無責任賛歌
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2001年09月27日(木) |
「檸檬」って書ける?/『BLACK JACK ILLUSTRATION MUSEUM』(手塚治虫)ほか |
オタアミ当日まであと58日!
チケットは要らんかね〜。 可愛いチケットだよ〜。 大きくなんないよ〜。
なんだかなあ、掲示板に案内だしてるけどさ、今んとこ「チケット買います」って言ってきてくれる人がいないんだよね〜。 劇団メンバーが今一つアテにならないから、ちょっと販促の方法考えないとなあ、と思うんだが、どうも平日は仕事に追われていてアタマが働かない。 できるだけアタマを使わないほうが捗る仕事だから、それはそれでいいのだが(おいおい)。 実家の床屋のネットワークが使えんかとも考えたが、親父は「オタク」系が大嫌いだからなあ。 私の「オタク」的傾向のベースは、映画マニアの死んだお袋に仕込まれてるものなので、親父には通じないのである。 ……すみません、エロさん。まだノルマ分(ではないんでしょうけど)、一枚も売れてません。 (;_;)( ;_)( ;)( )(; )(_; )(;_;)(T-T)うるうる〜。
なんだか急に仕事が押し始めて、合間にこっそりと便所で本を読んでるヒマが取れない。 いや仕事はサボってませんよ。 本当です。 シメキリが来週なのでまだ慌ててないだけです。 本当にサボってませんってば。 ……誰に向かって言ってるんだ?(=^_^=)
梶井基次郎の小説に『檸檬』というのがある。 いや、こんなヒョーロンカみたいな前振りしなくったて有名だけどさ。 この日記の読者の中には、「漢字が多くって、ムズカシーイ」なんて脳天から声出してるようなバカ女(あっ、そこのアナタではありませんよ)もいたりするので、一応、説明しているのだ。 ……ちなみに、「檸檬」って漢字、変換で出しただけだからホントは書けないと思ってるだろうが、ちゃんとソラで書けるからな。 閑話休題。
ある若い男の子(10代。お稚児さんではない)と会話していて、ふと、この『檸檬』のことが話題になったと思いねえ。 筋の説明はめんどくさいのでしないが、その中の一節に、「びいどろという色硝子で鯛や花を打出してあるおはじきが好きになった」ってのがある。 ……どうですか? 読者のみなさん、私が何を書こうとしているか、解りますか? 気がついた人もいるでしょうね。 そうです。 その子は「おはじき」を知らなかったのです! 「おはじきって何ですか?」って聞かれたときゃ、アタシゃ硬直しましたね。 そりゃね〜、男の子だから遊んだことないっていうのはまだ解るけどね〜、存在も知らないってのはどういうことよ。 いくら今と昔と、時代が違うとは言え、女の子は今でも「おはじき」で遊んだりしてるぞ? 何か大事なものをどこかに置き忘れてるやつ、増えてないか? 私ゃ子供のころは男の子とより女の子と遊んだりすることの方が多かったからね〜。「おはじき」も「あやとり」もしょっちゅうやってたけどね〜。 幼稚園とかでは今どき「おはじき」なんかやらないのかな? だとしたら、やっぱり今の教育、「やらなきゃならないこと」をほっぽらかしてんじゃないかって疑惑がフツフツと沸いてくるぞ。
「遊び」は全て悪いものって感覚が今の学校を支配してるように思えてならない。 文部科学省はしょっちゅう「ゆとりの教育」だの「個性の教育」だのとコトバだけはリベラルなこと言ってやがるが、さて、そんなことが実践されたことがどれだけあったか? 昨日読んだ『ドンキホーテのロンドン』に、「イギリス人はジャンケンを知らない」という記述があった。揉め事が起こっても、徹底的に話し合う。「時間がないから」最後にジャンケンで、なんてことはしないのだ。 でもな〜、日本の場合いくら時間かけて話しあったって、ディベートの土壌となる「個性」自体が認められてないから、意味も実りもないんだよな〜。 結局、「まあ結論が出ないようならこの件はまた次回検討するということで」みたいなことになっちゃうのである。 ひどい場合は、討議の前に結論が用意されてたりしてな。「会議が出来レース」って、話し合う意味がどこにあるってんだ。 