2010年バンクーバーオリンピックでの現地応援を目指す
急性骨髄性白血病患者。臍帯血移植後再発、
HLA半合致移植後再再発、そして奇跡の復活へ!


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2008年08月28日(木) 2010年バンクーバーオリンピック アルペン日程
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2010年バンクーバーオリンピック(Vancouver 2010 XXI Olympic Winter Games) アルペン日程

カナダのバンクーバーで2010年2月12日〜2月28日に行われる冬季オリンピックアルペンスキー競技のスケジュール

vancouver 2010
competition schedule
alpine skiing
13-2-2010 M-DH
14-2-2010 L-SC
16-2-2010 M-SC
17-2-2010 L-DH
19-2-2010 M-SG
20-2-2010 L-SG
21-2-2010 M-GS
24-2-2010 L-GS
26-2-2010 L-SL
27-2-2010 M-SL

バンクーバーオリンピック公式サイト
http://www.vancouver2010.com/en

2010バンクーバーオリンピック@星瑞枝ファン





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2008年08月26日(火) 上野 vs. ブストス! 予算制約線
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昨夜のNHKスペシャル(10:00pm〜 )を見た人いるかな?北京オリンピックで優勝したソフトボールの特集やってたよ。上野投手の奇跡の413球の軌跡をドキュメンタリーでやってた。NHKならではの冷静な番組づくりに感動は増した。

ちなみに、アメリカの4番打者は『ブストス』という名前だったんだねー。準決勝、決勝を通じて上野から2本のホームランを打ったあの巨漢の力強いバッターのことだよ。今後、ひとつの豆知識として語りついでおくれ。


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さて、
前回は、無差別曲線について説明した。前回っていうのは、結構前になったけど、お盆前だったね。夏は短いなー。

無差別曲線には、1 xもyも多いほど効用が高くなる、2 x、yともに細かく分割できる、3 嗜好は一貫していてある点で逆になったりしない、という3つの仮定があって、このとき、無差別曲線は、右下がりで原点に対して凸になるんだ。逆にいうと、この3つの仮定が崩れると、右下がりで原点に凸の無差別曲線は描かれなくなってしまう。身近な例を各自考えてみてね。

で、
今回は、予算制約線について考えてみることにする。誰でも、欲しいものを欲しいだけ手に入れられないよね?何かを買おうとした場合、そこには、所得の制約が存在しているからね。

たとえば、ある家庭の1週間の食費が1万円だったとして、缶ビールとリンゴの二種類の商品しか選択肢がないと仮定してみる。缶ビールは一缶200円、リンゴが一個100円で売っていたとする。全部の手持ち資金を缶ビールのみに費やすと50缶、リンゴのみに費やすと100個買うことができるよね。缶ビールを30缶買うと、リンゴは40個買える。缶ビールを20缶買うと、リンゴは60個買える。こんなふうに、1万円で買える缶ビールとリンゴの組み合わせはいろいろ考えられる。

縦軸に缶ビール、横軸にリンゴの量をとると、縦軸切片は缶ビール50缶、横軸切片はリンゴ100個を結んだ直線を描くことができ、この直線上に1万円で買える缶ビールとリンゴの組み合わせはすべて表すことができるようになるんだ。このように、消費者に与えられている予算上の制約を示す直線のことを『予算制約線』というんだ。

予算の制約がある場合、予算制約線より右の点を選ぶことはできない。右側は予算オーバーになってしまうから。逆に予算制約線より左側であれば、予算内に収まるから、どこを選んでも大丈夫。

ところで、このとき、ビールが200円値上りして一缶400円となったら、予算制約線はどうなると思う?


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縦軸切片が、50缶から25缶に変わって、25缶と横軸切片のリンゴ100個を結んだ直線が、新しい予算制約線になるんだ。物の値段が上がるっていうのは、こんなふうに予算制約線を変化させてしまう。

白血球が下がってセミクリーンの機械が稼働中。感染症に気をつけなくては。うがい!手洗い!歯磨き!

病室で妄想する経済理論(目次)
1 愛と平和のインフレ・デフレ 経済学にハマッテしまったある入院患者のボヤキ
2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用
8 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰 生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義
9 ご飯の美味しさと価格統制 社会的余剰を説明したときに完全競争市場下で社会的余剰は最大になるんだよ、みたいなことを書いたんだけど、それが本当にそうなるのかどうか
10 北京オリンピックの私的費用と社会的費用の乖離 市場に委ねてしまうと却って社会的余剰を減少してしまうような場合
11 オリンピック放送の電波は公共財 市場の失敗の例としては、公共財っていうのもある
12 足湯とビールと限界効用 消費者行動というのは、合理的な選択をする
13 ビールには枝豆!無差別曲線 ある財の組み合わせと全く同じ満足をもたらす組み合わせの点を繋げていくことにより、無差別曲線と呼ばれる右下がりの曲線を描くことができる




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2008年08月24日(日) あー!いいなあ、こういうの。
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今季限りでの引退を表明している朝原宣治が、現役ラストランの可能性があるスーパー陸上で、他のメンバーとの『百メートルガチンコ対決』を提案したんだとか。


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この記事を読んだだけでとても幸せな気持ちになった。オリンピックっていいな。リレーっていいな。

俺が最後に全力疾走したのは、たぶん、『村民運動会』の集落対抗リレー。集落の30代男子代表として出場したんだ。当時37、8歳だったかな。

ウチの長女は当時中学陸上部のバリバリのスプリンターで、その娘から、30代男子は直接バトンを受け取ったんだけど、10数チームある内の2位だったか3位でバトンを渡されて、無茶苦茶ビビった。

リレー区間の150メートルを走りきったら、もうボロボロだった。

何人にも抜かれたんだけど、俺以外はスプリンター揃いの我がチームは、最終的には2位だったかな…。(一応、言い訳すると、30代終盤の歳で30代前半の他チーム選手と張り合ったということで。。。)

リレーには、他にも思い出がある。自分で走ったのもあるけど、やっぱり、長女が中学のときの激闘は、いろいろなトラブルがあって心に残っている。今になれば、いい思い出になった。うん。いい思い出だ。

