『あの日、長岡市をはじめ国内四都市に投下された爆弾は六千六百三十二トン。ノルマンディー上陸作戦を上回る爆弾を非戦闘員の頭上に投じた作戦を、米紙は「世界最大の攻撃」と報じた。』(新潟日報8月1日コラム欄日報抄より)
打ち上げられた花火は爆発音を轟かせ地面を揺らす。長岡の町の人は、花火の音を聞いて、空襲を思い出し切なくならないのだろうか、と疑問に思っていた。毎年花火大会が行われる8月2日、3日は、空襲のあった8月1日の翌日、翌々日なのだ。
そんな疑問に答えてくれたのがプルルンのママ。↓
*** 長岡は空襲で焼け野原になった町なんです。 *** だから、単なるお祭りというより、空襲後の「復興祭」なんです。
戊辰の復興時の米百俵の逸話にもあるように、逆境の克服の仕方に長岡の力強さを感じる。明治の賊軍となり、アメリカの空襲で焼かれた町、長岡(新潟とは違うところだと思っている。)。
だから、今年も復興のシンボルである花火は上がったのだ。きっと、水害の被害を受けた人々にも長岡の花火に託された願いは届いたに違いない。
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