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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2003年08月29日(金) --

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『ハゴロモ』

☆静かな優しさに満ちた、おとぎ話。

久々に、よしもとばななさんの本を読んだ。 「あ、すごく染みるなあ」と、しみじみ感じた。今まで何冊か読んだけれど、今までになくとてもしっくりきた。

よしもとばななさんの本は、自前では『キッチン』と『哀しい予感』 の二冊しか持っていない。リリックで、センチメンタル。 まるで、少女マンガのように読みやすい。 だから、結構な冊数を図書館で借りて読んでいる割には、 するっと、心を滑り落ちてしまって、これというひっかかりがなかった。 『キッチン』と『哀しい予感』は、よしもとばななさんの最初の頃の作品で、 よしもとさんも若く、当時の私も若くて、多分、若さゆえのぎこちなさが、 心にひっかかったのだと思う。 図書館で借りて読んで、しばらくして、文庫本になった時、 そのひっかかりを思い出して、買ったのだった。

その後、よしもとさんの作風が少し変わってきて、 この世ならざるものが、普通に、物語に登場するようになった。 なんか、境界線の向こう側に、ごくごく普通に行ってしまって、 超常的なこととか、霊的なものとかが、当たり前のように語られている。 微妙な読後感であった。 面白かったような、なんだか、腑に落ちないような。

『ハゴロモ』でも、そういう、フシギな現象は、 ごくごく、フツーに語られる。 失恋の痛みと喪失感、それにともなう今まで気がつかなかった疲労感をかかえて、川に囲まれたふるさとに帰ってきたほたる。 子供の頃、私も川のすぐ側に住んでいて、 生活の中にずっと、水の流れる音や、川面のきらきら光る反射光が 生活の中にあったから、冒頭の川のある街の描写には、 とても懐かしいものを感じた。

あとがきに、よしもとさんご本人が書かれていたように、 ふるさとの懐かしい人々、優しい人々、 自分をあるがままに受け入れてくれるあたたかな人々の中で、 ほたるがゆっくりと、癒されていくおとぎの話です。

するすると読めるので、忙しくてくたくただけれど、 ほっとする何かにふれたい時に、おすすめです。 (シィアル)


『ハゴロモ』 著者:よしもと ばなな / 出版社:新潮社2003

2002年08月29日(木) 『いまなぜ青山二郎なのか』

お天気猫や

-- 2003年08月28日(木) --

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『パイド・パイパー』

☆イギリス冒険小説は、奥も深ければ、裾野も広い。

せつなくて、どきどきはらはらする、冒険小説を読んだ。

まるで、「ハーメルンの笛吹男」さながら、 ぞろぞろと子どもを率いて、イギリスを目指す老人。 時は第二次世界大戦中。 老人の名は、ジョン・ハワード。 旅先のフランスに、ナチスドイツ軍が迫り、帰国を余儀なくされる。 その時、同じホテルに滞在していた夫婦から、幼い兄妹を一緒に イギリスに連れ帰ってほしいと頼まれる。 ナチスの侵攻に怯えながらも、ひたすらにイギリスをめざすハワードだが、 行く先々で子どもを預かることになり、脱出への旅は困難を極めていく。 (「ハーメルンの笛吹男」で重要なアイテムの笛は、本筋には影響を 及ぼさないが、この物語でも、大切なアイテムである。)

70歳の引退した老弁護士が主人公の冒険小説なんて、 地味で退屈だと思いこんでいた。 確かに、派手さはなかったが、決して退屈ではない。 戦争という非常に悲壮な状況の中で、淡々とイギリスを目指す ハワードたちの逃避行は冒険に次ぐ、冒険である。 幼子と老人の間には、当然のごとく、さして通い合うものもない。 子どもたちは、戦火の下とはいえ、やはり、無邪気な子どもに過ぎず、 時に、ハワードの足手まといにもなる。 自分の身一つならまだ、何とかなるだろうが、最終的には数人の子どもを 連れて、ナチスの包囲網をかいくぐって海を渡らねばならない。 どきどきしたり、はらはらしたり。 さすが、イギリスの冒険小説の裾野は広いと、ひとしきり感心してしまった。 しかし、どこにもスーパーマンは現れない。 普通の人たちが、互いに助け合う姿があるだけだ。

この本を読んでいた時、ちょうど、「レスキュアーズ」という アメリカのドラマを見ていた。 “レスキュアーズ”というのは、もともとは“RESCURE=助ける人”という意、 ここでは、“ナチスからユダヤ人を守るための活動をした人々”という 意味の固有名詞になるだろうか。 実話をドラマ化したもので、現実の世界には、スーパーヒーローはいない。 神様が、助けてくれるわけでもない。 市井の人々が、命がけの勇気を振り絞り、 ナチスの手からユダヤ人を助けようとする。 普通の人々の、「普通」の勇気について、考えさせられた。 自分たちの行いが、ナチスに露見すれば、殺されてしまうことは必至だ。 並々ならぬ勇気ではあるが、不合理な暴力から誰かを助けたいという思いは、 本来なら普通のことなのだ。 この場合、「普通」の勇気は、命がけのそれであり、 結果的には、誰にでも簡単にはできない、高邁な行動となったのだが。 ドラマではあるけれど、 人々が、立派なことを言うでなく、異常な日常の中で、 「普通」の人として、何とか、ユダヤ人を助けようとする姿に心を打たれた。

この物語でも、みんな普通の人ばかりで、 普通の人たちが、何とか、この難局を切り抜けようと、知恵を絞る。 最近、「フツー」ってよく使うよね。 「フツーに、うれしかった」とか。 みんな「フツー」に、勇気を振り絞っている、そんな感じ(笑)。 ドラマとシンクロして、ナチスやら戦争やらの、残虐な暴力を思い、 個人的には、気持ちが重たくなったりもしたけれど、 この小説は、せつなく、やさしい心持ちになれる、 ちょっと珍しい冒険小説でした。 (シィアル)

※この小説は、2回ほど、映画化されているようです。
 1942年には、『The Pied Piper』  (監督:アーヴィング・ピッチェル / 出演:モンティ・ウーリー)
 1990年には、『Crossing to Freedom』  (監督:ノーマン・ストーン / 出演:ピーター・オトゥール)

