無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年09月25日(火) リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき)

 オタアミ当日まであと60日!

 昨日、日記の「荒らし」について書いたことの続き。

 なぜ「荒らし」がこうも横行するのかって考えたんだが、やっぱり人気のある日記って、女性の方が書いたものが多いからではないかな。
 今から書くことは、女性にとってはちょっと申し訳ない表現になっちゃうかもしれないけれど、話を進めるために我慢して読んでもらいたい。

 まず、女性の書くサイトの方がなぜ人気があるのか、ということから。
 これはもう、ネタが圧倒的に「恋愛」沙汰だったりしてる点にあるからではないか、と思うわけだ。
 もちろん、日々の出来事が全て恋愛がらみであるはずがない。
 けれど、別に作家でもアイドルでもないごく一般の人の日記になぜ人気が出るかと言うと、これはもうその中身の「ドラマ性」にあることは明白なのであってね。で、男性と女性では、日常をドラマチックに虚飾する能力が圧倒的に違っているのだ(もちろん、女性の方が「上」)。
 ミもフタもないことを言っちゃえば、「なんでもない日常のことがらを、むりやりドラマに仕立て上げる能力に長けている」と言ったほうがいいかな?
 解りやすい例をいくつか言えば、女性はみんな清少納言よろしく、「春って曙よ!」って言っちゃえる存在なのである。男はああいう「それがどうした」的なことはそうそう言えないんだよねえ。
 あるいは、『赤毛のアン』。「私、あの湖を『きらめきの湖』って呼ぶことにするわ!」……呼べよ、勝手にって男なら思うところだな。マシューも多分そうだったであろう。

 女性の恋の対象は、実は「男」だけではない。もともと日常の様々なものに「恋」をしているのが女なのである。(「恋は女の本質」って言ってたのだけだったっけ?)。
 「読み手」がワクワクするためには、まず「書き手」の方もワクワクしてなきゃならない。人気のある日記を読んでいて思うのは、やっぱり「みんなワクワクしてるなあ」ってことなのだ。たとえ、それが、「つらい恋」であっても。

 で、「荒らし」が起きる理由も、その内容の如何に関わらず、「ドラマ性」の訴える力によるものだろう、と断言できるのだ。
 もし、清少納言がただ単に「春はいいわね〜」程度のことしか書いてなかったら、彼女に対して紫式部が、「なに様のつもり!?」なんて噛みついたりすることも、ありえなかったであろう。
 「春」を全て「曙」に限定して象徴する視点、それまでの誰にもできなかった見方でありながら、普遍性を持ちえた見方、「特殊を普遍化する」ということは、「少数派が多数派に受け入れられる」ということでもある。
 つまりね、これって、「つまらないやつ」と差別されてた人間がみんなに認められるようになったってことと同じ図式なんだね。
 これは、同じように「つまらない」人間の「嫉妬」を引き出すには充分の要素となるのよ。

 おわかりだろうか? ややこしい書き方をしちゃったが、「荒らし」を起こす人間の心理って、「自分と同じか、それ以下のレベルだと思ってた人間が、他人に認められるなんて羨ましい妬ましい」ってジェラシーなのだね。
 男がよく「女のクセに生意気だ」って思うのもこの心理。あれは「男の嫉妬」なのですよ、女性諸君。

 荒らされたとき、男と女とでは反応が明らかに違う。まずそのことを「荒らされてる」人は充分に認識する必要があるのではないか。
 同じように腹を立てたり、悲しんだりしているように見えはするけれど、相手のサディズムにより訴えかけちゃうのは、やっぱり女性の方なんだね。それだけ「ドラマチック」に反応しちゃうから。
 意識的にか無意識的にか、そこで女性はまたしても自分を「特殊化」してしまう。「ウチは日本一不幸な少女や」って反応だわな。
 だから「荒らし」は喜ぶのよ。自分の挑発に乗ってくれるんだから。
 不思議なもんでねー、日記なんかで一切触れずに「荒らし」を問答無用で削除するってこと、女性はなぜかできないんだよねー。
 必ず日記の中で「どうして私がこんな目に」って書くのよ。
 ……書かずに消せや。たとえ何十回、何百回と「荒らし」が続こうが、冷静に対処してひたすら消す。
 「冷静じゃないやつ=バカ」と見下されてるから「荒らし」も起きるのだよ。それに素直に反応してちゃ、やっぱり「バカ」なんだってことを自分で認めちゃうことになる。自分で自分を感情的なバカに仕立て上げてどうするの?

