2009年08月28日(金)  『映画とたべもの』と「レシピに著作権がない」問題

ご近所仲間で映画通のT氏に贈呈された『映画とたべもの』を読み始めた。映画評論家の渡辺祥子さんが『マチルダ』のパンケーキや『初恋のきた道』の水餃子やアメリの『クレーム・ブリュレ』など劇中に登場する食べものをキーワードに綴ったエッセイ。登場する食べものの数もさることながら、主演男優の好きな飲み物が紹介されていたり、同じ食べものが登場した他の映画の名前を挙げたり、内容ももりだくさんでおなかいっぱい楽しめる。

読んであらためて気づいたのは、わたしも映画を食べもので覚えていること。食いしんぼだから「おいしそう」と思いながら観てしまうのだろう。ストーリーは忘れてしまって食べものだけ覚えている作品もある。食べる場面を書くのも好きで、とくに映画ではよく食べる。映画における食事回数の平均値(そんな統計はあるのか?)は上回っていると思う。公開中の『ぼくとママの黄色い自転車』では主人公の少年が旅先で出会う人ごとに食事を共にしている。

知り合いの監督やプロデューサーには「食べものの映画、やりたいです」とアピールしている。脚本家じゃなくても試食家でもいいです、と。映画関係車の間でも話題の『南極料理人』(公開中)と『食堂かたつむり』(製作中?)は、すごく観たいし、関わっている人がすごく羨ましい。

何を食べるか、誰と食べるか、どんな風に食べるか。食事は食べる人の生活や人生を豊かに物語る。それを作る場合はなおさら。どんな材料をどれぐらいずつ、どんなスパイスや隠し味を使うのか、そこに料理人の好みや食べる人への思いは色濃く反映される。先日、東京カリ〜番長の調理担当で著書も多数ある水野仁輔君と話しているときに、「レシピには著作権がないんですよ」という話になった。オリジナルのレシピでも材料の「小さじ1」を「2」に替えられたら、真似されたとは言えなくなるとか。「だから、レシピにキャラクターをつけていかなきゃいけないんです」と水野君。簡単に真似されるレシピにオリジナリティをつけるのは、料理人の親しみやすさやユニークさなのだという。水野君の書くレシピには物語が宿っていて、それを読むと食べたくなり、作りたくなる。でも、レシピって本来、作り手のあたたかみを添えて伝えられるべきもの。分量だけを記した指示書みたいな顔つきをしていても、著作権は守られるべきなのではないかしら。

2008年08月28日(木)  3年ぶりの健康診断
2007年08月28日(火)  マタニティオレンジ167 ベビーシッター代ぐらいは稼がないと
2005年08月28日(日)  高円寺阿波踊り2日目
2004年08月28日(土)  『心は孤独なアトム』と谷川俊太郎


2009年08月27日(木)  応援団をやっていて良かったこと

今月初めに七大戦の演舞演奏会を観に行って以来、血中応援団濃度が幾分高まっているところに、親交のあった神戸大学応援団の同期より創立50周年記念誌への寄稿依頼があった。熱のほとばしるまま一気に書いた原稿のタイトルは、「脚本家になるには」。わたしが脚本家になれたのも、あり続けられるのも、応援団で身についた気力体力忍耐力交渉力感動力飲み会サバイバル術などの賜物。脚本家を目指す若者には、応援団に入ることをおすすめしたい。そうすれば、衰退しつつある応援団界も活気づくし、根性のある脚本家も育つ……といった内容。

別に応援団でなくてもいいのだけど、無駄だと思えるようなことに没頭したり、限界まで自分を追い詰めて、己の弱さと向き合う経験をした先にしか見えない風景があると思う。どちらかというとしんどいことや不条理なことが多い応援団という特殊な世界に身を置くうちに、「人生は、自分で何とかしていくしかない」という悟りのようなものと、それに必要なたくましさを得たとわたしは思っている。あれだけ辛い思いをしたのだから、その後何があっても耐えられるというのとは違う。苦労や努力を喜びや楽しみに転換して、自分の人生は自分で面白くしてやるという気構えのようなものができた。

応援団の四年間に何の意味があるかなんて、中にいるときにはわからない。社会に出て、壁にごんごんぶつかり、乗り越えるたびに、案外図太い自分の土台があの四年間に作られていたことに少しずつ気づく。会社員のコピーライターを経てフリーの脚本家という自力本願度の高い立場になって、なおさら応援団で授かった基礎体力ならぬ基礎生き抜き力に気づかされる毎日だ。その反動で、「脚本家になるにはどうしたらいいですか。ヒマなときにでも教えてください」「今の会社がつまらないので脚本家にでもなりたいと思いますが、ぶっちゃけ、食べていけますか」なんてメールを送ってくる他力本願な志願者には喝を入れたくなってしまう。デビューできるかどうか、食えるかどうか、自分の才能を宝の山にするのも宝の持ちぐされにするのも、あなた次第なんですよと。

応援団の経験のもたらすうまみは年を経るごとに熟成され、脚本業だけでなく子育てにも役立つことを日々実感している。思うようにならない育児もまた気力体力忍耐力勝負であり、開き直りや面白がり精神に助けられる。先日は上野動物園で娘のたまを肩車していたおかげで友人のダンナさんに見つけていただいたが、「母親が肩車しているのは珍しいので、つい顔を見た」ところわたしだったのだそう。チアリーダー時代は同じぐらいの体重の部員を担ぎ合っていたので、十数キロの娘を肩に乗せるのは、だっこよりもラクに感じる。