何のCMだったかなあ、「最近の若いヤツらはイエスマンばかりでいかんねえ」「お言葉ですが社長」「口答えするな!」「なぜだ〜っ!」ってのがあったよな。……シャレになってないって(-_-;)。 「遊び」も「悪」も、それを排除してマットウな人間が出来るかっていうと、そんなことはない。 『檸檬』だって、「ムシャクシャするから現実逃避して幼児退行して、丸善にバクダン置いた気になって、ああスーっとした」って小説じゃないか。イタズラの一つや二つやってこそ人間ってもんだ。 なのに『檸檬』を評論する連中って、たいていその「スーっとする方法」よりも、「何が彼をそこまで追いつめたか」って、それまでの人生とか、環境とか社会状況とかの方ばっかり重視するのな。 そんなことより、たとえフザケてるように見えようが、モラルに反していようが、「みんなで幸せになる方法」を考えた方がよくはないか? 「虚構」ってのはそのためにこそあるんだよ。
芥川龍之介の『羅生門』、あれを「怖い小説」だって思いこんでるやつも多いみたいだけど、なんで素直に「貧乏したら人のもの盗んだっていい」って額面通りに解釈しようとしないかね。 昔、高校の授業で「人間のエゴイズム」がどーのこーのって、教師が教えてたの聞いて、「日本の教師はバカばっかりか」と思ったことがあったが、「『羅生門』は、モラルからの解放の物語である」って的確な批評を教えてもらったのは、大学に入ってからだったよ。 要するに日本の小・中・高校までの授業ってのは全て、「偽善者」としての考え方を仕込む場であって、それ以外の、自分の頭で考える人間を淘汰していくシステムになってるわけだ。
「勉強ばかりで遊ばない。今に子供は気が狂う」
……もう、狂ってるかな?
仕事の帰りに「ミニストップ」に寄って、弁当を買う。 ウチの近所にあるコンビニは「セブンイレブン」と「ポプラ」くらいしかないので、ちょっと珍しいコンビニがあるとつい寄ってしまうのだが、売ってるものにそう違いがあるわけではない。 ミニスト、以前はけっこう弁当にチカラ入れてくれてたんだが、最近は幕の内に毛の生えた程度のモノがちょこちょこっと並んでるだけで、他のコンビニとたいして区別がつかなくなった。 というか、オニギリの種類では「セブン」に負けている。 それでもしげが食うのは弁当の類だろうと、オムレツっぽいのとか、のり弁っぽいのをいくつか買う。 あとは飲み物程度、そんなにオカネを使うつもりはなかったのだが、ふと見ると、インスタント麺で、「黒スパ」「白スパ」というのが目についた。 珍しいものはとりあえず買ってみなければ気がすまないタチなので、早速、両方を買う。
帰宅して、まずは汗を流そうと風呂に入る。 湯船に使っていると、しげがいつの間にか忍び寄ってきていて、こちらをじっと見ている。 「なんだよ、どうしたんだよ」 「……いま、鬱なん」 「……は?」 「淋しいとよ」 いきなりそんなこと言われてもなあ。 「何かあったのかよ」 「……さあ?」 どうやらただ単に狂っただけらしい。 「なんかまた、変な夢でも見たんじゃないのか?」 「……アンタがね、ひどいんよ」 「ひどいって、何が」 「浮気したとよ」 「……夢だろ?」 「夢でもひどいんよ。私の目の前で浮気するもん」 「……だから、おまえが勝手に見た夢でどうして俺がやつあたりされなきゃならんのだ」 「知らん」 「……おまえ、内心、俺に浮気してほしいとか願望もってないか? そうやって自分を悲劇のヒロインに仕立て上げるのヤメロ」 「……悪男(わるお)」 わしゃ西川浩司か。
どうせ腹を減らしているからロクな夢を見ないのである。 しげに弁当をやって、私は例の「黒スパ」を作ってみたが、その正体はイカスミラーメンであった。 まあ、予想はしてたが、そんなに美味くない。珍しいものって、そのときだけでどんどん消えていく。結局後々まで残ってくものって、スタンダードだけなんだよね。
