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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2003年09月30日(火) --

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『死霊の王』2

(前回よりつづく) 時代でただひとり、選ばれた少女、バフィー。 ハロウィーンの夜、サニーデイルで起こった きわめつけの怪異とは? ヴァンパイヤ・スレイヤーであるバフィーを殺そうとする 化け物は、カボチャ大王! が乗り移った案山子!! 強いのか弱いのかわからなくなりそうですが、 実際、バフィーが感じた恐怖は並大抵ではなかったのです。

その前に、本書ではハロウィーンの成り立ちも説明されています。 ハロウィーンはケルト文明に由来しており、 当時の1年は2月に始まり、10月に終わっていました。 冬の11月から1月の間は、暗黒の期間であり、 人界と魔界の門が開くので、死者が生者の世界に さまよい出て来るとされました。 そこで死者たちを迎えるための儀式が行われ、供物が捧げられますが、 これは彼らを大人しくさせ、人々に災いがないようにとの信仰でした。

この暗黒の期間は、サムヒュインと呼ばれました。 後に信仰は薄れ、サムヒュインは10月31日から11月2日までとなります。 イギリス国教会がケルト民族を改宗させてからは、 10月31日は万聖節、ハロウィーンと呼ばれるようになったのです。 この夜だけが、解放の日となりました。

ここにもうひとつ、サムハインという似た名称が登場。 サムヒュインとは、闇の季節とその儀式をさし、 サムハインはハロウィーンの精霊で、地上をさまよう死者たちの 魂の王の名前だ、と頼りになる我らがジャイルズは説明してくれます。 バフィーたちの今回の敵は、このサムハイン。 「人間が出現する以前に世界を棲処としていた魔物」で、 「ケルト民族によって神々の一員として祀られた」というのです。

そしてサムハインが乗り移るのが、カボチャ畑の案山子なのです! サムハインは、魔物の宿敵スレイヤーの血を味わおうと、 人食いカボチャたちを手下に、襲いかかります。 ハロウィーンの夜、和平協定の切れる夜に。

タイトルになっている『ハロウィーン・レイン』については、 バフィーの親友ウィローが土地の伝説として説明してくれます。 ハロウィーンの夜に降る雨には邪悪な魔力があって、 濡れた案山子の領地に足を踏み入れた者は、 案山子にひどい目にあわされる、というもの。 これって、いわゆる秋の長雨のシーズン?

カボチャ畑なんていう、一見平和そうな場所で起こる 死闘には、さすがのバフィーも普通の人間並みの恐怖を感じます。 カボチャ頭の案山子が、じわじわと追い詰めてきたら、 あなたはどうやって戦いますか? 鋭利な藁の手をかざして、案山子は迫ります。

「スレイヤアアアア」

…ライナスは、こんな恐ろしい魔物を待っていたの? (マーズ)


『死霊の王』 著者:クリストファー・ゴールデン&ナンシー・ホルダー / 訳:矢口悟 / 出版社:ハヤカワ文庫2001

2002年09月30日(月) 『トランスパーソナル心理学』
2000年09月30日(土) 『ラング世界童話全集』

お天気猫や

-- 2003年09月29日(月) --

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『死霊の王』

アメリカの人気TVドラマ、ヴァンパイヤ・スレイヤー『バフィー』 シリーズのノベライズ版。 ドラマは日本でも人気となっています。 ただし、このエピソードはドラマにはない 小説のみのオリジナルで、『聖少女バフィー』に続いて 刊行されたもの。

原題は『ハロウィーン・レイン』。 あえて韻を踏んだハロウィーンの雨とは何を意味するのか、 よく聞く「カボチャ大王」って何者なの? そもそもハロウィーンって何をするの、 ハロウィーンはどうして生まれたの?

そんな疑問にピシッと答えてくれる書でもあります。

バフィーは、サラ・ミッシェル・ゲラー演じる金髪の高校生 (ドラマでは後に大学生)。超人的な戦闘力を秘めていて、 訓練によってさらに鍛えられます。 『地獄の口がある』といわれる町、サニーデイルの ヴァンパイヤ退治が彼女の聖務。 好むと好まざるとに関わらず、バフィーは日々悪鬼と戦わねば ならないのです。十字架と杭を持って。

時代でただひとり、選ばれた少女、それがバフィー・サマーズ。 そんなスレイヤーの任務を補佐する「ウォッチャー」は、 学校の図書館司書を務める英国人ジャイルズ。 (こちらも時代にひとりだと思われます) 古今の悪魔族やその封じ方についての豊富な知識が、バフィーや 彼女に協力する友人たちの命を救い、バフィーを正しい方向に 導く役目も果たします。ちょっと陰陽師的。 あえていうまでもありませんが、私はジャイルズさんのファン。

…と、前置きが長くなりましたが、 ヴァンパイヤといえばハロウィーンの仮装でもおなじみですよね。 ハロウィーンの夜、サニーデイルでいったいどんな ナイトメアが暴れ出すのか? この続きは、次回にて。。 (マーズ)


『死霊の王』 著者:クリストファー・ゴールデン&ナンシー・ホルダー / 訳:矢口悟 / 出版社:ハヤカワ文庫2001

2000年09月29日(金) 『慟哭』

お天気猫や

-- 2003年09月26日(金) --

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『魔法使いの卵』

『屋根裏部屋のエンジェルさん』の著者による、 魔法の英国ファンタジー。

主人公のスカリー少年は、魔法使いの父と占い師の母を持つ、 魔法使いの卵。来るべき魔法紳士団の試験に合格すれば、 晴れて一人前の魔法使いになれる、つまり今は瀬戸際の受験生。

そんなスカリーに、ある日、お守り(おまもりではなく、おもり)が ついてしまった。モニカという赤毛の女性だ。 モニカは級友たちにとっても興味と関心の的で、皆を教える 役目も果たしている。 モニカが来てからスカリーの周囲がざわめきはじめ、 彼の魔法パワーを奪おうと企む「サソリ団」も登場。 けれど、スカリーは自分が魔法使いの卵だということを、 学校の仲間や先生たちにも秘密にしている。 お父さんだって、市場の時計やさんが仕事のふりをしている。

お守りとなったモニカは何を知っているのか? スカリーは無事に試験を受けられるのだろうか? お父さんが大切に隠している『魔法のしずく』はどうなる?

