絶妙な間をあけながら順々にドアをノックするのだろう!

2010年02月22日(月) 
2007年02月22日(木) 春のすきま風
2004年02月22日(日) 日本海側の話



2011年02月21日(月)

週末に子ども達を遊ばせ、夜に仕事を片付け、
本日から、ホウトウ文化圏へ出張。

今月、私もHも、我が家にしては多忙を極めた。
それも、娑婆のしがらみで「忙しくさせられた」という感が強い。

そうだから、一段落してもやりきれない疲れや不満が残る。
お互いの疲労や忙しさをねぎらう余裕がなく、無口になる。



お金に貧しくても、別に有名にならなくてもいい。

無為に時間を奪われるような暮らし方はできるだけ回避したい。




ここまで書いて、思い出した。

冬の抜け口は要注意なのである。
身体がたまっていた毒を吐く。

帰ってきたら、雛人形でも飾って心穏やかに過ごそうと思う。

2010年02月21日(日) ここが迷宮の入り口か
2008年02月21日(木) 自己欺瞞と分析
2007年02月21日(水) 奇妙な加工
2005年02月21日(月) 博覧会と私
2004年02月21日(土) TO PRAY



2011年02月15日(火) 企業の素顔と装い

ラジオで、経済の解説。
「相次ぐ日本企業のMBO」だそうだ。

夕飯の味噌汁の実にするネギを刻みながら、という、
実に他人事の態度で耳を傾ける。


MBOというのは、management buyoutの略であって、経営陣が自社株を買収して、敵対的買収などから身を守るのだそうである。

大事なことは、これによって上場廃止するという部分であって、
企業は新たな資金の調達ができなくなることから、
成長をあきらめた企業と評価されるんだそうである。



ラジオで、街角で市井の人のインタビュー。
「昔は一部上場をステータスとして頑張ってきたものだが、ちょっと情けないというか残念です」という、日本橋あたりのおじさん。



解説するどこかの大学教授は、二つの側面があるという。

一つは、日本橋おじさんの言う企業の後ろ向きな姿勢。

もう一つは、企業は死すとも市場は死なず、とも言うような視点。
余剰の資本が新しい成長すべき企業への投資に向けられるからむしろよい、という視点。



そして、なんだかよくわからないなりに私の意見。

投資家からやかましいことを言われたり、大事に育てた企業を強奪される心配をかかえずに、内にこもって家業に集中したいという気運の表れとしてみれば、それはそうだろうと思うし、鎖国大いに結構と思う。技術立国として次に展開するのであれば、冬眠の時期も必要だ。

心配なのは、上場企業ということで背負ってきた社会的責任の、
何を切り捨て、何を継続するかの判断だ。

たとえ市場という表舞台から降りたとしても、雇用者や環境、消費者への配慮や公開性については、外向けの化粧をないがしろにしないで美しくあっていてほしい、そのために必要な資金や手間は惜しまないでほしいと思うのである。

2007年02月15日(木) 悪評もされる資格なし
2006年02月15日(水) 歌があった頃
2005年02月15日(火) 善意の文章、悪意の文章



2011年02月10日(木)

日帰り上京す。

色々と新しい仕事が舞い込んで、
今年は上京することが多くなるかもしれない。

ありがたいことだが、生活が変わることには抵抗がある。

大企業の人々のするようには働けないし、働きたくない。

なんとか上手くやろう。

2010年02月10日(水) 職場放棄
2007年02月10日(土) 収束しない話による終息しない法螺
2006年02月10日(金) 低反発人間の希望
2005年02月10日(木) out of order
2004年02月10日(火) プライベートライアン登山隊



2011年02月08日(火) 鳥は鳴き声でお互いの居場所を知る

もうほとんど、何から何までよくわからない流行のひとつに、ツイッターがある。

そのツイッターをHが始めた。

色々とやんごとなき事情のためにそうせざるを得なくなったのだ。
かくして、面倒くさそうに、どうでもよいことを書いている。

日常生活にWEBを持ち込むことが嫌な人でも、義務的、というか業務上の理由で、
あたかもいそいそとした風に情報発信している人は、実は結構いるのだろうと思う。





タレントや政治家が一挙一投足するごとに書きこむ字数制限付きの報告を呼んで、身近に感じられてよいと思う人がいる。

本当かなあと思う。

そうだとしても、不特定多数を相手にする発信者は、たぶん、
受信者ほどには誰かを身近に感じたりしないのではないだろうか。



どうにも私には、あれはただの相互監視装置みたいに見える。

そういえば確かに鳥は鳴き声でお互いの居場所を知る。
ツイートとは上手く言ったものである。

でも私は、そんなにいちいちかまったりかまわれるのは嫌だなあと思う。

息苦しい田舎の、プライベートが全くないコミュニティみたいではないか。


2010年02月08日(月) 感覚的な問題の因果関係
2007年02月08日(木) トリコロールか、茶色か
2006年02月08日(水) 低減の提言
2004年02月08日(日) 