あまりしげが淋しがるので、しげと二人でDVDを見ることにする。 『ハレのちグゥ』の続きも見たかったのだが、しげの希望に合わせて、ジャッキー・チェンの『プロジェクトA』セットを見ることに。 テレビで見たのももう随分古い話なので、筋は殆ど忘れていて新鮮。 ただ、声が北京語と広東語、どちらもジャッキー本人の声ではなく他人のアテレコなので、どうにも違和感がある。 それならいっそのこと石丸博也の吹き替えで聞きたいのだが、このDVD、アチラのストレートなコピー版なので日本語吹き替えが付いてない。 セットで割引になってるのはありがたいのだが、「ジャッキー=石丸」ってのは日本ではほぼ定着してるので、それくらいのサービスはしてくれてもいいんじゃないかって思う。『ゴージャス』にはちゃんとついてるんだし。 十数年ぶりに見返すと、ジャッキーの代表作と言われながら、まだまだ演出などに荒削りなところがあるのがわかる。アクションの見せ方も、もっとアングルに凝ってほしいなあ、と思うところしきり。 見ているうちにコテッと落ちて寝入ってしまった。 おかげでこの日は相当な早寝。8時くらいに寝たかな。 ……当然、朝は2時ごろに目覚めてしまったのであった。 まあ、寝惚けながら日記を書かずにすんだけどね。
マンガ、佐藤竜雄原作・滝沢ひろゆき漫画『学園戦記ムリョウ』4巻(NHK出版・500円)。 最近、出版ペースが早いなあ。来月にはもう5巻が出るって言うし、月イチくらいで出してるじゃん。 そのワリにNHK、出した単行本、たいてい初版だけですぐに絶版にしちゃうのな。『飛べ! イサミ』を復刊するくらいのことしてみい。 で、今巻はなんとその「イサミ」の孫たちがゲスト出演。「三代目しんせん組」だと。名前はやっぱり「イサミ」「トシゾウ」「ソウシ」。……あの一族は代々同じ名前を踏襲させてるのか(^_^;)。てゆーか、三人の名字が違うってことは、じいちゃんのトシゾウもソウシも、イサミをモノに出来なかったってことかい。情けないぞ。 更に言えばイサミはやっぱりスパッツ。……学生服やセーラー服がアンティークになってる時代だっちゅーのに、スパッツだけは生き残ってるってか。ううむ、恐るべしスパッツ。 ああ、でもこうなると本編のアニメのほうにもイサミたちを出してほしいぞ。そしたらたまにしか見てないアニメ版のほうも毎週見てやるのに。
手塚治虫『BLACK JACK ブラック・ジャック ILLUSTRATION MUSEUM』(秋田文庫・950円)。 うわああ、文庫だってのに千円近くするなんてメチャ高。 けれど、今まで単行本に収録されたことのなかった『ブラック・ジャック』の扉絵だけを完全収録しているこの本、カラーページも全て再現、それどころか、BJが他の手塚作品にゲスト出演しているぺージまで特別収録していて、編集者のこだわりがヒシヒシと伝わってくるツクリになっているのだ。 手塚さん自身、ブラックジャックの過去はあとから考えたとか言ってるが、カラーページを見ると、第4話の段階で既に顔の皮膚の色がツギメから黒かったりしている。これは「黒人の友達の皮膚を移植してもらった」って設定のためなんだけど、「全てあとづけ」ってのは手塚さん流の「照れ」であって、ホントは相当量の設定を考えていたのだろう。 けれど、一読して、よくもまあ、これだけバラエティに富んだ雰囲気の表紙を書き続けられたものだと感心する。怪奇ムードあり、メルヘン調あり、ギャグ調あり。 ご子息の手塚真さんの絵を表紙に使ったものや、アニメ『バンダーブック』のセルをそのままトレスした珍品もある。 何より目玉なのは、手塚プロ製作のアニメ『S09』に手塚さん自身が描き下ろしたイラストが全て収録、ストーリー解説付きでその筋を楽しめるということだ(ブラック・ジャックはチョイ役だけど)。 惜しむらくは、その当時しか分らない時事ネタを表紙で使ってるのに、解説が付いてなくて全く解らなくなっていること。223話で、手塚さんがなぜペンを投げつけられてケガをしてるのか、意味が全く分らないぞ(何かの抗議を受けたのかな?)。これだけが唯一、画竜点睛を欠くことであった。残念。
2000年09月27日(水) とろける膵臓と行きずりの恋と膝小僧と/『おもいでエマノン』(梶尾真治)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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