先日、たまが人形を縦に二つ重ねているのを見て、ふと「ショルダースタンドもできるのではないか」と好奇心にかられた。試しに肩の上に立たせてみたら、意外なほどの安定感。しっかりと足をロック(力を入れて固めること)していて、びくともしない。その姿勢でポーズを取らせ、調子に乗って、たまを乗っけたまま360度回ってみた。これは客人が来たときの座興に使えるのではないか、などと考えてしまうのも応援団出身の性かもしれない。宴会芸もまた応援合戦だった。

2008年08月27日(水)  『トウキョウソナタ』『ギララの逆襲 洞爺湖サミット危機一髪』
2007年08月27日(月)  ひさびさのおきらくレシピ「野菜いろいろジュレ」
2005年08月27日(土)  高円寺阿波踊り1日目
2004年08月27日(金)  汐汲坂(しおくみざか)ガーデン
2002年08月27日(火)  虹の向こう


2009年08月26日(水)  エンドロールまで感服『グラン・トリノ』

「今年のナンバーワンだ」「イーストウッド監督作品でベストだ」などと会う人ごとに絶賛し、「まだ観てないの? 観たほうがいいよ」と強烈におすすめされていた『グラン・トリノ』。映画製作に関わる一人として、これぐらい圧倒的に支持される作品を作ってみたいものだわと羨望を覚えつつ、『築城せよ!』や『スラムドッグ$ミリオネア』や神保町シアターの成瀬巳喜男特集を優先させるうちにロングランのロードショーは終わってしまい、待つことひと月。三軒茶屋シネマで一週間上映される情報を得て、つかまえに行った。

広告会社のひとつ上のアートディレクターで、一週間に20回食事を共にするほど仲良くなったタカマツミキが住んでいたのが三軒茶屋で、沿線の鷺沼に住んでいたわたしは、週に何度か途中下車して、会社帰りにご飯を食べていた。三茶に来ると、20代の頃の自分やミキのことを思い出されて、照れくさいような懐かしさが込み上げる。

ミキと映画を観るのは必ず渋谷で、三茶に二つある映画館で彼女と観た記憶はない。見逃した作品を追いかけて、別の人と何度か観に行ったことはあり、沖縄サミットに情熱を燃やしていた小渕恵三元首相が熱烈に薦めていたという噂を聞きつけて観た『ナビイの恋』を観たのも三茶だったと思う。その三軒茶屋中央劇場の手前にあるビルの二階が、三軒茶屋シネマだった。狭い入口から小さな劇場を想像したら、予想外に大きく、二階席まである。いつもの映画館の感覚で座席に腰を下ろすと、座椅子が跳ね上がった。年季が入ってバネが利かなくなっているらしい。椅子を変えても同じことで、座り心地には贅沢は言えないけれど、これもまた味。川越キネマも長い歴史に幕を下ろす前は、こういうガタガタ椅子だったのだろう。

さて、お待ちかねの本編。同じくイーストウッド監督作品の『チェンジリング』にも言えることだけど、扱われるエピソードが劇的でショッキングである分、演出は抑制がきいていて、観客を目撃者の目にさせるところがある。その結果、すごいことが起こってるぞと見せつけられるよりも、むしろ画面に引き込まれ、息を呑んで見守ることになる。そして、「物語を転がす事件のために事件を起こす」ような無理やこじつけを感じさせず、映画の中で起きている出来事が真実味を帯びてくる。ともすれば嘘っぽくなりそうな題材をそれっぽく描く。その違いは、細やかな心配りの積み重ねだろうか。根性焼きやリンチの生々しさ。パンク娘や新米神父や街のゴロつき、隣家に集うモン族の一人一人に至るまでがまとう、いかにもな雰囲気。そして、もちろん、主演のイーストウッド演じる偏屈者の元軍人のもっともらしさ。キャラクターから傷までが映画の時間を生きている。タイトルにもなっている自慢の名車グラン・トリノもまた、主人公に永年寄り添ってきた確かな存在として息づいている。God is in the details(神は細部に宿る).「作り込む」というのは凝りまくることではなく、細部まで目を配り気を抜かないこと、「作り抜く」ことなのだと作品のあちこちに宿る神たちが語っている。

わかりやすいメッセージを連呼するのではなく、どうする、どうすると観客に投げかけ続ける。答えを提示するのではなく、観客に答えを考えさせ、求めさせる。息抜きの場面に見えた何気ない台詞やエピソードが後で重い意味を持つ伏線になっていたりして、高度だなあ、上質だなあと感心する。憎まれ口をたたきあう悪友の理髪師にヒゲを剃らせる場面で主人公の決意の固さを感じさせるとは。心を開き合った隣人のモン族青年をギャングの従兄たちの攻撃から守るために彼が考え、実行した解決策は悲劇ではあるけれど、考えうる最良の方法だと思わせる説得力があった。

エンドロールのバックは、グラン・トリノが走り抜けた海沿いの道をカメラを据えたまま延々と流し続ける。次々と走り去る車が、さまざまな人生を運んで行く。わたしだったら、ついグラン・トリノを追いかけたくなるところだけれど、それは主題歌に任せたイーストウッド監督。諸行無常を感じさせ、流れる人生について立ち止まって考えさせるような深みのあるタイトルバックに唸った。

2008年08月26日(火)  ゴ○○リから「テン」を取って「マル」をつけたら
2007年08月26日(日)  マタニティオレンジ166 お風呂で初U  
2005年08月26日(金)  『道成寺一幕』→『螢光 TOKYO』
2004年08月26日(木)  土井たか子さんと『ジャンヌ・ダルク』を観る
2003年08月26日(火)  アフロ(A26)
2002年08月26日(月)  『ロシアは今日も荒れ模様』(米原万里)


