金太郎文化圏にて仕事。 どういうわけか、今年はこの辺りの用件が多い。
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少し前の新聞記事から。
「(自然の)恩恵が目の前にあるのに、人間がそれを見出せないことを「罪」と言うのだと思います。」
医師でペシャワールの会現地代表の中村哲氏のことば。 本当に、そうだなと思う。
氏は、目の前に繰り広げられている自然の調和や恩恵に気づかないことについて、 「愚かなこと」を通り越して「罪」だと言い切っている。
それが人間の罪である、と。
2011年06月23日(木) 東日本大震災 自民党の資金問題 2007年06月23日(土) 2006年06月23日(金) ラッキーのめぐらせ方 2005年06月23日(木) 分水嶺 2004年06月23日(水) 疲弊
2015年06月16日(火) |
人文社会科学系への復讐と予防措置 |
一月ぶりに出張。小江戸にちょいと用件がある。
荷造りの傍らでラジオのニュース。 国立大学の人文系学部の廃止?
?。
耳を疑ったまま家を出て、宿で再確認。以下抜粋。
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下村博文文部科学相は8日、全国の国立大学法人に対し、第3期中期目標・中期計画(2016〜21年度)の策定にあたって教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院の廃止や転換に取り組むことなどを求める通知を出した。
通知では、各法人の強みや特色を明確に打ち出すよう求め、組織改革に積極的に取り組む大学には予算を重点配分する枠組みも盛り込んだ。
教員養成系と人文社会科学系については、18歳人口の減少などを理由に、組織の廃止、社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう要請。司法試験合格率が低迷する法科大学院についても、廃止や他の大学院との連合など「抜本的な見直し」を求めた。
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さらに、直近のニュース。
下村博文・文部科学相は16日、東京都内で開かれた国立大学86校の学長を集めた会議で、入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を要請した。さらに、文科省が8日に通知した文系学部の廃止などの組織改編を進める方針についても説明し、改めて改革を促した。補助金と権限を握る文科省からの相次ぐ求めに、出席した学長らの間には困惑が広がり、一部の教員からは「大学攻撃だ」と反対の声も上がっている。
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憲法改悪に勝るとも劣らない、愚策だ!と怒り心頭でいたらば、 内田樹先生もブログで言及しておられた。
このことそのものについては、また述べるとして、 私は、気がついたのである。
これは、安倍総理の大学への復讐であり、同時に今後に向けた予防措置なのだ。
岸内閣を退場させた、60年安保闘争の主役である大学の、 その筋の根を断って、国家への忠誠を固めておこうということだ。
2011年06月16日(木) 東日本大震災 面子とプライド 2010年06月16日(水) 実家という名の魔境 2006年06月16日(金)
川本三郎著「今ひとたびの戦後日本映画」。
川本氏は有名な映画評論者であるが、この本は映画評論の本ではない。
否、映画を論じていながら、 実は戦争-戦前・戦中・戦後-の実相を語っている。
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戦後の日本映画には、復員兵が多く登場する。 合わせ鏡のような関係で、戦争未亡人も多くの作品で描かれている。
著者は、まず戦争未亡人について考察し、「戦後日本映画は、おそらく−戦争未亡人を描くことで、ついこのあいだの戦争で死んだ多くの死者たちを追悼、鎮魂しようとしたのだ。「死者を忘れるな」と生き残った自分たちに言い聞かせようとしたのだ」と、さらには「戦争を批判しながら、そこで死んでいった「死者」を慰めることができるのは、社会的弱者であった女性しかいなかったのではないか」と述べている。
次に、復員兵に関する記述。
復員兵なんて言葉が、そういえばあったなあと思いながら、読む。
川本氏の記述によると、戦後の復員兵は約500万人に達したそうである。
「…そうした-友人たちが、声もなく死んでいった日々-痛恨の思いを抱いている復員兵にとって、戦後社会に生きることは困難を極めたに違いない。「大日本帝国」が突然「民主日本」になったからといって、すぐにその現実に追付くことは、戦場を経験したものであるほど出来はしない。頭の中ではいくら日本は新しく再生したと理解していても、心情が、肉体がそれに追いつかない。客観的には戦後を生きていながら、主観的には戦中を生きる。そういう二重構造を生きる者として大きく浮き上がってくるのが「復員兵」である…。」
