2008年08月13日(水)  言葉という窓

今日の読売新聞。芥川賞を受賞したばかりの楊逸さんと芥川小作歌の大先輩の辻原登さんの往復書簡第2回。今回は楊逸さんから。「私が持っている言語感覚というのは、窓のようなイメージで、新しい言語を習得することで、新たな窓が開かれ、見たことのない風景が目の前に広がるようなものです」。うまいこと言うなあと窓がひとつ開いたような感覚をこちらも味わいながら、記事を切り抜いた。

2007年08月13日(月)  『絶後の記録』映画化めざして来日
2005年08月13日(土)  西村由紀江さんの『ふんわりぴあの vol.7』


2008年08月12日(火)  鎌倉文学館「ゾロリ展」と宮沢賢治原画展

2泊3日の鎌倉旅行3日目。昨日訪ねたものの休館だった鎌倉文学館に惹かれるものがあり、石畳の長い坂を再び登る。トンネルを抜けると見える古めかしい洋館が美術館。開催中の「かいけつゾロリ展」のあやしたのしい雰囲気とよく合っている。入口で渡される「ゾロリしんぶん」にスタンプを押したり記念写真を貼ったりメモを書き込んだりして世界にひとつだけの新聞を作るという発想も楽しい。バラ園のある広い庭のあちこちにもゾロリと仲間たちが見え隠れしていて、子どもたちが大喜び。ゾロリと初対面の娘のたまは、世の中を面白がるゾロリ精神をたちまち理解した様子で、おかしなものを見つけると「ジョロリみたい」。


鎌倉滞在中の三日間、プールで泳ぎ、海で遊び、実によく遊んだ。昨日は花火が始まる前の夕方、お寺を散策(大きなはっぱに「はっぱのおうち!」とたまは大はしゃぎ)した後、CHACAというワッフルが自慢のお店でお茶をし、近くの肉屋さんでその場で揚げてくれるコロッケを買って帰った。飛行機に乗って遠くまで出かけなくても、知らない町を歩いているだけで旅行気分を味わえる。

東京に戻り、日本橋三越で今日から開催の「絵で読む宮沢賢治展 賢治と絵本原画の世界」へ。賢治さんの弟・清六さんのお孫さんにあたる宮沢和樹さんが花巻から見えられていて、展示を見せていただいた後に控え室でお目にかかる。宮沢賢治研究会に長年関わっているダンナ父と和樹さんが親しくしている縁で5年前の賢治祭に参加した折りにはずいぶんお世話になった。体も心も大きくて、お話ししていると、ほかほかした気持ちになれる人。展示は点数も多く、自分が読んだ絵本の原画もあり、見ている人たちの目も懐かしそうで、「これ知ってるわ」と語り合いながら鑑賞する微笑ましい姿があちこちで見られた。

2007年08月12日(日)  マタニティオレンジ157 0歳にしてジャズにスイング 
2006年08月12日(土)  土曜ミッドナイトドラマ『快感職人』
2005年08月12日(金)  宮崎あおいちゃんの『星の王子さま』
2002年08月12日(月)  お笑い犬トトの思い出


2008年08月11日(月)  マタニティオレンジ319 お姉さんに憧れて成長する

昨日から鎌倉の友人宅に2泊3日で泊まりに来ている。お目当ては今宵の花火大会。娘のたまは、「はなび」と言うつもりが、「あわび」に。「おっきいあわびねー」と言うたびに、「花火だよ」と言い直すのは、友人の姪っ子のハナちゃん。たまと一日違いの誕生日に5才になるので、たまとはちょうど3才違い。能力の差は歴然だけど幼い子への遠慮もまだない頃なので、大人だったら「たまちゃん、なんて言ってるのかな? あ、牛乳欲しい、かな?」と調子を合わせるところを「何言ってんの? わけわかんなーい」とバッサリ。でも、たまはハナちゃん先輩を一目見て「ついていく!」と決めたらしく、しっぽのようにつきまとう。「何して遊んでいいかわかんなーい」と突き放され、「あっち行ってよ」と冷たくされても、「きー」(好き)と抱きつきにいく。困ったようなハナちゃんの顔は、背伸びしていてもやっぱり子どもで、大人たちの笑いを誘う。

ダメ出しされるうちにたまの日本語は心なしか上達していき、ハナちゃんも発音にクセのある外国語に慣れるようにたま語を聞き取れるようになっていき、二人の間にコミュニケーションらしきものが成立するようになったことも大人たちを喜ばせた。

