「愛・地球博」なる名称を、あちこちで目にする。 愛知県は今、この国でも異例に景気がよいのらしい。 新しい空港も開港して、大賑わいだったそうだ。
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巧みに名前を隠しているが、愛知万博は、すねに傷をもつイベントである。 計画の段階で、海上の森の開発や跡地利用計画を巡り、 環境保護団体と激しくぶつかった。 環境影響評価(環境アセス)という言葉をかなり有名にしたのも、 この愛知万博である。
顛末は確か、県や当時の通産省との交渉でらちがあかず、 業を煮やした保護団体が博覧会国際事務局−BIEというらしい−に直訴し、 国際博覧会の開催認可を一旦取り下げられた、というものだったと記憶している。 世界中から、そんな博覧会には参加しないとも言われた。
そして計画は変更され、縮小され、今の開催にこぎつけた。
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みんなが楽しみにしていることに水をさして申し訳ないと思いつつ、 「自然との共生」という開催テーマが胡散臭くて仕方がない。 この胡散臭さは、「自然との共生」という言葉の前に、 どうせやるなら、という言葉が埋め込まれているせいなのだけれど、 きらびやかな装飾であまり気付かれていない。
もう少しいうと、 イベントのために大々的にインフラを整備するということが、 何だかもう時代遅れでセンスがなくて、ちょっと辟易するのだ。
人口だって減っている。 列島改造論でならした全国総合開発計画だって、 根拠法の名前も内容も改正され、開発から保全へ大きくシフトしようとしている。 大きくものをつくる時代は、もう終止符が打たれている。
これからの時代の集まりというのは、小さく個性的にやって、 ネットで大きく共有したほうが、ムーブメントとしては大きいものになるのだ。
そういう理屈で、自然との共生と博覧会は、無関係なのだと確信している。
2004年02月21日(土) TO PRAY
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