あぁ、あの頃に戻りたい。





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2008年08月21日(木) 愛ちゃん・なでしこ・斎藤ジャパン
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卓球の福原愛。小さい頃からテレビバラエティーでも活躍してきたあの愛ちゃんは、今や、世界のトップランカーと互角の戦いもできるまでに成長した。NHKは愛ちゃんの試合をLIVEでもVTRでも放映した。民放も福原愛の試合を繰り返し放映している。

一時低迷傾向にあった日本卓球界が今日盛り返してきているのは、福原愛の力が大きいということは、以前、『星瑞枝ファン』ブログでも書いた通り。まだ、19歳。ウチの長女と同学年。スゲーなー。

たった今、メダル争いをしているのは、サッカー女子とソフトボール女子。どちらもマイナー競技で資金的に苦しい中、世界のトップ争いをしている。これは、少しでもスポーツ選手育成に関わったことのある人なら分かると思うけど、本当に尊敬できることだ。

多くのマイナー競技のスポーツ選手が資金面の不安を抱えながら、情熱を燃やし続けている。こんなマイナー競技には、もっともっとスポットライトを当ててくれ(!)と思った。

マイナー競技の一つ、アルペンスキーもバンクーバー五輪ではメダルが欲しいね。


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・福原が敗退、アテネ王者に4─1
・なでしこは4位
・ソフトボール、悲願の金メダル獲得




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2008年08月18日(月) 移植後235日目。CAG療法第二クール開始。
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移植後235日目。CAG療法第二クール開始。


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2008年08月17日(日) Beijing 2008
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毎日、人類トップのアスリート達の戦いを見ている。日本人選手の活躍は凄く励みになり、自分の戦う力にさせてもらっている。

中継を見ていると、オリンピックというのは、アスリート個人個人の戦いでもあるのだけれど、同時に国同士の戦いなのだということが良く分かる。

そう考えると、日本はやっぱり凄い。


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改善すべき点は、各競技ごとにそれぞれあるのだろうけれど、総合力として、日本という国は、本当に凄いんだなと改めて感じる。

戦う目標を明確に定めたときに発揮する力が、日本という国には相当に備わっているんだと思う。

それでは、トップアスリートが世界で活躍しているというのに、我々一般人が日常生活で日本人としての力が発揮されていないケースが多々生じるのはなぜか?

その答えは、一言では言い表せないけど、きっと、目標設定の仕方が曖昧な場合に、ダメになってしまうんだと思う。戦う目標がはっきりと想定できないというか。良く言えば、これが平和ボケということなのかもしれないね。





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2008年08月16日(土) 夏休み
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弟と父に送ってもらい、病室に戻ってきた。

1泊2日の一時帰宅は、本当にあっという間に過ぎ去った。

昨日、土砂降りの高速道は危険なお盆車両が多かった。この時期、下手クソなドライバーが多いよね、どうしても。俺様運転の阿呆な奴らは、いつか大事故に遭ってしまうだろう。

家に着いて仏壇に手を合わせた。再入院に出発するとき、もう二度と家には帰ってこれないと思っていたから、祖父にありがとうって囁いたよ(小さいとき、俺は祖父ちゃん子だったんだ。)。


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夕方までゴロゴロしていて、日が暮れてから墓参りに。去年の入院のときは行けなかったから、今回は絶対に行こうと思っていた。二年越しの思いが詰まった墓参り。ウチ、墓の数が半端なく多い。俺の祖父が入っている墓(いわゆる万霊塔)のほか、初代からの夫婦ごとの墓とか、早逝した人の墓とかがある(俺で11代だっけ?)。一人一人に戻ってきたよって報告して、手を合わせた。

8時過ぎに長女が高速バスで帰省。二十歳過ぎてから最初の帰省だ。声も明るくて安心した。大丈夫だ。何を話したかよく覚えてないけど、楽しかった。ずっと会っていなかったしね。

今日は、朝から家の天井を見つめてた。それも部屋をいろいろ移動して。寝転び天井を見上げ、ちょっとカビ臭い家の空気を吸い込み、もう一度、気合を入れ直した。これからの戦いに立ち向かうために。

この『夏休み』を経て、これからの戦いに向かうための英気を養えた。負けないよ、絶対に。





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2008年08月15日(金) 息抜き
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今日は、これから外泊。家へ帰れる。


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羽根を伸ばしてくるよ。





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2008年08月14日(木) がっかりだよ。
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ある市議がある市の市長選挙に出るらしいというので、その市議のホームページを見てきた。期待してたんだけど…。

ぁーぁ。残念。がっかりだよ。

理念がはっきりしない。政策も未熟。リーダーシップも多分ない。くだらねー。

選挙だから、どんな風が吹くか分からないけど、もっと自分の言葉できちんと喋れるようじゃないと、市長なんか務まらないね。現職は市長としての事務処理能力高いよ。これに勝とうとするなら、もっと磨いてからじゃないとねー。


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そもそも、
児童手当いらないとか、乳幼児医療費助成もいらないとか言いながら、人材育成がどうのこうのって書いてあるけど、具体的にどう人材を育てるのか、全然分からないホームページだな。それに、税収<人件費だから倒産するって、アンタ、民間企業云々いうけど、税収だけが歳入じゃないし、人件費だけが歳出でもない。基本は、どれだけの市民の社会的効用をどのくらいの予算制約線でこなすのかなんだけど。基準財政需要額を知らないのかな?地方交付税を知らないのかな?シビル・ミニマムにも関わらず『地方化』されてしまった課題にはどう対処するつもりなの?こんなことも分かっていないで、いったい何年、議員をやっているんだろうな?

それから、『行政トップは素人の方が良いと思う。』なんていう人がいるけど、本気でそう思っているのかな?日本の総理大臣も素人の方がいいのかな?