魔法に関わる話なのと、 本の装丁とイラストが、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの クレストマンシー・シリーズと同じこともあって、 ついつい混同しそうになる。 ヘンドリーらしいのは、魔法使いというものは、 「過去、現在、未来」それぞれにランク分けされていることや、 卵にお守りがつく、という面白さ。

解説によれば、教育改革を進めているイギリスでは、 実際、授業についていけない子に、 外部からお守りが派遣されることがあるという。

後半の命がけ魔法活劇もユーモラスで楽しめるが、 前半、特に何度も描かれるお父さんの職場がある「市場」への スカリーの抱く愛情が、全体のトーンを地に足つかせている。

何でもあって楽しいこの市場、私はロンドンの コヴェント・ガーデンのイメージ。 天井がガラスだから冬はとても寒いけど、 あったかい雰囲気で、ほっとする場所だそうだ。 あの市場には、時計の店も、きっとあるにちがいない。 (マーズ)


『魔法使いの卵』 著者:ダイアナ・ヘンドリー / 絵:佐竹美保 / 訳:田中薫子 / 出版社:徳間書店2001

2002年09月26日(木) 「サン・フェアリー・アン」
2001年09月26日(水) 『星の海のミッキー』
2000年09月26日(火) 『柿の種』

お天気猫や

-- 2003年09月23日(火) --

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『ブルーイッシュ』

ニューヨークのまんなかで。

ドリーニーと妹の転校した学校は、新しい学校。 マグネット・スクールとも呼ばれ、 設備を充実させ、教育課程も広範囲に及ぶ、 人種や通学区にとらわれない公立学校だ。

ドリーニーの出合ったクラスメートのなかに、 ブルーイッシュがいた。 車椅子に乗ってやってくる、青い顔の女の子。 手編みの毛糸帽子をいつもかぶってる。 気難しくてやせ細っているけれど、かわいい小犬を連れている。 皆、最初はどう扱っていいのか戸惑っているだけ。

でも、ブルーイッシュがいることで、クラスが 変わってゆく。ドリーニーはそう思っているけれど、 本当はそれだけじゃない。 ドリーニーがやってきてから、皆が変わったのだ。

重い病気から回復しきっていないブルーイッシュに 毎日ハラハラさせられながらも、 目立ちたがり屋で寂しいテュリや ドリーニーの妹ウィリー、 親や先生たちのつながったコミュニティーの 描写のあたたかさは、やはりここが特別な学校だからだろうか。

ニューヨークのまんなかで、人種のるつぼのただなかで、 相手への特別な思いやりをたずさえた場所。 連鎖的に、皆が手をつなぐひとときが、増えてゆく。

家庭の明かりは親が照らし、 学校の明かりは先生が照らしている。 子どもたちは、照らされて、照らし返すことで、 生きている。 世界のどこでも、どんな肌も、 同じように、受けた光を返すことができるのだ。 (マーズ)


『ブルーイッシュ』 著者:ヴァージニア・ハミルトン / 絵:朝倉めぐみ / 訳:片岡しのぶ / 出版社:あすなろ書房2002

2000年09月23日(土) 『粗食のすすめ』

お天気猫や

-- 2003年09月22日(月) --

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『ドリトル先生航海記』

ドリトル先生シリーズ第2巻。

航海記、というので、全編船で世界を巡るお話かと思うと、 そうでもない。前半は裁判で世捨て人の友人の弁護をしたり、 先生の日常生活の様子が描かれ、シギ丸に乗って旅を始めるのは 後半になってから。 それでも、先生たちの冒険は始まればさすがのスケールで、 第一作の登場人物たちもほとんどが再び登場する。

たとえば、物知りのオウム、ポリネシア。 このオウムは、ドリトル先生を深く尊敬しているとはいえ、 先生の行動を裏で操っているといっても過言ではない。 次回作以降もそうなのかどうかわからないが、 特に今回は明らかにポリネシアが舵を取っている。

アヒルのダブダブは、今回はずっと留守番をつとめていた。 前回も家計のやりくりに精を出していたが、何年も 先生の家の動物たちの世話を引き受けてくれた、 頼れる家政婦である。

金の首輪をはめた犬のジップは、相変わらず鼻を効かせて 先生の周辺を守っている。航海にも同行。

猿のチーチーも、故郷アフリカからふたたび 先生の住む、「沼のほとりのパドルビー」へと戻ってくる。

猫肉屋のマシュー・マグ、彼もまた先生の生活には 欠かせない、憎めない人物である。

そうそう、アフリカからイギリスに留学してきた王子様、 バンポも先生の旅について回る。

そして、今回から語り部となったのが、靴屋の子ども、 トビー・スタビンズ少年。 いつか船に乗って故郷を出る日を夢見、博物学者をめざして、 ドリトル先生の助手となったトビーの目で、 先生一行の旅が描かれるのだった。 そのせいか、前作よりもいっそう、動物好きの先生のやさしさが 細やかに描かれている。 こう言ってはなんだが、そのおかげで、ドリトル先生のことを、 チビ・デブ・ハゲと三拍子そろった独身の貧乏(がちな)中年医者とは、 とても見られないのだ。

「クモサル島」をめざし、シギ丸はついに出航する。 数々の冒険を経て、先生たちが遠い南米からイギリスへ帰ってきた方法は、 なんともまあ、SF的だった!ノーチラス号のネモ艦長もびっくりである。

一作目では未開の黒人部族への偏見めいた描写が やはり気になった。今回も多少その傾向はあったとはいえ、 バンポの再登場による『おかしな』キャラクターの深まりと、 インディアンの孤高の博物学者、ロング・アローに対する ドリトル先生の友情と信頼が、この物語に後世への普遍性を もたらし始めたといえるのではないだろうか。 (マーズ)


『ドリトル先生航海記』 著者・絵:ヒュー・ロフティング / 訳:井伏鱒二 / 出版社:岩波少年文庫(新版)2000

2000年09月22日(金) 『美濃牛』

お天気猫や

-- 2003年09月19日(金) --

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『馬と少年』

ナルニア国物語、その5。 年代記的には、人間界から来たピーターたちが魔女を倒し、 アスランによってナルニアの王となって数年後、 いわゆるナルニアの全盛期である。

原題は、『THE HORSE AND HIS BOY』。 そのままだと『馬とその少年』になるのだが、 これは、馬が普通の馬でなく、ナルニア生れのもの言う馬ということで、 だから馬が人間の飼い主であっても不思議ではない、 というナルニア風常識に由来している。