2009年08月25日(火)  7か月ぶりに髪を切って

忙しくなると真っ先に削ってしまうのが、美容院へ行く時間。3月に元同僚の披露宴があったときにヘアメイクをお願いしたけれど、最後に髪を切ったのはその2か月前、1月のことだった。「つばさ」の脚本開発は一段落したし、伸びきった髪をバッサリ切ることに。毎朝セットをする手間ひまを惜しむために、パーマとセットで考えていたのだけれど、美容院へ行った先週水曜日は、お盆明けの定休日翌日ということで混み合い、カットだけになった。長さは肩よりちょっと短いぐらい。ブローしてもらったときは、うまくまとまって、大人のボブというたたずまいになったけれど、それ以降は髪が外向いたり内向いたりで、中学生のおかっぱみたいになっている。こういう髪型の男性経済評論家もいたような……。保育園へ行くと、切りっぱなしのおかっぱ頭の女の子たちが、「おんなじ、おんなじ」「たまちゃんのママ、おそろいねー」と駆け寄ってくる。

毎回の雑誌占い、今回はFIGAROの読書特集。どういう雑誌を持って来られるかで、自分がどういう趣味の人間に見られているのかを占えるわけだけど、ちょうど読みたいものが運ばれてきた。前にもFIGAROを読みふけった気がするから、カルテに「FIGARO好き」とメモされているのかもしれない。雑誌はそもそも買わない上に病院や銀行で待つこともないから、美容院ぐらいでしか読まない。こんなにむさぼるように読む人って、いないだろうなと思う。話しかける隙がないのか、担当のスタイリストさんは必要最小限のことしか声をかけてこないけれど、話したことは何か月経っていてもよく覚えている。ほどよい距離感が好ましくて、いつもその人を指名する。

2008年08月25日(月)  新藤兼人監督最新作『石内尋常高等小學校 花は散れども』
2007年08月25日(土)  マタニティオレンジ165 誕生日の記念写真
2005年08月25日(木)  『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫)
2004年08月25日(水)  アテネオリンピックと今井雅子
2003年08月25日(月)  冷凍マイナス18号
2002年08月25日(日) 1日1万


2009年08月24日(月)  電車の中で膝パソコン

電車の座席で膝にパソコンを広げてカチャカチャ打つ人と立て続けに隣り合わせた。以前、新幹線で隣に座った女性が東京から大阪まで打ち続けていて、とても落ち着かなかった覚えがある。それは五年以上前のことで、膝パソコンしながら移動する人を初めて見たわたしは、「よっぽど仕事に追われているんだなあ」と思いつつ、自分も追い立てられているようで落ち着かなかった。

カチャカチャというキーボードを打つ音が平穏を邪魔するのは、音が耳障りというのとは少し違う。自分が打つ耳慣れたリズムとの微妙なズレが生む違和感が、すり傷のように引っかかってくる。音自体はさほど大きなものではないけれど、空気が乱されるような居心地の悪さが生じる。最近はずいぶん減ったけれど、携帯電話のキー操作音をオンにしたまま隣の席でメールを打たれると、ピ、ピ、ピ、ピという不規則な機械音のリズムにムズムズして、なんとも困った。

キー操作音をオフにするのがマナーの常識になったのと入れ替わるように、膝パソコンが台頭してきた気がする。締切に追われている同業者なのか、これから出る打ち合わせの資料を確認しているのか、移動中もネットサーフィンを続けているのか。見ている内容は携帯電話とさほど変わらないのかもしれない。わたしも携帯でパソコンのメールや自分のサイトをチェックする。でも、携帯電話だと気にならないのにパソコンだと耳だけではなく目にも障ってしまうのは、なぜなのだろう。

携帯電話の風景に慣れてしまったというのもあるのだろうけれど、パソコンを打つというのはわたしにとって「人に見られたくない行為」だから気になるのではと思い至る。誰もいないダイニングテーブルで日々キーをたたいているわたしの姿は、とても人にお見せできるものではない。極度の近視だけど眼鏡をかけると目が疲れるので、かけているのはピンホール眼鏡。傍目にはアイマスクをしているように見えるはずだ。肩こり防止のため、足は現代版青竹踏みのような健康グッズに乗せ、締切に向かってダダダダダと打ちまくる。うちに泊まった友人が翌日もわが家でくつろぎながら「わたしのことは気にしないで仕事して」と言ったりするけれど、そういうわけにはいかない。

身を削って書く様は昔話の『鶴の恩返し』のつる、翻案された『夕鶴』のつうのようだと思うことがよくあるけれど、「わたしが機を織っているところを決して見てはいけません」と鶴やつうが言ったように、パソコン作業中のわたしの姿は門外不出のものだ。あまりに時間がなくて、打ち合わせにパソコンを持ち込み、話しながら脚本を手直しするということをときどきやるけれど、背に腹は代えられん、の捨て身の覚悟で衆人環視の中パソコンを打つ。だから、電車で膝パソコンは、わたしにとっては電車で着替えぐらい勇気のいることで、「よくやるなあ」という目で見てしまう。その色眼鏡があるから、音も気に障るのかもしれない。

電車の中もオフィスになるこの光景にもそのうち慣れて、わたしも膝パソコンをするようになるのだろうか。

【お知らせ】『ぼくとママの黄色い自転車』公開3日目

見てくださった方、ありがとうございます。レビューいろいろ書き込んでいただけるとうれしいです。(レビューサイト、拾いきれてないものがありましたらお知らせください)

