浅間日記

2010年10月29日(金) My Favorite Things

本日も寒い。

太陽は幾層にも重なった雲の上にあって、
日差しは慰め程度にしか届かない。

ストーブを引っ張り出して、点火する。
今晩はこの上で、暖かい蕪のスープを作ろうと決心する。

分厚い羽毛布団を風にあてながら、
今年は新しく暖かそうな色のカバーをつけようかなと思う。

去年手に入れて具合がよかったブーツを念入りに磨き、
これに合うコートはどれだったっけ、と記憶をたどる。

子ども達の冬服を箱から出して箪笥に納める。
ああそういえばこんな可愛らしいのがあったなと懐かしく広げてみる。



湯気があがる風呂に薬草を入れて、身体を芯から温めよう。
夕暮れから灯をともして、暖かい部屋で過ごそう。
図書館や音楽ホールにいるようにして、後回しにしていた楽しみに没頭しよう。



暑さの波を我慢するのに比べて、
寒さをやり過ごすのは、巣篭もりのような楽しさを見つけることができる。

これから迎える長く厳しい冬の現実に向き合う前に、
ちょっとだけ「暖をとる懐かしさ」に現を抜かしていられる。

いずれにしても、暑さ寒さの変わり目は、
自分に無理な負荷をかけないで過ごすのが大切だ。

2007年10月29日(月) どんぐりと山ねこと私
2005年10月29日(土) 宗教的ドーピング
2004年10月29日(金) 陛下万歳



2010年10月28日(木) 男はオオカミと説く男

冷え込む朝。
白い息で手をさすりながら、新聞に目を通す。



今年1〜9月の長野県での強姦や強制わいせつなど性犯罪の被害件数のうち女子高校生が被害に遭ったケースが61.8%を占めることを受けて、県警子ども・女性安全対策室の担当者が長野高専(長野市)の学生と女性職員に安全対策などを指導。「下校中、イヤホンで音楽を聞いたり携帯電話の画面を見ていて夢中にならないように」「家に入る際は後ろから襲われないよう、靴を脱ぐ前に玄関の鍵をかける」などと護身のポイントを教えた。と言うニュース。



制服を着たおじさんが、女子高校生に講義している写真がついている。
背後のホワイトボードに、何か書いたりしている。



男女が等しく社会参加することに、私は前向きな方である。
男か女かよりも、その資質を重視したいと、常々おもっている。

だけれども、男に強姦されないように、と女衆に説くのが男であるのは−件の熱心な担当男性には申し訳ないが−、どうもそぐわない感じがする。



異性に対する時、人は誰でも-極めて物理的かつ生理的に-性的関係のポテンシャルをもつ。それ自体は素晴らしいことだ。生殖能力が衰えた老人だって例外ではない。

今の日本の性犯罪は、異性間であることがたいていである。
女は男に、男は女に用心するのが、犯罪防止の心構えである。

だから、性犯罪を減らそうと誠心誠意職務にあたる担当者ですら、異性である以上その大前提にのっかってしまい、リスクのポテンシャルが垣間見えてしまう。

私が件の記事と写真に「そぐわない」と感じたのはそうした理由からである。



社会的立場や職務上の使命感など、性という本質の前では吹けば飛ぶようなものだ。
実際、社会的立場や権力のある男性が性的暴力にはしるケースも多い。

そうだから、男に用心しろ−乃至は女に気をつけろ−と注意を喚起するのは、
同性間のメッセージか、肉親や恋人など、よほど親密な関係の異性であるのが、正しいし効果的だ。

何よりも、男性からの性犯罪から身を守る学習会において、女性は男性を排除する権利がある。

それは弱者のプライドであり、また一方で、男性に対するたしなみ的な部分もある。

2005年10月28日(金) 
2004年10月28日(木) 生死への共感



2010年10月27日(水) 冷えに関する初動体勢

急な冷え込み。
厚手のダウンジャケット、厚手の靴下、首にマフラー。

ちょっと大げさなんじゃないの?とH。

そうではない。
寒さのインパクトがあった時にすぐ対応することが、
この後の寒さに早く身体を慣らすために、とても大切なんである。

ここでの暮らしも、もう10年になろうとしている。
その10年分ぐらいは、知恵がついたかもしれない。

2004年10月27日(水) PTSDメーカー



2010年10月26日(火) ハンガリー製のアルミ鍋

ハンガリー西部にあるアルミナ(アルミニウムの原料)工場の大型貯水池の堤防が決壊し、有毒泥土が流出した事故で、地元当局は8日、死者が7人になったと発表した。一方で政府は、ドナウ川の生態系や環境への悪影響は広がらないとの見方を示した。貯水池は首都ブダペストの西方約160キロ。近くのデベチェル付近などで被害が大きく、住民ら150人以上が病院に運ばれた。流出泥土にのみ込まれたり、有害物質に触れたことによるやけどなどが死傷の原因という。というニュース。



