浅間日記

2004年06月03日(木) 誰かのせいにしたい

引き続き、佐世保の事件。

どう考えればよいのか。
「痛ましい事件」というのを自分がどう処理してよいのか
だんだんわからなくなってきた。

●事件の詳細を知り、怒りや悲しみの感情をあらわにする。
●事件の詳細を知り、自分や家族が加害者にならないようにする。
●事件の詳細を知り、自分や家族が被害者にならないようにする。

それだけの人生、
否、そういう要素が流入する人生の
なんとつまらないことか。



結局私は、
罪は罪として罰せられなければならないにせよ、
加害者の子どもに、時代の責任をおしつけたくはないのだ。
また、加害者の親や、校長や教師の個々人を含めて、
誰かの単独犯という安易な結末にしたくないのだ。

罰して規制をしてそれでおしまい、
という単純な問題ではない。
そういう、ガンを切除するような西洋医学的な処置は、
あくまでも当面の措置であって、
世の中は全身症状の改善が必要だ。

この国の犯罪発生システムは、
もう絡まった糸のようになっている。
閉塞的な社会、不況、環境問題、希薄な人間関係、
都市化と人口過密化、数え上げればきりがない。

この因果関係はまるで、
発信者を特定できないファイル交換ソフトのようであり、
筋書きがやりとりされ、痛ましい事件がスパークする。

この国を、子ども達をこんなにしたのは誰か。
政治は健全に機能しているといえるのか。
追求するべきは、ここである。


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