2011年01月28日(金) |
出臼・エクス・マキナ |
小さいYを膝にのせ、さるかに合戦のものがたり。
地球儀を悪い猿、その辺に散らかっていた長3事務封筒を蟹に見立てて寸劇スタイル。
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猿は、蟹のもっているおにぎりと柿の種をだまして交換させる。 蟹は猿に言われたとおり、柿の種を土に埋めて育てる。
早く芽を出せ柿の種、と長3封筒が歌い舞い、いよいよ「松の廊下」。
さるは柿の木に登って、熟した実をむしゃむしゃと食べました。 蟹は、自分の育てた柿だからやめてくれ、と言いました。 さるは、それならお前にもくれてやろうと言って、まだ熟していない固い実を、蟹に向かってなげつけました。
やにわに小さいYが立ち上がって、小さな木の椅子を地球儀の上におしつけ、 「そこへうすがさるの上におちてきました。めでたしめでたし。」 とやらかす。
蜂も栗も馬糞も、舞台の袖で唖然としている。
思うに、Yはもう耐えられなかったのだろう。 かくしてさるかに合戦は、この小さな観客によって、デウス・エクス・マキナの手法が採用された結末となった。
はるか古代ギリシャ時代にもきっと、 Yのような「もうその状況に耐えられない人」がいて、 この演出技法は誕生したのかもしれない。
2007年01月28日(日) 2005年01月28日(金) ホルマリン漬けの人権 2004年01月28日(水) ネガの虫下し
森達也「A」「A2」そして「A3」を読む。 そしてその勢いで、藤原新也の「黄泉の犬」を読む。
森達也と言う人は、オウム真理教のドキュメンタリー映画「A」、そして「A2」の監督である。件の本は、映画の中では表現されていない、監督としての様々な主観が書かれている。
読者の私は、1995年にタイムスリップし、そこから現在を俯瞰する。 事件当時の半分ぐらいしか関心を向けなかった裁判の経過を改めて知る。
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地下鉄サリン事件に関する著作物を、多くは読んでいない。 村上春樹のインタビューぐらいである。
そうだからあまり感想を書けない。 感想がない、ということとは別であり、むしろその逆である。 それらは姿かたちを変えて、表されることになるだろう。
でも、忘れないように少しだけここに記録したいと思う。
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社会は、地下鉄サリン事件を早々に封印して忘れたかった。 森氏に言わせると「早く吊るせと望んだ。」 気持ちが悪いから、である。
私だって、エンピツ日記に「存在をなき者とするより制裁はないだろう」なんて書いた。
そして時間短縮の結果、私達はあの事件を「宗教を背景として実行された」ということにしたままにしている。
ある同時代に生きた人間の集団が、何のために事件を起こしたのか、そのために、いかにして宗教を口実にしていったのか。
そうした、宗教的な要素を剥ぎ取るという無害化処理がなされていない。
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サリン事件が起きたのは1995年だから、今年で16年になる。 宗教を背景とした、ということになっている事件として、 これはほんのわずかの時間である。
事件から宗教性が排除されないということは、100年も200年も人の心に残り続ける。言ってみれば自然界になかなか戻らないPCBのようなものである。
その間に有害物質が漏洩するかもしれないし、変成するかもしれない。
じっさい、「A2」で記録された、事件と関わりのない信者が施設を追われ困惑する映像は、100年後の人が見れば、「おとなしい善良な信仰心のある人間が、過去の重罪のために迫害を受け流浪する物語」になるかもしれない。
「過去の重罪」の瞬間は、当たり前だが記録映像に残っていない。被害を受けた人の悲しみと苦しみの物語は、村上春樹が残したインタビューぐらいは未来に残るかもしれないが、映像に比べて極めて分が悪い。
そうだから、私は、宗教的余韻を残したまま事件を片付けたツケが、遠い未来にやってくるのではないか、と思うのである。
2010年01月27日(水) Who is My 2008年01月27日(日) 財閥温泉 2007年01月27日(土) 2006年01月27日(金) ビーフとストーブ
都内での長丁場の会議に出かける。 地下鉄に乗ろうと切符売り場へ向かった時、奇妙な表示に目が留まった。
それは運賃表で、路線図の駅ごとに運賃が表示されている、 切符売り場にはごく当たり前のものなのだけれど、 奇妙なのは、一部の駅について、金額表示が空欄になっている。
みると、壁に一枚の張り紙があって、何かその理由が書かれている。 文言を書き写してくればよかったといささか悔やまれるが、 要するに、推奨ルートでないものは料金表示をしていない、ということだ。 詳細は駅員にお問い合わせ下さい、とある。
