無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年09月23日(日) 行間を読んでね/映画『ラッシュアワー2』&『ファイナルファンタジー』

 オタアミ当日まであと62日!

 うああああ、また『パワパフ』見損なっちまった〜い!
 こうなったら10月からのキッズ・ステーションでの再放送を丹念に録画していくしかないなあ。……どうかオープニングもカットされてませんように。

 テレビ、『仮面ライダーアギト』34話。
 ……34話にしてはじめて、お互いがアギトでありギルスであることを翔一と涼は知る。
 引いたなあ。いや、ここまで引くたあ思わなかった。でも、引いたワリにお互いの葛藤が全然ないのな。翔一をああいう能天気キャラにしたのはドラマ的にはやっぱり失敗だったんじゃないか。「お前に亜紀が殺せるわけないものな」って、真魚も自分の父が翔一に殺されたのかもって疑問をすぐ捨ててたし、こんなに簡単に信頼させるなよ。
 「おまえが犯人だ!」
 「違う」
 「そうか違うのか、ゴメン」
 なんてやりとりをミステリで書いたらバカって思われるだろう。謎の伏線の張りかたってのを、過去の作品読んでちったあ研究しろよ、井上敏樹。
 エルロードを初めとして、アンノウンが喋り始めたのは諸刃の剣になりそうな気はするが、今のところは成功している。
 セリフが陳腐に流れさえしなければ、アンノウンの「知性」が、人類を淘汰する「資格」として機能することが視聴者にも理解しやすくなるからである。……このまま黙ってるだけじゃ、ただのケダモノで終わっちゃうところだったからね。
 10月1日は夜7時からスペシャル放送か。2時間くらいやるのかな?

 続けてテレビ『コメットさん』第26回『星力をください』。
 先週で一つハードルを越えたのか、今回の姉弟話は少しトーンダウンして、テーマもなんだかありきたり。
 つまりはミラとカロンが安易に星力を使うため、サポート役のラバボーが疲れきって、星力の源である星の子たちも言うことを聞かなくなる。
 だからお掃除くらいは自分でやりましょうって結末なんだけど、このネタ、横山光輝の原作にしっかりあるのな。
 だったらやっぱり、原作横山光輝って入れといた方がいいと思うけどねえ。


 『サンデープロジェクト』、電話アンケートを行って、日本のアメリカの軍事行動への支援に賛成するかとの質問に対して、賛成・反対がほぼ半々。
 アメリカが90%賛成に比べりゃ遥かに冷静ではある。
 アメリカは完全に狂っちゃいるが、まあ、テロ受けて冷静でいるのもかえって不自然だから、アレはアレで傍目でフフンと笑ってやってりゃいいのである。
 相変わらず社民党の辻本清美、現実を見ているようで自己矛盾した言質を繰り返している。
 「後方支援だけと言いながら、その補給線を断つために攻撃されたらどうするんですか!」
 つまりは、だから自衛隊は派遣すべきではない、と言いたいらしい。
 安部晋三も相変わらず守勢一方、かつ要領を得ないので、辻本さんの方がマットウなこと言ってるように聞こえちゃうんだが、国際協力をしない、ということは、自分たちがテロの犠牲になっても、他の国に助けを求められないってことにもなるのだ。
 ……だったら、自衛隊を正式に「軍隊」にせざるをえなくなっちゃうじゃないの。辻本さん、自分の意見が「軍隊肯定」にもスライドしちゃうってことに気づいてないのな。
 も一つ言えば、その補給線を断たれないために、今、アメリカは周辺諸国に協力を要請し、タリバン政権を孤立させようとしているのだ。そして、協力した国の軍が被害に会わないための措置が完全に取られなければ、報復行動だって取りようがない。そんな状況で、どうやったら補給線を断てるというのか。
 非現実的なことを言ってるのは辻本さんの方なのである。

 アメリカの独走に諸外国もようやく危険を感じ始めて、協力体制をやや「下方修正」しつつある。ロシアは「救援協力だけ」と言い出したし、中国は「報復は慎重に」と、少しセーブをかけている。アメリカだって、ハデなことをやって、自分のほうが悪者にされることは避けたかろう。意外と日本に対しても「憲法の範囲を越えて」の協力要請はしないのではないか。
 後方支援くらいに留めておけよな。
 

 しげ、練習に出かけるときに、昨日、シネリーブルで買ったばかりの『カウボーイビバップ』のTシャツを着ていく。
 胸にアイン(ビバップ号で飼われてる天才犬ね)をプリントしてるのだが、しげ、「エドのがない」と嘆いている。
 ……まあ、エド単品で売れるもんでもないと思うが。