※『レスキュアーズ』製作総指揮:バーブラ・ストライサンド  ナチスからユダヤ人を守ろうとした女性たちを描いた実話ドラマ。


『パイド・パイパー −自由への越境−』 著者:ネビル・シュート / 訳:池央耿 / 出版社:創元推理文庫2002

2002年08月28日(水) 『くるくるロールケーキ』

お天気猫や

-- 2003年08月27日(水) --

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『わたしのおふねマギーB』

☆マギーBから始まる旅。

アイリーン・ハースは、 アメリカ人のデザイナー、イラストレーター。 マギーBは、彼女が最初に絵と物語を両方書いた絵本。 印刷コストの問題か、カラーとモノクロページが交互に 入っている。できたら全部カラーで見たい。

これは夢の一日の物語。 子どものころ、誰もが願う、自分だけの家、 大人のいない秘密の場所。 マーガレット・バーンステイブルの場合は、船だった。 お祈りしたあくる朝、目が覚めたら、 マーガレットはすてきな木製の小さな船、マギーBの上にいて 幼い弟のジェームスも一緒だった! まわりは青い海、他には何もない。 鳥や動物たちも乗り込んで、船はすべり出す。 そして、夢のような一日が始まる。

そもそも、この絵本はシィアルの思い出の本。 かつてマギーBの航海を楽しんだのは、彼女なのだ。

じゃあ、私にとってのマギーBはというと─絵本なら 佐藤さとると村上勉の『おおきなきがほしい』かな。 かおるという男の子が、木の上に家をもつ想像をするお話。 読んだのは学生の終わりごろだけど、ものすごく惹かれた。 将来あんなふうな(木の上ではないけど)家を欲しいと 強く強く願った。お金はかからないけれど、家具やなんかを すべて木で手づくりにしないと、あの雰囲気は出ない。 上手に作りすぎてもだめだ。大人のくせに子ども部屋がなぜ 欲しいのかといわれても困るけれど、当時はとにかく かおるの部屋にあこがれた。かおるだって、そういう想像を しただけだったのに。

それから、ナルニア国シリーズの『朝びらき丸東の海へ』も 船の冒険という意味ではマギーBかも。こちらはいまだに憧れる。

マギーBをめくっていると、そんなこんな思いが ぱたぱたとはためきだす。 マギーB、大人のいない、マギーB。 (マーズ)


『わたしのおふねマギーB』 著者・絵:アイリーン・ハース / 訳:うちだりさこ / 出版社:福音館書店1976

2002年08月27日(火) 『異人たちとの夏』

お天気猫や

-- 2003年08月26日(火) --

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『妖精ディックのたたかい』

英国コッツウォルズの古い屋敷ウィドフォードを舞台に、 家付き妖精のホバディ・ディックが、大好きな人たちを守る。 守るといっても、人間たちにとってディックは、 あくまで『いるつもり』の存在である。 堂々と話をしたり、世話をしてもらったりはしない。 ときに、ぼろをまとった小さな人の姿をかいま見る人間も いるが、素朴な田舎の人たちに、さりげなく『いるつもり』で 接してもらえることが、家付き妖精の満足なのだ。 そういうことをしてくれる人は、ディックにとって 『わきまえた』人である。

ちょっとした食べものを専用のお皿に置いてもらったり、 魔よけのおまじないを、自分の好きな場所から外してもらったり。 自分たちのことだけでなく、妖精にもきちんとした待遇をする家は、 妖精のおかげで作物も育つし、家畜も増え、手仕事ははかどり、 栄えてゆく。

でも、家に付くものがすべて良いものとは限らない。 主人のベッドに住みついたしみったれのお金好きな幽霊や、 天国へ行けない過去の魂もいる。 鬼火や魔女、悪しきものたちも、そこらをうろつく夜。 妖精の世界に通じる塚があり、森があり、魔物の渡れぬ川があり。 ディックのいる英国の田舎は、そんな世界。

なんだか、この感覚って、日本のちょっと前の世界に似ている。 座敷わらしがいたり、野山にキツネやタヌキが化けて出たり、 歩くお地蔵さんや、山姥がいたりした頃の日本に。

ウィドフォード屋敷に越してきた富裕な商人ウィディスン一家と、 屋敷の本来の持ち主の血を引く名家の少女、アン・セッカー。 ウィディスン夫人の小間使いとなったアンが、 妖精ディックの出会った、いちばん好きな人間だった。 ディックには高貴なもやに包まれて見えるウィディスンのお祖母様は、 孤児のアンに優しく接してくれるが… 運命は、ディックの心配をよそに、歯車を回し始める。

そして、見えざる手によって、ディックは役割を果たす。 想像した以上の救いをもって幕を下ろした物語を読む私たちも、 その歯車の一員なのだろう。

いつかどこかで書きたいが、『つもり』というのは 奥の深いごっこ遊びだ。いってみれば、世のなかのことは何でも 『つもり』で始まり、終わるのだから。 (マーズ)


『妖精ディックのたたかい』 著者:キャサリン・M・ブリッグズ / 訳:山内玲子 / 出版社:岩波書店1987

2002年08月26日(月) ☆アートと本の切れない関係。
2001年08月26日(日) ★夢の図書館ナツヤスミのお知らせ。

お天気猫や

-- 2003年08月25日(月) --

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『ゴーメンガースト』実写ドラマ版

「映像化不可能」と言われた膨大なるイメージの集積『ゴーメンガースト』を、ついに天下のBBCが1999年に実写映像化してしまいました。 制作期間5年、1時間のTVシリーズ四話分です。

映像化が難しいとは言っても、ゴーメンガーストには超常的な存在や 異世界は登場せず、基本的には私達の世界を構成しているものと 同じ物質で成り立っているので、「不可能」とまでは言えません。 ただ千年を超える歴史と文化と富を感じさせ、 その配置が完璧で独特な美を構成している映像などは、 よほどの予算とスタッフでなければ作れませんし、 ピークの文章はクローズアップから遠景まで完全にフォーカスが合っていて、 しかも鮮明な高速度撮影。 そんなレンズを持つ機材も存在しないでしょう。

と、いう訳で、TV版ゴーメンガーストは支那風のカラフルな建物で 個性的ですが、原作の闇を抱いた巨大な石の城の質感とはかなり感じが違っています。 しかしながらそこは書き割り一つなくともその場を嵐の荒野や魔法の島に 変えてしまう「演劇」の伝統王国、演技に関しては超一流。 英国の人々が、半世紀の間愛した物語の登場人物をどのように表現するのか、それが見物です。