 それにしても「エンピツ」の登録者が40000人を越した途端に「荒らし」が増えたってのも、一種の「スタンピード現象」なんだろうか?


 天気予報が雨だったので(でも実際には降らず)、通勤はタクシー。
 帰りの運転手さんが、ちょっとビックリした才能の持ち主であった。
 「お客さんのお仕事、○○○○○でしょ?」
 ……言っとくが、職場のすぐ近くでタクシーを拾ったわけではない。しばらく歩いて、何百メートルか離れた地点でだ。位置から断定するには根拠が薄い。
 「どうして判ったんです?」
 と思わず聞き返してしまったが、返事を聞いて納得。
 「お客さん、○○○○○○○じゃないですか。それに○○○○○○○○だし○○○○○。だから○○○○○○○○だろうって思って」
 ホ、ホ、ホームズ!
 こ、こんなところにシャーロック・ホームズが!
 実際、この運転手さん、しょっちゅう、お客さんを拾うたびに「○○○○までですね」と行き先を当てて見せて、お客さんをビックリさせるのが趣味らしい。
 性格歪んでるところまでホームズそっくりだな(^_^;)。
 「どうしてそんなことができるんですか?」
 と思わずバカな質問しちゃったけれど、途端に「苦労してますから」だと。
 う〜ん、この反応はいかにも日本人的でちょっと興醒め。
 やはりここは「初歩ですよ」と言ってほしかったな(^^)。


 帰宅してみると、しげは寝ていて全く起きて来ない。今日も弁当を買ってきてやったというのに、モッタイナイ話だ。
 一応、耳元で「飯食うかー」と声をかけてみたが、全く反応がない。
 ああ、これは本当に熟睡している。ムリヤリ起こすのもなんだかなあ、と思ってほっておいたが……。
 結論から先に言うと、このあと、翌朝私が出かけるまで、しげ、全く目を覚まさなかったのだ。
 ……ってことは最低12時間、多分、20時間くらい連続して眠ってたのではないか。脳がどんどんバカになるのも当然と言えば当然であろう。


 テレビ、『ハレのちグウ』最終回『おしまい・おしまい』。
 原作のむちゃくちゃ中途ハンパなところで終わっちゃったなあ。一応ウェダとおばあちゃんの和解、というところでひと区切りついてる感じではあるけれど、これから先が本当の「物語」になるんだし。グゥの謎も解かれず終いだぞ。
 思えらく、延長を期待して、スタッフはあとワンクール分、ウェダの結婚あたりまでやるつもりだったのではないか。
 ……視聴率、取れなかったのかなあ。
 原作をベースにしつつも、オタクなギャグを付け加え、細かい作画、絶妙なタイミングと声優のノリで爆笑に導く演出は最近では珍しく見応えがあったのに。
 ハレがアニメに関してオタクなウンチクタレであったりするのも笑える。だいたいアニメを見ながら声優に触れずに作画に言及し、「第1話としてはまあまあかな」なんて嘯きやがるガキなんて生意気にもほどがあるってんだ……ってガキの頃の私か(^_^;)。
 OVAで続編作らないかなあ。「第2回ウェダ争奪戦レース」のネタも残ってるし。