「彼らは器用に戦後社会に自分を適応させることができない。といって昔に戻ることもできない。…戦争で死んでいった仲間たちのことを思えば、戦後の明るさのなかにすぐに自分を投げ込むことはできない。…「復員兵」は明るい戦後社会の異物になっていく。そして「異物としての復員兵」が描かれていくからこそ、戦後の日本映画は豊かさを獲得していく。」
「(映画「酔いどれ天使」に登場する)復員した三船敏郎は、戦後やくざに身を崩すことによって、「大日本帝国」を批判し、傷だらけになって死んでいくことによって「民主日本」も批判した。どちらにも与しない第三の戦後が、もしかしたらあり得るかもしれない可能性を残しながら死んでいった。「酔いどれ天使」の三船敏郎の死の衝撃は、そこにある。「異物としての復員兵」が突き付けた、「大日本帝国」と「民主日本」の両方に対する否定の重さにある。
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引用終了。 長々と引用したくなるほど、川本氏の考察に私には心が揺さぶられた。
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復員兵は、明るい戦後社会の異物である。
そういえば、「明るい未来のエネルギー」などというキャッチコピーが、 ついこの間まで、どこかの町に掲げられていた。
戦争を二度と経験したくないけれど、戦争を忘れたくはない。
何という、悲しくねじりまがった心もちであろうか。
それは、東日本大震災で被災した方々の心境を思い起こさせる。
おそらく、国家に背を向けられた個人の存在、と言う点で共通するのだ。
2009年06月11日(木) 平野と都市 2008年06月11日(水) それを手放してはいけない 2004年06月11日(金) お世継ぎを!
松田優作、高倉健、三船敏郎、三国連太郎、 と続いた日本の映画俳優をめぐる我が研究活動も、 いよいよ佳境にさしかかった。
即ち、森繁久彌丈、の登場である。
即ち、社長シリーズであり、駅前シリーズであり、 高度経済成長以前の、戦後日本の世界である。
2011年06月08日(水) 東日本大震災 古い都の国策事業 2005年06月08日(水) 人類最高のアミューズメント 2004年06月08日(火) 星の牧場
秋尾沙戸子著「ワシントンハイツ」。
一月ほど前に読了。良書であると思う。
ワシントンハイツとは、戦後の進駐軍の、
主に将校クラス用に整備された住宅のことである。
それがあった場所は、少なくとも都民であれば誰でも知っている。
それは、明治神宮の隣、代々木公園にあったのだ。
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タイトルが示す「ワシントンハイツ」は本書の象徴的なものであり、 内容はそれを上回るものである。
即ち、東京大空襲はどのような人物によっていかにして計画され、実行されたのか、
戦後のGHQの占領政策がどのようなものであったのか、
代々木公園−ワシントンハイツ−が日本に返還された背景に住民運動があったこと、など
ほんの数世代前のことであるのに、歴史からかき消されてしまった記憶が克明に記されている。
ついでに言うと、クリスマスが何故、宗教と関係ないところで日本に定着したのかも、−日本人はそうしたテキトウなお祭り好きだからと思いこんでいたが−、 「そうだったのか!」という驚きとともに知ることができる。
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私達は、縄文時代よりもはるかに、昭和のことを知らない。
縄文時代よりもはるかに、知る必要があるにもかかわらず、である。
そしてまた、知らない、というよりは知らされていないのである。
2014年06月04日(水) 製造か誕生か 2010年06月04日(金) シーオーツー 2007年06月04日(月) 強制托卵の未来 2004年06月04日(金) 善意のベクトル
手首の痛みはもうだいたい治った、いざ岩登りだと意気込むHに、
Yが、ずっと治らなければいいのに、とつぶやく。
治ってしまったらば、もう一緒に釣りに行ってくれないからだ。
まるで、八百屋お七の心境である。
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よくぞ言ってくれた、と胸の内で拍手喝采を送る。
色々と気を回す彼のことだから、その願いの理由には、 母がくたびれて不機嫌になるということも織り込まれているのかもしれない。
2014年06月03日(火) 2006年06月03日(土) 眼つぶし信号 2004年06月03日(木) 誰かのせいにしたい
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