午前10時には、もう日差しが殺気を帯びてくる。
東京や大阪のように湿気を含まない分だけ、 「焼かれる」という感じの日差しだ。 全てのものが照射され、風景はハレーションを起こす。
そんな狂気を逃すために、 雑事をこなしながら頭の中でキューバ音楽を流す。 (私の脳内音楽再生装置は、かなり性能がよく、正確に再生される。 少なくとも本人はそう思っている。)
ブエナビスタ・ソシアルクラブとして名高い イブライム・フェレールとオマーラ・ポルトゥオンドの デュエット。
伸びやかで艶のあるヴォイスは、生の喜びに満ちている。 生きていること、そして 男であること、女であることを楽しみ味わおうではないか、 と語りかけている。
キューバという国は決して豊かではないし、 政治的にも複雑な過去と現在がある。しかし 政治や経済がどうあろうとも、我々は生きている、という意志を、 今日はこのミュージシャン達を通して、 少しおすそ分けしてもらおうと思う。
*
Aの通う保育園の会議の日なので、仕事を早めに切り上げ、 子どもの夕飯づくりに園へ行く。
沢山の大人、沢山の子どものざわざわした声を聞きながら、 50人分の飯を炊き、味噌汁を作り、肉を炒める。 子ども達が順々に、夕飯の内容を確認しにくる。
訪れるすべての子どもの名前を呼び、今日のメニューを告げると 子どもは満足して遊びにもどっていく。
夕日のさす厨房でこの慣れない作業をしながら、 こういうコミュニティに属していられる幸せを感じる。
ほんの数年前までは、仕事に追われる日も追われない日も 寝るだけの家にとぼとぼと帰る週末だったことを考えると、 自分は幸せなのだな、と思う。
*
すっかり熱気が失せ、空気が冷静さを取り戻した夜、家に戻る。
絶えることがない「痛ましい事件」の処理に追われて X,Yの値が見えなくなっていた善意のベクトルは、 いつしか定位置に回復していた。
世の中の損なわれていることについて具体的に客観的に示すことも大切だが、 こう在りたいという希望と善意のベクトルを示す作業をこそ 例え愚鈍と言われたとしても、自分はやっていきたいものだ、 そういうことのために言葉と文章を使いたいものだ、と 家路をたどりながら思った。
|