 『人気者でいこう!』最終回スペシャル。
 何気なく見たら最終回でやんの。
 水野美紀、顔が変わったなあ。『ガメラ2』の頃よりずっと凛々しくなってる。『2』のころはまだどこかナヨっとしてて(アクション女優出身のクセに)、どうしても『1』の中山忍と比較されてワリ食っちゃってたけど、今ならけっこう対抗できるのではないかな。
 途中から見たが、ちょうど、『恋に落ちたシェイクスピア』のジョン・マッデン監督が撮った映像と、そこいらのADが撮った映像とを見比べて、どっちが本物かを見分けるという問題。
 ……まあね〜、確かに一目見て見分けられはするけどねえ。
 何しろADの撮ったやつは「クサイ」から。
 でも、それを「本物」「偽物」という観点で見るのはどうかなあ。巨匠の作品は確かに自然なんだけどさ、ADのそれとハッキリわかる未熟さってのも、シロウト戯曲家のハシクレである私にはどうしても共感を覚えちゃうのよ。
 どう見てもB級、どう考えてもヘタレ、だからこそ「好き」だってものは誰にでもあろうし、ゲージュツだのアートだのより、そんなものの方が感性に訴えかけてきたからこそ、オタクになっちまったやつらって、世の中にはたくさんいるだろう。
 たとえ「本物」がどちらか解っても、「好きなヘタレ」を選ぶ。それでいいのではなかろうか。
 で、その「へタレ」を選んだのが浜田雅功と坂東英二。この二人、次の「ユトリロの絵を見分ける」でも外しやがった。
 本物ばかり当てつづけてたのは、山咲千里と水野美紀。おお、奇しくも「ガメラ」女優の対決。でもラストの「エビチリ」と「ザリガニチリ」を食い分ける問題で山咲千里はどん底に沈んだのであった。……ザリガニってどんな味がするんだよ。


 CS『こみっくパーティー』『マイアミガンズ』のことを書くスペースがまたなくなった。いやまあ、とりたてて書くほどのことはないんで、まあ「バカアニメ」は好きだよってことで。


 『キネマ旬報』10月上旬号、例の「『キネ旬』、角川が買収!」の件について、詳しい説明。
 てっきり、経営不振で身売りせざるを得なかったのかと思っていたら、そういうわけではなかったよう。
 本当に存続が危ぶまれていたのは、1960年代の映画産業自体が斜陽化していた時期で、そのとき松竹の城戸四郎社長の知人だった上森子鐵が株を買って、経営を立て直した。
 そして1989年に上森氏が亡くなって、株は「文化事業に理解がある」ということでセゾングループのSSコミュニケーションズが譲り受けた。
 けれど、バブル破壊後、セゾンは文化事業の縮小を決めて、株を角川に再譲渡、という過程になったということだ。
 今回のことはあくまで親会社のSSCの事情であって、『キネマ旬放射』には変化はない。まあ、元から提灯記事が多い誌面ではあったし、これで角川系のアニメなんかがより特集されたりするようになったからって、中身がよくなったとか悪くなったとか一概には言えまい。
 ダサイ誌面をもちっとなんとかしてほしいとは思うが。


 と学会著『トンデモ本の世界R』(太田出版・1554円)。
 タイトルのRに意味はなく、来年は「S」に、再来年は「T」になる予定だそうな。3番目は「SS」、4番目は「スターズ」になるかと思ったのに(^^)。
 ああ、これが某氏の日記で、某氏の原稿の入稿があまりに遅いので、某氏が代筆したという例の本なわけだね(←三つの某氏は全部別人です)。
 でも代筆された某氏の文章、一読するとまるでホンモノ。某氏の描写力が見事なのか、それとも、ギリギリになって反省した某氏が原稿を差し替えたのか。
 でもなあ、まさか私がこの某氏と『○○○○○○○○○』を通じて関わることになるとは夢にも思ってなかったからなあ。
 実際、この事件を知っていて、某氏がこんな人だと知っていなけりゃ、いい加減な私のこと、きっと○○○○○○○○○○○○○○に違いないのである。

