浅間日記

2007年02月25日(日) 欧風のどじまん

両親が酔狂で始めた合唱の発表会を聴きにいく。

軽い気持ちで引き受けた「参観」は平均年齢65歳の「マタイ受難曲」であり、
それがどういうことかは少し考えればたやすく予測できることなのだが、
愚かな私は、まるでミュンヘン・バッハ合唱団でも聴きにいくつもりで、
音楽ホールへ足を運んだのだった。



始まった直後に、気合いを入れなおす。
鑑賞しようなどと思うまい。

のど自慢を愛せる自分が、これを愛せないはずはない。
ここにしかないものを、観察して見つけ出すのだと言い聞かす。



合唱団を運営しているのはプロの声楽家の人達で、
福音史家など独唱部分はこの人たちが歌っている。

大きなホールで、まがりなりにもマタイ受難曲の独唱ができるというのは、
こうした人達にも結構な喜びなのらしい。

それにしても、70人近い素人の老人達に過度な期待をせず丁寧な指導をし、
公演の段取りをし、当日滞りなく運ぶのだから大変なことである。
さらに−恐ろしいことだが−年に1度は海外公演の手配までやってのける。

家族としてはお世話になっていますという気持ちで独唱を鑑賞する。



かくして終了。

ああまたしてもマタイで受難か、と思いかけたが、
いささかの想像力と情けをもって見れば、実に生々しい様でもあった。

仕事を勤め上げ、子どもを育て上げ、
人生の残りの時間と自覚しながら練習に励んだのだろう。

ユダの裏切りや後悔、人々の罵りを、みな経験の中で歌うだろう。
音楽一筋の人が知らない俗世の辛苦を、腹から声にするのだろう。

そして自分の人生を総括し許すことも、深いところで知るのだろう。

2005年02月25日(金) 嘘からでた病
2004年02月25日(水) マルコおいで



2007年02月22日(木) 春のすきま風

暖かい晴れた午後の昼下がりのこと。

Hは出発前の準備に追われている。
出張と言えどもやることは岩登りだから、
ヒマラヤ行きとあまり変わらないいでたち。

どんな珍道中になるかねとAに話していたら、
寂しくなるからそのことを言わないでくれという。

一週間など不在のうちには入らないし、
行先はヨーロッパですよ、と言ったら、
それでも一人親なんて寂しいじゃないのなどという。

HもHで、なんだか水杯でも交わしたさそうな気配である。

しかしこちらは、余裕のない身である。
ウィークデイの昼間、出張へ行く者と別れを惜しんでいる場合ではなく、
悪いけど、と思いながらPCに向い続けた。

そして晴れた午後の昼下がり、Hはじゃあねと旅立っていった。
しんとした家で一人になって、なんだか寂しいじゃないのと思う。

2004年02月22日(日) 日本海側の話



2007年02月21日(水) 奇妙な加工

海外における日本食レストラン認証制度についてのニュース。
ラジオで、社会学者だという人のコメント。

氏曰く、これは複数ある正しさのうちの一つを強制的に押し付ける不健全な制度である。
新しい文化が生み出されるのを阻害しているし、日本人以外によって日本食が扱われるのを認めない姿勢が見え隠れする。



自国の人間以外に対して文化の門戸を広げるのは、
多分日本以外どこの国でも困難だろう。

でもまあ、複数ある正しさのうち一つしか認めない姿勢というくだりは、
うまいこと言うなと感心した。

ちなみにこの認証制度は欧米で不評極まりなく、
「sushi police」と揶揄されているのだそうである。



この国は、島の外からやってきた文化にさんざん変てこな加工をして、
自国の文化を創ってきたんである。
それがひとたび輸出となるや、けちな姿勢に転じるのは、貧しい感じがする。

