すっきり晴れない空の下、上野で久しぶりにKちゃんと会う。
動物園をぶらぶら歩きながら、とりとめのない幼馴染の会話をし、 一緒についてきたAにライオンやペンギンを見せてやる。
東京都は、バブル期の前後に、大々的な動物園の改修をやった。 「ズーストック計画」、というのをつくって、 動物園というものを戦前からの珍獣展示場から、 希少動物の種の保存に貢献する施設に生まれ変わらせた。 また園舎も、これまでの飼育場然としたものから、 動物の生態展示にシフトして、トラやゾウやゴリラの園舎などは すっかり作り変えた。
そのせいか、動物園に固有の動物の悲哀が、以前ほど感じられない。 故郷には遠く及ばないにしても、動物達の 生き生きと飲み、喰い、眠る様が観察できるのである。
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近くの質素な観光ホテルでデイユースをとり、 Aが寝入った後で、Kちゃんと本題に入る。
Kちゃんが抱えている深刻な問題についての、 近況を聞く。思いを聞く。
Kちゃんは話しているのではなく思いを吐き出しているのだから、 内容は真実であって真実ではない。意味があって意味がない。 でもとにかく、言葉に出して顕在化させることは大切な作業なのだ。
うんうんと頷きながら、自分の心根を掘るための シャベルやツルハシを差し出す作業は、私は別に嫌いではない。 他ならぬKちゃんのことでもある。
小さかった頃や両親の話を語り合ううちに、私の目の前には、 ジャンパースカートにショートカットヘアの小学生のKちゃんが、 肩を震わせながら小さくさめざめと泣いていて、 私はとてもせつない思いがした。
誰もが皆、違う文脈の中で生きている。過去から未来へ。子どもから大人へ。 でもそれは、一人ぼっちということとは違うはずだ。
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じゃあねといって、早いうちの次の約束をとりつけて、 今日は散会した。
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