アメリカ大統領候補は、本人がいずれもプロだ。オバマもマケインもとても優秀。さらに、政策スタッフは党挙げての存在だ。それに民間企業の場合でもトップは素人がいいのかな?そんなんで、会社は潰れないのかな?某代議士候補ほどロジカル・シンキングな奴じゃなくてもいいんだけどさ、程度の問題がある。素人じゃ、組織は動かせない。田舎の市だからといって、こんな素人な方では、重要な政策決定で混乱するばかりだろうな、本人もまわりも。まさに衆愚政治。それこそ、潰れちまう。

あ。そうそう、どうしても素人だけが政治をやるのを見たければ、確実にそういう体制になる方法を知っているよ。それは、立候補選挙をやめて、完全抽選制にすること。裁判員制度と同じタイプを政治システムに取り入れればいいのさ。あるいは、自治会長やPTA会長なんてもう既に同じような状態かもしれない。





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2008年08月13日(水) ただいま輸血中。
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朝の血液検査でヘモグロビンの大幅減少を確認。昨日の午後、アタマ痛かったのはコレが原因だな。

えーっと、月曜日のマルクの結果、23%のブラスト確認。うーん、ビミョーな数字だ。臍帯血にはもはやあまり勢いがないみたいだ。逆にブラスト(白血病細胞)はしぶといね。叩かれても踏まれても出てくるなんて、雑草と一緒。


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今後は、年明けに再移植できるように、血球調整をしていく方向になるんだろうな。いやー、再移植かあ…。

他の今日のイベントは、
IVHをいったん抜くことになり抜いちゃったよー。
だから、輸血も腕に点滴針を刺して入れてるんだよー。
したがって、一時帰宅のときは、お風呂もオッケーなんだよー(相変わらず温泉は禁止だけど。)。
ってところかな。





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2008年08月12日(火) ビールには枝豆!無差別曲線
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じんましんと熱はまだまだ続いている。特に今日の昼はそれなりの熱があり頭痛もあったので、ずっと寝てた。ちょっとすっきりしたかな。あと、一泊以内なら外出許可出るみたいなので、近々一時帰宅するつもり。

さて、
前回は、限界効用についてだった。追加的な1単位の消費(2杯目のビール)がもたらす追加的な満足度のことを限界効用というんだったね。

たしかに、追加の1杯は、最初の1杯ほどじゃない。だけど、ビール好きのあなたの場合、1杯で打ち止めとと言われるよりは、2杯目もオッケーといわれる方が嬉しいでしょ。たいていの人は、多い方が嬉しいよね。

では、ビール1杯とおつまみ1袋の組み合わせと、ビール2杯とおつまみ2袋の組み合わせならどう?この場合でも、きっと、みんな多い方がいいよね(ビール嫌いな人は他のものに置き換えてみてね。)。

それじゃあ、ビール1杯とおつまみ2袋の組み合わせと、ビール2杯とおつまみ1袋の組み合わせの場合は?ビールが好きな人はきっと後者の方を選ぶのかな。おつまみをたくさん食べたい人は前者を選ぶでしょ。どっちにしようか迷う人もいるだろうね。どっちを選ぶかは、それぞれの嗜好に依存しているからね。

この個人の嗜好を、経済学では図に表現する。xとyの組み合わせとして、横軸にxの量、縦軸にyの量を表してみると、xy平面の各点はxとyの組み合わせの一つを表すことになる。

このとき、xy平面上のあらゆる組み合わせに対して、そのどちらが好ましいのか、あるいは同程度に好ましいのかの判断を下すことができると仮定し、さらに、xもyもともに好ましい財・サービスで、その量が多ければ多いほど大きな効用を得ると仮定する。

こう仮定すると、ある財の組み合わせと全く同じ満足をもたらす組み合わせの点を繋げていくことにより、無差別曲線と呼ばれる右下がりの曲線を描くことができる。無差別曲線上にあるあらゆる組み合わせは、この人にとって同程度に好ましい(このことを無差別であるという。)という性質を持っている。ある財の組み合わせがあるとき、これと無差別な関係にある組み合わせの全体が無差別曲線になるということだ。

この無差別曲線は、個人の嗜好を示しているので、人によって違う。また、xy平面上に何本でも書くことができる。ただ、それぞれの無差別曲線は相互に交わらないけどね。右上にある無差別曲線ほど大きな効用が得られているということを作図して確かめてみて。

この無差別曲線を書くに当たっては、1 xもyも多いほど効用が高くなる、2 x、yともに細かく分割できる、3 嗜好は一貫していてある点で逆になったりしない、という3つの仮定が置かれている。この3つの仮定があると、個人の嗜好を右下がりの無差別曲線で表すことができるようになり、xy平面上に、たがいに交わることなく描かれる。この無差別曲線群によって、xy平面上のあらゆる組み合わせの選好の順序をつけることができる。同一の無差別曲線上の組み合わせは無差別、右上に位置する無差別曲線上の組み合わせは、左下の無差別曲線上の組み合わせよりも効用が高いというような、順序付けの規則によって選好の順序をつけることができるのだ。

…歯磨きしようっと。

病室で妄想する経済理論(目次)
1 愛と平和のインフレ・デフレ 経済学にハマッテしまったある入院患者のボヤキ
2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用
8 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰 生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義
9 ご飯の美味しさと価格統制 社会的余剰を説明したときに完全競争市場下で社会的余剰は最大になるんだよ、みたいなことを書いたんだけど、それが本当にそうなるのかどうか
10 北京オリンピックの私的費用と社会的費用の乖離 市場に委ねてしまうと却って社会的余剰を減少してしまうような場合
11 オリンピック放送の電波は公共財 市場の失敗の例としては、公共財っていうのもある
12 足湯とビールと限界効用 消費者行動というのは、合理的な選択をする




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2008年08月11日(月) The Last Waltz
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マルクやった。

骨髄薄い感じ。引かれるときの痛みは少ない。臍帯血は弱体化しているようだ。

The Band の The Last Waltz DVD をヘビーローテーションで一日中見ている。なんべん見ても飽きないなあ。

この映画、1976年の作品なんだけど、初めて見たのは、1983年、高校三年生の夏にNHKがテレビ放送したときだった。ベータのテープに録って、何度も何度も見たんだ。

つい最近、DVDを買ってしまい、もう嬉しくて嬉しくて。

i Tunes で聞いているのもここに出ている人たちが多いから、耳に馴染む。あー、やっぱりこの時代('70年代)はいいなあ。俺が夏休みに毎日沢ガニとりをしていたとき、ミュージシャンたちも音楽を本当に楽しんでいたんだなって思う。今のコピコピ商業J-Popしか聴かない人にはぜひ聴いてほしい、見てほしい。とはいえ、The Last Waltz の場合、メンバー間の確執とかもあって、エピソードを知れば知るほど複雑な気持ちにもなるんだけど。





