同居人Hとの会話に最近頻繁に出てくるキーワードが「ネガい」。
ネガティブな、という意味。 もう若くないのであまり周囲のことに文句を言ったり否定的になるのは見っとも無いし、自分の馬鹿さ加減を露呈するようなものだからやめよう、という戒めで沸いて出た言葉なのである。
気をつけないとついついネガくなってしまう。 小さい子供の前では特に気をつけないと、大切な世界の始まりをネガで汚してしまう。その人の一生の「ネガ度」は、多分ここで決まると私は信じている。
本当に、小さい人たちには−どんな時代に生まれても−幸せや喜びの体験から心の土台をつくっていってほしいと思う。エリッヒ・ケストナーやミヒャエルエンデなど優れた児童文学者の著作を読むと、そうした愛情がよく伝わり嬉しくなる。宮崎駿夫や村上春樹の最近の作品からもすごくそう思う。
もう一つ、気をつけないといけないのは、あまり近しくない人に「君ネガいね」と指摘してしまうことだ。すごく怒られるし多分すごく傷つける。
母にこれをやったら烈火のごとく怒っていた。でもそれは「そうです私はネガいです」って言っているような気もするのだが。どこかに「ネガの虫下し」みたいなものがあればいいのにな。
気をつけても、どうしても溜まってしまうネガい考えを、この日記に書き付けているのである。「王様の耳はロバの耳」。国民総ガス抜き日記、なんである。
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