高アルカリの汚泥に飲み込まれて死んでいった地域住民を気の毒に思う。

この辺りでも、田んぼのすぐ上に精密機械工場や電子部品工場などがある風景はもはやなじみのものであるし、山の方へ行くと立派な道路と工場が軒を連ねる一角があったりする。大きなトラックが日がな製品を積み込んで高速道路に乗り込んで行く。

農業が行き詰った地方自治体が工場誘致という施策を打ち出してもう随分になる。各地で競争が激化する中で差別化を狙ったのか、環境規制が妙に甘い自治体もある。

首都圏の人々が地方に抱く自然のイメージ-それは広告代理店が一部を強調して拵えたものである-とは裏腹に、
地方は、確実に都市の大消費のためのバックヤードと化している。
そこらじゅう工場と最終処分場だらけなのである。



環境汚染は、地域のポテンシャルを根こそぎ奪う。
資産価値を減らし、莫大な浄化費用を生じさせる。
何よりも、美しい郷土の自然や景観は、二度と手に入らない。
そんなリスクに対して、誘致する自治体はまったく無防備であるようにみえる。

また同時に、化学製品が身近になった程には、私達は化学工場のリスクや製造負荷を知らない。

精錬の過程で生じる各種の反応、それが制御されなかった場合に爆発や火災が起きるかもしれないこと、目的となる物質だけを取り出した後に大量の残滓が発生し、それらは既にそのまま自然界に戻すことはできないということ、化学反応のために大量の電力や水を使用すること、などについて、ほとんどイメージをもたない。

アルミ鍋の一つでも家にあるのなら、
私達はこうした事故と無縁ではないのである。

2007年10月26日(金) 賞与その2
2006年10月26日(木) 世界の重ね方
2004年10月26日(火) 被災



2010年10月25日(月) 病と犯罪

病気と犯罪は似ている。
いずれも、人間が定義して成り立つ。

誰もそれを定義しなかったら、どうなるだろうか。
そのことについて、作家の田口ランディが書いていたエピソードを思い出す。

彼女が、放射能で汚染された村に残る老人を訪ねた時の話である。
明らかに放射能によるものと思われる、老婆の背中にできた気味の悪い腫瘍へ、ランディさんは土産に持参した湿布薬を貼ってあるくのである。

村の老婆達は、放射能汚染の何たるかや、我が身が受けた被災の詳細を知らない。
おそらくは入院して治療が必要な病気であるはずだが、
自覚するのはただ、腰が痛くてつらいということだけだ。

それ以外は、汚染された村で粛々と、子どもの頃から送ってきたのと同じ、
春夏秋冬のそれぞれの暮らしを不都合を抱えながらも続けている。
おそらくは放射能が原因で寿命を迎えるだろうが、それは老婆達にとって天寿なのである。

病気とは何だろうと、そこで彼女は考えるのである。



病気も犯罪も、社会から自覚させられる。

また、世の中の成り行き上、病気や犯罪を積極的に定義する立場というのが生じる。

自分ではまったくそう思っていないことについて、ある日突然、
あなたは病気であるとか、あなたのしたことは犯罪だと言われる可能性がある。

そこまで極端なことは、まずそうそう在りえないとすると、
何が作用して、そうならないようバランスをとっているのだろう。

2007年10月25日(木) 無音のシンフォニー
2006年10月25日(水) 
2005年10月25日(火) 