というわけで。ブラボー!役者さん達のなりきり方が素晴らしい! もともと原作には著者の手になる人物スケッチが付いていますし、 文章でも並外れて詳細に人物の外見と内面の心理描写がなされているので 役作りの手がかりは多いのですが、それだけに完成されている キャラクターイメージを崩さないのは大変でしょう。 この通りの人物を作ろう!というスタッフ一丸の熱意が伝わってきます。

衣装も細部まで完璧。 姫の野暮ったくて可愛い深紅のドレス姿、 乳母やのよそいき帽子のガラスの葡萄、 若者の一分の隙もない洒落たお仕着せに仕込み杖、 オペラ「トゥーランドット」を思わせるエキゾチックなオリジナル衣装、 豪華で古ぼけてて凝っていて、見事です。 演劇調の台詞回しも秀逸。 機知が行き過ぎて漫談芸になってしまっている医師、 恐ろしい程のタイミングで掛け合う双子の老嬢、 悲愴感極まる伯爵の声。 ぜひ字幕版で、声の演技と端的で微妙な表現をお楽しみ下さい。

キャストも凄くて、忠僕フレイを演じるのは生前のピーク氏に お会いした事もあるという、かのクリストファー・リー! うわあ、あの威厳ある「伯爵」が、こっちでは伯爵の従者になってる! 蜜の言葉を操る美声の「白の魔術師」が、ぶつ切りの単語で喋っている! 格好良すぎるぞ忠義者! しかしなんと言っても最高のキャスティングは、物語の実質上の 主人公であるスティアパイクを演じるジョナサン・リース・マイヤーズ。 瞳の色以外はあらゆる点がかの野心家の若者そのもの。 若僧の芝居がかった振る舞いに地位ある人々が ころころ手玉に取られる様も、実際の演技を見れば納得です。 炎のような驕慢が、ぞっとする程美しい。

TVドラマは陰謀劇部分を主眼に手際良くストーリーを圧縮し、 説得力を増すために「動機」を補強するオリジナルエピソードを加えています。 いずれもなかなかよく考えられた補足や改変で、ドラマ用に 変更された場面も「その手があったか!」と感心させられます。 予算も時間も(それでも5年!)限られているTVドラマでは原作の舞台の 奥行きには遠く及ぶ事は出来ませんが、ことキャラクター先行で物語を 読みたい方は、ドラマのキャストを思い浮かべながら 原作を読んでも楽しめるのではないでしょうか。 実を言うと私も原作を読みかえしたら、何人かはドラマの姿にすり代わっていました。 スタッフとキャストの原作に寄せる愛情が隅々まで感じられる作品です。 (ナルシア)


『ゴーメンガースト』1999年 BBC製作 監督:アンディ・ウィルソン / 出演:ジョナサン・リース・マイヤーズ、クリストファー・リー他

2001年08月25日(土) 『帰還─ゲド戦記4 最後の書』

お天気猫や

-- 2003年08月22日(金) --

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☆宮崎アニメの中のゴーメンガースト。

作品が生まれてから半世紀、繰り返し物語の「型」が踏襲され、 幅広い裾野を持つ作品群の源流となった『指輪物語』と比較して、 『ゴーメンガースト』はいかなる追従も模倣も後継も不可能、 と言われて来ました。

ところが。『タイタス・グローン』を読み始めてほどなく、 私は見覚えのある場面に遭遇しました。 ごく小さな描写ですが、その印象は強烈です。 これは。あれではありませんか。あれ。ほら。 みなさんも御存じのあの場面。 その後も、次々と覚えのある描写が。 用いられる場面、状況、人物、心理はまるで異なっているというのに。

なんと。いたではありませんか、 『ゴーメンガースト』の衣鉢を継ぐ偉大な後継者。 日本人には好まれないと言われた作品の中のきらめくような描写を、 日本人が好む状況にはめ込んで、多くの人に愛される場面に蘇らせた 世界レベルの表現者、アニメーション作家・宮崎駿監督が。

作品のタッチは正反対と言えるほど異なっています。 緻密に描き込まれた線画や銅版画を思わせる(というより 実際ペン画イラストが本職の)ピークのシャープな作風と、 シンプルな線に明快な色彩が優しい宮崎セルアニメ。 しかし宮崎氏の直筆コミックスや詳細な絵コンテはスクリーントーンを ほとんど用いないペン画なので、共通点があるといえば言えます。

キャラクターも場面もあまりにも雰囲気がかけ離れているので、 ちょっと想像がつきにくいでしょうが、実際に読んでみたらすぐに 「あ!このシーンはあれ!」と思い至るはず。 ネタは明かせませんが、試しに宮崎アニメの中から、 ゴーメンガースト出身と思われるのものを少し挙げてみましょうか。 長たらしい小説は苦手という方でも、宮崎アニメファンならば ちょっと読んでみたくなるかもしれませんよ。

『未来少年コナン(TVシリーズ)』(1978) 「残された人々」という最終戦争後の世界を描いた原作がある作品ですが、 主人公の少年とヒロインの少女がそれぞれ持つ印象的な特技は、 『タイタス・グローン』の中のキャラA及びキャラBの特技です。 人間性を排した機械文明に対する嫌悪感は『タイタス・アローン』で ほのめかされたまま追及には至らなかった未完のイメージでしたが、 宮崎監督が引き継いで描いたと思えば、納得できる気分です。

『ルパン三世・カリオストロの城』(1979) 言うまでもないですね。当時は知る由もありませんでしたが、 舞台のカリオストロ城は、小さな仕掛から大きな見せ場まで元ネタを 彷佛とさせるのが楽しい小型ゴーメンガースト城になっていたのでした。 主要登場人物の名前も『タイタス・グローン』の某キャラ、中身は まるっきり違いますが。キャラAの行為をルパンが行っています。

『風の谷のナウシカ』(1984) ユパ様、ナウシカのある印象的な動作はまたもやキャラA・キャラBの ものです。宮崎監督って、キャラA・キャラBの「動き」だけが好きで 姿や性格は嫌いなの?本体の面影はかけらもありません。 少年タイタスが城を抜け出して入り浸るゴーメンガースト山の 森のイメージが舞台として登場。

『天空の城ラピュタ』(1986) 『未来少年コナン』とテイストが同じ作品なので、世界の雰囲気は 『タイタス・アローン』に近いです。 あれ、もしかして「あの人」ってキャラBの容姿と性格を少し継いで いるでしょうか。という事は宮崎監督、やっぱりキャラBは好きなのね。 主要登場人物の一人の名も『タイタス・アローン』がもとになっている ようです。 雲に閉ざされた天空の城ラピュタの、ある幻想的な風景は、 ゴーメンガースト城の驚くべき一部です。 すごいぞ、ゴーメンガーストは本当にあったんだ。