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2008年08月10日(日) 花火
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部屋からの外出許可をもらって花火観覧。食堂まで行って見てきた。

もうそれなりに大勢の人がいて、中にはどう見ても見舞客じゃねえだろうっていう親子連れ団体も。この病院から良く見えるっていうことはみんな知ってるもんね。ま、いいけど。

花火、去年は見ることができなかったからなあ。今年は、体調のタイミングもまずまずだし、めでたしめでたし。

今は満足感でいっぱいだ。





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2008年08月09日(土) 足湯とビールと限界効用
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今日は、部屋の中のユニットバスで足湯をした。この部屋に入って二回目。えっと、俺、今はシャワー禁止なのね。だから、毎日、身体拭き用のタオルが配られて、それでアソコやコンナところ、アンナところを綺麗にしているつもりなんだけど、やっぱ段々と垢が溜まってくるんだ。足の裏が特に凄くて、皮が角質化しちゃって、カペカペ。で、足湯をしてみようと思いたち、前回やってみたら気持ち良かったんだ。

ただ、お湯をはったり、ボロボロと取れる角質をこすっていたりと結構時間がかかるから、毎日ってわけにはいかない。体調のいいときじゃないと、自分一人なので危険だし。

今日はまあまあの体調なので、実行したというわけだ。いやー、気持ち良かったね。

さて、
前回までで、完全競争市場において市場価格が需要と供給の一致点で決まるという話を、いったん棚にあげておいて、今回は、この気持ち良さ、効用の話をしようと思う。

需要とは、消費者の行動のことをいうことは分かってもらえたと思うけど、この消費者行動というのは、合理的な選択をするものなんだとして理解されている。経済主体は合理的に行動するんだ。

各個人個人は、財・サービスを消費することで満足を得ているよね。この満足を効用という。この効用は、人によって感じ方は違う。数量によって違うだろうし、趣味によって違うだろうし、同じ量のものを同じように消費してもそれぞれでまったく異なってしまうのが普通だと思う。

その上で、消費者は効用を最大化するような行動をとるんだ!という仮定をする。もちろん、お金が絡むので、消費者の購入できる範囲内(予算の制約)でという条件つき。

たとえば、ビール好きな人多いと思うけど、1杯目はうめえーーー!という人は手を挙げて。はい、ありがとう。ほとんどの人が、1杯目のビールの美味しさを知っているんだね。うれしいよ、素直で。

じゃ、2杯目は?

1杯目に比べてそれほどでもない?いや、2杯目の方がうまい?

ま、人によって感じ方は違うからいいんだけど、ここで、2杯目のビールの効用が1杯目ほどじゃないという現象は多くの人が体感するところではあると思う。

この場合、追加的な1単位の消費(2杯目のビール)がもたらす追加的な満足度を限界効用という。限界効用は、1杯目のビールの満足度に比べると、通常、2杯目は少なくなるもんなんだ(そうじゃねーよー!って人も多いだろうけど…。)。さらに、3杯目以降の限界効用はもっと低くなるのがふつう。

これは、限界効用は、消費量が増えるに従って徐々に減少するっていう、限界効用逓減の法則に当てはまる事例なんだ。需要が増えるほど効用が減少するんだね。

足湯も、タマにするから良い?んー、そうとも言えるが、毎日シャワーを浴びれる生活に戻りたいよ、うん。

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1 愛と平和のインフレ・デフレ 経済学にハマッテしまったある入院患者のボヤキ
2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用
8 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰 生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義
9 ご飯の美味しさと価格統制 社会的余剰を説明したときに完全競争市場下で社会的余剰は最大になるんだよ、みたいなことを書いたんだけど、それが本当にそうなるのかどうか
10 北京オリンピックの私的費用と社会的費用の乖離 市場に委ねてしまうと却って社会的余剰を減少してしまうような場合
11 オリンピック放送の電波は公共財 市場の失敗の例としては、公共財っていうのもある




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2008年08月08日(金) オリンピック放送の電波は公共財
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昨日の夕方にまた微熱が出ていたんだけど、朝になると下がっていた。相変わらず、じんまんしんは出たり消えたり。

前回は私的費用と社会費用の乖離、市場の失敗の一例として外部性の存在とかの話だった。ミクロ経済学の基礎理論って、本当に簡単な理屈の積み重ねなんだけど、現実の経済を理解するときに、ハッとした気づきを与えてくれる。ある事象に対して、なんでそうなるのか、それは正しいことなのかどうか、問題を解決するにはどう対処すべきなのか、といったことを考えるときのヒントには確実になる。

これに対して、俺が大学生のときに学んだ法学っていうのは、トラブルの解決手段ではあるんだけど、それは規範の解釈をどうするか、ということがベースになっている。既に制定されている民法なり刑法なりに当てはめてみて、この事例はどうあるべきかを考える学問だといえる。

経済学もモデルに事象を当てはめるという点では、法令に事象を当てはめる法学と同じような気もするんだけど、経済門外漢の俺が思うに、自由度が違うような気がする。法令の解釈はある程度制限があって結論はどんな説に立とうとそんなに大きな違いは出ないようになっている。だって、裁判官の趣味で判決が大きく変わってしまったら、法治国家は成り立たないからね。だけど、経済学は、モデルをある程度自由に設定できるし、同じ結果を求められなくても良い。任意性が違うんだな。一括りにされてしまう社会科学という範疇でもかなりの違いがあるもんだ。

で、大学時代あまり勉強しなかった言い訳じゃないんだけど、経済学を勉強していて俺が思ったのは、法学より経済学のほうが俺にフィットしているということ。面白いんだもん。経済学部に進学すべきだったのかなーと最近思っている。まあ、遠い遠い昔の話なので、そろそろ本題に戻ろう。