ただし、ナルニアの物語ではあるものの、舞台のほとんどは 周辺の国である。ずっと南の国、カロールメンで漁師の子として 育てられた少年シャスタと、ともに逃亡の旅をすることになった もの言う馬ブレー、そして同じく逃亡しているお姫様、アラビスと 彼女のもの言う馬フインが主人公。 しかしナルニアにあこがれる彼らはアスランを知らず、 守ってくれる存在を、最初はただの猛獣としてしか見ることができない。

人間界からの子どもたちはナルニア王の4人だけである。 といっても、もう子どもではなく、堂々たる王族なのだったが。 『馬と少年』と『銀のいす』はどこか空気が似ているのだが、 『銀のいす』で「だます女二人」のことを書いたように、 ここでは、「逃げる女二人」のことを書かねばならない。 今回の逃げる女は、先ほどのお姫様、アラビスと、 ナルニアの女王、スーザンである。 二人とも、理由は同じ、嫌な相手との政略結婚から 逃げているのだ。

そして、全体を通して見ても、生まれ故郷のナルニアへ逃亡する もの言う馬ブレーやフインをはじめ、 ナルニア一行とともにタシバーンへ来たコーリン王子も脱走の常習犯らしい。 ナルニアの王たちもまた、敵のふところから、裏をかいて逃げるのだった。 シャスタたちはときに、つきまとうライオンの牙からも逃げるのだが、 結果として逃げながら成長し、判断力を養ってゆくので、 逃げることには私たちが思う以上の意味があるのかもしれない。

ところで、『ライオンと魔女』で最初の道案内となった、 あのフォーンのタムナスさんが、王たちとともに逃げる手伝いをする場面は とてもうれしくて、気のいいタムナスさんの名誉が挽回されたことに、 乾杯したくなった人も多いことだろう。

アラビアンナイト風の習俗で描かれるタシバーンの都は、 ティスロック王の独裁帝国。 アーケン国とナルニア国を攻め滅ぼす奇襲作戦を知った二人と二頭は、 決死の覚悟で砂漠を越え、北をめざす。 自由の国、ナルニアを救うために。

『馬と少年』には、『銀のいす』と同じく、各所にあっと驚く仕掛けが 用意されている。なかでも緩急自在に変身するのはアスランその人である。 それは読んでのお楽しみだが、 タシバーンの都でシャスタがナルニア王たちに捕まる場面は、 『王子と乞食』を連想させる名場面のひとつだろう。 (マーズ)


『馬と少年』 著者:C・S・ルイス / 絵:ポーリン・ベインズ / 訳:瀬田貞二 / 出版社:岩波少年文庫1986

2002年09月19日(木) 『陰翳礼讃』
2001年09月19日(水) 『散りしかたみに』
2000年09月19日(火) 『薔薇のほお』

お天気猫や

-- 2003年09月17日(水) --

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『銀のいす』その2

前回も書いたけれど、『銀のいす』を、 シリーズ中の最高傑作とする読者も多いと聞く。

タイトルになっている「銀のいす」が、いったいどのような 椅子なのかを知れば、そらおそろしくなってしまう。 なんとなく宝ものをイメージしてしまうところが恐い。 タイトルだけでも、シリーズの他の本とは趣が違うのだが、 神話的(「さいごの戦い」より宗教的とも言える?) でありながら、人間の弱さを常に旗印に掲げ、さらにその先端を アスランの炎であからしめている。

この作品には、二人の『だます女』が登場する。 一人は、主人公のジル・ポール。 巨人たちに捕らわれたジルは、赤ん坊のふりをして 寒気のするような甘え方を上手にしてみせる。 演技の甲斐あって、逃げ道を見つけるのだ。 そういうことは、女の子のほうが男の子より得意なのだと、 語り手(ルイス)は書いているが、まさにその通り。

もう一人は、夜見の国の女王様。 地底の支配者たる美姫は、その正体を知られたにもかかわらず、 ポロンポロンと弦楽器をつまびきながら、捕虜たちを 惑わす甘い声で魔法をかける。

「お気の毒に、病気が重いのですね。どこにもナルニアという 国は、ありません。-略- そんな世界は、なかったのです。 この国のほかに、世界はなかったのです。」(引用)

…もう少しで、その手に乗りそうになるではないか。

年老いたカスピアン王を見てしまった悲しみも、 シリーズの読者は共有することだろう。 そして最後には、アスランによってカスピアンの 真の姿もまた、見ることになる。 それは、人間の、と言い換えてもよいのだろうし、 アスラン自身もいつかは死ぬのだと子どもたちに答える。 「死なないものは、きわめて少ない」と。

アスランのさりげない一言が、ルイスの神学者としての声に変わる。 「あの者たちは、わたしの背中だけしか見ないだろう。」

まだまだ書きたいことはあるけれど。 魔法によって意に反して奴隷とされたリリアン王子の苦悩、 一見頼りないナイト役の泥足にがえもんの大奮闘、 人の子らがかいま見た、臆病な地霊たちの本当の世界。

ルイスの、新時代の男女共学スタイルへの批判も興味深い。 まぜこぜ学校と呼んで、教えるべきことは何も教えないと 随所で揶揄している。

それはさておき。 ナルニアのシリーズが、あまたの名作ファンタジーの父(であり母)と なっていることは周知のことだが、『銀のいす』もまた、 イマジネーションの泉となっているようだ。 最後に現れる火竜のイメージは、魔法使いと竜の世界アースシーへ、 しばし翼をはばたかせてくれた。 (マーズ)


『銀のいす』 著者:C・S・ルイス / 絵:ポーリン・ベインズ / 訳:瀬田貞二 / 出版社:岩波書店1966

2002年09月17日(火) 『ねずみ女房』
2001年09月17日(月) 『イラストレイテッド・ファンタジー・ブック・ガイド』
2000年09月17日(日) 『警告』

お天気猫や

-- 2003年09月16日(火) --

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『銀のいす』その1

ナルニア国物語、第4巻。 年代としては、6番目。 シリーズのなかでも、過去に一度しか読んでなかったので、 今回が二度目。 ストーリーをあまりにも覚えていなくて、我ながら情けなかった。 しかし、『銀のいす』を、シリーズ中の最高傑作とする読者も 多いと聞く。

