無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2000年09月24日(日) ○○と○○はどちらが臭いか…汚ねえな/『いつも美空』1巻(あだち充)ほか

 ヨシヒト嬢、今日も8時に起きてくるが、オリンピック中継のため、『仮面ライダークウガ』は放送ナシ。ちょっとガックリ来ていた様子。
 代わりと言ってはなんだが、『忍者武芸帳』(一部)や『地球防衛企業ダイガード』第1・2話などを見せる。
 ヨシヒトさん、白土三平の単純な線でありながらの表現力に驚嘆した様子。確かに、今見るとずいぶん簡略化された線に見えるが、当時の手塚治虫系のマンガに比べれば、アレは「劇画」と呼ばれていて充分リアルだったんだが。
 もっとも、白土三平自身はこの後、自分では絵を描かなくなって、よりリアルで線の多い小島剛夕や、弟の岡本鉄二に『カムイ伝』を描かせていくことになる。でもそれでマンガとしての表現力が向上したかどうかは疑問だ。
 いしかわじゅんが常々言っているが、マンガの「画力」とか「うまさ」っていうのは、デッサンが出来るとかいうこととは関係がない。もっとプリミティブなもので落書きの面白さに近い。手塚治虫が「マンガの絵は記号」と言ったのも分るのである。うまく描こう、なんてところから離れたところからマンガは始まるのだ。大友克洋だって、一見リアルに見える絵の向こうに隠れた情念のようなものにみんな惹かれたんだと思う。

 女房が私の耳かきを勝手に使ってヘソのゴマを取っていたので、耳かきを石鹸で洗ったら、女房が「あんたの耳と私のヘソのどっちが汚い!」と怒る。
 ……ならお前はその耳かきを洗わずにまた耳をほじれというのか。観点が違うぞ(-_-;)。
 ヨシヒトさんにそのことを話したら笑われた。どうも私たち夫婦は端から見ると漫才をしているように見えるらしい。双方ごくマジメだというのに。

 練習後の女房と待ち合わせて映画に行くはずが、前売券を家に忘れてきてしまい、仕方なく本屋にだけ寄って帰る。空腹も重なってか、女房は文句たらたら、機嫌を直してもらうために、焼肉の「ウエスト」へ行く。とりあえず女房は肉を食わせておけばニコニコするので扱いが楽だ。……って、犬かい。
 劇団での練習の様子をいろいろ聞くが、笑える話が多い。日記にUPしたいが、当事者ではないのでちょっと憚る。ヨシヒトさんか塩浦さんか、誰か書かんかね。

 あだち充『いつも美空』1巻読む。さすがにこうも同工異曲のハナシが続くと、飽きる。設定は変わっても語り口が変わらないので退屈なのだ。続きは買おうか買うまいか?



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