そんなハナちゃんは絵を描くのが大好き。お姫様の絵をせっせと描くそばからたまがグジャグジャと落書きで邪魔をするのだけど、そこは耐えてくれた。わたしも子どもの頃、よく描いた。ハナちゃんぐらいの頃はどうだったか思い出せないけれど、小学校の授業中に下敷きやノートにパーティドレス姿の女の子をいくつも描いた。あのときの髪型やドレスのデザインは何からひらめいたのだろう。ひさしぶりに描いてみると、「わあ、すごい」とハナちゃんの目が輝いた。「ドレスの模様はどうしよう? すそにリボンを飾る?」などと話しながら、ハナちゃんのオーダーメイドドレスを描き上げると、ハナちゃんはその絵を真似して描き始めた。「ハナはへたくそでかなしい。もっとうまくなりたい」と言うので、「好きなことは続けてたらうまくなるんだよ」と励ますと、「ほんと? じゃあ毎日かく!」。そうだ、わたしも昔、お隣に住んでいる山田さんちのサヤカちゃんとミオちゃんのお母さんに、お手本を描いてもらった。少女漫画から飛び出したみたいな女の子をさらさらと描くのが不思議で、まぶしくて、わたしもこんな風に描きたい、と思ったのだ。

お姉さんに憧れて、女の子は大きくなる。

2007年08月11日(土)  マタニティオレンジ156 誰に似ているのか「顔ちぇき!」
2005年08月11日(木)  『子ぎつねヘレン』チラシ第1号
2003年08月11日(月)  伊豆高原
2002年08月11日(日)  ヤクルトVS横浜


2008年08月10日(日)  マタニティオレンジ318 キンダーフィルムフェスティバルで初めての映画

SKIPシティDシネマ映画祭の審査会議当日の朝、映画祭事務局の木村美砂さんとホテルの朝食をご一緒したときにキンダーフィルムフェスティバルの話になった。映画祭の3日目に親子で楽しめる映画を上映するプログラムがあったのだけど、それが8月に行われるキンダーフィルムフェスティバルとの共同企画で、同じ作品をそちらでもかけるということだった。6年前のフェスティバルで『パコダテ人』を上映されたときに、トークをしたり授賞式に参加したりしたのだけど、それっきりになっていた。子どもを連れてまた行ってみたい、と話していたら、後日木村さんから招待状が送られてきた。

間もなく2歳になる娘のたまを連れて「子連れOK」のママズシアターへは何度か足を運んだのだけど、たまはわたしにつきあわされただけで、「鑑賞」とはほど遠かった。キンダーフィルムフェスティバルのプログラムは5〜20分ほどの短編を何本かあわせて1時間ちょっとの上映になっている。前に参加したとき、小さな子どもたちが身を乗り出してじっと見入っていたのが印象的だった。今のたまぐらいの年の子もまじっていたのではないかと思う。初めての映画鑑賞、興味を持って楽しんでくれるといいのだけど、と会場の青山こどもの城へ向かった。

一作目はペンギンキャラクターの『ピングー』(オットマー・グッドマン原作 スイス 2005年 5分)。ドイツ語でもフランス語でもなく、あれは何語なのだろう。字幕も吹き替えもないけれど、氷の山の飛び込み台におじけづくピングーのユーモラスな姿に、大人以上に子どもがけらけら笑っていた。

2作目は『ロシアのくま物語』(監督:マリナ・カルポヴァ ロシア 2007年 13分)。ナレーターさんがマイクの前に立ってその場で吹き替え。ナマの臨場感がありながら、絵と見事に重なる絶妙なタイミングで、アニメーションの動物たちに命と感情が吹き込まれた。

3作目は『昆虫家族のゆかいな休日』(監督:エヴァラッド・ラシス ラトビア 2008年/10分)。クレイアニメのカラフルな昆虫がディズニーランドみたいで楽しい。台詞はほとんどないけれど、人間のコレクターにつかまった親を子どもが助けに行くストーリーがよくわかった。

4作目は『テディとアニー』(監督:グラハム・ラルフ
 イギリス 1997年)。捨てられたぬいぐるみのクマと人形の女の子が反発し合いながらも友情をはぐくみ、最後は別々の子どもに拾われていく心温まるストーリー。こちらもナレーターさんのナマ吹き替え。始まって間もなく、どこかで観たこと……と記憶をたどったら、6年前にも観た作品だった。

