無責任賛歌
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2001年09月17日(月) |
祝日には旗を。私は出さんが/『クラダルマ』1・2巻(柴田昌弘)ほか |
米国のテロ事件、いろいろなところで余波を及ぼしているが、ウチの職場でも、渡米予定だった同僚が、いきなり「出待ち」状態になってしまった。 上司はそのことを「いるはずのない人がまだここにいる」なんて言って、笑って報告しているのだが、これもまあ、聞くヒトが聞けば不謹慎極まりないということになるのであろう。 ったって、この程度の冗談なら、誰だって言うよな。世界の動きに対してノホホンとしている日本人の平和ボケぶり、これがかえって周囲に振りまわされない、動じない態度に見えてしまうのだから皮肉なことである。 外務省、15日が「敬老の日」だということで国旗を掲げたら「なぜ半旗にしないのか」とクレームを付けられたそうだ。って、誰が付けた、アメリカの手先か? 「国民の祝日」だってえのに、アメリカを気にせにゃならんってことはなかろうがね。 そのクレーマー、迷惑を被ってるのはこちらだということを忘れちゃいないか。
アメリカは、ビンラーディンの身柄引き渡しを正式にアフガニスタンのタリバーン政権に要求したとのこと。 これからがキレイなコトバで言えば、「外交上の駆け引き」ということになるのだろうが、その実体は、「おう、オマエんとこの舎弟がワシラんところにえらいハジかかせてくれよったやないか、そいつのそっ首差し出してワビ入れんのやったら、どないなことになるかわかっとるやろうな」というヤクザの恫喝だ。 全く、「高度な政治的判断」ってのはどこに行ったんだ? 世界各国に対してやってることも「ウチに着くのかアチラに着くのかはっきりせんかい」って、二者択一を迫ってるだけ。 で、日本はヤクザの下っ端。独自の判断なんかできるはずもない。 またぞろ、湾岸戦争の時に続いてアメリカは、日本に「人的貢献を」とか言ってるらしいが、日本国憲法を押しつけて戦争放棄させといて、そしてテメエがケンカする段になるってえと、「ワリャ、金出しゃ赦してもらえると思うとんのか?」と凄んで言うこと聞かせようだなんて、虫がよすぎやしないか? いい加減、日本人も、アメちゃんの他人を見下すことしかしない下劣な根性というか、所詮、アイツらは既知外の群れだってことに気がついてもいいんじゃないかね。 だって、アメリカ国民、「たとえアラブの民間人を虐殺しようと、復讐を果たせ」と叫んでるやつらが、今や8割以上なのだぞ。 日本も、ホンの56年前まではそうだったわけだから(今も生き残りが結構いるのが困ったもんだが)、批判はしにくいが(したって既知外に聞く耳なんかありゃしないんだが)、誰かブッシュに「オマエもビンラーディンと同じや」と言うてやれんものか。 せめて、「いやあ、兄貴のくれたケンポーのおかげで動くに動けねえんでさあ」と言い張って、自衛隊も派遣しないでいられたらいいんだけどなあ。 トバッチリ食って迷惑するのは国民なんだから。
更にアメリカでは今、今回の黒幕にイラクのフセインがいる、という説が浮上してるとか。 情報撹乱と言いきれない信憑性があるのがなんとも(^_^;)。 実際、私もテロ直後は「フセインか?」と思ったものな。 多分、これは「カワキリ」の一つにすぎない。 たとえ犯人が断定されても「いや実は黒幕に誰それが」という説が出てくるのがこういう事件の常だからだ。 恐らくこれからどんどんと、意外や意外、荒唐無稽で奇想天外な「真犯人」の数々が、ネットや活字メディアを席捲してくれることであろう。 犯人に擬せられたヒトには迷惑な話であり、世のマジメ人間、ギャグが嫌いなヒト、狂信者のミナサマにはキリキリとコメカミが脈打つほどに腹立たしいことであろうが、これは「どんな悲惨な悲劇も、それは客観的には喜劇である」ことの一つの証左なのである。 実際、アメリカだけでなく、パキスタンの慌てぶりやタリバーンの能天気な「聖戦」の連呼も、日本も含めてとんだトバッチリに巻きこまれた世界各国の右往左往ぶりも、見ていて笑いがこみ上げてくるのをどうにも止められない。 これが「コメディー」でなくてなんだというのだ。