2010年10月17日(日) 救出劇と国家

数日前のこと。
チリ北部コピアポ郊外の鉱山落盤事故で閉じ込められた33人が全員無事救出のニュース。

テレビがないので、様子がよくわからない。
Aにせかされるようにしてネットで調べた。
フェニックスは意外と素朴な装置のように見えた。



世界中の耳目を集めたこの事故は、国家の一大事として取り組まれた。
そのことが、映像からよくわかる。

張り巡らされた国旗。ピニェラ大統領の陣頭指揮。
助け出された作業員やその家族の、国家を称える賛辞。



ここで私は、もう一つの救出劇を思い出す。
偶然にも同じ南米であるが、96年の在ペルー日本大使公邸占拠事件である。

救出までが長丁場であったこと、土壇場が全世界に放映されたこと、
そして映像の前面に、一国の大統領がリーダーとして象徴的に現れたことが、
今回と共通する点である。

どちらの大統領も、救出劇を通して国の威信を全世界に示した。
ただし、その示したものは大きく異なる。

フジモリ大統領の防弾チョッキ姿は、国民を威嚇し統制する姿であり、
ピニェラ大統領のヘルメット姿は、国民へ心を合わせるよう励ます姿だった。

チリも長い間軍事政権の続いた国である。
チリがペルーよりも民主的であるとか安定しているということが言いたいわけではない。

ただ、国家的災難というものは−国家の威信をかけて解決したとしても−、
その種類によって後に残すものが大きく違う、ということを思うのである。

およそどんな大義名分であれ、人間が集団となって殺戮を行う行為は、
「信じあい助け合って生きたい」という−私はそれは、人が社会を形成する基本的な理由だと思うのだけれど−感情をすり減らすのである。

2005年10月17日(月) 参拝される日
2004年10月17日(日) 



2010年10月16日(土)

明日は運動会だから寝坊できない、という昨晩、
耳元でHが「スンマセン」と言った。

いつもの、情けない笑いの混じった調子で。

ああこれは何かあるなと思っていたら、カトマンズのKさんから電話。
腹痛で下山するそうである。

腹痛で下山。
そんな悠長な状況じゃないだろうと思っている。
わざわざKさんが電話するぐらいだし、
何しろ、スンマセンと言っているのだから。


2008年10月16日(木) 水際でくい止めるものは
2006年10月16日(月) 通うな危険
2005年10月16日(日) 真夜中の引力
2004年10月16日(土) 前腕部怪奇譚



2010年10月11日(月)

まだ暗いうちから、山の家へ。

ひと月ほどほったらかした畑で、さみしそうにトマトがなっている。
盆過ぎにまいた大根は、なかなか素晴らしいできである。

棗の実はまだ青くて、採るのは再来週ぐらいになりそうだ。

ストーブ用の薪を割るのを、縁側からAと小さいYがふたりで見物。
Yは、大人になったら自分もやるんだと、棒をふりまわして真似をしている。

にぎやかであってもそうでなくても、もうここはかけがえのない場所。

2007年10月11日(木) 後出しじゃんけん法
2006年10月11日(水) インドへ回覧板をまわしに行った男
2004年10月11日(月) 動物の悲哀



2010年10月09日(土) マーケットの小ささを評価する

昨日の続き。
件の映画館の化粧室で、ピカピカの鏡を見ながら考えた。

どうして、この行き届いたサービスの施設ではだめなのか。
それは多分、母数の問題であると結論づけた。

一つの商売において、お客の数が10人であれば、上得意である。
ビジネスであれ、立派な人間同士のかかわりあいが成り立つ。

それが100人、1000人、一万人と増えれば増えるほど、縮尺は大きくなり、
客ひとりの存在は点のように小さくなっていく。

商取引はエクセレントで最新式なシステムに飲み込まれ、
私達はそれに流されていかざるを得ない。

何千人、何万人という顧客を扱うサービス業においてはもはや、
供給する側もされる側も「人間に対するサービスのやりとり」という意識がなくなっていく。

挙句、本棚を見ながら「いらっしゃいませこんにちは」という古本屋ができたりするんである。

そんなものにばかり囲まれていると、いつの間にか自分自身ですら、
1:1のスケールで自分の存在を認めることができなくなってしまう。

私はそのことが恐ろしいのである。


巨大な資本は、フードチェーンを展開し、総合アミューズメントを成功させ、宿泊業界に乗り出し、エクセレントで最新式なサービスシステムを私達に提供するだろう。

これに対して地域のささやかな商売というのは、まったく歯がたたない。
店の主は愛想が良いとは限らないし、時々品切れも起こす。
何より、そんなに沢山の客をさばけない。
ものすごい「大ハズレ」の店だってあるだろう。