時代はカスピアンがすでに老王となった頃。 人間界から訪れた子どもたち、ユースチスとジルに同行して カスピアン王の息子、リリアン王子を探しにゆく「泥足にがえもん」 その人のことですら、名前意外にはほとんど覚えていなかった。

いや、なぜこんなに覚えていないことにこだわるかというと、 ストーリーもキャラクターも非常に神話的で、根源的な輝きを 持っていることに改めて気付いたからである。

沼人の「泥足にがえもん」その人の、 限りなく悲観的でありながら、いざというときに人を奮い立たせる 独特のキャラクターには、ナルニアのもの言うけものや小人や妖精とは またちがった人間味があって、それをまた忘れていた自分にも 何度も言うけれど、あきれてしまう。

ストーリーにしても、ガリバー旅行記を連想させる 巨人の国や小人の国が登場するダイナミックさだし、 終幕にふさわしい地底での大冒険は、 ナルニア国の世界を忘れさせるほど力強く迫ってくる。

それとも、それらは、記憶の底にちゃんと残っているのだろうか。

悪い巨人たちに捕らわれたジルが、身体の小さいのを良いことに、 赤ん坊のふりをして上手に甘えながら逃げ道を探すくだりや、 泥足にがえもんが、私たちの胸に浮かんだものが単なる空想や 願いからだけでなく、どこかの実在から発せられたものであると 信じていけない理由はどこにもないと──心から訴えたことなどが。

読み終わってから、だんだんに、記憶の扉が溶けてゆくような、 奇妙な感覚を味わっている。 (マーズ)


『銀のいす』 著者:C・S・ルイス / 絵:ポーリン・ベインズ / 訳:瀬田貞二 / 出版社:岩波書店1966

2001年09月16日(日) 『イラストレイテッド・ファンタジー・ブック・ガイド』 (参考)

お天気猫や

-- 2003年09月12日(金) --

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『ドリトル先生アフリカゆき』

子どものころ、学校の図書館には必ず ドリトル先生の本が何冊かあった。 ただ、なんとなく、記憶には残っていなくて、 読んでないはずはないのだが、改めて読むのは 今回が初めてなのだ。 シリーズが13冊もあるとは、これも改めて驚く。

さて、そのシリーズ第一冊である。 英語では「DOLITTLE」(ドゥリトル)と書くドリトル先生を、 「ドリトル先生」と、おかしみのある親しみやすい名前で 日本中にひろめたのは、訳者の井伏鱒二。 井伏鱒二が訳を担当しているというのは知っていたので、 どんな感じなのかな、と思っていた。 私は、著者のロフティング自身がつけた線画に(少なくてもこの第1巻では) 個人的には親しめないのだが、訳はさすがである。 1920年にアメリカで出版された雰囲気を伝える訳(日本版1951年)でもある。 解説によれば、下訳は石井桃子が行って、それを井伏鱒二が 『あれには骨が折れた。』と難産ながらの名訳に仕上げたという。

それにしても、ドリトル先生が初めてアフリカへ旅する きっかけになったのが、良い人すぎてお金が一銭もなくなって しまったからだとは。 動物たちの知恵がなかったら、妹にも見捨てられた先生は、 そこで終わって(餓死)いたのだろう。 世界で唯一人、動物と話ができるようになったおかげで、 ものすごくスキルのある獣医に転向したドリトル先生。 本来、人間のお医者だったのに、家中に飼っている動物たちを 食べさせるために、ネコ肉屋のすすめで獣医になったのだ。 (ネコ肉屋は、ネコに食べさせる肉を売っている人) 先生は叫ぶ。

「ええい!金のいらぬアフリカへ、早くいってしまいたい!」(/引用)

アフリカで、猿たちの間に蔓延する疫病を治療した ドリトル先生と動物たちは、 黒人の国の王様につかまったり、 海賊船に追いかけられ、ディズニーの海賊映画のごとく船の争奪に 成功したりしながら、故郷のイギリスへと帰ってくる。

もしも、この、ドリトル先生の貧乏エピソードが、 以降の巻のなかでも、冒険のきっかけになるのだとしたら、 貧乏とは、ものすごいチャンスかもしれないし、先生のいうように、 お金なんてどうでもいい、ということかもしれない。 (マーズ)


『ドリトル先生アフリカゆき』 著者・絵:ヒュー・ロフティング / 訳:井伏鱒二 / 出版社:岩波少年文庫(新版)2000

2002年09月12日(木) 『西風のくれた鍵』
2001年09月12日(水) 『R.P.G』

お天気猫や

-- 2003年09月11日(木) --

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☆なっちん。

先日立ち読みしていて知恵袋にと買った新書版 『旧暦で読み解く日本の習わし』を パラパラめくっていたら、そうだったのか! という読み解きに多々出会った。 そのなかでも、意外に私だけでなく皆知らないかも、 というのがあったので、メモがてら。

なっちん/納音。について。 中国の音楽は、5音階と6音調で成立し、 これを掛け合わせた30楽音も、木・火・土・金・水に属し、 さらに60干支と対応する。 60干支は2つ一組で30楽音に納められるので、納音と 名付けられているという。

という概略だが、納音は唐の末期には成立した占いであり、 人の運勢や性格を、この30パターンに分類するというもの。 同じ納音が2年つづき、30年で一巡。 日本ではすでにほとんど使われなくなっているとか。

そして、主な納音が書かれている。 そのなかに、

「山頭火」があった。 かの漂白の歌人は、ここから名をもらっていたのだ。 この意味は、 (申戌・乙亥)火山から燃え立つ火の意味。

ちなみに、 「山下火」というのもある。 こちらは、丙申・丁酉で、 山の麓で静かに燃える火山から出た火の意味。

ということだった。

自分の生まれた年の干支をネットで調べてみたら、 山頭火でも山下火でもなかった。 年がわかるので書かないが、火には関係あった(笑)

この本から、もうひとつ。 9月は、アイヌの暦で、 木の葉の初めて落ちる月、モニヨラプチュプ と呼ばれているそうだ。 (マーズ)


『旧暦で読み解く日本の習わし』 監修:大谷光男 / 出版社:青春出版社2003

2002年09月11日(水) 『点子ちゃんとアントン』
2001年09月11日(火) 『星虫』

お天気猫や

-- 2003年09月10日(水) --

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『ラブリー・ボーン』

天国にゆくのに、彼女は三日かかったのだという。

近所に住む連続殺人犯の手にかかって殺された少女、 14歳のスージー・サーモン。 いま、スージーは「わたしの天国」と呼ぶ場所にいる。 新人カウンセラーのフラニーもついていて、 死者の魂が、生者とどう関われるのか、スージーは 少しずつ知ってゆく。

