浅間日記

2010年09月20日(月)

Sさんの家へ稲刈りの手伝いへ。
今年二年目の田んぼは、昨年より少々収量が下がったとのことだが、
6人家族が一年食べる分には十分足りるそうだ。

刈る、束ねる、畦に積み上げるの作業を分担して行う。
稲刈り用の鎌はギザギザしているから、稲はザクザクと心地よい感触で、
まるで子どもの散髪でもするみたいに、軽快に刈り取れる。

一抱えぐらいに束にして、湿らした稲藁でグルグルと結っていく。



ちょろちょろ遊びまわる子ども達が、畦に積んだ稲の穂を踏みつける。

これはお米でみんなのご飯になるのだから、足で踏んだりしたらいけないよ、と注意する。


もっとも、田んぼも稲束も知らない、農産物の生産現場から遠く離れて育った自分が、
そんなことを子どもに諭しているのだから、なんだか滑稽なのだけれど。


2009年09月20日(日) 稲刈り
2007年09月20日(木) 経験と真実
2006年09月20日(水) 任侠の話
2005年09月20日(火) 
2004年09月20日(月) 山からの不労所得



2010年09月11日(土)

Oさんの家へ行く。
彼の家で遠征のパッキングをするのは二度目で、家族皆で押しかけた。

例によって、装備や食糧や、何かよくわからないがとにかく登攀に必要になる備品消耗品類が、部屋いっぱいに店をひろげる。

Aは山の行動食に興味津々で、これはどんな味とHにきいている。
もう今回は試食はなしだよ!とHが釘をさす。小さいYは新品のロープを引っ張りまわしている。

本当にHが遠征に出掛けるまで、もうあとわずかだ。
さてどうやって約45日を乗り切ろう。仕事もはいりそうだ。

最近はどこで何をしていても、そのことが頭から離れない。

あの人達は温泉かハワイにでも行くような顔をしているけれど、
額面どおり45日で日常が帰ってくるとは限らないのだ。

そのことも折込んだ上で、こちらも頭と心の準備をしている。

2009年09月11日(金) その神様の管轄は
2007年09月11日(火) 馬謖を斬れ
2006年09月11日(月) 他動詞との戦い
2005年09月11日(日) 生は希望
2004年09月11日(土) 死と悲嘆の必要性



2010年09月10日(金)

新幹線を乗り継いで、ギコギコと大急ぎで帰宅。
休む間もなく湖畔のレストランへ家族で移動。

Hがクライミング関係で日頃色々とお世話になっているTさんが、
遠征前に食事会を開いてくれた。
ゲストは我々の他に、同じくクライマーのS君一家。

こうした交流の機会をなぜ設けてくれたのかわからないけれど、
楽しく、有難い時間を過ごす。

2008年09月10日(水) 死んで何が悪い
2007年09月10日(月) 
2006年09月10日(日) 
2004年09月10日(金) 雑踏行進



2010年09月09日(木)

関東平野の、焼き物の街で仕事。

人間同士の関わりの中で身につけたものではなく、
頭で覚えたコミュニケーションというのは、どこか不自然だ。

ビジネススキルだとか、モテるとか、
自分が良く評価される目的で覚えたものは、特にそうである。

その不自然さが、あざとさの見え透く感じになるか、微笑ましい人間くささになるかは、相手と自分の相性になるのだが、今回は後者であった。

2009年09月09日(水) 
2006年09月09日(土) 
2004年09月09日(木) ペンは剣



2010年09月06日(月) 最高気温馬鹿

県内の最高気温が更新された。
確かに今年は暑さが厳しい。

けれども、事実がそうだからといって、毎朝の天気予報を容認するわけではない。

いったいどうして気象予報士というのは、警戒とか危機を吹聴するのがあんなに好きなのだろう。

毎日毎日脅しか呪いのように「この暑さ今後二週間はずっと続きます」「真夏並みの最高気温です」などと言われ、辟易している。

この人達は来月にはきっと、寒さと乾燥、火事とインフルエンザに衣替えするつもりなのだろう。



天気予報の内訳には、市民が暑さ寒さでバテたり風邪を引くことが織り込まれている。
この、ある天気における人の-不幸な-心境や体調まで予報しようとする、全くおせっかいな部分が、私が天気予報を嫌いな所以なのだ。



考えてもみるべきだ。
万物は変化している。太陽は公転している。

二週間もの-長い-間、太陽の傾きの変化を受けて、気象が何も変化しないわけがない。

朝晩の空気の違い、最高気温が継続する時間、朝日や夕焼けの時間は、
少しずつ確実に変化している。
それにあわせて人の心も秋へ向かってグラデーションを描いている。

どんなに最高気温が上がったとしても、もうそれは「真夏のような暑さ」ではないのだ。
株価ではあるまいし、最高気温の数値だけで何かを判断しても、それは有用性の低い断片にすぎない。



そうした訳で、いつの間にか黄金色に輝いている稲穂の波を道端に眺めながら、
ほれみろ、と一人でくさっている。

2005年09月06日(火) 
2004年09月06日(月) スポーツマンのスーツ



2010年09月02日(木) 亡霊と喜劇

少し前の話。

大阪府天王寺区で、江戸時代末期の安政4年(1857)生まれで、生きていれば152歳の男性戸籍が見つかった、というニュース。

所在不明高齢者は、その後も全国各地で次々と発見されている。
実は日本は高齢化社会じゃないのかもよ、とHに冗談を言う。



江戸末期の元号が、なんだか急に身近に感じられる。
歴史というガラスケースから飛び出した、生々しい時間の連続性を感じてしまう。江戸時代は市役所戸籍課にある。

ということで安政から先を調べてみた。

安政(1854〜60)
萬延(1860〜61)
文久(1861〜64)
元治(1864〜65)
慶応(1865〜68)

練馬区で確認された慶応生まれのおばあちゃんは−果たしておばあちゃんまで生きたのかもわからないが−、天王寺のおじいちゃん−同左−よりも7才年下だ。



私たちの社会には、安政生まれや慶応生まれがその構成メンバーに入っている。
死者達は人口統計に組み込まれ、亡霊のように社会システムにとどまった。
偉い学者や金勘定をする商売人や政治家は、そうした亡霊付きのデータに基づいて様々な将来予測をし、戦略を立て、政策を展開してきた。市民は偉い人がそう言うのだからそうだろうと諒解した。


とても痛快だ。
シェークスピアの喜劇に勝るとも劣らない脚本がかけそうである。

何もかもが分かったような、生意気でえばっているこの現代社会で、
一皮向けば大したことのない−サブプライムローンみたいに−肝心の土台がいいかげんなものというのは、実は世界にうじゃうじゃしている。
それは、システムの管理精度が上がればあがるほど、わきまえなければいけない事柄の一つなのだ。

それに、人の命の灯という自然現象は、国のシステムがどんなに管理精度を上げても完璧には管理できない。

そのことは、私にとって救いであり、希望だ。

2004年09月02日(木) 根気よく人を説教する話


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