『紅の豚』(1992) なんと。『タイタス・アローン』のキャラCが実に理想的に映像化されている! 嬉しい、と勝手に思うのですが、どうでしょう。 飛行艇と過ぎ去りし青春。 彼等が『タイタス・アローン』の置き去りにされた脇役達の その後の姿だと思えば、とても幸せな気分になるのですが。

『もののけ姫』(1997) 宮崎監督の本命って、『ゴーメンガースト』のキャラDだったんですか。 そうか。それで「生きろ。そなたは美しい」なのか。 キャラDの衝撃的な「動き」と設定がまさに美しく再現されています。 己が身にかけられた呪縛を解くために異国を彷徨う若殿・アシタカは 性格も行動力もものすごく理想化したタイタスと言えなくもない(伯爵、許せ)。

『千と千尋の神隠し』(2001) 巨大な迷宮のようなお湯屋もまたゴーメンガースト城? 日々一心に自分の勤めを果たして城の底辺を支える従業員達の視点です。 主人公の千尋が正面から取り組んだような、こういった勤めを蹴って逃げ出したキャラAは、やっぱり宮崎監督からすれば受け入れられないんですね。

おそらく、宮崎監督は20年以上前に『タイタス・グローン』を読んで、 その行動には心から魅了されながら、パーソナリティーに問題のある キャラAを好ましくは思えなかったのでしょう。 子供は、素敵な行動をする人は素敵な人であって欲しいと思いますから、 子供達に見せる物語では、無垢な登場人物にこの行動をさせよう。 その他にも、子供達には読む事が出来ない物語の中の大好きな場面を、 宮崎監督はどうしても子供達にも見せてあげたいと思ったのではないでしょうか。

そして、他の表現手段全ての中で抜きん出て 「動き」の表現に優れているアニメーションという技法の中に、 宮崎監督は『ゴーメンガースト』の遺産をちりばめたのでした。 蜘蛛の巣に覆われ、梟に抱かれ、長い間人知れず闇に沈んでいた 宝石の数々は眠りから覚め、数多くの子供と大人が、 それと知らずその小さな宝石の輝きを心に刻んだのです。(ナルシア)


ゴーメンガースト三部作『タイタス・グローン』『ゴーメンガースト』『タイタス・アローン』 著者:マーヴィン・ピーク / 訳:浅羽莢子 / 出版社:創元推理文庫

2002年08月22日(木) 『幻の女』
2001年08月22日(水) 『黒と茶の幻想』

お天気猫や

-- 2003年08月21日(木) --

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『タイタス・アローン』〜ゴーメンガースト三部作(その3)

ゴーメンガースト三部作完結編、となっていますが、 これは「外伝」と呼んでもよいくらい先の二作品とは異なっています。

伝統の重責を逃れて放浪するタイタスは、自分の唯一知る世界とは 全くかけ離れた世界にたどり着きます。 おんぼろ自動車が疾走する、雑然とした石造りの町、 壮麗なビルが立ち並び、上流階級の乗り回す飛行艇が空を埋める街、 地下の貧民都市、非人間的な工場と無気味な近未来的科学力。 描写も、ゴーメンガースト城を描いた緻密な線画のタッチは影をひそめ、 軽いスケッチに淡彩風の、明るく平面的な世界。 前作までの文章の密度と比べると、走り書きのような未完成な印象を受けます。

誰一人ゴーメンガーストを知る者のいない異質な世界で、 第七十七代グローン伯であるという矜持と生命力しか持たぬ青年は、 投げかけられる人々の好意すら束縛に感じ、 自由を渇望し、ひたすら逃走し続けます。 人物描写も底知れぬ城の人々とは異なり、 初対面で敵か見方か直感的に判るシンプルな描き方になっています。 重厚ながら情熱に溢れていた一・二部に比べると、軽快で読み易い反面、 旅の間中、青年の虚ろな痛みにつきあっていかねばなりません。 新しい世界を彷徨い、新しい人々と関わり合いながら、その心の奥で 年若いタイタスがどれほどゴーメンガーストを憎み、慕っていたことか。

長い間病に苦しめられていたピークは、第四部の構想もメモに残して いたのだそうですが、作品化する事は無いまま1968年に亡くなりました。 執筆が続けられていれば、本来ゴーメンガーストシリーズは、 あまりに重い故郷から逃れて迷走する青年が、成長し自己を確立し 旅の果てに帰還する物語となるはずだったのかもしれません。 しかし青年は永遠に旅を続け、城は厳然として重くいずこかの地に 聳え続ける運命となりました。

ところがピークの蒔いた種を秘かに育て、自らの技法によって ピークの描きかけた世界を断片的ながら描き継いだ作家がいるのですね。 ストーリーもキャラクターも全く異なりますが、ピークが世に生み出した 未完の世界の一部は、20年以上後に極東のアニメーション作家が 独自の伸びやかな表現力で蘇らせました。

前述の、タイタスが迷い込んだ都市の説明でお気付きになった方も多いでしょう。 ピークの想像力の衣鉢を継ぐ者。 日本が世界に誇るアニメーションの巨匠、宮崎駿こそその人です。 (ナルシア)


ゴーメンガースト三部作「タイタス・グローン」「ゴーメンガースト」「タイタス・アローン」 著者:マーヴィン・ピーク / 訳:浅羽莢子 / 出版社:創元推理文庫

2002年08月21日(水) 『危険な駆け引き』
2001年08月21日(火) ☆やってみたらできたこと。

お天気猫や

-- 2003年08月20日(水) --

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『ゴーメンガースト』 〜ゴーメンガースト三部作(その2)

第一部タイトル・ロールの第七十七代グローン伯爵タイタスは、 第一部では生まれたばかりの赤子なので、 その存在は城の絶対的伝統の象徴ではありますが、 特に本人が活躍する訳ではありません。 第一部・第二部通しての実質の主人公は、 ゴーメンガーストという巨大な権力を手中に納めるべく、 並外れた知力体力の限りを尽くして暗躍する一人の伶俐な若者。 この英国文学史上有数の天才犯罪者と相対する人々との 密やかにして壮絶な戦いが、第二部の物語となります。

