浅間日記

2004年10月11日(月) 動物の悲哀

すっきり晴れない空の下、上野で久しぶりにKちゃんと会う。

動物園をぶらぶら歩きながら、とりとめのない幼馴染の会話をし、
一緒についてきたAにライオンやペンギンを見せてやる。

東京都は、バブル期の前後に、大々的な動物園の改修をやった。
「ズーストック計画」、というのをつくって、
動物園というものを戦前からの珍獣展示場から、
希少動物の種の保存に貢献する施設に生まれ変わらせた。
また園舎も、これまでの飼育場然としたものから、
動物の生態展示にシフトして、トラやゾウやゴリラの園舎などは
すっかり作り変えた。

そのせいか、動物園に固有の動物の悲哀が、以前ほど感じられない。
故郷には遠く及ばないにしても、動物達の
生き生きと飲み、喰い、眠る様が観察できるのである。




近くの質素な観光ホテルでデイユースをとり、
Aが寝入った後で、Kちゃんと本題に入る。

Kちゃんが抱えている深刻な問題についての、
近況を聞く。思いを聞く。

Kちゃんは話しているのではなく思いを吐き出しているのだから、
内容は真実であって真実ではない。意味があって意味がない。
でもとにかく、言葉に出して顕在化させることは大切な作業なのだ。

うんうんと頷きながら、自分の心根を掘るための
シャベルやツルハシを差し出す作業は、私は別に嫌いではない。
他ならぬKちゃんのことでもある。

小さかった頃や両親の話を語り合ううちに、私の目の前には、
ジャンパースカートにショートカットヘアの小学生のKちゃんが、
肩を震わせながら小さくさめざめと泣いていて、
私はとてもせつない思いがした。

誰もが皆、違う文脈の中で生きている。過去から未来へ。子どもから大人へ。
でもそれは、一人ぼっちということとは違うはずだ。



じゃあねといって、早いうちの次の約束をとりつけて、
今日は散会した。


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