それでも私は、自分の縮尺を狂わせないために、
清濁あわせのむつもりで、こちらを選ぶだろう。

マーケットの小ささを評価する。
この結論は、私には結構便利だ。

2007年10月09日(火) 私はあなたと親しくしたい
2006年10月09日(月) 徒労
2005年10月09日(日) 貧困救済の役割分担



2010年10月08日(金) シネマ失楽園

休校になったAと映画を観に行く。

この数年間で街中の映画館は全て閉館になってしまったので、
国道沿いのシネマコンプレックスまで行かなければならない。

シネマコンプレックスという施設へ行くのは初めてだ。
新聞の情報欄を見ると、なんと8本もの封切映画が上映されている。
大したもんだと感心する。



商業施設が集積する一角のダダ広い駐車場に車をとめて、館内に入る。
席はすべて指定、飲食物の外部持ち込み禁止という趣旨をインプットさせられる。

よくできたテーマパークみたいなシステムになっていているらしい。
スタッフはパリッとしたポロシャツの制服を着て、お揃いの帽子をかぶっている。

客はみな、流れ作業のようにしてチケットとコーラとポップコーンを買い、時間になると小部屋へ収容されていく。



映画はよかったけど、お母さんどうもこの施設がだめだな。とAに囁く。
Aも神妙な顔をして、確かに貴方はそう思うだろうね、という風にうなづく。

そういうわけで我々は、−味わいのない施設のせいで映画の余韻を損なわないように−、感想を交わす会話に集中し、ポップコーン臭いエントランスホールを足早に抜けて、雨の駐車場へ向かった。



2007年10月08日(月) 
2004年10月08日(金) コースか単品か



2010年10月04日(月) 命がけのための命

Hを見送りに成田空港へ。

その様子については過去の日記に同じ、というところで、特に面白味もない。
しばらくお別れであるが、ウエットな感慨もない。


今回の次の遠征プランまで腹の中に隠し持っている男の見送りなど、そんなものである。ここまでくればもう達観した。

気をつけないと、死んだらもう登れないよ。狙っていたあそこはJ君が登っちゃうかなあ、とでも言うのが−腹立たしいことに−、彼らの帰還意識に最も作用するのである。

YとAは長時間移動でへとへとになって、帰宅。

2007年10月04日(木) オイディプスかキング・アーサーか
2006年10月04日(水) 生産性と専門性
2004年10月04日(月) ますらおぶり



2010年10月02日(土) 不可逆的な生命現象の進行

Yはもう二歳の誕生日もずいぶん過ぎたというのに、乳離れしない。
いやむしろ、執着は増すばかりである。

今日のちょっとした酒宴では、ひとつ年下のIちゃんがとっくに乳離れしたのに比べられて、複雑な表情をしていた。



老いと同じように、成長もまた不可逆的な生命現象の進行なのである。

それは、何か安定した状態を否応なしに離れざるを得ない、生きているが故の試練と言える。

考えてみれば、母の暖かい胎内を離れ身二つになること、呼吸を始めること、乳を糧として求めること、そのうち歯などが生えてきて食物を摂取し本格的な消化活動が始まること、いずれも面倒な変化であり、生を継続するからには受け入れざるを得ない厳しい現実である。

成長というのは、考えようによっては、かように苦しい。
できることなら次のステージにいかずこのままでいたいと思うのは当然なのである。

つまり、乳離れしなければいけない子どもの執着は、日ごとに云うことをきかなくなる身体や頭脳を抱える老人の執着と同じなのである。

そうだから、そのような時はやさしく寄り添い、大丈夫、それは自然なことできっと受け入れることができる変化だと安心させるのが、本人には嬉しいのではないかと推察する。

2009年10月02日(金) 亀に願いを
2005年10月02日(日) 大貧民ワールドカップの行方
2004年10月02日(土) アート



2010年10月01日(金)

小さいYを連れて上京。実家へあずけて、ひとり都内某所の会議へ。

半年ぶりに会うSさんは、少し痩せたかというのが第一印象。

会議の終盤で突然、僕は癌になったんだよと事も無げに言われた。
まだ放射線治療を続けているという。

胸が張り裂けそうな驚きと心配を表に出すまいと、精一杯頑張った。

Sさんは東京大空襲では親兄弟、財産をすべて失い、ご自身も生死の境をさまよった方である。
その過去を語る時がそうであるように、現在直面している大病を語る今も、
同じように、悲惨さや苦しみを表に出さない。

しかしそれだけに、−彼を父のように慕う身としては−心配でならないのである。
不義理せずに月に一度ぐらいは連絡しようと思う。

2006年10月01日(日) 美しさに関する苦言
2005年10月01日(土) 狂気のオクトーバー・フェスタ


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