果たして、たまの反応は、親が思った以上に食いついた。途中何度かわたしの顔を見た以外は目を見開いてスクリーンにくぎづけだった。たまだけでなく、集まった子どもが誰一人ぐずらず、騒がず、最後まで集中して観ていたのは驚き。「観る!」という場の空気を共有していたのかもしれない。

2007年08月10日(金)  あの流行語の生みの親
2004年08月10日(火)  六本木ヒルズクラブでUFOディナー
2003年08月10日(日)  伊豆 is nice!
2002年08月10日(土)  こどもが選んだNO.1


2008年08月09日(土)  冷蔵庫に塩豚があれば

「冷蔵庫に塩豚があると安心するの」
数週間前、ご近所仲間のキョウコちゃんちを訪ねたとき、彼女がしみじみと言った。その言葉をしみじみと実感する今日この頃。「塩豚なんか作ったことないし、簡単に作れるの?」と聞いたわたしにキョウコちゃんが教えてくれた作り方は、「豚バラ肉を固まりで買って来て、フォークで穴あけて、塩すりこんで、ラップして冷蔵庫に寝かせるだけ」。料理本に載っているレシピを後で調べると、「手ですりこむ」とだけあったので、フォーク穴を省略し、豚400グラムに塩大さじ1というレシピ通りの分量で作ってみることにした。塩は「ハーブが混じってるとおいしいよ。クレイジーソルトだとラクチン」というキョウコちゃんのアドバイスを採用し、購入。

肉が熟成してうまみが出るので2、3日してからが食べ頃。どれどれと3日目に炒めてみたら(油は出るので敷く必要なし)、とろけるような濃厚な味わい。こんなうまいお肉があんなに簡単に!と驚いた。肉からしみ出た塩味の油で茄子やキノコを炒めると、これまたしんなりとなったところに味がしみて、おなかも満足な一品となる。スープにしてよし、カレーにしても良さそう。確かに、これが冷蔵庫に横たわっているだけで、安心する。キョウコちゃんは「一週間ぐらい持つ」と言っていたけれど、2週間後に食べても熟成が進んでいい感じ。だったら多めに作っておこうとなり、肉を買うたびにグラム数がふえている。柚子こしょうで漬けるのもおいしいよ、とのこと。

2007年08月09日(木)  ちょこっと関わった『犬と私の10の約束』
2004年08月09日(月)  巨星 小林正樹の世界『怪談』
2002年08月09日(金)  二代目デジカメ
1999年08月09日(月)  カンヌレポート最終ページ


2008年08月08日(金)  『ぼくとママの黄色い自転車』ロケ

6本目の長編映画となる『ぼくとママの黄色い自転車』の撮影現場になかなか行けず、小豆島ロケに行けなかったけれど都内スタジオにはぜひと言ううちにクランクインからひと月経ち、「そろそろ終わってしまいますよ」と言われて、あわてて今日見に行くことになった。

新横浜駅前での主人公大志が母を探しに旅立つシーン。ボーイスカウト、ガールスカウトの子どもたちや通行人役のエキストラさんにまじって、大志役の武井証くんと大志のいとこの鈴間美緒役の阿部美央ちゃんを見つける。ミオ役を射止めたミオちゃん! 名前も合っているし、吸い込まれそうなきれいな目の美少女で、映像になった姿を見るのが楽しみ。映画とドラマの『いま、会いにいきます』でけなげな男の子を演じていた証くんは、ちょっぴり大きくなってもやっぱりかわいい。

証くんと美央ちゃん、この二人に大志の飼い犬のアン(本名)が加わったスリーショットの吸引力はかなり強力。睡眠時間3時間、30代後半のわたしが並ぶと、落差くっきり。わたしの隣に写っている男性は、『子ぎつねヘレン』でもアニマルトレーナーだった宮忠臣さん。「また今回もできないことをト書きに書いてくれて……」という明るいぼやきも懐かしい。ヘレンのときも「犬にもできないことをキツネにさせようとするんだから……」と言いつつ、ずいぶん高度な動きをつけてくれたので、今回のアンちゃんの名演技にも期待してしまう。

