二月をあらわす「如月」の語源のひとつには、絹更着、 すなわち衣服をもう一枚着るという意味があるのだそうである。
一年で最も寒い月とされているのだから、寒いのは当たり前なのだ。 コブシや梅が早々に花芽をふくらませる暖冬よりはいい。
だからといって一方的に凍えているわけにもいかない。 頭からつま先まで羽毛に身を包んだいでたちで、ほとんど一日中過ごす。 まるで俺のヒマラヤ仕様だとHに揶揄される。
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自分のことはさておき、 この土地の寒さの中で子どもを育てられることには、感謝している。
冬の寒さは、間違いなく自然の厳しい在り様のひとつだ。 でもそれは災いではない。誰かの悪意や自己実現でもない。
人間の存在などに目もくれず、ただ寒風を吹き降ろし、 コトリとも音を立てずに冷気を運ぶ。
冬の寒さは、誰のせいにもできないのである。 こういう在るべくして在る厳しさは、社会装置ではつくれない。
受け入れるしかない厳しさの中で、じっと耐えたり、 それなりの知恵をしぼって安楽を見つけるという経験は、 人間の中に、替えがたいタフな精神性を育んでいく。
手や足にものすごいしもやけやあかぎれをこしらえながら、 嬉しそうに川原へピカピカ光る氷をはがしにいったり、 白い息をはずませながら冬の歌を口ずさむ子ども達を見ていると、そう思う。
この問答無用の厳しさをこうして耐えられるのならば、 将来出会う俗世の出来事に−それがどんなに厳しくつらいものであっても−自分を損なわずにいられるだろう、 少なくとも、私よりは上手くやっていかれるだろうと思う。
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