スージーの視点で、淡々と語られる物語は、 どこか冷めた死者の言葉であるにもかかわらず、 露の乗った花びらのように、みずみずしい。

天国でスージーが知った事実は、魂が成長するのは ただ下界でしかできないということだった。 生きている者だけが、夢を追い越すことができる。 天国の人たちは、夢を自由に形にできるけれど、 成長することだけは許されないのだと。

犯人への復讐心も当然あるし、事件のてん末が明るみに出る ことを願っているスージーだが、 それよりも、家族のほうに──自分を残して成長を つづける妹、弟、父、母、(そして犬)の現在に寄り添うことに いっしょうけんめいな姿に、私たちはソーダ水のような あまやかさを感じてしまう。 家族全員の思いを、そばにいて体験するスージー。 大事なことが、今は透き通ってわかる。 それなのに、何も伝えられないもどかしさ。 ほんの一瞬、ほとばしる感情が、奇跡を残すこともあるけれど、 いつだって、大事なことは、透明な手をすりぬけていってしまう。 家族を奪われた最悪の悲しみから、一度はこわれかける絆。

そして、初恋の少年との、ありえない未来。 生きていたときの友人、死んでから共鳴するようになった友人。 細やかな少女の感性で描かれた、脈打ちながら変化してゆく関係。

スタイルからはヤングアダルト小説なのだと思うが、 おそらく日本ではちがった位置付けで出されているのだろう。 まだそれほどのベストセラーではないようだが、 本国アメリカではデビュー作にもかかわらず250万部を越えたというし、 30カ国で出版が決まっているという。

生者に向けられた死者のまなざしへ、世界中の人びとが想う共通項が 形になっていった作品ともいえるだろう。

タイトルのラブリー・ボーンとは、 著者の造語で、「死をきっかけとして広がっていく人々の輪」であり、 「再生には不可欠の関係」だそうだ。 (マーズ)


『ラブリー・ボーン』 著者:アリス・シーボルド / 訳:片山奈緒美 / 出版社:アーティストハウス2003(角川書店)

2002年09月10日(火) ☆「怪人二十面相」の正体
2001年09月10日(月) 『夜物語』

お天気猫や

-- 2003年09月09日(火) --

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『紙の町のおはなし』

以前、書店で立ち読みしてから、欲しいと思いながら、 やっと最近取り寄せた絵本。 ちょうど、別ルートで絵葉書も取り寄せたところ。

チェコのアーティスト、クヴィエタ・パツォウスカー。 絵本作家としても活躍している。 なかなか正確に名前をおぼえられないけれど、 絵や作品は強烈な印象で忘れがたい。 最初に知ったのは、CD-ROM版『まよなかのおしばい』(NHK出版)の 紹介記事だった。

この絵本は、世界の絵本画を集めている 安曇野の「ちひろ美術館」から出版された、 新しい絵本シリーズ、第一期の一冊である。 ちひろ美術館には彼女の作品が200点以上あって、 庭のデザインもしているそうだ。

おどろいたのは、絵本のなかの言葉を、すべて 画家本人が手書きしていること。 もちろん日本語の読み書きはできないのだが、 ワープロの文字を参考にしながら書いたという。 その筆跡が、また、なんとも、内容にぴったり。 書道を知らないはずなのに、日本人が書いたとしか 思えない。それも、ピンクの髪の女の子が書きそうな文字だ。

そう、このお話は、紙でできた町に住むピンクの髪の女の子が、 不可解でユーモラスで強烈なキャラクターに、 どしどし出会うというナンセンスなストーリー。 ナンセンス絵本といっていいのだろうか。 現代美術と絵本が融合したような、大人をも強く引っ張る 光線を出している作品である。 この絵本に登場する作品のいくつかは、ちひろ美術館に展示されている というので、実物も見てみたいと願っている。 ただ、表紙をななめに区切って、ちひろ美術館のコレクションであると 印刷しているのは、ちょっと見づらいと思った。 表紙をはずせば、原画のままの中表紙があらわれるのだけど。

ページをめくるたびに、クヴィエタが、紙で創作することに たいそう情熱を注いでいる紙愛好家なのが伝わってくる。 人の手で、ぐいぐい創られた物の存在感が、熱い。 ひとつひとつは、むしろ頼りない紙であるというのに。 (マーズ)


『紙の町のおはなし』 著者・絵:クヴィエタ・パツォウスカー / 訳:結城昌子 / 出版社:小学館2000

2002年09月09日(月) 『花豆の煮えるまで』

お天気猫や

-- 2003年09月08日(月) --

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『一度しか死ねない』

☆出来る女執事のラブサスペンス。

舞台はリンダのホームグラウンド、アラバマ州のバーミングハム。 セーラ・スティーヴンズは、退職した連邦判事の執事であると 同時に、非公式のボディガードをも兼ねている。

毎朝、元判事の新聞にアイロンをかけるセーラ。 インクが手につかないようにと、執事らしい心配りだ。 ある夜、泥棒を捕獲したことが話題となり、彼女の完璧な仕事ぶりが テレビで流れたとたん、不気味なストーカーがあらわれる。 セーラを自分の元におびき寄せようと画策する男。 ストーカーは狙いを邪魔な判事に定め、セーラをどん底へ突き落とす。 もっとも、その事件のおかげで、セーラはマウンテン・ブルック署の カーヒル刑事と出会う。 事件とともに、こちらも穏やかとはいえないロマンスが始まる。

ヒロインのセーラがともかく「出来る女」なので、 出だしは小気味よく展開する。 執事という職業への興味も充分に満たしつつ。 お互いに強い意志と体力に自負を持つ者どうしのロマンスは、 中盤から一気に進んでゆく。 (刑事という役柄は、リンダのお気に入りなのだろうか?) が、狂気と権力を併せもつ敵ゆえに、最後は後味の悪い状況も。

今回のタイトル、原題は『Dying to Please』だが、邦題の 『一度しか死ねない』は、意図的にニューオーリンズを舞台にした別の作品 『二度殺せるなら』と同じにしたのだろうか。