イタリア料理店でパスタに明太子を入れるなとイタリア人は怒るだろうか。

中華料理店で中華丼を出すのをやめろと中国人は言うだろうか。

ステーキハウスでステーキに大根おろしをつけたら、アメリカ人に訴えられるだろうか。



日本での「奇妙な加工」は、あげたらきりがない。
この漢字かなまじり文だって、中国の人からみたらものすごく変だと思う。
そして私は、だからといって寛容な世界各国にお許しいただいているという意識も別にない。

そうだから、いいではないか。
懐石料理に納豆が供されても、スシにアボガドがのっていても、
その他一切の想像を超えたアレンジがなされて「日本食」とよばれても。

そのうちに「フランス風日本料理」というジャンルができたとしたら、
たぶんそれは素晴らしい、文化の暖簾分けだ。

それに大体こちとら、正統な江戸前握りなどおそらく食べたことがない。

2005年02月21日(月) 博覧会と私
2004年02月21日(土) TO PRAY



2007年02月20日(火) 諍いを起こすキリギリスは

もしかしたら自分は、いわゆる「ワーキングプア」とよばれる状態なのではないかと思いながら、もう何日も夜なべ仕事。

でもわかっている。何もかも因果応報なのだ。



今目の前にある問題というのは、過去の結果でしかありえない。
異次元からふってわいた問題など、ほとんどない。

キリギリスが冬に飢えるのは、夏に働かなかったからだし、
私がワーキングプアだとしたら、ひ弱な自営を続けているからである。
何かかたちのない悪のせいではない。

もちろん、どう考えてもやりきれない不条理があることも知っている。
でもそれさえも、本当は細い因果でつながっている。
そのことを、時にはとてもつらいことだけど、私は認めておきたいと思う。

生きていれば、出来事はすべからく因縁−原因と結果と言い直してもよい−のもとにある。

人生や社会にふりかかる課題というものは、
やたら鼻息を荒くして立ち向かえばよいというものではない。

もちろんそうしたアクションが必要な時だってある。
けれどまずは、どうしてこんなになってしまったのか、
静かに己の過去を紐解く時間が大切だ。


最近はそういう風に考えている。

2006年02月20日(月) 参政権は金で買う
2004年02月20日(金) 春がほどけていく



2007年02月19日(月) honey bee

ある合意形成にまつわる段取りをしなければいけない。

かかえている問題は、夫婦間協議より少し大きく−あくまで社会的広がりにおいてだけれど−、六カ国協議よりはだいぶ小さい。

色々調べてみた。
アメリカでは合意形成プログラムなるものがあるのらしい。
確かに、色々なメソッドを組み合わせていて、なんだかすごそうに見える。

でもなあ、と思う。

もし自分が合意形成を必要とする当事者だとして、
誰かが「このプログラムで合意形成しよう!」と息巻いたとして、
いったい本当に、その人へ自分の利害関係を委ねていいものだろうか。

何でもかんでも明文化するのは、どうも品のある行為と思えない。
日本でいう世話役という役割の方がなんだか洗練されている。

物事はすべてが上手くいくとは限らない。
それに、時間がかかるものは時間をかけなければいけないし、
それは誰にも計れないのだ。

2006年02月19日(日) 踊る阿呆に見る阿呆
2005年02月19日(土) 嘘笑い禁止令
2004年02月19日(木) ファンタジーと生きる その2



2007年02月17日(土)

本日もPC。3台も駆使して自転車操業。
Hはお座敷がかかって、本日無事退院したY君と一緒に東京へ。

来週のHは、Y君とふたりでスコットランドへ出張なんである。

インドとかアラスカしか知らないあの連中が、都内の地下鉄ですらスマートに乗りこなせないHが、
ヨーロッパの都市など行って大丈夫だろうか。

ヒースローで迷子にならないだろうか。
悪い人に騙されないだろうか。
飛行機の中でY君の脳みそに何かあったらどうしよう。

2004年02月17日(火) モチベーション欠乏症



2007年02月16日(金)