>>>yahoo映画
>>>moviewalker
>>>@nifty映画
>>>eiga.com
>>>cinematopics
>>>映画生活
>>>シネママガジン
>>>シネマトゥデイ
>>>goo映画
>>>TSUTAYA
>>>レッツエンジョイ東京
>>>mixiレビュー(ページを見るには会員登録が必要です)

書き込みと言えば、朝ドラ「つばさ」公式掲示板、8月25日午後5時オープン。公式サイトトップページからどうぞ。見どころ盛りだくさんのサイト、わたしのお気に入りはスタジオ捜索隊のコーナー。ホーロー看板、あまたま君&ぽてと君、らくらくおそうじセンジュ君など「つばさ」ワールドを彩る小道具などを紹介。第9週に登場した『おはなしの木』も読めます。

2008年08月24日(日)  マタニティオレンジ326 あかちゃんとポポちゃん
2007年08月24日(金)  半年ぶりに髪を切る
2004年08月24日(火)  TOKYO OYSTER BAR 
2002年08月24日(土)  『パコダテ人』ビデオ探しオリエンテーリング


2009年08月23日(日)  朝ドラ「つばさ」第22週は「信じる力」

今井雅子脚本の6本目の映画『ぼくとママの黄色い自転車』公開2日目。初日に観に行ってくれた方から感想が続々。ありがとうございます。あわせて、「つばさ」への感想も。2週にわたってお届けした玉木家の父、竹雄の物語に「ずっしりと重いテーマで見応えがあった」「この週のための中村梅雀さんの起用だったんですね」といったお褒めの言葉に交じって、「つばさはこのままシリアス路線になっちゃうの?」と第1週からのパワー爆発な弾けっぷりを惜しむ声も。ご心配なく、「つばさ」の明るいノリは健在。雨降って地固まるの玉木家では、第22週から「新生・玉木家」モードに突入。部屋割り、席順、それぞれの甘玉堂との向き合い方など、家の中のさまざまなところに明るく前向きな変化が。力を抜いて観られるコミカルな場面もふえるので、ひき続きお楽しみに。

「力を抜く」ことも22週のテーマ。頑張りすぎて失敗を招いたり、よかれと思ってやったことが迷惑がられたり。力を入れることが逆効果になることも。つばさの幼なじみ、お隣の万里(吉田桂子)がぶつかっているのは、新米社員の力みの壁。「お前にあるのは独走性と強調性だ!」と上司に叱られたわたしにも苦い思い出が……。力を入れ過ぎるがゆえに空回りし、つばさとも衝突した万里が、ラジオぽてとの新企画「川越チャレンジ」での挑戦を通して、どう成長するかの一週間。

タイトルは「信じる力」。完成台本では「元気をあげる」となっていて、メルマガ「いまいまさこカフェ通信」でも旧い名前でお知らせしてしまいました。申し訳ありません。「元気をあげる」つもりで応援していたら逆に元気をもらったりするし、応援の本質は「信じる」ことだったりするから、より意味深いタイトルとなった。つばさと万里を信じて見守る家族の姿に、家族が何よりの応援団だなと気づかされる。

演出は、8、9、15、17週の福井充広さん。「脚本協力 今井雅子」のクレジットが毎日出る増量週間なので、オープニングもどうぞお楽しみに。第22週のキーワードでもある「チャレンジ」は、英語でchallenge。この単語の中にchangeとcanが入っていて、しかも、changeはchanceに手を伸ばした形みたいだ、と気づいて、『チャンス!チャレンジ!チェンジ!』というエッセイを月刊ドラマに寄せたことがある>>>こちらのいちばん下のコラム)。チャレンジ精神にあふれた「つばさ」の脚本開発に関われたことは、今井雅子にとっても、『チャンス!チャレンジ!チェンジ!』だったと思っている。あと5週間、最終週まで「つばさ」をお楽しみください。

2008年08月23日(土)  マタニティオレンジ325 じいじばあばあの二度目の子育て
2007年08月23日(木)  マタニティオレンジ164 ついに布おむつの出番
2005年08月23日(火)  たっぷり3時間『もとの黙阿弥』
2004年08月23日(月)  江戸川乱歩と大衆の20世紀展


2009年08月22日(土)  『ぼくとママの黄色い自転車』公開初日+たま3歳

娘のたまの3歳の誕生日と3年ぶりの映画公開が重なった今日、朝から「誕生日おめでとう」と「映画初日おめでとう」のメールが続々舞い込む。半数ほどが「誕生日&初日おめでとう」メール。誕生日ガール本人の希望を聞き入れ、デニーズ(「おむつやさんのうえのレストラン」と呼ぶ)で朝ご飯を食べてから、『ぼくとママの黄色い自転車』一回目の舞台挨拶目当てに新宿バルト9へ。子どもは置いていくつもりだったのだけど、「たまちゃんも、ぼくとママときいろいじてんしゃみたいよう」とせがむので、連れて行くことに。タイトルを覚えて応援してくれているのはうれしいけど、「ぼくとママの」が何度直しても「ぼくとママと」になる。

川越で「ちゅばさ」を見つけるときと同様、『ぼくママ』センサーを働かせるたま。バルト9へ向かう一階エレベーターフロアの壁に備え付けのフライヤーボックスを指差すと、そこにはリーフレットが。9階ロビーでは、小豆島へ行こう!!キャンペーンをめざとく発見。「ぼくとママの黄色い○○○」の○を埋めるオープン懸賞で小豆島への旅や地元の名産品などが当たるというもので、せっせと応募用紙に書き込む人の姿が見られた。たまの写真を撮っているところに、小豆島から上京されたオリーブランドの柳生好彦さんとお嬢さんが現れ、一緒にスクリーン9へ移動。