第一部で描かれた城の暮らしを読んでいて気になったのが、 伯爵家の子供達の生活環境でした。 「嵐が丘」を思わせるような他者からの孤絶の中で、まともに育つのか? ところが思いがけず第二部では、小さな伯爵は学寮で 大勢の同級生達とわけへだてなく育てられ、両親との縁は薄くとも 複数の人々に愛されてごく普通の少年に育ちます。 ただ一つ、家名を負い因習にがんじがらめにされる重責を憎む点を除いて。 この重々しくも陽気なパブリック・スクールで暮らす、 重い運命を背負った孤独な少年の姿は、ハリー・ポッターに面影がありますね。

背景が整ったので、第二部は第一部より軽快で、 前半部は主に大人向け(?)コメディ、 後半物語はサスペンスとアクションが急展開で進みます。 天下に一つの見事な画集のようだった第一部とはまた趣が変わり、 緊迫した活劇と想像を超えた舞台装置で幕を閉じる第二部。 世に『ゴーメンガースト三部作』と言われますが、 実質上、ゴーメンガーストの城の物語はこの一部・二部で完結します。 さらば悠久なるゴーメンガースト、さらば緋色の野心、 第三部は城を離れたタイタスが、全く異なった 外の世界を一人旅する物語です。

それにしても文体それ自体が読者を限定してしまい、 その魅力を知る人が少ないのがなんといっても惜しい小説です。 たとえば私達が子供の頃世界文学のダイジェスト版や 大人ミステリの児童向け版を読みふけったように、 読み易いジュヴナイル版を作ってもらえたら 夢中になる子供もさぞかし多い事でしょうに。 というか私が読みたかったですよ。 そして成長して十分な能力を身に付けた時に完全版を読む事を ずっと楽しみにしたでしょう。 連続殺人の話だから駄目? アイリッシュやハメットすら小学校の図書館にありましたし、 残虐性ではシェイクスピア劇も劣りますまい。

なんとかその創造の素晴らしさの一部でも、 多くの人に味わってもらう方法はないものか、と、 私と同じように感じた人がどうやらいたようです。 それも、皆さんが良く御存じの、とても意外な人物が。(ナルシア)


ゴーメンガースト三部作「タイタス・グローン」「ゴーメンガースト」「タイタス・アローン」 著者:マーヴィン・ピーク / 訳:浅羽莢子 / 出版社:創元推理文庫

2002年08月20日(火) 『燃えよ剣』(その2)
2001年08月20日(月) 『さいはての島へ─ゲド戦記(3)』

お天気猫や

-- 2003年08月19日(火) --

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『タイタス・グローン』〜ゴーメンガースト三部作(その1)

伝説のゴーメンガースト、 幾世紀も存続し続けてきた巨大な城と住人達を まさに無の中からペンとインクだけで生み出した第一部こそ、 蜘蛛の巣に覆われ、梟に抱かれた、闇に輝く宝石の森。 頭を空にして、執拗なまでに念入りに描写された細部を丹念に頭の中に並べ、 文章の示す通りに慎重に彩色し、全景を整えて、 さあ御覧ください。

目の前の空間を埋める巨大な絵画の、魂が震えるほどの美しさ。 単独では必ずしも綺麗ではない、汚れた物、醜いとさえ言える物、人物、 それらの数々のオブジェが細心の注意を払って配置され、 特別に計算された照明を受けた時、 なんと繊細で陰鬱で印象深い美が生み出される事か。 しかも、この比類なき絵画は静止しているわけではありません。 息を飲むような躍動、うっとりするような優美、風変わりなテンポ、 誇張された「動き」の美しさでもゴーメンガーストシリーズは別格です。

そして各場面各場面をひたすら鑑賞しているうちに、 これはなんとした事か、極端に戯画化された容貌のうえ、 意表をつく行動で馴染みにくかった登場人物達が、 醜怪とさえ感じられた描写の更に奥の、魂の光をかいま見せてくれるようになります。 先祖伝来の不可解な因習、全てを所有する伯爵家の人々、忠実な従者達、 城周辺の貧しく誇り高い土着民達、それぞれの思いもまた積み重なり溶け合い、 じわじわと城を形づくってゆきます。 その歴史と想いの集合体を鮮烈に裂く、赤黒い一条の策略の炎。

それにしても著者のピークの目は凄い。 拡大鏡で覗いた描写からズームアウトして捕らえる世界の全てが、 一つ一つの部分は私達が現実で目にする事ができるありきたりなものから 成っているはずなのに、完成した情景は驚異的にロマンチック。 風刺的に誇張された人物描写と緻密なレイアウトの風景は、 本職の挿し絵画家としての観察力と分析力と表現力の資質が 文章にも現れたのだと言えるのでしょうし、 物語に現れるはかり知れぬ歴史と混沌と意味不明の慣習と芸術品は 著者が幼少時代に暮らした中国のイメージの反映なのだそうですが、 そうであってもこの「目」を持たぬ他の者達には、 確かに「同じような小説」を書く事は不可能でしょう。

忘れえぬ光景、忘れえぬ人々、喜劇と因習と策謀と愛情に満ちた 唯一無二のゴーメンガースト。 第七十七代グローン伯爵タイタスの誕生と同時に、 私の魂も城の中に生まれ出た。 (ナルシア)


ゴーメンガースト三部作「タイタス・グローン」「ゴーメンガースト」「タイタス・アローン」 著者:マーヴィン・ピーク / 訳:浅羽莢子 / 出版社:創元推理文庫

2002年08月19日(月) 『イングランド─ティーハウスをめぐる旅』

お天気猫や

-- 2003年08月18日(月) --

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『ゴーメンガースト三部作』

その本はどこか異様な重さを漂わせていた。 食卓では、父は専用の丸い銅の文鎮と長い銀の文鎮二つを組み合わせて ページを固定し、空いた両手で煙管に莨を詰め、 昼食のフォークを使いながら本を読む。 斜め隣の私の位置からは、固定が難儀な程の分厚い文庫本の中に、 ちらちらとひどく陰気なペン画の人物スケッチが眺められた。 父が卓を離れると、私は栞代わりに挟まれた銀の文鎮ごと、 暗い石の色をした表紙の小さな分厚い本を取り上げ、ざっとめくってみた。 長々ともってまわった重苦しい文章、古臭い舞台、わざわざ原語の意味を 説明された馬鹿馬鹿しい名の登場人物達、気味悪い人物イラスト、 鬼面人を驚かすような虚仮威しのタイトル。 なあんだ、宇宙のお話でもないし、探偵小説でもないんだ。長いし。 当時、父の所有するSFや本格推理小説、恐怖小説の短編集を隠れて かたっぱしから読んでいた私は失望して、 銀の文鎮と暗い石の色の本を父の煙草盆の隣の位置に戻した。