結果として、セーラはかなり徹底的に嫌な目に合わされるので、 カーヒルがそばにいても後が大変では、といらぬ心配をしてしまう。 もちろんリンダ女王のエンディングは、ハッピーエンドではあるが。

ところで。 バーミングハムに「マイローズ」なる店が本当にあるのなら、 あるいはモデルとなった店があるならば、 そしていつか訪れる機会があるなら、 歴史あるハンバーガーとピカイチのアイスティーを 味わってみたいものだ。 セーラとカーヒルのように。 と思ったら、リンダの前書きにこうあった。

地元の人に訊けば、近くのマイローズ・レストランに案内 してくれるでしょう。それから、マウンテン・ブルックを車で 走り抜けるのでしょうね。実際にこの五年間、ここで殺人事件は 一件も起きていません──それはそうと、この通りにある町の時計は ローレックス製です。(/引用)

(マーズ)


『一度しか死ねない』 著者:リンダ・ハワード/ 訳:加藤洋子 / 出版社:二見文庫2002

お天気猫や

-- 2003年09月05日(金) --

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『よこしまくん』

☆非癒し系キャラに癒される。

「よこしまくん」なる、非癒し系キャラを知らなかった。 お隣の同僚のパソコンの中で、 意地悪なことを言っている。 「このパソコン 故障してるぜ。」

「これ、何?」 と聞くと、同僚は、本を貸してくれた。

『よこしまくん』 フェレットのよこしまくんは、ブルーのボーダーのシャツが好き。 わがままで、自分勝手で、生意気で、にくたらしいんだけれど。 でも、かわいい。 口を開けば憎まれ口。 ちょっとしたらいたずらは日常茶飯事。 でも、かわいい。

その、気ままでちょっとひねくれている自由度が、 ちょうど、な、感じ。

イラストレーターの大森裕子さんの ホームページから、誕生したそうです。 ご存知の方も多いでしょうが、 百聞は一見に如かず。 どうぞ、ご覧ください。  → いりたまごセバスチャン

グリーティングカードも、 あるんですよ。 かわいいでしょ?  → Yahoo!グリーティング / よこしまくん

デスクトップに、ダウンロードもできますよ。 ね。かわいいでしょ? → 「おまけ」の「あげます」にデスクトップ壁紙

以上。 「夢の図書館」ライト版でした(笑) (シィアル)


『よこしまくん』 著者・絵:大森裕子 / 出版社:偕成社2002

2002年09月05日(木) 『タンタンチベットをゆく』

お天気猫や

-- 2003年09月04日(木) --

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『交渉人』

☆映画を見ているような、醍醐味。

1700円(+税)、ちょうど映画1本分と等価であった。 本を開いて閉じるまで、ノンストップ。 脳内に映画のスクリーンが張り巡らされた感じ、まるで。 それもそのはずで、私の中ではきっちりとキャスティングが できていたのだから。 アメリカFBI仕込みの交渉人・石田修平は、三上博史。 その後継者と目されていた女刑事・遠野麻衣子が鶴田真由。 そう、8月にこのキャストで、 WOWOWオリジナルドラマとして放映されている。 しかし、私は、いろいろとアクシデントが重なって、 7月から楽しみにしていたにもかかわらず、見ることが叶わなかった。 とても、悔しかった。見逃してしまったことに気づくとすぐ、 オンラインで原作を注文したのだった。 それほどに、期待していたのだが、 実際、読んでみても、期待を裏切らない面白さだった。 そして、私の脳内シアターでは、きっちりと 三上博史と鶴田真由が緊迫したドラマを演じていたのだった。 (しかし、それでも本物のドラマも見たかった…。)

「交渉人」制度を導入した警視庁は、ある病院の人質立てこもり事件を、 “特殊捜査班”に所属する、交渉人の第一人者たる石田修平警視正に任せる。 石田は、かつての部下であった遠野麻衣子を呼び寄せ、犯人側との交渉に あたるのだが…。

交渉人とはかくあるべき、というレクチャーを随所に挟みつつ、 石田の巧妙な交渉が進んでいく。警視庁の「交渉人」制度は、 フィクションであるのだが、リアルで、違和感はなかった。

最近、“交渉人(ネゴシエーター)”が活躍する映画や小説をよく見かける。 といっても、それは、洋画であり、外国小説だが。 現実には、「交渉人」制度のない日本では、 どうしてもリアリティを欠いてしまうのだろうか。 日本産のものは、これといって、思いつくものがなかった。 「交渉人」というと、やはり、サミュエル・L.ジャクソンと ケビン・スペイシーが競演した同名の映画が一番に思い浮かぶし。 ネゴシエーター同士の、火花が散るような冴えた交渉は、見応えがあり、 交渉人のスマートさ、クールさに、くらくらした。 小説における、代表的な“交渉人”ものとしては、未読だけれど、 フレデリック・フォーサイスの『ネゴシエイター』(角川文庫)だろうか。 日本の『交渉人』を読み終わった今、本家本元、 アメリカの交渉人たる『ネゴシエイター』を是非、読みたい。 今や、日本の犯罪も欧米化し、十分な現実味をもって、 “交渉人”の登場するドラマは成立する。 そうそう、邦画にだって、ついに、登場した。 『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』に、 ロス警察仕込みの交渉人(!)が登場したりして、 映画や小説の中では、活躍が始まっている。

ミステリの読み手として、私は、謎に挑むよりは、紆余曲折する ストーリーのままに身をまかせ、大波小波にもまれながら、 作中の登場人物とともに、翻弄され続けるタイプである。 事件の傍観者として、ただただ、石田と犯人たちとの交渉に、 手に汗を握り、どきどきするのも読書の楽しみだし、自ら“交渉人”気分で、 犯人の一言一句に、注意深く耳を傾け、自ら事件のキィ(ワード)を 見いだすのも、大きな喜びだろう。 この物語は、大胆かつ巧みな交渉人のテクニックを見せる 単なる「交渉劇」ではなく、悲しみと表裏一体となった 人の心の闇を描いた社会派サスペンスでもあった。

(※ラスト部分が弱いという声もあるようだけれど、 フィクションの交渉人にはリアリティが感じられたのに対し、 誰にでもおこり得る「現実」に、リアリティが無くなってしまったのは、 少し残念かもしれない。 書き方によっては、リアリティと、(善悪ではなく)本能的な共感を 呼ぶことが可能だったからだ。 けれど、物語のテンポやスピーディさからいえば、妥当な帰結とも思える。)