昨年5月に自殺した、井上大輔(58歳)さんの妻、洋子さんが死亡していたとか。享年51歳。 確か井上さん自身の自殺が、奥さんの看病疲れが原因じゃなかったっけ。新聞にはその辺の事情が一切書かれていないのだけれど、病気の奥さん残して先に逝ってどうするんだろうと思っていたが、こうして、一年と少し経って奥さんが亡くなってみると、もしかして井上さんは、奥さんが来るのをアチラで待ってるつもりででもあったのだろうか、という気がしてくる。 こういうさりげない死の方が、何千人と死んでいく人々よりも心にジンとくるものがあったりするから、人間の心なんていい加減なモノである。
今週の少年ジャンプ、『ヒカルの碁』、完全に「伊角編」になっていて、ヒカルの復活は先送りになっている感じ。 しげが「これから『ヒカ碁』、つまんなくなるかなあ」と心配していたが、その危険性は確かにある。 これまで「ジャンプシステム」に飲み込まれずに来たこと自体、奇跡のようなものなのだ。というか、あまりにも「人気次第」の編集方針が批判されたために、何となく誌面自体が以前より遥かに「緩やかな」雰囲気になっていたのがよい方向に作用していたのかもしれないが。 でもあまり露骨な「引き伸ばし」はしてほしくないのだけれど。
コンビニで、サバのミソ漬け・ハンバーグ・揚げだし豆腐を買って帰るが、しげと分けて食べようと思ったのに、「要らない」と言われる。 おかげで全部食わねばならなかったが、多分これで一日の摂取カロリーをオーバーしたことは間違いない。 じゃあ、食わないで残しておけばいいじゃん、と言われちゃうとグゥの音も出ないのだが、この「残しておく」ってのが性格的にできないのよ。
マンガ、秋月りす『OL進化論』18巻(講談社・540円)。 今でこそ、4コマ誌が乱立して、OLモノで可愛い絵柄なのに不倫も描けばセクハラも描く、なんてのはごくフツーになったのだけれど、そのハシリの一つがこの作品だったのではないか。 モーニングに連載、というところが、いわゆる「4コマ誌」のマンガと一線を画している面があったのかもしれない。 18巻経っても変わらないように見えるこのマンガも、少しずつ様変わりしている。以前は毎回のように書かれていた「社長秘書令子」シリーズは殆どなくなった。 代わりにやたらと書かれているのが「35歳で独身で」シリーズ。似たようなネタの使いまわしなのだが、よっぽど作者が気に入ってるのか、多い時には1回に2、3話書かれることもある。 もうちょっとだけ穿った見方をしてみると、これって、連載開始の10年前に比べて、「結婚しない女性」が圧倒的に増えたという時代の変化を写した結果であるのかも。 ……でも、現実に私の周りに限って見渡してみた場合、どっちかっつーと、ポコポコ結婚してヤンママってケースのほうが多いんだが。 こういう4コマ、
マンガ、柴田昌弘『斎女(ときめ)伝説 クラダルマ』1・2巻(少年画報社文庫・620円) 『ブルー・ソネット』のころは結構ハマって読んでいたのだけれど(何しろ企画モノLPまで買ってた)、主要キャラをあまり必然性もなく軽く殺していく作風が何となくイヤになって、柴田さんの作品、しばらく読んでいなかった。 和田慎二と同じで「解説的セリフが不自然」という欠点もあったし。 けれど、文庫になったのを機会に初めて読んでみたのだが、設定やストーリーに破綻は多いけれど、マンガの持つエネルギーというかパワーはやはりたいしたものだと言える。 性のパワーを使い、日本の歴史を影から支えていた「斎女」の一族、それに敵対し、世界を征服しようとするシャクティ教団。 作者自身、「あの宗教団体とは一切関係ございません」と断っているが、偶然とは言え、結構あの事件と似ちゃったのがこの作品の不幸だったのかも。 けれどちゃんとマンガとしての節度は守っていると思う。なんたって、ヒロインの由麻はそういう性のパワーが横溢する中にあって、汚れなき乙女でありえているのだから。 ……でもやっぱり、意味なくキャラが死んでいくんだよなあ。 好きな女を助けに来て、逆にシャクティ教団に獣人に改造され、無駄死にどころか足手まといになって殺される太刀掛なんてキャラを見てると、この作者、もともと自分の作ったキャラに愛着持てないタイプなんじゃないかって気さえしてくるぞ。 そういう展開は和田慎二だけにまかしとけばいいのに。