ヘレンつながりといえば、声をかけてくださった共同テレビのプロデューサー、井口喜一さん、監督の河野圭太さんにも挨拶できたのだけど、今日が撮影アップだった大志の父・一志役の阿部サダヲさんにはニアミスで、わたしが到着する少し前に撮影が終わってしまっていた。ヘレン以来、阿部さんが所属する大人計画の舞台を何度か見せてもらって、また作品に出ていただけたらいいなあと願っていたので、阿部さんの一志役はとてもうれしくて、どんなお父さんになっているのか楽しみ。ロケ弁当を食べる機会は逃したけれど、井口プロデューサーに駅ビルの中のインド料理屋でベジタリアンカレーをごちそうになった。

2007年08月08日(水)  「やきやき三輪」で三都物語の会
2005年08月08日(月)  虫食いワンピース救済法
2004年08月08日(日)  ミヤケマイ展『お茶の時間』
2002年08月08日(木)  War Game(ウォー・ゲーム)


2008年08月07日(木)  暁に帰る

打ち合わせが長引いて、明け方のタクシーで帰宅。長時間の打ち合わせの後は、寝不足の頭にアドレナリンが充満して、ちょっと興奮状態。こういうときは運転手さんと話して帰ることが多い。今日の運転手さんは大の漫画好きで、「漫画だったら一日に15冊ぐらい行けますよ」。おすすめの漫画はありますか、と聞いたら、次から次へとタイトルを挙げてくれ、「それ、映画になりましたよね」だの「新聞の書評で読みました」だの熱心に相づちを打ったのは記憶にあるのに、タイトルをまったく覚えていない。島で生け贄が食べられる話があったような……。やっぱり疲れていたんだなあ。

2007年08月07日(火)  シンクロニシティの人
2005年08月07日(日)  串駒『蔵元を囲む会 始禄 小左衛門』
2004年08月07日(土)  ご近所の会・一時帰国同窓会
2002年08月07日(水)  ティファニー


2008年08月06日(水)  東京大地震の代わりに、小さな天災。

日付が8月6日から7日に変わった瞬間を携帯電話の待ち受け画面で見届けたダンナが、パソコンに向かっているわたしの背中に、「地震は起きませんでしたねえ」とイヤミったらしく言った。ここ数日、せっせと棚の上のものを床に下ろしたりワイングラスを牛乳パックでガードしたりしているわたしを見て、普段まるで掃除をしないくせにこういうときだけ張り切るそのエネルギーの使い方は間違っていないか、と首を傾げていたダンナは、ほらみろ取り越し苦労だ、と勝ち誇ったのだった。

来なければ来ないでよし、部屋が片付くいい口実だと思えばいい。そう開き直っていたのだけど、地震は来なかったのに、若干の被害が生じた。ベッドの下にワレモノなどを避難させたものの、そのベッドの上で娘のたまがはねることは想定外で、グシャリとつぶされるようにグラスが割れてしまった。また、妙にたまがおとなしいなあと思ったら、テレビの上からじゅうたんに避難させた観葉植物の土を素手でほじくり返し、じゅうたんが砂場と化していた。備えあれば憂いなし、のはずが、備えたせいで憂いあり。やれやれ、子どものいたずらは天災のようなもの。

2006年08月06日(日)  アシナガバチの巣
2005年08月06日(土)  下垣真希 平和のリサイタル『命かがやいて』
2004年08月06日(金)  シナリオ『父と暮らせば』
2002年08月06日(火)  『絶後の記録〜広島原子爆弾の手記』


2008年08月05日(火)  マタニティオレンジ317 ビクス母三人と娘三人

マタニティビクスで仲良くなったレイコさんが上京するのに合わせて、三人で親しくしていたトモミさんの家に集まり、母娘三組で再会。トモミさんはご両親が住む東京で里帰り出産したのだけど、早めに東京入りしてマタニティビクスやマタニティスイミングで体を鍛え、お産のときには「産道に筋肉がつきすぎて子どもが出てこれない」事態に見舞われた。産後のアフタービクスにもせっせと通い、ダンナさんが待つ徳島に帰ってからは、出産で休学していた歯学部に復学して勉強を続けている。生き方そのものがマタニティビクスの最前列で汗していたときの勢い。もともと美人だったけれど、ひさしぶりに会うと、いちだんとスリムになって若返ったように見えた。