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よくわからない。 誰にとって、どういう観点からの推奨ルートなのか。 何らかの理由のもとに推奨したいルートがあるとしても、 運賃情報という、運輸業務のベースみたいな情報を提供しないのは、 どうしてなのだろう。
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路線図の中にちりばめられた、空白の駅は不気味である。 クラスメイトにある日突然無視され始める、というのにも似ている。
いったい何が気に入らなかったのだろうか。
それとも、気味悪く思うのはひょっこり都心に現れた自分だけで、 日常的に改札を通り抜ける大勢の人達は、もしかしたら事情を知っているのだろうか。
2009年01月25日(日) 危機と免疫 2007年01月25日(木) 2006年01月25日(水) 2004年01月25日(日) 国民総ガス抜き表現者
大寒。冷え込んでいる。
朝の天気予報では、相変わらず、 事故とか病気に注意だのと、呪いまがいの嫌なことばかり言う。
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その直後に、「冬が寒くて本当によかった」と始まるBUMP OF CHICKENの歌。
どちらかというと興味がわかないバンドによる、 あまり関心がわかない領域の音楽のはずだが、 一瞬にして、うん、よいではないかと感心する。
寒い日だからこそ、好きな女の子の冷えた手を、 自分のポケットに招くことができる。
そう思う心の、何と若々しく暖かいことか。
2010年01月20日(水) 光の記憶の在るところ 2008年01月20日(日) 2007年01月20日(土) チキンハートクライマー 2006年01月20日(金) 茶番劇場の後継者 2005年01月20日(木) マッチポンプ日記 2004年01月20日(火) 芥川賞と私
2011年01月18日(火) |
考えるばねと青春時代の自覚 |
人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。
愛読させていただいている、ある方のブログで引用されていた、司馬遼太郎の一文。
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司馬さんがいう「人なみでない」というのは、引用した文の文脈からいくと、人なみ以下、すなわち人よりも劣る、ということである。
そのことは悪いことではなく、むしろものを考えるばねになると司馬さんは言う。
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私は、司馬さんの言うところの人なみでない部分を放置したまま大人になった。 この年になって、つくづくそう思う。
口だけはやけに達者だが、物事の遂行能力が著しく低い。 実務の正確さに欠け、時間もルーズだ。怠け者でもある。 逆上がりもできないし、走るのも遅い。
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そのことを自己都合解釈すると、色々な側面があるのだが、 大きな原因のひとつとして、私は親の努力やその成果に便乗したのだと思う。
物事の遂行能力や実務の正確さに長け、努力をし、 社会貢献し成果を残してきた親と自分を同一化し、人なみでないことを自覚してこなかった。
つまりは親離れできない娘だった。
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親が老いて、少しずつ能力の発揮が収束し、色々な努力をすることもやめにしはじめて、 自分自身の人なみでない部分があらわになった。
こんなみっともない話をとても親にはできないし、 遅まきながらこそこそと改善を図り、また「ものを考えるばね」としているが、 若者のようにはずみがつくかどうかわからない。
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それは親が構築したもので自分のものではない、という便乗現象が明らかになる一方で、 間違いなくこれは自分自信で築き上げてきたと言えるものも、確かになってきた。
それらのほとんどは、振り返ってみれば、私にとって親や親との生活をいったん否定するところが出発点になっているように思う。
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生きていくことは孤独で厳しい。
とりわけ、青少年という時期は、どこかの歌ではないが、 路に迷っているばかり、である。 かといって本当の厳しさに気づいているわけではない。
