浅間日記

2010年11月26日(金) 収容

昨日より上京。
みじめになるようなビジネスホテルにいる。

寝具の交換は三日おき、風呂の湯は浴槽につけられた印で体重に応じたラインまで。

「エコロジーに協力を」という大義名分を差し引くと、軍隊生活みたいである。

机の上には、ホテルオーナーの思想信条の普及を目的にした冊子がおいてある。-ホテルの部屋に置かれている本といえば、聖書ぐらいのものだと思っていたが-

写真では、派手に着飾ったオーナー夫妻がワインの会を楽しんでいる。
「エコロジーに協力を」というのはやはり大義名分である。

ここはきっと独立政権の軍隊施設か何かなのだろう。
間違って入り込んでしまったようだ。

2007年11月26日(月) 幸福な食卓
2006年11月26日(日) 食う飲むところに住むところ
2005年11月26日(土) 世代間男女交代論
2004年11月26日(金) 文芸の話



2010年11月22日(月) 刺激的なレビュー

仕事が山積みになっている。時間はない。
自営業は、例えて言えば一人で何種類もの楽器を演奏する大道芸のようなもので、
それは総務部にまわしてくれ!と叫んでも、己に帰ってくるばかりだ。

四方八方から矢の催促を受けて、満身創痍である。



あたふたどたばたしている傍らで、Hが手にしている本のタイトルをつぶやく。

「最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか」



件の本は、スペースシャトル・チャレンジャー爆発墜落事故、エールフランスのコンコルド墜落事故、スリーマイルアイランド原発事故、チェルノブイリ原発事故、インド・ボパール殺虫剤工場の毒ガス漏出事故など、絵札級の事故をとりあげて、どちらかというと直接の原因ではなく、背景となった部分に焦点をあてている。

セキュリティの精度があがっても、システムが構築されていても事故は起きる。

そして、様々な要因のなかで、人間だけが普遍的に過失をおかすのである。
テクノロジーが進化した現代社会において、改めてその事実を突きつけられる。

私達はこの「自らが生み出したもの-テクノロジー-よりも劣る部分」を、
どうにかして受け止め許容していかなければ、人間として生きていかれない。



そのようなブックレビューをしている場合ではない。
ああこんなことこそが、まさに、最悪の事故が起こるまで「私がしていること」なのだ。

だらだらとさぼらずに、さっさと仕事をしなければ。

2006年11月22日(水) analyzeエンピツ日記
2005年11月22日(火) 
2004年11月22日(月) 



2010年11月20日(土)

Hは山へ行かず、私も仕事に追われない休日。
街へショッピングと洒落込んだ。

今日本日は、私にとっては重大な目的がある。
服を買わねばならない。

服を買うのが楽しいという人の気持ちが、私には全く理解できない。

ずらりとハンガーに並んだ既製品を目の前にすると、それらが製造されている大工場とか流通倉庫なんかが頭に浮かんできてしまい、げんなりするのである。
さらに、人がざわめくフロアで試着などという行為に及ぶことも、すごく嫌だ。




しかしこの冬の前に、いよいよ駄目になった服を大量に処分したから、
何とか衣服を手に入れねばならぬ。

Aが、私にまかせてといって、あれこれ見繕ってくれるので、
言われるがままにかごに入れて、サイズの確認が必要なものも、
えいやっと適当に見当をつけて、レジを通す。


2007年11月20日(火) 転機か行き詰まりか
2006年11月20日(月) 
2005年11月20日(日) 他人の仕事
2004年11月20日(土) 不安な気持ちはどう表すか



2010年11月17日(水) 経済焼け野原

上京。都内某所で週末まで研修。
電車に乗ったり、人波にもまれて横断歩道を渡ったり、
夜もまぶしいぐらいの繁華街をウロウロすることが、どこか楽しい。

田舎は田舎の賑やかしさが本当はあるのだが、昨今の地方都市は悲惨である。
駅前の業務ビルは空き室だらけである。
昔ながらの住宅地は廃屋と駐車場になっている。
路線バスも次々に見かけなくなり、タクシー乗り場でさえ姿を消している。

要するにこれは、焼け野原だ。
あまりにも急激で強い経済的なインパクトを吸収することができずに、
地方はあっという間に燃えあがり、そして全てを失った。

あるジャーナリストが、現代の国際社会は金融・経済戦争の形をとって世界大戦をしていると言っていた、そのことを思い出す。

爆弾を落とさなくても、テロが発生しなくても経済の土俵で揺さぶりをかけけることによって、一つの国を駄目にすることができる。人の命だって失われる。

そうした視点でみてゆくと、国内需要の掘り起こしだとか地域活性化だとかの、国内や地域社会のささやかな頑張りは、所詮は竹槍部隊であるような気もしてくる。



2005年11月17日(木) 加水かブレンドか



2010年11月15日(月) 幸福の追求と損失

自分の卵子で出産を望めない女性が卵子の提供を受けて出産するケースが増加し、年間100人以上が誕生しているとみられることがわかった、という、数日前のニュース。



ひと昔前の「試験管ベビー」とよばれた人工授精の子ども達の推移も、
当時同じように報道されていた。

今では、人工授精で生を受けた子どもと言うのは特別な存在ではない。
隣の机にいる。

そんな具合に、提供卵子の子ども達も一般化していくだろう。
間違いないと思う。



あとひと世代経てば、それはめずらしいものではなくなり、
もうひと世代経てば、オーソリティになる。

あとひと世代経てば、それは希少価値をもち、
もうひと世代経てば、消滅するかもしれない。

いずれにしても、物事というのは、何かを獲得すれば何かを失う。
大抵は、当たり前のように存在するもの-親子関係-こそが、代償として損なわれる。

まあいいや、とひとりごつ。
私は私のやるべきことをしたし、所詮、それ以上のことはできないのだ。

2009年11月15日(日) 家族合宿
2008年11月15日(土) もぬけのから
2007年11月15日(木) 成仏について
2006年11月15日(水) 西陽の幻
2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人