私は誤っていた。それは一つの宇宙の物語であり、 稀に見る知能的犯罪との戦いの物語であった。 執拗なまでに克明な場面描写は子供にとっては退屈で、 冷笑的に戯画化された人物描写は子供にとっては不快と思えただろう。 けれど長い歳月を越えて再びかの本を手にした私は、今ここに確信する。 我が血はかの比類なき城に棲む者達の血。 私は私と同じ血を持つ者達に声高く伝えなければならない。 孤独を愛し、書を愛し、廃虚と闇と嵐と惨劇を美しいと感じる者。 汝等の探し求める地はここにある。 急ぎ集え、永遠にしてその名も高き偉大なる 「ゴーメンガースト」の城へ。

英国ファンタジイ史上希代の傑作として、 『指輪物語』と並び称せられながら 日本では語られる事の少なかった『ゴーメンガースト三部作』。 一部の熱狂的な読者には支持されるものの、陰鬱で閉鎖的で大仰な その作風がいわゆる明快な「冒険ファンタジー」好みの日本人には あまりアピールしないらしいと言われてきました。 しかし、「冒険ファンタジー」好みには受けないかもしれませんが、 「日本人」の中にはこの陰鬱で閉鎖的で大仰で実はユーモラスな作風が ぴたりとはまる層が存在するように思います。 ただ、現在「ファンタジー」と言えばたいていは 指輪バリエーションのクエストものやハリー・ポッターのような 魔法パワー対決を示す事が多くなっているので、 「ファンタジー?趣味じゃないから」と言ったような一種の勘違いから、 しかるべき層に『ゴーメンガースト』が認知されないままになっているのではないでしょうか。

ゴーメンガーストは架空の世界ですが、魔法使いや妖精のような超常的な 存在は登場せず、出来事は全て合理的に起こっています。 極端にカリカチュアライズされているように見える登場人物達は、 その奥に優れてリアルな魂を隠し持っており、論理的で、 それぞれ方向性の異なった情熱を持っています。 そしてなにより細密に書き込まれた場面場面の光景が、全て彩色版画にして 家宝にしてしまいたいほど、陰鬱で、豪奢で、途方も無くて、美しい。 文字で描かれた素晴らしい画集のようでもあります。 『ゴーメンガースト』は世界最大にして比類無く豊かな、 「館ミステリ」と言ってしまえなくもありません。 私は、かつて「新本格」と名付けられた架空的ゴシック風ミステリの愛読者達をこの城に招待致しましょう。 あるいはまた、シェイクスピアでは幻想劇よりも『ハムレット』や 『リチャード三世』等の陰残な王宮陰謀劇が好みの皆様。 幾人かの方には、まさにこれこそ自分の望んでいた雰囲気、と御満足頂ける事と思います。

無論、全ての方に門が開かれる訳ではありません。 この書を読まれた者が、自身の中の旧きゴーメンガーストの血に気付くか否か、 蜘蛛の巣だらけの古錆びた石造りの迷宮の中へ、 歓喜と憧憬を持って身を投げ出せるか否かは、 実際に読み進んでいただくまでは判りません。 我が父が折々その身をゴーメンガーストに置く事を知っていた私ですら、 自らもその血を継いでいる事に気付くのに、 これほどの歳月がかかってしまったのですから。 (ナルシア)


ゴーメンガースト三部作『タイタス・グローン』『ゴーメンガースト』『タイタス・アローン』 著者:マーヴィン・ピーク / 訳:浅羽莢子 / 出版社:創元推理文庫

お天気猫や

-- 2003年08月15日(金) --

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『レイチェルと魔導師の誓い』

重い色調の前2冊に比べると、表紙も希望に満ちたブルー系で、 レイチェルの姿がどんどん(?)小さくなっている。 シリーズの完結編だが、今回の主役は弟のエリック。

そのせいか、表紙のレイチェルを見比べると、 第1巻の『レイチェルと滅びの呪文』では 表紙いっぱいにレイチェルの上半身が描かれているのに、 2巻の『レイチェルと魔法の匂い』では、レイチェルの全身が 表紙の半分以下になり、さらに今回はたった3cmで他の登場人物と同等。 レイチェルの重要度というか主人公度によって変化している かのようだ。

1巻では、魔女と戦うレイチェルの内面の成長にスポットが当てられる。 2巻では、少女ハイキと未知の力を秘めた赤ん坊イェミの登場、地球の目ざめ。 この3巻では、エリックの内なる戦いや、力をもつことの意味が主翼となる。

舞台となるのは大魔女たちの住んでいた惑星、ウールと、 魔導師の星といわれる謎のオリン・フェン。 そして、魔女達の創造した怪物グリダが敵となり、 地球を護るレイチェルたちの周辺にも新しい能力にめざめた 子どもたちがあらわれてくる。 遠く離れた3つの惑星を往き来するけれど、これはSFではなく ファンタジーで、宇宙船は登場しない。必要ないのだ。

前半では、子どもたちの魔法によって世界がいかに変わったかが 子どもたちの遊ぶ姿を通して描かれる。 もはや国境のなくなった地球の姿。そしてレイチェルは 瞬間移動しながら、「東京」にまでやってくるのだった! 銀座を飛んで、焼き鳥とアイスクリームを買うレイチェル!