映画やドラマのように2時間で読み終えることはできないが、 映画を見ているようなエンターテイメントと同時に、 丁寧にじっくりと、登場人物の心の襞をのぞく、 読書ならではの喜びと、両方を楽しむことができた。 (シィアル)


『交渉人』 著者:五十嵐貴久 / 出版社:新潮社2003

2002年09月04日(水) 『模倣犯』

お天気猫や

-- 2003年09月03日(水) --

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『陰摩羅鬼の瑕』

書店の店頭の平積みの新刊書コーナーに、 不穏に周囲を圧する積み重ねられた本の壁があった。 前作発売からはや五年。 数多くのファンが堪え難きを堪え、待ちに待った 京極夏彦著:京極堂シリーズ最新巻である。 思わず周囲を見回し、人目を確認してからこっそりと 上から二冊目を引き抜く。 ──薄い。

その本で殴るのは御容赦願いたい。750ページ近くあるのだ。 そんな煉瓦のような新書を指して「薄い」もないものだが、これまで 増殖するページ数に毎回度胆を抜かれた身にとってはそんなものだ。 殖え過ぎた人物と事件を一旦リセットしたのだろう。 文章も、独特の漢字遣いと厚みのある文体を手加減した様子で、 ページ数にも関わらずやけに読み易く感じる。気味が悪くなる程だ。

今回は構成も、あっさりとしたものである。 四方八方で発生した数々の物語を最終的に一か所に収斂させ、 それぞれの関連を整理しそれぞれに片をつけ、 一気にカタストロフになだれ込む、過剰な事件と溢れ零れる蘊蓄と 派手なアクションと憑き物落としの全能感と世界の崩壊感、 それらはことごとく今回は抑えられている。 テーマを明確にするためであろう、『陰摩羅鬼の瑕』の物語はただ一つ、 派生する物語や興味深い話題でも、直接関係ない物は潔く ばっさりとカットされ、一つの物語だけを淡々と追う。 だいたい「陰摩羅鬼」という妖怪自体が、多方面に発展はしない、 要は禍々しい黒い鳥の姿をした新仏の気だという。

 これから『陰摩羅鬼の瑕』を読むのを楽しみにしている方は、  これ以降は内容のヒントになってしまう恐れがありますので、  本編読了後お読みになって下さい。  読了したので他の人の感想が読みたい、という方、  薄いと言っても厚いしどうしようかな、と迷っている方や当面読む予定はないけれどなんとなく知っておきたい、等といった方は続きをどうぞ。

今回は謎解きの物語ですらない。 オープニングとほぼ同時に、読者にだけは「真相」の手がかりが与えられるので、こちらからすれば幻惑的な事件に謎など最初から存在しない。 だから。 『陰摩羅鬼の瑕』は。 登場人物達には未だ確とは認識されていない「世界」の異常さに、 読者一人がおののきながら、なすすべもなく惨劇が引き起こされるのを ざわざわとした不安とともに見守るスリラーであるとも言える。 こんなの駄目だよ、なんとかしてよ榎さん、とは言っても今回、 探偵・榎木津礼二郎はあらかじめ動きが封じられているし、 (最初から登場して愛嬌は目一杯振りまいているので御心配なく) 頼みの綱は君だ、頑張れ関口君、などと口走りつつも 予測通りの無力感に打ちのめされる──厭な作りになっている。

真相は。 私達が登場人物達に先んじて知っていた真相は。 一見、特殊な環境での特殊な事件にみせかけているが、 この事件は実は現在の私達の周辺で発生する可能性の高い、 あるいは多発している出来事を極端化して見せたものだ。 実用的な寓話と言っても良い。 そして、事件の発生を未然に防ぐ方法は、全てが明らかになった後、 関係者が身を持って気付く事となる。 簡単な事なのだ。簡単過ぎて、普段は意識にも上らない。 けれど、大事な事なのだ。 人の親でもある京極夏彦氏は、子供達のために大人が果たすべき責任を、 人の為に人が無意識のうちにも果たしている役割を、 こんなところで語っている。 客観性に紛れさせ、突き放した物の言い方をする京極堂は、 いつだって心を傷めている。

そして。 それは大事な事だから、 事件はそのまま現実世界に持ち帰る必要があった。 衛星のように周囲を巡る他の「物語」は邪魔になるので語られない。 これまで大事件の後に起きる破壊的なカタストロフは、今回はなかった。 あれらの惨事は、それまでの事件を夢であったかのように非現実化させ、 読者と登場人物達を現実に戻すための装置だったのだから。 今回は夢を醒す必要はない。 淡々と。 少し淋しい心持ちのまま。 現実世界に向かって彼らと私達は歩む。





とはいえ。 長年待ってたファンとしては、あっさりと今回のお祭りが終わって しまってはつまらないので、いましばらく陰摩羅鬼をサカナに、 いや、トリだけど、遊びたいと思います。 (ナルシア)


『陰摩羅鬼の瑕』 著者:京極夏彦 / 出版社:講談社NOVELS2003

2002年09月03日(火) 『時をさまようタック』

お天気猫や

-- 2003年09月02日(火) --

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『少女スタイル手帖』&『昭和のおかず』

☆昭和を思う。

中村草田男の「降る雪や明治は遠くになりにけり」 ではないけれど。昭和もすっかり遠くなった。 唐突だが、しみじみと、昭和が懐かしくなってしまった。

『少女スタイル手帖』と『昭和のおかず』というのは、 ちょっと変な取り合わせだが、共通項は、 どちらも、昭和を切り取った本なのだ。 『少女スタイル手帖』は昭和の少女のあこがれを。 そして、『昭和のおかず』は、もちろん、昭和の食卓を。 今は平成15年。 ああ。若いつもりでいても、私は 昭和の人間なのだ。 そんなことを、しんみりと感じされられた。