トモミさんに会うのもひさしぶり。アテンションプリーズのときに航空会社勤務時代のエピソードを聞かせてもらったお礼に食事をしたのは、桜が咲く前だった。わたしが日記に「ベビーカーのレインカバーをなかなか買いに行けなくてビニール袋でしのいでいる」と書いたのを見て、すかさず「アカチャン本舗に行くときに買ってきましょうか」と連絡をくれるような、子どもにも友人にも惜しみなく愛情を注げる人。おもてなし料理にもそれは現れていて、今日のお昼は大人も子どもも楽しめるよう微妙に濃さと味つけを変えたビシソワーズとタコライス。食後のデザートの杏仁豆腐まで手づくりのやさしい味。

トモミさんの愛娘ミューちゃんは、たまの一日後の8月22日生まれ。レイコさんちのレミちゃんは、二人よりひと月早い7月末生まれ。たまとミューちゃんは身長も髪の長さもよく似ていて「一日違いだなあ」という感じなのだけど、レミちゃんは手足がすらりと長く、ずいぶんお姉さんに見える。娘たち三人は生まれてからも何度も会っているのだけど、お互いに覚えていないのか、おっかなびっくり。一緒に遊ぶというより、それぞれのママにくっつきながら距離を詰めて行く感じ。それでも午後をゆったり過ごすうちにサヨナラのときにはギュッとだっこ。「おなかにいたときから一緒に踊ってた仲間だもんね」とレイコさん。また会おうね。

2007年08月05日(日)  マタニティオレンジ155 シルバーパスの効用
2002年08月05日(月)  風邪には足浴


2008年08月04日(月)  宙返りできなかったことが心残り

枕が変わると、いつもと違う夢を見る。はじめて泊まった葉山の別荘で見たのは、宙返りの夢だった。数十メートル先に待ち構えている人に向かってダッシュし、その人の腕に自分の腕を絡めると、勢いで宙返りができる。それを何度も繰り返すわたしは大学時代にやっていたチアリーダーのコスチューム姿で、わたしに声援を送っているのは当時のチームメイトらしかった。

目が覚めて夢の内容を覚えているとき、どうしてこんな夢を見たのかと分析してしまうのは、大学の教養課程で取ったフロイトの夢判断のクラス(雑学として楽しめた)の名残。「チアの格好して宙返り」の夢のルーツはすぐに突き止められた。小学校時代の習いごとと高校時代のクラブ活動で器械体操をやったのだけど、どうしても宙返りができなかった。踏み込みの瞬間、足がすくんで、入れるべき力を逃してしまう。どうやったら宙返りができるか、頭ではわかっているのに、体が動かないのだった。踏ん切りがつかない臆病者。同じことが、チア時代にも起こった。土台の二人が両手を組んだ上に立ち、組んだ手が持ち上がる勢いに乗ってジャンプする(余裕があれば開脚などのポーズを決め、ツワモノになると宙返りして降りてくる)「バスケットトス」という人間トランポリンのような技があったのだけど、わたしはいつも足がすくんで、へっぴり腰になり、浮く間もなく落下して、痛い思いをして持ち上げてくれたチームメイトをがっかりさせた。すまない気持ちでいっぱいになりつつも、最後まで飛べなかった。

そのことをずっと忘れていたけれど、心のどこかで引っかかっていた過去が何かの拍子で浮き上がって夢に出てきたらしい。踏ん切り……初めての海を最初は怖がっていた娘のたまが海に向かって足を踏み出した、その瞬間が記憶のスイッチを入れたのかもしれない。

「夢は欲望の充足」という言葉も、フロイトの夢判断のクラスで習った。夢の中で願いを叶えるというよりは、昼間考えきれなかったことを夢の中で考えるのだという。その内容は楽しいことよりは不安だったり懸念だったり、「何か引っかかること」であることが多い。だから、入試に落ちる夢にうなされるのは、「落ちたらどうしよう」とびくびくする試験前より、大学に合格して試験勉強からすっかり解放された頃。こんなに遊んでばっかりでいいんだろか、という後ろめたさが夢になって現れる……そんな講義が懐かしい。実際、脚本家として一本立ちして以来、会社を辞めますといつ上司に切り出そうか悩む夢を見るようになった。

2007年08月04日(土)  マタニティオレンジ154 タマーズブートキャンプ
2006年08月04日(金)  プレタポルテ#1『ドアをあけると……』
2002年08月04日(日)  キンダー・フィルム・フェスティバルで『パコダテ人』

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