一方で、生きていることは可能性であり、未来である。 皮肉なことにそれは、 そうあってほしいと悲願する親をいったん否定し、離れることで、より自覚的になる。
そんなふうに思う。
2007年01月18日(木) 金権政治参加 2006年01月18日(水) 悪貨が駆逐するもの 2005年01月18日(火) 悲嘆エレベータ 2004年01月18日(日) コインロッカーベイビーズ
阪神淡路大震災から16年、というニュース。 神戸や淡路島の人たちは、この一年で最も寒い冬の日に被災され、 命を落としたり避難生活を送っていたということをしみじみ思う。
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阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。
この二つは、その後の日本を大きく変えた出来事だ。
というよりも、変わっていく日本を暗示する出来事と言ったほうがよいかもしれない。
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それならどう変わったのか。
上手く説明できない。しいていえば 私たちには認めがたい何かの存在に、住所氏名電話番号が与えられた。 そうしたことではないか。
でもこれは、しいていえば、の域を出ない。
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変化する時代の総括は、同時代的にすることはできない。 平家物語が琵琶法師という集団によって語られはじめるのは鎌倉時代末期だ。
人生を折り返し地点に来て、そんな解明できない時代の変節を迎えることは、少なからず疲弊するときもある。
しかし、そこがスタート地点である子どもたちの存在に救われる。 彼ら彼女らは、自分とは何か違う視点をもっていて、ずっと先の未来を見ることができる。
2010年01月17日(日) 立志伝外の人
政府は5日までに、街づくりの基本理念をまとめた「都市再生基本方針」を大幅改定、郊外開発を抑制して都市機能を中心市街地にコンパクト化する方向性を本格的に打ち出すことを決めた。人口減少時代に対応し、ビジネス機能や住宅を市街地に集中させて効率化、自動車利用を減らし温室効果ガス排出抑制を図る。1月中の閣議決定を目指している。 現行の基本方針は「高度成長期からの都市の外延化抑制」と「求心力のあるコンパクトな都市構造」を目標に挙げているが、具体策は示していない。現在検討中の改定案では、都市計画の見直しと郊外の農地、林の宅地開発抑制を明示。市街化調整区域の拡大や、業者への開発許可を厳格にするなどの方法で都市の拡散を防ぐ構えだ。
というニュース。
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人口減少の時代に、これ以上農地や林地の宅地開発は不要である。 そのことは、おおいにもっともだと思う。
ただし、都市部以外の地域に人が住み続けなくてもよいということではない。
市民はすべて都市に暮らし、農地や林地の管理は、行政や企業が、業務として行う。
「都市再生基本方針」の改定が、もしそんなイメージを抱いているとしたら、それは大間違いなことだ。
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日本の国土は、箱庭みたいにできている。 山や谷や平地や湾が、箱根の寄木細工みたいに入り組んでいる。 水や土の性質が、小さな尾根をまたぐだけですっかり違うこともある。
アメリカやオーストラリアみたいに農地や林地を集約管理できない。 土木の力づくで集約してしまえば、砂の城みたいにバランスを崩す。
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仕事で土地と向き合う人は、縮尺図面の上にいる。 下手をすれば、衛星画像などを使って、地球の外側から土地を眺めている。
もちろんそうした役割も必要だ。俯瞰するというのは悪いことではない。 でも、それだけで上手くいくことは、絶対にない。
1対1のスケールで生活とともに自然と向き合い、土地を継承していく者がいなくなれば、 あっという間に、この国はこの国の人間のものでなくなってしまうだろう。
豊島みたいに、アジア大陸の産業廃棄物の最終処分場になるか、 オガララ帯水層みたいに水源を一滴残らず搾り取られるに違いない。
何故ならば、国民が「別にそれでもいいや」と思うようになるからだ。
2008年01月13日(日) 消えていく理由 2007年01月13日(土) 凍み上がり
家族そろってスキー場へ。
それにしても、正月明けのこの三連休は、我が家には余分である。 毎年そう思っている。
年度末に向かって忙しい仕事をする人ならば、 この祝日は、絶対に休日出勤している。 そうでなければ、ただでさえ正月にくわれて、一月が仕事にならない。