CSファミリー劇場、『チャンピオン太』第1話『死神酋長』。 昨年、『オタクアミーゴス』でアントニオ猪木の登場シーンを中心に見ていたのだが、改めて全編を見ると、脚本のいい加減さがよく解る。 なにしろ、出だしからして物語のセオリーってものを全く踏んでいない。 来日する死神酋長(猪木)、プロモーターは「あの憎い力動をやっつけちゃってくださいよ」なんて言ってるが、何が理由でそんなに力道山を憎んでるのか一切の説明がない。 肝心の主役、太と力道山の出会いのシーンも全くない。いきなり、力道山のジムに太はいるのである。 酋長を呼んだプロモーター、なぜか孤児院の権利も狙っていて、イヤガラセをするのだが、そこへ偶然通りかかった太にコテンパンにやられる。 その孤児院にはルリ子さんという可愛い少女(タイガーマスクと同じやん)がいるのだが、せっかく助けてもらったのに、「乱暴する人嫌いよ!」と太は嫌われてしまう。 ……コラ、女、助けてもらえなかったらオマエが危なかったんだろうが。 プロモーター、復讐のために、いきなり「暴れ牛」をけしかける(ツクリじゃないぞ、本当だ)。 この牛が私には可愛い雌牛にしか見えないのだが、太はこの牛を投げ飛ばし殺してしまう。ああ、哀れ(このワザがノックアウトQであることが説明される)。 ……これ、やっぱりマス・オーヤマの話を元にしてるんだろうけど、江戸時代じゃあるまいし、現代日本で「暴れ牛」はないだろう、「牛」はよ。 あまりに無理がありすぎるが、設定を変えられなかったのは原作の梶原一騎の意向なのか? 更に腹が立つのが、ルリ子さんの態度。先ほどとは一転して、「ありがとう太さん!」。……オイ、コラ、このアマ、牛なら殺してもいいんかい。 この後、試合があって酋長は力道山に敗れるが(おいおい、酋長のモヒカンのカツラが脱げてるがな)、ジムに復讐のために殴りこみにきた酋長、太のノックアウトQに破れる。この時、酋長、というか猪木の顔に「牛」がオーバーラップするのが大笑い。 ……なんだか書いてるだけでバカな話、としか思えないが、これ、CSで全部ちゃんと放映する気だろうか。 ちなみに、力道山の声は、塩見竜介氏がアテレコしておりました。
『水戸黄門』最終回、市川崑のオープニングを見て、しげ、ウケている。見事なくらい、音楽に合ってないのだもの。 最終回ということで、藤井紋太夫が死ぬのだが、史実と違って、なんと黄門に切られずに、切腹してしまう。黄門を殺人者にはしたくない、という配慮かもしれないが、こういうのを姑息な手というのだ。 改めて史実を知った者には、「黄門って、本当はただの人殺しだったんだ」と逆に悪い印象を与えてしまうだけじゃん。
WOWOW、急遽、相米慎二監督の追悼特集で『ションベンライダー』をオンエアー。 なんだか二十年振りくらいに見たが、やっぱり全然つまらない。 いじめっ子が誘拐されたからって、そいつを助ける主人公たちの気持ちが画面から伝わってこないのだ。 ……アップの使い方も知らないドシロウトなのか? なぜ押井守はこんなクズ映画にコンプレックス抱いちゃったかなあ。謎だなあ。
『ドリフ大爆笑』などを漫然と見ながら寝る。 もう意識が混濁していたので、内容はあまり覚えていないが、長山洋子、伊藤智恵理、松本伊代、といったアイドルの歌、全然知ってるものがない、ということはかろうじて覚えている。 ……「オチメアイドルの墓場」と言われてたのも納得するような。
2000年09月17日(日) クウガと絶叫としゃぶしゃぶと/『少年探偵虹北恭助の冒険』(はやみねかおる)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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