外部性の存在は市場の失敗の一例だということだった。このほか、市場の失敗の例としては、公共財っていうのもあるんだ。

たとえば、一個のアイスクリームは誰かが食べてしまえば、他の人は食べることができないよね。これに対して、テレビやラジオの電波は、誰かがどこで受信しようと、他の人が利用できなくなるわけじゃない。道路も似たようなもんで、誰かが通ったらすぐに壊れて使えなくなるというもんじゃない。たくさんの人が同時に使えるよね。このように、公共財には、誰かが消費をしていても他の人も同時に消費できるという性質がある。そして、この性質のことを非競合性というんだ。

それから、代価を支払わない人たちの消費を排除するための費用が非常に高くついてしまう。高速道路はただ乗りはもちろん許していないけど、それを排除するために、相当の費用を支出しているよね。一般道路だったら普通は通行を排除することには多くの費用が必要となってしまう。たとえば、サミットのときの警備とか、マラソン大会のときの車両規制とかを考えてみれば分かると思う。こんな公共財の性質のことを非排除性というんだ。

で、こんな非競合性と非排除性を持つ公共財というのは、市場ではうまく供給されないんだ。たとえば、テレビの電波にお金を消費者に出してもらって買ってもらおうとしても、消費者はタダで見れる環境があれば、普通は、わざわざお金は支払わないでしょ(ただし、電波にお金を出して買ってもらうというスカパーのような市場も、現代では成り立っているけどね。)。それは、他の人が電波を利用しているからといって、他の人の利用を妨げることができないという公共財の非競合性の性質があるからなんだ。その結果(?)、NHKの受信料を払いたくない人たちは、俺はNHKは見ないんだ!みたいな理屈を掲げて受信料を納めなかったりするんだね。非競合性を排除するためにデコーダーをつけるとか、スポンサーのコマーシャルをつけるとか、公共放送だったら受信料で賄うとか、という現在の放送形態ができているのは、こういう理由からなんだね。

…ちょっと頭痛がしてきた。ヘモグロビンが下がっているのかも。赤の輸血が必要か?

病室で妄想する経済理論(目次)
1 愛と平和のインフレ・デフレ 経済学にハマッテしまったある入院患者のボヤキ
2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用
8 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰 生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義
9 ご飯の美味しさと価格統制 社会的余剰を説明したときに完全競争市場下で社会的余剰は最大になるんだよ、みたいなことを書いたんだけど、それが本当にそうなるのかどうか
10 北京オリンピックの私的費用と社会的費用の乖離 市場に委ねてしまうと却って社会的余剰を減少してしまうような場合




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2008年08月07日(木) 北京オリンピックの私的費用と社会的費用の乖離
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今朝はスッキリと目覚め微熱もなかった。白血球はまだ上がってこないけど、なんとなく体調が良くなっていく気がする。ジンマシンは続いているけどね。

前回は、食糧管理制度をミクロ経済学のシンプルなモデルを使って説明してみたんだけど、ちょっと舌足らずなところがあったので補足しておく。

社会的余剰=消費者余剰+生産者余剰-政府支出っていうのは分かってもらえたと思う。

でも、鋭いあなたなら気づいているはず。

もしも、生産者余剰の増加分が消費者余剰の減少分を上回れば、政府支出を引く前の総余剰は、完全競争市場よりもでかくなるんじゃないのか?!ってことを。

その通りなんだよ。生産者は、消費者余剰の減少分よりも大きな生産者余剰の増加分を得ることができて、とっても美味しいんだ。なんといっても生産量全部を生産者価格で買い取ってもらえることを保証されているんだから。まさに、生産者保護に適した政策なんだ。

さらに、前回説明したように、政府支出分は、税収が財源だから、消費者と生産者で均等に負担する。消費者は消費者余剰を減らされたばかりか、生産者余剰の増加分の負担を強いられているわけだ。一見、消費者かわいそうー!という結論になりがちなモデルになるのだ。

…ではあるが、『国内農家の保護、食糧自給の確保といった食糧安全保障対策的な意味合いから、日本の置かれている国際的立場を考えれば』、それでもやらないよりやってきて良かったんじゃないの?って俺は思っているけどね。今は、自由米になって大分ゆるくなったけど、食品貿易、農業貿易が以前より盛んな現在、農業政策はより重要になったと思える。国民みんなが農家だって国じゃないんだからさ、国内農業を保護しようとしたらコストがかかるのは当たり前じゃん。わけのわかんない消費者代表のおばちゃんみたいな都市住民が増殖していったら、日本は滅ぶね、確実に。

だから、ご飯を食べる前には、いただきます、食べ終わったら、ごちそうさま、と声を出して言い続けなきゃいけないと思っている。

さて、
市場に委ねてしまうと却って社会的余剰を減少してしまうような場合というのも実はいろいろある。たとえば、ある企業が生産活動の副産物である廃棄物を、そばに流れる川にたれ流しにしていたら、困るでしょう?でも、規制も何もなければ、この企業にとっては、廃棄物の処理は川に流すだけで済む。費用はとても少なくて済む。このときの費用のことをこの企業にとっての私的費用というんだ。

だけど、この川には魚はいなくなるだろうし、いても汚染された魚になっちまうし、飲料水としても使えなくなるだろう。どこかで代わりの水を見つけなきゃなくなる。あるいは、河川浄化のために多くの労力が必要となる。こんな犠牲が一方で出てくる。この犠牲になってしまった費用は社会的費用というんだ。

企業が生産費用の中に、私的費用だけしか負担しないのか、社会的費用も含めるのかという問題は、昔の日本企業の公害訴訟の例、今の中国の状況から想像がつくと思う。

廃棄物を川へたれ流しにすることに対して何の規制もなければ、企業は私的費用しか負担しないのがフツーでしょ?そうすると、この企業の私的限界費用曲線に沿って生産が行われるから、需要曲線との交点は社会的費用を考慮した社会的限界費用曲線に沿って生産が行われた場合よりもたくさん生産してしまうことになってしまうんだ。

これは、イクナイんだな。企業、ボロ儲けじゃん。完全競争市場は大失敗じゃん。

この企業は川を利用することに対してお金払ってないんだもん。川の使用料を取引する市場がないってことが問題なわけだ。

ここで、ウザイかもしれないけど、政府の役割が出てくるんだね。つまり、政府の役割の一つには、こういった私的費用と社会的費用の乖離を調整をするっていうことがあるんだ。こういう仕事は民間主体ではできないからね。費用は税収でしか賄えない(ま、最近はやりのNPOやボランティアのようなシステムは否定しないけど、社会的費用を負担しようという賛同者は通常多くないからね。)。不祥事続きで国民に叩かれっぱなしの公務員だけど、本来、とても重要な仕事を担っているはずなんだな。