2011年02月07日(月)

今年は暦どおりの優等生のような季候である。
立冬、小寒、大寒、立春と、寸分たがわずに寒さや暖かさがやってきた。

ベランダから庭にやってきたヒヨドリを眺める。
木蓮の花芽を食べているのだろうか?

確かに寒さは厳しかったような気がするが、
いつの間にか行ってしまったというのだろうか。

冬至の頃の夕闇と星空は、今はもうない。夕刻に訪れるのは、
ぼんやりと温く明るい、夢か幻のような春の暮れである。

自分の意識も、なんだかこの春の夕刻のようなぼんやりとした中にいる。

2007年02月07日(水) 最後に誰が笑うのか
2006年02月07日(火) 話が通じない話



2011年02月06日(日)

ニッパチとは縁がなく、客の入りの多い月である。
ありがたいことではあるが、どうも気が休まらない。

気分転換に、Hと小さいYと公園へ。

長く緩やかなスロープがついているローラーすべり台で遊ばせる。
自分もついでに滑ってみる。

子どもの遊具で一緒になって遊ぶ大人というのは、
端から見るとちょっと恥ずかしい。
そこに子どもがいなければ特段のことはないのだが、
「子どもに付き添って」という部分が私には恥ずかしい。

大した気分転換にもならず、帰宅。
ダラダラとバナナケーキなど焼いてみるも、あまり嬉しくない。


どうも、この気の疲れは簡単にとれそうにない。
どこか遠いところにでも旅に出ろ、ということか。

2007年02月06日(火) 愛と罪と死と恥が同居するところ
2005年02月06日(日) 春節後
2004年02月06日(金) 能動ラッシュを浴びる



2011年02月03日(木) ユビキタスというルビンの壺

出張の疲れが少しずつほどけていく。
身体的にもそうだが、普段受けない量の情報刺激に晒されることが、
このところは思いの他にくたびれる。

情報化社会にまるでついていかれないばかりか、テレビもない生活を送り、退化の一途をたどっている。

そうだから、まるでルビンの壺かエッシャーのだまし絵のように、
情報化がすすむ世の中の様子が、一般常識とは違う方向から見えてしまう。

例えば、テレビを見ている人、というのは、文字通り
「テレビという受信機から発信される、変化する光源をじっと眺めている人」
というふうに認識されてしまう。

あるいは、そこにいる人がほとんど例外なく−携帯電話だろうがゲーム機だろうが、あるいは何かの誘導板だろうが−何かの液晶画面を凝視している電車の中や街中というのは、
魂を抜かれたゾンビの集団みたいに見えるのである。

自分の目の前にあるものが何も観えていないし、何も聴こえていない。



感覚のずれに、東京を離れて十年たつことを実感する。

まあそれはそれでよいのだと思う。十年不在の者が違和感なく居られるほど、東京という都市は生易しいところではない。

それに、もう自分の身をおくところは他にあるのだし。



2009年02月03日(火) 
2006年02月03日(金) 
2005年02月03日(木) 寒気
2004年02月03日(火) 河川敷の贅沢



2011年02月02日(水)

疲労困憊して、昨晩帰宅。

疲れすぎて積み残しの仕事に着手できないでいる。

よしやるぞ!と三回唱えたら、何となくその気になった。

2010年02月02日(火) 
2009年02月02日(月) 
2006年02月02日(木) 老賢人はどこへいった
2004年02月02日(月) 何が無事なものか



2011年02月01日(火)

ふたたび、キューポラのある街にて仕事。
慣れない役割に四苦八苦している。

夜更けまでの仕事はもうとても無理だなあと思う。


2010年02月01日(月) 燃焼温度の制御
2009年02月01日(日) 断れない理由
2008年02月01日(金) 冬将軍教室
2007年02月01日(木) 
2006年02月01日(水) 
2005年02月01日(火) 真贋の話
2004年02月01日(日) 春と氷


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