『少女スタイル手帖』には、 私の少女の頃の日常がぎっしりとつまっている。 お人形から文房具、おべんとうばこからふとんまで。 あの頃、どうしても欲しかった物から、 当時でも絶対に欲しくなかった物、 どこの家にも当然のようにあった品々まで、 丸ごと一冊、昭和の少女たちの宝物を納めた、スクラップブックである。 子どもの頃持っていた(と言ってもまだ、物置にあるのだが)ベビーダンスが あれば、写真を見ただけで、ぽかぽかした太陽の匂いを思い出した オレンジ色の子供用の敷き布団も。(微妙には違うけれど、当時流行していた というバンビ風の子鹿の柄で、色といい模様といい、ほぼ同じ物の写真が 載っていて、驚いた。) “少女の思い出大百科”と、コピーがついているけれど、 どのページを開いても、恐ろしいくらい見覚えのある物ばかりだ。 まるで自分の思い出のアルバムのように、少女期のパーソナルな思い出が、 ぎゅう、ぎゅう、と詰まっている。 けれども、悲しいことに、思い出の中ですら、 あの頃はもう、セピア色に退色してしまった。 それでも、ページをめくると、 突然に、遠く過ぎ去ったはずの胸の痛みがリアルにぶり返したりする。 何でもなかったこと、ごくごく普通の一日が 急に意味を持って思い出されたり。 ついつい、センチメンタルな気持ちに浸ってしまうのだった。

そして。 今でも、我が家では、昭和が続いていた。 我が家の食卓。 まるっきり、『昭和のおかず』のままである。 懐かしむまでもなく、私は「昭和」の空間の中で生きているのだ。 『昭和のおかず』のレシピの中で、今でもうちの定番は、 ・かぼちゃの直かつお煮 ・ぶどう豆 ・五目豆 ・いかのいため煮 ・ひじきと油揚げのいため煮 ・きゅうりの酢の物 e.t.c. 多少の細部の違いはあっても、あげればきりがないくらい、 うちは昭和の食卓であった。

いろんなことがあった。 子どもの頃から今日までを振り返ると、 当然、いろんなことがあった。 子ども時代だって、決して楽なことばかりではなかった。 けれど、私にとって、昭和というか、子どもの頃というのは、 日だまりの布団の匂いなのだ。 子どもながらに、つらいことだっていっぱいあったが、 清潔で、健康な太陽のぬくもり、 ほんとうに匂いつきで思い出された。 きっぱりと、それが、私の昭和。 そして、もちろん。 昭和の食卓に、異存はない。

思いもよらず、この二冊は、 日常の中の、ささやかなしあわせをほのかに呼び起こしてくれた。 (シィアル)


『少女スタイル手帖』 著者:宇山あゆみ / 出版社:河出書房新社2002
『きょうの料理が伝えてきた昭和のおかず (別冊NHKきょうの料理)』 編纂:NHK出版 / 出版社:日本放送出版協会2002

2002年09月02日(月) ☆本に追われている。

お天気猫や

-- 2003年09月01日(月) --

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『バルザックと小さな中国のお針子』

私が「下放」を知ったのは、そんなに前のことではない。 中国が結構好きで、中国の近現代史も、それなりには把握して いたのだから、知らなかったはずはないのだから、「下放」や「文革」を 文字以上に、意識したこともなければ、ましてや、その意味とかその時 どんなことがおこなわれたのかとか、真剣に考えを巡らせたことが なかったからだろう。

『バルザックと小さな中国のお針子』は、 その「文革」「下放」時代の物語。 文化大革命というのは、1966年から1976年の毛沢東の死去まで続いた、 中国の大規模な思想・政治闘争。 その頃、都市部の知識青年たちは、 「再教育」の名の下、強制的に農村に送られている。 それが、「下放」である。 そういえば今、思い出したけれど、ドラマ『大地の子』(原作:山崎豊子)にも、下放のシーンが描かれていたので、このドラマで(あるいは、もちろん、原作小説で)、「下放」というものを知った方も多いかもしれない。)

文化大革命のさなか、医師夫婦の息子である17歳の「僕」は、 歯科医の息子である羅(ルオ)ともども再教育のため、山奥の村に 下放された。村での生活は過酷な肉体労働の繰り返し。 やがて、二人は近くの村の仕立屋の美しい娘、小裁縫に恋をする。 禁書であるバルザックの小説を友人が隠し持っていることを知り、 小裁縫に語り聞かせ始める。

映画『小さな中国のお針子』の原作で、自ら下放を経験した、 ダイ・シージエ監督の作。 映画といえば、同じく下放を背景にした『シュウシュウの季節』を 思い出す。 映画とはいえ、これで初めて、私は「下放」を目の当たりにした。 『小さな中国のお針子』とは逆に、シュウシュウという女の子が 辺境へと送られる。 つらい日々を重ねるうちに、家に帰りたいという思いは絶望的な までに強くなり、やがては、ずるい地方役人たちの言葉に翻弄され、 家に帰るためと、自分の身体を差し出し、 最後は悲劇的な結末を選び取ってしまう。 たかだか30年くらい前のことなのに、現実にあったとは思えないほど、 残酷な政策だ。

重く哀しい、『シュウシュウの季節』と比べると、 『小さな中国のお針子』には、希望がある。 下放は確かに過酷で、読んでいても所々に影を落とすが、 『小さな中国のお針子』には、青年たちの恋心や、青春が描かれ、 シュウシュウとは対照的に、村の娘・小裁縫は、自分の人生を 選び取っていく。

そして、「本」について。 思想統制されていた当時、彼らにとって「本」は特別な宝であった。 娯楽に限らず、彼らを満たすものが何もない村の生活の中、 同じく下放されてきた青年が隠し持っていた禁書である西洋小説の数々。 危険な輝きを放ち、彼らをひきつけてやまない。 本に対する、活字に対する、自由な思想に対する、渇望。 そして、その大切な「本」が、「自由」のシンボルが、 彼らの運命を変えていくのも、ちょっと皮肉で面白い。

張藝謀(チャンイーモウ)監督や陳凱歌(チェンカイコー)監督も、 下放を経験しているという。 『バルザックと小さな中国のお針子』にせよ、『シュウシュウの季節』 にせよ、少し前の中国で何があったのか、考えてみるきっかけになった。 ほんの30年前の中国の現実である。 (シィアル)


『バルザックと小さな中国のお針子』 著者:ダイ・シージエ / 訳:新島 進 / 出版社:早川書房2002 ※映画 『小さな中国のお針子』  原題:「Balzac et la Petite Tailleuse Chinoise」  制作:2002年 フランス  監督:ダイ・シージェ  出演:ジョウ・シュン / チュン・コン / リィウ・イエ 『シュウシュウの季節』  原題:「天浴」「XIU XIU The Sent Down Girl」  制作:1998年 アメリカ  監督:ジョアン・チェン  出演:ルールー / ロプサン / ガオ・ジエ

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管理者:お天気猫や
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