寒い朝だが、文句を言うものはないだろう。
ここ数日の異常な暖かさに、散々気味悪い思いをした後だ。

仕事は色々と大詰めを迎えている。
階下のHも、何かの原稿書きに追われている。
黙々とPCに向った午前中を終えて、Hを誘ってランチに出かける。



オムライスにサラダとスープが付かないのは、
飲食店としての良心を問う問題ではないかと、どうでもよい話。

俺はそれよりも、待たされる方が嫌だね、とH。

かくして、待たされない定食屋で、
オムライスではなく日替わり定食を注文し、
さっさと食べて仕事に戻る。

2006年02月16日(木) ベルゲン
2005年02月16日(水) 散歩の必要
2004年02月16日(月) ファンタジーと生きる



2007年02月15日(木) 悪評もされる資格なし

安倍内閣を「支持しない」と回答した人が、
「支持する」と回答した人を上回った、というニュース。


支持するもしないも、安倍内閣というのは、
小泉政権の遺産をこっそり引き継いで、知らん間にそこに居座った、
一度として国民に諮られたことのない内閣なのだ。

支持するか否か問うべき場面を避けて通った、それだけで支持するに値しない。
政策以前の問題である。

だから、森元総理がいくら「尊敬せよ」と号令をかけても、駄目だと思う。
そういえばこの方も、小渕元総理が亡くなった後で、知らん間に後釜におさまっていたのだった。

2006年02月15日(水) 歌があった頃
2005年02月15日(火) 善意の文章、悪意の文章



2007年02月12日(月) リスクが顕在化するとき

中央高速道路を、上り線の混雑を横目にして家に戻る途中のこと。

Hから、今病院にいる、と電話。
覚えのある、残念な気持ちが入り混じった嫌な緊張感におそわれた。

誰が?Y君が。何故?滑落で。状態は?命に別状ないが頭を打って1週間ほど入院。

仔細はともかく、連中は山で遭難したのらしい。

緊張すると人は笑う。そいういう反応で、
そら大変だねご苦労さんと、へらへらした態度で電話を切った。





家族が山で遭難した、という知らせに驚くべき場面は、
それが全く何も知らされていないときだけだ。
家族が登山をするということも、その日に入山していることも。

だから驚きはしないのだが、かといってちっとも歓迎すべきことではない。

Y君が死ななくて本当によかったと思い、
それでも、やってしまったかという残念な気持ちでいる。

この残念で惨めな気持ちは、怪我をしたのが家族である場合には、
さらにどうしようもなく大きくなる。

一切合切、リスクをもつ人を伴侶にするからそんな目に遭うのだと、
どこからともなく亡霊が現れて、蔑むような言葉をなげかける。
そんな危ないことを家族としてよく容認できるね、という、
今まで飽きるほど言われた科白がうかぶ。

そうでなければ私が生きていけないのだから仕方ないではないかと、
力なく反論する。



2007年02月11日(日) 根を張り枝を張るもの

大勢の子ども達とともに賑やかしく、山の家で朝を迎える。
我家の可哀相なモミの木を、ようやく山に戻す日が来た。

クリスマスに山から我家にやってきて歓待されたのはつかの間で、
根鉢がむき出しのまま放置され、年越しや節分に付き合わされていた。

ちゃんと活着することを祈りながら、尾根沿いのよさそうな場所に植える。
クリスマスありがとうと、子ども達に礼を言わせる。


里を見てきたモミの木は、深山の木や獣達に一体何をレポートするだろうか。
台所のカレーの匂いや白熱灯やラジオの音について話すだろうか。
そしてこの先何百年生きるとして、自分の数奇な運命を覚えているだろうか。



2007年02月10日(土) 収束しない話による終息しない法螺

湯船でAと温まっていた時のこと。

もし自分が妹を迎えるようなことがあったら、
お母さんは「女性を産む機械」を使うのか?とAが聞いてきた。

幸いな勘違いである。そして同時に、
私に第一級の法螺話をせよと言う暗示であろう。
もちろん、受けて立つことにした。

女性を産む機械は霞ヶ関、男性を産む機械は虎ノ門と言うところにある。
お役所が管理する大きなビルの地下にあって、貸し出し制である。
借りるときには、書類に名前と住所と、いつ頃産みたいかを書いて、
ヤナギサワという管理人に許可をもらう必要がある。