2巻につづいて登場するチョウをつれた赤ん坊、イェミの 成長にともなう真相も柱ではあるが、まだまだ謎が多いし、 さすがに1年ではそれほど成長していないと見るべきか、 赤ん坊の1年はもっと大きいはずだと見るべきか。 今回グリダにさらわれてしまったりするイェミに対して、 飛躍的な展開があるのではと期待していたが、そうはならなかった。 他の点では、飛躍的な展開があったのだが。

魔導師も変化を見せる。これまでの圧倒的強さというより、 やさしさや、時に弱さになる思いやりも露呈される。 ラープスケンジャやサーパンサら魔導師たちが、 より踏み込んだ深い関わりを果たしているのだ。

グリダたちに支配されていた惑星ウールの神話的存在たちには、 ひきつけられるキャラクターが多かった。 それは私達人間が支配している地球の自然の声かもしれない。

最後になったけれど、特筆すべきは、グリダのなかの異端子、 弱気なジェイリアスの登場と、魔女カレンの人間的な側面が、 魔導師に対してあらわされた点だろう。

クーンツの『ザ・ウォッチャーズ』に通じる悪役の切なさは、 最終巻ならではのシリーズ的到達点とも読めて、深い。 (マーズ)


『レイチェルと魔導師の誓い』 著者:クリフ・マクニッシュ / 訳:金原瑞人・松山美保 / 出版社:理論社2002

2002年08月15日(木) 『マッケンジーの山』
2001年08月15日(水) 『鼻のこびと』

お天気猫や

-- 2003年08月14日(木) --

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『空がレースにみえるとき』「空がレースにみえるとき」

☆女の子たちが夜みる夢。

空がレースにみえる『ビムロス』と呼ばれる夜には、 不思議なことが起こるよ、ほら今夜がそのとき──

そんな語りかけで始まり、 新しいビムロスの夜の到来で終わる美しい絵本。

三人の姪のために書かれたこの絵本は ビムロスの夜、目をさましている三人の女の子が主人公。 ビムロスの夜には、カワウソたちがうたい、 かたつむりたちが2列になって木をつたい、 ユーカリの木がおどり、草がグズベリージャムみたいになる。 湖畔のあずまやでは、パスタのパーティー。

そんなすばらしいできごとのすべてを、 みんなのがさずに見ていられるように、 女の子たちは裸足で家の外に出る。

空がレースのようになって、 むらさき色にかわったら。

うたうように誘うように言葉はとぎれることなくつづき、 クーニーの水彩画が夜の物語を織り上げる。 原題はそのまま、『WHEN THE SKY IS LIKE A LACE』。

女の子たちの夜の冒険は、カワウソやうさぎ、かたつむりと ともに、大人の知らない時間をすぎてゆく。 うたをうたったり、贈りものを交換したり。 月明かりの下で、むらさきの影にふちどられて。

幼い少女たちの胸に、この絵本はすみついて うたいつづけるだろう。 なんどもなんども読んでしまうから。 満月の夜がくるたびに、何かが、何かが、何かが 起こるかもしれないよ、と。 (マーズ)


『空がレースにみえるとき』 著者:エリノア・L・ホロウィッツ / 絵:バーバラ・クーニー / 訳:白石かずこ / 出版社:ほるぷ出版1976

2002年08月14日(水) 『マッケンジーの娘』
2001年08月14日(火) 『ピグルウィグルおばさん』

お天気猫や

-- 2003年08月13日(水) --

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『怪談レストラン』

☆夏は、怪談の季節。

夏休みになって、小学生の姪たちがちょくちょく泊まりに来ている。 夏の夜のお楽しみは、もちろん、怪談話。 とはいっても、私自身がとても恐がりで、 おまけに、怪談話の語りに重要な「間」が下手なので、 かわりに、本を読み聞かせている。

どうせ、読み聞かせをするのなら、 本当のところは、是非、姪たちに聞かせたい! と、思う名作がいっぱいあるのだけれど、 小学校低学年の姪たちの興味が、 なかなか、名作に向いてくれないのは、少し残念である。

さて、話を戻すと、 最初に買ったのは、『魔女のレストラン』だ。 どこかで聞いたことのある昔話が、 小さな子どもたちにもわかりやすいように、 身近な話として、アレンジされている。 ヨーロッパの魔女から、日本の天狗やのっぺらぼうまで、 メインのお話は、10話あるけれど、 幸か不幸か、怪談話といっても、 それほど怖いお話ではなかった。

私と同じように、恐がりの姪たちも、 やがて、物足りなさを覚えてか、 さらなる怖い話を求めるようになって、 次に買ったのが『妖怪レストラン』である。 この本は、妖怪がテーマだけれど、 天狗やカッパだけでなく、 おなじみの、口裂け女や人面犬、人面瘡まで、 バラエティに富んでいる。

小さな姪たちにとって、もっとも恐ろしかったお話は、 意外なことに、見た目の恐ろしさや、 うらみつらみの呪いなどではなく、 『わたしをかえして!』という「人面瘡」の話であった。 確かに、身体に人間の顔をした痣ができるというのは、 それだけでも、ぞっとすることだろうけれど、 やがて、痣の方がどんどんと大きくなり、 主人公の女の子を乗っ取ってしまうというシチュエーションには、 リアルな恐怖があり、強烈に恐ろしかったようだ。 他者に支配され、自分が消えてしまうという、 精神的な恐怖を初めて味わい、 泣きながら震え上がってしまった。

しかし。 子どもというのは、懲りないというか。 常にチャレンジャーであるというか。 今は、三冊目の『墓場レストラン』である。 「墓場」、である。 怖くないはずはない。 しかも、今までの怖さと違って、 かなり、ウエットな恐怖である。

ランダムに物語を読み進めているが、 最初に読んだ『見たな』が、 これまた、子どもにとっては、 理解を超える、反則のような怖さで、 しかもそれを寝しなに読んだものだから、 姪たちはすっかり悪夢にうなされてしまった。 この後しばらく、『墓場レストラン』はずっと敬遠されていたのだったが。

今日、どういう風の吹き回しか、 久々に続きを読もうということになった。 想像を裏切らない、恐ろしさだったが、 幸いなことに、『おまえにひとつ、おれにひとつ』という お話がいたく気に入ったようであった。 この本を買ったことを後悔しなくてすんだようである。 この物語が、最終話というのは、なかなか、心憎い。

このシリーズは、現在25巻あり、 さらに増殖中のようである。 この分でいくと、私の書棚にも、まだまだ増え続けそうである。

(シィアル)

 

→ 2002年05月28日(火) 『怪談レストラン』(by マーズ)
→ 『ようこそ、怪談レストランへ』(全25巻のリスト / 童心社)


『怪談レストラン』シリーズ 編集:怪談レストラン編集委員会 / 責任編集:松谷みよ子 / 絵:たかいよしかず・かとうくみこ / 出版社:童心社
・『妖怪レストラン』第5巻
・『魔女のレストラン』第7巻
・『墓場レストラン』第9巻