 私は私で、しげのデジカメを借りて、個人ホームページ用の写真を撮影しようと出かけたはいいが、2、3枚撮影しただけで、「メモリーが足りません」と表示が出る。
 ……メモリーの入れ替えってどうするんだよう、それくらい教えとけよう。

 某サイトで「ここは美味い!」と紹介されていたラーメン屋に行く。
 悪口になるのを承知で言えば、戦後生まれの福岡・博多の人間にラーメンの味が解るのかねえ、という思いが私にはある。
 何度かこの日記にも書いたが、「博多=とんこつラーメン」という図式が出来たのは戦後のことだ。
 戦前からの博多人は、とんこつスープみたいな下卑た味は好まない(私ゃ戦後生まれだけど、先祖代々博多人だから、感覚的には戦前人なのよ)。
 とゆーか、普段、「ラーメン食う習慣」自体がないのだ。
 「ラーメン=不味い=でもとりあえず安いから食う」それ以上のものではないのだ。とりあえずとんこつ、ハラは膨れるからな。
 で、美味いという評判のその店だったんだけど、トンコツの臭みを唐辛子で誤魔化してるだけのシロモノ。アイデアは買うが「美味い」という感覚とは別のものだ。カレーじゃねーんだから、辛くすりゃいいってもんじゃね―の。
 しかも値段がバカ高い。あれで300円くらいならガマンもするが、680円も取るな。客をバカにしてるよ。他にもいろいろ言いたいことはあるが、ラーメン屋を特定されても悪いからこのへんにしておこう。
 ……っつーか、行くまで忘れていたが、ずっと以前、やはり「評判の美味い店」ということを聞いて、しげと一緒に行って、「二度と行くか」と決心した店だったよ、そこ。
 広島人のしげにとっても、そこはたいして美味い店じゃなかったのだ。
 でも、昼飯どきになると結構そこにヒトが並んでるのな。味覚を唐辛子で麻痺させられただけで美味いと感じてるんだから、博多人の舌バカぶりもここまで来たかなあ、という感じである。
 「味は好き好きだ」とおっしゃる方はあろう。唐辛子が好きな方には美味しく感じられるのかもしれない。しかし誓っていうが、これは決して「博多人好みの味」ではない。
 ……その店、昔はその辺で唯一の本屋だった金文堂の後にできたんだよなあ。上の階が小さなミニシアターでさ、そこで私ゃ山中貞雄の『右門捕物帖一番手柄 南蛮幽霊』なんてのを見たりしてたんである。無声映画時代のアラカンの殺陣は素晴らしいの一言に尽きた。
 そこが今や、味オンチが列をなす情けない店に成り果ててるんである。
 ある意味、博多の顔であったその街が、どんどん文化果つるトコロになっていくんだと思うと、いっそのことラドンでもキングギドラでも飛んで来てふっとばしてくれと言いたくもなるのよ。(T-T) グスッ。


 天神のベスト電器『LIMB』で、予約しといたDVDをいろいろ買い込む。
 先月買った分も見切れていないのだが、ともかく『ハレのちグウ』を早いとこ見たかったし、『明智小五郎シリーズ』も、買いそびれると来月は一気に6枚も買わねばならなくなるのだ。今月に買っておくしかない。


 吉塚のパピオで、しげと待ち合わせ。
 劇団のみんな、今日はほぼ全員が揃っている。相変わらず藤田(兄)は姿を見せていないが。
 彼がいない時はたいてい新しい彼女ができたときと相場は決まっているので、またシツコク迫ってドジをやらかしてそれでも諦めきれずに「ボクなんてどうせ」とかなんとか言って拗ねて見せたりしてるのであろう、多分(いや、絶対)。
 否定できるなら否定してみい(^^)。

 もう役は降りたので、練習に関して文句はつけない。
 というか、文句つけてもしかたがない。
 今まで練習中、「この場ではこの人物をどう見せたいのか」ってことを聞いても、みんな、殆ど何も考えてなくて、暖簾に腕押しだったのだ。やる気が殺がれても、なんとか自分を鼓舞してきた。入院したのだって、はっきり言って、舞台のために体調を整えたかったからだ。
 いいか。
 私は今度の芝居のために、仕事を休んでまでカラダを整えようとしたのだぞ。
 それがもう、真っ先にしげに裏切られた(そのあたりの過程は、8月の日記に書いた)。
 ヒス起こすばかりで、真剣に芝居に取り組む気なんかこれっぽっちも見せやがらなかったのだ、あいつは。
 もう私は、椿三十郎じゃないが、「テメエのケツを切られちゃかなわねえ」って気分になっちまったのである。