女性を産む機械は赤い色、男性を産む機械は緑色をしている。
とても大きいので運ぶのが大変だけど、機械の中は柔らかくて、
赤ちゃんが過ごしやすいようになっている。
出てくる時は滑り台みたいにつるんと出てくる。
でも、その時にたいそう大きな音がするから、専用の部屋でしか使えない。

女性を産む機械も男性を産む機械も、200年前にヨーロッパで発明された。
使い方が結構難しいし、灯油とガスと電気をものすごく消費する。
だから最近は自分で産む人が増えてきて、今はあまり使われていない。

こういうのは一旦始まると、どうにも止まらないんである。
Aはいちいち感心して、真剣に話を聴く時の表情になっている。

それからどうするかな、と頭を巡らせていると、
「喋ったりするしね」などとAがトスをあげるから、
「そうそう、マモナクウマレマス 2800グラムデス、とかね」と、
思わず返す。

2006年02月10日(金) 低反発人間の希望
2005年02月10日(木) out of order
2004年02月10日(火) プライベートライアン登山隊



2007年02月09日(金) 自家用人生

この辺りでは、自家用野菜を育てるのは、ごく普通のことなんである。

秋に収穫した大根や白菜やネギは、直ちに漬物となるか、
春野菜の収穫時期までもつように大切にストックされる。

寒さに弱い里芋は幾重にもくるんであたたかいところに置く。
ネギは庭先の土に活けて、コモをかけておく。
白菜は新聞でひとつ一つ丁寧に包む。
ジャガイモは暗い場所に保管しなければならない。

しかし、しょせんは自家用の貯蔵だから、限界がある。
2月半ばともなると在庫品はどれも萎びた感じになってきて、
大根はすが入り、ジャガイモは芽を出し、
白菜はとっくにみずみずしさを失っている。

そして、春間近に口にする冬野菜というのはそういうものだと、
誰ともなしに穏やかな了解が得られている。

いたみの入ったところは取り除き、
味の落ちたものはそれなりの味付けをし、大切に胃袋までもっていく。
どこにも返品しないし、誰にも半額の交渉をしない。
見切りをつけて鮮度のよいものを買い求めたりもしない。

野菜とは、どこかの誰かが手品のように供給してくれるものではなく、
自分が収穫した目の前にあるものが全てだと、そう思うことができるのだ。

2006年02月09日(木) 
2005年02月09日(水) ゲームオーバーなのではない



2007年02月08日(木) トリコロールか、茶色か

フランス大統領選挙まであと二ヶ月ですと、朝のラジオ。
味噌汁を拵えながら耳を傾ける。

フランスの大統領は、アメリカ大統領よりも大きい権限をもつ。
ド・ゴール政権以来、そういうことになっているのらしい。

国民が政治への関心を失っていた2002年の大統領選挙の時の話。

投票率が極めて低い中、極右政党のルペン氏が、
第一回目の投票−投票は二段階で行われるそうだ−を二位で勝ち抜いた。
このことは、フランス国民に大きな衝撃を与えた。
この人物に強力な権限を与えてよいのかどうか、今度こそ真剣に考えた。
そして最後の第二回目の投票の時、ルペン氏は大統領に選ばれなかった。

そういうことがあったのらしい。

そして再びの、大統領選である。
果たしてフランス国民はまだ、当時のベストセラーである
茶色の朝」を覚えているだろうか。

それにしても、歌や物語でもって自由を求める市民意識が一気に覚醒するというのは、
日本人には絶対に真似できない気質のような気がする。
いよいよやばいと自覚した瞬間、直ちに行動に移せることも然り。