こんなふうに、ある経済主体の行動の結果が、市場での取引を通してでなく、直接に他の経済主体に影響を及ぼすことがある。こういうのを、一般に、外部性が存在するっていう。

川へ廃棄物をたれ流すと、魚を採って生計を立てていた人に外部効果を及ぼしてしまうでしょ。他の経済主体に望ましくない影響を及ぼすとき外部不経済というんだ(他の経済主体に望ましい影響を及ぼすときは外部経済。例としては、借景とかただ乗りっていうことになるんだけど、これは後で気が向いたら説明する。)。外部性があると、市場が競争的であったとしても、そこで決定された生産量は必ずしも望ましくならないんだ。

ま、そんなことで、外部性の存在ということも市場の失敗(市場がうまく機能せずに適切な財の生産が行われないこと。)のひとつに数えられるわけだ。

2004年08月11日(水) 原発事故に思う。

 『・・・だから、原発はダメなんだ。』とか、『自然エネルギーの開発を急がなければならない。』とか、そういった飛躍的発想を言う前に、個々のプロセスをまず点検すべきなのだ。当たり前のことだが、太陽光発電施設設置や風力発電開発のためのエネルギー総量は、そこから調達されるエネルギー総量をどうしても上回ってしまう。現時点で、人間の作りえたエネルギー抽出装置なんて、原発を含めて大したことない。

 大きく捉えれば、『何故、日本の電力供給の枠組みに原発を含めなければいけないのか。』くらいの議論も可能なのだろうが、如何せん、エネルギー大量消費構造を改革できるとは思えず、供給側のコスト減に期待するのみが現状だ。

 ところが、社会的効用と私的効用が乖離するサービスにはコストがかかる。そのコストを削減しようとするから錆が出る。結局、電力の調達手段変更は、公営企業がやるより他ないのだ。電力民活実施から久しいのに、電力会社の寡占供給形態が変わっていないことを考えてみればすぐわかることだ。

 だから尚更、電力会社には、企業倫理が問われるのだ。


もう立秋だよー。

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2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用
8 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰 生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義
9 ご飯の美味しさと価格統制 社会的余剰を説明したときに完全競争市場下で社会的余剰は最大になるんだよ、みたいなことを書いたんだけど、それが本当にそうなるのかどうか




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2008年08月06日(水) ご飯の美味しさと価格統制
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アマゾンのマーケットプレイスでは、入門価格理論(倉沢資成)や入門マクロ経済学(中谷厳)が1円で売られている。マーケットプレイスは送料340円がプラスされるから、これらの本は341円で読めるってわけだ。元々は3000円くらいする本なのに。いやー、図書館行って本を探す手間暇考えると、完全にアマゾンの圧勝だな。今の学生は恵まれているね。

それから、入門マクロ経済学(中谷厳)は、もう第5版になっているんだということも発見した。ま、そりゃそうだよな。俺の手元にある入門マクロ経済学第2版は、1987年の本だから。それから20年あまり経っているんだから、第5版にもなるわけだ。

それに対して、入門価格理論の方は第2版の後、改訂版はないようだ。現実の経済分析に近いマクロ経済学とモデルをシンプルに考えるミクロ経済学の性格の違いなのかな。ミクロ経済学は自然科学の基礎理論のように積み木を一個一個積み重ねたかのような学問だから。

ところで、いまだに微熱続きでじんましん続きだ。今日は、皮膚科の先生に診てもらった。ジンマシンだろうということだけど、原因に心当たりはない。ポツポツ出ては1時間くらいで消えていく。なんとも気まぐれなヤツだ。

さて、前回、社会的余剰を説明したときに完全競争市場下で社会的余剰は最大になるんだよ、みたいなことを書いたんだけど、それが本当にそうなるのかどうかということを考えてみたいと思う。

米は食糧管理制度のもと、市場介入がされてきたということは、日本人なら知っていると思う。なんといっても、主食のお米のことだから。

食糧管理制度では、転作奨励金や生産者米価の設定などの政策によって、農家を保護してきたわけなんだけど、これは、同時に消費者余剰を減少させてきてもいたんだ。

これは、どういうことかというと、生産者米価によって、本来の完全競争市場下での均衡価格より上に価格が規制されて、その結果、超過供給が存在してしまうのを転作で打ち消そうとしてきた政策なんだ。目的としては、国内農家の保護、食糧自給の確保といった食糧安全保障対策的な意味合いもあるんだけど、もっぱらお米を食べるのみの消費者からすると不満足な結果になる。高い価格でお米を買わなくてはならなくなるから、均衡価格のときに比べて消費者余剰の三角形が小っちゃくなっちゃうんだ。

一方、生産者余剰は、本来の均衡価格のときより三角形は大きくなる。農家の保護になっているといえる。

そして、社会的余剰は、消費者余剰+生産者余剰で、完全競争市場下と比べ、一見所得配分が変わっただけに思えるんだけど、実は、そうじゃない。まず、消費者が政府価格で買うお米の量は均衡価格のときに比べて少なくなる。高い価格になるんだから代替財に流れてしまうよね。一方、生産者が作ろうとするお米の量は均衡価格のときに比べてどうしても増えてしまう(ま、だから減反政策が必要になったんだけど、ここでは割愛。)。

そうすると、米が売れ残ってしまい、倉庫にたくさん余剰備蓄がたまってしまうことになる。その分のお金は誰が出しているの?ってことを考えると、政府が支払っているわけであり、税金なわけだよ、あなた。

だから、最終的な社会的余剰を考えると、消費者余剰+生産者余剰-政府支出っていうことになり、完全競争市場のときよりも社会的余剰は萎んでしまうことになるんだね。

一応断っておくけど、だから食糧管理制度が悪いんだ!政府が悪いんだ…みたいなシロウト臭いことは思っていないよ。先に述べたように、、国内農家の保護、食糧自給の確保といった食糧安全保障対策的な意味合いから、日本の置かれている国際的立場を考えれば、誤った政策だったと断言することは俺にはできないから。政府や自治体の政策になんでも反対するっていう馬鹿や阿呆がいるけど、その政策の意味、中身を経済学だけじゃなくて、社会学や政治学などいろんなツールで分析してから喋ろ!って言いたいね。