受付前では、今井雅子コミュニティ管理人であるナルセさんと一年半ぶり、2度目の対面。たまへの誕生日プレゼントにキャロル・リングが歌う「リアリー・ロージー」というテレビ番組のサントラをいただいた。音楽通のナルセさんらしいセレクト。

舞台挨拶は、新堂冬樹さん、阿部サダヲさん、武井証くん、鈴木京香さん、河野圭太監督が登壇。新堂さんの隣に立った阿部さんが 「日焼けってあんまりしたことないんで、びっくりしてます」と言い、 笑いを誘った。 京香さんも、新堂さんのことを「夏って感じの人」と評し、客席も皆さんも新堂さんの日焼けっぷりに驚かれていた様子。

武井くんのはきはきとした受け答えに、今日も大人たちはタジタジ。「どんな役者になりたいですか?」と司会の方に聞かれて、「また一緒にやりたいと言われるような役者になりたいです」。 「武井君の後だと、コメントがしょぼくなる」とぼやいて笑いを取っていた阿部さんは、「ぼくも、またやりたいって言われるように頑張ります」。河野監督は武井くんを「いちばん信頼している役者」と言い、その理由として、勘の良さを挙げた。新堂さんは、自分の作品が映像化されることには不安があるものだけど、この映画は自分の書いた小説以上に感動したと語り、「正直、2度の試写で2度とも号泣しました」と告白。あたたかな笑いと拍手に包まれた和やかな舞台挨拶となった。

この舞台挨拶をダンナとたまとともに一家で舞台袖から立ち見する予定だったのだけど、「たまちゃん、すわりたい」とぐずりだし、これは舞台挨拶の邪魔になると判断して、ダンナに「外に連れ出して」と頼んだところ、「ウワーン」と泣き出した。「ママがいいよう〜」と泣き叫びながら連れ去られる娘を「ごめんね」と見送りながら、引き裂かれる母と子というこの状況は映画の設定とかぶる、と思ってしまった。

どうやら、たまは、ぼくママを観に行くと聞いて、映画館の椅子に座って鑑賞すると思っていたらしい。わが家に届くチラシやポスターやうちわを目にするうちに「ママがつくったえいが」なんだと認識し、興味を持つようになり、今朝になって「いっしょにいく」と言い出した。そして、ロビーで流れる予告編を見て、期待を膨らませていた様子。『崖の上のポニョ』も『旭山動物園物語』も劇場で観たので、今日も当然そういう流れを想像していたのだろう。だから、舞台袖からのぞくという事態に「はなしがちがーう」と困惑し、涙の抗議をしたのだった。さすがに、3歳児に「舞台挨拶 関係者立ち会い」と言っても通じない。

夜、ダンナの実家で誕生日祝いの晩ご飯を食べているときにも、わたしが舞台挨拶の話をダンナの両親にしているのを聞いて、悔しさを思い出し、また泣いた。「そんなに観たかったのか!!」と一同いじらしくなり、「よし、今度、ママと一緒に行こっか」「いや、じいじが連れて行ってあげるよ」と競い合って慰めた。

2008年08月22日(金)  マタニティオレンジ324 指2本で「カニ!」たま2才
2007年08月22日(水)  マタニティオレンジ163 風邪と汗疹と誕生日プレゼント 
2006年08月22日(火)  新作誕生
2004年08月22日(日)  H2O+H2=H4O(水素結合水)
2002年08月22日(木)  鼻血で得意先ミーティングに遅刻


2009年08月21日(金)  パチパチパチ!たま3才(一日前)

2006年8月22日生まれの娘のたまは、明日で3才。明日は今井雅子の6本目の長編映画『ぼくとママの黄色い自転車』の公開日で、そちらの話題が日記を占めることになるので、ひと足早く、たま3才レポートを。

保育園での月に一度の身体測定が今日あり、身長はまた伸びて、88.8センチ。誕生日の前祝いの拍手のような8並び。体重は12.9キロ。先月は13キロの大台に乗ったけど、ちょっと夏やせした。

この一か月の大きな変化は、「ぼくママ」を覚えたこと。毎朝のテレビ視聴と合わせて、脚本や確認用DVDなどの郵便物が届くうちに「つばさ」を覚えたように、チラシやポスターやノベライズが届くのを見て、キービジュアルが刷り込まれ、「ママのおしごとのえいがの、ぼくとママときいろいじてんしゃ」と覚えた。「ぼくとママの」が何度直しても「ぼくとママと」になる。今日は保育園の帰り、チラシを振り回しながら、「ぼくとママときいろいじてんしゃ、はじまりますよー」と触れ回ってくれた。明日の舞台挨拶にも行く気満々。「ママのおしごと」と言ってもどこまで理解しているのかわからないけど、応援してくれるまでに成長したんだなあと3年の時の重みを受け止めている。

あいかわらず、映画『クイール』のビデオが好きで、自宅の電話の受話器を手に取り、「もしもし、とうきょうのみとですけど」と映画の冒頭の台詞をしゃべったりしている。恐竜キャラが活躍するアメリカの子ども向け番組『Barney』のビデオも大好きで、ぐずると、「バーニーみるぅ」となる。「オーマクダーノーハーダーファーム イーヤーイーヤーヨー」と英語の歌をそれらしく真似して歌う。