心根に訴える方法が有効なのは、個人が自立しているからなのだろうか。
あるいは、意識を喚起するような芸術文化がある、と言うべきだろうか。



よその国の話をしている場合ではない。

7月に行われる、わが国の参議院選挙は、二段階投票などではない。
選挙の結果を知るとき、すべての投票は終わっている。

2006年02月08日(水) 低減の提言
2004年02月08日(日) 



2007年02月07日(水) 最後に誰が笑うのか

なんということだ。

馬鹿騒ぎのおかげで、世の中はすっかり
「女性は子どもを産む機械で、1台あたり平均2人程度生産する」と、
そういうことになってしまっている。小学生だって知っている。

こんなことなら「万物は神が創造した」という、
アメリカ人の持論を輸入したほうがまだましかもしれない。



物議というのは、その起承転結を見極めて取り扱わないと駄目だ。

最終的に、誰が何を得て何を失い、どんな制度ができたのか。
世論の地軸がどう動いたのか。

かくして、
少子化問題は「社会のためにどう産んでもらうか」という議論のタブーを突破し、
不二家は山崎製パンのものになった。

穿ちすぎなのかもしれない。
しかし実際、いま私達が主権者としてウォッチングしなければならないほとんどは、
法律と金の動き、そこのところであると思う。

2006年02月07日(火) 話が通じない話



2007年02月06日(火) 愛と罪と死と恥が同居するところ

うかれた昼間のラジオ番組は、早くもバレンタインデーの話をしている。

DJの「告白」という言葉に駄考のスイッチが入り、
ラジオの話はすっかりどうでもよくなってしまった。


告白には、愛と罪と死と恥が同居する。
本当は隠しておきたい事実や胸中を、特定の誰かへそっと開示する。

もし私が告白をするとしたら、
その相手が自分より優位になることを覚悟しなければならないだろう。
告白の後ではもう、身の処し方を自分で決められないのだ。
清水の舞台から飛び降りたことはないが、多分そういう気持ちで臨むだろう。



いじめられている子どもは、そのことをなかなか言えない。

死に至る病であることを知る家族は、本人にそれを告げられない。

為政者が功罪入り混じった人生を語るのは、全て終わった後である。

あなたが好きだと伝えるのをためらうのは、恐怖心の一種が原因である。


告白の重苦しさを、洒落と笑いに変えて吹き飛ばしてしまう方法も悪くない。
でも、人には真に告白すべきものが−愛や罪や死や恥が−存在して、
そこから逃れられない場合があることも、私は忘れたくない。

そしていつかもし、誰かに告白をされたなら、
それがどんな場合であったとしても、
胸の内を明かしてくれてありがとうと、まずはそう言うだろう。

2005年02月06日(日) 春節後
2004年02月06日(金) 能動ラッシュを浴びる



2007年02月05日(月) 図々しさのプロデュース

ひどい気分で仕事にかかる。いつものことだが。

一人、否、独り仕事がつらいのは、妥協や居直りがやりにくいところだ。
良い意味でも悪い意味でも。

全ての関係者から罵声を浴びるのではないかというプレッシャーが常に背後霊のようにいる。
この亡霊と上手くやっていく方法をここ数年でかなり会得したつもりだが、
今回は仕事のややこしさもあり、めずらしく敵に回し苦労している。

会社というチームに属していた頃の「まあ今日のところは、これで怒られようや」という、
図々しく大胆な心境を、私はたぶん、時に意図的にプロデュースするべきなのだろう。

そういう訳で、こんな愚にも付かないことを日記に書いている。

2006年02月05日(日) アナログ的現在
2004年02月05日(木) 粗末にされる男と粗末にされる女



2007年02月01日(木)

ある大事な用足しをしていたら、雪になっていた。

今年はその後の生活を左右する大事な判断があるでしょう、とは、
元旦に引いた御籤の言葉。

別に占いを信じている訳ではないが、
なんとなくそんな類の出来事が、我々にふりかかっている。

たぶん、所帯を持つということは、
色々と決断しなければならないことの連続なのだろう。

2006年02月01日(水) 
2005年02月01日(火) 真贋の話
2004年02月01日(日) 春と氷


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