引き続き、佐世保の事件。
どう考えればよいのか。 「痛ましい事件」というのを自分がどう処理してよいのか だんだんわからなくなってきた。
●事件の詳細を知り、怒りや悲しみの感情をあらわにする。 ●事件の詳細を知り、自分や家族が加害者にならないようにする。 ●事件の詳細を知り、自分や家族が被害者にならないようにする。
それだけの人生、 否、そういう要素が流入する人生の なんとつまらないことか。
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結局私は、 罪は罪として罰せられなければならないにせよ、 加害者の子どもに、時代の責任をおしつけたくはないのだ。 また、加害者の親や、校長や教師の個々人を含めて、 誰かの単独犯という安易な結末にしたくないのだ。
罰して規制をしてそれでおしまい、 という単純な問題ではない。 そういう、ガンを切除するような西洋医学的な処置は、 あくまでも当面の措置であって、 世の中は全身症状の改善が必要だ。
この国の犯罪発生システムは、 もう絡まった糸のようになっている。 閉塞的な社会、不況、環境問題、希薄な人間関係、 都市化と人口過密化、数え上げればきりがない。
この因果関係はまるで、 発信者を特定できないファイル交換ソフトのようであり、 筋書きがやりとりされ、痛ましい事件がスパークする。
この国を、子ども達をこんなにしたのは誰か。 政治は健全に機能しているといえるのか。 追求するべきは、ここである。
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