2004年01月18日(日) |
コインロッカーベイビーズ |
保育園の統合がすすんでいる。 理由は少子化、そして行政の財政難。
広報でまたそうした知らせがあった。 統合される保育園は、120人規模。 別の地域の例では、200人規模。
「200人規模の保育園なんて、はっきり言って子どもの名前も顔も覚えられないわ。クラスの中だけでも危ない」 と、知り合いの保育士が言っていた。 そうした環境で保育という仕事に就くことがとても心苦しい、とも。
名前と顔を覚えてもらえない、ということは、 まだ社会的に自分を確立するものが何もない子どもの世界では、 人格そのものを認めてもらえないのと一緒ではないか。 そんなところで1日を過ごさざるを得ない子どもたちのことを 思うだけで胸が苦しくなる。
親と離れて心細さに泣いている子どももいるだろう。 喧嘩して、もやもやした心の整理がつかない子どももいるだろう。 新しい発見や喜びを認めてもらいたい子どももいるだろう。
そんな子ども達の名前ひとつ呼べないで、 どうして子どもの心に寄り添うことができるというのだ。
子どもというのはだいたい、とても非効率な生き物である。 非効率は不必要とは訳が違う。
大人になるためには長い長い非効率な旅が必要だし、 それを許すことが成熟した大人の社会なのだ。
子どもはものではない。 入れものの都合で押し込めばよいという考えは絶対に間違っている。 質のよいコミュニケーションのための適正規模とか保育の質というものをもっとしっかり検討するべきだ。
就学前の子ども達が、一箇所に200人も集められて生活する 異様さを感じないのだろうか。 東京駅地下銀の鈴のコインロッカーじゃあるまいし。
現代のコインロッカーベイビーズ達は、 たったの15年すれば生物学的に、 20年もすれば社会的に一人前の大人になる。
その時、中高年に達しているであろう私達は、 効率優先でどのように遇されるのだろう。
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