NHK「みいつけた」でやっている「オフロスキー」にはまったのは、この一か月。空のバスタブにパジャマ姿でつかっているオフロスキーというキャラクターが、毎回単純な挑戦を繰り広げるのだけど、単純ゆえのおかしみがある。「呼んだ? 呼んだよね?」とバスタブから体を起こすお決まりの始まりに、親子でワクワク。演じる小林顕作さんの愛嬌たっぷりの表情にも見入ってしまう。

ここ数日のお気に入りの遊びは、「感動の再会ごっこ」。始めたのはずいぶん前で、部屋の端と端に離れて、「ママー」「たまー」と呼び合いながら駆け寄り、「やっとあえたねー」と落ち合って抱き合うという至極シンプルな遊びというより一発芸。以前は床に物が転がり過ぎて、障害物競走を兼ねてしまっていたのだけど、大掃除の成果で床面積がだいぶ広がったことから、再会までの助走の距離を取りやすくなった。おかげで、たまも以前よりも張り合いを感じて、「もういっかい、かんどうのさいかいするー」と一晩に数十回繰り返すことになる。「かんどう」と「さいかい」のそれぞれの意味はたぶんわかっていなくて、「かんどうのさいかい=ママと抱き合う遊び」だと理解しているのだろう。

冷蔵庫を開けて牛乳を取り出したり、ビデオをデッキに入れて再生ボタンを押したり、もうこんなこともできるのかと日々驚かされる。たくましくなったなあと頼もしく思う反面、わが子ながら軟弱だなあと歯がゆくなることも。人見知りが激しく、人の家に行ったり、お客さんが来たりすると、たちまちぎこちなくなる。打ち解けるまでの解凍時間が親にはもどかしいが、娘には必要な時間なのだろうと待つ。

また、ちょっとでも濡れたり砂がついたりすると、「ふいて!」と金切り声を上げるのも、都会っ子のひ弱さを感じる。子どもなんだから、少々の汚れは気にぜず、大らかに遊べばいいのに。保育園でこまめに手足を拭き、清潔に保ってくれているのはありがたいのだけど、きれい好きになり過ぎてしまった。「べたべたするよー」「どろどろするよー」「ぬるぬるするよー」「よごれちゃったよー」「きもちわるいよー」……不快を訴えるボキャブラリーはずいぶん豊かになったけど、ポジティブ思考の母親としては、ネガティブな表現よりも美しいもの、楽しいことを愛でる言葉をふやしてほしいと思ってしまう。おむつは結局3才までには外れない(今日一晩で奇跡的に外れることもなさそう)のに、紙おむつがずっしり重くなっても、それには不快を訴えない。

思い通りに行かないところが子育ての面白いところ。娘から見た親も「なんでわかってくれないの!」の連続なんだろうなと苦笑しつつ、わたしも明日で母3才。2才最後の贈りものの子守話は、一人で大きくなったんじゃないよ、の思いを込めて。

子守話92「たんじょうびケーキは だれが つくったの?」

たまちゃんの 3さいの おたんじょうび
テーブルに おおきな ケーキが あらわれました。
「わあ すごい ケーキ。だれが つくったの?」
たまちゃんは ケーキに のっている いちごよりも 
めを おおきく みひらいて いいました。

「こむぎこと さとうと たまごと ぎゅうにゅうを まぜて
オーブンで やいて れいぞうこで ひやして
クリームを あわだてて ケーキに ぬって
いちごで かざりつけたのは ママ。
でも ほかにも もっとたくさん このケーキが できあがるのに
おてつだいしてくれた ひとたちがいるの。
ううん ひとだけじゃなくて どうぶつや むしたちも いるのよ」
と ママが いったので
「どういうこと?」と たまちゃんは くびを かしげました。

「ぎゅうにゅうは うしさんたちが だしてくれたものだし
そのうしさんたちを そだててくれたのは ぼくじょうの ひとたち。
ぎゅうにゅうを しぼる ひと
しぼった ぎゅうにゅうを のみやすく きれいにする ひと
きれいになった ぎゅうにゅうを かみパックに つめる ひと
たくさんの ひとたちが いれかわり たちかわり はたらいて
いっぽんの ぎゅうにゅうに なるの。
そして もうひとてま かけて なまクリームに なるのよ。

きれいな あかい いちごが みのったのは
みつばちが はなの みつを はこんでくれたからだし 
はなが さくまで だいじに そだてて 
みが ついたら もぎとって パックに つめる ひとが いたから。

こむぎこだって たべられるように なるまでは たくさんの ひとが 
つちを たがやして たねを まいて みずを あげて かりとって 
こなを ひいて ふくろに つめて おくりだして くれているの。

おさとうだって はたけに みのっているときは さとうきびという 
ひょろりと ながい くきなの。
それが さらさらの つぶに なるまでには 
たくさんの ひとの てが かかっている。
もちろん さとうきびを そだてている ひとたちもね。
 
その ぎゅうにゅうや なまクリームや いちごや こむぎこや おさとうを
ママが おみせで かえたのは
そこまで はこんでくれる ひとが いたから。
それから おみせに しなものを ならべたり レジを うってくれる 
ひとが いたから」

いったい なんにん なんとう なんびきが おてつだいして
このケーキが できたのかしら。
たまちゃんは りょうてを つかって かぞえましたが
10ぽんの ゆびでは たりません。

「わかった? ママだけが ケーキをつくったんじゃないってこと」
ママが そういうと
「パパだって おてつだいしたよ。おみせから うちまで にもつを はこんだんだから」
と パパが くちを とがらせました。
「あら もうひとり ふえた」
「じゃあ たまちゃんも」
たまちゃんは しあげに ろうそくを 3ぼん ケーキに ならべました。
パパが ろうそくに ひを ともして
ママが へやの あかりを けしました。
パパと ママと たまちゃんと 3にんで おたんじょうびの うたを うたって
たまちゃんが ろうそくの ひを ふきけしました。