2010年11月14日(日)

山の家へ。
棗の実をあきらめきれずに、思い切って出掛けた。

ここへ来ると、Aと小さいYはいつも仲良がいい。
寄り添い支えあう姉と弟、という感じで一緒に遊んでいる。

どうも、二人とも自覚的にそうしている。

棗、里芋、大根、ブロッコリーと収穫をどっさり積んで、
夕方遅くに家に戻る。

2007年11月14日(水) 火に注ぐ油は何バレルか
2005年11月14日(月) 花嫁御寮の理由
2004年11月14日(日) 武装



2010年11月11日(木) 秋の里

晩秋の里山で仕事。

里に近い山は、人の暮らしに便利になるよう、
長い時間をかけてデザインされている。

畑や田や住まいの役に立つもの、食糧になるもの、
そんなものが人手をかけて植えられ、育てられている。

その中の一つに、人の心の慰めになるもの、として植えたものがある。
農家の裏庭や、お社に向かう野道の辻や、川端なんかに植えられている。

娯楽の少ない山里にとって、四季折々の変化は大切なエンターテイメントなのだ。

イタヤカエデ、イロハモミジ、オオモミジ、クヌギにサクラが、
蒼穹を背景に、色とりどりに映えている。
漆黒の太い幹と美しいコントラストを成している。

自分に視覚が備わっていることに、大いなる喜びを感じる。
どんな名画よりも、どんな由緒ある庭園よりも、
私にはこの何気ない、普通の人が丹精して拵えた里の風景が尊い。



早々と落葉を済ませた木々達は、その枝先に冬芽をしっかりと抱き、
冬の向こうにある若葉の季節に向かっている。

あらゆるものが、緩やかに−あるいは目にも留まらぬ速さで−変化している。

2007年11月11日(日) クロックマダムにパイナップルは入るのか
2006年11月11日(土) 誰にもあげない
2005年11月11日(金) 他人の死を引き受ける
2004年11月11日(木) 月と暦



2010年11月03日(水)

昨晩のこと。

夕飯時に近所のFさんが、空の食器や弁当箱と一緒にりんごを沢山もってきてくれた。

開口一番、一昨日は素晴らしい合唱を聴かせてくれてありがとう、とAに一言。

それから、その日の夕方は疲れてダウンしていたから、差し入れはタイムリーで助かった、できれば生姜紅茶は素晴らしく美味しかったから、もう一つ二つもらえるととても嬉しい、と。

AはAで、明日の夕方にテレビを見に行ってもかまわないでしょうか、とかしこまって打診する。



遠慮のない、さりとて決して土足で上がりこむことのない近所づきあいが続いている。

誰とでもこうしたお付き合いが可能なわけではない。
Fさん夫妻のお人柄である。

人生の半ばを過ぎてこうして縁あって出会った人と、
こうして日常を助け合って生きている。

晩秋の夕闇が迫る玄関先で、人と人が一緒に暮らす幸せをかみしめる。

2006年11月03日(金) thin sun
2005年11月03日(木) 出来高ボート
2004年11月03日(水) お家に帰ろう



2010年11月02日(火)

寒空。今月は仕事がタイトだから、憂鬱である。

ネパールから早々に帰国した後のHは、
失った恋を忘れるかのように、日々トレーニングに打ち込んでいる。

山道具の入った荷物を紐解くこともないまま、
1mも高度を稼ぐことのないまま、
予定より半月も早くHは帰ってきた。

目的の場所はあまりにも積雪と雪崩がひどく、
取り付きにすら行かれなかったのだそうである。

そんな事態を予想もしていなかったのが敗因、と語っていた。
登山許可というものが必要なので、じゃあ隣の山を登ろうと簡単にはいかないのである。



Hの遠征登山をもう二十年近く傍観しているけれど、
-言っては可哀想だが-こんなこともめずらしい。

ヒマラヤの魅力的な山々を目の前にして、手付かずで帰ってきたのだから、
それはそれは無念であったと思うのだが、若い時ほどその気持ちを表に出さない。

そうだから、こちらもすっかりそのことを忘れていた。
けれども、Hのことだから、表向きは失敗を笑ってごまかしていたとしても、
無念のマグマがどこかにきっと溜まっている。人知れず、げんこつを握り締めて悔しがっている。

長年の付き合いで、そう思う。

2007年11月02日(金) 
2006年11月02日(木) 因縁と落とし前
2005年11月02日(水) 記憶に残るもの、生きていくもの
2004年11月02日(火) 避難とは何か


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