 巻頭で俎上に上げられてるのが、わが博多の誇る(誇っていいのか)小林よしのりの『戦争論』。
 先に書いておかないと絶対誤解を招くだろうな(^_^;)。
 あのですね、『戦争論』の歴史認識がデタラメである、という点では、私も山本弘さんの批判を聞くまでもなく、その通りだと思ってるのよ。
 「南京大虐殺が完全な捏造」ってのは絶対ウソだって“実感”できるしね。
 いや、だってさ、「精神主義」が大好きな連中、今でも腐るほどこの日本にいるのだもの。そいつらが寄せ集まっててさ、戦闘で仲間をたくさん殺されてるんだよ? しかも敵は「三等民族」ってバカにしてる中国人だし。
 復讐心に燃える日本軍が、敵が降伏したからって、虐殺を行わないわけがないよ。それに、数日後、陥落した南京を視察するために、皇族の入城が予定されていた。民間人の中に不穏分子が紛れこんでいたら、どんな事態になるか。
 実際、民間人に偽装した便衣兵がいたことは小林さん自身、『戦争論』の中で書いてるしね〜、つまり、「虐殺」が行われた根拠を、小林さん自身がしっかり示しちゃってるのである(^o^)。

 そう。「虐殺」は一部軍人の暴走としてではなく、日本軍の「義務」として行われた。その可能性が高いのだ。
 「そんなのは感情論だ、証拠を出せ」と反論するやつもいるだろうが、その資料を曲解し、あるいは無視し、そして「無かったもの」にしていったのがこれまでの「虐殺なかった派」。
 ただし、それは中国側も同じであって、これまた「民間人30万の虐殺」なんて大ウソをつきまくっている。それこそ一次資料に、陥落以前に南京を脱出して行った中国人がたくさんいると書かれているのに、なんで30万もいるのだよ。それ以前の住人数よりもはるかに多かろうが。
 結局、「あった派」も「なかった派」も、目クソ鼻クソを笑ってるみたいに自分の都合のいいようにしか歴史を解釈していないのである。

 もともと「中国べったり」の報道にハラを立てて『戦争論』をぶち上げた小林さんだから、真実がどうかなんて、実はなーんも考えちゃいないのである。場を引っ掻き回すのが目的だから、それにウカウカと乗っちゃあいけない。
 「と学会」はトンデモ本を笑い飛ばすのがコンセプトなのだから、さて、面白い見方をしてみせてくれるんじゃないかと期待して読んだのだ。
 でもねえ、執筆してるの会長の山本弘さんなんだけど、これがいたくマジメなんだわ。
 山本さんは数々の一次資料を挙げて「これでも南京大虐殺はなかったと言えるのか」また、自己矛盾しまくりの記述をいちいち検証して憤慨されてるけど、あと先考えてないバカに論理で攻めたって効果ないってば。小林さん、「自分がデタラメ書いてる」って知った上で書いてるんだから。

 小林さんのマンガを描く姿勢が基本的に『どとーの愛』に見られるようなムリヤリギャグだってこと忘れちゃいけないよ。でもあのギャグ感覚がわかるのって、見たところホントに博多人だけなんだよなあ。
 「世の中にギャグにしちゃいけないものなんてない」
 それは「戦争」もしかりだ。
 「いや、小林よしのりは本気で戦争を賛美してるぞ」と言いたい方にはこう言おう。
 「その通りだ」と。
 だから、それが博多人のギャグ感覚なんだってば。
 本気でそんなことやるから「ドン・キホーテ」になれるんでしょうが。演技でやったって、笑いは取れないって。
 山本さんが「矛盾だ」と指摘している部分、例えば「国際法ではゲリラは殺してよい」なんて、ギャグ以外のなんだというのか。「んなわけね〜だろ」ってのをちゃんと読者に突っ込んでもらうのを目的としているのだよ。
 よく読めばわかることだが、「虐殺はなかった」に結論を持っていく過程で、どんどん資料をデタラメに読み替えていく手順は、「爆笑問題」の太田光のギャグのふり方と同じだ。「確信犯」でやってるんだって。
 だからね〜、小林さんをへこましたければね〜、「ギャグのふり方がヘタだ」と言ってやった方がずっと効くんだってば。
 根がマジメな人ってさ、どうしてもそれができなくて、あの本を、からかえないのな。