 ……みんな、本当に芝居をやりたいのか? 別にクソマジメにやることはないのだ。宮本武蔵みたいな求道精神でものごと全て解決できるんなら、日本は戦争にだって負けてないってことになるし。遊んで、楽しんで、芝居を作って全然かまわないのだ。
 でも、仲間の足をひっぱって平気なヤツと芝居は作れない。私はみんなを仲間だと思うからこそ、役を降りた。降りるしかなかった。
 役を降りてもう2週間にもなるが、未だにしげはきちんと謝ってない。私はしげを今でも仲間だと思っているが、しげの方はなんとも思っていないのだろう。

 役に取り組む、芝居を作るってことの意味ってなんなのだ? それをもう一度みんな、考えて見る必要がないか?
 これは役者として未熟だとかプロじゃないから、とかいう次元とは全く関係のない話だ。
 例えば、殺人者の演技を行うのに、舞台上で本当に殺人を行うわけにはいかない。しかし、観客には本当にそこで殺人が行われているように錯覚させねばならない。そのためには何をどうしたらいいかを考える。
 それが、「芝居を考える」と言うことだ。
 それを、誰も考えようとしてないのだもの。
 「本気じゃない」と言われて腹は立つかもしれないけれど、事実だよね? それとも、感情的にならず、きちんと反論はできるのかな?

 先日、鈴邑くんが劇団ホームページに「くだらない なにもかも」と書きこんでいた。私は諸事情で掲示板の方に書きこむわけにはいかないので、メールで「どうしたの?」とその日のうちに問い合わせのメールを送った。
 鈴邑くんからも、簡潔に返事のメールが届いた。

 今日、鈴邑くんに会ったときも、私は「どうしたの?」と聞いたが、「メールに書いたとおりです」とだけ鈴邑くんは答えた。
 後はもう質問をする必要はない。
 私と鈴邑くんとはそういう会話をしたが、劇団のメンバーは、日記にも掲示板にも何の反応もしなかった。多分、メールも送ってはいまい。

 鈴邑くんは、「役を降りられたんですね」と私に聞いてきた。
 「約束、破られたからね」と答えると、鈴邑くんは「ウチなんてしょっちゅうですよ」と言って笑った。
 「5回も6回も破られたら、さすがにもうダメだね」と言って、私も笑った。
 笑ったつもりだったが、声には出なかった。

 つまり、そういうことである。


 みんなと別れて、しげとキャナルシティまで。
 福家書店を冷やかして(のつもりだったが、結局何冊も買い込む)、腹を減らしたしげに、トンカツを食わせる。
 時間の余裕があるので、映画のハシゴが久しぶりにできそうだ。

