2006年06月23日(金) |
ラッキーのめぐらせ方 |
楽しかった上半期も終わりである。 程よい仕事量だった見通しが、やや大盛りになりそうな気配。
ありがたいことではあるけれど、なぜか同じ日に襲来したので、 こなせるだろうか、また生活が破綻しないだろうかと、少し及び腰である。
こういうタイミングは、おそらく、統計学的に分析すれば必ず根拠がある変動だ。 今日のラッキーテーマは仕事だったか、などとは思わない。
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占いに未来を委ねるという習慣がない。 不思議なめぐりあわせは、もう少し別のかたちで自分の中にある。
易学というのは、統計学的知見を応用したものと思っている。風水は自然科学である。
だから、易「学」とか占星「術」という以上は、 誰が判断しても同じ知見にならなければならないと思うのだけれど、 最近のそれは著しく変質している。 「私があなたを占います、私が」という、意味不明の主張がある。
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私が備えている血やリンパ液の組成について統計学的に示したとしても、 それをどんなふうに身体中にめぐらせていくかは、−未来への向い方というのは−、 結局のところ、自分が心拍数をあげて血液を循環させなければ、どうしようもない。
だから、怖いおばさんの占いに戦々恐々とするよりも、 腹をすえて、手も足もバタバタさせるほうが−あるいはじっとしているほうが−よいと思う。
そして、そうしてみた後に、身体に血がどうめぐったのか、 自分でよく考えれば、ともかくは、それでよいのだとおもう。
2005年06月23日(木) 分水嶺 2004年06月23日(水) 疲弊
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