2010年01月20日(水) |
光の記憶の在るところ |
暦の上では大寒であるが、小春日和。
少し前の話。
新春恒例の歌会始の儀が14日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。というニュース。
歌会始は、もともとは皇室や貴族の年初めの伝統行事だそうであるが、昭和22年から一般国民からも和歌を募集し、国民参加型行事となったのらしい。
今年のお題は「光」だそうである。 10人の入選者のうち、長野県の久保田幸枝さんの歌が、地元の新聞に掲載されていた。 生まれ育った樺太での空襲を詠ったそうである。
焼きつくす 光の記憶の消ゆる日の あれよとおもひ あるなと思ふ
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光の記憶を一人で背負う、孤独と苦しさをもった人は久保田さんだけではない。
だからこそ、この歌は選ばれた。
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人の記憶は過去ではなく、今現在の一種類だ。
時代がどれだけ新しいページを繰ったとしても、その時生きた人がいるかぎり、生々しくそこに在る。 そういう意味で、先の戦争はまだ決着していないのだ。
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光の記憶の消ゆる日をかなえてあげたい、そう思う。
たとえば、未来を引き継いで行く者がその記憶を引き継ぎ、戦争の痛ましさを「過去の苦しさ」から「未来への知恵」へ昇華することができれば、この人達はその荷を下ろすことができるだろうか。
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