 AMCで、映画『ラッシュアワー2』を見る。
 福家書店に割引券が置いてあったので、しげと二人で600円のおトク。
 まあ、パンフレット代にはなったな。
 50歳になろうってジャッキーが、未だにアクション映画を撮り続けていることに素直に感謝。
 クリス・タッカーが中途半端にアクションが出来るのが邪魔だけれど(コメディとしてコントラストを付けるつもりなら、タッカーは絶対に口先だけの軟弱男にしなきゃウソだ)、1に続いて、いきなり冒頭で展開される「追っかけ→ぶら下がりギャグ」の連続、「これがジャッキー映画さ!」と思わず膝叩き。
 この間「ギネスブック2001」を立ち読みしてたら、ジャッキー・チェンは『スタントを使わずに最も数多くの映画を撮った男』として記録されてた。オマケに「あまりに危険なため、ジャッキーの保険を引き受ける会社は世界中のどこにもない」だって。
 まあ、確実に怪我するって解ってる契約だものなあ。
 ああ、でも、今回は女優陣が特にいいぞ。
 中国マフィア役のチャン・ツィイー、芝居が臭いんで、普段は美人に見えないが、アクションシーンになると俄然生える。
 ああ、ああいう美女に思いきり踏まれてシバか……ああ、ゴホン、今、何か聞こえた? 幻聴かな(^.^;)。
 クール・ビューティーの系譜自体は長い伝統があるけれど、テキの女ヒロインがアクションも出来るってのは、007シリーズだって、結構後期になってからだ。『美しき獲物たち』のグレース・ジョーンズあたりからかな。
 それが今回は東洋美女ってんだから、『2』がアメリカで『1』以上にヒットしたっての、ツィイーの貢献度もかなり高いと思う。
 ……なんで殺すかなあ、もったいない。『3』にも復讐戦として出してやればいいのに。いや、死体は見せてないから今度はサイボーグ美女として……ああ、いやいや、ウソです、ゴメン。
 ワリを食ってるのがジョン・ローン。
 一応、悪のボスなのにね〜、その「仕掛け」がまるで効いてないしね〜、アクションできない分、演技でなんとか、と思ったら、『ラストエンペラー』の頃の演技力はどこへやら、『キングコング』のチョイ役出演の頃のクサイ演技力にまで戻っちゃってるしね〜。でもそっちの方が受けるんだろうなあ、単純バカのアメちゃんにはよう。
 東洋人がアメリカ人演技すると、どうしてもムリがあるんだよねえ。ジャッキーが今までアメリカで受けなかったのは、かえってアメリカ的なクサイ演技をしてこなかったこともあると思う。
 ……ウソだと思ったら、過去のジャッキー映画見返してみな。動きそのものはハデだけれど、「演技」そのものは感情を過剰に発露しない、抑制の効いたものだから。
 ジャッキーの真価、日本でだってまだまだ正当に評価されちゃいないよなあ。
 恒例のエンディングNG集、アクションやセリフのトチリに加えて、今回はハプニング編もあり。
 撮影の真っ最中にクリス・タッカーの携帯に知人から電話がかかって来る。
 「撮影中だよ、ジャッキーと」
 電話の向こうで相手が何か言ったらしく、眉間にシワを寄せるクリス。スッと、ジャッキーに携帯を差し出して、
 「……ジャッキーに代わってくれって」
 うーむ、スター同士の軋轢がNG集にまで(^_^;)。


 少し間が空いたので、ケンタッキーで夕食。
 芝居に出ないとなると、カロリーにも気を使わなくなってくるなあ。
 せっかく少し痩せたんだし、もちっとだけカロリーコントロールがんばってみてもいいのだけれど。

 ハシゴ2本目、9時以降なのでどの映画も1000円興行。ホントは『仮面ライダーアギト』をちょっと見てみたかったのだが、これだけレイトショーはなし。
 で、結局見たのが映画『ファイナルファンタジー』。
 『FF』も『ドラクエ』も一度もプレイしたことがない人間がこの映画を云々言ったりしたらお叱りを受けるかもしれないが、脚本が徹底的にクズだと、誉めようがありませんがね。
 あの、八つの精神体を集めることが地球を救うことになる理由の説明が全くないのは何故なの?
 キャラクターがステロタイプと言うより、陳腐の一言に尽きるのはアメリカ人の知能程度に合わせたってわけ?
 CGがどこまで自然かってのは、もうあまり論議しても仕方ないって気がする。要するに、受け手の想像力に喚起する要素があればいいわけで、あれを「まだまだだ」って批評するなら、『ジュラシック・パーク』だって、『トイ・ストーリー』だって、当時から「まだまだ」だった。アニメを未だに「実写じゃないから」劣る、なんて言ってる連中もいるんだぞ。
 っつーか、この映画の問題点、CG技術をどう評価するか、なんてところにあるわけでは全然ない。
 この映画自体がCGで描く必要が全くないってことにあるんだよ。
 昭和38年のテレビ紙芝居『鉄腕アトム』にだって、我々は感激し感情移入していたのだ。今現在、皮膚のきめ細やかさは表現できても、その重さ、柔らかさまで表現しきれていないのを「欠点」と呼ぼうと、CGが更に進化、将来、ホログラフィーの映画が作られるようになれば、「昔の作品だから、技術的に劣ってることを云々したってしかたがない」ってことになるのだ、きっと。
 そろそろ、ポルノCGがどこかで作られるころなんじゃないかな。
 パンフレットが売り切れだったので、そのうちまた買いに来なけりゃなあ。 


 帰宅して、DVD『ハレのちグウ』1巻をしげと二人で見る。
 私は結構面白かったのだが、しげにはイマイチのよう。
 今日見た映画も、しげは『FF』の方が『ラッシュ2』より面白かったとか言ってるし、なんかトチ狂ってるんじゃないか。
 まあ、ストーリーが破綻してるって点ではどっちもどっちだが、「映画の方法論を間違えてる」『FF』のどこに評価を与えればいいというのか。
 「前よりCGが凄くなってるんだよ」
 ああ、そうかい(-_-;)。

2000年09月23日(土) 昼寝とDVD三昧の一日/映画『スリーピー・ホロウ』ほか



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