「3さいの おたんじょうび おめでとう」とパパと ママが いいました。
「ありがとう」と たまちゃんは にっこりしました。
ありがとう パパ ママ それから 
このケーキが できるまでに おてつだいしてくれた みなさん。
てを あわせて 「いただきます」。


この物語のヒントは最近読み返している『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)。小学生にもわかる平易で美しい文章で「社会で生きるとはどういうことか」という哲学を語りかけ、何気ない日常が違った風景に見え、視界がひらけるような発見に満ちた本。その中に、食卓に上る食べものを逆にたどって、社会のつながりで生きていることに気づかせる章がある。学生時代の知って感銘を受けたけど、年を重ねた今読むと、より深く響いてくる。書かれていることと自分が獲得した気づきの内容が近づいて、共感するところがふえたせいかもしれない。この一冊が手元にあれば、人生の灯台になってくれると信じられる本。たまが活字を読める年になったら、贈りたい。

2008年08月21日(木)  「まとめ食い危険」なROYCE’のナッティバー
2007年08月21日(火)  マタニティオレンジ162 もしもし、たま電話。 


2009年08月20日(木)  一目惚れのその後のその後

7月6日の日記で一目惚れを告白し、7月21日の日記で東京へ呼び寄せることを報告した福岡の家具ショップWA-PLUSさんのチェスト。ONEWOODという名の通り一本の木から作るというのがコンセプトで、なかなかお目にかかれない天然木の木目に心を奪われた。

注文して早速届いたものの配送時にちょっとしたアクシデントがあり、泣く泣く里へ帰すことに。しばしの遠距離恋愛で恋がさめる危機に見舞われたが、誠意ある丁寧な対応をしていただき、すんなり商品を受け取っていただけではうかがえなかったお店の頼もしい素顔を見せていただくことができた。商品は無事、あらためて今週頭にわが家にお目見えした。

まわりに広い空間が取れれば、自慢の木目はより引き立つのだろうけれど、狭いわが家では、そうもいかない。玄関を入った正面、作品棚の隣に鎮座してもらうことになった。お客さんが来るときには花などを飾っているが、花器のコースターは、楽天に商品のレビューを書いたお礼にいただいたもの。このコースターが、小さいながら一点ものの存在感を放っていて、気に入っている。チェストの木目は使い込まれるほどいい味が出るとのこと、末永く愛用したい。

出会いはネットで、デジカメ画像のお見合い写真での決断だったから,対面までも、対面の瞬間もとてもドキドキした。それなりに値の張る買い物だったし、現物を見ないで買うというのはなかなか勇気の要ることだったけど、ネットがなければ出会えなかった縁に賭けてみた。人だけでなく、物との出会いも一期一会で、第一印象の直感はけっこう当たると思っている。

2008年08月20日(水)  映画『歩いても 歩いても』
2007年08月20日(月)  マタニティオレンジ161 はじめての返品


2009年08月19日(水)  日本道〜『文化力―日本の底力』(川勝平太)を読む会

「猫又」短歌の会で知り合って以来、高円寺の阿波踊りをご一緒したり、自宅での集まりに招かれたりと親しくおつきあいしている宮崎美保子さんと、先月、神楽坂の阿波踊りを見に行ったときのこと。以前から聞いていた「日本道」という勉強会が8月から新しい会期を始めるというので、ぜひ参加させてください、とお願いした。その会自体がどういう活動をしているのか、具体的にはわかっていなかったのだけど、以前は江戸しぐさについて学んだとか、集まってくる人たちが好奇心と行動力にあふれていい刺激になるといった断片的な情報から、面白そう、と飛びついたのだった。

今期の教科書は、川勝平太著『文化力―日本の底力』。3センチ近い分厚さで、2520円也。この手の論文のようなものを読むのは、大学時代以来だろうか。会へ向かう電車の中でページを開き、付け焼き刃の予習。文章は難しい単語が多い割には読みやすく、美しい。

テーブルを囲んだ20名弱にまぜていただく。前期からの継続組がほとんどで、新入りはわたしともう一人の女性。毎回担当者が手分けして本文を要約し、その発表を聞いた後、全員で議論するという形。これも大学時代のゼミみたいだ。

一人目の女性は元客室乗務員で、今は後輩の指導に当たったりマナー講座で活躍するベテラン講師。先だってはサミット通訳の指導もされたとかで、人をひきつける話術はさすが。本文に出てきた「パックス・ヤポニカ」(日本の平和)という単語に言及して、「航空業界では、パックス(=PAX)といえば、パッセンジャー、乗客のことで。C23のパックスがタラタラで……などとCA同士で連絡を取り合ったものです。タラタラとは、タラップ to タラップのことですが、専門用語を知らない人が聞いたら、お客さんどうしちゃったんだろって思いますねえ」。

二人目の男性は関西出身とわかるアクセント。表を使ってパックス・ヤポニカの第一次から第三次(1985年以降の現在が第三次なのだそう)をまとめてくれたが、「表1とありますが、表は1つしかないので、1はいらんかったかなと」と自分に突っ込みを入れ、笑いを誘った。

三人目の女性は講談師のような名調子。ところどころ本文に立ち返って読み上げてくれるたびに聞き惚れた。後で聞けば「講談が好きで、神田紅姉さんは友だちよ」。しゃべることがプロだった時期もあったそう。3人の発表者それぞれの語り口に味があり、本文以上に面白い。

