2004年02月05日(木) |
粗末にされる男と粗末にされる女 |
男女産み分けに成功したとの記事。
これも言葉が違う。
男女選別だ。
もう少し書くと、1つの受精卵に対して 男に、又は女になるよう 操作できるようになったわけではない。
たとえば受精卵を3つ作って、2つ捨てるのだ。
この乱暴な技術も恐ろしい。 さらに実際にこの方法を選んだ夫婦の動機が、 「3人目はどうしても女の子がよかったので」などという、 どこの家でも誰でも口にするかもしれない 言葉であることがまた恐ろしい。
自分は子供を授かっても絶対に出生前診断なんかやらないけれど、 こういう出生前診断に関する技術は、そうしたい人がやればいいだけで 全く関係ないことだと知らぬ顔していたいのだけど、
イラクのニュース以上に私の心を暗くする。 誰に何をどう伝えれば、こんな乱暴な命の取り扱いを やめてもらえるのか。 技術者達は、一体何を考えているのか。 人間の、内なる自然の、乱開発がすすむ。
命というのは、誕生から終わりまで、丁寧に扱われるべきだ。 性別ぐらいで子供を受け入れられないのなら、 そもそも親になる資格などないのではないか。
こんな思いをよそに、この手の生命操作技術については、 結局いくところまでいくだろう、と養老さんが書いている。 何でもかんでも出生前診断されるようになるだろうと。
でも、不自然に命を捨てることと同じぐらい、 不自然に命をつくり、ましてや選ぶなんてことは、 命を粗末にしているような気がするのだ。
* *
同じ時期に、イタリアが不妊治療に関する制約を出して、 女性議員から反発をくらっている。 減胎や受精卵の冷凍保存を禁じているので 多胎妊娠や卵細胞の採取回数の増加など、 女性に負担のかかる方法なのだそう。
この議員は女性の権利と命の権利を履き違えている。
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