小さい子どもをかかえて、そうしたペースについていくには、 この休みは、まったく戦況不利なんである。
雪遊びを楽しもうとしているHやAには申し訳ないが、 寒さも相まって、気分が乗らない冬の行楽。
2008年01月11日(金) 高所と札束 2006年01月11日(水) 楽園へ向う道
ラジオで、各地の冬の行事のニュース。
なまはげや獅子舞が、日本全国中で子ども達を怯えさせている。
ここにもあと半月もすれば、節分の鬼がやってくる。
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「なんでこんなに日本の各地で子どもを泣かすのだろうね」
「普段大人が泣かされているからだろうね」
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数年前、なまはげが酒の勢いで女湯に乱入したという事件があった。
正確には、なまはげの面を被った男が、である。
その土地の大人は毎年「あの不名誉で愚かな事件」を思い出すだろうし、 子ども達だってそんな馬鹿で助べえなナマハゲはちっとも怖くないんじゃないだろうか。
2008年01月09日(水) 2006年01月09日(月) 犬の報い 2005年01月09日(日) 真正正月
2011年01月08日(土) |
他意のない素朴な作業 |
厳しい寒さの中で、正月飾りを燃やす地域の行事。 今年はだいぶ、段取りも慣れてきた。
子ども達が達磨や松飾を集めてくる。 大人は足場を組んで、段取りよく円錐形にそれらを積み重ねる。
家主のKさんが、小さな身体で総指揮をとる。 以前は子どもだけで、この三倍ぐらいのをこしらえたがなあ、と昔語り。
小さいYは、大小のダルマが20も30も並ぶのを、一つずつさわって歩く。 Aはクラスの子ども達と一緒に、せっせとダルマに穴をあけたり、 燃やしてはいけないプラスチックの飾りを外したりしている。
川原の対岸でも、上流や下流のここそこでも、 別の地区の子どもや大人が、同じように作業をしている。
完成を喜び合い、軽食をほおばり、解散。 点火は夕方だから、それまでに炙り食い用の団子をこしらえるのだ。
*
この街には、大人や子どもが一緒に暮らしている。 そのことが、数値や情報ではなく、 人格をもった生きた人間の実感として伝わってくる。
伝統的で素朴な作業をとおして、豊かなものを享受しているなあと実感する。
2010年01月08日(金) 初めに射られる二本目の矢 2009年01月08日(木) 深く根を張って生きる その2 2008年01月08日(火) 自治再考 2005年01月08日(土) 「ダメ」と「よし」の深呼吸
冬らしい冷え込みの朝であった。
きん、とした寒さの塊は、夜明け前にやってくる。 山の上から降りてきて、我が家の玄関をすり抜け、 布団の襟元から中に入ってくる。
目覚まし時計のように正確に。
2005年01月07日(金) 冬の誤差調整
2011年01月05日(水) |
人はなぜ物語をつくるのか |
正月に古本屋で手に入れた、知里幸恵編訳「アイヌ神謡集」。 編訳者の巻頭言は大正十一年であるから、ずいぶんと古い本である。
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神謡というのは、神が主人公となって自分の体験を語る叙事詩である。 アイヌのユーカラと言えば、ご存知の方もあるかもしれない。
登場する神は、クマ、オオカミ、キツネ、エゾイタチ、エゾフクロウ、カエル、沼貝、トリカブトなど、実に様々な自然界の生き物である。
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物語というのは、心の地図なのである。 人間の果てしない内面に座標や標高を与え、道筋をつけ、 そこにあるものをマークする。
いにしえの物語というのは、古地図である。と同時に、 現代の物語ではもう書き出すことのできない、 パンゲア大陸のような精神領域が書いてある。
ウサギやキツネが語る叙事詩は、一見素朴でほほえましいが、 現代の物語にはない重量感がある。
物語をひとつ知る度に、アイヌの魂をひとつ飲み込んでいるような気がするのだ。
2010年01月05日(火) 2009年01月05日(月) 深く根を張って生きる 2006年01月05日(木) 未来志向な遊び 2005年01月05日(水) 人生の成長曲線
子ども二人を連れて上京し、スカイツリーを見せてやり、 年越しをし、家に戻る。
たくさん届いた年賀状を前に、一枚も出していない己の不義理に恥じ入る。
自分の身の回りの挨拶や何かといった節目を、まったくやれないまま新しい年を迎えたが、もうそれは仕方がない。旧正月でやることにしようと思う。
2006年01月04日(水) アウェー正月 2005年01月04日(火) 賀状DM化
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