 『戦争論』の功績はもっと別の面で認められていいと私は思っている。
 あれのおかげで、「大東亜戦争は本当は正しかったんだ!」って堂々と発言するやつが増えたからな。今まで「隠れキリシタン」状態だったクズどもが表面化してくれたのだ。もちろん、それに反発して「日本叩き」をしようって腐れた連中もアタマをもたげてくる。
 たしか去年の「オタアミ」でも、唐沢俊一さんが「小林よしのりを支持するやつも反発するやつもみんなバカ」と仰ってたが、その通りの状況が生まれたわけだ。
 私の近所でも、「実は私は……」とカミングアウトした右や左のダンナサマがゴロゴロ出て来てさ、「あ、こいつはバカだ」と判別しやすくなったこと(^^)。冷静にあの戦争を見ることのできる人間というのがこうまでこの国には少ないのかと思っちまったねえ。
 山本さんも、真っ向から否定の文章を書くんじゃなくて、そういった「功績」を踏まえて、あの本を笑い飛ばしてくれた方が、読み物としてずっと面白くなったと思うのである。

 他にもたくさん、面白い記事があるんだが、とても全部には触れられない。
 で、補足的な解説をちょっとだけ。
 唐沢俊一さんが執筆している『世界変書カタログ』、『オッド・デーツ・オンリー』(つまり、1年365日の各日に、これまでどんなバカな出来事があったかってのを記録してあるのね)に紹介されていた、唐沢さんの誕生日5月22日の出来事。
 「1959年、アルバニアで黒いうさぎが白いうさぎと結婚する内容の子供向け絵本が発売禁止になった」
 唐沢さんは「それがどうした」みたいな感じで書いてるだけだけど、これは有名な絵本で、邦訳も出ている『しろいうさぎとくろいうさぎ』(絵と文 ガース・ウイリアムズ/訳 松岡享子/福音館書店)のことなのだな。
 作者のウィリアムズは、ローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズの挿絵でも有名。
 実は本作、絵本の世界で「世界で初めて」結婚をテーマに扱ったということで物議を醸した本なのである。もちろん「白と黒」ってのが「白人と黒人」に読みかえられたってことでもね。発禁の理由もその「異人種間の結婚」という点にあったことは容易に察しがつく。
 出版されたのが1958年だから、翌年の発禁というのは反応としては早急で随分ヒステリックだ。
 今、この絵本は「名作」としてその評価も高い。
 多分その『オッド』は、「昔はこんな馬鹿げた偏見があってねえ」と、日本でもちょっと前まで『ジャングル大帝』が「黒人差別」の問題に引っかかって出版できなかったのと同じような例であるのだろう。
 ……いい加減、藤子不二雄の『オバQ』や『ジャングル黒べえ』も再版出せ。黒人の絵を描きゃみんな差別か。


 マンガ、唐沢なをき『けだものカンパニー』3巻(完結/集英社・840円)。
 ぶはははは、うひひひひ、げひゃげひゃげひゃ。
 いや、笑ろた笑ろた、笑かせてもらいました。
 ただひたすら「下品」に徹した潔さ、ギャグはやっぱりこうでなくちゃ。
 唐沢なをきさんのマンガで特に好きなのは『カスミ伝』シリーズだが、『BRAIKEN』他の「欲情」シリーズ(勝手につけるなよ)も大好きなのである。
 このマンガのどこが好きかを語っただけで、私がどれほど下品なのかバレてしまうので書きにくいのだが(今更)、まあ、ゲイのイルカ兄弟とかね。イルカだから「ゲイ」をするという、もう腰砕けの駄洒落が最高ですわ。
 ああ、でも、オタクをデブで臭くて欲情したブタにたとえられるのは、イ、イタイ。関係ないが、「同豚誌」の中でバックで攻められてるブタはマルチかな?
 3巻で終わりというのも手ごろなところかな。多分2年もすれば絶版になるので(笑)、今のうちにまとめて買おう!

2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)