2002年08月13日(火) 『熱い闇』
2001年08月13日(月) 『妖女サイベルの呼び声』

お天気猫や

-- 2003年08月12日(火) --

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『パリの子供部屋』

☆大人のインテリア雑誌にはない、「夢」の存在。

パリに住む、子どもたちの部屋を集めた写真集。 ぱらぱらとめくっているだけで、 なんだか幸せな気分になってくる。 あたたかで、子どもたちの(あるいは、子どもたちへの) 夢がぎっしり詰まっている部屋は、 見ているだけでも、心地いいのだ。

この写真集に登場する、パリに住む子どもたちは、 まるで、「小さなおとな」だ。 ほんの5歳の女の子にすら、自分の部屋へのこだわり、 自己主張がある。

高価ではないけれど、隅々まで、工夫が凝らされ、 子供部屋とはいっても、趣味が良くて、しかも、シンプル。 シンプルというのは、決して手抜きをしないことだと、 パリの子どもたちの部屋から、教えられる。 ずっと世代を越えて使い続けられている古い家具の温もりや、 のみの市をずっと回って見つけだした、 掘り出し物のアンティークなどが、大切な生活の一部をなしている。 あるいは、デザイナーである母親のアートがさりげなく飾られ ていたり、子供たちが描いた絵が壁に自由に貼られている。 どれもが丁寧に選ばれ、精神的な価値のあるものばかりなのだ。

そんな「小さなおとな」たる子どもたちの部屋からは、 幼いころからの自立の芽を感じる。 おとなの方も、子どもだからといって、 「子ども扱い」「子どもだまし」をするのではなく、 少なくとも、部屋作りに関しては、 子どもを対等な存在と見ているようだ。

写真からは、すぐれたインテリアのアイデアだけでなく、 子どものセンスや、子どもたちのこれからの可能性に対する敬意さえ、 伝わってくるようで、癒されながらも、 ふと、「日本の家族」とか「日本の子どもたち」とかに 思いを巡らしたりもしている。

と、理屈っぽいことを言いつつも、 ひたすら可愛いプリンセスのようなお部屋あり、 小さな芸術家のためのアートな部屋あり、 インテリアの大技・小技満載で、楽しい一冊。 日本家屋の鶯色の砂壁の純和風の部屋に、 どうしても、天蓋が欲しくなってしまいました…。

他にも、『パリの〜』シリーズには、
『パリのバスルーム』
『パリのテラス』
『パリのアトリエ』
『パリのキッチン』
『Paris W.C.』
などが、あります。(シィアル)


『パリの子供部屋』 著者:ジュウ・ドゥ・ポゥム / 出版社:アシェット婦人画報社2002

2002年08月12日(月) ☆コールデコットの絵本展

お天気猫や

-- 2003年08月03日(日) --

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夏休みのお知らせ。

「夢の図書館」へのご来訪、ありがとうございます。

今年は全国的に寒かったり、雨つづきだったり、災害も多いし、 なかなか夏本番が来ない感じですが、それでも8月になりました。

猫やは、いつもの『ちょっと夏休み』をいたします。

再開は、8月12日(火)の予定です。

では、この続きはまた、ナルニアで(かな?)

from Otenkinekoya.

お天気猫や

-- 2003年08月01日(金) --

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『朝びらき丸 東の海へ』

世界の果てを旅したい、という根源的な願望を 児童書ファンタジーの形で「さいごまで」描いた傑作。

戦いに勝ち、平和にナルニアを治めているカスピアン王は、 かつて、父王の友であった7人の貴族が、独裁者の叔父によって 東の海域へと探検の旅に追いやられたことを知り、彼らを探す旅に出る。 船の名は、朝びらき丸(The Dawn Treader)。 またとなく美しいが、小さいと言ってもよい木造船である。

その航海の途中に、人間界から、ルーシィとエドマンドの兄妹、 そして今回初登場の、いとこのユースチスが飛び入りする。 次から次へとあらわれる魔法でいっぱいの不思議の島や奇妙な住人たち、 折に触れ助け船を出してくれるアスランに導かれ、 やがて、とうとう、ついに…という物語。

そういえば、グウィンのゲドシリーズ、「さいはての島へ」もまた、 あてのない果ての海への航海だった。 グウィンは「朝びらき丸」に乗ったことがあるにちがいなく、 そもそも、多島海アーキペラゴという世界観そのものが、 ルイスのナルニア世界にうちよせる海からの息吹から生まれたのではと 個人的には考えている。

ナルニアのシリーズ7冊のうち、 この『朝びらき丸 東の海へ』だけは、他と異質で、 もっとも純粋な冒険ファンタジーと呼べるのではないだろうか。 対峙する切羽詰った善悪の刃はそこになく、平和のうちにナルニアを 離れたカスピアン王と子どもたち、ネズミのリーピチープを はじめとする仲間たちが、まさに、明日は何が起こるだろうと わくわくしながら、ひとつ船で旅をする。

やっかいな災いといえば、人間の少年ユースチスで、 彼はある事件が起こるまでは、仲間たちを裏切り続けていた。 ユースチスとルーシィは、ほぼ対等に主人公であるといってよく、 前半はユースチス、後半はルーシィが精神的なゆれを経験する。 ナルニア人のカスピアンは、乗組員をまとめる王としての 悩みはあるけれども、やはり、人間の子どもたちとは位置付けが 異なっているようだ。

航海の終わり近く、ルーシィがほんの一瞬出会い、 言葉も交わさずに別れた海の少女のエピソードは、 ファンタジーの概念だけではとらえきれないナルニア世界の 奥深さを教えてくれる。これは、すでに彼女が体験した 親友の裏切りへの答えとも受け取れる。

するとふと、魚群のまんなかに、じぶんと同じ年ごろの 女の子がひとりいるのを目にしました。 静かなさびしそうな顔つきの子で、 (略) けれどもルーシィは、その顔を忘れないでしょう。 (略) ルーシィはその子がすきになり、その子もじぶんをすいて くれたのだと信じました。 たった一しゅんかんのあいだに、ともかくふたりは 友だちになったのです。 そして、どこの世界ででも、おたがいに二度と会う めぐりあわせはないものと思われました。 (/引用)

生きているあいだは二度と会えないかもしれない、 けれど、今ここに出会えたことを喜んでいよう。 ナルニアの物語は、そのような出会いを描く物語でもある。 (マーズ)


『朝びらき丸 東の海へ』 著者:C・S・ルイス / 絵:ポーリン・ベインズ / 訳:瀬田貞二 / 出版社:岩波書店1966

2001年08月01日(水) ☆風太郎氏逝く

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