ま、というわけで、ミクロ経済学のシンプルなモデルを使ってみると、食糧管理制度は失敗なモデルだったといえるわけだね。

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1 愛と平和のインフレ・デフレ 経済学にハマッテしまったある入院患者のボヤキ
2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用
8 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰 生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義




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2008年08月05日(火) 微熱気味な生産者余剰と社会的余剰
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37℃台の微熱が続いてる。気分は爽快なんだけど、体温計はぬるい。

今回は生産者余剰、さらに社会的余剰について。

消費者余剰と同様に、生産者余剰という概念も用いられる。生産者余剰とは、生産者が実際に受け取った額から生産のための可変費用を差し引いた額として定義される。簡単にいうと、生産者の得る利益ってことになるんだ。

このとき、短期の供給曲線は前回説明した限界費用曲線になるんだ。なんでかっていうと、生産に対する可変費用は、限界費用までの範囲になるから。限界費用の範囲までしか費用を増やさないってことね。

で、生産量が増えるに従って限界費用が高くなるという右上がりの短期の供給曲線(U字型のグラフの右側の方)ができあがるんだけど、完全競争市場での適正価格で製品は売れているわけだから、その差(儲け)が生産者余剰(生産者の満足)となるのさ。

縦軸に価格、横軸に需給量のグラフを書いてみて。ここで、市場均衡価格がP*だったとして、供給曲線の縦軸切片Dと需要曲線との均衡点EとP*で囲まれた部分の面積(P*ED)が生産者余剰になることを確かめてみて。市場全体の生産者余剰は、こんなふうに個別の企業の生産者余剰を合計して求められるんだね。

消費者余剰と生産者余剰の和は総余剰と呼ばれている。消費者余剰というのは消費者にとっての便益、生産者余剰は生産者にとっての便益だから、両者の和である総余剰は社会的便益を表す指標となりうるので、社会的余剰と呼ばれている。

社会的余剰っていうのは、グラフを作図した人ならすぐに分かると思うんだけど、需要曲線と供給曲線の交点で最大になる。消費者や生産者がどれだけ満足することができるか、ということを表すときに便利なツールとなる。この社会的余剰を基準にし、独占や政府の市場介入などの問題点、効率性を評価することもできるということだ。

ちなみに、社会的余剰が最大になるのは完全競争市場の場合。三角形と三角形の双方が最大の大きさになるからね。

じんましんもポツポツと…。

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2 冷静と情熱のミクロ 各家計や企業の経済活動を分析するのがいわゆるミクロ経済学
3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』
7 ここが我慢の限界費用 生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用




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2008年08月04日(月) ここが我慢の限界費用
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白血球が上がってこない。まだまだ閉鎖状態は続きそうだ。

今日は、ここが我慢の限界費用について。消費者余剰を前回は考えたわけだけど、生産者余剰を考える際に避けては通れない限界費用概念なんで、間に挟む形で先に説明する。

限界費用とは。

限界費用とは、生産量を一単位増やしたときに必要な追加的費用のことをいう。生産量を一個増やしたときの費用増加をどう考えるかということね。つまり、限界費用=総費用の増分÷産出量の増分、ということ。

もともと、ご存じの通り、費用には固定費用と可変費用の二種類がある。固定費用は、生産量に関係なく発生する費用、可変費用は、生産量に比例して増加する費用のこと。

ある工場において、機械設備の維持費と労働者の賃金のみから費用が成り立っていると仮定する。さらに、工場がつくっている製品は完全競争市場で適正価格で売れてて、均質な労働者を一定賃金で何人でも雇えるとする。

ここでは、維持費は固定費用、賃金は可変費用と捉えることができるわけだ(現実の社会に置いては、人件費は固定費用に近いと思うけどね。)。

この工場での限界費用を考えると、生産量の少ない間は、生産量が増えるごとに限界費用は減る。労働者を増やすことによって、利潤が拡大する。機械設備がその価値相当分までフル稼働できるまでは、どんどん労働者を増やしてみよう!

ところが、ある生産量を超えてまでも生産しようとしようとすると、限界費用は、急に増えだすんだな。それは、工場の最適な規模を超えて無理に生産をすると、いろいろな面で非効率が出てくるからなんだけど、これは、工場経営経験がある肉親がいる俺には実感として分かることだなあ…。

ま、まとめとして、簡単にいうと、縦軸に限界費用、横軸に生産量のグラフを書くと、生産量が増えるにつれ、最初は効率アップで限界費用は減って、ある生産量から効率ダウンで限界費用は増加っていうことになって、U型になる。ここら辺の説明、数学を使った方がいい?かえって分かりにくくなりそうだから、なるべく使いたくないんだけど(笑)。国家試験対策としては、もちろん経済数学は必要だけど、一般理解としてはこんなところでどうかな。

あー、早く造血回復しねーかなー。個室からいつまでたっても出られない。このままだと、今年も花火は音だけ聞くということになっちまう(泣)。

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3 疾風怒涛の供給曲線 人間の営む経済活動の大前提を考えてみると、それは、欲望は無限、資源は有限、この有限な資源をどう使うのか?という問題が常に立ちはだかるということになる
4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
5 放置プレイな完全競争市場 1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件
6 いとしの消費者余剰 『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』




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2008年08月03日(日) いとしの消費者余剰
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倉沢資成の入門価格理論が手元にあるので、これからは、正確に記述できるような気がしてきた。サンキュー、妻よ。

さて、
今回は、いとしの消費者余剰。

最近も、官製談合や教員採用汚職なんかの記事が出て、マスコミは賑わっているけど、これらの不正は経済学的に見ると、不完全情報や独占、寡占といった完全競争市場を阻害する原因にもなっている。結果、消費者(納税者であったり、児童生徒、保護者であったり)の余剰(満足感)の損失が出ているんだ。つまり、経済学的にこれらの不正は何故いけないのかという説明もできんだね。これを理解するための道具として、消費者余剰の理論はぜひ押さえておいてほしい。