さらに、全員の意見を聞く時間が、わたしにとっては自己紹介も兼ねていて、予想通り刺激的なメンバーが集まっていると確かめられた。仕事も経験もばらばらな各自が同じものを読んで違うことを感じ、それを分かち合う。初めて知ることも多く、「そういう見方があったか」と考えさせられもする。平和な時代はオスが弱くなるという本文の指摘に男性たちは「なんとかせねば」と憂慮し、「女性は元来強いのだから、控えめであるべし」という本文の論調に「女を見下している傾向があるのでは」と問題提起する女性あり。静岡出身の美保子さんが、「川勝さんが静岡知事になった日に、ちょうど静岡に帰っていて」と言うのを聞いて、こないだの選挙で、ぎりぎりに立候補して大勝した人であったか、とようやく気づいた。

わたしは、本文中にあった「富の蓄積より、徳の蓄積」という言葉が、数年前に「金持ちより人持ちになろう」と人生の指針を決めたことと重なり、この会に来たことが正しかったと言われた気がした、と語った。この本には他にも美しく耳障りのいい言葉や気づきがたくさんあり、日本人であることに誇りを持てるヒントがある気がする。その一方、コピーライター時代に「コピー演歌は心を動かさない」と指導されたように、きれいごとだけで根っこがないのではという危惧もある。何人か前の首相が掲げた「美しい国へ」という言葉倒れに終わったスローガンのように、裏打ちするものがなければ、机上の空論になる。この本を読んで、具体的にどうすることが必要かを皆さんと話し合って行けたら、深い読書になると思う、と語った。

その後で、会の主宰者で美保子さんの大学時代の同級生のNさんが、「最後まで読めば、具体的なことも書かれていますから」と言われ、本のさわりだけを読んで全体を断じるような言い方をしてしまったな、と反省したが、本の内容が上っ面だというのではなく、本に書かれた理想を実現するためには、読者が掘り下げる必要がある、ということを感じたのだった。

勉強会が終わると、近くの中華料理屋で懇親会。月に一度、こうやって集まり、情報交換をするのが会員たちの張り合いになっている様子。わたしのテーブルでは冨士登山の話題で盛り上がり、では近場の高尾山へまいりましょうか、などと話した。食後には会員の一人が練習中の南京玉すだれを披露。他の皆さんも、芸やらネタやらお持ちのようで、この会そのものが「文化力」と「底力」を秘めている。

主催者のNさんより「初参加、いかがでしたか」とメールをいただき、「日本道に参加した動機を聞かせてほしい」旨が書かれていたので、こんな返事をしたためた。

とくに「日本」「和」を意識するというよりは、幼い頃から「外国」が身近な存在であり、その対比で自然と「日本」を自覚していた気がします。隣人一家がドイツに転勤した間にインド人が隣人になり、インド人の幼なじみと遊びながらドイツにいる幼なじみと文通していたのは、幼稚園から小学校低学年にかけてでした。その経験から海外留学を志すようになり、高校時代に一年留学。大学時代は留学生寮が遊び場でした。外資系企業を就職先に選んだのも自然な流れでした。

そして、昨日の自己紹介でもお話ししましたが、広告代理店時代にカンヌ国際広告祭という「広告のオリンピック」のようなものに参加したときに、世界各国からの参加者と出会う中で、「日本人って」ということを考えさせられる機会がありました。とくに、2回目に参加したときに起きた「JAPANESE論争」はたいへん興味深い事件でした。長くなりますが、その出来事をまとめた懸賞論文をこちらに発表しています。
http://www.geocities.jp/imaicafe/words/essay_koubo.html

この論文は賞を取ったこともあって広告業界ではちょっとした話題になり、また、さらなる議論も呼びました。卑屈にならず、素直に、まっすぐ日本を誇れる人がふえてほしい。少なくとも自分はそうでありたいと願っています。日本人のいいところをたくさん気づかせてくれる川勝先生の本の中には、そのヒントがありそうです。昨日はさわりを読んだだけで、全体を論じるような言い方を
してしまいましたが、「美が日本の平和の鍵」という美しい話が机上の空論に終わらなければいい、そのための具体的な示唆があるのか、なければそれを話していければ、この本がより意味深いものになるのではと感じました。

昨今、「日本人の美徳の衰え」が嘆かれていますが、環境や国柄を美しいものにするのは、日本人一人一人の美徳、美意識だと考えます。そういった生き方の美しさが見直されると、この国はもっと豊かになる気がしています。富より徳、という言葉に深く共感します。美徳、美意識の観点から「江戸しぐさ」にも興味があり、以前宮崎さんが日本道でその勉強をされたと話された記憶があるのですが、それもまたこの会に興味を寄せた理由のひとつです。


返事に登場したのをいい機会に、JAPANESE論争の論文を読み返したのだけど、11年前の自分が、ずいぶんしっかりした意見を持っていたことに驚き、今のほうがふわふわしているようにも感じられ、20代の自分に喝を入れられたような気持ちになった。それだけ深く考えさせられる出来事だったのだろうと思う。広告作りについての考察は、脚本作りにもあてはまることが多く、「どうだ!」という気迫で仕事しなくちゃいかん、と背筋が伸びた。

2008年08月19日(火)  マタニティオレンジ323 おふろでおえかき 
2007年08月19日(日)  マタニティオレンジ160 ヨチヨチ記念日
2004年08月19日(木)  色数はあるけど色気がない
2002年08月19日(月)  大阪は外国!?

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