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原題は『あのころは、それがフリードリヒだった(DAMALS WAR ES FRIEDRICH)』。 私は、どちらかというと、森よりも木を見るタイプ。 森よりも、木が気になってしまう。 だから、物語そのものにも大きなショックを受けたけれど、 物語の中のフレーズやセンテンスに、動揺してしまった。
物語を読み終わり、解説に目を通す。 原題は、『あのころは、それがフリードリヒだった』 日本語としては、分かりづらいけれど、 そのひっかかりがよけいに、読後の思いを深くしていく。 著者は、このタイトルにどういう思いを込めたのだろうと。
ナチス独裁政権下のドイツ。 ヒトラーの反ユダヤ主義の下、ユダヤ人は国家的な迫害に苦しみ、 人々も日ごとに人間性を失っていく。 ドイツ人少年の「ぼく」とユダヤ人少年フリードリヒも時代の 狂気の中に、否応なく巻き込まれていく。 両親の愛に包まれ裕福で幸せに暮らしていたフリードリヒが 家族を失い、惨い死に連れ去られるまでが「ぼく」の目で 描かれている。
戦争の残酷さや不合理、怒りや悲しみを描いた作品は多々ある。 素晴らしい文学作品はもちろん、たくさんあり、 この物語もその中の一つだ。
ドイツ人少年「ぼく」の目を通して残忍なヒトラーの ユダヤ人迫害が、語られる。 街が、人が、変貌していく。 ユダヤ人が職場から、街から、やがてその住まいからも追い出され、 不条理な暴力にさらされる。 そのユダヤ人が、「ぼく」の大切な人たち。 「ぼく」のとまどいや痛みが、 淡々とした物語から、静かに、そしてその分だけ深く伝わってくる。 無力な「ぼく」のとまどいは、善良なるが故に弱者たる 普通の人々、そして私自身の、思いそのものである。 その優しく弱い少年をも全体主義の暴力は絡め取っていく。 私たちは何ができるのだろうと、 私は何をすべきなのだろうと、 本を読みながら考えるけれど、 恐怖に立ちすくむ自分の姿しか、私には見えない。
物語は、フリードリヒの死で終わる。 唐突に、終わる。 その死に対して、何も語られず、ぷつりと。 だから、私は、語られなかった、「ぼく」の悲しみを思い、 悲しみを言い表す言葉を探し、 言葉では足りない悲しみに打ちひしがれ、 悲しみの向こうに続くだろう、「ぼく」の日常にまで、 なにがしかの意味を探そうとする。 深く心を揺さぶる、文学の力をしみじみと感じている。
この物語の「ぼく」とフリードリヒは1925年生まれで、 それは、著者のハンス・ペーター・リヒターの生まれた年でもある。 『あのころは、それがフリードリヒだった』 無惨に踏みにじられたフリードリヒの命。 数え切れないほどの、フリードリヒがいたのだ。 「ぼく」であるハンス少年は、 それから、目をそらすことが許されなかったのだ。 どんなにつらく、瞼を閉じたくても。 (シィアル)
『あのころはフリードリヒがいた』 著者:ハンス・ペーター・リヒター / 訳:上田真而子 / 出版社:岩波少年文庫2000
2003年02月04日(火) 『光をはこぶ娘』
2002年02月04日(月) ☆最近読んでいる本
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管理者:お天気猫や
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