まず、消費者余剰の定義なんだけど、これは、『消費者が求めずにいるよりはむしろ高い価格を支払ってでも求めたい財を、低い価格で購入した場合、それによってもたらされる効用』のことをいう。ん?わかりにくい?だ・か・ら、『消費者がある財に対してすすんで支払ってもよいと考えている最大の価格から、実際に支払った金額を差し引いた額』のことを消費者余剰というんだ。購入予定価格−市場価格=消費者余剰というと、ちょっと乱暴な表現になっちゃうけど。

たとえば、リンゴを買おうと思っている人が5人いて、それぞれ200円、180円、160円、140円、120円までなら買おうと思っているとする。このとき、市場価格が140円だとすると、予算120円の人以外の4人が買うことになるだろう。

その場合、経済学上、200円で買おうと思っていた人なら60円を節約できたから60円分の効用(満足感)を得られた、と考えるんだ。同様に、180円の人は40円、160円の人は20円、140円の人はゼロとなって、買った人の効用の合計は、60円+40円+20円=120円という計算になる。そして、この5人に限定した場合、この効用(節約した満足)が消費者余剰と呼ばれるものになるんだ。つまり、市場全体の消費者余剰は、各消費者の購入予定価格と市場価格の『差』の合計ということなのよ。

もちろん、実際の市場ではもっともっとたくさんの消費者がいるわけで、その消費者余剰がどれくらいなのかを考えるときに、需要曲線が必要になるのね。

縦軸に価格、横軸に需給量のグラフを書いてみて。右下がりの需要曲線、右上がりの供給曲線の書き方は、前に話した通り。ここで、市場均衡価格がP*だったとして、需要曲線の縦軸切片Cと供給曲線との均衡点EとP*で囲まれた部分の面積(P*EC)が消費者余剰になることを確かめてみて。ね?なるでしょ?!

外は暑そー。

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4 マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム 『市場』における需要と供給の関係
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2008年08月02日(土) 放置プレイな完全競争市場
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今日のお昼は、俺の部屋だけなのか、配膳がおくれてさー。食わせてもらえないのかと思ったぜ。遅れて運ばれてきたトレイには、ラップがかかってた。うぇーん。放置された…。

さて、
普通はこんなにうまく機能している市場なんてねぇーよ!っていう完全無欠の競争市場。

そんな市場じゃないと、価格の需給調整機能は働かねえんだな。そして、そんな市場のことを完全競争市場というんだ。

この完全競争市場となるには、1 売り手と買い手が多数存在、2 価格支配力を持たない、3 同質の商品である、4 情報の共有、5 参入障壁がない、という5つの前提条件※が必要となる。


1 売り手と買い手が多数存在 完全競争市場では、競争相手が無数に存在し、一個人または一企業の影響力が非常に小さくなる。
2 価格支配力を持たない 一企業の影響力が小さいため、どの市場参加者も価格支配力を持つことはできない。そのため価格は市場に依存する。
3 同質の商品である 売り手が供給する商品は同質であり、差別化(ブランドなど)が存在しない。
4 情報の共有 市場に参加する者すべてが商品の性質や価格に関する情報を完全に入手できる。
5 参入障壁がない 企業が市場に自由に参入でき、利益が上がらなければ自由に退出することができる。

こんな条件をすべて満たされる、通常あり得ないと思われる完全競争市場では、買い手も売り手も価格を恣意的にコントロールすることは不可能。だから、市場参入者は、プライステーカー(価格受容者)とならざるを得ない。市場価格を受け入れたうえでの経済行動しかできなくなるんだね。

…甲子園が始まった。

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2008年08月01日(金) マニー・ラミレスとケン・グリフィー・ジュニアの市場メカニズム
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こんちはー。閉鎖状態が続くナカムラでっす。貧血気味で頭痛かったけど、いま輸血が始まったから、そのうち楽になると思うよ。

いやー、マニーとジュニアが動くとは。ビックリした。マニーはドジャースだと余るだろ?使い方が難しそう。ジュニアには、ワールドシリーズ出場の可能性も出てきたし、最後のヒト花咲かせてほしいな。

さて、
需要曲線と供給曲線のところまで終わったので、次は、『市場』における需要と供給の関係について解説しようと思う。

ある農作物の市場で、無数の売り手と買い手がいて取引を行っているとする。このとき、ある農作物の価格を、1キロあたり300円だとする。そして、売り手が1キロ300円のときに3000トンの農作物を市場に供給したとする。

ここで、買い手が1000トンしか購入しなかったとすると、2000トンの超過供給が生じることになる。この場合、売り手が値段を下げないと、2000トンもの農作物は、売れ残り、腐り、廃棄されてしまうことになる。もったいねーーー。ま、だから、安くてもいいから叩き売るんだ!

逆に、市場価格が1キロあたり100円だったとすると、今度は需要が3000トン見込まれるのに、売り手は1000トンしか供給しなくなる。安く売りたくないからね。そうすると、2000トンの超過需要が生じる。だけど、農作物の生産は、簡単に供給を増やせない。だから、売り手は考える。ちょっとくらい値段をあげてみようかなーっと。ある程度まで値段を上げても買ってくれる買い手はいるだろうからね。

これが、どこで落ち着くか、すなわち、この農産物市場の適正価格はいくらなのか?

これが、あなた、需要曲線と供給曲線の交点になるのさ。

縦軸に価格、横軸に数量をとり、右下がりの需要曲線と右上がりの供給曲線を記入したグラフを書いてみよう。そうすると、需要曲線と供給曲線がバッテンになって真ん中で交わっているでしょ?この交点だと需要量と供給量と一致し、需要と供給に過不足が生じなくなるんだ。で、このとき、縦軸が示している交点の価格が適正価格ということになる。

このように、市場では、需要と供給のバランスで、値段が適正価格になるように自然に調整されることになる。で、需要と供給が一致したところで価格が決まる。いわゆる『神の見えざる手(by アダム・スミス)』のこと。

…という、高校の政治経済の教科書でも載っているよな現代人の常識なんだけど、まー、普通はこんなにうまく機能している市場なんてねぇーよ!っていうのがフツー。

(to be continued)

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